だって親友だもんな
「除霊してくれってしつこい人がいるんだよ。うちは大学のただのオカルト研究会なのにさ」
それは友人からの相談だった。会ってみると心底困った声で話し出した。
「除霊とか、どういうこと?」
「どうもこうもないよ。自分でいうのもなんだけどうちってただのゆるいサークルなんだよ。そういうのはお寺とか神社とかにいけばいいのに、なんとかしてくれって頼み込んできてさ」
友人の話は続く。訪ねてきたのは初対面の上級生らしく
『やっかいな霊にとりつかれた。なんとかしてほしい』
こんな具合でいきなり頼んできたらしい。
もちろん友人たちはそういうのはできないと断ろうとした。それでもと強引に相談をもちかけてきて、部長が聞き役となって話を聞くことにしたそうだ。
『一か月前のことなんだけど……』
友人四人でとある廃墟に肝試しにいったらしい。そこがいわくつきだとネットで調べた場所だった。所詮そんなのはただの噂。話のネタになればいいって程度の暇つぶしだったそうだ。
『だけど、いたんだ』
こっちを恨めしそうに眺める女の幽霊が。慌てて逃げ出したが、そこからおかしなことがつづくようになったそうだ。
『どうやらやばい霊にとりつかれたみたいなんだ。だからなんとか追い払ってくれ!』
断っても毎日のように来ては頼み込んでくるらしい。
「それは、大変そうだね」
その上級生に必要なのはオカルトよりも病院の薬だろう。わたしは同情をこめて友人を見る。だが、その表情はただ愚痴を聞いてほしかったというものじゃなかった。
「でさ、頼みがあるんだ。この前みたいな感じでなんとかしてくれないかな?」
「えぇ……いやだよ。だって、今回は本当にわたしに関係ないし」
友人が口にする『この前』というのは友人と一緒に行った旅行でのことだ。
「それが、あんたに関係ないわけなじゃないんだよ。うちにきた上級生は噂を聞いたみたいなんだよ。そういうことをしてくれる学生がいるって、それでうちにいるに違いないって思いこんでるみたいでさ」
「そういうことか……。そんなこといったってあれは人助けでもなんでもなかったわけだし、悪いけど巻き込まれたくない。執行部に報告して引き取ってもらいなさいよ」
わたしはいわゆる『視えるひと』である。もちろんそんなことを吹聴したらどうなるかは小さいころに学習していた。知っているのはこの友人を含めた数人だけだ。
『この前』のこともできるだけ広まらないようにしていたつもりだった。
「それがさ、報酬も払うっていってるんだ。ちゃんとあんたにも渡すから。あんた今月ピンチとかいってたじゃない。だからさ、ねっ、いいでしょ?」
ピンチなのは確かだった。あの旅行で使う必要のない出費がかさんでしまった。あの場で終わるはずのものが後になって押し寄せてきている状況に眉間にしわが寄る。
「……わかった」
友人の喜ぶ声を聞きながら、やっぱりやめとけばよかったかなと後悔した。
その後悔は問題の先輩に会ったことでより一層深くなった。
場所はオカルト研究会の部室。部長や友人にも同席してもらっていた。
「えっと、キミが本当になんとかしてくれるって?」
わたしたちとは真逆の活発そうなタイプの人間。よく日に焼けた顔には自信がはりつき動作一つ一つが大きい。
部長や友人の方を見るとあきらめの表情をうかべていた。この手の連中は『はい』というまで引き下がらない。
「はい。ですが、わたしがすることはあくまでもお手伝いです」
「頼むよ、ホントに。やばいんだって……もう二人がやられたんだよ……次は絶対にオレだ。寺とか神社とかに行っても全部追い返されたんだ。だから、なっ、頼むよ。さっさとこの女の霊をなんとかしてほしいんだ」
男がウソをついているというのはすぐわかった。今も音の後ろにいる〝彼”の姿。その格好からおそらくわたしたちと同年代の男子だろう。
必死になる男とは対照的に背後の彼は静かにじっと見ているだけだ。そこには何の感情もなく、虫の観察をしている人間の表情だった。
「二人と、いいましたよね。聞いたお話では肝試しに参加したのは四人ということでしたが?」
「あ、ああ……、もうひとりは、その、ただの付き合いで車を出してもらっただけだから。そいつは関係ない」
こちらの質問に上級生の男はごまかすように語尾をにごした。同時にそれまで希薄だった霊の気配が濃くなった。
この男との関係性はなんとなくでしかわからないが、おそらくこの霊を祓おうとすればその怨念は強くなる。そもそも、わたしにはそんな力もないのだけれど。
「わたしは祓うことはできません。霊と話をする手伝いをするだけです」
「ほ、本当か!? それでいい、あとはオレがなんとかするから」
男の表情の変化は大きかった。ようやくなんとかなるというきっかけに目をギラギラと見開いている。
「なあ、準備とかはいるのか?」
「いりません。あなたもすぐに終わらせたいのでしょうし」
これまで生活の中で霊を避けるようにしてきた。だけど油断したときやどうしても避けられないときに体が重なることがあった。そういったときは〝憑依”というのだろうか、その意識がわたしのものと混ざることがあった。霊が体を動かそうとしてくることもあったが、抵抗すればそれはすぐに解けた。
だから、今回は意識的に自分の一部を貸してみる。
背後にいた彼を手招きする。既に向こうもこちらが視えているということは気づいていたのですぐに寄ってきた。
視界が二重写しのようにぼやける。
同時に〝彼”にとってもっとも強く未練が残る記憶が流れ込む。
*
あいつは小学生の頃の友人だった。一つ年上だったがいつも一緒に遊んで親友と呼べる間柄だったと思う。
だけど、突然の引っ越しによって離れることになった。
大学で一緒になったのは偶然だった。むこうも同じだったようで驚きながらも以前のような関係を築くのに時間はかからなかった。
小学生の頃とはちがう〝先輩と後輩”という間柄だったが、おかげで充実した大学生活になった。バイトをして念願の車も買えた。中古車だったが、あいつから『ドライブに行こう』といわれてうれしくて誘いに乗った。
当日はあいつの友達という二人の先輩が連れてこられた。最初はちょっと委縮したがあいつの友達だからと仲良くしようとした。
それから何度か呼び出されては足代わりに使われることも増えた。いいように使われているなぁなんて思っていたけど、代わりにとおごってもらったりもしていた。
あるとき居酒屋に呼び出されて、お前も飲めよと強引に勧められて断られずに飲んでしまった。
『大丈夫だって、パトカーの巡回なんてめったにないし。いざとなったら守ってやるからよ、オレたち親友だろ?』
そんな言葉に安心してしまったのが地獄の始まりだった。
帰り道に追突されてしまった。そのまま行けば被害者として処理されるはずだったのに、あいつがぽろっとこちらの飲酒運転をばらしてしまった。すると相手の態度が豹変して、今度は慰謝料100万を要求してきた。こっちは大学生でそんな金を払えるはずもない。バイトで溜めた貯金だけではたらなかったので、泣く泣く車も手放した。それでも足りなくてバイトも増やしてなんとか返そうとした。
急に忙しくなったことを心配した他の友人が相談にのってくれた。そこで、わかってしまった。追突してきた運転手と先輩につながりがあることを。
偶然だと思っていたかったが、他でも似たような話を聞くようになる。あいつやその友人と関わってひどい目にあったらしい。
迷ったが、意を決して問いただすことにした。
『待てよ。なんか誤解があるみたいだし落ち着いて話そう。あいつらも呼ぶからよ。オレたち親友だろ?』
話を聞くと家に上げられるが、そこで酒を無理やり飲まされて泥酔させられた。
それから、車に乗せられて事故を装って海に沈められた。必死にドアを開けようとするが水圧によってびくともしない。やがて隙間からはいりこんだ海水によって車内に残ったわずかな空気が押し出されるのを絶望しながら見ているしかできなかった。
『許せない』
どろりとした感情が膨れ上がり同時に自分の存在が強固になった気がした。
*
わたしは〝彼”の記憶を映画を見ている気分で眺めていた。霊に強く入れ込むと後戻りできなくなるような気がしたので、憑依されたときはいつもこうやってやり過ごしていた。
二重写しになる視界のなかで、上級生の男が「許してください」と土下座している。
「「おまえらは車を盗まれた被害者として届け出た。ボクは友人の車を盗み、さらに飲酒運転で事故を起こした迷惑な人間として処理されたんだ」」
わたしの口が勝手に動いている。自分の声と霊の声が二重に響く。
「「また誰かをだまして、ボクと同じような目にあわせることをしないと約束しろ。もしも破ったら一番の絶望をおまえに与えてやる」」
「わ、わかった、約束は必ず守る。そのときは何をしたってかまわない。それだけのことをおまえにしてしまったんだ」
「「約束したな? 信じているからな……」」
視界がもとに戻る。霊が離れたのだろう。
男の方もショックを受けたように放心した表情をしていた。
それから上級生の男と話をした。
約束を破ったら、また霊は現れる。そのときはどうにもできないと説明すると、何度も「わかった」とうなずいた。そのときは、約束を破ったことでより一層その怨念が強くなるだろう。
それからしばらくはうたがっていたようだったが霊が何もしてこないとわかると安心したように約束の報酬を持ってきた。
元の静けさを取り戻し、オカルト研究会の部長と友人も安心したようだった。
その後、男は大学を卒業してから有名企業に就職。営業として一年目からトップの成績を出して社長からも特別ボーナスをもらったそうだ。営業部長からも気に入られて出世は間違いないと言われたらしい。
『営業なんて簡単なもんだ。開発や現場からのクレームなんて知るかよ』
だが、二年目、新しく入社した後輩が優秀だった。営業成績はそこそこであったが周囲からの評判がよく他の部署とも連携して今までにない企画も次々に立ち上げていったそうだ。
まずい。そう思った男は動かずにはいられなかった―――
三年生の冬を迎えて、就職活動の準備をしていたころだった。
「お願い、すぐに来て! サークルの部室にいるから!」
切羽詰まった声が電話越しに聞こえた。
慌ててサークルの部室に向うと、そこで見たのは顔面蒼白でうつろな目をした男の姿だった。まるで皮の一枚だけがかろうじてつながっているような顔だった。
「あなたは、あのときの……?」
「なあ、頼むよ! あいつと、話をさせてくれ!」
その声にはもう余裕も見栄も何もなかった。プライドが剥がれ落ちた最後のあがきだったのだろう。聞いてもいないのにこれまでのことを話し出す。
「あなた、約束やぶりましたね」
「なんでだよ……だって、こうしないとオレの立場がやばかったんだって! 大したことしたわけじゃないだろ。軽い気持ちだったんだよ。そもそもあいつ昔からそうだったんだよ。なんでもかんでも真に受けてさ。だから簡単にだまされるんだよ! なあ、なんとかしてくれよ。報酬なら出す。この前の10倍でもいいから!」
見える。男にまとわりつく彼の姿が。それは男に見えているらしく顔をひきつらせながら後ろにあとずさろうとする。
「やめろよ! そんな目で見るな。オレも殺すのか? あいつらみたいに!」
男の友人だったという二人についても調べていた。その結果、二人とも交通事故による死亡だとわかった。共通しているのは単独による自損事故という点であった。そこに事件性はなく、ただバカな人間が迷惑をかけて死んだという結末だった。
残るもう一人は学外の人間だったからわからなかったけれど、おそらくもう……
「……もう、無理ですよ。どうにもなりません」
男は喉がつまったように声にならない悲鳴をあげながら逃げ出した。
騒ぎを聞きつけたらしく他の部室からも何人かがこわごわとこちらをのぞいていた。友人がなんでもないと説明に向かっていく。
部室には自分だけがぽつんと残されている静けさがあるのに不自然なざわつきを感じさせた。それは自分以外のもう一つの気配のせいだろう。
〝彼”だった。こちらに振り向き、笑った。それはとても冷たい死者の表情。
―――やっぱりこうなった。信じていたよ、だって親友だもんな
その言葉を残してスっと消えた。
それっきり彼の姿は見ない。おそらく、このあともずっと一緒にいるのだろう。親友のように。
その関係は男がすべてに絶望して自ら死ぬ時まで、ずっとつづく。