火焔鳥【東方二次創作】
藤原妹紅は、火の翼を纏って空を飛ぶことがある。
幻想郷の夜空を駆ける火の鳥は、遠目に見れば風情がある。里の若者の間では、竹林のほうに火が見えれば、胸に秘めた恋が成就する噂があるという。兎を通してその噂を知ったとき、あまりのおかしさに笑ってしまった。
里から見えるのは、空を飛んでいるところだけ。飛べるようになった経緯、どうやって翼を広げ、どうやって着地しているのかを知る者は少ない。
里の民は夜の竹林には立ち入らないし、あの子が空を飛び始めたのは幾百年前のこと。当時の出来事は、私が一番近くで知っている。
*
三百年ほど前、私は藤原の娘と出遭った。
屋敷の周りを散歩していたとき、向こうが突然名乗りを上げて、喧嘩を仕掛けてきたのだった。
本当に困っているなら、屋敷に帰って従者に助けを求めても良かったのだけど、私はそうしなかった。
月よりまだ良いとはいえ、従者に守られるだけの暮らしに退屈していたのも事実。時おり首を吊ったり、自分の腹を裂いたりしては、従者に叱られていた。
要するに、波風ひとつ立たない静けさに飽きていて、何か刺激が欲しかったのだ。月を見て散歩して兎と遊ぶだけの日々に妹紅が現れたのは、自分にとっても幸せなことだった。なにせ蓬莱の薬を飲んだ不死の人間である。手荒に扱っても後腐れがない。
竹林の切れ目で相対したとき、私は空に浮かんであの子を待っていた。駆け回るより足が楽だし、弾あそびは空でするものだと思っていたから。
妹紅は「見下すな」と叫んで地団駄を踏み、地上から火の弾をいくつも撃ってきた。射程には限りがあって、少し高く舞うと、火の弾が足元で消えていった。挙句の果てに、短刀を握りしめて、空に向かって振り上げた。
──ああ、この子は飛べないのね。
彼女は魔法使いや天狗ではなく、地上を歩く人間だった。白兵戦の経験を積んでいて、獣道を歩くのが得意だとしても、空で戦える身体ではなかったのだ。
その後も、妹紅はたびたび現れてはこちらに挑みかかり、火の弾を撒き散らした。地上に降りて殺し合う合間に、空を漂いながら夜風を浴びた。
砂埃の届かない空で、手足の力を抜いて呼吸を整えていると、妹紅が「逃げる気か」と云った。
「悔しかったら、ここまで飛んできなさい」
そう返したとき。
言葉に応えるように、妹紅の背中に炎が流れた。炎は翼の形になり、重力を振り切るように、地を蹴ってこちらに飛んでくる。私は撃ち落とすことも忘れて、紅い鳥が飛んでくるのを見届けた。
初めての飛翔は長くは続かなかった。
燃え尽きるように失速し、回転しながら地面に叩きつけられ、骨を折って酸欠に喘いでいた。後に続いて地上に降りて、傍らにかがんで様子を見ていると、妹紅が口を動かした。
「……おまえ、何をした」
「撃ってないわ。貴方が一人で墜ちたの。それにしても……本当に飛んだのね」
吐く息に交じって「だまれ」と返事があった。
屋敷に帰ってからも、胸の底に奇妙な熱が灯って、なかなか寝付けなかった。初めてにしては随分高くまで飛んだものだ。
こちらを本気で憎んで飛んでくる姿に、私は皮肉にも、生まれて初めての関心を抱いていた。
*
夜な夜な私室を出ていって殺し合っていることは、すぐに永琳に知られてしまった。返り血を浴びて煤けた装束で廊下を歩いていたから、隠しようもない。
永琳は「あの白髪の子ですね」とため息をついた。
「単なる逆恨みですし、何も姫が相手をしなくても良いのでは。追い払ってしまえば、姫ももっと穏やかに眠れるでしょう」
従者の申し出を、私は断った。
「いやよ。あの子が来なくなったら退屈で。仕方ないから、永琳の薬棚から毒をくすねて呑もうかしら」
「あれは病を癒すために調合しているものです。暇つぶしに使われては困ります」
永琳は呆れていたけれど、それ以上止めはしなかった。妹紅が現れてから、首吊りや切腹を辞めていたから、その変化を認めてくれたのかもしれない。
妹紅は多いときには毎晩、少なくても数日に一度は訪ねてきた。地上でもつれ合うのに飽き足らず、空で私の上を取ることに拘り、火を纏って飛んでは墜ちた。
飛び立つときは動きが多くて、何度か相手をすれば、いつ飛ぶかを前もって知ることができた。
胸に空気を取り込むように早い呼吸をして、火の翼を広げながら地面を蹴る。飛び立つ寸前には、立ちのぼった熱で周りの空気が揺れる。
直前で足元を撃てば牽制できるけど、私はたまにしかやらなかった。空に届こうとする姿が見ものだったし、足元を撃つのは見映えが悪い。
やがて、空にいられる時間が少しずつ伸びた。初めの頃は翼が焼き切れて真っ逆さまに墜ち、首や背中を打ち付けて動かなくなることもあったけど、着地のほうも多少うまくなった。
ウドンゲが偶然居合わせたとき、妹紅が地面をごろごろと転がるのを見て、首をかしげていた。
「五点接地。 あの人、どこで……?」
足先から地面に降りて、体を丸めて転がりながら、太もも、腰、背中、肩で衝撃を受け止める。ウドンゲによると、月の軍で教わる体術の一種で、五点接地というらしい。
軍で訓練を受けたはずがない。幾百回も地面に叩きつけられ、怪我の少ない着地に自ら行き着いたんだろう。
死なない者同士の殺し合いは、一見すると何も変わらないのだけど、妹紅は確かに進歩している。
空を掴もうとする姿はどうにも無様で、それなのに美しかった。
月の民の価値観は、美しいか醜いかで二分されている。美しいものはずっと眺めていたいし、醜いものは視界に入れたくもない。煤に汚れて這い回る人間など、月の民にとっては最も忌むべきものだった。
けれど私は視線を逸らせなかった。白い髪に染みた血の色も、余熱に火照った頬も、なぜか愛しく思えた。
月で暮らしていても、これほど美しく穢いものには出会えないと思えば、流刑になったことも惜しくはない。
*
今宵も妹紅が飛んだ。
空で相対するとき、妹紅はこれといった言葉を喋らない。口を開いたと思えば、黙れ、うるさい、殺す、ぐらいしか喋らず、かすれた叫び声を上げていることもある。火の翼に酸素を吸われていて、言葉を紡ぐ余裕がないらしかった。
私は火の弾をお腹に受けて、地面に伏せっていた。時にはそういうこともある。
顔の前に手を伸ばすと、毛先に結ったリボンが触れた。今回は相討ちに近く、妹紅は夜空を仰ぐように転がっていたから、こちらの指先に髪がかかっていた。リボンを指に挟んで遊んでいると、妹紅が何かを言おうとした。
「何」
片手を地面について体を起こそうとした。妹紅は仰向けのまま、片手を持ち上げて空を指した。
「空がさ。上のほうが白くて」
「空?」
「ちがう……頭、だ」
上げた手が地面に垂れて、言葉はそこで途切れた。高い空を飛ぶと頭が白くなる、と言いたいらしい。夜空は白くはないし、言葉足らずなのに、不思議と意味は通じてしまう。
弱っている妹紅を無傷で見下ろすのも愉しいけど、二人で転がるのも悪くはない。
身体が重くて力が入らないので、目をつぶって少し休むことにした。
*
目が覚めたときには、傷も治って気分が良くなっていた。隣では妹紅がまだ眠り込んでいて、火照った肌に赤みが差していた。肩を触っても目を覚まさない。
屋敷に帰るついでに、涼しい風に当てようと思い立って、妹紅を抱きあげて地上を離れた。
竹林の上空を漂っていると、妹紅が目を覚まして、宙に浮いた足をばたつかせた。抱えられて空を飛んでいるのが気に入らないらしい。
「離せ」
「いいけど、結構高いわよ」
足元に広がる竹林に、妹紅は不服そうに口をつぐんだ。
「ゆっくり景色を見たらどうかしら」
「……余計なお世話だ」
空の上のほうに月明かり。足元には迷いの竹林。
妹紅は観念したようにふっと力を抜いて、一言「涼しい」と呟いた。




