第二話 不器用な好意と、拗れる誤解(2)
「あああああああっ」
悶絶。ライナルトが先回りしてセレナの周辺に置いている小物たち。今日もそれを見つけたセレナの驚いた顔が可愛くて、思い返しては悶絶していた。
「驚いたあとのあの嬉しそうな顔…っ、セリィは女神か…っ。この胸の高鳴りで俺はいつか死んでしまうのではないかっ?」
「…旦那様のつきまとい行為を受け入れてくださる奥様に感謝すべきですな」
「ライナルト、手が止まっている。日中の夫人の観察でただでさえ仕事のスケジュールに余裕がないんだ。しっかりしてくれ」
「ああ、セリィの声が聞きたい…」
初めての恋をして情けない姿をさらしているライナルトを見て、バートラムとフィリクスをお互いに無言で目を合わせてから肩をすくめた。
「旦那様、せめてお姿をお見せになってはいかがですか?」
「それはまだ無理だ…!早い…!心の準備ができていない…!」
ライナルトの返答に、バートラムは『またか』とばかりに眉間を押さえる。そんな停滞している状況に一石を投じたのはフィリクスだった。
「それなら手紙を書くのはどうだ?短いメッセージのようなものでもいい。これ以上気持ちが伝わらないままだと、夫人の誤解は深まるばかりだぞ」
「――フィリクス、お前…天才か?」
「紙に書くくらいなら、さすがにできるだろ?」
「……たぶん」
その『たぶん』に、ライナルトは小さな決意を込めた。ようやく一歩、進展しそうな気配である。
***
初めの一通は、ある日突然、バートラムの手によって届けられた。
「失礼いたします、奥様。こちら、旦那様からのお手紙です」
「旦那様からの…手紙?」
一体どういう風の吹き回しだろうか。今まではバートラムに業務連絡を言づけるだけだったのに、突然手紙を書いたという。バートラムが退室したあとにそっと手紙を開くと、そこには少し縦長の綺麗な字が綴られていた。
《セレナ様
本日はご機嫌いかがでしょうか
差し支えなければ、お好みの茶葉を教えていただけると幸いです
(厨房の者が、仕入れの参考にしたがっております)
ライナルト・クラウセン》
セレナはその手紙を何度も読み返した。
(て、手紙の意図が読めないわ…)
堅苦しい文章に、なぜか内容は好みの茶葉を聞いているだけ。何かの比喩や隠語かとも考えたが、思い当たる節はない。しばし考え込んだあと、彼女もまた、短く返事を書くことにした。
《ライナルト様
お気遣いありがとうございます
茶葉は、ジャスミンとカモミールが好きです
あと、たまにミントも良いかもしれません
厨房の方へ、お伝えくださいませ
セレナ》
署名に『セレナ・クラウセン』と書こうとしてやめた。顔を見せない夫への、ちょっとした反抗心だった。
その日の夜、執務室の上に置かれたその手紙を見たライナルトは、隠し切れぬ笑みを浮かべた。バートラムが横目でそれを見て『頬がだらしなく緩んでおります』と呟いたが、ライナルトは聞こえないふりをしてすぐに返事を書いた。
《セレナ様
茶葉の件、承知いたしました
厨房の者も『大変ありがたい』と申しておりました
ちなみに、お茶菓子は焼き菓子と生菓子、どちらがお好みでしょうか?
ライナルト・クラウセン》
《ライナルト様
お菓子はどちらも好きですが、強いて言えば焼き菓子でしょうか
レモンの風味があるものなら、なお好きです
(これもまた、厨房の方ですか?)
セレナ》
《セレナ様
はい、厨房の者です。
なお、『焼きたてのレモン菓子をご用意します』とのことでした
夕刻、バートラムが持って行くとのことです
ライナルト・クラウセン》
その手紙が届いた午後、散歩から戻ったセレナの元を、銀のトレイを持ったバートラムが訪れた。トレイの上にはレモンクッキーとミントティー。未だライナルトの顔は知らないが、彼女の心は少しだけ温かくなった。
それから手紙のやり取りは何日も続き、いつものようにセレナが裏庭で日課の読書をしていると、例のごとくバートラムが手紙を持って現れた。
《セリィへ
急に寒くなりましたね
晴れているとはいえ外は冷えるので、ひざ掛けをお使いください
ちなみに今読まれている本は、どんな内容ですか?
ライナルト》
「……『セリィ』、ですって」
その名前を目にするたび、胸の奥がくすぐったくなる。いつかの手紙で『セリィと呼んでもいいですか』と問われ、『いいですよ』と返した。そこから徐々に文章から硬さが消えていき、今ではそれなりに気軽に話せる仲になったと思う。
けれど、また胸に巣食う不安感は消えない。結婚してから一ヶ月と少し。まだ夫とは会えていないからだ。
セレナは早めに読書を切り上げ、自室で返事を書いた。
《ライナルト様へ
お気遣いありがとう
差し出がましいようだけど、次回はひざ掛けも一緒に届けてくださるとうれしいです
そして本の内容は、秘密です
セレナ》
手紙はミリー、バートラムを介し、ほどなくしてライナルトの手元に届く。執務室で楽しみにその手紙を開いた彼は、噛みしめるように読み込み始めたかと思えば、盛大に頭を抱えた。
「……っ、ひざ掛け…!忘れた…!」
「――くっ、」
さすがに笑うのは失礼だと思ったのか。仕事で来ていたフィリクスは笑いを堪えようとしたが、堪え切れなかった。
「さっさと姿を見せて、ひざ掛けを届けてきたらどうだ?」
「まだだ…っ。もう少し手紙のやりとりで心の距離を詰めたい…!」
「……いまどきの五歳児だってもう少しスマートにやるぞ」
「俺はこれが初恋だからいいんだ!」
二人はまだ顔を合わせてはいない。それでも手紙のやりとりでセレナの心はほぐれていき、二人の関係はゆっくりと確実に変わりつつあった。




