献立表
昼休み、弁当箱の蓋を開けると、今日もまた、白身魚のフライとミネストローネが入っていた。
見覚えのある組み合わせ。昨日の夜、献立表で見た気がする。
「……給食、じゃないんだけどな」
独りごちて、悠は箸をつけた。
自分の家は、給食なんかとっくに終わっている。高校生なんだから当然だ。
この弁当は、兄が毎朝作ってくれるものだ。
悠の兄――直人は、大学を中退して今はコンビニでバイトしている。母親の帰りが遅くなってからは、家のことをずっとやってくれていた。
「男でも、できるもんだよ」
そう言って笑う兄の顔を思い出しながら、悠はスープをすすった。
出席番号で指名するにしても変化球を投げすぎ。
月や日で当てるなら分かるけれど、足し算、引き算、掛け算、割り算、なんでもありだった。
もう、あれは先生の好みの数字を出すだけの儀式ではないかと疑いたくなる。
悠は疲労感を覚え、教科書を片づけて弁当を出す。
蓋を開けると、今度はカレーうどんと、ブロッコリーの胡麻和え。
また、昨日見た献立と同じだった。
「なんでまた給食のやつ?」
家に帰ったあと、夕食の支度をしていた兄に聞いてみた。
「え? だって、学校で出るんだろ?」
「いや、弁当だよ。高校は給食ないじゃん」
「何言ってんの。……中学と一緒だろ? 机にランチマット敷いてさ」
悠は一瞬、言葉が出なかった。
中学のころはたしかに給食だった。でも、今は――
「……お前さ、ちゃんと食べてるよな?」
兄の声が、どこか低く響いた。
その夜、なんとなく寝つけなかった。
また、昼がやってきてしまった。
悠は、自分の弁当を開ける前に、周りを見回した。クラスメイトたちは、それぞれ手作り弁当やコンビニ飯を広げていた。
給食を食べている生徒なんて、一人もいなかった。
でも、教室の隅で、誰かがスープジャーを開ける音がした。
そちらを振り返ると、誰もいなかった。
その日の弁当には、「ミルメークのチョコ味」が小さな瓶に入っていた。
それは、小学校の給食で出ていたもの……のはずだった。
悠はついに聞いた。
自分の中で膨らんだ違和感はもう誤魔化せない。
「兄ちゃんさ、……昔からオレに弁当作ってたっけ?」
直人は一瞬だけ手を止めたが、すぐに笑った。
「なに言ってんだよ。忘れたのか? ほら、小学校の頃から、たまにお母さんの代わりに作ってただろ?」
でも――
悠の記憶の中に、兄が台所に立っていた場面はなかった。
小学生のとき、兄はもう家を出ていたはずだ。
中学生のとき、兄は県外にいた。高校に入ったあと、いつの間にか家にいた。
「……兄ちゃんさ」
悠は顔を上げた。
「何歳だっけ?」
直人は笑わなかった。
「俺? お前より一個上だよ」
悠は、呼吸が止まるような感覚を覚えた。
一個上? 兄が?
翌朝、悠は台所に立ってみた。
冷蔵庫には、ラップで包まれた弁当箱がひとつだけ入っていた。
その中には、ソフト麺とアルミパックのミートソースが入っていた。
そして、小さな牛乳。紙パックじゃない。三角の紙容器だった。
見覚えがある。
でもそれは――たしか、昔テレビで見た「昭和の給食特集」か何かで見た映像だった気がする。
自分が実際に食べたかどうかは、思い出せない。
ミルメークも、そうだ。
小さな瓶に入ったチョコ味の粉。牛乳に溶かして甘くして飲むやつ。
たしかに懐かしい気がする。でも……
自分の小学校で、ミルメークって出てたっけ?
そう考えた瞬間、手が止まった。
なにか、確かだったはずの景色が、少しだけ遠ざかった気がした。
早く冷蔵庫を閉めないければいけない。
冷蔵庫は機械的に、ピー、ピーと音をたてた後、暗くなった。
学校に着くと、クラスの友人が言った。
「今日、弁当いらなかったよな。給食の日じゃん」
悠はうなずいたふりをして、口を閉じた。
HRが終わるなり、悠は学校を飛び出した。
叫びだしたかった。でも、写真館のガラスに映る自分はいつもと変わらないように見えた。
知らないどこかの家族の記念写真もいつも通りに見えた。
速足になるのは止められない。
ぐるぐると思考がまわる。
母の声、兄の笑い声、弁当の匂い、給食の味。
全部、ちゃんとあった気がする。
でも、ちゃんとした家族ではなかった気もする。
考えれば考えるほど、その記憶はミルメークみたいに水に溶けて消えていく。
夜、直人の部屋のドアをノックした。
返事はなかった。
ドアを開けると、そこには誰もいなかった。
ベッドも机もない、ただの空き部屋だった。
それでも翌朝、弁当は台所に置いてあった。
中には、白身魚のフライとミネストローネ。
献立表のメニューと、まったく同じだった。