耳鳴き
最初は気のせいだと思った。
教室でプリントを読んでいたとき、ふっと耳の奥で鳴った。
ジィ……ジジジ……ッ
窓の外ではない。
耳の中──というより、頭の裏側から聞こえてくるような音だった。
「ねえ、今……蝉、鳴いてた?」
昼休みに聞いた。隣の席のやつはきょとんとしていた。
「は? いや、まだ鳴いてないっしょ。梅雨、明けてないし」
……そうか。
でも、俺には聞こえた。
その日から、ずっと聞こえるようになった。
ジ……ジジ……ッジィイ……ッ
四六時中じゃない。ふいに鳴る。
教室で、家で、風呂場で、夜中のトイレで。
耳を塞いでも、音は消えなかった。
スマホのメモアプリに鳴った時間を書き出していくと、だんだん間隔が短くなっていくことがわかった。
ある日、シャワーを浴びていたとき、ふいに水が耳に入った。
……いや、違う。出てきた感触だった。
耳の奥から、なにかが這い出してきたような。
ぶるぶる震えて、脳が内側から掻きまわされるみたいな。
洗面台に飛び出して、鏡を見た。
右耳の穴の中が、黒ずんでいた。
小さな破片のようなものが、動いていた。
手が勝手に伸びて、耳の中をほじった。
指先に、翅のかけらのようなものが引っかかった。
翌日、誰とも話さなかった。
音はもう、ずっと鳴り続けていた。
教室で話していても、蝉の声が上書きしてくる。
誰かの笑い声も、ノートに走るペンの音も、ぜんぶ“その声”でかき消されていく。
保健室に行った。
耳に異常はないと言われた。
その日の夜、布団の中で、ついにそれは始まった。
右耳の奥に、ざわっとした感触。
耳の穴の奥から、こすれるような音。
肉をひっかくような小さな脚の動き。
「……やめろ……やめろ……やめてくれ……」
言っても、止まらなかった。
ジィイイイイ……ジジジジッ……ジィイイイ……!
音が、耳の中から爆発する。
次の瞬間、何かが耳から飛び出した。
手のひらに、濡れた蝉の成虫が転がった。
黒光りする羽。ぐるぐる巻かれた脚。潰れたような顔。
動かない。
けれど、蝉の声は、まだ続いていた。
今度は、左耳から。




