第九話
「はぁ、あんたってほんと根暗で陰キャでくずでゴミね。
よくもまああの豊田君と友達でいられるものだわ」
「そこまで言うことないだろ。しかし稲村も稲村でよくもまあそんなに豊田に
夢想できるものだな」
「いやいやいや、豊田君ったらすごいんだから!そりゃあもうアスリート狙えるレベルの
実力者、おまけに人格もよくて人当たりもいいし本当にすごいんだから!」
この食い気味に食いついついてくる感じ・・・
モンスターペアレントを相手にする教師ってこんな気持ちだったのだろうか。
一応めんどくさいので話を合わせておく。
「まぁそうだな。ほぼあいつ一人の力でうちの学校の柔道部は強くなったんだっけ」
「そうそう、豊田君は強いだけじゃなくてムードメーカーでもあるからね。
それに指導も先生より上手だし本当にすごいのよ」
「ふーん」
しかし稲村がここまで豊田に陶酔してるとは・・・
豊田からの前評判ではそんなことはなかったようだが。
あいつが鈍感なだけなのかそれとも俺にわざと隠していたのか。
しかしどちらにせよ確かめるべきことがある。
「なぁ、稲村。そんなに豊田のことが好きなら今からでも豊田と一緒に花火大会
行けばいいじゃないか。というか誘われたろ?なんで断ったんだよ」
すると急に飼い主に怒られたペットのように縮こまり
怒っているような悔しいようなしどろもどろのどっちつかずな顔をして
「だ、だって・・・・まさか豊田君から誘ってくるとは思わなかったし・・・・
て、テンパっちゃってつい断っちゃったのよ!しょうがないじゃない!」
こうやっていちいち声を荒げたり恥ずかしくなっているかと思えば
急に怒り出したり、確かにこいつが咄嗟にせっかくのチャンスを棒に振っていることも
想像にたやすい。
しかしなんとも容姿に見合わない性格・・・
残念な奴だ。
「へぇ、そうかい」
「というかなんでその話、あんたが知ってるのよ」
「ん、ああ。俺が提案したんだよ、豊田に。男二人でむさくるしくも
きゃぴきゃぴとした女子の浴衣を眺めて悲しく祭りに行くというのも
なんだったからな。女子を誰か誘おうということになったってわけだ」
「ふーん、で結局捕まらなくて豊田君と祭りに行く計画はおじゃん、ってわけ?」
「いや、それは別におじゃんにはなってない。現にここに待機しているのも
豊田を待っているからなわけだしな」
「えっ!?」
天敵に郷愁されかねんとしたリスのように稲村は飛び上がった。
「えっ、えっ、えっ!?今、なんて?」
「いやだから、落ち着け。また襟首つかむなよ」
「いやいやいや、まって、と、ということは?」
こいつ・・・本当に人の話を聞かないな・・・
とんだヒステリー女だ。
ここで溜息をつく。ああ、幸せが漏れていく。
「そうだよ。今から豊田がここにくる」
「えええええ!?うそでしょ!やばいやばいやばい!」
わかってはいたが、本当にうっとうしい。
神に天罰をあてられればいいだろう、こんな奴は。
「どうしよどうしよ。あと何分で来る?」
俺は電話を確認した。
そういえば神社で待ち合わせという旨を伝えてなかったような気がしなくもなかったので
神社で待っているとメッセージを送った。
すると返事がすぐに返ってきた。
「あと十分くらいでつく。人混みがえぐい」
「ふーん、あと十分だってよ」
「えええ!うそおお!ちょっとまってもうメイクする暇ないじゃない!」
どこから持ってきたのかどすんと巨人の足音のような大きい音を鳴らしながらメイクの
どでかい箱を机に置き、手馴れた手つきで化粧道具を取り出し顔を加工し始めた。
といっても目を二重にしてみたり、下瞼につけまつげのようなものをいれてみたりと
いうものだったが。
俺はメイクのことについてあまり深い知識はないが、それでも母親のそれと
比べてみてみると白いぺらぺらとした湯葉のようなものを顔にはりつけたり
眉毛を謎のペンで書いてみたりするような本格的な代物ではないということは
わかった。
そんな応急処置でいったい何が変わるというのか。
その答えはもう決まっている。
ただの自己満足、それだけである。
現に焦っていてしゃかしゃかとせわしないてつきではありつつも
鼻歌をしているという状況だ。
これがどうして自己満でないといえよう。
「・・・何鼻で笑ってくれてるのよ」
思わず心の中で思っていたことが行動に現れてしまっていたようだ。
「いや、別に」
「・・・あのさ、関節技とか締め技の痛みってどれくらいつらいものか知ってる?」
「知らないし知りたくもない」
「でしょうねぇ。でも柔道部はみんなそれをやられる可能性が試合であるから
よく先輩にしごかれるのよ。例えばこうやってね」
軽く手を差し伸べてきたかと思えばそれはたちまち鬼の手を化した。
激痛、というより息が一瞬止まったような感触。
「何をする!?」
「なーんて、冗談よ。でももしもの話だけど」
俺は生唾を飲む。
まだ握られた肘がひりひりとしていた。
「豊田君にさっきのことをはなしてくれたらこれよりももっと痛いのを教えてあげる」
稲村はそう言って一見にしては天使のほほえみを俺に投げかけた。
そんなことをしようとするのなら最初から何も話さなければいいのに・・・
というかのろけ話を俺に話す必要はあったのだろうか。
否、だがヒステリーというのは自制心がつかない魔物のようなもので
自分でも思いのよらぬ言葉が口に出てしまうのかもしれない。
彼女は哀れなその犠牲者なのだ。
なので甘んじてこのことは胸の内に秘め事としてしまっておこう。
それに稲村は寂しがり屋のようだから誰かにこのことを漏らして落ち着きたかったのかもしれない。
普段は凛々しくて頼りになるといわれている稲村の小さい秘密。
彼女にとってはとても大きな秘密なのだろうが、所詮学生の恋愛だ。
俺だってそんなくだらないものを人に言いふらしたところで何が面白いというのか。
それはまったくもってミステリーだ。
健気ににこにことメイクをする稲村の様子はそのワンシーンだけを切り抜いてみれば
全くの美少女に変わりはなく、だが本性を知っている部分俺は鑑賞者として
それを素直に楽しめなくなっていた。
やれやれ、真実は時には知らないことがいいこともあるということだな。
またため息をつく。
今日だけできっと俺の心は随分と貧困になっていることだろう。
と、そこで思い当たることがあった。
「そうだ、俺は一人でいいから稲村、今からでも豊田を誘ってデートでもして来いよ」
「はっ!?!?な、なにをいって!?」
「いやーあいつ喜ぶと思うぞ。なんでも彼女が欲しいとか言ってたしな」
「えっ!豊田君今フリーなの!?」
「ん、ああ、そうだが」
「へぇ~、そうなんだ~。えへへ」
途端ににやける稲村。
わかりやすいったらありゃしない。
「ふん、ずいぶんうれしそうだな」
「えへへ、そりゃあだって」
「じゃあ二人で行って来いよ。じゃあな。頑張れよ。むぎちゃごちそうさん」
「あ、行っちゃうの?」
「ん、ああ。だって俺はもう邪魔ものだしな。ほかの場所で暇をつぶすよ」
「あっ、そう。じゃあありがとうね、田中君!」
そこで気づいた。
初めて稲村に名前で呼ばれたということに。
その素直ながらもうれし気にする稲村はまさに美少女だった。
神社に出るとすさまじい熱気が俺を襲った。
アイスランドではもうとっくに日は落ちてるっていうのに・・・・
日本の四季がにくい。
それよりっと。
俺は豊田に電話をかけ、最初から単刀直入にそれを言った。
「稲村一美がお前と花火大会に行きたいらしい。」
「は???マジで???」
「らしいぞ。それと少し脈ありかもな」
「これ俺、モテ期きてる?」
「死ね」
「ああ、悪い悪い、そういうつもりじゃなくてだな」
「まあいい、とにかく今神社で稲村が一人お前を待っているから早く迎えに行けよ
俺は一人で宗助の無様な姿を録りに行くからさ」
「おう、わかった。じゃあな」
やれやれ、なんて哀れな男だろうか。
たちまちフリーになってしまった。
ほかに友達はいるにはいるが、祭りに一緒に行くほどの仲のやつは俺の連絡網には
入っていない。
となるともうここから六時まで喧騒満ちるこの中で待機、か。
幸いにしてベンチはあった。
そこに座り込み人混みを鑑賞。
この人入りのせいか、豊田の姿は見かけなかった。
途中、俺を裏切ったマセガキ小学生カップルが元気に手をつなぎながら
人混みをかけていく姿が見えた。
「青春、か」
俺はまるでおっさんのようにため息をついた。