第十七話
ばちばちっ!
真っ暗闇のこの場に微かな火花と共にぽつりと灯をあげるスタンガン。
その明かりからふっと覗かれる小林の顔。
見るや俺は驚きそして一筋の汗を表皮に伝わす。
どうしてどうしてその顔は存外にして穏やかでまるで死期を悟る老人のようであったからだ。
その態度は達観、その一言で表せられるものであり本来なら
この状況で小林がとるものというよりはむしろ俺の領分であるはずなのだ。
人を当然のようにスタンガンで倒し、そんな顔を浮かべるというのは
一体どういう心境なのか。
全く持って見当もつかなかった。
全てにおいて混乱きわまるこの状況。
友の手によって死んだかと思えば突然スタンガンを構えた女が目の前に現れるなんて
ここが人生のクライマックスなのかと言わんばかりの展開である。
バチバチバチっ!
火花がまた少女の手に持つ者から発せられる。
ごくりと生唾を飲む。
なぜならその危険物を手にしてにこりと満面の笑みを浮かべる少女が歩み寄ってきたからだ。
俺はもはや立つ気力さえ失っており、また少し腰が抜けていたようにも思えた。
だがそれも仕方ないと観念していると、だんだん近づくにつれてその小林の顔が
鮮明に見えてくるではないか。
そしてつい先ほどまでこの俺の持ち合わせている唇にファーストキッスというものを
奪い去った色鮮やかなピンク色の物体が、動いた。
「トイレの裏からなにやら奇声が聞こえるなんてことで人だかりができてるななんて
思ったらこれだよ。
まさかあんたがここにいたとはね。
思いもよらなかった」
凛とした透き通るような声で小林はそう言った。
子供にフランクに話しかける母親のごとく、話しかけるものだから
俺の口も自然とその声に乗じて動いてしまった。
「ああ、あいにく様。同じことを俺も考えていたよ」
「はは、気が合うね。付き合っちゃう?私たち」
サク、サクと草を踏みしめる靴の音。
「冗談。なんでお前なんかと」
「・・・そういうとこだよ」
ザク、ザクと草を踏みしめる靴の音。
「え、なにが?」
「・・・まぁいいや」
そう言って小林はいきなり急接近してきた。
これじゃあキスしちゃうじゃないか。
そんな勢いに驚いていたのもつかの間、俺の予期していた通り再び
唇と唇が静かに重なり合う。
ファーストキッスならぬセカンドキッス。
そのお味はというと、ちょっぴりしょっぱかった。
俺の口の中はというと緊張でカラカラだったため、なんとはなしに
無味、であるとすればしょっぱさの要因は小林にあるとしか言えない。
おそらく走って汗を流したがためにちょっぴりしょっぱさがあるのだろう。
俺は密接に重なり合う唇とともにその体も背中でさすりながら
ちょっぴり汗っ気があることを確認しつつ、やられっぱなしでは悔しいので
今度はこちらからディープキスをしてみた。
思いのほかそれは難しく、相手の舌が思ったより前衛に構えていたため
自然と入るというわけにはいかずむしろぐいっと入り込むといったような
まるで単騎で大勢の塀の中を劉備の子供を抱えてきりこんでいく関羽の
気持ちさながらだった。
「んん」
と口の中に入り込まれたことに関して小林は微かな驚きを現しつつも
徐々にその違和感にもなじみ、今度は俺が反撃されるという事態にまで陥った。
どれだけキスが好きなのか、かれこれもう五分は格闘させられた。
口内合戦においての五分は体感時間においてプロ野球観戦に置き換えると
一回の表から六回の裏までずっと投手戦の試合を座って見続けるがごとくの
長丁場でありやれやれと、その満足し終えた表情をもって
小林が離れるや否や俺はくたばり果てるのだった。
そして極めつけには多大なる力をもってしてのハグである。
まるで拘束だ。
「大好き」
とそんな言葉が耳元で聞こえた気がした。
ので尋ねてみる。
「なんだって?よく聞こえなかったな。タイ焼き?」
「大好き」
「・・・ほう」
それは友達としての?
なんて聞くのは野暮というもの。
一体全体してどこにディープキスをしあい、そしてハグまでして愛の言葉を
ささやく男女の友情があろうか。
いや、ない。
「そうかそうか。理解した。では・・・」
と、その時俺もと追随して愛の言葉を言おうとした瞬間
胸中で動揺の渦が巻き起こった。
バチバチッ!
それは一体して、スタンガンの音。
それも俺の背後から。
手に汗を握る思いで、尋ねてみる。
「な、なぁ。その手に持ってるスタンガンはなんだ?」
「大好き」
「いや、だから」
「大好き」
「・・・」
どうやら話が通用しないようである。
だがこの間近で見る表情にしては本当に俺のことを愛してくれている少女にも見えないこと
もないのだが、だがどうしてどうしてそれよりもスタンガンのことが気がかりでならない。
「なあいったいどうしたっていうんだ?」
「大好き」
「なあってば。ちょっと、マジでどうしたっていうんだよ」
「大好き」
「っと、そんな連呼しちゃうもんだから、ほら、お前の尻に俺のその・・・
なんだもっこりとしたものが当たっちゃうだろ」
それには少し反応したようだったが、なにも怒ることもなく
そして少し頬を赤らめたのちに再度して態度を取り直し
「大好き」
と言ってくる始末。
これは・・・いったい何を見せられているんだ?
この突然の心変わりは何なんだ?
そもそもこのスタンガンは俺に押し当てるためのものではないのか?
というかなんでいまだにそれを手に持ち、また俺に当てない?
もしかしてラリってるのか?
そう思い、顔を改めて見直してみる。
「大好き」
今なおそうやって機械のごとく繰り返すその笑顔。
トロンとまるで今にも眠りにつきそうな目。
それはまさしく催眠状態のようであり、また瘴気ではないということを現していた。
「お、おい?大丈夫か?」
「えへへ、大好き」
肩を揺さぶってみるももうまったくそれしか言わない。
だが順応に俺の手に肩をゆだねたことから様子が変であっても
俺には従うようだということがうかがえる。
もしかすると俺の舌テクニックにメロメロになってしまったのだろうか。
となれば、と。
「おい、その手に持つもの、危ないから捨てなさい」
「うん」
こくりと人形のようにうなずきそしてすんなりとスタンガンを頬り投げた。
そして極め付きに両手を広げて
「大好き」
とのしかかってくる。
俺は黙ってそれを受け止める。
なるほど、敵意はない。
と、すると背後からいびきが聞こえてくるではないか。
それはとてもか細い息の根だったが、寝ているという意思表明は確固たるものであり
俺はなくなく背中をたたいて半ば子守のようになった。
やれやれ、やることやったらすぐ寝てしまうなんて子供ではないんだから。
だが自然と嫌な気持ちはしなかった。相手が小林だからだろうか・・・なんて。
さて、くたばるものが二人に俺は一人。
どうしたものか。
こんな半ばマヒ状態の小林の宣告放った言葉を信じるとするのならば
この森を抜けた先には大勢の人間がいるとのことだ。
確かによく耳をすませば雑音とこちらへ近づいてくるラップ音が聞こえてこないこともない。
そして
「あ、やっぱりここにいたか」
なんて聞き覚えのある声も聞こえてくる。
それは女の声。
突如として飛んできたその声が男のものだとしたら俺は仰天してその場でひっくりかえって
いたことだろう。
やはりその女の子の生態というものは安心できる。
そう思って振り返った先には少し服が汗でにじんでいる稲村一美の姿があった。
「お、稲村じゃないか。どうしてここに?」
「お、あんたか。って、ひゅー!やるじゃん。手ごまにしちゃってさー!」
とぱちんと指をたたいてその目はにんまりとゆがみ、俺と小林のほうへと視線を向けていた。
「いや、まあこれはだな。半ばしょうがないってなもんで・・・
別にそういう深い意味解かないぞ」
「はいはい、仲がよござんすねー」
こ、このディルド女め。これだから恋愛で脳がまっピンクなやつはいけない。
まあだがこの話は別にほっといてもいい。
「で、稲村。何でここにいるんだって聞いてるんだが」
「ああ、その君のガールフレンドにスタンガンで彼氏を一発でやられちゃってね。
何があったのかと思って話を聞いてみれば田中君とのキスシーンを盗撮された
腹いせと言い出すじゃないか。これはまぁ私の彼氏が悪かったといって
謝り、そして田中君との関係を聞き出しているうちに逃げられちゃってね。
ようやくたどりついた先がここってわけさ」
「・・・なるほど、すべて理解した」
「それはなにより。で、こいつはなんなの?」
「ああ、それはただの童貞の死骸だ。だが一応運んでおきたくて名」
「ふーん、手伝おうか?田中君は自分の彼女を持てばいいさ。まだ
花火大会は終わっちゃいない。存分に楽しみなよ」
そういいながら稲村は軽い仕草で宗助をおんぶし
「じゃあ、ごゆっくり~。あ、ちなみに恋愛話聞き出すために
少し彼女に酒もっちゃったのよ。そこんとこ、よろしくー」
と愉快気にその心の中のもやもやを巻き起こした張本人は
スキップしながら去っていった。