第十三話
ファーストキッスはレモンの味なんて言葉は聞きてあきてはいたが
果たしてそれが本当かどうか俺は今この高校二年の夏に実証するべくとして
ことなった。
結論、イチゴの味がした。
まあ普通に小林が直前にかき氷のイチゴ味を食べたからだろうということなのだが・・・
なんだか少しがっかりした気もしなくもないが、それはさておき
俺はこれほどまでにボルテージが上がったときはないと思った。
ああ、これがキッス。すなわち接吻。
頬のあたりが熱くなってくるのを感じる。
胸の高鳴り、周囲の雑音がより一層増していくことで大いに震える鼓膜。
そしてタコの吸盤にはまったのではというくらいに吸い尽くされる
俺の唇。
語感というもの全てが接吻一つにより解放されているような感じがして
立ち眩みやめまいが起きそうになる。
勝手に俺の処女唇を奪った張本人にして処女でもあり
また夏の祭りの子の熱気はいまだ下がることを知らないのにより
俺に汗を流させんと俺の体に手をまわしてくるこの女も
その接吻による様々な異変に対しての対応に打ちあぐねているようであった。
俺の体を締めつく手はその力弱まるところかより一層強くなり
また密着することによってそのとてつもない心臓の鼓動が体を通して
伝わってくる。
この祭りには盆踊りなどという演目があっただろうかと一瞬錯覚してしまうほどには
ドクドクと、一泊一泊の重みが際立ちかつそのテンポの軽快さがあった。
苦しいならもう唇を離せばいいのにと思うほどには彼女からの鼻の息が
俺の顔にびゅーびゅーと吹きあたる始末で、だがそうはいっても定期的に
訪れる彼女の汗、つまりはフェロモンによる心地よい香りがまた俺の脳を弛緩させ
たちまちにそんな考えをふっとばさせるのだ。
ああ、このままずっとキスをしてやったもいい、とそんな気持ちになるのだ。
だが現実、はたしてそんなメルヘンな気持ちだけが脳内を支配するだけにあらず
周りの観衆は何時しか俺と小林を円状で囲うような形をとっておりまるで見世物ではない
にもかかわらず好奇心をもってその目を俺たちに向けてくるものだからたまらなかった。
しかしそんな観衆を引き寄せんとした奇異的行動をとったのも俺たちなわけで。
まあ俺はやろうともいってはいないのだが。
すなわちそんな見世物のような扱いを受けるというようなことが
なんだかこっぱずかしく思えるようで、だがしかし居ても立っても居られないほど
には究極の精神状態にはその小林とのメルヘンな接吻による空気で緩和され
陥ってはいないという板挟みな立場になっていた。
耳たぶが熱い。
小林の鼻息もようようにして生あったかくなっていた。
その暑苦しさが嫌だというわけでもないがドンと構えることにしてそれを受け止めきれない
のが俺の童貞であるということの証である。
気を紛らわすためにあたりをうかがうと相も変わらずスマホのカメラをこちらにむけてくる
ものがいるし、ふと右を向いてみると先刻の不良たちはもうとっくのあいだに
立ち退いているようで残されたのは俺たちたった二人ということになった。
と意識をほかに集中させていると異色なざらざらとしたぬめりをもった
物体が口の中に入ってきて俺の舌にもあたるような心地がした。
そのなめくじのような物体は俺の口内で暴れんとし、手始めに俺の舌に絡みつき
締めつかんとぬるぬる、ぬるぬる、とひたすらからませようとした。
どうしてどうしてその口内侵入罪を有したなめくじにつき、先ほど食べたかき氷の
イチゴ味のシロップの風味がするのかと思えば、
はたしてそのなめくじというのもどうやら小林のディープキスによるものであり
流石の俺のこれにはロマンやメルヘンといった甘酸っぱいムードを感じるというよりかは
ひたすらにエロス、ただこのピンク一色にして脳内が埋め立たせられ
かつただちにこれを口内ならまだしも舌同士からみだして観衆に見られればと
思うとぞっとするような思いでありだが少し優越感を得られるのかという好奇心もあったが
統合してやはり気持ちは一つ、羞恥の心であった。
処女キッスでこんなことをされるとは思ってもいなかったこの十六年間と半月。
その舌触りにつきエキセントリックな怪しげな物質が脳内に流れないことが
知らなかった。
しかしお構いなしに小林の舌は俺のをまさぐるようにして、その形、硬さ、
はたまた弾力を確かめんとした。
いい加減にしてくれと弱音も履きたいくらいだったが、まさしく今現在
俺の口はふさがれていることであったので抗議の声も無音と化した。
ならばともうどうにでもなれという投げやりな気持ちでいたのが
所謂隙が生じたということだろう。
身も心も舌も小林に任せんとしたその刹那、彼女の舌の勢いは止まることを知らず
ついには俺の口内へとその舌戦は飛び出してしまった。
口内よりは幾分かひんやりとしている外気温に触れた瞬間の背筋に伝う汗が滝のように
吹き流れる模様と言ったら、それはもうナイアガラさながらであり
はたしてその俺の服の内側に血を吸いつかんとする蚊のような小さな虫がいたら
よほどそいつらは驚いたことだろう。
だがそんなことはおかましなしに俺の汗腺は開かないことを知らなかった。
ああ、これなら俺からぐっと主導権を握り押さえつけんとして
小林の口内のもとで舌戦を繰り広げていればと思うもそれはもう
後の祭りだった。
恥ずかしさと無気力さ加減による敗因。
はたして幾秒かしてどっと歓声が巻き起こった。
ああ、南無三。
現実逃避をせんとばかりに瞼をぎゅっと閉じた。
そして俺は今の今までにこれほどまで自分が童貞であることを呪ったことはない。
不倫がばれた芸能人のようにフラッシュがたかれにたかれているのだろうと思った矢先
とてつもない爆音が巻き起こった。
なんだと思い目を開けるとその頭上には大きな炎色反応による鮮やかな色模様が浮かんでいた。
そしてそんなあっけにとられた俺と同じくして周りの観衆も夜空に目を向けていたのだった。
なるほど、さっきの歓声はそういうことだったのかと合点がいくのと同時に
これは逃げ出すチャンスだとおもったので俺はいまだに花火が打ちあがっているのにも
かかわらず俺の舌をその柔らかいぬめりを持った己の味覚を感じる器官で
味わんとしていたことにはあきれた。
よって俺は世にも奇妙な女子の抱え方をしてその群衆をかき分けそして
走った。
とにかく走った。
なんとキスをしながらである。
それもディープのほうを。
なんとまあ不格好なことであろうか。
円状に囲まれてないのにもかかわらずなおその周囲の者から奇異の目を向けられ
恥ずかしさがようやく極限に達して泣きたくもなった。
そしてようやくその俺の手の中にあるキス魔は我に帰ったかと思えば
「あれ、不良どもは?あれ?なんでこんなところにいるの?」
と演技しているんじゃないかというほどに記憶がぶっとんでおり
またとぼけた仕草さながらであった。
だがしかしずっと目を閉じてキスをしていたのだからしょうがないという風にも取れ
たので俺は何も言えず、また改めて平静状態の顔と顔を近距離で向き合うことに
関しての恥ずかしさが舞い戻り、かつまだカップルでもないのに抱き合って
失踪しているという状態にもなんだか心臓の奥が締め付けられるかのように思え
よって俺はなにも返答せずにして彼女の背を押し、肩越しに頭をのせるように
して顔をそらしてもらいただただ俺の体に身を預けんとするように
させた。
「ん、なによ。つれないわね」
とあくまで彼女は平然とのたまうが俺は知っていた。
密接していることで伝わる心臓の鼓動が俺のよりも疾走みがあるということを。