さかさまになったゆきだるま
あるところに、ゆきだるまさんがおりました。
ゆきだるまさんはバケツの帽子にマフラーと手袋をしています。
ゆきだるまさんはいつもいつも家の中で過ごしています。
なぜなら、外に出て太陽さんの光を浴びると溶けてしまうからです。
そんなゆきだるまさんですが、今日は思い切って外に出てみることにしました。
曇り空で太陽さんが隠れていたからです。
ゆきだるまさんはまたとない機会だと思い、初めて家の外に出てみました。
冷たい風が吹いています。
ゆきだるまさんはわくわくしながら歩いていきます。
しかし、初めて見る外の景色に見とれていたせいでしょう。
道端に転がった石につまづいてしまいました。
あ、と思ったときにはもう遅く、ゆきだるまさんはひっくり返ってしまいました。
帽子にしていたバケツの底がちょうど地面に立ってしまい、さかさまのまま動けなくなってしまったのです。
困ったゆきだるまさんは声を出します。
「誰か助けて!」
それを聞きつけてやってきたのは、先ほどから冷たい風をびゅーびゅー吹かせていた北風さんでした。
「どうしたんだい、ゆきだるまさん」
「あ、北風さん。お願い、僕を起こしてくれない? もし、このままの状態で太陽さんが出てきたら溶けちゃうよ!」
「確かにそうだ。よし、分かった。僕に任せてくれよ」
そう言って北風さんは大きく息を吸い込みました。
顔が真っ赤になるまで息を吸い込んだ北風さんは思い切り風を吹かせます。
冷たくて強い風がゆきだるまさんの身体を揺らしますが、それでもびくともしません。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ん~、全然だめだなぁ。ごめんよ、ゆきだるまさん。どうやら僕じゃ無理みたいだ」
「そんなぁ……」
「それにこれ以上、僕が吹いちゃうと空の雲さんまで飛ばしてしまうよ」
「う……それは困るなぁ」
「だから、今日のところはすこし我慢してくれないかな。僕に少し考えがあるんだ」
「本当?」
「うん。だからちょっと我慢していてよ」
北風さんはそう言ってゆきだるまさんの前から姿を消しました。
「え~ん、え~ん」
さて、残されたゆきだるまさんですが、誰かの鳴き声が聞こえてきて思わず声をかけました。
「誰?」
どうやら泣いているのは小さな女の子のようでした。
「え~ん、え~ん」
「いったいどうしたの?」
ゆきだるまさんはさかさまのまま訊ねます。
自分に声をかけられたことに気がついた女の子は涙を拭いながら空を指差しました。
「い、いきなり、強い風が、吹いて……ぐす。わ、私の、マ、マフラー、が……」
どうやら先ほどの北風さんがこの子のマフラーを吹き飛ばしてしまったらしいのです。
それを知ったゆきだるまさんは自分にも責任があると思い、笑顔を浮かべてこう言います。
「代わりに僕のマフラーじゃだめかな?」
「……え?」
女の子はきょとんとした顔でゆきだるまさんを見つめます。
「僕のマフラーを使ってよ」
「……良いの?」
「もちろんだよ」
女の子の顔がぱぁっと明るくなりました。
女の子はゆきだるまさんの首からマフラーを取って自分の首に巻いていきます。
「あったかい」
「そっかそっか」
ゆきだるまさんはふと女の子の手が赤いことに気がつきました。
どうやら手も随分と冷たくなっているようです。
今日はいつもに比べて天気も良くないし、気温も低いです。
「手袋も使って良いよ」
だから、ゆきだるまさんはそう提案しました。
「え?」
「手袋。寒いでしょ?」
ゆきだるまさんはゆきだるまだから風邪は引きません。
「でも、ゆきだるまさんは寒くないの?」
女の子は人間だから風邪を引いてしまうかもしれません。
「僕は大丈夫だよ。だから、ね。使ってよ」
「うん。ありがとう」
女の子は丁寧にお辞儀をするとゆきだるまさんから手袋を受け取りました。
「あったかい」
「良かった」
ゆきだるまさんはにこにこ顔の女の子を見て嬉しくなりました。
手袋でほっぺたを暖めながら女の子が訊ねます。
「ゆきだるまさんは、何をしているの?」
「僕? ちょっとさかさまになっちゃって、元に戻れなくて困ってるんだ。このままずっと外にいたら溶けちゃうかもしれないしね……」
「そうなの? じゃあ、私が何とかしてあげるよ」
「え? でも君の力じゃ……」
女の子はゆきだるまさんが止めるのも聞かずに、一生懸命ゆきだるまさんの身体を押しました。
「よいしょ、よいしょ」
しかし、あんなに力強かった北風さんでも無理だったのです。
やはり女の子の力では、ゆきだるまさんはびくともしませんでした。
「……う~」
女の子は悔しそうな顔で何度も何度もゆきだるまさんを元に戻そうとしました。
けれど、やっぱり結果は同じです。
「ねぇ、もう遅いし、お家に帰った方が良いよ」
「嫌」
「なんで?」
「だって、ゆきだるまさんは、このままじゃお家に帰れないでしょ?」
その言葉にゆきだるまさんは微笑みます。
「僕は大丈夫だよ」
「本当? お家に帰らなくても平気なの? 溶けちゃわない?」
「うん。今日は僕には丁度良い気温だし、外でも平気だよ」
「本当に本当?」
「うん。大丈夫だから。君は早くお家にお帰り」
「……分かった」
女の子はゆきだるまさんの言葉に頷くと大きく手を振りました。
ゆきだるまさんがしていた手袋が右に左に揺れています。
「また明日も来るね」
女の子はそう言ってゆきだるまさんの前から去って行きました。
残されたゆきだるまさんは、ふと空を見上げます。
「……凄い」
これまでは家の中からしか見たことがありませんでした。
だから、満天の星空がこれほど美しいものだとは知らなかったのです。
「あ……」
流れ星さんが夜空を横切りました。
ゆきだるまさんは思わず声を出します。
「元に戻れますように」
ゆきだるまさんの願いを受け入れるかのように、また流れ星さんが横切りました。
「綺麗だなぁ……」
ゆきだるまさんはしばらく夜空に浮かぶ星々に見とれていました。
~~~
翌日。
天気は快晴になりました。
昨日は雲さんに隠れていた太陽さんがゆきだるまさんを照らし続けます。
「……このままじゃいけない」
ゆきだるまさんは自分の身体がゆっくりと溶けていくのを感じます。
「このままじゃ……」
このまま溶けてなくなってしまうのか。
ゆきだるまさんはそう思って目を閉じました。
目を閉じると、真っ暗な世界が広がります。
溶けてしまうと、ずっとこのような暗い世界で過ごすことになるのかもしれません。
そう思ったゆきだるまさんは、なんだか悲しい気持ちになりました。
すると、そんなゆきだるまさんを励ますように、真っ暗な世界に小さな明かりが灯りました。
昨日見た夜空が広がり始めたのです。
瞬く間に、真っ暗だった世界が星の光で埋め尽くされていきます。
流れ星さんも流れていき、そして……
「諦めちゃだめだ」
あの女の子の笑顔が浮かび、ゆきだるまさんは目を開けました。
「今日も来てくれるんだから」
しかし、ゆきだるまさんにはどうしようもありません。
じたばたと身体を動かしますが、やはり自力で元に戻るのは難しそうです。
だんだんと小さくなっていく身体を見ながら、ゆきだるまさんは泣きました。
「どうしよう。どうしよう……」
「お待たせ」
そんなゆきだるまさんの前に現れたのは北風さんでした。
「北風さん!」
「おっと、少し遅れちゃったかな? 思ったよりも小さくなっちゃって」
北風さんは昨日よりもだいぶ小さくなったゆきだるまさんを見ながらそう言います。
「助けて! 助けて、北風さん! 僕、溶けちゃうよ!! だめなんだ、まだ溶けちゃだめなんだ!!」
「落ち着いて、ゆきだるまさん。僕は君を助けるためにずっと待っていたんだから」
「え?」
「これだけ小さければ、僕の力で大丈夫だよ」
そう言って北風さんは昨日と同じように大きく息を吸い込みました。
そして、力いっぱい吐き出します。
強くて、そして冷たい風はゆきだるまさんに当たります。
「あ!」
そのときです。
昨日はびくともしなかったゆきだるまさんの身体がゆっくりとよこに倒れ、そのまま勢いよく立ち上がりました。
ゆきだるまさんはとても驚いたようでしたが、やがて自分がちゃんと元に戻っていることに気が付いて大きな声を上げました。
「やった! やったよ北風さん! ありがとう!!」
「……ふぅ。うまくいって良かった」
「ありがとう、ありがとう、北風さん」
ゆきだるまさんは何度も何度もお礼を言います。
「いやいや。それにしても、昨日はしていたはずのマフラーと手袋はどうしたんだい?」
「え? ん~、あげちゃった」
「……ふ~ん。なるほどね」
北風さんは愉快そうに笑うと、ゆきだるまさんの顔をなでて行きます。
「北風さん!?」
「どうやら僕の出番はここまでみたいだ。それじゃあね」
そう言って立ち去っていく北風さんを見ながら、ゆきだるまさんはもう一度声を張り上げました。
「ありがとう!」
北風さんが見えなくなった後、女の子がとことことやってきました。
首にはゆきだるまさんのマフラーをしており、ゆきだるまさんの手袋をしている手には紙袋を持っています。
「あ、戻ったの!?」
「うん。これでもう溶けちゃう心配も無いよ」
「良かった!! ……でも、なんだか小さくなっちゃったね?」
小さくなったゆきだるまさんは、女の子と同じくらいの背の高さになりました。
「しょうがないよ」
けれど、元に戻れたのですから、それに不満を漏らしたりはしません。
「……う~ん。でも、なんだか丁度良いかも」
「そう?」
女の子はなんだかとても嬉しそうに笑いながら、紙袋の中から何かを取り出しました。
「それ……」
「うん。あげる」
それは昨日北風さんに飛ばされた女の子のマフラーでした。
女の子は優しくそれをゆきだるまさんの首に巻いていきます。
「でも、これは君のじゃないの?」
「良いの。私にはゆきだるまさんがくれたのがあるから」
女の子は笑いながら、また紙袋に手を入れます。
そして、そこから買ったばかりの手袋を取り出しました。
「それは?」
「これ? これは、昨日お家に帰ったら、お母さんが買ってきてくれていたの。また急に寒くなるかもしれないからって」
女の子はその手袋をゆきだるまさんにはめていきます。
「だったら、それは君のじゃないか。僕がもらうわけにはいかないよ」
「良いの。私にはゆきだるまさんがくれたのがあるから」
「でも!」
「良いの。これは、私からお友だちへのプレゼント」
「…………友だち?」
「うん!」
ずっと家の中で暮らしていたゆきだるまさんは、友だちというものをよく知りませんでした。
けれど、首に巻かれたマフラーと新しい手袋。
そして、目の前で微笑む女の子を見て、ゆきだるまさんは心のどこかが温かくなるのを感じました。
「友だち……」
「うん、友だち」
ゆきだるまさんの心はとても温かく、このまま溶けてしまうのではないかと思うほどでした。
けれど、ゆきだるまさんはそれでも構わないと思いました。
この温かさで溶けてしまうのは、なんだかとても幸せなことの気がしたのです。
了。