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7.別離の羽音2(sideリオネル)

 もうずっと昔、不幸な出来事に巻き込まれて、まだ幼かったリオネルの妹は命を落とした。

 最愛の妹を守れなかった自分の無力を責め、二度と家族を危険な目に合わせないように力をつけなければと誓いを立てたことを思い出す。


 望みを叶え騎士となり、騎士団の中でもそれなりの地位を得たが、地位や名誉で愛する者を失った空虚が埋まることはなかった。

 だからこそ、二度と愛する者たちを何ものにも奪わせはしないという強い想いが消えることはない。


「家族を、守る………」


 白い髪の少女は憂いを含んだ灰色の目を伏せ、考え込むように黙した。

 リオネルは己の失言に気づき、内心舌打ちをする。


(しまった………馬鹿か俺は)


 会えばいつも彼女は季節にそぐわない薄手のドレスを纏い、ひとりきりだった。中間層の平民であっても口にする機会の多いココアを、飲んだことがないとも言った。


 もしかしたら彼女にとっての『家族』は良いものではないかもしれないと考えていたのに、考えなしに口を滑らせるなど、失態以外の何ものでもない。

 しかし少女はリオネルの言葉に気を悪くした様子もなく、むしろ口元にほのかな笑みに似た形を宿した。


「やっぱり騎士様は、真に守るべきものをお持ちなのですね」


 得た答えに満足し、飲み下すように、彼女はゆっくりと頷く。

 しかしその静かな言葉と仕草に、あちらとこちらを明確に色分けする強い隔絶を感じリオネルは息を呑んだ。


 少女は目を閉じて両手を胸元に当て、首を垂れる。

 まるで女神に背いた重い罪を告白しようとする修道女のように。


「以前のわたしは………この容姿のせいで家族の愛情を得られないのだと思っていました。けれど今になって思えば、それだけではなかったのでしょう。わたしはこれまで、騎士様のように誰かを守りたいと感じたことがありませんでした。血がつながっているはずの、家族でさえも」


  少女の白い横顔を見て、あの雪の日に朧げに目にした、今にも泣き出しそうな面影が鮮明に蘇る。


「わたしを憎む家族にも、愛する人はいるのです。わたしを蔑む人たちにも、守りたい人がいる。でも………わたしには人間らしい心が欠落しているのでしょう。誰も愛さず、誰にも愛されなかった」


 彼女が語っているのは自身のことであるはずなのに、使い古したティーカップの持ち手が欠けていることを見つけたくらいの冷淡さだ。


「白い髪でもなく、灰色の瞳でもなく。この醜い心こそが………『亡霊』の名に相応しいのでしょう」

「馬鹿な」


 リオネルは、自分の口から吐き捨てるように漏れ出た言葉の乱暴さに気づき、強く眉を顰める。

 激しい苛立ちが胸の内に渦巻いたが、彼女の言葉にどうしてこれほど感情が波立つのか、自分でもよくわからなかった。


『亡霊』という言葉は、彼女がかつて他者から投げつけられた無慈悲な暴言そのものなのだろう。しかし彼女自身がその暴言に悲しみや屈辱を覚えるどころか、当然のものとして受け入れているのが一層腹立たしい。


リオネルは少女の前に回り込み、片膝をついた。リオネルの怒気に驚き目を見開いた少女の血色の薄い顔を覗き込む。


「俺は君の抱える事情をなにひとつ知らないから、見当違いなことと思うかもしれない。だが、あの日の君が、酔って眠り込んでいたどこの誰とも知れない男を介抱したのはなぜだ? 放っておいたところで俺が野垂れ死んだとしても自業自得に過ぎないなのに、君はそうはしなかった。今、怯えた鳥たちを労わり、慰めているのもそうだ。それが、醜い心を持った者の行いだと君は言うのか?」


 ココアが温かいと言ったときの表情も。こんな風に詰め寄られて当惑している顔も。

 今にも涙を溢しそうな、大きな目も。


 人を不快にさせる姿?

 醜い心?


(そんな訳あるか!)


「自慢できないような後ろ暗い面なんて、誰にでもある。もちろん俺にもだ。君に何か欠点があったとして、それが何だっていうんだ? これまで君に守りたいものがなかったのは、それに値する人間が周りにいなかっただけだ。時が来れば、君自身が大切にしたい、失いたくないと感じる相手がきっと現れる。そしてその相手は、君を心から愛するだろう。俺は、君の姿も、心も、醜いと感じだことなど一度もない。亡霊などという言葉は、君に相応しくないものだ。そんなくだらない妄言を簡単に受け入れるな!」


 顔を合わせた回数は片手で足りる。交わした言葉も決して多くはなく、知った風なことを言う資格がないことは承知の上だ。

 それでも、この狭い場所に一日中身を置き、すべてを自分と関わりのないものだと線引きし、硝子瓶を隔てた向こう側を眺めるように街を見降ろしている彼女がもどかしかった。


 引き込まれそうに美しい灰色の瞳が見開かれ、いつもはあまり動かない少女の表情に大きな驚きが浮かんでいた。

 血の気のない、しかし形の良い小さな唇が言葉を紡ぐ。


「………騎士様の温かな目には、この子たちだけではなく、わたしもちゃんと映るんですね………」


 おだやかに、でも哀しげに。

 少女の口から漏れた吐息のように小さな声はよく聞こえなかった。


 大きな瞳の淵から溢れ、零れ落ちる涙が、あまりにも透き通っていて。

 彼女が瞼を伏せ俯くと、雫がほとほとと足元の白い雪に吸い込まれていく。


 ーーーどこが亡霊だっていうんだ?


 そう言いたい言葉が、呆けたように喉から出てこなかった。


 落ちる涙を拭おうと無意識に伸ばしたリオネル左手を、彼女の両手が掬い取った。

 小さな白い手は氷のように冷たく、わずかに震えていた。


「騎士様がくださった言葉………わたし、忘れません。これからもずっと」


 少女は両手にぎゅっと力を込め、真摯な瞳で真っ直ぐにリオネルを捉える。


 それは永遠のような一瞬。


「騎士様。これから、よくないことが起こります。………どうか。どうかご無事で」


 涙で掠れた声が結ばれると同時に、広場にいた無数の鳥たちが光を放ち、一斉に羽ばたいた。

 宝石を振りまいたような眩さに驚き、思わず腕で顔を庇う。散り散りに飛び去る鳥を目で追いながらその異様に唖然とする。


(あれほどの数の鳥が飛び立ったのに………羽ばたきの音が聞こえない)


 思い返せばここへ来たときから、鳥の囀る声も聞いた覚えがなかったことに思い至る。

 聞こえていたのは、鳥たちに語りかける彼女の声だけ。

 はっと目を戻すと目の前にいたはずの少女の姿はすでにどこにもなかった。


 名を呼ぼうとして、呼びかけるべき彼女の名を聞いていなかったことを思い出し愕然とする。


 なぜか、ここへ来れば確かな約束などなくとも、いつでも彼女に会えると信じ込んでいた。

 そんなもの、ただの錯覚でしかないというのに。



 わたし、忘れません。

 これからもずっと。



(別れの言葉……のように聞こえた)


 名残を探すように最後に彼女が触れていた左手に目を落とすと、手の甲に見覚えのない痣のようなものがあることに気づいた。

 大きなものではないが、よく見ると鳥の翼の形をした刺青のようにも見える。

 それが何なのかはまったくわからないが、どうしてか、彼女が意図して残したものに違いないという確信があった。


 窮地にあっても冷静さを保つのが得意なリオネルだったが、あらゆることが理解の範疇を超えて頭が上手く回らない。


 そして混乱したまま雪の積もった足元を見て、今度こそリオネルは凍りついた。


 すぐ目の前、彼女が立っていた場所以外に、彼女の足跡が見当たらない。

 広場の出口に向かう道を振り返っても、行きがけに自分が付けた以外の足跡がなかった。


「君は……………」


 リオネルは呆然と呟いたが、答える声はなかった。



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