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6.別離の羽音1(sideリオネル)

 出会いは、ささやかな偶然に過ぎなかったはずだ。

 あるいは―――それこそが『女神の采配』だったのだろうか。



 リオネル・ランバートは、騎士団の中にあってもずば抜けた長身と鍛え抜かれた体躯、圧倒的な剣技で、常に人目を引く存在だった。

 武力だけでなく知略にも優れ、誇るべき血筋と身分を問わない人望までも併せ持ち、やっかみ混じりに『完璧な騎士』と称えられることも多い。

 しかし、実はかなり酒に弱いという致命的弱点を持つことは、あまり知られていなかった。


 騎士団を退いた元上司の結婚式に参列した帰り道、油断から己の許容量を超える酒に呑まれ前後不覚となったのは、明らかな失態だったと言えるだろう。



 不思議な心地よさに目を開くと、リオネルは見覚えのない場所で横たわっていた。いつの間にか雪が降り始めており、目覚めを促すように冷たい空気が肌を刺している。


 それでもリオネルは、自分はまだ夢を見ているに違いないと思った。

 なぜならーーー遠い昔、繰り返し読み聞かせをねだられた、幼い妹のお気に入りの絵本に描かれていた『雪の精』が、すぐ目の前にいたのだから。


 不思議な光沢を帯びた白い髪。

 幼子のようにも、千年を過ごした常若の精霊にも見える、世俗の穢れを知らぬような神秘的な面立ち。

 雪降らす天を見上げる灰色の瞳は静謐な孤独を宿し、見ている方が苦しくなるほどだった。

 手を伸ばせば届く場所にいるのに、今にも消えてしまいそうなほどに儚い。


(なぜ、そんなに………)




******




 翌朝、リオネルは宿舎に与えられた自室で快適に目覚めた。

 酒でしくじった翌日は強い頭痛や吐き気に半日は悶絶するところだが、不快なところはなく、むしろすこぶる体調がいい。

 不思議なこともあるものだとおぼろげな記憶を手繰れば、頭の中で清廉な白い姿が像を結んだ。


 寝ぼけた目には夢のような光景に映ったが、酒が抜けた頭で思い返せば、あれは絵本の『雪の精』などではなく、人間の少女だった。

 酔い覚ましの薬でも与えられたのか、それともただ側にいただけなのかはわからないが、あの少女は無様に倒れた酔っ払いを哀れに思い、介抱してくれたのだろう。


 会って礼を言わなければと思ったが、なぜかあの場所がどこだったのかまるで思い出せない。

 確かに自分の足で宿舎に戻ってきたはずなのだが、酒の影響かすっかり記憶が飛んでしまっている。

 リオネルは苦々しい思いで寝癖のついた赤髪をガリガリとかき、しばらくは誰に勧められても酒は飲むまいと心に決めた。



 その後、二週間という日々が淡々と流れ、中途半端な記憶が頼りないものになってすべては夢であったのかと己を疑い始めたころ、職務中に偶然()()()()へたどり着いたのだ。


『雪の精』はそこにいた。

 同居人だという凶悪な目つきの鳥を頭の上に乗せた、不思議な白を身に纏った少女。


 再会した日、少女は高台からひとりで街並みを見下ろしていた。

 振り返った彼女はもちろん人間に違いなかったが、やはりあの雪の日と同じように、凪いだ湖面のように静かな諦観を瞳に映していた。


 それとなくあの日のことを尋ねてみたが軽くかわされ、それ以上追求することはできなかったが、彼女こそがリオネルの恩人であることは疑いようもなかった。




******




(いた)


 昨夜のうちに降り積もったまっさらな雪を踏み再び広場を訪れたリオネルは、望んでいた後ろ姿を見つけて無意識に安堵の息を吐いた。


 最近、隣国との国境の情勢がキナ臭く、騎士団にも余計な仕事が増えていた。特別任務や臨時の遠征が続き満足に休暇も取れないことに辟易しながら、ふとした折に、彼女は今日もあの広場にいるのだろうかと考えている自分に気づく。


 理由のわからない焦燥感に振り回される滑稽さに、思わず舌打ちをする。


(彼女は別に、俺を待っているわけじゃないのにな)


 どうにか仕事に区切りをつけ、半ば無理矢理休暇をもぎ取って高台の広場を訪れることができたのは、彼女にココアを手渡した日から一か月も経ってからだった。


 久々に見た白い髪の少女はベンチから立ち上がり、女神像のように宙に差し伸べた両腕に、色とりどりの無数の鳥を止まらせていた。

 細い腕に収まりきらない鳥たちは、小さなベンチを止まり木替わりにずらりと並んでいる。

 降り積もった雪に真白く化粧された樹々を背景に鮮やかに浮かび上がる鳥たちの羽の色が反射するのか、彼女の白い髪に虹色が映り込む。


「今日はまたすごいな………君は、鳥使いか何かなのか?」

「………騎士様………」


 リオネルは絵本の中のような幻想的な光景に思わず感嘆の声を上げたが、いつもは感情があまり面に出ない少女の物憂げな表情に気づき、足早に近づいた。


「どうした? 何があった」


 自分のいない間に良くないことがあったのではと考えたが、少女は一瞬だけ目を合わせるとすぐに瞼を伏せ、ゆるく首を振った。


「いいえ……今はまだ、何も。ただ、この子たちが怯えているのです。向こうから、よくない風が吹いてくると言って」


 少女は細い眉を僅かに寄せて、いつも見下ろしている街ではなく、遥か遠く北の方角へ顔を向けた。

 つられるようにリオネルもそちらへ視線を向け、思わず表情が険しくなる。

 偶然か、その方角には最近リオネルの悩みの種となっている国境地帯があった。


(国境の情勢のことを言っているのか? それはまだ一般には知られていない情報のはずだ。軍や国の上層部につながりがあるようにも見えないが。まさか………本当に、鳥の言葉がわかるなんてことは………)


 ありえない数の鳥を苦も無く寄せている少女を、リオネルは驚きとともに鋭く探るような目で見つめた。

 鳥たちは落ち着きなく不安を訴え甘えるように少女に身を寄せ、少女はそんな彼らをなだめるように言葉をかけている。

 よくない風という言葉が避けがたい不吉を孕んでいるように感じ、リオネルの背に冷たいものが走った。


 少女が顔を上げてリオネルを見る。

 灰色の瞳の中に滲むわずかな菫色がなんとも美しく、一瞬で目を奪われる。


「あの、質問しても構いませんか」

「もちろん」

「騎士様は、国を守るのがお仕事なのですよね?」

「………ああ、まあ……そうだな。主君に忠誠を誓い、主君の治める領土と人民を守るのが騎士の『お仕事』だ。なんだ、騎士に興味があるのか?」


 思いもかけない言葉を投げられ、首を傾げる。

 質問の意図が読めず、やや面食らいながらもおどけるような言葉と仕草で話の先を促すと、また奇妙な質問が続いた。


「お仕事だから、国を守るのですか?」

「? どういう意味だ?」

「それとも、騎士様自身の信念として、国を守りたいと思うのでしょうか?」

「うーん………そうだな………」


 どう答えるべきか、リオネルは腕を組んだ。

 彼女が見ていた街並みを同じように見下ろし、再び口を開く。


「自惚れに聞こえるかもしれないが、俺は騎士団の中ではそれなりに名が知れている。訓練や剣術の試合で負けたことはないし、重犯罪の検挙率も高い。だが正直に言ってしまえば、俺は単に与えられた役割を熟しているだけで、正義や騎士道に対する確固たる信念があるわけじゃない。王へ捧げた(てい)になっている忠誠が本物かと問われれば………あまり自信はないな」


 誰かに聞かれれば物理的に首が飛びそうなことを言いながら、リオネルは肩を竦めてニヤリと笑う。

 模範解答で受け流すこともできたはずだが、彼女の真剣な表情に応えるように、自然と子供じみた本音を口に上らせていた。


「俺は………親や兄弟、家族を守るために騎士になった。だから、国家というものに対する忠誠心はともかく、家族が暮らすこの場所が平穏であって欲しいという思いに嘘はない」


 話しながら、雪景色の街を賑やかに行き交う人影の中に、手を繋いで歩く兄妹らしき二人を見つけて目で追った。


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