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5.失わないための喪失

 深夜、フィオナは寝台から飛び起きた。


 覚めてなお悪夢の残響が色濃く、絡みつく恐怖から抜け出せない。

 鼓動の速さに呼吸が追い付かず、空気を求めて無意識に手が宙をかく。途端に強い眩暈を覚えて身体がぐらつき、崩れ落ちるように寝台に手をついた。


《落ち着けフィオナ。まだ何も起きていない。………また夢を見たのだな?》


 浅い呼吸を繰り返しながら、のろのろと顔を上げる。

 夜に沈んだ部屋の中で、月明かりに照らされたアルタリエの姿が白銀に輝いている。


 アルタリエの冷酷なほど落ち着いた声に、フィオナはやっとここが戦場などではないと実感することができた。


「き、きしさま、が」


 喉が強張って上手く声が出ない。真冬なのに、幾筋も汗が流れた。



 フィオナはここ数日、奇妙な夢を立て続けに見るようになっていた。


 始めはただ、誰もいない暗い石造りの建物の中で、フィオナがひとり佇んでいるだけの夢だった。


 何日かすると、どこからか大勢が叫んだり、金属を打ち鳴らす音が聞こえるようになった。


 その次には、鎧を身に着けた半透明の人影が大勢周りにいて、皆剣を手に争っている姿が見えるようになった。


 激しい剣戟と飛び交う怒号。

 気が付けばフィオナの足は血だまりに浸り、周りには倒れ伏して動かなくなった兵士が何人もいる。


『戦争』という言葉が脳裏に浮かび、フィオナは震え上がった。


 夢は日ごとに鮮明になり、濃い血の臭いに吐き気がし、建物に放たれた炎の熱が肌を焼く。

 そしてついに今夜、一連の悪夢が指し示す終点が、残酷な未来を映し出したのだ。


 フィオナは喉を押さえ、震える呼吸を幾度か飲み下してから再び口を開く。


「戦場で………。あの緋色の髪の騎士様が、神官のような服を着た人を庇って、火の回った砦の頂上から………」


 それ以上のことを言葉にできず、フィオナは震える自分の身体を抱きしめる。

 まるで実際に戦場の只中にいたような臨場感と、あの温かな瞳を持った騎士の命の燈が消える瞬間を目の当たりにした衝撃に、全身が総毛立つ。


 予感は、あったのだ。

 日ごと鮮明になる人影の中に、見覚えのある鮮やかな緋色が幾度も見え隠れしていたから。



 アルタリエは常になく静かな声で告げた。


《夢は、遠からず現実のものとなるだろう。あの騎士が戦場に赴くことも。そして戦いの最中に命を落とすことも》

「そんな………!」


 フィオナは確かに予知の力らしきものを持ってはいたが、これまでに見た予知の夢はほんの数回、内容もさして意味のないものばかりだった。

 しかし、そのすべてがフィオナの夢をなぞるように寸分違わず現実となっているのもまた無視できない事実だ。



 受け入れられない。

 あの優しいひとが戦場で命を落とすなんて。



《………救う手立てがあるとしたら、お前はどうする?》


 はっと顔を上げると、アルタリエはいつになく厳しい目でフィオナを見返した。


《お前が持つ様々な力は、確かに奇跡と言えるだろう。だが、真に奇跡と呼ぶにはひどく脆弱だ。すべての力を注いだとて、死の予知を覆せるのは一度きりだろう。夢に見たその一度の危機を乗り越えたとしても、あの男が必ず戦地から生きて戻ると決まったわけでもない》


 アルタリエはそこでひとつ息をついた。

 感情の伺えない冷たい声が静かに響く。


《そして………そのただ一度の奇跡の代償にお前はなけなしの力を使い果たし、只人と変わらなくなるだろう。わずかにあった守りも失い、翼の力でこの部屋から出ることも叶わなくなるぞ》

「構わないわ」


 フィオナは自分でも驚くほど迷いなく答えた。


「わたしの中にあるわずかな力が助けになるなら………ううん、力で足りないなら、命を削ってもいい。それであのひとの命が救えるのなら………わたしは空っぽになっても構わないの」


 生まれた瞬間に見放された、取るに足らない命。


(あのひとだけが、わたしを見てくれた)


 フィオナのことを疎み遠ざける叔父夫妻も、自分の血を継いだ実の息子を見守る目は優しかった。

 フィオナを陰で蔑み嗤うメイドも、使用人仲間である恋人を見つめるときは、頬を染めて愛らしくはにかむ。

 野良犬を払うような仕草でフィオナを追い立てた街の住人も、友人には親しげに笑いかけていた。


(あんな風に、わたしを見てくれたひとは誰もいなかった)


 人から遠ざけられ、人と関わることなく生きてきた。

 なにかが見つけられそうな気がして聖域で遠巻きに人々を眺めても、フィオナ自身、自分がなにを探しているのか、なにを望んでいるのか、ずっとわからずにいた。


 けれど、彼の隣に座って、話をして、コートを羽織らせてもらって、ココアを飲んで。

 彼の瞳に自分だけが映り、蔑みのない、親しみを込めた笑みが自分だけに向けられたとき、ずっと胸の内に開いている暗くて大きな穴が埋められたような気がした。


 たとえそれが彼にとって意味のない社交辞令であったとしても、あの瞬間はフィオナにとって、確かにかけがえのないものとなったのだ。


《ずいぶんと絆されたものだな》


 アルタリエが不敵に笑った。


《いいだろう。あの間抜けがうっかり戦場で死なぬように、お前の代わりに我が見張ってやろう》

「アル………」


 夜目に白く浮かび上がる姿に手を伸ばし、撫でるように手を滑らせる。

 相変わらず、触れているという感覚が曖昧で、不思議な手触りだ。


 魂を分けて生まれた、フィオナの半身。

 離れてしまえば、きっと想像以上にフィオナの身は危うくなるだろう。


「ごめんね………我儘を許してくれて、ありがとう………」

《………フン。もう寝ろ。夜明けまではまだ時間がある》


 それでもフィオナは生まれて初めて、生きながら亡霊と呼ばれる自分の命に、与えられた不相応な力に、わずかな意味が生まれたような気がしたのだ。



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