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3.亡霊の主人と不遜な従者の物語

 フィオナ・スタニエは、没落しつつある伯爵家の娘として生まれた。


 祖父母は男子に恵まれず、唯一の子供だったフィオナの母が子爵家の次男を婿を迎えて、スタニエ伯爵家は後継を得た。

 よくある政略結婚だったが、フィオナが生まれる前までは大きな問題も起こらず、それなりに上手くいっていたようだった。


 歯車が狂い始めたのは、フィオナがこの世に生を受けた瞬間。

 二人の間に生まれてきたはずのフィオナの髪と瞳の色が、どちらにも似つかないものだったときからだ。

 特に、他に類を見ない不思議な光沢を帯びた白い髪は、実際にフィオナを産み落とした母にさえ眉を顰めさせた。


 短気な夫は妻の不貞を疑い罵り、身に覚えのない妻は自分を信じない夫を激しく詰る。

 元より愛情で結ばれたわけでもなく、わずかな信頼すら霧散した夫婦は瞬く間に冷え切った関係となり、諍いの元凶となった娘を疎んじて二度と顧みることはなかった。


 だから、それから四年も経たず夫妻が同じ日に連れ立って墓石に名を刻むこととなったのは、皮肉な話と言えるかもしれない。

 夜会の帰り道、夫妻が乗った馬車を引く馬が、急な落雷に驚き暴走したことによる事故だった。




 空位となった伯爵位は、父の弟が継承することになった。

 しかし実際に伯爵家の血筋であったのはフィオナの母であり、父ではない。そこで叔父が継ぐ条件として、伯爵家の正当な嫡子であったフィオナが養子として引き取られた。


 叔父は思いがけず転がり込んだ爵位を喜んだ。しかし付属品である姪の存在まで歓迎したわけではない。

 叔父夫妻が伯爵邸へ移り住んでまもなく、フィオナの部屋は生まれたばかりの従兄弟のものとなり、その日から屋敷の最奥にある物置替わりの小部屋がフィオナに許された唯一の居場所となった。



 フィオナを冷遇したのは叔父夫妻だけではない。

 当主が変わり使用人たちもずいぶん入れ替わったが、新たに来た者たちがフィオナを厚遇するような奇跡は起こらなかった。


 食事を上げ下げするために部屋を訪れるメイドは横柄な態度で最低限の作業を行うのみで、終始無言だった。

 日に一度だけの食事は十分な量とは言えず、スープに具が入っていない程度のことはよくあったし、前触れなく食事が抜かれることさえ珍しくなかった。


 他の使用人たちも、近くにいるときはフィオナの姿が見えていないかのように振る舞い、遠ざかったあとで『亡霊令嬢』、『痩せっぽちの白いオバケ』、『スタニエ家の恥』といった言葉を、密やかな嗤い声とともに囁き交わす。

 命じられたわけではなくても、使用人たちは主人の意向を正しく汲み取り、フィオナを伯爵家にとって価値のないもの、不要なものとして扱ったのだ。


 醜い姿を晒すのは伯爵家の恥になるからと、屋敷から出ることも許されない。

 囚人のように繋がれているわけではなかったが、フィオナにとってスタニエ伯爵家は、冷たい石壁に囲まれた牢獄と変わりなかった。




 しかしひとつだけ、フィオナには誰も知り得ない秘密があった。


『それ』は、フィオナがこの世に生を受けた瞬間、小さな白い光となってフィオナのもとへ現れた。


 部屋を飛び回る奇妙な光の存在を見ることができるのは、生まれたばかりのフィオナのみ。ゆえに誰に気づかれることも、排除されることもないまま、『それ』は成長するフィオナと共にあり続けた。


 奇妙な光は、頼りない蝋燭の炎のように現れたり消えたりしながら数年を経て、フィオナが叔父夫妻に引き取られてしばらく経つ頃、ぽってりとしたフォルムの小さな白い鳥の形に変化した。

 小鳥の姿になっても、フィオナ以外の誰にも見えないのは変わらなかったが。


 全身を包む羽毛はフィオナの髪色と同じく真っ白で、ふわふわとやわらかそうな見た目をしていたが、不思議なことに触れようとしてもあまり手ごたえはなく、生き物としての体温や重さも感じられない。


 寝台の上で置き物のようにちょこんと座り、フィオナの行動を絶えず目で追い続け、部屋を出るときには、そこが自分の指定席だと言わんばかりにフィオナの頭の上に飛び乗り、どこへ行くにもついてくる。


 懐いているなどという甘い雰囲気はなく、しかし片時も離れようとしない。

 それがなぜなのか、そもそもコレが何なのか、生まれたときから共にいるフィオナにさえわからなかった。


 

 六歳のとき、重い風邪をひいて伏せったことがあった。

 看病や見舞いなどあるはずもなく、高すぎる熱で、苦しみのあまり何度か死を近くに感じるほどだった。


 フィオナが死んでも、それを惜しむ者は屋敷にひとりもいないだろう。それどころか、フィオナが死んだことに気づく者さえいないかもしれない。

 それを不満に思うことはない。

 フィオナ自身も、誰かの死を悲しむことはないだろうから。


 けれど、白い小鳥だけはフィオナの側を離れなかった。

 小鳥自身もどこか具合悪そうにしながらも、目に頑固そうな意志を宿して枕元から動こうとしない。

 それを見て、確信めいた思いが心に浮かんだ。


 ーーーこの小さな鳥だけは。

 フィオナがこの世から消え失せる最期の瞬間まで目を逸らさず、すべてを見届けてくれる。


 そう考えると不思議と力が抜け、死が恐ろしいものではないようにさえ思えた。




 月日が経ち、少しずつフィオナの背が伸びるのと同じように、白い鳥も少しずつ大きくなっていった。そうして小鳥が小鳥とは言えない大きさになり、フィオナが誰にも祝われずに七歳の誕生日を迎えたその日。


《我が名はアルタリエ。お前がこの世に生を受けた日に、お前の魂を分けて生まれた存在だ。お前とともにあり、お前とともに消える定めにあるもの。……まあ簡単に言えば、我の主はお前だ、フィオナ》


 これまで鳴き声ひとつ上げたことのなかった『鳥』は突如、流暢に人の言葉を話し、フィオナを主人と呼んだのだ。

 ふんぞり返った、とても偉そうな態度で。




 アルタリエは自分がいかに偉大な存在であるか、そしてそんな偉大な自分が仕えるフィオナがいかに特別であるかを雄弁に語ったが、当のフィオナは困惑し首を傾げるばかりだった。


 ひとつだけ納得できたのは、アルタリエはフィオナから生まれた存在であるということだ。確かにフィオナの髪色とアルタリエの羽色は、まったく同じと言ってよいほどよく似ているし、アルタリエはフィオナから離れたことがない。


(じゃあ……わたしが、アルタリエの『おかあさま』ってこと………?)


 『主人』という言葉が馴染まなくても、世の『おかあさま』と子供がどのように接するのかを知らなくても、アルタリエが他の誰よりもフィオナに近い存在なのだということだけは自然と理解できた。そしてそれは、フィオナを取り巻く狭く冷え切った世界の中で、初めて確かな味方を得た瞬間でもあった。

 


 フィオナから生まれたはずなのに、どういうわけかアルタリエはフィオナの知らないことをたくさん知っていた。

 ふたりの関係も、『おかあさま』と『こども』から、あっという間に『飲み込みの遅い生徒』と『口の悪い家庭教師』へと変化した。

 もちろんフィオナが『生徒』だ。


 十歳になると、アルタリエの力を借りて空を飛ぶことを覚えた。

 フィオナが生まれて初めて屋敷の外へ出たのは、玄関からではなく自室の窓からだ。


 皆が寝静まった夜、白い翼を広げて空高く舞い上がり、満天の星空に抱かれた。

 フィオナが初めて世界の広大さと美しさを前にして感じたのは、感動ではなく、身を押し潰されるような圧倒的な虚しさだった。


 しかしそれ以来、食事を運び込む以外誰も部屋を訪れないことを幸いに、度々屋敷を抜け出すようになった。


 癒しの力が発現したのは十二歳の頃。

 外出中に傷ついた鳩を見つけて何気なく触れると、傷はたちまち塞がり、フィオナが驚いている間に、鳩はあっという間に大空へ羽ばたいていった。

 

 そして十四歳になった年、やけに鮮明な夢を見て、見た内容がそのまま現実に起こるということを幾度か経験した。

 それは『予知夢』なのだという。

 未来を知るなど、さすがに身の丈に合わない力だと感じたが、アルタリエは《我の主人なのだから、これくらい当然だ。むしろ発現が遅すぎるし、弱すぎる》と不満そうに、しかしどこか誇らしげに言い切った。



 アルタリエは時折、《力を上手く使えば、一人分の食い扶持くらいどうにでもなるだろう。クズどもには見切りをつけてここを出たらどうだ?》とフィオナを唆したが、その言葉に首を縦に振ることはなかった。


 屋敷を抜け出すときはなるべく人目を避けていたが、まれに姿を見られることもあった。

 そしてその度に苦い経験をした。

 結局、屋敷の内も外も変わらないのだ。

 どこであってもフィオナは異質な存在であり、忌避される対象でしかない。


 昨日と同じ今日、今日と同じ明日。虚ろな日々を無数に積み重ねて。

 そうすればいつか、静かな終わりへ辿り着く。


 無駄に抗わず、ただその日を待つ。

 それが、フィオナの空虚な目に映るただひとつの道標だった。

 


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