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猛き英雄騎士の敬愛は、頭に鳥を乗せた亡霊聖女に捧げられる  作者: 守野ヨル


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2.遠い景色

 風が穏やかで、冬という季節のわりに温かな日。

 フィオナはいつものように聖域のベンチに腰かけ、何をするともなくただ街を見下ろしていた。


 広い路地で年頃の近い子供たちが集まり、何かの遊びなのか同じ場所をぐるぐる走り回って、皆愉快そうに笑っている。

 男の子が躓いて派手に転んだが、他の子供たちがすぐに駆け寄り手を取って立ち上がらせると、また全員そろって元気に駆け出していく。


 また別の小道では、顔見知りらしい壮年の男性二人が立ち話を始めていた。

 髭を蓄えた男性は相手の興味を引くためか、時折大袈裟な身振りを交えている。

 途中、興奮のあまり口喧嘩をしているようにも見えたが、やがて話に熱中しながら連れ立って歩きだすと、道を曲がったところで建物に遮られて姿が見えなくなった。

 見ていたものが視界から失せて、フィオナは静かに目を閉じる。


 ここから見えるのは、当たり前でなんの変哲もない、人々の『日常』だ。

 それをフィオナは硝子玉のような灰色の瞳に映し続けている。

 静かな聖域で、来る日も来る日も。



「何をしている? 誰かと待ち合わせか?」


 ふいに響いた低くて張りのある声に、フィオナの肩がびくりと揺れる。

 聞こえ方から背の高そうな人物がすぐ後ろに立っていることがわかったが、驚きのあまりすぐには振り返ることができない。


(ここまで近づかれても気づかなかったなんて)


 景色に気を取られて、足音すら耳に入らなかった。

 ひとつ呼吸し気持ちを落ち着かせてから半身だけ振り返ると、初めに相手の足元が目に入る。

 重厚な黒のブーツに刻印された三本の剣と盾を象った紋章を見れば、全身を見ずとも話しかけてきた人物の身元は明らかだ。


(王国騎士団………きっと巡回の騎士ね。困ったわ)


 強盗などではなかっただけましかもしれないが、心境は複雑だった。

 フィオナは、他人が自分の容姿を見てどんな反応を示すかよく知っている。


 この奇妙に白い髪は、年老いた者たちが自然に身にまとう白髪とは印象がまったく異なり、ひどく人目を引く。

 ある者は驚きに目を見開き、またある者は不快そうに眉を顰める。そして皆一様に「気味が悪い」と囁き交わし、忌まわしく得体の知れないものから距離を置こうと離れていくのだ。


 職務に忠実な騎士からすれば、誰何(すいか)するにふさわしい不審な人物と映るに違いない。

 フィオナは半ば諦めて視線を街の景色の方へ戻し、抑揚の少ない声で言葉を紡ぐ。


「待ち合わせる相手はいません。………ひとりで、ここから見える景色を眺めていただけです」


 フィオナの声質と話し方は、相手に冷淡な印象を与えることが多い。

「可愛げがない」「生意気だ」と(そし)られるかもしれない。

 けれど咎められるようなことは何もしていないのだから、早く自分から興味を失ってここから立ち去って欲しい―――そんな期待を込めた言葉だった。


 しかしわずかな沈黙のあとに続けられた騎士の言葉は、思いもよらないものだった。


「君の頭の上の鳥、なかなか気性が荒そうだな。俺をすごい目で睨んでる」

()?」


 思わずぐるりと勢いよく顔を巡らせ、はずみでフィオナの髪がぱっと広がる。急な動きで、頭の上に鎮座していたアルタリエが驚いたように一瞬羽ばたき、忌々しげに抗議の声を上げた。


 すぐ後ろに立っていたのは、驚くほど背の高い騎士だった。

 ベンチに座ったまま無理に顔を見上げると、首を痛めてしまいそうなほどに。


(……あ………)


 冬の陽光に照らされた鮮やかな髪色が、目に飛び込んでくる。

 少し癖があり、ゆるやかに風になびく様は、炎の揺らめきを思わせる。

 その鮮烈な眩しさに見覚えがあった。


(あのときの、酔っ払いのひと………)


 フィオナは驚きを隠しきれず、不躾なほど騎士の顔を見つめた。

 名匠が心血を注ぎ命を吹き込んだ彫刻のごとき見事な体躯に、名誉ある王立騎士団の漆黒の騎士服が美しく映える。堂々とした立ち姿は、酔いつぶれてベンチで眠り込んでいた人物とは別人のようだ。

 骨ばった輪郭だが野暮ったさはなく、意志の強さを伺わせる太めの眉と通った鼻筋が印象的だった。

 なぜか彼の方も、強い光を放つオリーブグリーンの瞳を大きく見開き、フィオナと鏡写しのように驚きの表情を浮かべてフィオナを真っ直ぐ見下ろしている。


(いけない。不快にさせてしまったかも)


 フィオナは視線をはずして俯き、肩に広がった髪を無意識に手で押さえた。

 『鳥』と言った騎士の言葉を、あえて聞かなかったように受け流す。


「あの、騎士様………髪に何枚か、木の葉が絡んでいますよ」

「………ああ、そうか。ありがとう。途中、何度か枝に引っかかってな」


 騎士は現実に引き戻されたように瞬きをし、大きな手で乱雑に頭を払った。

 陽を受けて金赤に輝く髪から、枯れ葉がハラハラと落ちる。


「うん……取れたか? やれやれ、厄介な道だったな。木が生い茂って薄暗い場所もあるし、視界が遮られて方向も見失いやすい。危なくなかったか?」

「わたしは……慣れていますから。それで、なにか御用でしたか?」


 フィオナが騎士の髪に残った一枚の葉を見ながら尋ねると、騎士はここへ来た理由を思い出したのか、表情を改めた。


「先程この近くで捕り物があってな。賊は全員捕えたはずだが、取りこぼしがないか念のために周囲を見回っている。不審な人物は来なかっただろうか?」

「いいえ、誰も。今日ここで見たのは、騎士様が初めてです」

「そうか。それなら問題ない」


 フィオナの言葉を疑う様子もなくひとつ頷くと、騎士はフィオナの視線を追って最後の葉を髪から払い落とす。

 そして広くない『聖域』をぐるりと見回し、大翼の女神像を見上げた。


 立ち姿が泰然として、芯が通っている。

 潜んだ賊を警戒中のはずだが特に構えた様子はなく、しかしながら安易に手を出すことを許さない覇気のようなものが全身に漲っていた。

 たとえこの瞬間に茂みから賊が飛び出し切りかかってきたとしても、彼ならば苦もなく対処できてしまう気がする。


(おそらくこの騎士様、かなりお強いのね)


 なのに酔って寝入っていた無防備な姿が自然と思い出されて、フィオナは思わず緩みそうになった頬をあわてて押さえた。

 短い沈黙の間に聖域を囲む木々に風が渡り、さわさわと乾いた音を立てる。


「女神像か………。木に隠された道が、こんな場所へつながっていたなんてな。今まで気づかなかった。慣れていると言ったな、よく来るのか?」

「そうですね。来られるときは」


 どうやって来ているかはともかく、頻繁に訪れていることは間違いないので素直に頷く。

 それを見た騎士は意味ありげにちらりとフィオナの頭の上に目線を送ったあとで、もう一度フィオナに視線を戻した。


「ならば二週間ほど前、ここで酔っ払いを介抱した者を知らないだろうか?」


 不意打ちに、ドキリと鼓動が跳ねる。


 あの日はっきりとしない意識の中で見たものを、単なる夢だと思ってはくれなかったらしい。その上で、こんな場所へ来る人間などほとんどいない現状を知れば、誰を一番に疑うべきなのかは幼子でもわかることだ。


 フィオナは決して善人などではない。あの日彼を治癒したことは、気まぐれのようなものだ。

 不思議とそれを軽率だったとは感じなかったが、それでも。


(この力は、誰にも知られてはいけないから)


 他人と交わらず、世情を知っているとは言えないフィオナだったが、これまで同じような力を持っている人間を見たことは一度もなかった。


 人は、異質な存在を許容しない。

 見目だけでも十分な嫌悪の対象であるのに、奇異な力を持つ者として暴かれ衆目の中に引きずり出されれば、どんなことになるのか想像もつかない。


「さあ、どうでしょう。あまり覚えがありません」

「本当か?」

「………は、い」


 奥底を見通すように向けられる眼差し強さに気圧され、目を伏せる。

 心にやましいことを抱えた者そのものの仕草から、偽りを述べたことは明らかだっただろう。

 職業柄尋問に慣れている騎士に詰られるかと覚悟したが、どういうわけか彼は目元を大きな手でぱちりと覆い、意外なほど弱った声を出した。


「すまない。怖がらせたなら許して欲しい。俺は目つきが悪いらしくて、子供と話すと泣かれることも多いんだ。今のは騎士としての尋問じゃなくて、個人的な質問だ。無理に答える義務はないし、本当に知らなければそれで構わないんだ」

「………ごめんなさい……わかりません」


 正直に話すことができないフィオナに気を悪くした様子もなく、騎士は目元に置いていた手を外して明るく笑った。


「謝らないでくれ。残念だが、知らないなら仕方ない。………ところで、こんな人気(ひとけ)のないところに君のような子がひとりきりか? 連れはいないのか」


 話題を変えてくれたことにほっとしながらも、道に迷った子供に「親はどこだ」と尋ねるような口調で聞かれてフィオナは少し返答に困った。


「確かに、騎士様ほどの年齢の方から見れば、十五歳は子供のうちかもしれませんが………」

「なに? 十五⁈ あ、いや、子供だと思ったわけではなくてだな」


 騎士は鋭かった目を丸くしてあわてて手を振ったあと、気まずそうに太い眉を下げる。

 女性は十六歳で成人とされるので十五歳は確かに大人とは言えないが、騎士のあわてぶりからすると、ずいぶん幼く見られたのかもしれない。気にしていないという意志表示のために、小さく首を振ってみせた。


 確かにフィオナは小柄な上、生気を失った枯れ木のように細い。女性らしい丸みはなく、外見だけで判断すれば、本来の年齢よりもずっと幼く見えたとしても不思議ではない。

 ただ、言葉遣いや仕草、そしてなにより感情の起伏の乏しい表情は、瑞々しい子供らしさ、愛らしさとはほど遠い。

 だからこそ余計に、フィオナの年齢は読みづらいかもしれない。


「連れはいません。ここへはいつもひとりで来ていますから」

「しかし………長くひとりでいるのは不用心だ。特に今日は近辺に賊が出たばかりだ。家の者が知れば心配するだろう。あまり遅くならないうちに帰った方がいい」


 治安を守る巡回騎士らしい自然な言葉だったが、それを聞いたフィオナの表情から、わずかに浮かんでいた感情らしきものがすうっと抜け落ちた。

 人形のような灰色の瞳を騎士から逸らすと、再び街の景色に目を向ける。

 彼方の空は青みが薄くなり、やわらかな橙色が滲み始めていた。


「ご忠告、感謝します。そろそろ戻らなければと思っていたところでした」

「………ああ。気をつけて帰ってくれ」


 短い受け答えのあと視線を向けずにいると、しばらくしてそれ以上話すことはないと思ったのか、背後でブーツの鳴らす足音が遠ざかっていくのがわかった。

 フィオナが少しずつ暮れてゆく空を視界から締め出すように目を閉じると、鮮烈なオリーブグリーンが焼き付いたように瞼の裏に浮かぶ。


(あの騎士様にはきっと、『心配してくれる人』と『帰る場所』がある。だから、わたしにも同じようにそれがあると疑わないのね)


 フィオナの身の安全を気にかける者など、どこにもいない。しかし屋敷を抜け出したことに気づかれてしまえば、罰を受けることになるだろう。

 だから戻らなくてはいけない。あの、風雨をしのぐ以上の意味を持たない、閉ざされた場所へ。


「行こうか、アル」


 フィオナの背に一対の翼が音もなく現れ、大地からふわりと足が離れた。




次話は明日投稿予定です。


よろしくお願いします。

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