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17. 望まぬ再会、そして望まぬ提案

 泣き過ぎたベルナール司教はしゃっくりが止まらなくなってしまい大変だったが、長年の荷を下ろし表情は晴れやかだった。


「非礼をお許しください。約束は決して破らないと、私の命と信仰に懸けて誓います。このご恩は……生涯忘れることはありません」


 指輪を通した銀鎖を再び大切そうに胸元へ仕舞い、安らいだ笑みを浮かべる。

 司教は何度も深く頭を下げ、フィオナとリオネルに災厄を払う祝福の祝詞を念入りに授け、次はヴィシュタでお会いしましょうと笑顔で別れを告げた。



 傾きかけた陽と影のコントラストに美しく浮かび上がる教会が、馬車の窓枠で切り取られた景色の中で遠ざかり、小さくなっていく。


「………これで……よかったのかしら………」


 フィオナは窓の外に目を向けたまま、無意識に呟く。

 それは奇しくも、行きの馬車の中で発したものと似た言葉だった。


 思いがけず、ベルナール司教の王族時代の知識が、フィオナの生まれ持った力の謎を紐解いた。


 しかし実際のフィオナは伝承に記された偉大な聖女とはかけ離れていて、彼は少なからず落胆したはずだ。指輪の濁りが見えなかった司教には、白い浄化の光も意味のない小手先のまやかしに感じたかもしれない。

 そのまやかしかもしれないものでさえも『救い』になると、彼は信じたかったのだろう。


()()の聖女なら、すべてを救えたのかな。その女性の魂を女神様の元へ導いて、病人も、怪我人も治して、国を跨ぐ戦争すら収めて……)


 答えのない問いに囚われかけた独り言を、リオネルが掬い上げる。


「大丈夫だ。三十年もの間自分を責め続けて、司教殿ひとりではもう身動きがとれなかったのだろう。たとえ『奇跡』が彼の望みのすべてを叶えたわけではなくても………それでも、伝承の聖女の再来と救済は、司教殿の………いや、あのふたりの物語の救いになったのだと、俺は思う」


 武骨な掌が白い髪に触れて、慰めるように頭を撫でた。

 優しい手と言葉が頑なな心を溶かすようで、フィオナは少しの間目を閉じ、その心地よさに浸る。


「しかし……俺を助けたことで、また君に迷惑がかかってしまったな。すまない」

「わたしが望んで、勝手にしたことです。お願いですから、謝ったりしないでください」


 もし、あのときのフィオナの力がわずかでも足りなかったら。

 ベルナール司教が三十年抱え続けてきた苦しみと同じものが、フィオナに圧し掛かっただろう。


 実現しなかった恐ろしい予知を思い返し、あらためて背筋が冷える。


(そんなことが起こったらきっと、わたしには耐えられない)


 ここにいるリオネルが、幻だったりはしないだろうか。本当は予知が実現し、自分は耐えきれず正気を失い、都合の良い夢に逃げ込んだのではないか。


 浮かんだ恐ろしい考えを打ち消し、今目にしている幸福が現実だと確かめたくて、隣に座るリオネルを不安に揺れる瞳で見上げる。フィオナの動揺を察してリオネルは一瞬目を丸くしたが、夕陽が目に入ったのか、眩しそうに眼を眇めた。


 白い髪を掬っていた指が伸ばされ、フィオナの頬をつうっと撫でおろす。

 わずかな刺激だったのに不必要なほど身体がびくりと揺れ、フィオナは自分でも驚いた。


「フィオナ………」


 名を囁いた声が掠れて吐息に変わる。

 オリーブグリーンの瞳の奥に揺らめく熱が、束の間呼吸を忘れさせた。

 本能的に身体が逃げ道を探したが、馬車の中でこれ以上の後ろなどあるはずもない。


(目、が、離せない)


 絡め取られる。


 そう思った瞬間、大きな音を立てて馬車が揺れ、ふたりの身体が跳ねた。

 咄嗟にリオネルがフィオナを強く抱き込み、衝撃から庇う。

 油断なく鋭い視線を窓の外に向けたが、馬車はカタカタと不規則な振動をさせながらも速度を落とし、速やかに停車した。


「何があった」


 やや強い口調でリオネルが声を掛けると、外から弱り切ったランバート家の御者の返答が返ってくる。


「申し訳ありません。落下物を踏んでしまいました。車輪を少し確認した方がよさそうです」

「わかった。私も見てみよう。………フィオナ、怪我はないな?」


 フィオナの無事を確かめ、リオネルは馬車を降りていった。

 調べたところ、替えの馬車を用意するほどではないものの、車輪に応急処置が必要だったようだ。

 リオネルはフィオナも下車させ、道沿にざっと目を走らせる。そして止めた馬車のすぐ前にあるひとつの店の扉を指した。


「長くはかからないから、少しの間そこで時間を潰していてくれないか。馬車の補修が終わり次第迎えに行く」




 ******




 フィオナがそっと扉を開くと、ドアベルがチリリ、と涼やか鳴った。


 そこは宝飾店だった。

 間口はあまり広くないがそれなりに奥行きがあり、奥では店主らしき人物が先客の相手をしているようだ。

 商談の邪魔にならないように、フィオナは静かに店内を歩き始めた。


(わあ……)


 灰色の眼を見開き、感嘆の息を漏らす。


 内装は落ち着いていて、時代を感じさせる古めかしさがあった。

 硝子製のショーケースに並ぶ宝飾品は、祝勝会の会場で貴婦人たちが身に着けていた、財力を誇示するための豪奢な首飾りやイヤリングなどとは違って、宝石の大きさは控えめでデザインも華奢で繊細なものが多い。


 フィオナはこれまで身を飾るものに興味を持ったことなどなかったが、ここに並ぶ品々はどれもが美しく、品があり、心惹かれる。

 そして。


(蝶の姿の精霊が、こんなにたくさん………)


 夕刻、暗くなり始めた店内を淡く照らすように、色とりどりの精霊がひらひらと優雅に舞っている。自然の美と人工の美が混じり合う、幻想的な光景だった。


 人が頻繁に出入りするような場所には精霊が寄り付かない場合が多いが、ここは違うようだ。


(そういえば)


 アルタリエと外出した先でフィオナの周囲に精霊がいることは珍しくなかったが、そんなフィオナでもスタニエ家の中で精霊の姿を見ることはなかった。

 今思えば、精霊の好まない濁った気配があの屋敷に満ちていたのだろう。



(なにかしら?)


 ひとつひとつショーケースを見て回るうちに、ある一角がフィオナの目を引いた。

 たくさんの精霊が集まり、そこだけひときわ明るく見える。まるで、甘い花の蜜に誘われ幻の蝶が群がっているかのようだ。

 近づいてそっと覗き込むと、集っていた蝶がその場をフィオナに明け渡すようにふわりと飛び立った。


 そこにあったのは、ルースストーンの陳列棚だった。

 まだ宝飾品として完成されていない裸石は、顧客の希望に合わせて首飾りにも、指輪にもなる。


 そのひとつに、フィオナはたちまち目を奪われた。


(これ……)


 深いオリーブグリーンに輝く、美しいシェイプの宝石。

 名前もわからないが、フィオナの最も愛する色彩に、あまりにも似ている。


(なんて綺麗なの………)


 引き込まれ、息をするのも忘れて宝石を見つめていたフィオナは、不躾に近づく気配にすぐには気づけなかった。ショーケースの周りを飛んでいた精霊たちが突然パッと散って姿を消し、フィオナは驚いて顔を上げる。


「………フィオナ・スタニエ……か?」


 背後に立っていたのは、先程まで店主が応対していた金髪の青年だった。

 貴族には昔から金髪碧眼を貴ぶ風潮があり、そのためか実際にその色を身に持つ者は意外に多い。

 だから、色の明るさ、鮮やかさに違いはあっても、ただ金髪というだけでは特別に目を引く特徴とは言えなかった。


 目の前の青年もそのようにありふれた金髪で、顔立ちにも特筆すべきところはない。

 誰だろうと一瞬思いかけたが、フィオナはその人物の声にだけは覚えがあった。


(この方………ジュリオード様だわ……多分)


 叔父に命じられ黙して座っていただけで成立し、長い空白期間の末、再会した日に破綻した無意味な婚約。


 婚約していた期間、彼がフィオナに興味を向けたことなどなかったが、フィオナこそジュリオードに無関心だったため、記憶に残るほど彼の顔を見た覚えがない。

 ゆえに、フィオナの中でジュリオードの容姿は、ぼんやりと掴みどころのないものとなっている。

 しかし、祝勝会でフィオナを下げて得意げに話していた声だけは、わずかに印象に残っていた。


「その髪の色……、フィオナ・スタニエだよな? なんでこんなところに? ふーん……君、そんな顔だったんだな」


 ジュリオードは宝飾品の見分でもするように、周りを歩きながら無遠慮にフィオナの外見を観察している。


「見るたびにおかしな化粧をしていたから、気づかなかったよ。そうやって身形を整えれば、なかなか見られるじゃないか。白い髪も薄汚れて汚いと思っていたけど………うん、悪くないな」


 にやにやと下卑た笑いに、フィオナは自分の表情がはっきりと曇ったのを感じた。


「家を追い出されたと聞いたけれど、金持ちの後見人(パトロン)でも引っかけたのかい? たいした手腕だな。そうだな……ここで会ったのも、何かの縁だろう。平民を家に入れるわけにはいかないけど、愛人にならしてやってもいいよ」


遅くなりました。


残り話数も少なくなってまいりました。

よろしければ最後までお付き合いください。

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