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14 食らいやがれ、怒りの鉄拳!

お読みいただきまして、ありがとうございます!

あまりのことに、わたしは動けなかった。


「あーはっはっはっは。ざまぁみろレベッカっ!」


 静まり返った会場に響く王太子殿下の高笑い。


「ひどい……」と声を上げたのは、わたしではなく、招待客のご令嬢たち。


 わたしは、動けなかった。


 声も出なかった。


 ドレスに、ワインの赤黒い色がしみ込んでいく。


 それをただ、茫然と見ているだけ。


 衝撃が大きすぎて、体も感情も動かない。


「生意気な女め、思い知ったかっ!」


 調子に乗った王太子殿下が、わたしの頭にもワインをかけてきた。


 髪や顔に流れる赤ワイン。


 酸味のある香り。いや、芳醇とか言うんだっけ、こういうの。


 余計な思考だけが、空回りする。


 頭にかけられたワインが髪や頬を伝って滴り落ちて、更にドレスを濡らした。


 わたしは、別に、いい。


 顔や髪なんかは構わない。


 だけど、このドレスは。


 このドレスだけは。


 ベルナールお兄様に贈っていただいた。


 お父様にもお母様にも褒めていただいて、みんなでダンスを踊った。


 幸せだった。


 なのに。


 ぎり……と、奥歯を噛む。


 ようやく、怒りが、感じられた。


 沸き上がったそれは、急激に大きくなる。


 抑えきれない。


 ……いや、抑える気もない。


 ゆらりとした動きで、わたしは拳を構え、脇を締めた。目線を王太子殿下に向ける。


 左足を、一歩、踏み出す。


 と、同時に、腹の奥底からの咆哮を上げた。


「このクソ野郎があああぁぁぁあっ!」


 淑女の言葉使いなんて、できない。


 うなりを上げるほどに右腕を振る。その右の腕に、力をこめて、わたしは容赦なく、王太子の顎をぶん殴った。


 王太子殿下は、わたしに殴られるなんてことを、想定もしていなかったのだろう。そのまま横に吹っ飛び、更には床に倒れこんだ。


「お兄様がわたくしにプレゼントしてくださったドレスなのに……っ!」


 わたしの両目から、ボロボロと涙がこぼれた。


 誕生日パーティとか、大勢の招待客の前とか、そんなこと、全然考えられなかった。


 ただただ、悔しかった。


 ベルナールお兄様からのドレスが、王太子なんかに汚されたことが。


 倒れたままの王太子を、更に踏みつけてやろうとも思った。


 だけど。


 ……こんなやつにかまっていられない。


 わたしは全力で、パーティ会場から駆け出した。


 注目を浴びているのにも気にもせず、大階段を走る。わたしの部屋まで全力で、だ。


「だれかっ! 早くっ!」


 階段を、廊下を走りながら、侍女を呼ぶ。


「ドレス、脱がせてっ! お願いよっ! 洗って、きれいに戻して……っ!」


 泣きながら、わたしは狂ったように何度も何度もそう叫んだ。





   ☆★☆




 わたしの部屋で、急いでドレスを脱ぐ。下着姿のまま侍女にドレスを渡す。


「これは……、洗っても落ちないかもしれません……」


 侍女が申し訳なさそうに顔をしかめる。


「どうして……?」


「洗濯の担当の者に申し付けますが……、赤ワインですからね……」


 わたしは声を上げて、泣いた。


 泣いて、泣いて、喚いて、絨毯の上にうずくまって、床を拳で叩いて……。


 それでも悔しさは収まらない。涙も止まらない。


 そうしていたら、コンコンコン……と、扉をノックする音が聞こえてきた。


「入ってもいいかな?」


「……お、にい、さ……ま」


 扉から、わたしのほうを見たベルナールお兄様は、ほんの少しだけ顔をこわばらせた。そうして、着ていたジャケットを脱いで、それを手にわたしのほうへとやってきた。


 お兄様のジャケットが、わたしの肩にかけられる。


「……少し大きいかな? だけど着ていてくれるかい?」


 レースも刺繍もフリルもある下着なんて、装飾性も高いし、元日本人の私の感覚からすれば普通のワンピースを着ているようなものなんだけど……。やっぱり、ベルナールお兄様のような紳士からすれば、凝視してはいけないと思うような姿なのだろう。視線も少しだけ逸らしてくださっている。心なしか、ベルナールお兄様の頬もうっすらと赤い。


 ……ホント、こういうトコロ、わたしはやっぱり淑女じゃない。いくら努力しても、きっと駄目なのかも。


 ああ……、わたし、すごい落ち込んで、ネガティブになっている。


 のろのろと、ベルナールお兄様の上着に両腕を通して、ボタンを留める。


 いつものわたしだったら「お兄様の服~」とか喜んでしまうのに、ね。


 駄目だ、感情がすごい沈み込んでいる。


「……先ほどのことは、婚約者同士のちょっとした諍いということになった」


「ワインをかけられて、殴ったのに……」


 あれがちょっとした……ね。


 何人ものご令嬢が「ひどい……」と顔をしかめていたのに。


「私としては、どうも違和感を覚えるのだが。招待客たちは何事もなかったかのようにあっさり帰宅した。父上たちも、殿下を止めることもなくぼんやり見ていただけで……。しかも、若い婚約者同士では、コミュニケーションも派手だ……などと苦笑していて……。ケンカをするほどに仲が良い証拠だとか……」


「そんなこと、あるはずはないですよ」


「そう……だな。レベッカはローラン王太子殿下のことは……」


「大が付くほど嫌いです。わたし、殴ったことを後悔なんてしていないです。本気で怒って、ムカついて……。婚約なんて、本音を言うのなら、さっさとなくしてしまいたいです」


 即答した。


「……ではなぜ、父上と母上は……、いや、陛下たちも……レベッカと殿下は仲睦まじいなどと誤解をしたままなのか……」


 ベルナールお兄様は考え込んだ。


 このとき、わたしは本気で悔しくて悲しくて、そして落ち込んでいた。


 だから、一人称だって、「わたくし」ではなく「わたし」と言ってしまっていた。 


 口調だって、お嬢様っぽくはない。「ムカつく」とかも使ってしまった。


 言葉に出してから、気が付いたけど。なんかこう……もういいやっていうか、ちょっと自棄的な気分もあった。


 だから、わたしは言ってしまった。


「ああ……、いわゆる物語の強制力ってヤツがいろんなところに働いている結果だと思います。ローラン王太子殿下が、公衆の面前でレベッカに対して婚約破棄を宣言して、それから、物語のヒロインであるエーヴ嬢と真実の愛だのなんだの言わないと、次のステージには進めないんですよきっと。だから、お父様もお母様も、わたしが王太子殿下に断罪された後、そこでいろいろ気が付く流れなんだと思います。それまでは、なにがどうあろうとも、誤解は解けない……」


 強制力でなければ、おかしいところがいくつもあるでしょ。


 まず、王太子を殴ったりしたら、不敬罪だの暴行罪だので、わたし、今頃牢屋にでも入れられているわよ。ワインをかけたほうにも非があると言っても、あっちは王太子殿下なんだから。なのに、婚約者のまま。咎めることもされないで、単なるちょっとした諍い程度に受け取られる。


 お父様とお母様だって、レベッカを大事にしてくれているのよ。ワインなんてかけられて、怒らないはずがないのに。大したことでもないように受け取っている。


「きっと今回は、ヒロインが不在だったから、現状維持でなければならないのでしょう。わたしがまだローラン王太子殿下の婚約者でいなければ、ストーリーが破綻する……とかなのかな」


 多分だけど、ヒロイン・エーヴ嬢がいないところでわたしが断罪されても、ストーリー的に無効、なんだろうね。


 だって、悪役令嬢を断罪する目的は、本来なら王太子妃になんてなれもしない下級貴族の娘とか平民の娘を、真実の愛だとかなんだとか理屈をつけて、王太子と結ばれるようにしようってことだもんね。


 ヒロイン不在で、悪役令嬢を先に断罪したら。


 王太子と悪役令嬢はお別れできるかもしれないけど、王太子殿下はヒロインと結ばれる方向へ物語は進みづらい。


 とにかくそういうことで、わたしと王太子殿下の婚約関係が、今はまだ、継続なんだろうあって、わたしは勝手に理解している。


 転生の女神様だって、レベッカの断罪必須……的なことを言っていたし。


 婚約破棄までは、どう転んでも、ストーリーを変えることはできないんだろうな。


「ちょっと待てレベッカ。強制力? ヒロイン? ストーリーが破綻? 一体何を言っているんだ?」


「あー……」


 別に今まで、積極的に隠そうとしていたわけじゃないし。


 わたしは死んで、そしてレベッカになったんだから、もうレベッカとして生きていくのが当たり前っていう程度で、転生とか、前の人生とか、あまり深く考えていなかっただけで。


 隠していたわけじゃなくて、言葉に出す必要がなかっただけ、なんだよね。 


 それにここまで言って、黙っているほうが思わせぶりだよね。うん、言っちゃえ、言っちゃえ。


「ここは……ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下とヒロインであるエーヴ嬢が真実の愛を育むための世界なんです。そのために『悪役令嬢』レベッカ・ド・モンクティエが王太子殿下に婚約破棄を叫ばれて、断罪されて、罰せられるという運命が決まっているんですよ」


「レ、レベッカ……? なにを言っているのかい……?」


 さすがのベルナールお兄様っも、ここが乙女ゲームの世界で、決められたストーリーがあるなんて、即座にはご理解はできないわよね……。


 というか、理解できたら、逆にすごすぎるんだけど。


 それよりも……、お兄様はどうして……招待客たちと同じく『何事もなかったかのように』スルーしたり、お父様たちみたいに『誤解』をしないでいられるのだろう。


 わたしにとってはそちらの方が不思議だった。


 ええと……わたしが多少なりとも原作を改変した部分があって、その影響とかなのだろうか?


 そもそも、元の乙女ゲームのシナリオに、レベッカが王太子殿下を拳で殴るなんて……ない、よね? 元々の『乙女ゲーム』のシナリオを、わたしが知っているわけじゃあないから、断言はできないけど。


 レベッカは侯爵家のお嬢様。


 拳で殴るのはないはずだ。


 したとしても、せいぜい平手打ち、もしくは扇で叩く程度。


 わたしが原作と違う行動をとって、それの影響で、元々の『乙女ゲーム』のシナリオとはかけ離れて、そして……ベルナールお兄様が、わたしのことを疑問に思ってくださった……?


 だったら……、原作の改変を、もっともっとつき進めてしまったらどうなんだ?


 ふと、思った。


 少なくとも、わたしは原作通りの動きはしていないはず。ベルナールお兄様だって、きっとそうだ。


 紙芝居事業とかもわたしが行ったこと。元々のレベッカにはそんな発想はないだろう。


 だったら……。


 わたしはほんの短い時間だけ、考えた。


 そして、言った。


「お兄様、ごめんなさい。わたし、本当はレベッカじゃないの」



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