防衛戦
船は夜明けと共に着港したが、出迎える者はいなかった。
季節の花の香りがする。懐かしい風が吹いている。それでも人の声はなく、イリスは立ち尽くしてしまった。
「血の臭いはしない。皆どこかに隠れているはずだ」
ギルベルトが冷静にそう告げ、少しだけほっとした。殺戮は行われていない。カイたちが危険を知らせてくれたおかげだろう。
しかし、彼らも姿を見せないということは、やはり何かが起きている。
周囲には魔物の気配はない。以前ギルベルトに教えてもらった痕跡も見当たらない。
奴らは獲物を求めているはずだ。だったら、どこに――
慎重に進軍し、王都に差し掛かる。その先頭をいくイリスとギルベルトの眼前に、一羽のハヤブサがまっすぐ飛来した。
降り立ったそれは人の姿へと転じる。ベールアの軍服を着た青年で、険しい顔つきからただごとはないと察せられた。
「申し上げます! 王都近郊に魔物が多数発生! 王城は包囲されており城壁の一部が損壊、間もなく突破される見込み! お急ぎください!」
予想以上の深刻さに、皆が息を飲んだ。イリスはたまらず青年に詰め寄る。
「お父様……国王陛下は? 王子と王女は無事だろうか?」
「ご無事です。ただし、今のところはですが……」
そう言って青年は視線を落とした。
「王族の方々には上空から脱出していただくよう進言いたしました。しかしながら、どなたも頷いてはくださりません。民を置いて逃げるわけにはいかぬ、と」
足を悪くする前は父も優れた剣の使い手であった。戦うつもりなのだろう。
守るべきもののために留まっている。助けがくるのを信じて耐えているのだ。
「獲物が多く集まっているのを理解して王城に集中しているんだろう。かなり知恵をつけているはずだ」
ギルベルトの言う通り、知恵をつけた魔物は厄介だ。人の姿をとられれば接近にも気づきにくい。――しかし。
「王城に集中しているなら、その背後から突く。皆、力を貸してくれるだろうか?」
イリスが兵たちに呼びかけると、彼らは剣を掲げて声を上げた。
「兄上が育てた兵だ。放って置いても存分に働いてくれる」
それはギルベルトなりの信頼なのだろう。彼は兵たちを顧みることなく、黒い狼へと姿を転じた。
「難しいことはない。目の前に現れた敵を最後の一匹まで潰す。それだけだ」
言い置いて彼は駆け出す。標的のいる場所がわかった以上、一刻も早く駆けつけるためだ。
イリスもまた聖剣を抜き放ち、戦闘装束を身に纏って走り出した。
どうか間に合ってと強く念じながら。
◇◆◇◆◇
崩れた城壁から、また一匹の魔物が入り込んできた。牛とコウモリが混ざり合ったような姿の魔物だった。
セパヌイールの騎士団長がその頭を切り落とし、何度も刺して核を潰す。
イリスが去った後、任を継いだとあって肝の据わった女剣士であった。それでも、数の多さに手が回らなくなってきている。
巨体を持つ魔物が今もなお城壁への体当たりで突破口を作ろうとしていた。そのたび地震のような揺れに襲われ、避難民たちが悲鳴をあげる。
魔物が城内に入り込んできたことで、人々はその身分にかかわらず城の中心に詰めかけていた。子供と老人を奥へと押し込み、動ける者は各々が武器を手にしている。
国王と王子は並び立ち、最後の盾となっていた。
だが、そこまで辿り着かせない。カイは両手で素早く印を結び、ねずみに似た姿の魔物に炎の矢を浴びせる。
カイが連れてきた部下たちも城内にて応戦中だ。誰がどこで何をしているのか、連携も取れなくなってきている。
滴り落ちる汗を乱暴に拭った時だった。人々が避難している広間から轟音が響き、恐慌した悲鳴が渦巻いた。
カイは慌てて広間に飛び込む。するとそこには割られた天窓から入り込んだ魔物が壁に張り付いていた。馬の頭を持つ、カエルのような姿だった。
ぎょろぎょろと動く目が怯える人々を睨め回す。まさか上から来るなどとは思っていなかったために、対処が遅れた。
馬の口から長い舌が飛び出す。赤ん坊を抱えた女がその先にいた。
「危ない!」
声をあげ、女に覆い被さったのはすぐ傍にいたクラリスだった。長い舌は彼女の胴に巻き付き、軽々と引っ張り上げる。
「クラリス!」
国王と王子が駆け寄ろうとしたが手は届かなかった。ばねのように縮んでいく舌はそのまま魔物の口へとクラリスを運び――彼女の手を、半獣化したカイが掴んだ。
「させるか!」
翼を翻し、魔物の目に蹴りを入れる。すると舌が緩んでクラリスは解放された。
「あ、ありがとうございます」
カイに抱えられたクラリスが目を白黒させながら礼を言う。しかしカイはそれに答えることができなかった。攻撃されたことでカイに狙いを変えた魔物が、何度も舌を伸ばしてくる。
「くそっ、俺は羽虫じゃねぇっての!」
クラリスを抱えたままで縦横無尽に飛び回る。しかし天井が高いとはいえ屋内だ。行動範囲は限られている。そのうえ、いつ魔物が他の人々へ狙いを変えるかわからない。
せめてクラリスを安全なところへ――
そう考え、わずかな隙が出来てしまった。カイの足首を魔物の舌が捕らえる。
まずい、と感じた瞬間だった。割れた天窓から黒い影が飛び込んできて、長く伸びきっていた舌を断ち切る。
床に落ちたカイは、それでもクラリスだけは守った。痛みで視界が歪むものの、そこに見えた姿に思わずにやりと笑った。
「遅いんだよ、ったく」
半獣化したギルベルトが魔物の身体を両断し、彼に次いで飛び込んできたイリスが聖剣で核を潰す。
それを見届けたカイは、クラリスが呼ぶ声を聞きながら意識を手放した。




