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一計を案じる

 ミーチャというのは愛称で、本名はドミトリーなのだという。

 聞かされた二人の境遇は厳しいものだった。そして、彼らの母がすでに亡くなっていることを伝えなければいけないのは、イリスにとっても辛いことだった。

「そうですか……」

 弟を抱き、項垂れるミハイルは、それでも気丈にそう答えた。

 ミハイルは王家の侍従によって後宮から連れ出されて以降、母と弟には会っていなかった。しかし母親は何らかの方法で息子の行方と彼に課せられた使命を知ったのだろう。

 幼いドミトリーを連れ、後宮を脱出し、ミハイルを止めるためにベールアを目指した。

 しかし元々弱っていた彼女の身体は長旅に耐えられず、船上で命を落としてしまった。

 ドミトリーが男性を怖がるのも、きっとミハイルを連れて行った侍従たちに対する恐怖心からだ。

「弟を保護してくださって、ありがとうございました」

「礼を言われるまでもないよ。それに、これで君を縛るものは何もなくなったんだ。これからは自由だよ」

「いいえ、そういうわけにはいきません」

 イリスの言葉をミハイルは否定した。話を聞いていたカイがそれに同意する。

「マナルフから迎えの船が来るんだろう? 王子って肩書きのミハイルを帰さないとなれば、ややこしいことになるぜ。今回の件を突きつけて拒否したって、しらを切られて終わりだろうしな」

「その通りです。だから僕は帰ります。これ以上、皆様にご迷惑は掛けられない。でも……ミーチャだけは、ここに置いてやってもらえませんか? どうか、お願いします」

 頭を下げるミハイルに、ドミトリーがしがみつく。幼いながら、また兄との別れが――その先に兄の死が待っているのを察しているようだった。

「そんな……。殺されるのをわかっていて、帰すなんてできないよ」

 役目を果たせなかったミハイルは、マナルフに帰れば役立たずとして処される。それはカイもわかっているようで、彼にしては珍しく渋い顔をしていた。

「俺だって助けてやりたいさ。だが、マナルフはそれなりに大きい国だ。こじれて戦にでも発展すれば、いくらベールアでも損害は出るだろうな」

 目の前にある命を救いたい。それは決して間違いではないはずだ。けれど、ひとりを救うための行動がやがて大勢の命を奪うことに繋がるのだとしたら、感情のままに動くことなどできない。

 それでも諦めきれなくて、イリスはギルベルトに視線を向けた。

 先ほどから黙ってミハイルの話を聞いていた彼は、長い思案の後、ようやく口を開く。

「ひとつだけ、方法がある」

「本当に!?」

 見出した光明にイリスは縋る思いだった。しかしギルベルトは難しい顔をしたままで言葉を続ける。

「ただ……説得しなければいけない奴がいる」


 ◇◆◇◆◇


 収穫祭当日、帝都に近い港にマナルフの軍艦が現れた。

 曰く、ミハイルの母が倒れ、危篤となったため一時帰国させるという。

 すでに帝都の宮殿にて待機していたミハイルは、その口実を憎々しい思いで聞きながら何も知らぬふりを通した。

 状況が落ち着き次第、再びベールアに送り届けると使者は言っていたけれど、その約束は守られない。ミハイルも何らかの理由で夭折したとして、また誰かに同じ任を負わせてベールアに送り込んでくるつもりだ。

 ミハイルが乗り込んだ船は逃げるような速度で外洋へ出た。収穫祭ということもあり、漁船も今日ばかりは操業を停止しているらしく、ひどく静かな海だった。

「追ってくる船影はありません」

 見張り台で望遠鏡を覗いている水夫からの報告が、頭の上から降ってくる。

 両手を後ろ手に縛られたミハイルは、甲板に転がされ、忙しく行き交う水夫たちに小突かれ蹴られを繰り返していた。

「まったく、本当なら死体を載せて帰るはずだったのに。用意した棺桶が無駄になったじゃないか。この役立たずが」

 苛立たしげな言葉と共に馬用の鞭でミハイルを撲ったのはマナルフの海軍将校だ。手筈通りに任務を遂行できたなら、彼にも何か褒美が用意されていたのだろう。

「いいじゃないですか。どうせその棺桶にはすぐにそいつが入るんですから」

 笑いながら部下らしき男が追従する。もう一度、鞭が飛んできた。

「……必要ない」

 歯を食いしばり、耐えるミハイルは呻くように呟く。将校たちは怪訝そうな顔をした。

「知ってるんだ……。母さんはもう、いない。ミーチャだって……。だったら、僕は……!」

 両手を縛られ不自由ながらも、ミハイルは勢いよく立ち上がって駆け出した。無抵抗を装ってじっと窺っていた隙。水夫たちの動きを観察し、甲板に人が少なくなった瞬間を狙っていた。積み上げられていた荷を踏み台にして跳び、甲板を囲う手摺りを乗り越える。

 どっと水柱が立った。慌てて追ってきた将校たちが下を覗き込むも、そこには穏やかな海面があるのみで、波がたぷたぷと船の横腹を叩いていた。

「くそっ! 捜せ! 引き上げろ!」

 怒号が飛ぶ。慌てて甲板に出てきた水夫たちが船の前後に散って目をこらす。

「だめです、浮いてきません!」

 軍艦の近くに船影はない。陸地も遙か遠く、肉眼では見えない距離だ。

 もう助からないと悟って、自ら死を選んだ。そうすることで、せめて一矢報いたつもりか。

 将校は手にしていた鞭をへし折り、甲板に叩きつける。

 国王へどう弁明するか、彼の頭はそれだけでいっぱいになっていた。

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