兄と弟
執務室にて、椅子に座らせたミハイルはただ項垂れるばかりで一言も話さなかった。
拘束はしていない。そんな気力は見るからになかったからだ。
イリスもギルベルトも念のため武装をしているが、丸腰のミハイルにはそもそも何も出来ないだろう。
兵舎で騒ぎがあったと聞いた時はただの喧嘩だと思った。カイが仲裁したというので様子を見に行ったところ、その中心にいたのがまさかのミハイル。
現場にいた者に話を訊いてみると、先に手を出したのは彼だという。
「何があったのか、話してくれる?」
イリスはもう何度も同じことを訊いた。それでもミハイルは黙っていた。
溜め息をついてギルベルトと顔を見交わす。
夜も遅くなってきた。一旦、見張りをつけて部屋に戻すか。
そう提案しようとした時、扉を叩く音がしてカイが姿を現した。手にしていた小さな箱の中に、小指ほどの大きさの銀色の筒が入っている。
「これは?」
つい手を出そうとしたイリスを制して、カイは箱の蓋を閉じた。
「おっと、触らないほうが良いぜ。――王子様が隠し持ってたのを没収して軍医殿に鑑定して貰った。中には猛毒の粉末が微量ながら残ってたよ」
そう言われ、イリスは慌てて手を引いてミハイルに目を向けた。
「ミハイル、君は一体……」
イリスの言葉を遮り、ミハイルは勢いよく立ち上がった。剣の柄に手を掛けたギルベルトがイリスを庇うように立ちはだかったが、ミハイルはその足元へ手をついて、うずくまるように頭を垂れた。
「私を殺してください!」
突然のことに、イリスもギルベルトも、カイまでも困惑するばかりだった。
「そんなことはできないよ。君は留学生で、わたしたちは君のことをマナルフから預かっているんだ。君の身に何かあれば大きな問題になる」
「だからこそです! 私は……僕は、王子として、ここで殺されなくちゃいけないんだ! そうしないと母さんが……弟が……!」
丸めた背中を震わせ、懇願するミハイルはもうマナルフの王子には見えなかった。
ただのか弱い少年。
己の死を願いながら、身の内では生きたいと叫んでいるような痛々しい姿だった。
ひとまず落ち着かせようと、イリスが彼の肩に触れた時だった。再び部屋の扉を叩く者があり、今度はノーラがおずおずと顔を覗かせた。
「お取り込み中失礼いたします。イリス様、少しお時間いただけますか?」
「何かあったの? 急ぎの用かな?」
イリスが廊下に出ると、そこにはノーラと共に、ミーチャを抱いたミアが立っていた。
「寝かしつけていたのですが、怖い夢を見たようで、どうしても泣き止まなくて。お粗相もしてしまったので、ネイディアさんは寝具と汚れた寝間着を洗いに行っています」
それで困り果ててイリスを頼ってきたようだ。ミアにしがみついて、しゃくりあげていたミーチャは、イリスの顔を見るなり顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。
「ママ、どこ? にぃに、どこ?」
夢に母親が出てきたのか。涙で潤んだ青い目がイリスを見上げ――既視感があった。
ついさっき、これと同じものを見た気がした。
「ミーチャ……?」
部屋から駆け出してきたミハイルが、追ってきたギルベルトに羽交い締めにされる。しかし彼はそれを厭うことなく、真っ青な目を見開いていた。
「にぃに!」
叫んだミーチャがじたばた暴れ、ミアがよろけた隙に腕から抜け出す。そして一目散にミハイルへと駆け寄り、彼にしがみついた。
ミハイルは脱力し、ギルベルトが手を離してやるとその場でへたり込んでしまった。そして夢か現か確かめるように、ミーチャの顔をぺたぺたと撫で回す。
「ミーチャ? 本当に? どうしてここに……?」
何がどうなっているのか、この場にいる誰にもわからなかった。




