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得手不得手は人それぞれ

 与えられた部屋の寝台で、手足を投げ出して横になったミハイルは呆然と天井を見つめていた。

 あのイリスという女、まったくもって信じられない鬼教官である。

 厳しくはない。むしろ穏やかで優しい。

 しかし彼女には天賦の才があり、ミハイルは凡人である。しかも何の訓練も受けていない凡人である。ついていけるはずがないのだ。

 彼女に気に入られ、懐に潜り込み、籠絡する。そうして深い仲になれば、あの猛獣皇子を嫉妬に駆り立てることができる。そんな算段を立てたわけだが。

 無理。絶対無理。

 柔軟運動と称して地面に座らされ、脚を開いて状態で背中を全力で押された時は何かの拷問かと思った。ミハイルの思惑がばれて尋問が始まるのだと。

 しかし彼女は「力抜いて、息を吐いて」などと優しく声をかけてきて、純粋な善意によるものなのは明白だった。しまいには背中に片足を置かれて体重をかけられ、苦痛で言葉も出なかった。

 そんな中、ミハイルは鋭い視線を感じた。

 猛獣皇子が妬ましそうに、こちらを見ている。

 羨ましいのか、これが。足蹴にされているんだが。そういう趣味なのか。普段どういう夫婦生活送ってるんだ。

 あまり想像したくないことが頭をよぎる。

 思惑とは少し外れたものの嫉妬させることには成功した。ただし、それ以上の発展は望めそうにないことも同時にわかってしまった。

 イリスはミハイルのことを完全に子供として見ている。まるで母親か姉のようだ。

 対し、ギルベルトに向ける眼差しはもっと熱っぽく、夫婦であるのに生娘のような反応さえ見せる。

 まさに初々しいという言葉がうってつけの様子は見ているだけで馬鹿馬鹿しくなるほどだった。

 いっそ夜這いでもしてみるかと思うがあのイリス相手にそれは無謀すぎる。返り討ちに遭って終わりだ。その場で切って捨てられるなら良いかもしれないが、ミハイルに非がある状態での死はむしろマナルフにとって不利益にしかならない。

 だったら、やはりこれしかないのか。

 隠し持った物を懐から出して眺める。銀色の小さな筒だった。

 これを使えば確実に死ねる。ただし一瞬では死ねない。長く苦しむことになる。

 まだもう少し猶予はある。どうせ死ぬなら楽なほうが良い。

 そう考え、ふっと笑いを漏らす。

 結局のところミハイルは怖いのだ。死ぬのが怖い。だからあれこれ理由をつけて、一日でも長く命を繋げようとしている。

 母と弟を人質に取られて、それでも己の命が惜しいのだ。

「情けないなぁ……」

 滲んだ涙を乱暴に袖で拭い、痛む身体を無理やり起こす。

 食事時を報せる食堂の鐘が遠くから聞こえてきていた。


 ◇◆◇◆◇


 ミハイルが来てから数日。

 残念ながら、彼に剣術や武術の才がないことは誰の目にも明らかになっていた。

 努力をすれば人並み程度にはなるかもしれないが、それ以上は厳しい。一国の王子となればギルベルトのように隊を率いることにもなろうが、部下にも舐められてしまうだろう。

 その現実をどう本人に伝えるべきか。イリスが考え倦ねていると、フェリックスが一枚の書類を提示してきた。

「こいつはちょいと驚きの結果ですぜ」

 それは解答用紙であった。

 兵士たちは日頃から訓練を重ねているが、屋外での実践や体力作りばかりではない。

 定期的に座学も行っている。魔物に関する対抗法や最新の研究結果についての情報共有に始まり、算学や社会学など。イリスも講師として、セパヌイールの文化や両国間にとって有益になりそうな知識を伝えるため教壇に立つことがあった。

 フェリックスもまた然りである。

 彼の授業は主に応急処置の方法や医学についてだ。軍医である彼は拠点から動くことができない。兵士自らが止血をしたり、仲間の蘇生ができれば生存率はぐんと跳ね上がる。

 フェリックスが持って来た解答用紙は昨日行われた不定期の試験で、抜き打ちだったうえ、ややこしい引っかけ問題まであったため多くの兵士が誤回答をしていた。

 その中で、満点だった者がいる。ミハイルである。

「平々凡々な少年かと思いきや、これはなかなか見所がありますぜ」

 イリスとギルベルトは互いに顔を見交わした。たしかに、予想外である。

「マナルフは医学に優れた国なのかな」

「聞いたことがないな」

 イリスの疑問をギルベルトが否定した。

「だとしたら、ミハイルの得意科目ということになるね」

 算学なども平均より優れていたが、それでも特筆すべきものではなかった。

 医学について、ミハイルは熱心に学んできたのだろう。

「いやぁ、王子様にしとくのは勿体ねぇや」

 解答用紙を惚れ惚れと眺め、フェリックスはミハイルを褒めそやした。

 しかしイリスの心はわずかに陰った。

 脳裏に浮かんだのは母のこと。深手を負い、衰弱していく母の傍で、イリスは嘆いた。

 母を救う技術も知識も持っていないことを。

 満点の解答用紙に、まだ幼かった頃の自分の姿が重なって見えた気がした。

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