皇女様の隠し事
イリスが部屋に戻ると、ミーチャはマリーナの手によって着せ替え人形にされていた。
針子たちが作ってくれた子供用の服は種類が増えてきていろいろ着せてみたくなるのはわかるが、当の本人は不服そうで、イリスの姿を見るなり飛びついてきた。
「今日はずっと泣かずに我慢していましたよ」
ネイディアからの報告に、イリスはミーチャを思いっきり抱きしめる。
「偉いね。強い子だ」
少しずつではあるが環境に慣れてきたのだろう。これで男性を怖がらなくなれば、普通の生活を送れるようになるはずだ。
「お義姉様、なんだかご機嫌ですわね?」
目敏いマリーナが訊ねてくる。つい先日十三歳になった彼女は薄く化粧をしており、お洒落に磨きが掛かっていた。
「何か良いことでもありました?」
「良いことってほどでもないけどね。弟子ができたよ」
「弟子、ですか?」
「うん。マナルフからの留学生がわたしの剣術を気に入ってくれてね。学びたいと言うんだよ」
まるっきり初心者というのは立ち姿だけでわかるため、周囲にいた兵士たちは「あいつマジか」「馬鹿なんじゃね?」「いろんな意味で命知らず」などとひそひそしていたが、意欲的な少年を無下にはできない。
よってイリスは全力で応えた。怪我をしないための柔軟運動から瞬発力と持久力を上げるための走り込み。今日だけでは時間が足りないから、明日以降のために訓練項目を作ってやらなくてはならない。
ミハイルはよく頑張っていたと思う。最後はもう口も利けないくらい、くたくたのへろへろになっていたけれど、弱音のひとつも吐かなかった。それを見た兵士たちはなぜか祈りを捧げる仕草をしていた。
やはり、ミハイルは悪い子には見えない。どこか思い詰めたような目をしているのは確かに気になるけれど、彼はとにかく生真面目でまっすぐだ。
弟妹がいるせいか、イリスはどうにも幼い子や自分より年若い者に弱い。応援したり手助けしてやりたくなるのだ。
「お忙しそうですけれど、お義姉様は大丈夫なんです? 休めていますか?」
「わたし? あぁ、平気だよ。自分の時間も少しなら取れているし、マリーナに持って来て貰った本も読み進めているよ」
ベールアの歴史や文化について学ぶため、マリーナに見繕ってもらった本が書庫に並んでいる。なかなか読み応えがあるが、ギルベルトへの理解も深まるうえに気分転換にもなって良い。
それによると、獣化の能力は個人差が大きく血縁による法則性などはないそうだ。唯一確認されているのは、父親がベールアの貴人であればほぼ確実に何らかの獣に姿を変えられるということだけ。
つまり、どのような能力を持って生まれてくるかは女神のみぞ知る、というわけである。
いつかイリスもギルベルトの子を産む日が来る。その子が狼に獣化できるとは限らないというわけだ。まったく別の獣の姿を授けられる可能性も多いにある。
楽しみなような、少し怖いような。口づけすらまだできてないくせに気が早いと思いつつ、考えてしまう。
マリーナはそれを目敏く察したようだ。
「ギル兄様とは何か進展ありまして?」
「マリーナ様、いけませんよ」
すぐさまネイディアに咎められ、マリーナが首をすくめた。しかしイリスは苦笑いでそれを受け入れる。
「相変わらずだよ。でも、わたしは今の暮らしを楽しめているから、充分すぎるくらい幸せだけどね」
その言葉に、ネイディアや彼女の後ろに控えていたミアとノーラもほっと安堵の表情を浮かべた。
嫁いできた当初のあれこれを考えると彼女たちにもずいぶん心配をかけたものだと思う。
「マリーナもこうして遊びにきてくれるし、何不自由ないよ。これ以上を求めるのは贅沢すぎると思うね」
「まぁ、お義姉ったら! 大好き!」
突進する勢いで抱きついてくるマリーナ。間に挟まれたミーチャが苦しそうに唸った。
「そ、そういえばマリーナ。訊いてみたいことがあるんだけど、いいかな」
「はい! なんでもどうぞ!」
「マリーナは獣化すると、どんな姿になるの?」
高揚したマリーナを落ち着かせるため、つい、以前から気になっていたことを訊いてみた。
すると、感情表現豊かなはずの彼女の表情が一瞬にして無になる。
「……訊きたいです?」
まずい。やはり繊細な問題だったのだろうか。ミアのように獣化できるだけで非力な者は隠す理由があるけれど、皇女である彼女なら誇らしいほどの強力な力を持っていると思ったのだが。
「ご、ごめんね。言いたくなければいいんだよ。ただ、わたしもいつか、獣化する力を持つ子を産むんだと思うと気になってしまって……」
「……そういうことでしたら」
神妙な面持ちで、マリーナはイリスの耳元へ唇を寄せた。
そして囁かれた答え。予想外ながら、決して驚きはしなかった。
「格好いいじゃないか。マリーナに似合うと思うよ」
「ありがとうございます」
「……あまり嬉しそうじゃないね?」
マリーナは暗い笑みを浮かべていた。それから、深々と溜め息をつく。
「能力に不満があるわけではないのです。ただ、そう……字面がちょっと」
「字面?」
「わたくしが読書好きな才女である故の悩みなのです。知らなければ良かったことって、ありますよね」
「はぁ……そうだね?」
よくわからないが、彼女なりに真剣なのだろう。
ともあれ、兄妹といえどやはり獣化の能力に共通性はないようだった。
腕の中のミーチャを見る。幼くて温かくて可愛らしい。
食事もしっかり摂るようになって血色も良くなってきた。怖がるのを宥めながらフェリックスに診て貰ったが、健康そのものだという。
それでいいんだ。どのような子供でも。いつかこうしてこの腕の中に来てくれるなら、それだけでいい。
真っ青な目をきょとんとさせて見上げてくるミーチャの頭を撫で、未来を想いながら、イリスは微笑んだのだった。




