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ミハイルの使命

 ミハイルは落胆した。噂に聞く猛獣皇子とは何だったのか。

 あれではだめだ。己に課せられた役目を果たすため、もっと冷酷非道な男であってほしかったのに。

 帝都では丁重に扱われた。腫れ物と言って過言ではない。軍での訓練を希望したが型どおりの基礎的なものばかりで武器を手に取らせてくれることさえなかった。警戒されていた面もあるのだろう。

 だが、ミハイルには彼らを害する気は一切ない。むしろその逆である。

「誰か、早く僕を殺してよ……」

 夜、与えられた部屋で膝を抱え、苦しみを吐き出す。

 ミハイルは死ぬためにここへ来たのだ。



 マナルフの後宮で生まれたミハイルは外の世界を知らずに育った。

 もともと身体が丈夫ではなかった母はミハイルの弟を産んでからますます病がちになり、母子は後宮の隅に追いやられて他の女たちとも接触することなく暮らしてきた。

 それが変わったのはしばらく前のこと。今まで数度しか会ったことのない父――マナルフの国王に呼びつけられ、こう告げられた。

「お前はベールアに行って非業の死を遂げるのだ。見事成し遂げられたなら、お前の弟は正式に王家の者として認めよう」

 ただし期限までに役目を果たせなければ母と弟の命はない、と。

 後宮で生まれた子供たちは優秀な者だけが正式に王家の子として認められる。そのため女たちも子供も必死に王に媚び、取り入ろうとする。そうすれば王家に迎えられることがなくても、高官としての地位を手にできる可能性があるからだ。

 虚弱な母のもと、その争いから弾き出されていたミハイルはすべてを他人事のように感じていた。

 それが今、表舞台に引きずり出され、命を差し出せという。

「ベールアが圧力をかけてきた。強大な帝国だ。海を隔てているとはいえ、弱みを握られれば我が国もいずれ飲み込まれる」

 だから王の血を引くミハイルが王子としてベールアに赴き、その地において死ぬことで彼らの落ち度としたい。握られた弱みを精算し、優位を取りたい。そういうわけだ。

 もちろん偶発的な事故や自死では意味がない。ベールアの民、いや、それなりに地位のある者の手によって害されること。あるいは重大な過失によって命を落とすこと。ベールアが誘拐被害の抗議として掛けてきた圧力を弱めさせるのは、それぐらいの大きな事件を引き起こさなければならない。

 ミハイルにとってはすべてどうでもいいことだった。ただの顔見知り程度の父にも国にも報いてやるほどの思い入れなどない。ベールアだって、名前は聞いたことがあるくらいでよく知らない国だ。

 けれど、生贄としての白羽の矢が立った。母と弟の命を握られ、逃げることは許されない。

 母と弟だけがミハイルの世界を形作るものだった。この命と引き替えに二人が救われるなら安いものだ。

「やってご覧に入れます。お任せを」

 そう答え、すぐさまミハイルはベールアに旅立った。

 母と弟に別れを告げることすらできないままで。



 翌日からミハイルは兵士として訓練に参加した。

 驚いたことに、模造とはいえ剣を与えられた。第二皇子ギルベルト曰く、まずはこの重さに慣れろ、ということらしい。

 後宮の隅で細々と、庶民より貧しい暮らしをしてきたミハイルには剣術はおろか戦闘の訓練経験すらない。振ってみろ、と言われて恐る恐る剣を抜き、柄を両手で握って振ってみると身体の軸がぶれてよろけてしまった。

「なるほど」

 それを見たギルベルトはたった一言そう言った。哀れみでも蔑みでもない、単なる事実確認としての、感情のない言葉だった。

 悔しかった。弱さを見透かされた気がした。懸命に気を張って王家の者らしく振る舞っても、所詮は上辺だけのもの。中身のなさを必死に隠して、それでも食らいついていくしかなかった。

 ミハイルにとって理解しがたいことはまだあった。ギルベルトの妻イリスである。

 セパヌイールという小国の出身で、花のような珍しい髪色をしている。本で読んだことはあったが実物を見るのは初めてだ。

 あれはたしかに美しい。連れ去ってでも手に入れたいと考える者がいるのも納得だった。

 だが、そのイリスは今、軍服を着てギルベルトの傍にいる。

 マナルフでは女が武器を手にすることは禁じられている。軍に士官するなどもっての外だ。

 てっきり、美しい妻に耽溺した猛獣皇子が常に彼女を傍に置く手段としてそうしているのだと思った。

 しかしそれは違うとすぐにわかった。

「じゃあ、まずは正しい剣の持ち方と振り方から覚えようね。真似してみて」

 そう言ってイリスは腰に提げた華麗な装飾の剣を抜き、一振りした。

 目で追えないほどの速い一閃。ぱぁんっ、と何かが破裂するような鋭い音が響いた。

「え、今の何……」

「切っ先が音速を超える音だな」

 そんなことある?

 つい漏れてしまった独り言に、ミハイルをここに連れてきてくれたカイという若者がこともなげに答えたのは衝撃の一言で、ただただ驚愕するしかなかった。

 可憐な容姿からは想像もつかないが、このイリスという女性は本物の武人……いや、それ以上の何かである。

 ギルベルトもカイも、兵士たちも彼女のことを当たり前として受け入れている。

 理解は追いつかなかったが、彼らが腑抜けでないことはわかった。

 そして、ギルベルトが彼女を深く愛していることも。

 己の役目を果たすため、その愛を利用させてもらう。

 懐に隠した切り札を意識しながら、ミハイルは彼らを注意深く観察し続けた。

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