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不審者だと思ったら夫だったしやっぱり不審者だった

 片付けを終え、ミアとノーラの手によって改めて夜着への着替えが施された。

「これくらいは、ひとりで出来るのだけど……」

「いいえ、やらせてください! わたしたちがやりたいんです!」

 ミアが勢い込んで言うと、ノーラもうんうんと頷く。

 侍女頭――ネイディアは、二人にしっかり務めを果たすよう言い含めると己の仕事に戻っていった。

「面倒をかけてすまないね」

 苦笑を浮かべ、イリスはされるがままになる。さすがに今さらどうしようもないので、彼女たちの前では余所行きの態度を取るのはやめた。

「そんなこと……。わたしたちがこうして働けるのは、妃殿下が嫁いでいらしたからです。どんな方なのか、正直不安でしたけど……。お優しいうえに凜々しくてらして、嬉しいです」

 ほわほわ微笑みながらノーラが言う。その言葉に、イリスは首を傾げた。

「君たちは元からここの使用人ではないのかい?」

「いいえ。ここには元々、皇子殿下がお一人でお住まいだったんです。食事なんかも兵舎の食堂で済ませていらしたそうで。ですが妃殿下をお迎えするにあたり、それでは困るということで集められたのがわたしたちなんです」

「ネイディアさんは殿下の乳母をされていたご縁で遣わされたそうですよ。でも、わたしたちは帝都に来てからも日が浅く、皇子殿下のことは巷の噂程度にしか知らなくて……」

 そう言ってノーラとミアは互いに顔を見合わせた。その顔がどことなく悲しげで、気になってしまった。

「……何か、事情があるのかい?」

 尋ねると、ミアが自身の頭を軽く抑えた。そこは先ほどまで、獣の耳があった場所だ。

「ベールアの人間に獣化の力があるのはご存じなのですよね? ですけど本来、それは皇帝のご一族と貴族諸侯の家系にのみ受け継がれている力なのです。庶民にはその力はないはず……。なのですが、ごく稀に、こうして獣化する者が市井に産まれます。高貴な方々と違って、戦う力はないので、見かけ倒しですね」

 えへへ、とミアは自嘲気味に笑った。

「ベールア国内でも珍しがられるので、他国から見ればもっと奇妙に見えるんでしょうね。獣化の力を持つ者が、人攫いに連れて行かれることもあって……。だから獣化する者はこぞって帝都に集まって職を探すんです。帝都なら護りが強固で、地方にいるより安全ですから」

「そうか……」

 きっと言いたくないことだったろう。話してくれたミアと同様に表情を曇らせているノーラも、同じ力と事情を抱えているのだと察せられた。

 ならば、とイリスは意を決する。

「教えてくれてありがとう。……実を言うとね、我々セパヌイールの人間も、君たちと近しい苦悩を負っているんだ」

 鏡台前の椅子に座らされ、ミアに髪を梳いてもらいながら、イリスは背筋を伸ばして話し始めた。

「セパヌイールは花の国。自然豊かな島だからそう呼ばれている。……表向きはね。でも本当は、これが理由だよ」

 そう言って自身の髪を一房掬う。ゆるく波打つ菖蒲色。

「セパヌイールの民はこのように、鮮やかで花のような髪をしているんだ。もちろん個人差はあるけれどね。そして、物珍しさ故に狙われることがある。国防にも限界があって、人目のない場所にいた子供や若い娘らが姿を消すんだ。島国だから、おそらく密航船で来て攫っていくんだろう。魔物より、人のほうがよほど恐ろしい時もある」

 イリスの髪を梳いていたミアの手が止まった。

 この菖蒲色は母から受け継いだものだが、父は優しげな勿忘草色を持っている。弟妹も同じくだ。

「だからね。わたしはここに、ひとりも侍女を連れてこなかった。彼女たちを国外に連れ出すことで、セパヌイールの民の特性を喧伝したくなかったし、珍しいというだけの理由で手を出そうとする者がいるのではないかと心配だったんだ。勝手だよね。そのせいで、君たちは帝都を離れてこんな場所に来なければならなかったのだから。それに、わたしは先ほどの君の姿を見て軽率にも可愛らしいと言ってしまった。自分たちも同じような立場だというのにね。本当にすまない」

「そんなっ……!」

 手にしていた櫛を胸の前でぎゅうっと握って、ミアは首を横に振った。

「だったらわたしも同じです! 妃殿下の御髪がとても綺麗で、こうして触れることを許されたのも、実はちょっと嬉しくて……ごめんなさい」

 顔を合わせた時、彼女の興味深そうな視線から、きっとそうだろうなとは感じ取っていた。ふふっとイリスは笑い声を漏らす。

「では、お互い様ということで手打ちにしてもらえるかな」

「はい!」

 冗談めかしたイリスの言葉にミアは元気に頷いた。それを見ていたノーラも朗らかに微笑む。

「それに、ここは要塞としての機能も備えていますから、帝都と同じくらい安全ですよ」

「しかし、ほら……この城の主人は……」

 猛獣皇子。その片鱗が見える冷徹な態度を目の当たりにしたばかりだ。イリスが口ごもりつつ言うと、二人も、あぁ~、と嘆息のような相槌を打って黙り込んだ。

「もしも何かあれば、すぐに教えてほしい。わたしが必ず君たちを守るよ」

 部屋の片隅に置かれた聖剣ミルフルールを視界に捉えつつ告げる。すると二人は頬を染め、もじもじと俯いた。

「本当に妃殿下は、下手な殿方より凜々しくてらっしゃって……」

「どきどきしちゃいます……」

「そ、そうかな?」

 ノーラとミア、二人ともにそんなことを言われてイリスのほうこそ戸惑ってしまった。臣民を守るのは上に立つ者の務めだ。当然のことを言ったまで。

 もしかしたら、彼女たちなりの冗談だろうか。

 気を許してもらえたということだろうか。

 親しくなれるかもしれない。ほんのりと湧いたそんな期待を胸に抱き、せめて名前で呼び合う仲になれるだろうかと、意を決して唇を開いた。

「ミ……」

 まずはこちらが名前で呼んでみる。しかしそれは、柱に掛けられた大きな時計から鳴り響く音に遮られてしまった。

 その音を聞いて、ミアとノーラは顔を跳ね上げる。

「いけない、もうこんな時間!」

「あ、あぁ、話し込んでしまって悪かったね。次の仕事があるのかな?」

 慌てだしたミアに尋ねると、ノーラがふるふると首を振って答えた。

「いいえ。これから他の侍女たちと懇親会をする予定なのです。皆、ここに寄せ集められた者たちですので」

「……そう。では、急がなければいけないね。楽しんでおいで」

『はい!』

 声を揃え、それはそれは嬉しそうに返事をすると、ミアとノーラはきゃっきゃと楽しそうに部屋を出て行った。

 扉が閉められるのを見届けたイリスは、はぁーっと大きな溜め息をつく。

 だめだ。甘えてはいけない。彼女たちはあくまで使用人であって友ではない。ただでさえ忙しい身なのだから、そのようなことまで要求して手を煩わせてはいけないのだ。

 ひとりで、頑張らないと。

 椅子からゆるゆると立ち上がり、寝台へ歩み寄って沈み込むように倒れた。

 先ほど鳴った時計の音。もう遅い時間だ。ひどく疲れた。

 目を閉じるとすぐに眠気がやってきて、すぅっと意識が遠のいていく。


 いつ眠ったのか、どのくらい眠ったのか、定かではない。

 ただ、悪夢を見た。右脚が真っ赤な炎に包まれる夢。その炎を消そうと暗闇の中を走り回り、冷たい川の中へ飛び込んで溺れ――

 ひゅっと息を飲み、目を覚ました。冷や汗が額から流れ落ちる。心臓が早鐘を打つ。清潔なシーツの匂いに、あぁ夢だったかと気がついた。

 でも。

 なんだろう。脚に、ひやりと冷たい感覚がまだ残っているように思えて、しょぼしょぼする目を足元へ向け――

「はっ!?」

 金切り声の悲鳴を上げなかっただけ褒めてもらいたい。

 そこにいたのは、本日をもってイリスの夫となった男だった。薄明かりが点いたままの部屋で、顔には濃い影が落ち、表情はよく見えない。

「ノ、ノックくらい……!」

「した。あんたが気づかなかっただけだ」

 動転するイリスとは対照的に無感情な声だった。

 混乱し、寝台に横たえたままの身で、イリスは仰向けに這うように距離を取ろうとした。が、足首を掴まれてそれを阻まれる。

「動くな」

 鋭く命じるような声音に、ぎくりと身体が強張る。

 そして、思い出した。彼は夫で、自分はその妻。

 今夜はいわゆる、初夜である。

 蹴り飛ばしてやろうと振り上げた、自由なほうの脚をすんでのところで止めた。ここで拒絶すれば国家間の問題となる。

 ぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めた。もうどうにでもなれ。そうだ、今まで食べた中で一番美味しかったもののことでも考えていよう。そうしているうちに終わる。たぶん。きっと。

 シーツを握り、唇を噛みしめ、いざその時を待つ。――待つ。

 ふわっと空気が揺れた。そして足元にあった気配が離れていく。

 そろりと薄目を開けたイリスは、部屋から出て行く人影を見た。

 終わった、のだろうか。亡き母が作ってくれた干し葡萄入りのパンケーキのことを考えているうちに、すべて終わったのだろうか。

 何せ初めてのことだからわからない。ゆっくりと上半身を起こし、己の身体を改めてみる。

 触れられていた感覚はあった。しかし夜着は乱れていない。身体に痛みは――あった。ただし、脚だ。しかも、ひやりとする感覚がいまだに残っている。

 夜着の裾を捲って、目を瞠った。

 そこは素足だったはずだ。けれど今は、白い包帯が巻かれている。

「……湿布?」

 ほんのり香るのは薬草だろうか。脚に感じるわずかな疼痛が、湿布の冷たさに和らいでいく。包帯には回復を促す魔道文様が施されていた。

 ミアを守った時に陶器の花生けを蹴った。大したことではないと思っていたが、時間が経って痛みがでてきたようだ。気づかず朝まで放置していたら、腫れ上がっていたかもしれない。先ほどの夢もこれが原因だろう。

 どうでもいいと、彼は言った。言ったはずだ。

 寝台の上に座り込んだまま、イリスはしばし呆然として――

「なんっなんだ、あの男は!」

 小声で叫び、柔らかな枕へ渾身の拳を叩き込んだのだった。

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