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兄からの手紙

 数ヶ月前、マナルフの貨物船からベールアの民が人身売買の被害者として救助された。

 救い出したのは他でもないベールア帝国第二皇子ギルベルトとその妻イリスだ。イリスの侍女であるミアも危うく連れ去られるところであった。

 ベールア帝国第二皇子の妻に仕える侍女。使用人は主人にとって所有物という側面もある。さらに言えば民は国のものだ。抗議するのは当然である。

 船をその積み荷もろとも差し押さえ、関わった者たちを処断したうえで皇太子レオンハルトはマナルフに警告した。

 端的に、二度目はないぞ、と。

 マナルフからの返答は予想を裏切ることなく『人身売買や誘拐はマナルフでも重罪である。罪人の確保と処断に感謝する』という、国家としての関与や関知を否定するものだった。

 そして友好の証として送られてきたのがミハイル王子である。

 名目上は留学生だ。しかしその役割は人質と言えよう。我が子をベールア皇帝の元に送り込み、服従しているように見せかけるための捨て駒。

 マナルフ王国には後宮があり、そこに複数の愛妾を囲っているという。ミハイルもそういった女が生んだ子のひとりであろうとレオンハルトは察した。

 正直、扱いに困るというのが本音だった。

 貴人の留学生を邪険にするわけにはいかない。表面上はもてなし、丁重に扱わねばならない。

 与えた部屋でおとなしく本でも読んでいてくれれば多少は楽であったが、ミハイルは軍での訓練を希望した。それもしばらくすると飽きたのか、もっと厳しい部隊に――猛獣皇子と揶揄される第二皇子率いる隊に入隊したいとレオンハルトに直談判してきたのだ。

 ただの不遜な畏れ知らずか、あるいは何か思惑あってか。

 いずれにせよ行かせてみせる価値はある。単に血気盛んな少年であればそれで良し。その腹に何か隠しているものがあるのなら、駒を進めることで局面は変わる。

 ミハイルの申し出を快く承諾したレオンハルトは、弟へ向けて一筆したためたのだった。


 ◇◆◇◆◇


『そういうわけだからミハイル王子の監督よろしくね。お兄ちゃんより』

 その締めの一文を読んでギルベルトは顔を引き攣らせた。

 ギルベルトが兄のことを『お兄ちゃん』と呼んでいたのは、ごく幼い頃のわずかな間だけだ。そのことすら今では忘れたいと思っている。ところが兄はそれをいつまでもいつまでも、悪気なく引きずっている。マリーナという妹がいることも手伝ってか、ギルベルトのことも彼の中ではまだ可愛い弟のままなのだろう。

 嘆息し、ギルベルトはまだ追伸が残っていることに気がついた。

『イリスさんとは仲良くしてる? 良い報告が届くのを楽しみにしています』

 読み終えてすぐギルベルトは手紙を握り潰した。

 余計なお世話である。お前は姑かと言ってやりたい。しかも狙ったかのように神経を逆撫でしてくる。今のギルベルトにとってこれはかなり効いた。

「こらこら、お兄ちゃんからの手紙をそんなふうにしちゃだめなんだぞ」

 手紙の運び人であるカイまでもが子供扱いしてくる。こいつの場合はわざとである。

 きつく睨み、手紙は乱暴に畳んで封筒へ入れ直した。イリスに見られないよう、あとで処分しておこうと思う。

 ミハイル王子は今、部下に命じて兵舎の空き部屋へ案内させている。特別扱いはいらない、他の兵士と同じように扱ってほしいという本人の希望を汲んだものだ。

「なんだ、どうした? お嫁ちゃんとの間の誤解は解けたんだろ?」

 その誤解の大きな一因であったくせに他人事みたいに訊いてくる。

 苛つきはしたが、ここ数日抱えている不満があるのは事実だ。

「また喧嘩でもしたのか?」

「してない。仲は悪くない、と思う」

 言い切るほどの自信はなかった。気づかないうちにまた何か怒らせるようなことをしてしまっている可能性は捨てきれないからだ。

 話せば笑って聞いてくれる。友達として花の庭で会っていた頃と同じように気さくに対話をしてくれる。怪我をしている間は甲斐甲斐しく世話をしてくれ、やはり女神のようだと陶酔したものだ。

 傍にいてくれるだけで充分幸福。しかし二人は夫婦なのである。

 いつかは先へ進まなければいけない。清らかな水源に一滴の墨を落とすような罪悪感はあれど、ギルベルトはそれを望んでいるし、イリスも拒みはしなかった。

 だというのに想いは遂げられなかった。突然現れた不可抗力によって。

 幼児相手に嫉妬なんてと思いつつ、それでも溜め息は止められないのだった。

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