異国の王子
イリスに懐いたミーチャは、とにかく一緒にいたがった。自分の名前以外はほぼしゃべらず、あれが欲しいこれがやりたいなどといった子供らしいわがままは言わない変わりに、イリスの姿が見えなくなるとぎゃんぎゃん泣き出してしまう。
ミアやノーラ、ネイディアにはいくらか気を許すようにはなったものの、ギルベルトが近づくと逃げたり威嚇するような素振りを見せた。兵士や家令などの使用人に対しても同じで、どうやら青年以上の男性に何らかの恐怖心を抱いているらしい。
「叩くだけが暴力ではありませんからね。どこかで何か怖い思いをしたことがあるのかもしれません」
ミアとノーラに追いかけっこで遊んでもらっているミーチャを眺めていると、ネイディアがそう言って溜め息をついた。
ミーチャを連れていた商隊が悪いと決まったわけではない。そもそもなぜこの子の母親はベールアに向かっていたのか。幼子を連れての長い道のり、それも海を渡ろうとするなど、よほど強い目的があったに違いない。
たとえば、何かから逃れるためのような。
ミーチャの心の傷はそこに起因するのではないかとイリスは考えていた。
また、ミーチャは母親が亡くなったことをまだ理解できていない節がある。
出された食事の一部を残し、隠そうとするのだ。どうしてそんなことをするのかと訊ねると、たった一言「ママの」と答えた。
つまり、母親は姿を見せないだけでどこかにいると思っている。痩せているのも、お腹を空かせて城内をうろついていたのも、母親のために我慢して食事を残していたから。
そんな姿を見せられては、放っておくなんてできない。
ふいに、ミーチャが駆け寄ってきた。イリスの手を引っ張って、何かを訴えるように見つめてくる。
「何? わたしも遊びに交ざればいいの?」
その意を汲み取ろうとするイリスにミーチャはこくこくと頷いた。そして自分が引っ張っているイリスの手に視線を落とすと、慌てて力を緩める。
そこはミーチャが噛みついた箇所で、念のためフェリックスに診てもらったところ「噛み傷ってぇのは甘く見ちゃいけませんぜ」と丁寧に消毒され大げさなほどの包帯を巻かれたのだった。
飲み薬も処方されて問題なく治りつつある。今は痛みもまったくないが、包帯だけはまだ残っていた。
自分がやってしまったことを、子供なりに後悔しているのだろう。しょんぼりと手を離したミーチャの頭を撫でて、イリスは笑いかけた。
「追いかけっこなら得意だよ。わたしが鬼でいいのかな?」
勝負となれば遊びにだって本気を出す。イリスのやる気を感じ取った侍女たちはびくりと震え上がった。
「あ、これは秒殺されるやつですね」
「狩られる獲物の気分です……」
ミーチャだけが、きゃっきゃと楽しそうな歓声を上げていた。
◇◆◇◆◇
久々に姿を現したカイが、また面倒事を持って来た。
「ここで面倒を見てやって欲しいと、お前の兄上からのお達しだ」
そう言って彼がギルベルトの前に連れてきたのは、栗色の髪をした十五歳の少年。
「マナルフ王国第十三王子ミハイル。ギルベルト皇子殿下のもとに入隊を志願する」
青い色をした眼差しには、強い意思が宿っていた。




