森の中へ
偵察が完了し、村内に潜んでいる魔物は他にないことが確認された。
よって部隊の一部を警護のため村に残し、捜索範囲は周辺の森へと拡がった。
視界が悪い場所では警戒を怠ることはできない。魔物は食った獲物の姿を写し取るため、人や動物の姿をしている可能性もある。
イリスはすでに戦闘装束を纏い、いつ襲撃があっても対応できるよう気を張っていた。
「帝都からの援軍はいつ頃になるだろうか」
「報せがあってすぐに伝令を飛ばした。第一陣は間もなく来るはずだ」
隣に立つギルベルトが即座に答える。
単独行動を避けつつ広範囲を捜索しなければならないため、二人ないし三人一組に分かれて行動することになった。こういった場合、常にそうしていたのか兵士たちはまごつくことなく組み合わせを決め、方々に散っていった。日頃の訓練の成果もあるのだろう。
この隊での初陣となるイリスは自然、ギルベルトと組むことになった。
鳥や虫の声が聞こえる。風で枝葉が揺れ、木漏れ日が地面に光と影を作っていた。
こんな時でなければ散策気分になってしまいそうなほど穏やかな光景だった。
ギルベルトの横顔を窺い見る。鋭い眼差しだった。神経を研ぎ澄ませた狩人の顔。
すぐ傍にいるのに、視線を外したとたんに気配が掴めなくなる。まるで獣のようだと思った。
いや、それも間違いではないはずだ。ベールアの皇子ならば彼も獣化できるはず。その姿をイリスはまだ見たことはないけれど、半獣化した姿なら一度だけ目にしたことがあった。
黒い耳と尻尾だった。ミアのものと似ていると思ったけれど形状は少し異なっていた。
兵士の中にはカラスらしき鳥になれる者もいた。獣化の姿は個人によって様々なのだろう。
今さら、イリスは自分の夫がどのような獣化の姿を持っているのか気になり始めた。興味がなかったというより、そこまで気にする余裕がなかったからだ。
とはいえ軽々しく訊いていいものだろうか。あのおしゃべりなマリーナでさえ、己の獣化については一切話さなかった。ベールアの人々が獣化についてどう捉えているのか計りかねる。
そんなイリスの視線を感じ取ったのか、ギルベルトは斜睨みするように目だけをこちらに向けた。
「どうかしたのか」
「えっ!? いや、なんでもないよ!」
とっさにそう答えたが、ギルベルトは改めてイリスに向き直った。
「気になることがあればなんでも言え。お前に不快な思いをさせているのなら、改める」
どうやらイリスの視線を何らかの不満と受け取ったのだろう。申し訳なくなってしまう。
とはいえ、機会を与えられたわけだ。それに、彼に関してわからないことは何でも訊いてみようと決めた。もし、その質問が彼を困らせたのなら、誠意を持って謝ればいい。
「ええと、じゃあ、ひとつ訊きたいことがあるのだけど、いいかな? 君は――」
言い止し、イリスは咄嗟に跳び退った。ギルベルトも同時に大きく横合いへ飛び、身構える。
ふたりが立っていたその場所へ、ぶよぶよとした水生生物に似た物体――魔物が大口を開けて突進してきたのだ。一撃目に失敗した魔物はイリスに狙いを定めた。しかし体勢がまだ整っておらず抜刀が遅れた。間に合わない。
その時、鋭く甲高い音がした。口笛の音だった。その音に誘われ、魔物はギルベルトへと狙いを変える。
そのままギルベルトは魔物を引き連れ、木の間を駆けていった。
以前遭遇した魔物よりも素早い。食えば食っただけ強く賢くなるという、その結果だろうか。イリスは慌てて追いかけたが、木々に阻まれその姿を見失ってしまった。
背筋に冷たい汗が流れる。
村に戻って残っている兵士たち、あるいは森に散っている兵士たちに報せるべきか。いや、そんな時間はない。いくらギルベルトが獣化の力を持ち、優れた能力を誇っていようと、ひとりきりではいつまで持つかわからない。それはイリスにも言えたことだ。
脳裏に狼の彼のことが過ぎった。仲間を庇い、ひどい怪我を負っていた痛々しい姿。それとギルベルトの姿が重なり、イリスは唇を強く噛んだ。
彼は魔物をイリスから遠ざけるために自ら囮になったのだ。仲間を守ったあの人のように。
させない。あんなものはもう見たくない。
母の形見である聖剣ミルフルール。鞘から抜き放ち、そこに映った自らの顔。母によく似た顔だった。
「誇り高きセパヌイールの剣士ヴィクトリア。その娘が己の夫を守れず生き恥を晒すなどあってなるものか……!」
自らに発破を掛け、イリスは駆け出す。
静かなる森に花弁が舞った。




