気づいちゃった
靴の音を高らかに響かせ、イリスは颯爽と城内を歩く。
足取りに迷いは一切ない。彼の居場所はわかっているからだ。彼自身が手紙で報せてくれた。この時間は城内の執務室で書状の作成と整理をしているはずだ。
部屋の前に立ち、唇をきつく引き結んで扉を叩く。
「……入れ」
中から無感情な声がした。それに応じ、イリスは「失礼する」と一言断ってから入室する。
その姿を目にしたギルベルトは執務用の椅子に腰掛けたまま目を丸くしていた。しかしイリスは意に介さず、敬礼をもって彼に対峙した。
「本日より復帰する。わたしの配属は……君の補佐でいいのかな?」
首を傾げつつ、笑ってみせる。
要するに照れ隠しだった。
ベールアの軍服は紺地に金の刺繍が施してある。基本的な意匠は男女で変わらないが、イリスに与えられたものは上着の丈が長く、スカートのように拡がるようになっていた。
「……どうかな? 似合うかな?」
ギルベルトが固まったように動かないので、不安になって訊いてみる。すると彼は白昼夢から醒めたようにぱちぱちと何度も瞬きをした。そしていつものように顔をしかめて俯いてしまう。
「やっぱり変だろうか」
「……ない」
「そ、そんなに!?」
自惚れているつもりはないけれど、そこまでおかしいのか。きょろきょろと鏡を探した時、呻くようなギルベルトの声が聞こえた。
「……息ができない」
「ええっ!? フェリックスを呼んでこようか!?」
「いや、そうではない……。噛みしめているだけだから、少し待ってくれ」
「噛みしめ……?」
何を言っているのかよくわからない。でも、ひとまず大丈夫そうで良かった。
水を飲み、大きく溜め息をついたギルベルトはまだ眉間に皺を残しつつも目線を上げてイリスに向き直った。
「体調はもういいのか?」
「おかげさまでね」
「そうか」
ギルベルトの口の端がわずかに動いた。たぶん笑っている。見逃してしまいそうなほどの些細な表情の変化だったが、それに気づけたことに嬉しくなる。
「返事を持って来たよ」
イリスの言葉にギルベルトは背筋を伸ばした。固い表情がさらに強張る。そんな様子すら、今は好ましいと感じる。
「わたしは君の妻だよ。他の誰のものでもない」
そう告げると、ギルベルトはわずかに目を見開き、肩の力を抜いた。驚きと安堵だろう。
微笑んで、イリスは続けた。
「立場上、逃げられないから仕方なく受け入れたわけではないよ。わたしはわたし自身の意思で、君のことをもっと知りたいと思ったんだ」
「俺のことを……?」
「そう。だってよくわからないんだもの。さっきの変な行動とか」
「それは……すまない」
「君はわたしのことをあまりよく見てくれないよね? 正直ね、それで愛していると言われても疑問に思ってしまうんだよ」
ギルベルトのことがよくわからない。そのせいで思い違いをするくらいなら、素直に『何故?』と訊いてみればいい。根掘り葉掘りは品がないようで気が引けるものの、ギルベルトに対してはそれが正解なのだ。休んでいる間に出した、イリスなりの答えだった。
ギルベルトは沈黙する。しかし、どういうわけか目が泳いでいる。よほど言いにくいことなのか。
「い、言っても、嫌わないか?」
「善処するよ」
「……俺はお前のことを女神だと思っている。眩しすぎて、目が潰れてしまいそうなんだ。神聖で、穢したくない。だが、それと同時に一瞬ごとの表情を切り取って絵画の中に閉じ込めてしまえたらとも思ってしまう」
それがただの口先だけの言葉でないことは、彼の苦悩する表情でわかった。
あのしかめっ面の正体はこれか。しかし予想以上に大きすぎる感情をぶつけられて、イリスはつい後退ってしまう。
「だから言っただろう……!」
後悔するようにギルベルトは呻いたが、言ってしまった、聞いてしまったものは仕方がない。
「い、いや、その……うん。そんなふうに思われていたのは意外だったけれど、嫌でないよ。むしろ――嬉しい」
ということは、結婚式のあの時点から彼はイリスのことをそう思っていたというわけだ。今さら恥ずかしくなってくる。
「君は正直な人なんだな」
そして誠実でもある。信用できると確信した。
「折り入って相談したいことがある。君にこんなことを頼むのは心苦しいのだけれど」
「……なんだ?」
「あの人に、会って話がしたい」
それが誰なのか、言わずともわかったようだ。ギルベルトの金色の双眸に陰が差す。
「突き放して、逃げてきてしまった。自己満足と言われたらそれまでだけれど、正式に謝罪したいんだ」
もう会わないと告げた。しかし、あの人がギルベルトの部下であるなら、そういうわけにもいかない。知らぬ間に顔を合わせて、また傷つけてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
「わかった。では、場を設けよう。その者の名は?」
そう問われ、イリスは言葉に窮した。するとギルベルトは微かな笑みを浮かべて言う。
「相手が誰であれ、責め立てはしない。不当な扱いもしない。もしその者がここを離れたいと申し出たなら、理由は伏せて兄上の部隊への配属を推挙しようと思う」
皇太子の部下となるなら、栄転だ。たしかに悪い話ではないだろう。――しかし。
「いや、違うんだ。君のその言葉に嘘はないと信用してはいるよ。ただ……わたしは、あの人の名前を知らないんだ。わかっているのは、獣化できるということだけで。だから貴族の子息ではないかと思うのだけど」
「……該当者は複数いるな。他に特徴は?」
ギルベルトは頭の中でいつくかの候補を挙げたようだった。絞り込む材料になるかどうかはわからないが、唯一わかっている特徴といえば――
「黒い狼だった」
イリスの言葉に、ギルベルトはまた眉間に皺を寄せた。それから何か考えを巡らせているみたいに、視線を宙に向けたり首を傾げたり、そわそわと落ち着かなくなる。
「……ひとつ、訊いてもいいか?」
「何かな?」
「その狼と初めて会ったのは、いつだ?」
「以前、ベールアで大規模な魔物討伐があったろう? わたしも参じていてね、そこで怪我をしている彼を見つけたんだ。ひどい怪我だったから心配していたのだけど、ここに来て初めての夜に庭に出てみたら偶然あの人を見つけて……それでつい、嬉しくなって友達になってほしいと申し出て……って、どうした!?」
思い出しながら話している最中に、ギルベルトは勢い良く立ち上がる。そして足早に壁際まで行くと、壁にがつんと額をぶつけた。
「は? え? な、何? どうしたんだ急に?」
突然の奇行に戸惑いを通り越して恐怖すら感じた。ギルベルトは壁に向き合ったまま、肩を震わせている。
「……すまない。その者を兄上のもとに転属させるという話は、たぶん、無理だ」
「ど、どうして?」
「それは……」
彼が振り返った。顔が赤い。額を壁にぶつけたせいだろうか。でも、頬や耳まで赤くなっている。
その時、廊下を慌ただしく走る足音が聞こえた。扉が叩かれ、返事を待つことなく兵士が駆け込んでくる。
「ご報告申し上げます! 近隣の村に魔物が出たとの一報! 逃げてきた村民によると、すでに人的被害が出ているようです!」
ギルベルトの顔つきが変わった。険しく眦がつり上がり、金色の視線がイリスを捉える。
「話は後だ。行けるか?」
「もちろんだ」
腰に提げた聖剣ミルフルールの柄を指先で撫で、イリスは力強く頷いた。




