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和解まであと一歩

「食欲不振と耳鳴り、頭痛、腹痛……以前からこんな調子で?」

「普段はここまで重くはないよ。でも、少し遅れ気味だったかな」

「じゃあ精神的なものも影響してるんでしょうな。環境の変化で不規則になったりするんでさぁ。こればっかりはいくら鍛えてるお人でも関係ないですからねぇ。まぁ、今の生活に慣れてくりゃ良くなるかもしれねぇですし、安静にして様子見ですな」

 無精髭の生えた顎をじょりじょり撫でながら、フェリックスは診療記録を書き込んでいく。

「あぁ、あと妃殿下がお持ちの薬、ひとつ頂戴していいですかい? 同じものが作れるか調べてみますんで」

「ありがとう、助かるよ。……忙しいだろうに、こんなことで手を煩わせてすまない」

 そうイリスが答えると、小箱に入った薬の包みをひとつ、付き添ってくれていたネイディアがフェリックスに渡した。

「いやいや、我慢するこたぁありません。医者ってぇのはそのためにいるんですから。――では、お大事に」

 部屋を辞するフェリックスに、イリスは寝台に横になったまま、もう一度「ありがとう」と言った。

「ネイディアにも面倒をかけて悪かったね」

「いいえ、お気になさらないでください。もとはと言えば早合点したあの子たちが悪いのですから」

 そう言ってネイディアは溜め息をついた。

 騒ぎに駆けつけたネイディアが事情を問いただしたところ、マリーナたちがイリスの不調を悪阻と勘違いしていることが判明した。その時イリスは寝込んでいたため口出しできなかったが、ミアとノーラ、そしてマリーナまでもがネイディアにこってり絞られたらしい。目を覚ましたイリスに、しょぼくれた様子で謝る姿は可哀想なくらいだった。今は三人とも、別室で待機という名の反省をさせられている。

「本当にもう……。マリーナ様は本がお好きなのは結構なことなのですが、最近は大人びたものもお読みになっているようで。かといって正しい知識まで学ばれているわけではないようですから困ったものです。若い侍女たちにも教育が必要ですね」

「あまりきつく叱らないであげて。わたしのことを心配してくれていたのだし……。情けないな」

 イリスが苦笑とともに溜め息をこぼすと、ネイディアは白湯を差し出してゆっくり飲むよう促してくれた。

「フェリックス先生もおっしゃったように、これは強い弱いの問題ではありません。環境もそうですが、生まれ持った体質ということもあります。御子を授かるかどうかも、焦る必要などありませんよ。まだ嫁いでいらしたばかりなのですから」

「あ、あぁ、うん……」

 子を成すことなく月の障りを迎えてしまって落ち込んでいるのだと思ったのだろう。優しく諭してくれるネイディアに申し訳なくなる。乳母としての経験がある彼女は、やがて生まれてくるはずの子供の世話役を想定して派遣されたはずなのだから。

「……殿下を呼んできてもらえるだろうか」

「はい、かしこまりました」

 イリスがそう頼むと、ネイディアは快く引き受けてくれた。

 待っている間、何度も深呼吸をする。今度こそ、落ち着いて話しをしなければ。

 やがてノックの音がして、「お連れしました」とネイディアの声。

 部屋へ通されたギルベルトを、イリスは立ち上がって出迎えようとした。それを彼が制する。

「そのままでいい。……楽にしていてくれ」

 考えながら言葉を付け足したようだった。イリスは素直に従い、頷く。

「では、何かあれば鈴を鳴らしてお呼びください。――殿下、お荷物はこちらへ置いておきますよ」

 ひと抱えほどもある平たい箱を運び込み、卓の上に置いたネイディアが一礼して出て行く。イリスには心当たりのないものだったが訊ねる暇もなかった。

 部屋はしんと静まりかえる。

「あの……。と、とりあえず座って」

 寝台の側に置いた椅子を指差して促すと、ギルベルトは黙ってそこに腰を下ろす。

 じっとりと汗をかいた両手をきつく握りしめ、寝台に半身を起こした状態のままでイリスは頭を下げた。

「思い違いで責め立ててしまって、申し訳なかった」

「いや、俺のほうこそ……」

 ギルベルトが答えると、また沈黙が流れた。

 あの日、イリスが見たもの。あれは間違いなくギルベルトとカイだった。しかし彼らは決してそういう関係ではなく、カイによる悪ふざけだったそうだ。もちろん口づけなどしていない。しかもその直後、怒ったギルベルトがひねり倒したうえに蹴りを食らわせたらしく、その治療をフェリックスが行ったと証言を得た。割高な診療費を請求して、臭いのきつい湿布を渡したという。

 ギルベルトはと言えば、マリーナたちの会話をたまたま耳にしてしまったらしい。

 すべて、イリスが倒れている間にネイディアがまとめてくれた話である。ただし二人がまだ夫婦の契りを結んでいないことには気づいていない様子で、彼が無神経な言葉でイリスを怒らせた末の痴話喧嘩だったと思ったようだ。

「イリス」

 呼ばれ、改めて彼の顔を見る。真摯な眼差しに目が離せなくなる。

「俺とカイのことを思い違いしていただけなら、もし、許されるのなら、これからも俺の傍にいてくれないだろうか」

 聞き間違いでなければ、それはまるで愛の告白のようであった。

 驚いて何も言えないでいると、彼はイリスの左手を取った。薬指に、冷たい金属の感触。

 金の指輪がそこにあった。

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