殴っていいと思うよ
捕まっていた子供たちや娘たちは、身元の確認が取れた者から親元へと送られていった。
数名いた身寄りのない者は、皇太子の采配によりしばし宮殿で世話をするらしい。
ひとまずはこれで終わった。
終わったのだが。
「お前に教えられたようにやってみたらだめだった」
「いーじゃんいーじゃん。これで引く時ってやつがわかったろ? なら一歩前進だ」
もはや実家かという勢いで、マリーナは頻繁にクヴェレ城にやってくる。そうするとカイもくっついてくる。
普段なら追い返したいところだが、今のギルベルトにはそんな気力も残っていなかった。
「身をよじって逃げられたら……そこでさらに押したら……蛇蝎の如く嫌われる……蛇蝎ってなんだ?」
「ヘビとサソリ。平たく言えば害虫」
「……」
「訊いといて落ち込むなよ」
「……もはやその段階かもしれないんだ」
「……まじで? なんで?」
「それがわかれば悩んでいない……!」
ギルベルトは頭を抱えた。
なんせあれからイリスとはほぼ顔を合わせていない。夜の庭にも現れない。何か伝えることがあればネイディアが伝言を持ってくる。
「あれじゃね? 半獣化してる状態でやっちゃったんだろ? それが嫌だったんじゃね?」
「彼女は見た目だけで人を嫌うようなことはしない絶対にだ」
「急に早口になるじゃん。嫁の強火オタクこわい」
なぜかカイが引いている。こいつに引かれたら人間終わったも同然な気がする。
しかし事実だ。彼女は獣の姿で会った時でさえ普通に接してくれていた。それを今さら半獣化ごときで驚いたり嫌ったりするとは思えない。
「そーいや俺もさ、マリーナ送ってった時に部屋の前でお嫁ちゃんに会ったんだけどさ、笑顔のはずなのになんか目が笑ってないんだよなー」
「彼女に何かしたのか」
「なんもしてないって。こないだ宮殿で会った時に初めて挨拶したんだぜ? まぁでも、身内の嫁ってなんか緊張するから、ちょーっとだけふざけてみたんだけど見事にスベったみたいでなぁ。原因っつったらそれくらいしか思い当たらん。――あっ」
「やっぱり何かしたのか」
「してないしてない。むしろしてないから問題。俺、あん時お嫁ちゃんに助けてもらった礼まだ言ってねーわ」
「彼女はそんなことで怒ったりしない絶対にだ」
「嫁の強火オタクこわい」
どうしてこんなことになってしまったのだろう。誰か教えて欲しい。
「とにかく落ち込んでたって始まらないぞ。俺も一緒に考えてやっからさ」
ギルベルトの肩をぽんと叩き、カイが爽やかに笑う。
「今、初めてお前のことを良い奴だと思った」
「えぇー? 遅すぎじゃなーい?」
あははうふふと笑うカイ。
理由はまったくわからないが、その笑顔を殴りたい、殴らなければいけないと思ってしまう。
その衝動を抑えるため、ギルベルトは両の拳をぐっと握った。
◇◆◇◆◇
「最近、ギル兄様とカイ兄様が妙に仲良しな気がするのです」
「げっほっ」
お茶を飲みつつ不思議そうにマリーナが呟き、イリスはつい噎せてしまった。
「まぁ、お義姉様! 大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫。ごめんね」
こほこほ言いながら謝る。
「……やっぱり、マリーナの目から見てもそう思う?」
「そうですねぇ。だってカイ兄様、正直ウザいじゃないですか」
「直球で言うね」
「それをあのギル兄様が追い払わないなんて、何かあったのかしら?」
「何か……あったんだろうねぇ……」
「ああっ、お義姉様! まったくお茶が飲めてませんわよ! 全部っ! 全部零れています!」
わたわたと慌てだすマリーナと、拭くものを持って来てくれるミアとノーラ。
最近のイリスはずっとこんな感じだった。
マリーナが来てくれるのは嬉しい。
けれど、それにカイがくっついてくるのが辛い。マリーナを部屋まで送り届けた後はいそいそとギルベルトのもとへ向かうのだ。実に挑発的な男である。
これをイリスはひとりで抱え込むしかなかった。
誰にも言えるわけがない。
わたしの夫は、彼の従兄と不倫関係です。どうしたらいいですか。
言えるわけがない。ましてや、まだ十二歳のマリーナに身内同士の不倫どうこうなんて話していいようなことじゃない。ミアとノーラも十四と微妙な年頃だ。ネイディアならあるいは訊いてくれるかもしれないが、そもそも他人の秘め事をぺらぺら喋るなど主義に反する。
正直、ここ数日は食欲もなくて水やお茶で繋いでいる状態だった。
そうすると今度はお茶の飲み過ぎで胃が荒れてきて、何か食べようとすると吐き気がする悪循環。
もはや進退窮まれりである。
「……ごめん、マリーナ。せっかく遊びにきて貰っているのに悪いのだけど、少し横になりたいんだ」
「そんな、お気になさらないで。わたくしお外をお散歩してきますから。――行きましょう。ミア、ノーラ」
「え? わたしたちもですか?」
「でも、お片付けしなくっちゃ……」
「いいから、早く! リリエラ、お義姉様のことよろしく頼みますね」
マリーナは自身の侍女にそう言い置き、三人連れ立って出て行く。
リリエラという女性はとても物静かで気が利く人だった。じっと見守られるのをイリスが好まないと察し、すっと椅子に座ると読書をはじめる。
穏やかな時間だ。すぐに眠気が襲ってくる。
食べないことで体力がずいぶん落ちてきているのを自覚しながら、イリスは静かに目を閉じた。




