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あなたのことがわからない

 虚無だ、と思った。

 魔物の口の中に見えた闇。虚無だ。痛みも恐怖さえもすべて飲み込む、無。

 それなら別にいいかと思えてしまう。ただ、気がかりなのはミアだ。自分がここで食われたら、次はミアが食われる。そして誰も倒す者がなければ、もっともっと食われるのだ。

 だから。

「――散れ!」

 聖剣を強く握り直した。食われてもいい。手足の一本二本、いいや命だってくれてやる。それでもせめて、こいつはここで必ず仕留める。

 かっと目を見開いた。その視界に、別の闇が飛び込んでくる。

 黒い獣。いいや、人。やはり獣だ。わからない。どちらかわからないものが、魔物を爪の一閃で引き裂いた。

 魔物の残骸は跡形もなく消えて行く。

「……殿下?」

 振り返ったその顔は、確かに見知った人のものだった。

 黒い耳と尻尾が見えた。ミアのものと似ているけれど少し違う。

「イリス……」

 初めて名を呼ばれた。驚いて身を竦ませる。その身が、腕の中に捕らわれた。

 鋭い爪を立てないようにか、両手は開いたままだった。

 まるで卵でも抱くみたいな抱擁の中で、イリスは身をよじった。すると、弾かれるように彼は後退る。

 黒い耳がぺたりと伏せられていた。どうしてそんなに傷ついた顔をするのか、わからない。ひどいのは彼のほうだ。他の女を好いているくせに、こんなことをするなんて。同情ならやめてほしい。

「すまない……」

 絞り出すような謝罪だった。やはり一時の情であったのだ。わずかでも何かを期待した己に内心で自嘲し、溜め息を零す。それと同時にギルベルトの感情が読み取れる耳と尻尾はかき消えていた。

 静かだった。ミアはまだすやすやと眠っている。無事だった。それに、眠っていたおかげで怖いものは何も見なかったのだ。――しかし。

「あの子供は、いったい……?」

 突然現れた子供の姿が消えている。いったい、あれはなんだったのか。

「あれは疑似餌だ。人間を食った魔物は、食った者の姿を写し取ることができる。過去の姿も、老いた姿も自由に操って使う。食えば食うだけ知能も上がるから厄介だ」

 疑似餌。触覚の先を餌のように動かし、小魚をおびき寄せて食べる大型の魚がいる。それと同じように獲物を騙すということか。子供の姿を見せれば盾として使えると、考えてやったのだ。

 そこに考え至り、はっとした。ギルベルトが猛獣皇子と呼ばれる所以。

 魔物に捕らわれた子供もろとも斬ったという。それはこういうことだったのか。

 そんな噂がある割に、兵士たちに慕われている様子なのもそれなら納得がいく。

 彼らはこの人が何も悪くないことを知っているのだ。

「あ、あのっ」

 今なら言える気がした。いや、今言わないといけない気がした。

「……ありがとう、助けてくれて。足の、包帯を巻いてくれたことも……」

 まとめて言ってしまった。ちょっとずるいなと自分でも思う。

「あんたは礼ばかり言うな」

 そう呟いたギルベルトの口角はほんの少しだけ上がっていた。

 笑った。なんと、笑ったのだ。ギルベルトが。この人の表情筋そんなふうに動くんだと、失礼ながら感心してしまう。

 でも、ケーキを断られた時を除けば、お礼を言ったのは初めてのはず。どうしてそんなことを言うのだろう。

 不思議に思っていると、んんっ、と声が聞こえた。ミアが目を覚ましたのだ。

「……あれ? わたし、なんで……?」

「良かった、ミア! 痛いところはない?」

 ぼんやりした顔できょろきょろするミアをイリスは慌てて抱き起こした。ミアは返事の代わりみたいに大きな欠伸をする。

「本当に良かった……。殿下のおかげで、この子を無事に取り戻せたよ」

「いち早く気づいたのはあんただ。俺はマリーナの報せを受けて追ってきただけに過ぎん。――なぜ、港へ向かうとわかった?」

「ミアを眠らせるのに使われたのは遊眠苔の精油だったから。これはマナルフ王国の、一部の山にしか生息していない。マナルフは海を隔てた向こうの大陸にあるから、もし連れ去るなら船しかないと思ってね」


「……なるほど」

 感心したように彼は頷いた。しかし、すぐ何かに気づいたように目を見開く。

「イリス!」

「え、な、何?」

「今すぐ帝都へ戻って、今の話を父上か兄上に伝えてくれ」

「は? え? なぜ?」

「頼んだぞ」

「ちょっと!」

 彼が鋭く口笛を吹くと林の中から愛馬が駆け寄ってきて、それに飛び乗り駆け去って行く。

 イリスが街の少年から買い取った馬は道の端でのんびりと草を食んでいた。

「なんなんだ……」

 ちょっとだけ彼のことがわかったような気がしたけれど。

 やっぱり何もわからないままだった。


 ◇◆◇◆◇


 馬を駆け、ギルベルトは港へ着くなり警備責任者の兵団長を呼びつけた。

「船の出航をすべて止めろ。船内を検めるまで一隻も出させるな」

 突然現れた皇子の命令に戸惑いつつも、兵士たちが貨物船から客船まですべての船を検めていく。

 その中で一隻、水夫たちがひどく抵抗する船があった。マナルフ行きの貨物船だった。

「なんの権利があってこんなことをするんだ!」

 兵士と水夫が押し問答を繰り返し、強引に碇を上げようとしている。その現場へギルベルトは駆けつけた。

「ベールア帝国第二皇子の名の下に命じている。従わぬものはこの場で斬り捨てる」

 ギルベルトの宣言とともに兵士たちは剣を抜いた。青ざめ、抵抗をやめた水夫たちの脇を抜けて幾人かの兵士が船内に侵入する。

「――子供たちがいました! それも、何人も!」

 発見の報が飛び、水夫たち――人身売買の狩人たちは観念して頽れた。

 船内はひどい有様だった。空気穴だけを開けた箱に子供や若い娘らが閉じ込められていた。獣化できるベールアの民を狙ったのだろう。市井の生まれで獣化できる者は、戦う力が乏しい。箱を使ったのは猫や兎といった小さな動物に変化して逃げられるのを防ぐためだ。当然、排泄物も箱の中に垂れ流すしかない。

 こんな環境下で何日もかけて運搬されれば、命を落とす者もいるはずだ。それでも儲けが出るほどに、獣化できる子供たちは高額で売買されている。

「お前たちにはベールア帝国の法の下に裁かれてもらう」

 ベールアにおいて、人身売買に手を染めた者は、その須くが死罪である。

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