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ミアを救出せよ

 カッセル氏の店を離れた後、ノーラとミアはどこへ行こうか相談しながら歩いた。

 重要な任務だ。昨日、イリスはとても悲しい顔をしていた。もしかしたら故郷に帰りたいと思っているかもしれない。でも、我が儘だけれど、それは嫌だった。ずっとここにいてほしい。だからベールアをもっと好きになってもらわなければ。良いものを選んで買っていかなければ。

 最初は人通りの多い道を選んで歩いていた。けれど、あっちこっちといろんな店に目移りしているうちに、薄暗い路地へ入ってしまった。

 財布を任されていたノーラは、そこでふと不安になった。大通りへ戻ろう。そう思って振り返ったら、すぐ後ろにいたはずのミアが消えていた。


 ◇◆◇◆◇


「心当たりは?」

「わかりません……。ただ、大通りを歩いている途中、犬に吠えられたんです。それで、ミアが驚いて耳と尻尾を出してしまって。すぐに引っ込めて、誰にも見られてはいないと思ったんですけど……。あと、ミアが立っていた場所に、これが落ちていました」

 そう言ってノーラが一枚の布を差し出した。

 手巾ハンカチのように見えるが、ただの端布だ。ミアのものではない。妙な甘ったるい匂いがついている。

 イリスはその匂いに鼻を寄せてみた。すると一瞬、くらりと視界が揺れる。

 慌てて顔から離し、記憶を探った。この匂いには覚えがある。

「遊眠苔の精油か……!」

 セパヌイールにある、植物標本の保管施設。そこで触れたことのある匂いだった。実験用に希釈したものを嗅いだだけだったが、それでも頭がふわふわとするほどの強力な眠り薬である。

 ただし、原料となるのは非常に希少な苔である。生息地は限られた場所にしか確認されていない。

 それならば、ミアは――

 思い至った可能性に、イリスは青ざめた。そして一同をその間に残し、店を飛び出す。

「お義姉様! どちらへ!?」

 驚いたマリーナの声。それに振り返ることなく答えた。

「――港だ!」

 大通りへ出て素早く視線を走らせる。当然ながらミアの姿はどこにもない。そこでイリスの目に付いたのは、少年に手綱を引かれた馬だった。

 帝都を訪れた観光客を乗せて歩くための馬だろう。駆け寄ってその首筋に触れてみる。

「あ、ご乗馬ご希望ですか?」

 客だと思ったらしい少年が笑顔で問いかけてきた。その少年に、イリスは髪から引き抜いた金細工の髪留めを握らせる。

「この馬、売ってくれ」

「え?」

 返事を待つことなくイリスは馬に飛び乗ると、力強く拍車をかけた。

 待たせてある馬車のもとまで走る暇も惜しかった。それに、長距離を車を引いて歩いてきた馬は疲れている。そう長く走れないだろう。

 対し、この馬はまだ汗をかいていなかった。見たところ若駒だ。これに賭けるしかない。

「道を開けよ!」

 通りを疾駆する馬を、人々が慌てて避ける。避けきれなかった者は手綱を繰って飛び越え、帝都の門外まで一息に駆け抜けた。

 道はわかる。行き先が港なら、嫁いできた日、馬車に乗せられ来た道だ。

 どうか間に合ってくれと歯を食いしばる。

 土が剥き出しの林道に差し掛かった時だった。前方に、荷馬車らしき影を捉えた。

 荷台の前半分が幌に覆われている。幕は下ろされ、中の様子は窺えない。

「その馬車、止まれ!」

 叫ぶが、馬車は止まるどころか加速した。舌打ちし、イリスは馬の腹を強く蹴る。

 追い抜く勢いで馬車に並んだイリスを見て、御者台に座った男はぎょっと目を剥く。

 その隙を逃す手はなかった。素早く鐙から足を引き抜き、鞍の上に立つと同時にイリスは跳んだ。そのまま御者の男を蹴り落とし、手綱を強く引いて馬車を停止させる。

「ミア!」

 御者台から降り、イリスは荷台に駆け寄った。しかし、息を飲んで足を止める。

「動くんじゃねぇ! こいつを串刺しにすんぞ!」

 幌の中から男が出てきた。二人だ。荷台の上に大きな麻袋を引きずり出し、片方の男がそれに大ぶりのナイフを当てていた。

 袋の口は荒縄で括られている。大きさはちょうど、人がひとり、入るくらい。けれど微塵も動かない。心臓が痛いほど早鐘を打つ。

「武器を捨てて両手を挙げろ。――早くしろ!」

 イリスのわずかなためらいを見て取って、声を荒らげた男は手にしたナイフに力を込めた。切っ先が麻袋に食い込む。

 血が滲むほど唇を噛みしめ、イリスは剣帯から聖剣を取り外し地面に落とし、両手を挙げた。手隙の男がそれに悠然と歩み寄って拾い上げる。

 そこへ、イリスが御者台から蹴り落とした男が足を引きずりつつ近づいていた。

「くそっ、やりやがったな、この女……! ぶっ殺してやる!」

「殺すだけでいいのかぁ?」

 聖剣を手にした男が鞘に納めたままの切っ先でイリスのスカートをじりじりと持ち上げる。耐えがたい屈辱だった。

「この、不埒者……!」

 額に傷跡のあるその顔を、イリスは烈火のような眼差しで睨めつけた。

「おい、ちょっと待てよ。その髪……そいつ、セパヌイールの女だ! このガキより高く売れるぞ!」

 荷台にいる男が歓喜の声を上げる。

 やはり人攫いだ。イリスの読みは当たっていた。

 ならば少なくともミアは生きている。――今のところは。

「ふぅん。セパヌイールねぇ」

 傷跡の男はそれでもイリスから離れなかった。そろりと襟元に手を伸ばしてくる。

「おい、売りもんだぞ。傷つけんなよ」

「わかってるって。ちょっとだけ、ちょっとだけ」

 荷台の男は止めるものの口調は軽い。それをいいことに傷跡の男はいよいよイリスの胸倉に掴みかかってきた。

 たまらず身をよじったことで襟が裂け、更に強く引っ張られる。

「逃げんなよコラ」

 繊維の裂けていく音がずいぶんゆっくりと聞こえた。それに自分自身の心臓の音か重なる。

 聖剣を持たない自分は弱い。

 彼にそう思い知らされた。つい先日のことだ。

 あぁ、嫌になる。どうしてこんな時に思い出すのがあの人の顔なのだろう。彼は別の誰かのものなのに。

 口の端から血が垂れた。噛みしめた唇が切れたのだ。

 けれど、そうしていないと呼んでしまいそうで。

 その名を、まだ呼んだこともない彼の名を叫んでしまいそうで。

「ぎ……」

 耳に届いた音。つい声が漏れてしまったのかと、目を見開く。

 けれど、違った。これはイリス自身の声ではない。

 音の出所は荷台の上だった。イリスがそちらに視線を向けると同時に、胸倉を掴む手がゆっくりと離れていく。

「な、な……なんだ、あれ……」

 傷跡の男がゆっくりを後退っていく。

 荷台の上には、魔物がいた。その姿は、ごく微細な物を観察する特殊な眼鏡で見たことがある、水中生物に似ている。

 しかしその口らしき部分には無数の歯が並んでいた。伸縮する大きな口だ。今、その口は荷台にいた男をゆっくりと飲み込んでいく。

「ひっ……ぎ……たすけ……」

 それを最後に、男の身体は完全に魔物の中へと消えた。そして、ゴリゴリ、パキパキ、という咀嚼音が響き渡る。

「うわぁっ!」

 聖剣をその場に放り出し、傷跡の男は転げるように逃げ出した。イリスは投げ出された聖剣を空中で受け止めると、鞘を払って構える。

「“花装(フロレゾン)”ミルフルール!」

 その言葉に呼応し花弁が舞う。戦闘装束を纏ったイリスは迷いなく魔物の足元へと飛び込んだ。

 動かない麻袋を小脇に抱えてすぐさま飛び退く。魔物が食らいついてきたが直前で躱した。

 魔物は黒々とした目で、別の獲物を見定める。ずんぐりとした体躯からは想像できない跳躍力で、まずは足を怪我していた男を飲み込んだ。そして更に遠くへ跳んで、傷跡の男に食らいつく。

「ミア!」

 袋を引き裂いて呼びかける。中から現れたミアは目を閉じたまま動かない。けれど息はあった。規則正しく呼吸をしている。

「ああっ、ミア……!」

 安堵で涙が出た。けれど今は泣いていられない。涙で歪んだ視界では戦えない。

 ミアを地面に横たえ、身構えた。

 魔物は一匹。大丈夫だ。倒せる。

――あんたの剣は、疾い――

 耳に蘇るその言葉。友が背中を押してくれる。

 イリスは力強く地面を蹴った。魔物は背を向けている。――届く。

 疾る刃。その先に、あまりに唐突に、人の顔が現れた。

「うわぁぁぁん! ごめんなさい、ごめんなさい、たすけてぇ!」

 甲高い声。額に傷のある――子供。

「なっ……!?」

 イリスの剣が止まる。

 それは一瞬だった。けれどその一瞬で充分だった。

 ぐりゅんと魔物の首がねじれる。黒い深淵のような目がイリスを捉える。

 無数の歯が並ぶ口が、大きく開かれた。

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