嫌な予感はだいたい当たる
「よっ。お疲れさん」
「帰れ」
兵舎横の演習場に顔を出した従兄に、ギルベルトは冷たく言い放った。
「なになに? なに怒ってんの? あれのこと? どれのこと?」
心当たりが多すぎて特定できないようだが、直近でいえば婚姻の儀式の直後、イリスに心奪われたギルベルトの心情を目敏く察した彼が「どんな気持ち? ねぇ今どんな気持ち?」と鬱陶しくつきまってきたことなどが挙げられる。
「何をしに来た。用件があるならさっさと言え。そして帰れ」
「俺は特に用事なんてないよ。マリーナが来たがったから、付き添い」
出てきた妹の名に顔をしかめる。それこそあいつは何をしに来た。いや、なんとなくわかる。イリスのことを愛読書の主人公に重ね合わせていたマリーナはまるで自分が結婚するみたいにはしゃいでいたのだ。彼女に会いに来たのだろう。あることないこと喋っていなければ良いが。
「そうか。だったらもう帰れ。マリーナはうちの者に送らせる」
「やだぁ。兄妹して俺のこと雑に扱うじゃん。もっと従兄を大事にしてぇ?」
昔からカイはこうやってギルベルトに構ってくる。彼自身には兄弟がいないから弟のように思っているのかもしれないが、正直面倒くさい。
「なーなーなー、それよりさぁ、嫁ちゃんとはどうなの? 楽しくやってる?」
そう言ってにやにや笑いながら両手を下品にわしわしと動かす。本格的に殴りたくなってきた。
ギルベルトが答えないでいると、カイは周囲で鍛錬をしている兵士たちに目を向けた。
「なぁ、お前ら。こいつと嫁さん、どんな様子?」
いきなり水を向けられ、一番近くにいた若い兵士たちはきょどきょどと視線を彷徨わせる。
「いやあの、なんというか、アレです」
「めっちゃ激しいっすね」
「ほうほうほうほう? もうちょっと詳しく」
興味津々で聞きに行こうとするカイ。ギルベルトは彼の長い髪を掴んで引き留めた。
「行くな。こっちに来い」
「痛い痛い! わかった、わかったから引っ張るな抜ける! ごっそり抜ける!」
ぎゃんぎゃん騒ぐカイを引きずり、ギルベルトは兵舎の裏手に回った。これ以上は兵士たちの鍛錬の邪魔だ。
兵舎裏はベリー類の栽培地になっていた。日当たりの悪い場所でも比較的育ちやすい作物だ。空いた土地を有効活用するためだが、放っておくと枝葉はどんどん茂って見通しが悪くなってくる。そろそろ剪定の時期だなと思いながら、ギルベルトはようやくそこでカイを放した。
「ったく、なんだよ。そこまで怒ることないだろぉ?」
乱れた髪を直すために髪紐を解きながら、カイはぶすっと拗ねたように言う。
「たとえ言葉だけでも彼女を穢すな」
「大げさだなぁ。そんな童貞みたいなこと言って……」
言い止し、カイは冷や汗を垂らした。目敏い彼は、ギルベルトのわずかな表情の変化を決して見逃さない。
「おい……。おいおいおい、まさか嘘だろ……? 式から何日経ってんだ? 仮に初夜と、彼女ができない日が被ってたとしてもだ、さすがにそろそろいけるだろ……?」
いつもと違って揶揄うような意図のない質問攻めだった。本気で心配しているようだ。
「軍医殿には相談したのか? 言い辛いなら俺からそれとなく伝えてやろうか? 精力剤ください、って」
「やめろ貴様」
どこがそれとなく、だ。しかも勝手に不能扱いするな。むしろこっちは毎日我慢しているんだ。夜に会って話す時、少しずつではあるが距離が縮まってきている。近くなったぶん、獣の姿でいると蜜のような彼女の香りにやられそうになる。
怒りにまかせてカイの首を絞めにかかったが、ひらりと躱されてしまった。
「だってそれ以外にどんな理由があるんだよ?」
「……言えない」
イリスとはまだ友達だ。彼女がそれを望み、ギルベルトは承諾した。今さら覆すわけにはいかない。
カイはギルベルトの様子をじっと観察し、碧眼を細めた。
「なるほど、無理強いはしたくない、ってとこかね。けどな、ギルベルト。それいつまで続けんだ? 『よし』って言ってもらえるまでじっと待ってんのか? 行儀の良いわんこちゃんだな」
聞き捨てならない言い草だ。ぎりっと強く睨めつける。しかしカイは真っ向からそれを受け止め、言い募った。
「いいか、よく聞け。女の言う『だめ』は『さっさと来い』って意味だぞ」
ちょっと何言ってるのかよくわからない。
「……どういうことだ」
「もちろん時と場合による。そこは相手の反応をよく観察して見極めるしかない。本気でだめな時に押したら一巻の終わりだ。もうどれだけ頑張っても挽回できないし蛇蝎の如く嫌われる。なんなら一生恨まれる。しかし、だからといって額面通りに受け取って引き下がってたんじゃ意気地無しの烙印を捺されちまう。いつだって俺たち男は試されてるってことを自覚しろ。これは命懸けの駆け引きなんだ」
すごい。なんかすごいことを言っている気がする。でもめちゃくちゃ馬鹿なことを言っている気もする。よくわからないが説得力だけは感じた。実体験だろうか。
しかし、だとすれば、イリスの本意に反した行動をとっている可能性があるということになる。ギルベルトは頭を抱えたくなった。
「俺はどうしたらいいんだ……」
絶望である。目の前が真っ暗になるのを感じた。
そんなギルベルトの肩を、カイが力強く掴んだ。
「任せろ。俺がお前を鍛えてやる。――俺を嫁さんだと思って練習するんだ」
やっぱり馬鹿なことを言っている気がする。
「そんなことできるわけがないだろう」
「嫁さんに嫌われていいのか? 他に相談できる奴なんていないだろ?」
「くっ……!」
痛いところを衝いてくる。たしかに他に手段はないのかもしれない。しかし。
「……なんだろうな。嫌な予感がする」
一瞬だが、総毛立つような悪寒を覚えた。本能的なものが何かを警告しているような。
「おっと、風邪か? 移さないでくれよ?」
カイはまったく気にしていないようだった。準備運動をしながら「ちょっと気持ち作るから待っててくれ」と言って咳払いと発声練習を始める。
「あーあー、んっんっ、――よし、いいぞ。俺に抱きついてこい」
「……何故」
「いいから! 拒まれた時にどう対処するのか練習すんの!」
そういうことなら仕方がない。大変不本意であるが、抱きしめてみる。こいつ自分が魔道士であることを免罪符に鍛錬を怠っているな筋肉が足らん。
「やだぁ、こんなところで……誰か来たらどうするのぉ?」
甲高い声で何か言っている。張り倒したくなる。
「彼女はそんなこと言わない」
「今は解釈違いの話してんじゃないんだよ。――ほら、こうやって迫られた時に本当に嫌だったら身をよじって逃げようとするだろ? そうじゃなければ第一段階突破だ。あとは相手の目をよく見る。三秒数えて目を逸らさなきゃほぼ大丈夫だ」
「なるほど」
心の中で三秒数えてみる。一、二、三……と、その時、カイがいきなりギルベルトの頭を掴んで唇を尖らし、顔を寄せてきた。とっさにその顔面を掴んで思いっきり捻り倒す。
「いっでぇ! 本気でやるわけないだろ冗談の通じない奴だな! 首もげそうだったぞ、取れたらどうしてくれるんだ!」
「縫い合わせてやる。ついでにその口もな」
「やだ、猟奇的!」
地面に横たわり、めそめそ泣く演技を続けるカイの尻に蹴りを一発くれてやる。ごろごろ転がって痛がるカイをその場に捨て置き、ギルベルトは演習場に戻った。くだらないことに時間を使ってしまった気がする。
戻ってきたギルベルトを見て、兵士たちは一様にざわざわとさざめき出す。
「あの、殿下。大丈夫でしたか?」
「……大丈夫じゃない」
心配そうに問うてくる兵士に、つい本音を漏らした。すると、なぜか彼らは同情の眼差しを向けてくる。
「お前たちの気にすることではない。鍛錬を続けてくれ」
どっと疲れた。しかし全部が全部、悪かったわけではない。
話をする時、ギルベルトはいつも彼女の顔を見ていなかった。眩しすぎて見つめ続けることができないからだ。
難易度は高い。
けれどやってみる価値はある。




