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義妹参上

 嵐というのは突然やってくるものである。

 ギルベルトと手合わせした日から数日経ち、結局彼とは日中まったく顔を合わせなくなった。というのも、彼は朝早くになると城外に出掛けていき、夜に戻ってくるという日が続いたからだ。今日は城内に留まっているようだが、相変わらず兵舎で過ごしているようだった。

 イリスはといえば体力が落ちないよう、ひとりで鍛錬を行い、夜になると狼の彼と少しだけ世間話をして終わるという日を繰り返していた。

 そして今。数日経っても晴れない心を慰める手段として、イリスは部屋の片付けに取りかかっていた。

 もうギルベルトの顔色を窺うのはやめたのだ。だったらこの部屋だってすっきりさせていいだろう。不要なものは全部倉庫にでも仕舞ってやる。そんな意気込みで腕まくりをした、まさにその時だった。

 ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきて、ばぁんっ、と部屋の扉が開け放たれる。

「ごきげんよう、お義姉様!」

 あまりに派手派手しい登場に、イリスは袖をまくり上げた姿勢でただぽかんと呆けるしかなかった。

 十二歳前後だろうか。輝くばかりの銀髪に大きなリボンをつけている。金色の瞳はくりくりと大きく、フリルたっぷりのドレスがよく似合っていた。

 誰だっけ。見覚えはある気がする。

 記憶を辿り、思い出した。帝都での結婚式の後、顔を合わせた皇帝一族の中に彼女もいた。簡単な挨拶だけしかしていないが、名前はたしか――

「ええっと、マリーナ姫……?」

「やぁだ、お義姉様! 義理とはいえ姉妹なのですからマリーナって呼んでください!」

 ぐいぐい来る。本当にあのギルベルトと兄妹なのだろうかと思うほどぐいぐい来る。

 詰め寄られる形になったイリスは思わず後退りしてしまった。

 部屋の外ではマリーナを追いかけてきたらしいミアとノーラがおろおろと困惑していた。その後ろから、マリーナの傍仕えと思しき若い侍女が静かに歩み寄ってきて彼女に一冊の本を手渡し、一礼して下がっていく。

「突然なのですがお義姉様! ずっとお慕い申し上げておりました!」

 本をイリスの眼前に突き出し、突然の告白。

 表題にはこう書かれていた。

『剣の乙女の冒険譚』と。


 物語の主人公はヴィクトワールという少女だった。

 魔法の剣を携え、世界中を旅しながら悪漢や魔物を退治していく子供向けの英雄譚である。

 ヴィクトワールは作中、魔法の剣の力によって花の剣士に変身して戦う。その様子が挿絵付きで描かれていた。

 最後の項を確認すると、初版は約十八年前であることがわかった。

「わたくし、この本が小さな頃から大好きで! ギル兄様のお嫁にいらっしゃる方がどのような方なのかお父様に訊いたら、まるでヴィクトワールそのもので! 運命を感じてしまいました!」

 大興奮といった様子でお気に入りの場面を開いては詳しく説明してくれる。

 イリスは驚きを隠せなかった。こんな本が世の中にあるだなんて。

「……これは、母です」

「はい?」

「このヴィクトワールという少女は、わたしの母の若い頃にそっくりです。憶測ですが、母のことを題材にして書かれたのだと思います。母の名は、ヴィクトリアといいます」

 市井の出であった母は剣の腕前を見込まれ、王家に仕える騎士となった。聖剣ミルフルールを貸与された母はそれにより数多の功績を挙げている。イリスと同じように国外へ派遣されたこともあるそうだ。

 そして物語の最後、ヴィクトワールは若き王に見初められ、結婚する。これもまた母の人生を辿るかのようだ。

「そうだったのですか……。でも、だとしたら、たしかセパヌイールの王妃様は……」

「六年前に亡くなりました。セパヌイール国内に出た魔物を討伐するため出撃し、襲われていた民を守って負った傷が治りきらずに……。立派な最期でした」

 王妃となっても自ら望んで戦った。気高い剣士であった母を、イリスは誇りに思う。

 物語には描かれていない、めでたしめでたしのその後。それを知ったマリーナはぼろぼろと泣き出してしまった。

「ご、ごめんなさいっ! わたくし、何も知らなくて! 勝手に浮かれて押しかけて、こ、こんな、本をお見せしてしまって……!」

「そんな、謝らないでください。嬉しかったです。遠い異国で、母の物語がこんなにも愛されているなんて。――ほら、泣かないで。可愛いお顔が台なしですよ?」

 べしょべしょになったマリーナの顔を手巾ハンカチで拭ってやる。すると彼女は突進するような勢いでイリスに抱きついてきた。力が強すぎてぐえっとなったが我慢する。

「うわーん! お義姉様、大好きー!」

 感情表現が直球すぎて、本当に似ていない兄妹だなと思った。さすがにここまで賑やかでなくても、もう少し彼も心の内を見せてくれたらいいのに。

「この本、お借りしてもいいですか? わたしも読んでみたいです」

「もちろんです! あ、なんなら作者をご紹介しましょうか? カッセル先生は帝都にお住まいなんですよ。わたくしお訪ねして、直筆で署名をいただいたんです」

 そう言って表紙を開いたところに記された署名を見せてくれた。

 本当に昔の母を知る人なら、会ってみたい。そう思った。

「ええ、是非お願いします」

「よぉし! では、参りましょう!」

 言うなりマリーナはイリスの腕をぐいぐい引っ張りだす。話が早すぎる。ちょっと待って欲しい。

「い、今からですか?」

「いけませんか?」

「いえ、わたしは構わないのですが……。一応、その、旦那様の許可をいただかないと……」

 旦那様、と言うのが嫌で少し口ごもってしまった。

 ここから帝都までは馬車で数時間かかる。今から行って戻ってくるとなると日をまたいでしまうかもしれない。さすがにそうなるとギルベルトに話をつける必要があるだろう。彼に気を遣うつもりはなくても、妻という立場であることは変わりない。城主である彼がここの管理責任者であるとすれば、イリスは補佐役なのである。無断で外出することはできない。

 マリーナは、むぅっと口をとがらせながらも理解はしてくれた。

「それなら仕方ないですね……。でも、ギル兄様ならそんなこと気にしないと思いますよ? あの人とにかく無頓着なんですもの。このお部屋だって、わたくしが飾り付けをしなければまるで兵舎と変わらないような味気なさだったんですよ? ――お気に召してくださいまして?」

 この部屋のごてごてした内装はそういうことだったのか。今し方すべて片付けようとしていたイリスはつい目を泳がせてしまう。

「え、えぇ、とても!」

「でしょー? ――あら、でも何か足りないような?」

 部屋を見回し、首を傾げる。マリーナ。

 たしかにひとつ足りないものがある。イリスが蹴り割ってしまった花生けだ。その原因となったミアは部屋の扉のすぐ横で俯きながら青ざめている。

「も、申し訳ありません! とても素敵なお品だったので、無事に到着した報せの手紙と共に、実家へ贈ってしまって……!」

 つい口からでまかせを言ってしまう。嘘をつくのは心苦しいが、マリーナを悲しませたくはなかった。

「まぁ、そういうことでしたの! 言ってくださればもっと良い品をご用意しましたのに! 今度持ってまいります!」

「わぁ。うれしい」

 かろうじて言葉にはできたが情感を込めるのは無理だった。暴走馬車みたいな娘だ。この部屋を片付けるのは諦めたほうがいいらしい。こっそりと溜め息をつく。

「……では、わたしは殿下と話してきますね」

 正直、彼と話すのは気が重いけれど。

 あの人のことを気にすることなく一日過ごせるのなら、安い代償だとは思った。

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