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青春といえば、そう、決闘だよね

  感謝の気持ちを伝えるには、まず相手と顔を合わせて話をしなければならない。

 しかしながら、きっかけがない。朝食の際、食卓を共にするかと思いきや、ギルベルトは姿を見せなかった。

 なんでも、早朝から兵士たちと共に鍛錬を行うのが日課であるらしい。そのため朝食は鍛錬後、兵舎で部下たちと共にする。そういえば昨晩、彼は食事もすべて兵舎で済ませるとノーラが言っていた気がする。

 ほっとしたような、残念なような。

 食事時にも会わないとなれば、もはや遭遇することすら難しいのではないか。

「兵舎や演習場を訪ねてはだめだろうか?」

 食後の茶を注いでくれるミアに訊いてみた。ミアは首を傾げる。

「特にだめとは聞いていないと思いますが……」

「よろしいですよ。妃殿下はこのクヴェレ城の城主の奥方なのですから。入ってはいけない場所などございません」

 答えたのは、空いた皿を下げにきた侍女頭のネイディアだった。彼女とはまだほとんど言葉を交わしておらず、いささか緊張する。

 すると、そんなイリスの様子を見て取ったらしくネイディアは苦笑した。

「楽になさってください。昨晩のこと、詳しく伺いましたよ。ミアを助けてくださったそうで。若い娘たちはもうすっかり妃殿下をお慕いしているようです。――わたくしも、気概のあるご婦人が嫁いでいらしたことに心の底から安堵しております。小胆なお方では、きっと心折れてしまったでしょうから」

 言い換えれば図太いという意味に聞こえなくもないが、ネイディアの表情を見るに他意はなさそうである。むしろギルベルトに対し、思うことがあるようだ。

「貴女は殿下の乳母だったそうだね?」

 楽にと言われたからには、畏まった態度でいるのは逆に失礼だろう。取り繕うことなく、素のままで話す。するとネイディアは過去の記憶を辿るように目を伏せた。

「本当にお小さい頃に、お世話申し上げただけでございますが……。その頃から、人と関わるのを好まないお方でした。情より力と申しますか……。兵士たちは、それを平等と受け止めて慕っているようですが」

 なるほど、わからなくはない。軍組織というものに情を挟み込み、力の無い者を参謀などに据えてしまえば組織は瓦解する。当然のことではあるが、やはり人間である以上は私情を捨てきれぬもの。それにより総崩れとなった話など、歴史を辿れば数多存在する。

 けれど非情に徹し過ぎても人がついてくることはない。ならば、彼は単なる冷血漢というわけではないのか。

 少しは希望が見えてきた気がする。

「お願いごとがあるのだけど、聞いてもらえるかな?」

「はい、なんでございましょう?」

 思いついたことを実行するため、イリスが申し出た内容に、ネイディアとミアは驚いて顔を見交わしたのだった。


 兵舎は城郭内の北側に位置し、演習場と厩舎も同じ一郭にあった。

 途中で通りかかった演習場は柵で囲われただけの草地で、見通しが良い。けれどそこに人の姿はなく、午前中の鍛錬を終えて皆兵舎に戻ったのだろうと窺えた。

 兵舎の扉の前に立ち、イリスは生唾を飲み込む。

 いざ来てみると、なかなか踏み込む勇気が出ない。バスケットを抱えた手に力がこもり、引き返したくなってくる。

「お? そこにいるのはもしや妃殿下ですかい?」

 背後からいきなり声がかかり、イリスは飛び上がるほど驚いた。前方にばかり気を取られていたせいで、人が近づいてきたことにまったく気づかなかった。

「おっと、驚かしちまってすいませんね。俺はフェリックスっちゅうもんです。ここで軍医やっとります」

 そう名乗ったのは三十前後の男で、確かに軍服と白衣を身につけてはいるものの、ぼざぼさ髪と無精髭がまるで街のごろつきのようである。そのうえ、イリスのことを頭から足先までじろじろ眺め、その不躾さにむっとする。

「あの、何か?」

「いや、失敬。これでも一応医者なもんで。患者の状態は気になりましてね。――お元気そうで何より」

 そう言われ、気がつく。昨日の湿布と包帯を作ったのはきっとこの人だ。

 花の国セパヌイールには世界中から集めた植物の標本を保管する施設がある。王族は植物学者から教育を受けるため知識もあった。

 本来は強い臭いになりがちな湿布。しかし香りの良い薬草に切り替える配慮がなされていた。それによって落ちた効力を補うため、包帯には魔道文様を施していたのだろう。

 見た目に反し、紳士的な人だ。

「あの薬、あなたでしたか。ありがとうございます」

 今はもう、イリスの足に包帯も湿布もない。痣もない。腕の良い医者であることはよくわかった。

「どういたしまして。それで、殿下に何かご用でも?」

「あー、えっと、まぁ……そうですね」

 扉の前でもじもじしていたのを見られていたと思うと恥ずかしい。しかもフェリックスは何を思ったのか、「青春だねぇ」などと言っている。

「殿下は今、こちらにおいでですか?」

「ええ、いますよ。ちっと待っててください」

 イリスが尋ねると、フェリックスは制止する間もなくおもむろに扉を開けて中に向かって叫んだ。

「おぅい、殿下ぁ! 嫁さんが会いにいらしてますぜぇ!」

「え、ちょ、ちょっと!」

 まだ心の準備ができていないのになんてことしてくれるんだこの男は。

 喉元まで出かかった文句は、フェリックスが片目を瞑ってみせたことで飲み込まざるを得なかった。

 わざとだ。イリスが入るのをためらっていたのを知って、わざとやったのだ。

 憎たらしいが、そうでもしなければイリスはいつまでもここに突っ立っていたことだろう。感謝すべきかもしれない。とても憎たらしいが。

 扉の中からどよめきが響いた。次いで、足早に近づいてくる軍靴の音。その後ろからは複数の足音もついてくる。

「何の用だ」

 顔を出したギルベルトは相変わらず眉間に皺を寄せつつ尋ねてきた。せっかく綺麗な顔をしているのにもったいないと思う。

 その背後から折り重なるようにして、兵士たちが幾人も顔を覗かせていた。ギルベルトとは対照的に、皆にやにやと笑っていて少し気味が悪い。

 それに気づいたギルベルトは兵士たちと、ついでにフェリックスを中に押し込んで扉を閉めた。

「……何の用だ」

 溜め息をつき、言い直した。初めて見た彼の人間くさい仕草に、少しだけ気が軽くなる。

「あの、お休みのところお邪魔して申し訳ありません。……昨晩の、ことなのですが、お手当していただいたお礼をと思いまして……」

 言いながら昨晩のことを思い出し、顔が熱くなる。

 だってイリスはあの瞬間、彼に抱かれることを覚悟したのだ。結局は包帯を巻いただけで彼は出て行ってしまったが。

「いらん」

「え?」

「必要ない、と言っている」

 冷たい声音だった。イリスは氷の楔を心臓に打ち込まれたように感じた。ぎゅうっ、とバスケットを抱える手に力を込める。

「あ、あの、でも……」

 それでも、言わないと。お礼を。渡さないと。これだけは。

「気にくわんな」

「……何が、ですか?」

「その話し方。気にくわん」

 ギルベルトが言い放ったと同時、背後の扉が弾け飛ぶように開いてばたばたと兵士たちが倒れ込んだ。どうやら聞き耳を立てていたらしい。慌てて戻ろうとする兵士の襟首を、イリスは掴んだ。

「へ?」

「これ、持ってて」

 バスケットを押しつける。自分が今どんな顔をしているのかわからないが、兵士が怯えきった顔でこくこく頷いたから相当ひどい顔だったに違いない。でも気にしている余裕はない。

 今度はその隣に突っ立っていた兵士に目を向ける。

「それ、貸して」

 言いながら、兵士の持つ訓練用の剣を指差す。兵士は慌てて差し出した。受け取り、その切っ先をギルベルトに向ける。

「気にくわない? だったら改めようじゃないか。ちょうど良かったよ、わたしもこのほうが楽でいい」

 ようするにイリスは激怒していた。いいかげん我慢ならない。下手に出るのはもうやめだ。

「手合わせ願おう。わたしが勝ったら言うことをひとつ聞いてもらいたい」

「……何だ」

 眉ひとつ動かさず問う彼に、宣言する。

「わたしを戦力として扱ってもらいたい。君は実力主義なのだろう? 正当に評価してほしい」

 聖剣ミルフルールの使い手として、皇帝に望まれてここへ来たのだ。ならばせめて、己に課せられた役目くらいは果たしたい。

 互いに望んだ結婚ではない。欲しくもなかった妻など捨て置きたいという彼の気持ちはわかる。

 だけどこのまま見知らぬ土地で、ただ腐っていくなんて嫌だ。

「……わかった」

 静かに答え、彼は腰に佩いた剣を抜いた。刃を潰した訓練用だが、木ではなく鉄で出来ている。当たり所が悪ければ怪我は免れない。

 イリスも借り物の剣を身構えた。

「いくぞっ!」

 先に仕掛けたのはイリスだった。低い位置からの刺突の一撃。

 それをギルベルトは剣の腹で受け流した。そのまま切り結び、一進一退。散る火花の向こうに見える、ギルベルトの瞳の奥。揺らめく炎のようなものが見える。

 振り下ろされたギルベルトの剣がイリスの首を、振り上げたイリスの剣が彼の首を捉えるのはほぼ同時だった。

「そこまで!」

 響き渡った大音声は、フェリックスのものだった。彼はぼさぼさ髪に手を突っ込んで掻きながら歩み出てくる。

「真剣勝負に水を差すのは無粋ですがねぇ。これだけは言わせてくださいよ。――お二人さん、怪我したら誰が治療すんのか、わかってます?」

 それはそれは迷惑そうな呆れ顔に、イリスは肩で息をしながら我に返った。

「……すまない。邪魔をした」

 足早に兵士の群れに歩み寄り、剣を返してバスケットを受け取る。そしてそのまま、息ひとつ乱れぬギルベルトの脇を駆け抜け、立ち去った。

 この人は強い。聖剣を持たぬ自分は、弱い。

 唇を噛みしめ、認めざるを得なかった。

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