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猛獣からの求婚

 姫君たるもの完璧でなければならない。

 小国となれば尚更だ。他国につけいる隙を与えてはならない。侮られてはいけない。

 あらゆる教養を身につけ、武芸を磨き、将軍として兵を率いるまでになった。それもすべては王位を継いで、このセパヌイール王国や家族を守るためだった。だったのに。

「嫁に行ってくれないか、イリス」

 執務室で向かい合い、沈痛な面持ちで告げた父王に、イリスは一瞬言葉を失った。悪い冗談だと思った。

「……何を、おっしゃっているのか、わかりかねます。陛下」

 父の跡を継ぐ。そう信じて生きてきた。イリスは今、十八歳。多くの娘たちが十五、六で結婚をするため、十八で独り身はたしかに遅いと言われてもおかしくはない。しかしイリスは王位を継ぐ身だ。いづれは婿を迎えるつもりで父ともそう話し合っていた。それがいきなり嫁に行けだなどと、信じられるわけがない。

 状況に応じて淑女らしい物言いも、親子として砕けたやり取りもできるが、ここは執務室である。だから普段と変わりなく、臣下として王に相対した。

「陛下のそのご様子、陛下ご自身の意志によるものとは思えません。子細をお聞かせいただけますか」

「……ベールア帝国より申し入れがあった。第二皇子、ギルベルト殿下の妻としてお前が欲しい、と」

「ベールアの第二皇子……。“猛獣”、ですか」

 記憶の中にあったその名に付随する、物騒な二つ名。イリスは顔を顰めた。

 広大な大陸を支配するベールア帝国。かの地はかつて魔物の跋扈する荒れた大地であった。それを討伐し、安寧をもたらしたのが初代ベールア帝である。

 ベールアの人間には、他国にはない特殊な力があった。人でありながら、獣に姿を転じることができる。そうして身体能力を向上させ、魔物を狩り尽くしたのだ。

 遠い昔、魔物に抗う力を求めたベールア帝とその従者たちが女神より賜った力だと言われている。

 イリス自身もその様子を目の当たりにしたことがあった。

 魔物は大昔のように、常にある驚異ではない。しかしながら、岩から染み出す水のように、突発的に湧き出すことがある。

 大規模な魔物の出現が確認されたとセパヌイールまで報せが届いたのは半年ほど前のこと。イリスはわずかな手勢ながら兵を率いて加勢に向かった。ベールアと同盟を結んでいる他の国々も兵を出している。後れを取るわけにはいかなかったのだ。

 その戦場で、見た。鷲のような大型の鳥を守りながらたった一匹だけで奮闘する狼を。

 魔物の攻撃を躱しながら鷲を庇うその姿に、自然界の獣にはない力と、人間らしい友愛、そして知性を感じた。

 黒い狼だった。しかしながら、その美しい闇色の被毛は血に塗れ鈍く輝き、息も絶え絶えであった。その首元へ、魔物が牙を剥き襲いかかる。

 それを阻んだのがイリスの剣であった。

 聖剣ミルフルール。セパヌイールに伝わる宝物である。これもまた、かつての人と魔物との戦の折、女神よりもたらされた祝福であると伝わっている。

 たった一振りでベールアの魔道隊一小隊に匹敵すると言われるその剣の一撃により、熊のように巨大な魔物は両断され塵となって消えた。

 鷹と狼は部下の兵たちに保護させ、イリスは魔物を次々と斬り倒していった。駆けつけたベールアの衛生兵が引き取ったとのことだから、やはり仲間であったのだろう。

 彼らを率いていたのが、件の第二皇子だったはずだ。

 歳はたしか、イリスよりひとつ下の十七歳。

 聞こえてくる噂は明るくない。魔物に捕らわれた少年兵を、皇子が魔物もろとも惨殺したのを他国の将が目撃した。複数の者が証言していることから、流言飛語というわけではないだろう。

 目の前にいるものは敵味方関係なく斬る。常に独走し部下を顧みない冷酷非道さ。故に猛獣皇子と揶揄される。

 そんな男がどうして、求婚なんて。

「お前の武功が皇帝陛下のお耳に入ったそうだ」

「それは、つまり……」

 戸惑いがすうっと冷めていった。わずかながら誠実な求愛を期待してしまったことに恥じさえもした。イリスは艶やかな唇を歪め奥歯を噛みしめる。

「戦力としての聖剣ミルフルールと、その使い手であるわたしを差し出せ、ということですか」

 吐き捨てたイリスに、父王は否定もせずただ俯いた。

 セパヌイールは帝国の庇護下にある小国である。帝国の軍隊が常に魔物の出現を監視し、防衛しているからこそ、セパヌイールは花の咲き誇る豊かな土地を守り続けることができている。

 この求婚の目的が戦力の徴収であるのなら、拒めば反意ありと見なされるだろう。

 拒否権など、イリスにも、父親である国王にもないのだ。

 イリスは父の青白い顔と傍らに置かれた杖を見る。そして、亡き母の記憶に幼子のように縋りたくなった。

 聖剣ミルフルールの先代の使い手であった母は、イリスが十二歳の頃に亡くなった。六年前のことだ。王妃を深く愛していた父もまた心労から倒れ、一命は取り留めたものの杖なしで歩けぬようになってしまった。

 イリスには幼い弟妹がいる。後継者問題を口実に断ることもできないうえに、身体の弱い父と、まだ十に満たない弟妹を置いていかなければいけないなんて。

 椅子に腰掛けたまま、両膝に置いた拳を強く握った。

 家族を守るためには逃げることはできない。できないのなら――

「承知いたしました。謹んでお受けしましょう」

 イリスの返答に、はっと顔を上げた父はその表情を悔しげに歪ませ、再び俯いてしまった。

「すまない、イリス……」

「何を仰いますか。かの帝国に招聘されるとは武人として誉高きこと。我が国が誇る聖剣の力を乞われたとあらば行かぬわけにはまいりません。――聖剣ミルフルールは……我が国の宝はこのイリスが命に代えても守り抜きましょう」

「あぁ、イリス。そうではないのだよ。我が国の宝は……私の宝はお前なのだ。お前こそが宝だ。お前さえ無事でいてくれるなら、剣など――」

「お父様」

 あえてそう呼んで、父の言葉を遮った。

「そのお言葉だけで、充分。イリスは今、世界中の誰よりも幸福な娘です」

 そう言って強引に笑う。

 笑った目尻からひと筋落ちた雫を、幼い頃のように父の指が優しく拭ってくれた。


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