プロローグ
「マルティナ・ミラモンテス侯爵令嬢との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの舞台で王太子が宣言した時、ミルカはその隣で幸せの絶頂にいた。
転生してから今まで本当に苦労してきたのだ。4人同時に好感度上げをするなんて並大抵のことではない。男たちはすぐに嫉妬するし欲深く、多少体も使わないと無理ゲーだった。
ようやく報われたのだ、ついにんまり笑ってしまう。いけない今は被害者の顔をしなきゃ、とミルカは慌てて顔をしかめ、いかにも侯爵令嬢を怖がっているかのように震えながら王太子に身を寄せ観衆に見せつけた。王太子の寵愛はもはや元・婚約者にはなく、私にこそあるのだと。
ミルカを守るように、宰相子息、騎士団長子息、魔術師団長子息の三人が周りを囲んでくれる。ミルカは震えながらも気丈に彼らに微笑んで見せ、彼らが愛慕の眼で応えることにまた快感を覚えた。
これからやることは山積みだ。王太子妃になるには苦手な勉強も頑張らなきゃいけないし、逆ハー成功で解放される隠しキャラ、王弟ルートの攻略も待っている。でも、今は少し休んでみんなに溺愛されながらゆっくりしたいな…。
「…とでも思っていたのか?」
格子の向こうから王太子にひどく冷めた目で見下ろされ、ミルカはわざとでなく震えた。
石がむき出しになっている牢はひどく寒く、おまけに水漏れまでしていて最悪だ。
こんなところで、地べたに座らされるなんて経験がない。ゴツゴツした石の床は冷たくて、痛い。
ミルカは卒業パーティーに出ることができなかった。前夜に学園で突然捕縛され、この牢に連れてこられたのだ。
「どうして」
「それはこっちのセリフだね、ミルカ」
ミルカの言葉を遮ったのは宰相子息だった。王太子と同じ、冷めた目でミルカを見ている。
「男爵令嬢の、しかも庶子の君がどうして王太子に近づいて、あまつさえ情愛を結べると思っていたのかな?」
「育ちに問題があるからだろ」
「違いますよ殿下、他の下級貴族は子息令嬢まで身分をわきまえているのですから。この者に欠陥があるだけです」
二人は顔を見合わせてニヤニヤと笑う。ミルカは今度は怒りで体が震えたが、反論は許されない。
「男爵はお前と絶縁した旨届け出た。従って、今のお前はただの平民ミルカだ」
王太子の言葉に明らかな嘲りの色が含まれていることも、父に見捨てられたこともミルカにはもはやどうでもよいことだった。
逆ハーの攻略は順調だった。階段から突き落とされるイベントも発生したし、王太子は侯爵令嬢の断罪をすると誓ってくれた。あとは婚約破棄イベントを残すのみだったのだ。それなのに、どうしてミルカは牢に繋がれているのだろう?
「まだ状況がわかってないみたいだね、ミルカ。君は娼婦としては本当に最高だったから、それに免じて教えてあげるよ。」
宰相子息はあからさまに侮蔑の表情を浮かべながら話し始めた。
「ミラモンテス侯爵令嬢は学園に入学する前、ひどくおびえていてね。卒業時に婚約が破棄されるに違いないと泣くから、殿下と僕が話を聞いたんだ。ハッキリとは理解できなかったけど、この世界を模した『乙女ゲーム』というものがある世界線があるらしいね?ミラモンテス侯爵令嬢はその世界線の記憶を保持していて、『ヒロイン』の君に破滅させられると言うんだよ。殿下はお疑いのようだったけど、万が一があってはいけないから『攻略対象』とされる面々には話をして、気を付けるように言い含めておいた。そしたら入学式の朝に君がいきなり殿下の前に出てきて転んだんだよ、いやあの時は笑いそうになったよね」
「…そんな」
「ああ、あの時に俺もマルティナの言っていることを信じる気になった。しかし即時排除には証拠が足りなかったから、しばらく泳がせて決定的な証拠が出たところで処断することになったのだ」
「ミラモンテス侯爵令嬢にはずいぶんご負担をおかけしてしまいました、申し訳ございません。しかし、王命である婚約の破壊工作に携わった咎でこの者を国家反逆罪に問うことができました」
「そうだな。ミルカ、お前は国家反逆罪で処刑と決まった。平民になったお前に斬首は許されない」
「はい」
ミルカは自身の末路さえどうでもよかった。悪役令嬢も転生者だったとは!前世では乙女ゲームだけでなくそういう小説も好んでいたというのに、どうしてその可能性に思い至ることがなかったのだろう?
「なにか申し開きがあれば聞くが」
「…殿下、私は、私はただ、幸せになりたかった。それだけだったのです」
ミルカは前世では恋愛を経験することなく交通事故で他界した。まだ17歳だったのだ。今度こそ幸せになりたかった。それは、本心から出た一言だった。
「冥途の土産に、ひとつ大切なことを教えてやろう」
「殿下、さすがにお慈悲が過ぎます」
「いや、マルティナのための嘘とはいえ一度は抱いた女だ、これくらいはな」
王太子はそう言ってミルカの瞳を見つめた。そこに暖かい色は全くなかった。
「いいか、この世界は『ゲーム』ではない。俺も、マルティナも、こいつも、そしてお前自身も、自分の人生を生きている一人の人間だ。そろそろ現実を見ることだな」
その言葉はひどくミルカを傷つけた。現実だと!私にとっての現実はあの交通事故によって永遠に失われてしまったのに!
まだ生きたかった。友達と遊んだり、将来の進路に悩んだりすることももうできない。気になっていた彼とももう永遠に距離を縮めることなんて叶わないのだ。
せっかく乙女ゲームの世界に転生させてもらえたのだから、ここでくらい、この世界でくらい幸せにしてくれたっていいじゃないか!
泣き崩れるミルカを反省したととったのか、二人はミルカに背を向け立ち去った。
翌日、ミルカは王都を引き回され、広場で民衆に罵倒されながら絞首刑に処されて、二度目の人生をみじめに終えた。