三十三、水の板
バルザックのその一言は冒険者を混乱させた。
つまりアーデルハイド公国は魔王軍に立ち向かうことなく、その街をあけわたす事を決定したのだ。
魔王軍はその出現から十年、無敗を誇っている。強国エブレール、小国ミロランド、滅ぼされた国は数知れない。
しかしランデベル大陸でも大きな領地を持つアーデルハイド公国が無条件降伏をすることなど誰も考えていなかった。
「戦わずに降伏したって事かよ!」
「この街に住むのはアーデルハイド公国の人間だけじゃねえぞ!」
黙って聞いていたBランク冒険者たちが声をあげた。
勿論、声をあげないまでも憤りを感じている冒険者は多く、その中にセリカたちも居た。
強国エブレール程ではないにしろ、アーデルハイド公国はランデベル大陸でも有数な貴族国家、戦わず逃げる算段を図るなど誰が想像出来ただろうか。
「聞いてほしい、この書簡が届いたのは二日前の出来事だ。魔王軍四天王レーデンはこの街に向かって魔人キュルプクスを放ったと書かれている。賢者シャルロット、魔人キュルプクスの話をしてくれないか」
バルザックはシャルロットに合図を出し一歩下がる。その代わりにシャルロットが前に出る。
シャルロットは持っていた杖で地面をコツンと叩いた。
「魔人キュルプクス、古の時代、古代戦争に利用された魔人のひとつよ。キュルプクスはその巨体から尋常ではない程の魔力を持っている」
シャルロットの地面周囲から水が登る、その常識外の出来事に冒険者は騒ぐ者もいるが殆どの冒険者はその現象を静かに見守っていた。
空中に漂う水は次第に集まり球体の形を成していった。
水の球体はまた形を変え、板のように広がる。それは巨大な掲示板のように見えた。
そして、その水の板の中に何かの姿が見える。
シャルロットの魔法に驚く冒険者たちだったがそこに映った巨人の姿にさらに驚愕させられた。
「これが魔人キュルプクス。その巨体はこのギルバインの城壁のほぼ倍の大きさで、指一本だけでも私たち人間より大きいわ。恐らく魔王軍は古代遺跡からこの魔人キュルプクスを目覚めさせ、この街を襲うつもりだわ」
冒険者一同がシャルロットの言葉に飲まれていた。
「古代戦争っていうのは……」
バルザックは咳払いをし、シャルロットの顔を見る。
シャルロットはバルザックの視線に気づき、ため息を吐いた。
「古代戦争の話をすると長くなるから、興味があるなら私を訪ねてきて頂戴」
どうやらシャルロットは古代戦争を語りだすと止まらなくなるらしい。
古代戦争、古の時代に起きたとされる戦争の事を指し、遥か昔に栄えた古代文明人が起こしたとされる人類史上最も愚かな戦争である。
「古代戦争に使用された人造兵器が魔人キュルプクスよ。キュルプクスは古代文明ティリスのティリス人が生み出したとされ、灰の時代を創ったとする伝承が今も語り継がれているわ」
灰の時代、それを知らぬ冒険者は居ない、古代文明は大いなる繁栄に驕り、禁忌となる数々の殺戮兵器によって滅んだ。その影響は古代文明を滅ぼし数千年に渡って灰の時代と呼ばれる不毛な大地を誕生させた。
灰の時代の文献は各地に残っており、セリカたちが発見したウォッカ鉱山付近にあった遺跡もそのひとつと言われている。
シャルロットが杖を操作する、すると皆の頭上にあった水の板に現れた巨人が動き出した。
その巨人はどこかへ歩いていく。すると奥から街が現れた。
「これは私が過去の研究で調べた情報をもとに造った魔人キュルプクスの全容よ。そしてギルバインの街がこれ」
皆、言葉を失った。そこに現れたギルバインの街は小さいながらも自分たちが暮らす街であった。その街を覆いかぶさるように巨大な魔人が街を破壊していく。
「過去の文献から魔人キュルプクスの能力は並みの覚醒者の数千人分の魔力量が想定できるわ、そして火の槍を使うとされている」
水の板の中の魔人キュルプクスが手を大きく振り上げた。そしてその手にどこからか炎が現れ集まっていく。次第に炎が槍の形を成し、魔人キュルプクスは街に火の槍を放つ、一瞬にして辺りは業火に包まれ建物は焼け、その衝撃波があたりを襲う。
吹き飛ばされた建物の残骸は宙を舞い、それが燃えまた街に降り注いだ。
「これは私の水魔法で防げるかどうか、ちょっとわからないわ。ふふふ」
何故かシャルロットが笑う、自分の力を試したいという事なのだろうか。
それに見入っていた冒険者たちが不気味に笑うシャルロットに別の恐怖を覚えた。
場を察してかバルザックが口を開いた。
「賢者シャルロットありがとう」
「あ、ちょっとまだ話が」
「この魔人キュルプクスがこの街に向かっている」
バルザックの一言でシャルロットの不気味さに呆気を取られていた冒険者たちが我に返った。
「今見た魔人キュルプクスの力はあくまでも賢者シャルロットが調べてくれた想像上のものだ。これを上回る可能性もある」
「あら、私の研究を信じないの?」
「いや、そうではない。賢者シャルロットですら魔人キュルプクスを見たわけではない。無論、本国アーデルハイドでさえそれは知らない。しかし本国アーデルハイドは我ら」
「つまりよ、戦うにしろ、逃げるにしろ、俺たちに援軍はいねえんだ」
シャルロットとバルザックの進まない話に苛立ち、ラザラスが口を開いた。
ラザラスの選ばない言葉にバルザックが大きく口を開けて驚いた。
「え、援軍は要請してある!しかし魔人キュルプクスの侵攻に間に合うかどうかわからないのだ」
「はいはい、上品なバルザック様は言葉選びがお上手だぜ。舐めんなよ、俺たち冒険者だぜ。さっさと依頼しろ」
「む……そうだな。すまなかった」
バルザックは冒険者たちに向き合い、頭を下げて言った。
「私はこの街を失いたくはない。ここに居る全員にお願いする!」
憲兵団の団長、上級貴族のバルザック・ヴェズ・シュタインベルグが深々と頭を下げた。
「どうか、この街を守ってほしい!」
上級貴族が頭を下げるなど前代未聞の出来事だった、ギルバインに住む者ならそれがどういう事かすぐに理解出来た。
バルザックは確かに親しみに溢れた人物である。しかし彼も上級貴族の一人。
いくら親しみやすいと言っても本国アーデルハイドからすれば、ギルバインの住民の命よりも遥かに重い。
貴族に生まれ貴族として育ったバルザックが頭を下げる。これがどのような意味を齎すのか。集まった冒険者たちはその意味を知っていた。
「聞いたかお前ら!上級貴族様からの依頼だ!依頼内容はこのギルバインの街を魔人キュルプクスから守る事だ!魔王軍だかなんだか知らねえが、俺たちの街を好きにさせねえ!」
冒険者たちはラザラスの、その一言に。
「俺たちの街は、俺たちで守る!」
震えた。
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