編入前
単身赴任の父が帰ってくる。新居で家族四人の暮らしを始める、と言われたのは年も明けてすぐの頃だった。
両親と美容師の姉と高校生の私、花咲家の構成員四人は父が転勤族であったり、母がキャリアウーマンだったこともあって子供二人も含めて個人主義なところがある。
姉の奈那は高校卒業後、美容系の専門学校への入学を機に一人暮らしを始めていて、年に数回帰ってくる父に合わせて実家に戻ってくるくらい。
母は育休後は夜間保育や祖父母の手を借りて私を育ててくれたが、私が十歳になる頃には朝から晩まで生き生きと仕事に打ち込んでいた。
そんな家なので小さいころから家事については姉と二人で分担し、姉が家を出てからは私の担当である。
私の作った夕飯を食べながら、残業終わりの母が「四月からパパと一緒に暮らすから、家買ったわ」とまるで切らしていたトイレットペーパー買ってきたくらいのノリで言った。
先に夕飯を済ませていた私は向かいでお茶を飲んでいたが、母が唐突なのはいつものことなので「ふーん」の一言で了承してしまった。
「あんた、転校ね」
「わかった」
「この煮物おいしいわね」
「スーパーの総菜」
「また食べたいわ」
私もたいがい今生でのこの家族に慣れてきているらしい。
私、花咲音子には前世の記憶がある。生まれつき持っていた記憶だが、前世とさして変わらない――同じ文明レベルの今世に少しがっかりしてしまったのは、前世の私がゲーマーだったからだ。
どうせ転生するなら、大好きなRPGのような剣と魔法のファンタジー世界に転生して、大冒険がしたかった。
まぁ言っても仕方がない。それに同程度の文明だったおかげで今生でも大好きなゲームができるので、何の文句もない。たまに前世の酒とゲームが日々の潤いというくたびれた三十代OLが顔を出してしまうけど、おおむね学校生活もうまくやっている。
学校の先生と友達、それにバイト先に転校することを話さなければな、と考えたところで味噌汁を啜っていた母が顔を上げた。
「あんたの部屋、あるわよ」
「まじ? ありがと」
いまは母と二人のマンション暮らしだし、母も仕事でほぼ家にいないため、わざわざ自分の部屋と言えるようなものはない。学校の宿題はいま母と向き合って座っているダイニングテーブルでするし、寝るのも母と同じ部屋に布団を敷くだけ。
特に不便はないが、それでもやっぱり年頃の女子高生なので自分の部屋というものにはあこがれがある。前世では一人暮らしだってしていたけれど。
自分の部屋があるということは、前々から計画していたアレをついに購入するタイミングかもしれない。
高校に入ってからコツコツと貯めていたバイト代を思い返しながら、私はまだ見ぬ自分の部屋に思いを馳せたのだった。
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三月には週末のたびに帰って来る父と姉も含めて、家族四人で引っ越しの準備をした。
なんと、姉も職場に近いので実家に帰ってくるつもりだという。高校時代からの彼氏との将来のため、貯金をしたいのだそうだ。
「音子も彼氏作ったら?」
「うーん」
からかう気満々の姉のにやにや顔(見なくてもわかる)には目もくれず、私は適当な相槌を打つ。まともに相手をしているほど暇ではないのだ。
というか前世では三十歳を超えていたが、彼氏なる者がいた記憶はない。いや、できなかったのではなく、きっとその記憶だけ前世に置いてきたのだ。きっとそう。
新居は元々住んでいた町から車で一時間ほど都心に出た住宅街で、明るい色の外壁や屋根の真新しい家が多く、近くに公園もあって住みやすそうな雰囲気だった。
新しく通うことになる高校は都立の白鷺高等学校(略称は白高)と言って、制服が可愛いと評判の進学校で入学の倍率はなかなか高い。編入試験は入試よりさらに難しいが、無事編入できることになった。
前世で学生をしていた時は勉強嫌いだった私だが、大人になってから勉強しておけばよかった、と後悔したことも覚えていたため、今生では割と勉強を頑張っている。わかってしまえば勉強もなかなか面白い。前世のおぼろげな記憶もあって、今生では勉強のできる子なのである。これが前世チートか、と思いもしたけどあまりにもしょぼいのですぐに打ち消した。もっとなんかすごいのがいい。なんかって何だかわからないけど。
引っ越し後の片付けと、ご近所への挨拶、周辺の地理を覚えたり学校への道を確認している間に春休みは終わってしまった。もちろん空き時間はゲーム三昧だ。毎日ログインしなければ落ち着かないあたり、中毒かもしれない。前世からなので死んでも治らなかった。治す気もなかった。
明日はついに始業式で、私は白鷺高校の二年A組に編入予定だ。真新しい自室で、壁に掛けた真新しい制服を見上げてむふ、と笑う。
さすが評判なだけあって、白高の制服は可愛い。ネイビーのブレザーには深紅のリボンタイで、ブレザーと同じ色のプリーツスカートには裾にリボンと同じ深紅と白のラインが走り、控えめなレースが縫い付けられている。ブレザーの背中にも同色のリボンがあって、少し甘めのデザインだけど色合いが大人っぽいので全体的にシックなイメージでまとめられていた。
自分の部屋を手に入れて、自分で選んだ家具と可愛い制服、明日からの学校生活に少し緊張はするものの、テンションが上がらないほうがおかしい。
「音子~。明日から学校でしょ? 髪やったげよっか?」
ノックとともに部屋に入ってきた姉は両手に仕事道具のはさみとブラシ、コテやらピンやらを持っていた。よくノックできたな、と思うほどの大荷物だけど、とりあえず返事を待ってからドアを開けてほしい。
「お姉ちゃん、明日仕事じゃないの?」
「定休日なの。引っ越しで有給取ってたし、ちょっと感覚忘れないように髪いじらせて」
本音が駄々洩れだけど、そのほうが私としても話が早くて助かる。
特に何か理由があるわけでもなく無精していた髪は腰に届きそうなほど伸びている。せっかくなのでこれから暑くなるし、ばっさり切ってもらうのもいいかもしれないな、と上がったテンションのまま頷いた。
「じゃあお願い。せっかくだしばっさりやっちゃって」
「え、いいの? あんたずっとロングだったでしょ」
「特に理由があったわけじゃないし、別に」
「そ? まぁ初めてのショート記念だし可愛くしてあげんね」
「お願いします、奈那お姉さま」
ふざけてベッドの上で正座をして頭を下げれば、姉もノリノリで腰に手を当てて仰け反った。
たぶん私たちは引っ越し作業の疲れと、新居にテンションがおかしくなっていたのだ。
翌朝、短くなった髪が予想外に癖がつきやすいと知って、朝から後悔した。