購買
お弁当を持ってきた私に、恵美はちょっと目を丸くしたあと、申し訳なさそうに手を合わせた。
「私、持ってきてないから買わなきゃなんだよね」
「いいよ、私も購買の場所知っときたいし、一緒に行く」
「じゃあ天気良いしお昼は中庭でどう? 日当たり良くてベンチもあって結構いいよ」
「へぇ、じゃあそこにしよ」
鞄の中にお弁当と財布が入っていることを確認してそのまま肩にかける。財布だけ手にした恵美の後を追って教室を出た。
購買は一階の正面玄関近くにあって、昼には全学年から人が集まるためすごく混雑するのだという。食べたいものがあるときはあらかじめ金額分のお金を握っておき、チャイムと同時に教室を出てダッシュで向かうのが良いという。少年漫画の世界かな?
売っているものはおにぎりやパンが主だけど、コンビニのホットスナックみたいなものも軽食としてあったり、なぜかカップ麺も売られているというけど、購買にポットの設備はない。
教職員向けという話だけど、学校ならお湯を沸かそうと思えば設備で沸かせそうなので生徒でも買ってる人はいそうである。
私は特に買う必要はないので購買近くの自販機で飲み物を買おうかな、ぐらいの軽い気持ちで恵美の後をついていく。
そして、後悔した。
あふれんばかりの人、人、人、人。
購買があると思しき廊下の一角は年二回の某大型イベントもかくやというほどの人ごみだった。いや、あちらのほうがまだ統率が取れている分ましかもしれない。
いろんな人がいろんなことを話しながら、あるいは叫びながら食料を求めて蠢く様はちょっとした恐怖すら煽る。
「すごいね……」
「あー、何か買えるといいんだけど……」
「私も何か取れないか試してみようか」
「えっ、でも大変だよ?」
「大丈夫、でもあんま期待しないでね」
「音子、ありがと~!」
一人では難しくとも二人なら倍……まではいかずとも少しは確立も上がるだろう。それに私も弁当を作れなかったりしたら購買のお世話になることもあるかもしれないのだ。事前練習として一度経験しておくのも悪くない。
……これで無理だったら毎日お弁当を作れるように早起きを頑張る――つまりゲームで夜更かしし過ぎないための理由になる。
財布から小銭を取り出して握りしめ、鞄をしっかりと胸に抱きながら恵美の後に続いて人ごみに飛び込んだ。
もみくちゃにされながらもなんとか隙間につま先や肩を押し込んで前に進む。
「(ひぇ……若い子しゅごい……)」
前世の私が内心で震えて泣いているけど、この戦争に参入してしまったからには何かしらの結果を手にせねば。
というかもう後ろに引き返せそうにないのだ。みんな前へ前へと押し寄せているから前へ進むのは比較的簡単だが、その流れに逆らって後退したり、左右に移動するのは難しい。
体を小さくして流れに身を任せているといつの間にやら一番前、つまり購買の陳列棚が目の前にあった。
棚というよりも大きな机におにぎりやパンの入ったケースが並べられていて、その向こう側では真剣な顔をしたおばさんたちがものすごい速さで会計をしていた。
これは早いところ何かを買わねば、と焦りながらざっと商品に目を通し、ちょうど握っていた小銭と同じ金額のパンを引っ掴み、「これください!」と声を上げれば、流れるようにおばさんが手を差し出してそこに小銭を乗せた。まさに早業である。
熟練の技に感動している間にもう済んだならさっさとどけ、とばかりに横へ追いやられ、人ごみからはじき出された。
実に恐ろしい空間だった……。高校生の食欲すごい……。
ボロボロになりながら何とか買えたのはコロッケパンで、お弁当と別に食べるには重すぎる。恵美が買い損ねていれば彼女に食べてもらうのがいいかと思ったけど、まだ人ごみで戦っている様子を見るに買い損ねたりはしなさそうだ。
どうしようかな、と廊下の端に寄って恵美が戻るのを待っていると、人ごみの周りをおろおろと行き来する男子生徒に気付いた。上履きの色は一年生のもので、小柄な彼は人ごみに突入しようにもうまく流れに乗れないようで弾かれるように押し出されてしまう。
身長も低く、小柄な彼に周囲も気を配る余裕はないようだ。
なんだか動物系の番組で母親のお乳をめぐって兄弟で争う映像が浮かんだ。毎回必ず弾かれて思うようにお乳が吸えず、同じ日に生まれた兄弟たちより一回り小さい子犬……。
私の手には食べられそうにないコロッケパン。目の前には不憫な子犬……ではなく小柄な一年生。
何度目かの挑戦でまたも弾き飛ばされた彼は、そのまま尻もちをついてしまった。
もうだめだ。なんてどんくさくて愛しいんだ、と動物番組を見ていたときと同じ気持ちで彼に声をかけた。
「大丈夫?」
「あっ、はい……」
私の声に驚いて慌てて立ち上がる彼は、思った通り私よりも少し低めの身長で、とても可愛らしい顔立ちをしていた。天然だろうか、ふんわりとカールした毛先の髪は明るい茶色で、くりりとした小動物みたいな丸くて大きな目は少し潤んでいた。
「はい、これあげる」
「えっ?! で、でもえっと……先輩のじゃ……」
「いいから、はい。次は買えるといいね、頑張って」
少年にコロッケパンを押し付ければ、驚いたように私の顔を見た後、上履きの色を確認してからまた視線を戻される。その間に買い物を終えた恵美が人込みから飛び出したので、半ば無理やり押し付けてから私は彼の横をすり抜けて恵美の元へ駆け寄った。
「あ、音子ー! 買えたよー!」
「お疲れー、何買ったの?」
「わかんないけどとりあえずお腹いっぱいにできそう」
「あは、何それ」
恵美と談笑しながら中庭へ向かって歩く。
角を曲がる際にちらりと購買のところを振り返ってみれば、あの少年はまだぽかんとした様子でこちらを見ていたので思わず笑ってしまった。早く食べればいいのに、と思って軽く手を振れば、それに気づいてくれたのか慌てて頭を下げた。聞こえないけどお礼を言われたのかもしれない。
大したことではないけど、良いことをしたようで気分が良い。
恵美が案内してくれたベンチはぽかぽかと春の陽気が心地よくて、良い気分に拍車がかかった。おかげで朝ごはんと同じ内容のお弁当も朝よりおいしく感じてしまう。
うん、こんな日にゲームのガチャ回したらSSRが出てくれる気がする。
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