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火星の娘  作者: はせぴょん
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地上にて

 再びコクピットに収まったあたしたちは、キャリアを操作するゴローの手によって、ゲストセンターの先にある管制区画を目指す。

 ゲストセンターの居住区画はやがて終わりを告げ、あたしたちはそのシリンダー構造の外へ出た。

 すなわち、擬似重力のエリアは終わり、再び無重力の世界になる。

「ここだ」

 ゴローがキャリアを止めたのは、四方からキャリアのガイドラインが集まるターミナルのような所だった。

 ゲストエリアと違い、必要な限りの照明しかなされておらず、周囲もところどころ、岩肌むき出しの部分もあるような、実用一辺倒の区画である。

「あそこを見て」

 体育館ほどの広さの『ターミナル』の中で、ゴローが指差すほうには五メートル四方ほどのネットが張られた壁が見える。

「あそこをめがけて、跳んで」

 言われるままにあたしは機体の一部を蹴り、反動で体を空間に泳がせた。

 無重力を漂いながらあたりをよく見ると、あちこちの壁に同じようなネットが張ってあるのが見える。

 なるほど、こういう広い区画はこうやって行き来するのか。

 ネットに体を受け止められると、その編み目につかまって端の方まで行き、壁にあいた進入口から通路に入り込む。

 ガイドパイプに軽く手を添えながら十メートルほど体を慣性で泳がせて進むと、扉が見えた。

 ゴローが入り口のセキュリティシステムで網膜認証を行う。

 ここは問題なく開いた。

「ようこそユーカ、フォボス管制室へ」

 ゴローはそう言いながらあたしの手を引いて、部屋に招き入れてくれた。

 そこは二十メートル四方ほどの、意外に天井の低い部屋だった。

 正面の壁とそれに続く床の一部は広いガラス張りになっており、外から差し込む淡い明かりで部屋全体が薄赤く照らされている。

「来てごらん」

 ゴローに呼ばれて窓に近付くと、眼下に火星の大きな、おおきな姿が見えて来た!

 ………赤い荒野の、不毛の星。

 所どころに点在するドーム都市なんて、このスケールだとまるで針の頭のようなもの。

 小すぎて見えやしない。

 こんなのを、あたしたちは緑の星に変えようと躍起になって努力してるんだ………。

「ゴロー」

「ん?」

「あんた、ここからずっとあれを見てたんだね」

「あぁ。きれいだと思ってた」

「きれい?」

 あたしは少し意外だった。赤い砂と、埃ばかりの荒野だよ?

「あそこに、大勢の人たちがいる。ここにはおれ一人だけど、いつかきっと行ってやる。ずっとそう思ってたんだ。まぁ、少しばかり、予定が早まってしまったけどね」

 そう言ってゴローは少し顔を上げた。

 視線の先には、大地に向かってまっすぐ降りていく降下エレベーター・クモの糸の姿が見える。

 それは、地上からの照り返しを受けて赤く、まぶしく輝いていた。

「さて、システムチェックをしよう。ユーカ、君にもやってもらわなきゃならないこともある。後で呼ぶから、それまで少し待っててくれ。 ………あ、そうだ。隣のレスト・ルームに無重力ベッドや、飲み物のディスペンサーなんかもあるから休んでおくといい。たしか、ポータブルのDVDプレイヤーとかも、あったような………」

 ………お、お気づかい、ありがとう。




 いやー、コトここに至っても誘惑に弱いなあたしは。

 コンソールに向かってチェックを始めたゴローに遠慮しぃしぃゆっくり部屋を出ると、やっぱスコルピオの所に戻って、いくつかDVDを持ってきちゃった。

 チェックを続けるゴローの後ろを静かに通って、さっき言われた隣の部屋にはいる。

 同じ高さの天井。しかし、広さは管制室の三分の一以下のその部屋には、いくつかの寝棚とロッカー、飲み物の供給機と通信用のモニターがあるばかりだった。

 壁の一面に作り付けのロッカーをいくつか探ると、ゴローの言っていたポータブル・プレイヤーとやらが見つかった。

 それを持って寝棚の無重力ベッドとやらに潜り込む。ようするに加圧、加温式の寝袋のようなものだ。

 磁力で枕元に固定されたプレイヤーにDVDをセット。

 始めて見る機械だけど、こういうものの操作って、なんとなくわかっちゃうのよね。

 選んだのはあたしの好きな作品の、まだ観たことないテレビシリーズ。

 だってほら、いつ呼ばれるかわかんないから、映画だと中断するのは辛いじゃない?

 ………わー、すごい。これがあのシリーズの新オープニング? ひぇー、これ観てんのって、火星圏の中では今やあたし一人だけなんだぁ!

 ………あたし、ひとり、だけかぁ。

 心の隅でそんなことを思いつつ、第一話を観終わった。

 続いて、第二話。

 ………そろそろ、チェック終わって呼ばれたりすんのかな?

 ――いやー、しかし、この二話も作画がよくできとるわ。あとでスタッフのシフトも確認しとかなきゃあ!

 そんなコトを思ってるうちに、第二話もめでたく終わりに近づいてきた。

 あ、あたし、こんなコトやってていいのかな………?

 どうもやはり、落ち着かなくなってきて、二話が終わると同時にあたしはベッドを抜け出しゴローの様子を(うかが)いに行った。

 ………相変わらず、モニターとのにらめっこは続いている。

 声………かけられないよね……

 あたしは静かにレストルームに戻ると、再びDVDの再生ボタンをオンにした。




「………ユーカ、起きてユーカ。もーお、困った子ねぇ。この寝起きの悪さは、誰に似たんだか………?」

 ………ん、いや、もう少し布団の中に………

 そこまで思ったところで、はっと目が覚めた。DVDの画面は、第六話始まります、と表示している。

 なんか、観ていたのは三話の途中だったはずだから………

 あたし、一時間以上も寝込んじゃった?

 あたりを観ても、誰もいない。あたしを起こそうとしたあの声は……夢?

 それにしても、あの声、どこかで………そうだ、フォボスに入るときにパスワードのやり取りをした、受付の女の人!

 そうだ、夢の中でも、あの顔だった!

 うぅん、よっぽどあのときのコトが頭の中に引っかかってるんだろうなぁ。

 でも、おかしいな。前に似たような夢を観たときも、あの声だったような気がする。そう、そして、あの顔だったような………。ちゃんと、声を聞いて顔を観たのは、今回が初めてのはずなのに………

 ま、夢ってそんなもんか。前見たときの感想なんて、あてにならないもんね。

 いや、それどころじゃないや。

 ゴローの方はどうなってる? あたしを呼びにきてないってことは、まだチェックが続いてるってコト?

 まさか、あたしが寝こけてたから放置されてた、なんてことないでしょうね?

 あたしはベッドから抜け出して、様子を見に行った。

 相変わらずその小さな背中を向けて、ゴローはモニターとにらめっこをしている。

「ゴロー、あたし………」

 つい、寝込んじゃってて、というより先にゴローがこちらに声をかけてきた。

「あぁ、ユーカ。そろそろ呼びに行こうと思ってたとこなんだ………うん、今ユーカの方の登録も済ましてしまおう………ちょっと、そこで待ってて」

「あ、うん」

 そして二、三分ほどたつと

「じゃあ、こっちに来て」

 ゴローが作業をしている脇に立つ。

「モニターを見て。目を大きく開けて!」

「こ、こう?」

「そのまま少し、じっと」

 あたしが目を見開いたまま待っていると、モニターから音声が聞こえて来た。

「個人識別情報・網膜パターン、登録します」

 え、あ、はい。

「………エラー。 ………エントリー・キーナンバー八三一八については、単一個人の登録は無効となります。共同起動者を選定の上、再度エントリーして下さい」

 ………なんなのー? 人にあれしろこれしろ言っといて、いきなりエラーとか、気分わるー。

「なんなのこれー?」

「いや、おかしいな。いま調べるからちょっと待って」

 そう言ってゴローはひとしきりコンソールに向かって何か操作を始めた。

 数分後。

「わかった、ユーカ。ドラグーンの起動キーは一人では動かない。だから、識別コードも二人で同時に登録する必要があるんだよ」

 ………なんのこっちゃ?

「へー。 ………で、どうすりゃいいってわけ?」

「こうするんだよ。隣に座って」

 あたしは言われたとおり、ゴローの横の席についた。

「それじゃ、おれと一緒にモニターを見て」

 首を回してモニターの方に目線をやる。

「………ダメだ。モニターから目が離れすぎてる。もっと画面に顔を近づけて」

「こ、こう?」

 あたしが腰を浮かしてモニターに近付くと、ゴローもこっちの方に寄って来た。

「ちょ、なんなの? あんた、顔、近過ぎ!」

「い、いや、だから、二人同時に同一画面で登録しなきゃなんないらしいんだ………まだ焦点が合わないな………も少し近くに……」

「えぇー?!」

 しかし、ゴローの声はあくまで真剣だ。

 あたしたちはモニター上の判定マークがグリーンになるまで顔を寄せていく。

 あぁ、なに? もうちょっとでほっぺがくっつきそうじゃない!

「網膜照合可能になりました。そのまま目を見開いて十秒間静止して下さい」

判定システムからそう告げられたあたしたちは、顔がくっつくまであと数センチ。

 ………お互いの息遣いがやたらに大きく聞こえる。 ………十秒って、こんなに長かったかな………

「………網膜精査終了。偽造のための手術痕、または模造品等の危険なしと認めます。システム・ドラグーン最終キーに登録。以上で認証手続きは終了です」

「………終わりだ」

 と言いながらゴローはこちらを向いた。

 あたしもそちらを向くと、本当に近すぎる距離にゴローの顔!

「う………」

 と、妙な気分になる前に、お互い、

「ぷ!」

 と吹き出してしまった。

「なにゴロー! やっぱそれ変な顔!」

「ユーカだって同じだろ! 十分面白いぞ!」

 二人して目を見開いたまま顔を合わせてしまったのだ。まさに、にらめっこ状態。

 いままでの緊張のタガが外れたのか、特にゴローはいつになく笑い続けた。




「システム・ドラグーンは………」

 一通りの入力手続きを終えたあと、ゴローはあたしに解説してくれた。

「空の龍、システム・ワイバーンと、海の竜、システム・サーペントが一体になって起動する統合プログラムだ。水源開発の切り札として、かなり前から考えられていたらしいが、当時はあまりに危険すぎるとしてずっと使用を見送られていた」

「こ、今回はだいじょうぶなの?」

「使用するのは始めてだから、絶対に安全とはおれも言えない。ただ、開発当初よりは地上調査も進んでいるし、使用した場合のドーム都市の耐性も高くなっている。 ………なにより、これを使わないコトには、君の街は極冠グループに全ての水を奪われて、ほろびてしまうだろう」

「そう………」

「原理は難しくはない。前に説明したとおり、地上調査で特定したポイントに降下エレベーター………クモの糸の先端部を切り離して落下させ、その衝撃で地下の水源を露出させる。それだけのコトだ。ただ、そのポイントは精密測定を行わなければ、正しい効果は得られない。やみくもに落としただけだと、水源開発はおろか、地形崩壊や連動した地震を起こしかねないなど、かえって災害を起こす結果にもつながるだろう」

「む、難しいのね。大丈夫?」

「………全てのプログラミングは終わった。地上のサーペントから操作できればよかったが、通信機構の故障では、マニュアルでやるしかない。 ………フォボスが軌道上の動作最適点に入るまで、あと一時間近くしかない。おれたちも準備に移ろう」

「わかった。 ………とりあえず、スコルピオに移動だね」

「あぁ。この部屋とも……お別れだ」

 そう言ってゴローはゆっくりと管制室を見渡した。

 ずっと、ここで過ごして来たんだもんね………。




 キャリアのターミナルにもどって来たあたしは意外なものを見た。

「あ、あれは………」

「降下用のコンテナさ」

「あの、あんたが乗って来た………」

 そこにあったのは、前にゴローを助けたとき、ウォーターレンズの上で見た、薄緑色の巨大な容器だった。

「スコルピオごと、あれに乗って地上に帰ってもらう」

「ん………そう」

 ………あれ、いまの言い方、なんか、引っかかるな。なんだ?

「とにかく、スコルピオに乗って、機体をコンテナの中に収容しておいて」

「う、うん」

 あたしは無重力の中を漂い、ビークルモードのままキャリア上で待機しているスコルピオのコクピットに入った。シートベルトを絞め、機体を起動。

「スコルピオ、ユニバーサルモードにシフト。  ………無重力だから、ゆっくりね」

「あぁ」

 いつもより慎重に、各部毎に変形を行う。

 体勢を整えて、ゆっくりと別のキャリア上にセットされた降下コンテナの、狭い入り口に背中からはいる。

 ………どうやら、コンテナ内の係留装置に固定された模様。機体が動きを止めた。

「ゴロー、固定されたみたいだよ」

「うん、こっちでも監視モニターで見てる。きちんと中心部に留められてるな」

「それで、これからどうするの?」

「コクピットのハッチはしっかり閉じてるかい?」

「え、あ………変形するとき開けとくわけにはいかなかったから………ロックしてるよ」

「よし、それじゃ………」

 コクピットのモニター越しに見えるゴローが、かたわらに持っていたハンディ・デジタルツールを操作した。

 すると、コンテナの扉が閉じた。

 続いてゴローの指が動くと、コンテナ内部の壁が大きく膨れ上がり、四方から機体を圧迫してくる!

「なに? なんなの、これー?!」

「貨物を保護するための高圧バルーンさ。これで落下のショックは相当吸収される。ただし、あくまで貨物用だから、おれの場合は気を失ったが。 ………だけど、ユーカは大丈夫。ルナとも話し合ったが、そのシートならさらに衝撃を柔げてくれるはずだ………」

「わ、わかった。けど、ちょっと気が早いよ。ゴロー、あんたまだ乗ってないじゃん」

「――そのバルーンはもう閉じない」

「え………?」

「ここでお別れだ、ユーカ」

「な、なに?」

「ドラグーンの根本的な仕組みを説明する。なるたけシンプルに。何度もいうように、地上で定めた一定のポイントを狙って、降下エレベーターの最下端部を落とすのがこのシステムの基本だ」

 言いながらゴローはこちらのモニターに、そのイメージ映像を送って来た。

「ところで………君たちのいう『クモの糸』は、このフォボスから地上に向けて垂れ下がっているわけだが………」

 モニター上には火星上空を回るフォボスの図が現れ、そこから下に向かって伸びるクモの糸が表示されている。

「それだけではこのエレベーターは成り立たない。フォボスの下の側にだけ、これだけの重量物を取り付けてしまうと、やがて、その重みに引きずられて全体が地上に落下してしまうからだ」

 ゴローがツールを操作すると、フォボスの図の上側、クモの糸とは反対側に、同じような線が伸びていく。

「だから、降下エレベーターを建設するのと同時に、同じ重量、おなじ長さのカウンターウェイト(対抗重量物)と呼ばれる建造物を反対側――フォボスの上空側に建設していく。これはこれで、いろんな使い道があるんだが、要するに………」

 ゴローがまた指を動かすと、表示された『クモの糸』の一番下の部分と、『カウンターウェイト』とゴローが言ったところの上端部が、同時に外れた。

 下の部分は火星の地表に落ちて行き、上の方はそのまま画面の外へ消えていく………。

「下の一部を落下させるなら、同時に上の部分もおなじ重量分だけ外さなければ、フォボスの軌道を狂わせる、ということさ」

「わかったけど、それで………?」

「ところで、システム・ドラグーンはその安全管理上、ワイバーンからの指令がない限りは、手動でしかコントロールできないようになっている………最後まで人間に、責任を持たせるために、ね。それも、フォボス内の制御室からのコントロールなんかでは駄目で、上端と下端のパージ部分、つまり落下させる部分と、その反対側のおなじ質量部分の中で、同時に操作する必要があるんだ」

「え………?」

「中央の操作だけでは簡単にパーツを落とさせない。テロ対策や、その他の人間の間違いを防ぐ、一つの方法なのさ」

 ………そ、それで……?

「図上の時間を少し戻そう………落下部分を拡大するよ」

 モニター上で、火星に落ちた下端部分が、ビデオの逆回転のようにスーッとクモの糸に戻り、大きく表示されていく。

「………ユーカには……この中で落下操作をしてもらう。クモの糸、下端のパージ部分に着き次第、その操作系統とスコルピオはコンテナのコネクターを通じて直接つながり、ドラグーンのマニュアル起動が可能になる」

「………えー!! なに?! それって………あたしも一緒に地面に落っこっちゃうってコト?!」

「一瞬はね………心配しないで。すぐに放出装置が作動する。本体から降下パーツが切り離されて一定の距離をとったら、コンテナはカタパルトで上方に射出され、放物線を描いて別の場所に落下する。それは………」

 図上で降下パーツから上に飛び出した緑色の丸い点は、弧をえがいてゆっくりと地上の巨大なクッションのような表示に落着した。

「君の街、東京ドームシティにセットしておいた」

 モニター上の東京ドームがクローズアップされ、その複眼のようなウォーターレンズの一つに、緑色のコンテナが着水したシュミレーション画像が映しだされた。

「東京ほどの広さがあれば、射出のときの精度に少々誤差があったとしても、必ずレンズの範囲には落ちる。ただ、万一ウォーターレンズのフレームに当たってしまったら………」

「あ、当たったら………?」

「………ショックは大きいだろう。いくらナナホのシートといえども、衝撃を吸収しきれず、気絶くらいはするかもしれない」

「………………」

「そんな事態に備えるためにも、ノエたちには落下のポイントと予想時間は伝えておいた。何かあったらすぐに移動して救助してくれるはずだ。それに………レンズに着水する確率の方がずっと高い」

「あ、あんたは………?」

「言ったろう。これについては地上側エレベーターの下端と、その反対の上空側の端で同時に操作をする必要がある。おれは上の方にいく」

「い、一緒に帰るんじゃ………」

「そういうふうには……………一言も、言ってなかったろう?」

「そんな! それじゃ、あんたは切り離されたあと、どうなんの?」

「……………………」

 しばらく、ゴローはそのままこちらを見上げていた。

「………なに、どうなるの?! ………黙ってないで、なんとか言いなさいよ!!」

「………楽しかったよ」

「……え?」

「楽しかった。最初にここを降りたとき、こんなふうに君と、君たちと頑張ってこれるなんて、まるで思ってなかった。なんとか、一人で………全てをやり通せると思っていたんだ」

 モニターの向こうのゴローは、いままで見せたことないような笑みを浮かべていた。

「でも、間違ってた。 ………たとえばもし、最初にカプセルで狙い通りに降りてたとしても、おれ一人では無事に全てをやり通すことはできなかったろう………」

 ゴローの指が動きハンディ・ツールに触った。ガクン! とコクピットに何かの衝撃が伝わる。 ………なに?!

「ノエや、カオリやナナホ、艦長やヤンさん、エドワードさん、コテツさん………」

 モニターの中のゴローが少しずつ遠ざかり始めた。あたしたちを乗せたキャリアが、動き始めたのだ。

「みんなの………みんなの助けがあってここまで来れたんだ。だから、おれは最後までやり遂げたい!」

 あぁ、離れて行く、はなれていく!

「スコルピオ! 開けて! あいつを………!! あいつも、連れていかなくっちゃ!!」

「無理だ、ユーカ! 緩衝材に圧迫されてハッチは開かん!」

「で、でも! あいつが! ゴローが!!」

 モニターの中で徐々に小さくなるゴロー。

「ユーカ」

「ゴロー!!」

「なにより君に会えて嬉しかったよ  ………もしかしたら君は、僕の………」

「な、なに、なんなの?!」

「……いや。 ………もうじき、そのコンテナは降下エレベーターの搬入口に運ばれる。そうしたら、リニアで加速・減速され、一時間で六千キロを降下する。その間は火星とおなじ〇,五ほどのGがかかるだけだから安心して」

 モニターで前方をみると、射出ゲートAと表示された扉が見える。

「下に着いたら、最終的な切り離し手続きをしてもらう。今説明するより、そのときのほうがわかりやすいだろう。 ………リニア移動中は通信は途絶するんで、そのときまで待っててくれ。 ………それじゃ」

 そんな! これで、ゴローとお別れ?

「ちょっと、スコルピオ! 止めて、これ止めてよ! ねぇ! どうにかなんないの!」

「ユーカ、無理をいうな。こちらからのコントロールではどうにもならん! それに………あいつの気持ちも考えてみろ」

「なによ、バカ! あんた、ロボットのくせに! ………に、人間の気持ちを考えろだなんて、なんでそんなこと言えるのよ?」

「ユーカ様!」

 それまで黙っていたルナの声。

「スコルピオさんだって悩んでいたんです! ゴロー様がプログラムを転送してきたとき、こうなると知って………でも、これが結局最善だと分かって………」

「うるさい! バカ!」

 コンテナは扉の中に飲み込まれ、やがて、動きを止めた。

「うるさい…………みんな…………ば………か」

 コンテナは向きを変えると、どこまでも続くパイプラインの中に送られ、やがて緩やかに加速を始めた。

「ゴロー………なんで………なんで………?!」

 明かり一つない貨物用のエレベーターの中を、どこまでもどこまでも、あたしたちは落ちていく………。




 あたしたちを乗せたコンテナは、一時間で六千キロを走り切り、どうやらクモの糸の下端に達したようだ。

 減速のときにかかっていた強いGがフッと消えて、シートに横たわるあたしの体は………なんていうか、いつもの重みに戻っている。

 えーと、オリンポスの高さが二十五キロ。そしてクモの糸はその五キロ上空まで届いてるわけだから………現在わずか高度三十キロか。

 これだけ地上に近づけば、重力も戻るわけだ。

 ――この一時間で、なんとか自分の気持ちに整理はつけた。

 もちろん、全てが割り切れたわけじゃないけど………ここまで来てしまっては、ゴローの思いに答えるしか、ない。

 ………さっきはスコルピオにも、ひどいコト言っちゃったな………謝らなきゃ………

「スコルピオ………」

「………なにも言うな、ユーカ」

「……あ、でも……」

「いい。全てが無事に終わったら、そのあとでゆっくり聞く。今はまだ、やるべき事があるだろう?」

「………うん」

「――どうやら今、コンテナを通じてこの落下ユニットの操作系統とコネクトしたらしい。通信回線も、開くぞ」

モニター上に新たな画像ウィンドが開き、すっかり馴染みになった顔が現れた。

「――無事に、着いたようだね」

「ゴロー………」

「うん……」

 ほんの少し前まで、後ろの席から聞こえていた声が、今はモニター越しにしか届かない。

 それも、一万キロ以上も離れた上空から………。

「それじゃ………」

 しばらく沈黙があってから、ゴローが口を開いた。

「操作の説明をする。あと十五分ほどで、エレベーターは落下ポイントに到達する。それまでにシステムロックのAからGまでを順に解除。パス・コードを入れて行くんだが、途中で間違うと初めからやり直しになる。気をつけて。それぞれのパスは、ルナに伝えてあるから………」

 あたしはいくつかの手順を、ルナにバックアップしてもらいながら慎重に進めた。

 その間、ゴローがいくつか助言をしてくれる。

 ………この声を聞くのも………これが最後になるのかな………

「そう、それでいい。 ………そうしたら、右端のアイコンをタッチして、カウントダウン・クロックを始動させる」

「これね」

 画面上に無愛想なデジタル表示のタイマーが現れる。

 カウントダウン残数:四分二十八秒。

 刻々と減って行くカウントを見ながらあたしは、ゴローに言った。

「もう、五分、ないんだね」

「あぁ」

「そっか、もう、お別れか」

「そう……だね」

「あとは、何をすればいいのかな」

「………うん、ラスト三十秒でロックの最終解除――搭乗者の網膜認証が行われる。さっき、管制室で一緒に採ったやつだ。それで全ての手続きが承認されて、システムは実働しはじめる」

「あぁ………じゃ、あと二、三分は………」

「待機だな………」

 それきり、二人とも黙りこんでしまった。

 ――あぁ、もう時間がない………。何か………何か、言わなくちゃ、いけないんじゃないかしら………!!

「………ゴロー」

「ん………?」

「あんたってさ………ほんっとに無神経だったよね!」

「え?!」

 あ、あたし、何を言っちゃってんの?!

「か、勝手に空から落ちて来てさ、ついついあたしが世話を焼いちゃったけど、だ、大事なカップラーメンとか水とか、食べて、飲んでくれちゃってさ!」

「あ、あんときは………ち、地上に来たばっかで、そんなに貴重だったなんて知らなかったから………」

「忘れないよ!!」

「………ゴメン」

「忘れてなんか、やんないんだから………焼きそばパン買いに行って、買い占めちゃって、みんなに追い回されたコトとか、ノエさんに言われて無理やりオリンポスに行かされたコトとか、そこで、アナスターシャのみんなに会って………いい人たちだったよね………カレー美味しかったし、そ、そんとき一緒に映画も観たんだよね、こ、ここで………」

「………ユーカ……」

「わ、忘れてなんか、やるもんか。あんたのしてきた、あんなコトやこんなコト、ぜーんぶ、全部!! ……… だ、だから、あたし、あたし………!」

「ユーカ……おれも………」

「だから!!」

 驚くほどの声を、あたしは上げてしまった。

「だから………サヨナラとか、言うな! あ、あたしはあんたを忘れない。だから、あんたも………」

「………あぁ、決して忘れない。 ………あ、ありがとう、ユーカ」

「………へへ、やっと最後に素直になったね。 ………うん、あたしもだよ、ゴロー」

 ………カウントダウンの数字はいよいよ五十秒を切ってきた。

「ユーカ、最後の認証だ。モニターに顔を近づけて」

「………うん」

 すると、モニターの中に、例の受付の女性が現れた!

「システム・ドラグーン、起動最終確認を行います」

 ………今までにない、シリアスな声だな………

「起動者二名の網膜パターンを照合します。起動者はモニターに顔を近付け、互いの視線を合わせてください」

 こ、こうか。ゴローの方も向こうで顔を寄せてくる。

「………エラー。焦点距離、合いません。起動者はモニターに顔を近付けてください」

 え? ………こう?

「………焦点深度、合いません。距離を近付けてください」

 も、もうモニターまで数センチ! あたしたちは、視線を合わせたままだから、あいつの顔がまるで目の前にあるよう!

「ゴロー………」

「ん………? ユーカ」

「もっと………近くに………」

 そうして、あたしたちの顔と顔、唇と唇はモニター越しに………くっついてしまった。

「………パターン認証開始。そのまま十秒間お待ちください………」

 ………言われなくても、すぐに離れる気持ちは、ない。

 あたしたちは、じっと互いの目を見つめ合う。

 忘れないように。わすれないように………………




「認証、終了しました」

 例のアナウンスが告げる。

 あたしは、ゆっくりと画面から顔を離した。

「………なんだか、スパゲティ・ナポリタンの味がする………」

「ぷっ、おれはガラスの感触しか感じないぞ」

「………あんた、本当にデリカシーってモンがな無いねぇ」

 そのままあたしたちは互いの顔を見つめ合う。

「ゴロー………」

「うん………それじゃ………」

 ――アナウンスは続く。

「………これよりシステム・ドラグーン、起動します………ワイバーンよりの誘導波確認………降下エレベーターとの結束ロック、解除」

 軽い衝撃が伝わり、あたしはゆっくりと、辺りを見廻した。

「本モジュール、パージまでテン・カウントダウン。搭乗者は衝撃に備えてください」

「ユーカ……」

「ゴロー!」

「……八……七……六、……」

「……もしかしたらキミは、キミはおれの………」

「――なに、なんなの?!」

「……三……二……」

「………おれの……い………」

「ゼロ。パージします!」

 コクピット全体が、ガクン! と揺れた!

 座っているシートすら消えてしまったかのような落下感!

 まるで、再び宇宙に放り出されたようだ!

 フォボスとの通信線は切れ、上空、フォボスの反対側の端で、同時にパージされたはずのゴローは、モニターから消えた。

「――ユーカ様! エレベーター本体とは連絡が切れましたので、ここからはあたしがナビゲートします!」

「お、お願い、ルナ」

「はいぃ! 現在このモジュールは上空二十六キロを毎秒二百メートルの速度で落下しています! そして、上空十五地点キロで、あたしたちのコンテナは上方に向かって射出されます。それまでに、あと四十秒!」

「わかった!」

「カタパルトでの強制射出ですから、それなりの衝撃が予想されます。また、ドームのレンズに着水するときも同様です。万一………」

「うん」

「………レンズのフレームに激突するようなコトがあっても………」

「……あっても………?」

「あ、あたしが、全力でお守りするですぅ!!」

「ん………頼んだわよ」

 ここまで来たら、あたしにできるコトは何もない。

 ベルトを強めに調整してシートに深く体を沈め、あたしは目を(つぶ)った。

 ………それにしても、ゴローは、最後に何を言おうとしたのだろう………。

「おれの………い………? い、い、愛しい人? いやぁー、そんなロマンチストじゃないよなぁ。 ………い、い、……嫌なヤツ? ………だったらあの野郎、今度ぶっころ……!」

「ユーカ様、口閉じて! 射出されます!!」

「う………!!」

 ズン!! としか形容しようのない強い衝撃が襲って来て、あたしたちはコンテナごと、モジュールから放出された。

 コンテナの外部監視カメラからリンクした映像で、あたしたちが火星の薄赤い大気の中に放り出されたのがわかる。数秒、上に上がって行く感覚だったが、すぐにさっきまでのような落下感に替わった。

「お、落ちるー!!」

「ユーカ様! あと三十八秒でドームに落下します! もうカウントダウン、取りますか?!」

「こ、こ、こ、怖いから、イイ~~!」

「わかりました! では最低限で、ファイブ・カウントに致しますゥ!」

 !! け、結局、カウント取るんやないかい~~!!

 モニター越しに、見る見る大地が近づいてくるのがわかる!

 間もなくルナがカウントダウンを始めた!

「五!」

 あぁ、青い点が見えて来た。ドームだ!

「四!」

 みるみる昆虫の複眼になって行く!

「三!」

 視界の中で広がって、ひとつ一つの網目がわかる!

「二!」

 やった! レンズの真ん中に当たりそうだ!

「一!」

 ドーーーン!!!!!

 今まで感じた中でも最大級の衝撃で、あたしたちのコンテナは止まった!




「! なんだ?」

 最初に異変に気付いたのは、東京の抵抗勢力を排除中のアニーだった。

 ………上空に………小さな、黒い影がよぎった?

 とはいえ、ほんの少し力を緩めただけでも素人くさい相手のMDMはつけ込んでこようとする。 ――必死なのだな―― そう思えばこそ、ほかに気を取られた自分を恥じ、全力で叩きのめしにかかる。そうでなければ、相手も浮かばれまい………。

 そうした自分に、「優しいね、あんたは」と、かつて言ったメイは、五十メートル隣で四機を相手に奮戦している。

 対面した相手には、全力をもって報いる。 ………そのような優しさは、むしろおまえの方が持っているものだろう? などと思いながら、アニーは敵手の手足を粉砕し、身動きを奪っていく。

……どうやら、この都市の連中はこちらの排除をあきらめ、籠城戦に移るつもりか? 数分前から抵抗に頑強さが消え、敵は徐々に陣形らしきものをドームの方に後退させてゆく。

「このまま押せ! 奴らをドームに閉じ込めてしまえば、数日で飲料水が尽きて日干しになる。この場で見ているだけで我々の『仕事』は完了するぞ!」

 アニーの号令を受けて、それまでドーム勢の必死の抵抗を持て余し気味だった極冠部隊は、あらためて攻勢を強める。

それに押され、ドームのMDM勢は一層浮き足立つようにノース・ゲート近辺に後退していく。

 しかし、その実、彼らの間では、非常にクラッシックなやり方で、極冠部隊に悟られぬように、次のような伝達がなされていた。

『………リュウ・ハ・マイオリタ………ソウイン・テハズドオリ・セントウタイケイ・ヲ・イジ・シナガラ・のおす・げえと・ナイブ・ヘ・コウタイ・セヨ』

 ………ドームのMDMは、相手に打撃を加えられたとき、電装系統の接触不良を多発させ、警告灯やセンサーライトをチカチカと明滅させているものが多い。

 しかし、アニーたちは知らない。その明滅が、大昔に滅び去った通信手段・モールス信号となっているコトを………

 そしてさらに、次の一文も付け加えられる。

『ナオ・コノ・デンタツ・ニ・カンシ・ぱいんばっくケ・ト・あなすたーしゃショゾク・ノ・MDM・ハ・サキノ・ウチアワセ・ドオリ・タイショウガイ・ト・スル………クリカエス・リュウ・ハ・マイオリタ………』

 ………一見、極冠勢に押されているかのような態勢を装っていたドームのMDM群は、その実、今しがた発せられた通達に呼応して、四機、または五機と秩序だってゲートの内側に後退してゆく。

「アハハハ、アニー、奴ら、抵抗あきらめたみたいだね! ………これでアタシも、昔みたいなムリやんなくて済むってもんだ!!」

「………油断はするなよ、メイ……。まだ、二十機近くの殿軍(しんがり)がゲートの前で粘っている。ああいうのが死兵となったら、厄介だ」

「………そんときゃ、まとめて可愛がってやろうよ………今度は、アンタもいっしょに、さ」

 アニーがそれに対し、何か言おうとしたとき、別の機から通信が入った。

「アニー、分隊長のマンです………どうも、奴らの陣形だが、なんか、おかしくはないか?」

「………フン、お前も感じていたか………言ってみろ」

「こういう場合………手前に残った連中ってのは後退する味方を守り切るために、完全に死を覚悟してるモンだ。だが、奴らぁ………必死に抵抗しちゃあいるが、まだ、後のことを考えてるような………なんか、弾の出し惜しみみたいなモンを感じるんだが……」

「――だったら、アレだろ? あいつらも、仲間を中に逃がしっきったら、自分たちも後退する気なんだろ?」

「………メイちゃん、それにしちゃ、あの二十………二十一機、か……動きがなさすぎる。 この段階なら、二機や三機は、動いてないと………」

「………あー、もう、うっさい! よーするに、あいつら黙らせちまえば、ゴチョゴチョ細かいこと考えなくていーんだろ? めーんどくせぇから、あたしがちょっと行って、あいつらのコト、ぶっ潰してきてやんよ!!」

「あ、待てメイ! お前はそうやっていつも………!!」

 そう言うアニーの言葉が耳に入ったか、どうか、アニーの機は黒いMDMの部隊を抜け出してノース・ゲートの方へ突入して行った。




「オーケイ、ノエちゃん。いま、最後の一機がゲート入りした!」

「わかりました、ヤンさん。では、艦長に出てもらってください!」

 ノース・ゲートの前方に残った、流麗な曲線で構成された機体と、対照的に実用一点張りの無骨なフォルムのMDMの間で通信が交わされた。

わずかにMDM数機が出入りする隙間のあった後背の扉が大きく開かれ、ヨセフ・ウラジミール・アンドノフ率いるウォータンカー、アナスターシャⅣがその艦影を現した。

「パインバックの嬢ちゃんたち、よくここまで堪えてくれた! あとは我々に任せて、ここは下がってくれ!」

後退を通告するアナスターシャ・ブリッジのモニターにパインバックの次女、カオリの映像が割り込み、抗議した。

「かーんちょおー! そりゃ、ないっすよぉ ……どうやら、ドラグーンとやらもうまく進んでるみたいだし、こっからが見せ場じゃないっすかぁ!」

「………っふ、好きにするさ。上空モニターによると、おまえさんのお友達もなんとかレンズに着水できたようだ。この上、一口乗りたいんだったらウチの連中と一緒に艦に掴まれ!」

「あ………ユーカのヤロー、無事だったか?! ま、まぁ、心配なんかしちゃあいなかったっすけどね! ………そんじゃ、まぁ艦長、その前に、あっちの連中からなんか飛び出してきたのがいるんで、あたしはそのお相手してきまさぁ!!」

「あ、カオリ! また勝手に! お待ちなさい!」

ノエの制止も振り切り、白いMDMがノース・ゲートをあとにしようとした瞬間………




「………い…けない………」

 あたしは、着水のショックでほんの数瞬、意識が途切れていたようだ。

 あぁ、どこにも怪我はなさそう  ………ゴローは……どうなった……かな………

 そんなコトに思いを巡らせる間もなく、再び強い衝撃があたしを襲う!

 今度は着水の時とは違う、ぶぁん!! と、機体を強く震わせるような衝撃。

「こ、これは?!」

 ビリビリとした振動が残る中、あたしは周囲をスキャンしてモニターにに映し出す。

 あれは………?

 あたしたちのカプセルが打ち出された軌道の後方、ドームの西北に黒い巨大きなキノコ状の雲が立ち昇っている。

 ………そうだ、あれはクモの糸が落下した証なのだろう。

 ゴロー………やったよ………

「ユーカ、感慨にふけるのはあとだ! 着水の衝撃で扉が開いた。もう、高圧バルーンのエアも抜けている! ………ほうっておけばこのコンテナは浸水して地面に落ちる! 脱出するぞ!」

「わかった、スコルピオ!」

 あたしはスコルピオを操作してコンテナの中でそのボディをよじらせ、どうにかその入り口までボディを運んだ。

 外の様子を確かめたところ、あたしたちはウォーターレンズの一つの、割り合いフレーム近くに着水している。

「スコルピオ、あそこ!」

 あたしはフレームの最も近いポイントを指示し、スコルピオの腕からワイヤーを射出した。

 フレームの一部にワイヤーがしっかり絡まったのを見届けると、もはや気密処理してあるスコルピオのボディを、浸水を気にすることなくレンズの水面にザブン! と放り込む。

 ワイヤーを巻き取りながら見るともなく下の方を見ると、前にゴローを拾ったときより心なしか水深が浅いような………。

「ルナ、これって……?」

「はいぃ、ユーカ様ぁ。たしかに、レンズの厚みはあたしたちが地上を出る前よりかなり減っていますぅ! おそらく、この都市は慢性的な給水不足に陥り、生活水を賄うためレンズの水分を使いはじめたのではないかと………」

 ………そこまで……ヤツらはあたしたちの街を追い詰めていたのか?!

 あたしは少し、カッとなった!

 ……数秒とせずあたしたちはレンズのフレームにたどり着き、スコルピオの腕をかけて苦もなくその上に這い上がった。

 どうやらあたしたちが居るのは、ドームの中心をやや外れてはいるが、かなりの高所。濃度は薄いとは言え、かなりの速さで大気がびょうびょうと吹き付けてくる。

「ルナ! 地上の方、どうなってる?!」

「そう……ですね、少しお待ちください………どうやら、このドームの各ゲートは敵対勢力に囲まれているようですが、特にいま、ノース・ゲート付近で小競り合いが行われている模様です!!」

「よし、北……ね?」

あたしはそちらの方に機体を向けると、スコルピオに命じた。

「スコルピオ! ビークル・モードへ!!」

「?! ここでか!!」

「文句あんの?!」

「い、いや………。それじゃ、操縦頼むぞ……!」

あまり幅の広くないフレーム上でスコルピオを走行形状に変形させると、あたしははるか下の方に見えるノース・ゲートに向けて猛スピードで機体を走行させた。

右に、左にと曲がりくねる、六角形のルートに対して、忙しく舵を取りながら………!




「な、なんだ?!」

 突如おこった轟音と振動に、極冠でも一、二を争うMDMパイロットと言われたメイも、その動きを止めた。モニターに表示される西北方の、高く盛り上がる黒雲に意識を奪われる。

 ……それは勢いづいてノースゲート側から飛び出したカオリも一緒だった。ただ、アナスターシャの面々からドラグーンの説明を受けていた分、メイよりも立ち直りが早い!

 二人がそれぞれの陣営から飛び出したのはほぼ同時だったが、接触する直前になってカオリが先手を取る形になった!

「へへ、驚くのもムリはねぇと思うけどぉ!」

 カオリの操る白いMDM・アテーナーがメイのユリウス・タイプの十歩ほど手前でボディを踊らせるように跳躍して、そのまま捻りのきいた右拳を送り込んだ! 

「………う?!」

 一足遅く、われに返ったメイは操縦桿を左一杯に押し倒してようやく敵の白いMDMの攻撃をかわす。

「ち……おしかったな」

「そのままやっちまえ、カオリぃ! アイツの動きはあたしが分析する! 今は、手数を出した方の勝ちだよ!」

「……たのむぜ、ミネルヴァ!!」

 自機のシートメイトにそう言い捨てると、カオリ・パインバックは右後方に下がろうとする相手機に操縦桿を向けた!

「この………シロウトが、調子くれやがってぇ!」

 ――そもそも、メイやアニーなど、極冠の実戦部隊に今回命じられているのは「暴徒の鎮圧」であって、「敵軍との戦闘」ではない。従って、使用できる武装も、特にマスメディアなどの目がある都市の周辺では厳しく限られている。

 メイは、自機の右腕に装備されたガトリングガンを撃ち放したい衝動をおさえ、腰ウラにセットされたアーミーナイフを抜きはなった。

「このくらいは、自衛の範囲だからなぁ!」

 モニターの端にキラリと光った刃物の気配に気付いたカオリも、素早く機体の膝下に納められている山刀(マシェット)に手をかけた。普段は生育しすぎた『雑草』や、『巨大昆虫(メガインセクト)』に対処するために携行しているものだが………

刃物(こんなの)を、ヒトに向かって使わせるなあぁ!」

 (やいば)(やいば)が、文字通り火花を散らし、一進一退の攻防が続く。

 状況を見て駆けつけようとしたアニーの機体の前に、サビも浮いて塗装もはげた、妙にくたびれきったようなMDMがひょい、と現れて進路をふさいだ。

「……どけ。死にたくなければ、な」

 アニーの発する警告に、さえない外装のMDMは応じた。

「おぉ、怖い怖い。第七士官学校さんってのは、みんなこうなのかねぇ?」

「――?! キサマ、なにを?」

「動きでわかるよ。 ――その重心の取り方は、校長直伝みたいだから優秀な学生だったんだねぇ」

「……知ったようなことをぉ!!」

 ――もちろん、この程度のことでアニーが冷静さを欠くようなことなどはない。

 相手の挑発などは意に介さず、もっとも効果的な方法で排除にかかる。たかが民間機一機に、こうまで本気になる筋合いなどないのだが……!

「……ナイフは、使わないのかい?」

 数瞬後、敵機のそんなセリフを聞きながら、 アニーは気持ちを入れ替えた。

 なるほど、こいつはよくいる『プロ気取り』なんかじゃない。本物の『プロの兵隊』だ! しかも、こちらの手の内を知り尽くしている! 

 アニーが繰り出した攻勢の数々はことごとくかわされてしまった。

 あまつさえ、今は自分の方が守勢に立たされている! 

 久しぶりだな、こんな状況は………。そこまで考えて、ふと、今相手をしているMDMパイロットについて、思い当たった。

「まさか、とは思うが、ヤン……教導官……か?」

 脳裏に浮かんだのは、メイ以外で初めて自分の操縦技量を上回った相手。二年前の特別講習で、それまで負け知らずだった自分をあっさり地面に押さえ込んだ、パートタイムの若い教官。

「久しぶりだね、アーニャ・レントン。君の活躍はオレも聞いているが……正直、その才能をこんな風には使ってもらいたくなかったよ」

 言いながら、ヤンは自機を左に滑らせ、相手の機体の右腕を取りに行こうとする。

 アニーはいち早くその気配を察知し、上半身を右回りにひねらせて逆にヤンの機の背後を取りにいく。

 ヤンは機体のバネを生かして地面を蹴ると、ブースターを調整してアニー機の頭上で後転し、さらにその背後を取る!

「……腕を上げたな、アーニャ・レントン。学生のころは一発で腕を取らせてもらってたもんだが」

「……恐縮です、ヤン教導官殿。あれから私にも、いろいろありましたから」

「――それじゃ、そのいろいろってのを、後ろのドームでお茶でもしながら聞かせちゃくれないか?」

「そうですね、しかし、そのドームにはお茶を入れる水のゆとりがお有りですかね?!」

 交信を交わしながらも、両者一進一退、譲らぬ攻防は続く。

 気を抜けない合間にも、アニーは時折コンソール上の戦術モニターに目を配る。

 メイや、その他の機の状況も似たり寄ったり。ドーム側の連中と押しては引の攻防を繰り返している。

 しかし……じきに他ゲートを攻略した援軍がこちらに回ってくる。

 そうすれば一気に……!

 一方、アニーたちから五十メートルほど離れたところで、極冠集団の黒い機体とパインバックの白い機体の戦闘も続いていた。

 アーミーナイフを素早く繰り出すメイの機の動きに対して、カオリのMDMアテーナーも作業用のマシェット(山刀)でよく防いでいた。

 しかし、素質はあるものの体系的な戦闘訓練などは受けていないカオリは、少しずつ、すこしずつメイの容赦ない攻めに追い詰められていく。

「ミネルヴァあ! なんか、いい手はないのかぁ?! このままじゃ、ジリ貧だ!」

 カオリの問いに、コクピットに浮かんだシートメイトが答える。

「だめだ! 相手の手数が早すぎるの! 戦術計算が追いつかない! ……! カオリ、足元!!」

 カオリが機体の歩をずらしたさきに、小さな岩塊があった。それをよけようと重心を傾け、わずかに上半身がよろめいた瞬間!

「捕まえたよぉ!」

 右脇にメイの機体が入り込み、そのまま脚を払われて、カオリの機は前向きに転倒させられた!

 そのままメイはカオリのアテーナーの右腕を捻りあげるようにして背中に馬乗りになり、完全にその動きを封じた。

「……さて、コクピットはこのへんかぁ」

 ギリギリともがく白いMDMを抑えつけながら、メイは機体のナイフを逆手に持たせて、その先端を相手機の背後、腰から上あたりに泳がせた。

「ココをひと突き! ……なんてのは、『人道に反する』とかなんとか、後でうるせぇからなぁー」

 カオリはコクピットの中で、荒い息をはきながらどうにか立て直しを試みるが、抑えられた機は動かない。

 メイはその整った眉を、少しつまらなそうに動かすとこう続けた。

「そのかわり、このクソ生意気な機体を二度と使えねぇように、ズタズタにしてやんよ!」

 そうして右手のナイフは、センサーの集中するアテーナーの頭部を狙って振り上げられた。

「やっ、 やめろー!!!」

 カオリの悲痛な叫びが響く。

「いーや、やめないね! せめてこういう楽しみでもなけりゃぁ、こんな稼業を続けてられるかってんだ!!」

 ナイフが振り下ろされ、カオリは思わず目を瞑った!

 その時!

「おりゃアー!!」

 の掛け声と共に、右脇の死角から突っ込んできた一機のMDMが、メイの機体に強烈な飛び蹴りを食らわせた!

「うぉお!!」

 メイの機はそのまま三十メートルほども、ドームの反対の方向へ吹き飛ばされた!




 ……あたしがスコルピオを操って、地上に到達しようとしたころには、ルナによる観測で戦いの状況はほぼ掴めていた。

「ルナ! あたしたちも行くよ! 今、一番有効なポイントは?!」

「はいぃ! 戦闘妖精ルナ、発動ですぅ! 現在、東京側、極冠側ともに数の上でも均衡状態ですが、やがて極冠勢の援軍が他ゲート方面から回ってくる見込みですぅ! 現在の戦闘状況に絞ってみると……あれ、あの前方一時方向、刃物でやりあっている二機! ドーム側の白い機体がやや劣勢ですぅ!」

「あれは……カオリのアテーナーじゃない! スコルピオ、 あたしたち、あそこに介入するよぉ!」

「了解だ! ここで……変形するか?」

「いや、このままよ、このまま突っ込んで!」

 いよいよ地上に近づくと、あたしはブースターを使って勢いを増しながらフレームから離れ、空中でスコルピオを人型に変形させた!

 そのまま姿勢を変え、カオリの機体を組み敷いている極冠のMDMにスコルピオの足を向けると、さらにブースターをふかして強烈な蹴りを食らわせた!

「おりゃアー!!」

「うぉお!!」

 相手のMDMが遠くへ吹っ飛んだのを確認すると、地面にうつ伏せにされていたアテーナー(カオリの機体)に手を延ばした。

「カオリ……」

「……へへ、無事だったか。 ………帰ってくるなり無様なとこ、見られちまったな」

「……見ちゃった。……これでパイロットスーツと、焼きそばパンの借りは返したわよ」

「ま~だこだわってんのかよ? わかったわかった、それで充分、釣りがくらぁ」

「……ふふ」

「――へへへ」

 カオリの機の手をとって立ち上がるのを手伝うと、どちらからともなく笑いだしてしまった。

 と、前方に蹴り飛ばした機体も立ち上がり、こちらにぐるりと機首を巡らせた!

「てめえらぁ~!!」

 そのまま地面を蹴ると、ナイフを振りかざしてこちらに駆け寄ってくる!

「……頑丈なやつ」

 あたしがつぶやくと、カオリも続けた。

「あのまま気絶でもしてりゃあいいのに、可愛げのねぇ」

「ふっざけるなぁ! ド素人がぁ!!」

 相手機はみるみる距離を詰めてくる。

「おい、ユーカ……アレをやるか」

「……え? アレ?」

「こないだの、虫捕りの時のカマキリのアレだ」

「………そうか、わかった! で……あんたがメス役?」

「……だな、スコルピオに女役は似合わねぇだろ?」

「いいよ、それじゃ!」

 あたしはスコルピオを操作して地面を蹴ると、軽く跳躍してカオリの後方に降り立った。

 相手の機はカオリのアテーナーが正面から迎え撃つ形になる。

「……? 何のつもりか知らねぇが、もっかい一対一(タイマン)でやりたいってんなら、付き合ってやんよ!」

 敵機が得意のナイフ捌きを繰り出し、カオリの機に襲いかかる。

 しかし、少し前までの勢いでカオリを圧倒することができない。

 アーミーナイフとマシェット(山刀)。刃と刃が火花を散らす。

「――?! さっきの蹴りで、機体にダメージがあるか?!」

「それだけじゃあないよ!!」

 カオリが応じる。

「ミネルヴァ!」

「おう! あんたの友達が時間稼いでくれたおかげで、相手の攻撃パターン、ほぼ解析できたぜ!」

 カオリの小さなパートナーが答える。

「これで勝てる、とは言えねえが当面あたしらに負けはない!!」

「――生意気ななんだよぉ! アマチュアがぁ!!」

 相手の頭に少し血が登り、その刹那、動きにズレが生じた。

「今だ、カオリィ!!」

「おう!!」

 隙に乗じてカオリがマシェットを振り上げ、メイの機体の腕からナイフを払い飛ばした!

「ユーカ!!」

 あたしは機体を走らせて空中のナイフを掴み、カオリの脇から飛び出てMDMの急所――腰部の動力ケーブル辺りにそれを突きつけた。

 突如脇から現れたあたしの機体に相手は対応できず、さらにカオリが反対の側からマシェットを腰に当てる。

「勝負、あったな」

 カオリに続けてあたしも告げた。

「動力ケーブル、切らせてもらいます」

「クソ! いい気になるなよ……」

「……できれば、投降して下さい。あまり、ムダにMDMを傷付けたくない」

「…………」

 あたしの呼びかけに相手は答えず、しばらく何かを調べているようだったが……。

「……っふ、ふふふ!」

 やがて、忍び笑いが聞こえてきた。

「あん、ナニが可笑しいんだよ? さっきの蹴りのダメージが今ごろ頭にきたか?」

 カオリの問いに、相手は

「クックック、残念だったなぁー。どうやら時間を稼がせてもらったのはこっちのようだったぜぇ? 識別レーダーくらいはあるんだろう? 広域モードにして見て見なよぉ」

 あたしとカオリはモニター越しに顔を見合わせ、それぞれの機の画像を調整した。

「……あ!」

「これは……」

 もう、このゲートから遠からぬところに、二百に近い数のMDMの識別信号が映り込んでいる! ――もちろん、所属は極冠のものだ……。

「そろそろ、望遠レンズなら目視範囲に入ってくるんじゃねぇかあ? 所詮素人だなぁ! 『戦術』でいくら勝ちを拾ったところで『戦略』をひっくり返すことは出来ないんだよぉ!」

 ……識別レーダーにみる見る増える、お世辞にも友好的とは言えない赤い光点。

 あたしとカオリは、モニター越しに顔を見合わせた。

 と、その時生まれたほんの僅かのスキに乗じて、相手の黒いMDMはあたしたちの拘束をスルリと抜けだした!

 相手はバックスラスターをふかして友軍の方へ離脱しつつ、悪態をつく。

「……へ、へへ。ざぁんねんだったなぁ!! これでココ何分かの、キサマたちの努力も水の泡、ってぇワケだぁ!!」

 ……なんだか、お決まり(テンプレ)っぽい捨て台詞を聞きながら、あたしとカオリはそれぞれの機の態勢を立て直し、各々手にした刃物を然るべき箇所(あたしも、カオリと同じようにスコルピオの膝下に設けられているマシェット・ケースの、空いている左側)へ、収めた。

「……ふーーん……」

「なぁー、ユーカぁ。なんかあの言いかた聞いてっと、あたしら負けたみたいだよなーぁ?」

「そーだね~。なーんか水の泡、とか言われてるし、ねぇ?」

 ……どうやら、あたしたちの薄いリアクションが、極冠のお客様にはご不満のようだ。

「……あ? おめぇら、なに他人事(ひとごと)みてーに余裕ぶっこいてやがる? ……そっか、多勢に無勢を悟ってやっと諦めがついたってとこか? 往生際の悪い!」

「多勢に無勢か、カオリぃ」

「ま、この状況見りゃ、確かにそうだわな」

「あー、ヤンさんの方も、ひと区切りついたみたいだよ」

 元教導官(ヤン)との、進退のない不毛な組み合いから自ら望んで離脱し、アニーは後退するメイに合流した。

「アニーィ!! もう、めんどくセーからさっさと囲んじまって終わりにしちまおうぜぇ?」

「……そう出来ればいいがな、メイ。気を……緩めるな。こいつら、何かを企んでいるぞ……」

「……あ? ――キャハハハハハーーァ考えすぎだよアニー、あんたはいつも考えすぎだ。こっちはもうじき二百……五十機くらいになろうってんだよ? あっちで動いてるのはショボい砲撃してくるウォータンカーの他に十五機前後だ。さっきゲートに引っ込んだ奴らが出てきたってモグラ叩きにするだけさ! さ、一気にもみ潰しちまおうぜぇ?」

「――メイ………なにか、何かがおかしい…………」

「ち、アニー………もういいよ! ショーン曹長、マン軍曹、それぞれ手頃な連中五、六機連れてあいつら囲んじまいな! ぼっこぼこにしてやれよ!」

 しかし、命じられた二人も、いや、それ以外のどの機も動こうとしない。

「……?! どーしたんだよ? アニーが何も言わなきゃ、あたしに指揮権限があるんだぜ? それともお前ら、抗命罪で……!」

 その声をさえぎるようにして、マン・アレッサンドロ軍曹からメイの機に通信が入った。

「メイ……ちゃん、見てくれ……一体、こりゃあナンだ?」

 音声に添付されて送られてきた画像をみて、メイも言葉を飲んだ。

 図表は交戦ポイントを中心とした、広域見取り図のリアルタイム画像だ。

 わずか十五機ほどの敵を、その十倍以上の極冠集団が囲んでいるのは先刻どおり。

 ただ、その周囲五キロには渡ろうかという包囲線をさらに囲むように、北側から無数の光点がまるで雲のように群がり寄ってくる。

 まだまだこちらに到達するには距離があるものの、メイも見たことのない動き、速さでそれはこちらにやってくる。

「あ………や、やつらの援軍? ……いや、火星じゅうのMDM集めたってこんな数には……?!」

 その時、極冠集団の全機共通回線に緊急指令が入った。

「各機、現場(げんじょう)より退避! MDMはそれぞれ母艦に収容! 手近に母艦のないものは最寄りの艦に上がれ! それもなければ、高所を見つけて走れ!」

 メイが始めて聞くような洒落っ気の抜け落ちた声で、全ての機体にジッシャーからのメッセージが届く。

「ムーブ!! ムーブ、ムーブ、ムーブ、ムーブ!!」

「い、一体、どういう…………大佐?!」

「メイリオ・ハーク准尉か? 動け!! 水だ、水が来る!!」

圧倒的優勢に立っていたはずのメイは、一瞬の判断のニブりがあった。

「み、水?!」

「准尉……メイちゃん!! こっちだ!」

 ハッとみると、闘いで傷んだ自機の腕を、別のMDMの無骨な腕がつかんで引き寄せる。

「マン……軍曹」

「俺たちの艦は遠すぎる……あそこだ、あの丘まで駆け上がるぞ!」

「大佐が、水って……」

「あぁ、もうすぐ目視範囲に入ってくると思いますよ! 急いで!!」

 東京ドームの設置された広大な峡谷、カセイ谷。その中にあって長年の風化で削り取られ、細々と残ったそこかしこの丘陵のひとつ目指して、マンとメイの機は駆け登った。

 そこから見る北の地平は、東西に迫る岸壁に挟まれてそう長いものではない。

 その、左右を区切られた紅い大地と空の境界に、うっすらと横一線の砂塵が立ち始める。

「あれは……あれは?」

「……来ましたぜ……」




「敵軍、退避行動始めた! 当方もアナスターシャに集結! カオリ嬢ちゃん、それから……! え~っと、誰だっけ……?」

「ユーカです、ユーカ・ラムラータ!!」

「おぅ。嬢ちゃんも、急げ!」

 ……まぁーったくもう、艦長ったら、あたしの名前なんかろくすっぽ覚えちゃいないってか?!

 ……極冠勢(あいつら)が背を向け始めると同時に、あたしたちも全力であたしたちの母艦……アナスターシャ目指して駆けた!

 この距離ならスコルピオを変形させるまでもない。

 モニターの中で、豆つぶほどだったアナスターシャの艦影が、まだ切る前の羊羹(ようかん)の大きさくらいには見えてきた。(キャッダ! あたしったら、こんな時にも食べ物のことなんか……!)

 艦上にはヤンさんやエドワードさんを始め、ほとんどの機体が帰還しているようだ。

「いそげ! あとはお前さんたちだけだ! まぁーったく、最後までにらみ合ってんだからなぁ」

「ごめん! ヤンさん!」

 あたしたちも口々にそう言って艦に駆け寄った。先に帰艦した人達の機があたしたちを引っ張りあげてくれる。

「嬢ちゃんたち、上がったか?」

 艦長の通信が入る。

「はい!」

 あたしたちは同時に返事をした。

「よし。では、他機に倣って脚部を甲板に固定せよ」

 あたしたちはそれぞれ機体を所定の駐機位置に持っていくと、甲板の一部から固定ロックがせり上がり、足首周りをガッチリ固めた。

「では、各員、機を安定姿勢に保ち現状で待機!」

「艦長! ノースゲートから通信っす! パインバックの……ノエさんです!」

通信員のヨースケくんの声が響く。

「おぅ、わかった。つなげ」

 相変わらず、今のところ通信は全てオープンチャンネルで行われているようだ。

「――艦長、ノエです。そちらは如何(いかが)?」

「おう、いま全機収容終わったところだ。……今のところ、誰一人欠けとらん。悪くない成績だ」

「では、後退してください。ゲート、只今より開放します!」

「……嬢ちゃん、残念だがもう間に合わん。全力後退しても、ゲートを閉じるまで五分はかかるな。その時間は、ないだろう」

「でも、艦長!」

「――想定の、範囲内だ。嬢ちゃん、カオリ嬢ちゃんや友達が心配だろうが、ここはオレに預けてもらえんか? 大丈夫、必ず無事に返してやる」

 数秒の、沈黙。

 ふいに、場にそぐわないような明るい声が入った。

「ノエさぁーん! うちの父ちゃんの舵取りは火星一だ! ムスメのあたしもいるんだし、ココは任せてやってくれないかなぁ!」

 見ると、あたしたちが取り付いたのと反対側の甲板に、艦長の実子、シヅカ・ルイシコフちゃんの駆る小型MDMフレイヤが固定されている。

 スコルピオのカメラ目線に気づくと、愛想よく手を降ってくれた。

「……信じます。艦長は必ず約束を守って下さいましたから……」

「嬢ちゃん……」

「……ゲート、開放中止! 速やかに閉鎖の上、オールロック。厳重に点検せよ!」

「すまんな」

「艦長も……ご無事で……」

 モニター越しの目線の会話があった、のだろう。数秒ののち、艦長の声が響き渡った。

「操艦、俺によこせ! 行くぞ野郎ども、北に向かって全速前進! 面舵(おもかじ)一杯ぃ!」

 おー! オモカジ、イッパイー!!!

 ……て、オモカジって、ナンデスカ?




 ドームの手前を横切るようにして砲撃を繰り返していたアナスターシャは、艦長の豪快な操艦でその艦首をぐるりと右方に巡らせ、真北に舵を取った。

 今や、あたしたちの正面には広い峡谷の地平を埋め尽くすような、横一線の砂塵が大きく迫ってくる。

「総員、衝撃に備えろ!」

 艦長の号令に、甲板上の全てのMDMが改めて姿勢を取り直す。

 やがて、火星に生まれた人間が誰一人聞いたことのない、おなかの底から体全体を揺さぶるような響きが迫って、あたしたちは濛々たる砂塵と………続いて想像もしたことのないような『水の壁』にぶつかった!

 それまで全速で進んでいたはずの艦は大きく押し戻され、あたしもベルトをしていなければ、座席から放り出されるところだった。

 長かったような数十秒がすぎ、やがて艦は再び大地を踏みしめ強い流れにあらがって、ゆっくりと、しかし、力強く前進を始めた。

「全艦、状況報告!」

「こちら、格納庫、浸水なし!」

「機関室、通常と変わらず」

「居住区点検中! 外壁に損傷ありましたが、運行に支障ありません!」

「甲板上MDM報告!」

 ヤンさんの声!

「全機、固定確認。無事ですよ、艦長!」

「うむ。 ………どうにか、乗り切ったようだな……嬢ちゃんたちも、無事か?」

「――はい!」

「平気っすよぉ、艦長!」

 あたしとカオリは同時に答えた。

「よし、全艦状況良好。それでは総員、艦の探査レーダーはもとより各MDMのセンサー、全乗員の直接目視も動員し、周囲の状況把握に努めよ! なにが起こるかわからん、隙をつくるな!」

 艦長の言葉を受け、あたしもセンサーの感度を上げ、モニターには周辺の画像をフルオープンで映し出した。

「ルナ! なんか、気付いたことあったら、すぐ報告!!」

 そう言い終わるやいなや、ルナの鋭い返答が返った。

「ユーカさま! 左方向! 拡大して!」

 モニター上にルナが指定したカーソル部分をズームすると、強い流れに足を取られたのか、一機の黒いMDMが手足をばたつかせながら仰向けになってもがいているのが見える。

 やがて、その機体は動きを止め、強い泥流に逆らうことなく流されていく。

「ルナ、あれは……」

「……はい。どうやら、電装系統がやられたようですね……」

 黒いMDMはそのまま流されていき、やがて緩やかに盛り上がって水面の上に頭を出している丘の向こうに隠れて見えなくなってしまった。

「ユーカさま! また、左、前方!」

 流されていったMDMの行方に気を取られていたあたしの横っ面を張るように、ルナが声を張り上げた。

 ルナが指し示す、さっきよりも北側の広い水面に、いくつもの黒い影が浮かんでいる!

「ルナ……あれ……?」

「………十五、十八、二十三………いえ、三十七、八機ほどが、まとめて流されていきますぅ! ぜんぶ、極冠から来た機体と思われます……」

「……うん………」

「――まさに、ヤツら全部、水の泡と流れちまったわけだな………」

 カオリの通信を耳にしながら、あたしは素早くセンサーの表示と感度を操作する。

 流されているのはMDMばかりではなく、相手のウォータンカーまでもが横倒しに水面に浮かんでいる。

「あれは………?」

「――ああなるさ………」

 オープンチャンネルのバンドからヤンさんの声が入る。

「………あいつらは、ドームの水を収奪するつもりで、今も大半が空荷のタンカーだ。艦の中に大きな空洞を抱えている。 ――言ってみれば薄い鉄張りの風船みたいなものさ。 ……そこに水が襲ってくれば、たちまち浮き上がっちまってコントロールを失い、流されるまま、さ」

「ヤンさん………でも、街の水を奪って満水になってるヤツもあるはずでしょ? そいつらはまだ無事なんじゃ………?」

「同じことさ、今は無力になっちまってるって意味ではね。 ………たしかに、満水のタンカーは、このアナスターシャと同じように浮き上がらずに地面に立ってるだろう。だがね、われわれと違ってヤツらはブリッジや居住区画に防水措置なんかしてない。そこから浸水して機関がびしょ濡れになって艦としちゃ、おじゃん、さ」

「じゃ、アナスターシャは………?」

「もちろん、防水シールドを施した上でタンクは満水にしてある。 ――ゴロー君のプランを元に、艦長とノエちゃんが急いで対策した結果だよ……」

 ……ノエさんは、闇雲に艦長を信頼していたわけじゃないんだ。なるほど、できることを全てやってから、勝負に望むのが流儀だったわね………

「さて、これでこの件の片はついたかなぁ……? オレたちみたいな、平和で凡庸な貿易業者には、今度のことはちと荷が重かったけどなぁ」

 これは、ヤンさんの冗句でもあり、本音でもあるのだろう。

「あの、流されて行った艦やMDMは、どうなります?」

「どうにもならんよ」

 艦長の声。

「ここまで流れてきた水は、端からドームのウォーターレンズに吸水されていっとる。水源のほうも、蜘蛛の糸が落下した衝撃と熱で一時的に大量に湧出しただけだ。もうじき、浅くなって安定するだろう。あの連中は………」

 そこで艦長は言葉を切り、あたしは下流に向かって流されていく艦や機体に目を向けた。

「まぁ、しばらく流されたら適当なところに引っかかって停まるだろう。 ……機材は泥まみれになって、しばらくは使い物にならんだろうが、な」



 ……システム・サーペントの誘導に従って火星地表の一点を直撃した軌道エレベーター下端部は、それ自身の重量と、落下の速力による巨大な力で、大地を大きく穿ち、捲り上げて、新たなクレーターを創り上げ、堅牢な岩盤に地下深く覆い隠されてきた厚い氷の層を露出させた。

 衝突によって生じた膨大な熱によって、巨大な氷塊の表層と、それらに混じり合うようにして閉じ込められていたドライアイスまでが一気に熱されて沸騰し、爆発的に膨張する。

 その力に押し出されて、溶け出した大量の水はクレーターから溢れ出し、やがて谷の地形に沿って土ぼこりを巻き込みながら奔流となってドーム都市の方向へ流れ出した。

 水が溢れ、流れてくる!

 かつて、火星上では想像もし得なかったその状況は、ドームを囲む極冠の部隊を潰乱させるのには充分であった。

 落ち着いてみれば、その水位はMDMの膝に届くかどうかといったものだったが、雨を知らない機体の駆動部は易安と浸水を許して脚を取られ、水面に転倒した機体から電装系を侵されては無力化して行く。

 艦隊の主力となっている中型のウォータンカーも、空荷の身軽さがアダになり、足回りが地表から浮かされて強い流れになす術もなく翻弄される。

 それらの流れの行き着く先、谷の最下流にドームシティがあり、やがて水流は動きを緩め、大なレンズを取り囲むようにしてゆったりと滞留した。

 やがてドームを構成するウォーターレンズに常駐するナノマシンが、周囲を水に囲まれたことを感知し、ここ数日で常態を維持できなくなるほどの欠乏を補うべく自動吸水を始めた。

 封鎖されて以来、都市で消費もし、また包囲勢に奪い去られた分を補ってあまりある水量は、みるみるレンズに浸透していく。

 薄くやせ細って、空に貼り付いた粘膜のようになっていたそれらは、やがて本来の、まんまんと水を湛えた、空中プールの姿を取り戻していった。

 一つひとつのレンズには一定の容量があり、それが満たされると次のレンズに水分が送られる。そうしてドームの周辺から天頂へと、順次貯水は行われていくのだが、 そうして全てのレンズを満たしてもなおドームの周辺には流れが渦を巻いていた。

 即座に全天満水の判断がつかない周辺のナノマシンはなおも吸水を続け、容量をオーバーフローする量の水はレンズの中を駆け巡り、やがて………

「……私だ、イワタだよ。 ――ノエくん、これが………」

「えぇ、市長。これが、彼ら……フォボスの少年、ゴローくんと、あの『ラムラータの娘』ユーカちゃんに、わたくしどもが託した『仕事』ですわ……あの子たちは、とうとうやってくれました」

 ノエはパインバック・プライベートドックの管制室の3Dスクリーンで、市長執務室のイワタと対面していた。

 そのスクリーンの大部分は今も、市外の状況……火星の表土を水が覆い流れてゆくという奇跡を映しだしている。

「……いま、私たちのドームが吸収しきれなかった水は、このまま流れて大地に染み込み、あるいは空中に蒸散し、少しなりともこの惑星の大気を潤します。 ……こうした営みが、いつかこの惑星全体にも……」

 そのとき、モニターの向こうでイワタを呼ぶものがあった。

「ミッちゃん、アレだ! えらいことだ! ちょっと外を見てくれ!」

「どうした、スワさん。えらいことならもう充分……」

「とにかく来いよ! ありゃ、口で言ったって伝わらねぇ! あ……そこの、パインバックの嬢ちゃんも、こんなむさ苦しいオッさんとにらめっこしててもつまんねぇ。そこらの窓を開けて、外をのぞいてみな! あんたらのやった、どえらい仕事がわかるってもんだ!」

 言うだけいうと、水道局次長スワはイワタの首根っこをひっつかむようにしてスクリーンの向こうへ連れ出して行ってしまった。

 ノエは微笑して軽くため息をつき、管制室に連なる展望バルコニーに足を向ける。

 ゲートに付属の市場を一望できるそこに部屋から一歩でた途端、ノエは自分の頬に冷たいものを感じた。

「……これは……?」

 掌で頬をぬぐうとかすかに濡れている。

 あらためて上をみると、美しく水をたたえた上空のウォーターレンズから少しずつ水滴が落ちてきているのだ。

 全てのレンズに水が行き渡っても、周辺域のナノマシンは即座に吸水をやめることができない。

 吸水時に濾過され、レンズの容量をオーバーした水分はナノマシンを残してレンズから排出される。

 空の上から、純粋な水が降ってきているのだ。

 やがて強くなってきた、始めて体験する『雨』に身をまかせてノエはしっとりとその身体を濡らしながらつぶやいた。

「そう、そうね………いつか、この惑星全体も、こんな風に………!」




「こうなっちまえば、戦う理由はないってのによぉ!」

 カオリが声を荒げている。

 あたしも同じ気持ちだ。

 ドームの周りに押し寄せていた大量の水は徐々に引いて行き、ところどころには地面が顔をのぞかせるまでになっている。

 そして、それを足がかりに、未だに機能している極冠のMDMがこちらに攻撃をしかけてくるのだ!

 中には機関砲や榴弾など、明らかにいままで使用を控えていたらしい飛び道具を、積極的に使ってくる連中もいる。

 明らかに指揮系統が混乱して各個判断で……つまり、ヤケになっているのだ。

 こうなると、こちらも無事では済まない。

 アナスターシャの甲板上は二機、三機と被弾するMDMが増えてくる。

 アナスターシャ本体からは急設した機関砲で応射するものの、こちら側のMDMには銃器を持ったものはいない。

 業を煮やしたカオリを含め、二、三の機が飛び出しそうなのをヤンさんが必死に抑えている。

「勝手に出るんじゃない! 十字砲火の餌食になるぞ!」

 全速力による前進で最初の水流を凌ぎきったアナスターシャは、すでにドームにむかって後退に転じていた。

 しかし、泥でぬかるんだ地面という初めての状況にクローラーが脚をとられて、思うように速度が出せないようだ。

 そうこうするうちに、数機の敵MDMがドーム側にまで回り込むべく、後進するアナスターシャを追い抜いて行った。

「ヤバい、囲まれちまうよ、ヤンさん!」

「クソ! 敵機の大半は流されちまったとは言え、まだ五十機以上は生きてるか。それに引き替え、こっちは一隻で的になってるからなぁ!」

 カオリとヤンさんの切迫したやりとりが聞こえる。

 ここまでがんばってやってきたのに、ここで終わっちゃうの、あたしたち………!

 あの日、レンズで溺れかけていたゴローを助けて以来のことが………。

 ……そのとき、あたしの頭の中にふと、ある考えがよぎった。

 あ……もしかして………?

 折しも、艦は窪んだ地形に多くの水が取り残された、ちょっとした池の脇を通り過ぎようとしている。

 あたしは思いきって甲板を蹴り、その水たまりに跳び込んだ!

「……?! なにやってんだ!」

「ユーカちゃん?!」

 カオリとヤンさんの呼びかけにも答えず、機体の胸まで使った状態であたしはスコルピオに指令した!

「スコルピオ! 右手のカートリッジ・カバー開いて!」

「……なんだ? ユーカ、どういう………?」

「いいから、できるの? できないの?」

「こうか?!」

 機体の右前腕部、麻酔カートリッジの収納カバーが水中で開いて、ガボンと泡が出る。

 これでいい。手首から先はショートして、麻痺しちゃうかも知れないけど。

「……それじゃ液送管出して、一番近い相手を狙って腕の中の水を全部、圧送して! 麻酔注入圧の最強レベルで!」

 スコルピオは音声では答えずに、モニターのセンターにいた黒い機体に照準を定めた。

 強烈な放水は十秒ほど続き、それは十メートルほどまでに迫っていた敵機を、少し後ずさりさせたほどだった。

 しかし、あたしが狙った本当の効果は、そのすぐあとに現れた。

 それまで、アナスターシャの包囲を狙ってドーム側に回り込もうとしていたその機体は、コクピット付近にちらりとした火花を見せたかと思うと、突如、膝を折って倒れ込んだ。

 あたしは、操縦系統をショートさせるのに成功したのだ。

「ヤンさん!」

「そうか! わかった、うちのMDMで麻酔管を装備してるヤツは、あれをやれ! 飛び道具に対抗できるぞ! あと、艦長!」

「おう、わかっとる。いまエドワードに、給水ホースにプレッシャーポンプを繋げるように言った。二、三分待て!」

 カオリのアテーナーを先頭にして、五、六機のMDMが『池』に跳び込み、近づいてきた敵機に次々水流を浴びせていった。

 面白いように動かなくなっていく相手に対して、こちらの水は充分にある。

 カオリの弾んだ声が、こちらのコクピットに届いた。

「オメーにしちゃあ、こりゃいい思いつきだなぁ! あれか、ホントはできるコだったんか?!」

「あたしを残念なコ扱いしてたあんたにゃ悪いけどねぇ!! ………ま、ホントはコテツさんに教えられたんだけどね。 ………水鉄砲っていうんだってさ」

 迂闊にアナスターシャに近づけなくなった敵機は艦を遠巻きにして銃撃してきた。

 しかし、やがて艦内から大型のホースが二機のMDMによって引きずり出されると、大量の放水が始まり、距離をとっていた連中も次々となぎ倒されて行く。

 どうやら、モニター内にはほとんど動いている機体がなくなり、状況は落ち着いてきたと見えてきたそのとき………

「うわ!!」

「カオリ、ヤバイよ!!」

 カオリの乗機からミネルヴァの切迫した声がはいった。

 みると、腰まで水に浸かっていたアテーナーの右腕から黒煙が吹き出し、肘から先がちぎれ飛んでいる!

 狙撃?!

 なおも二弾、三弾と飛んでくる銃撃方向に目をやると、銃撃を援護にしながら接近してくる機体がある。

 アナスターシャからの放水も難なくかわしながら近づいてくるその機体は………

「さっき、あたし達とやりあったヤツ……!」




 圧倒的優位にたっていた自陣営の、一瞬の崩壊という事態にメイの頭は真っ白になり、どこかその片隅がチリチリと赤く焼けつくのを感じていた。

 今のいままで干上がっていた街の連中が、あろうことか降って湧いたような水を使ってあたし達をなぎ倒してくる!

「メイ……准尉。全機帰投信号が出ている。ともかく、一旦ひいて……」

 傍らに立つマン・アレッサンドロの機体からの通信も、どこか遠くで響いているようにうつろに聞こえる。

 ズームアップしたモニターの中に映っているのは、先刻自分を敗退させた機体が、欲しいままに水を使いながら自軍機を薙ぎ払う姿。

 これが………許せるか?

「――メイ、聞こえるか? アーニャ・レントン少尉だ。 ……遺憾ではあるが、ともかくフォルテッシモに戻ってこい。マン軍曹も、聞いているな?」

「えぇ、アニー。 ――さぁ、メイちゃ……准尉、ともかくここを離れて……うおっ!!」

 ガゥン!! という衝撃と共に、マンのメインモニターの映像が切れた。

 肩の高さまで振り上げられた、メイの機体の右手の甲から白い煙が立ち昇る。

 腕に内蔵された速射砲が、マンの機体の頭部――メインカメラを撃ち抜いたのだ。

「……うるさいよ、帰りたきゃ一人で帰んな……あたしは、あいつらを……」

 残った通信用のモニターに映るメイの目からは、ある種の光が失われているようにマンは感じた。

「いかん、マン、メイを止めろ!」

 アニーの言葉に応じてマンは機体の手を伸ばそうとする。

「メイちゃん、アニーのいう通りだ。 ……とにかく、俺と一緒に……!」

 しかしメイはその手を振りほどくと、交戦域に向かって駆け始めていた。

「うるさい、うるさい、うるさい!! あいつらだけは、許しちゃおかねぇ!!」

 言いながら、コンソールに伸ばしたしなやかな指先を素早く動かしていく。

「我、交戦相手を最大の脅威と認定。武装制限、これを全解除! 機体反応、最高速に!」

 メイのMDM、ユリウス・タイプの戦術コンピューターがボディに指令を発し、腕や背中に埋め込まれていた銃器や砲身がせり出してきた。

 もはや、射撃の制限命令などはお構いなしに、まず最もムカつく相手……先刻自分を押さえ込み、今は『イイ気になってこちら側に水を浴びせかけてくる』白い機体に照準を合わせる。

 数発の銃声。

 次の瞬間、遠くに見える白い機の、水を噴出していた右手が黒煙とともにちぎれ飛び、メイは自分とマシンの射撃の腕の確かさを再確認した。

 どいつもこいつも、ぶっ殺す!

 あいつら、あたし達をよりにもよってこの惑星で一番大切なもの……水を使って虫けらのように押し流しやがった。

 だったらあたしも……どんな手を使ってだって、あいつらをぶっ潰してやる!

 まずはその、水を放射してくるクソ生意気な腕からだ。そして脚。最後にコクピットにとどめをさして……!

 メイが、初弾を浴びせた白いMDMの膝にもう一撃を見舞って動きを奪うと、照準を隣の機に移した。

 こいつは、さっきこちらに投降をうながした、ムカつくヤツ!

 しかしトリガーを絞ったメイの目に入ったのは、腕をもがれて黒煙を発する哀れな機体の姿ではなかった。

「かわした?!」

 おそらく、被弾した僚機の姿に狙撃の危険を感じ、とっさによけたのだろう。メイの射撃の寸前に、相手は横に体を動かしていた。

 フン、しかし虚しい抵抗だ。そんな動きはすぐに読める。

 こっちはその動きを先回りして照準を合わせるだけ……!

 射撃管制機に計るまでもなく、メイは相手の動きを予測して照準をずらした。

「?!」

 一瞬後、そこにあるべき敵のボディは無く、放たれた銃弾が虚しく空を切る。

 一塵の砂煙がこちらに近づいてくるのを見て、メイはすぐに悟った。

 変形機か! ボディを地べたに貼り付けてかわしたな。

 ……地上走行で接近してくるとはいい度胸だ!

 だったら上からその無防備な背中を撃ち抜いてやんよ!

 いまだ互いの距離は百メートル以上あるが、メイは機体を大きく跳躍させて上空からその機体――走行モードのスコルピオを照準に捉えた。

「くたばりな!」

 言いながらトリガーを絞った先に、その機体はもういない。

「く!」

 こちらの予想を僅かに超えて、その機は加速し、あるいは速度を緩め、またジグザグに走行して銃弾をかわしてくる。

「フン、近づけば近づくほどマトがでかくなって来るんだよ、このド素人が!」

 再び地上におりて前に駆け出す。その間も途切れずに相手の艦から放たれる強い水流をよけながら。

 そうしながらメイは、敵の通信の傍受のために開けてあるチャンネルから奇妙な音が入って来るのに気がついた。

「……なんだ、こりゃあ?」

 目の前の敵機や放水から注意を逸らさず、しかし切れ切れに入り始めたその音――いや、声にも耳を傾ける。

『……しろい…つばさ…に……』

「?!」

『……おもいを…はせて………』

 ………歌、だと……? ……ヤツか?

 あらためて、近づきつつある車両体型をとったMDMに目をやる。

 こ、こんなときに……! 舐めているのか?!

「………ふっざけるっなあぁぁぁぁぁ!!!」

 激したメイの機の両腕から速射砲が火を吹く。

 しかし、撃てば撃つほど、近づけば近づくほどに敵は巧妙に機体をかわし、ことごとくメイの照準を外してしまう。

 なんだ、どういうんだ、これは? 相手は、少々やるとは言え、たかが民間の機体だぞ?

 やがて、その機は十メートルほどの間合いに入ってくると、その俊敏な動きを止めずに軽く跳躍しながら、再び人型の戦闘体型に変形した。

 メイの間断ない射撃をかわしながら………。




「――未知の世界へ、想いを馳せて――」

 あたしは歌いながら、スコルピオの変形レバーを引いた。

 低い走行姿勢から人型への変形は、相手に狙いをつけやすくするだろう。

 だけど、今のあたしには……相手の動きが、見える!

「……刻んだリズムは――命の鼓動……!」

 素早く機体の膝下のマシェット・ケースからアーミーナイフを取り出す。 ……これはさっき、こいつから奪ったもの。

「きっと望みは……叶えてみせる……!」

 銃撃をかわしながら、すれ違い様、相手の腰に刃を一閃!

 ――動力パイプに触れた、軽い手応えはあった。だが相手も、とっさに機体をかわしてダメージを軽くしてる!

 少し距離をとったあたしに、相手はくるりと機体を翻して銃撃を浴びせてくる。

「……I don't forget. ――The birth in this planet……」

 あたしはとっさにスロットルを引き絞った!

「わかりました、ユーカさまぁ! スコルピオさん、全力全開で!!」

「おう!」

 もはや、あたしとルナ、スコルピオの間に言葉の指令は必要ない。

 状況と、それに応じた動作一つで、彼らはあたしの思いに答えてくれる。

「……The answer,answer must be here……」

 あたしが口ずさんだメロディに呼応して、スコルピオが全身のブースターをふかし、上空に跳び上がる。

 サブ・ブースターで相手の銃撃をかわしながら機体右手の液送菅を射出し、後頭部と胴の隙間、わずかに装甲が空いている部分に叩き込む!

 腕の中に貯めた水は、さっきから撃ち尽くしてカラに近いが……

「……もう、うしろは振り返らない……!」

 液送菅と、カートリッジケースに残っていたわずかな水を、送り込む。

 外から多量に浴びせなくとも、直接機体の中に浸水させれば効果はあるはず!

「……それが、たったひとつの……」

 あたしたちは機の姿勢を翻して相手の機体の背後に降り立った。

「……たったひとつの、約束だから……!!」

 ……歌い終わったあたしの耳元に、相手の機の通信が流れてくる。

「クソ! 機体が……動かねぇ! こ、こんなふざけたヤツに、このあたしがぁ!!」

 聞き捨てならない台詞に、あたしもつい、しなくてもいい反論をしてしまう。

「――ふざけてなんか、いないわよ! だってこれが、あたしの……!」

「そうです~ぅ! これが! ユーカさまの『素』なんですからねぇ~!!」

「………だな」

 ……ルナ、スコルピオ……よくわかっていらっしゃる。

 あらためてあたりを見渡すと、もう動いている敵のMDMの姿はない。

 こちら側でひどい損害を受けたのは、カオリのアテーナー一機で済んだようだ。

 今しがた交戦していた相手の機は、どうにかバランスをとって立っているのがやっとのようだ。傷ついた腰の動力部から何かがドロリと漏れ出している。

「……あんまり、ああいうことはしたくなかったな……」

「まぁ、機体をお釈迦にしたというわけでもない。咄嗟(とっさ)のことだ、むしろ、よくやった」

「そうですぅ。自分を責めるのは良くないですぅ~!」

「……二人とも、ありがとう。 ……これで、終わったのかな……」

 あたしは、モニターを広域スキャンに切り替えた。

「そです~ねぇ、わたしたちの戦闘レンジでは動いている敵はありません……さらに外側では……」

 ルナがズームの範囲を広げる。

「………えっ?! 敵方大型ウォータンカー接近!!」

「なに?!」

「どうやら、ドラグーンの水流によるダメージも軽かったもよう! おそらく、大型で、タンクも満水だったからでしょう、甲板上に戦闘型のMDM多数!」

「そんな!」

「間もなく交戦域に入ってきます! こっちには水ももうありません! すぐにアナスターシャに戻って……!!」

「わ、わかった!!」

 あたしが、機体を艦の側に振り向かせようとしたその時。

 背後で、ドンッ……という、お腹に響くような音がした。

 急いで見ると、立つのがやっとの様子の、さっきの相手の機の背中から黒い一筋の煙が上空に向かって立ち昇っている。

「ふふふ……へ、へへへ……」

 オープンチャンネルから漏れて来る笑い声と共に、機体はガクリと膝を折った。

「機能がまだ、生きていたの……?」

「いかん、榴弾だ!」

 スコルピオの言葉を裏付けるように、その黒い航跡は上空でゆるやかな弧を描き、落ちてゆくその先は……

「アナスターシャ!!」

 ルナが素早くモニターに提示した軌道計算でも、それは正確にアナスターシャのブリッジを狙っている。

「ユーカさま! 現在アナスターシャにはいかなる迎撃手段もありません!!」

「!! 艦長、よけてー!!」

「……へへへ、だから勝負は最後までわからねぇと……」

 コクピットに届く不愉快な通信も、今は耳に入らない!

 艦は少し速度を増したようだ! あ……ヤンさんの機体がブリッジに上がろうとしている ……盾になるつもりか……!!

「だ、だめーー!!!」

 もはや瞬きして見る間もないほどの距離に、黒い航跡が近づいたその瞬間!

 MDM二、三機分の開きもないだろうアナスターシャの上空で、その黒い死神は、突如爆発して弾け飛んでしまった!

 四散した榴弾の煙が、赤錆びた風に吹き散らされ、その向こうにはアナスターシャのシルエットがうっすらと浮かび上がってくる。

「く、くそ! どうなってやがる?!」

 今は倒れて動かなくなった相手のMDMから入って来るそんな声も、もう気にはならない。

 爆炎で多少煤けてはいるものの、そこには確かにアナスターシャと、ヤンさんたちのMDMの健在な姿があった。

「よかった……ヤンさんたち、なんとか迎撃できたんだ……」

「違うな……」

 スコルピオが分析している。

「アナスターシャから何か対応した形跡はない。あの航跡に対して、有効な迎撃力はそもそもないはずだ……」

「え、じゃあ、なんかのミスで自爆したの……?」

「狙撃がありました!」

 さらにデータを集めていたルナが、詳細をモニターに映し出す。

「おそらく、小型の徹甲弾による、かなり正確な射撃です。 ……その出元は……」

 モニター上の光跡をたどって行くと………

「敵……極冠の………大型ウォータンカーです……ぅ!」

 こちらに向かって来るその艦の画像がクローズアップされ、その甲板上でアナスターシャ側に向かって大型の狙撃ライフルを構える一機のMDMの姿が捉えられる。

 やがて、目視できる距離に入ってきたその艦上から、ライフルを置いたその機体がひらりと降りて、こちら側に向かってきた。

 あたしが警戒姿勢を取ろうとしたとき、にわかに音声が入ってきた。

「おい、おまえ!」

 通信バンドはオープンチャンネルのものなので、その『おまえ』とやらが、誰をさしているのかわからない。

 あたしがモニター越しにあたりをキョロキョロしていると、そのMDMはやおら右手をスッとあげ、こちらを真っ直ぐに指差してきた。

「おまえだ、そこの変わったMDM」

 あ、やばい、あの右手には銃が……!!

「……大丈夫です、ユーカさま。敵の銃口、開いてません。ロックも掛かっているようです」

 ルナの報告に少し息を吐く。

 やる気は……ないっての? それじゃ、なに? なんの、ご指名……?

「……まず、礼を言う。すまなかった」

 は? なに? ナンデスカ?!

「その機体……メイリオ・ハーク准尉のユリウス・タイプ。致命傷を与える気なら、できたろう? ……上空から、ナイフを一突き!」

 ……たとえできたって、誰がそんなことするもんか! 相手を無力化できるんなら、最小限のダメージでいいじゃないか! もし、相手が立ち直れないような危害を加えたとして、いったい誰得(だれとく)………

「だが、その甘さが、仲間の危機を招いてしまった。違うか?」

 う。そ、そうか……あたしがヤツの機能を一撃で殺さなかったから、アナスターシャの危機を招いて……。榴弾が……艦に………

「……ときに、全てを切り捨てる非情さがなければ、この惑星で生きて行くのは難しいかもしれんぞ………とは言え、こちらにも行き過ぎは、あった。 ……メイ!」

「……あーによぅ……」

「その分なら、コクピットにも少しは浸水したんだろう……ヤツらの水の味はどうだ?」

「ふん、こんな上物を戦闘に使うようなヤツらは、全滅させちまえばイイんだよ!!」

「……帰投命令が出ているぞ。 ……その様子では、立てないな……」

「ふっざけんな、帰れだとぉ! なぁ、アニー、艦から換えの機体を出してくれよ! あんたと一緒だったら、こんなふざけたヤツら、一瞬で……!」

「いい加減にしろ! 状況は変わった。もう終わったんだ! これ以上言うようなら、私はおまえを抗命罪で……!」

「アーニャ・レントン、その辺にしときな。あのコはもう、動けないんだろ?」

 ……いつのまにか、そばまで来ていたヤンさんのMDMから音声が入った。

 アーニャと呼ばれたひとの機体は、今しがた味方の機体に向けようとした腕の銃口を下ろす。

「オレも……手を貸してやるよ。ほら、そっちの母艦がもう近づいて来ている………」

「――みなさん、お元気ですかぁ~!」

 その大型ウォータンカーが近付くにつれ、妙な音声がコクピットに響いてきた。 ……どことなく、ヤンさんを連想させる飄々とした物言いだ……。

「軽いな……」

「……軽い……!」

 アーニャとメイとかいうヒトが、ささやきあっている……

「わたくし、こもうの辺の皆様にはすっかりおなじみの、極冠艦隊指揮官・ジッシャー・フォン・アルベルト・ハインツ・Jrと申します」

「……長いな……!」

「……いつも、長い……」

 ……また、ささやき……!

「ただいま、全帯域でこの音声をお送りしておりますので、東京ドーム内外のみなさんに、このメッセージはあまねく届いていることかと思いますが……」

 小型艦アナスターシャⅣの四倍はあろうかというその大型ウォータンカーは、あたしたちの少し手前でその歩みを止めた。

「どうも、『予期し得ない、大規模な地殻変動』が起こったようですね………その結果は現在、皆さんのご承知の通り、この惑星史上の奇跡ともいうべきものでした……」

 その艦からは、音声と同時に周辺の映像も送られてきた。

 モニターには、美しい水をまんまんと湛えて膨らんだ都市ドームのレンズや、その周辺に未だ緩やかに流れ続ける、火星初の『天然の河川』が映し出されている。

「この状況の変化に鑑み、ユニオンの当方面責任者として、先ほど極冠中央と対応を協議いたしましたが……」

 あたしやルナは、今やモニターの中央に映し出された、そのジッシャーという男がなにを言い出すのか、かたずを飲んで見守った。

「この惑星の『資源は所在の共同体にて管理す』の原則に照らし、このたび発見された水源と、それにともなう水利権の管理は、ドーム都市東京の新たな責務と認められる、との見解に達しました……すなわち、先日発令された解散宣告は撤回され、火星人類共有の財産の管理者として、末永い責務の遂行を期する、と」

 え? なに?

「……ルナ……つまり、どゆこと?」

「えーとですねぇ、つまりぃ……『お水が出てきたから、解散は取り消しだぴょーん/ (^o^) \』……ていうことですかねぇ」 

「オマエ、そんなこともわからなかったんか?」

 スコルピオのあきれた声。

「な、ちがっ! そ、そゆことじゃないかとは思ったけどぉ! ……なんかむつかしい言い方してるから……ヌカ喜びは、イヤじゃない……」

 画面はいつの間にか分割され、新たに執務室のイワタ市長が映し出されていた。

 画面上からジッシャーが話しかける。

「………市長、おめでとうございます。全ては『偶然』の出来事とはいえ、晴れて当市の安全は保証されました。 ……私も憂鬱な業務から解放されて、喜ばしいかぎりです」

「そうですな………『偶然』の幸運で、ね。 ……ところで、貴官が先日おっしゃっていた、『重大な規約違反』とやらのことですが……」

「あぁ、アレ。水源捜索の話ですね  ……これほど豊富な水資源を近郊に持ちながら、もし探査の手段を講じようともしていなければ、そのほうがよほど惑星人類に対する『信義違反』ですよ。 ……大丈夫、われわれ全惑星ユニオンは、そのような些細なことに捉われたりはいたしません」

 どうやら、ヌケヌケとこの騒動の前提をひっくり返したユニオンの司令官に、さすがの市長も苦笑で返すほかはないようだ。

「そうですか………それでは、当方としてもユニオンの皆さんに、末永い友誼(ゆうぎ)を期待するよりほかにはなさそうですな……ところで、爾後(じご)のことですが……」

「あぁ、そうですな。ま、われわれには早急の帰投命令が出ておりますので、自走可能な艦とMDMは、できる限りの機体回収と人員の収容を行ったのち、失礼させていただきます。なお、回収不能の艦や、機体についての処置については、追って火星府(M・A・I・D)からなんらかの沙汰があるでしょう」

「……なるほど、そういった事後処置――後片づけは、M・A・I・(メイド)の仕事、というわけですな」

「はい、先日申し上げたように……」

 あっさりと引き上げを宣告した極冠の指揮官に、市長は少々あきれ顔で応じていた。




「なお、今回のことでは双方の人員を通じて、一名の死者も出なかったのは、互いに大きな僥倖(ぎょうこう)とすべきことと感じます……。 これも、貴市の『有志による抗議活動』が、『大変秩序立ったもの』であった為である、と私は極冠中央に報告せざるを得ません……」

「……『有志』の『抗議活動』……ね」

 イワタの皮肉な応答も意に介さず、ジッシャーは続けた。

「私個人も感服していますよ。東京市民の、事に当たっての冷静さと、愛郷精神には、ね………さて」

 モニターの中で、ユニオンの司令官は傍に控えていた男に振り返った。

「副官のフィール君、機材(MDM)や(ウォータンカー)の集合状況、どうか?」

「はい、人員の点呼は終了、回収できる機材は全て可動艦に収容終わりました」

「うん、我が艦も人員収容、問題ないね?」

「はい、現在最後の……」

 フィールという人が、すこし言葉を切った。

 ふ、とあたしがあのフォルテッシモという艦を見ると、ヤンさんの機が他の機と一緒に、さっきあたしと戦った機体を甲板に助けおろして戻って来るところだった。

「……アーニャ・レントン機、メイリオ・ハーク機、帰投いたしました」

「うん……アニーちゃん、少しお話があるから、あとでメイちゃんを連れて執務室へ上がってきてもらえるかな?」

「……承知しました、大佐」

「……はーい……」

 アニーと、メイとかいうひとの音声が入る。心なしか、元気のない声だ。

「さてさて市長、それではいよいよ我々も退散するといたしますが、その前にユニオン執行部から一つ、貴市、『東京市』に対し、提案がきております。以下……」

『―――敬愛する東京市の諸兄へ―――爾今(じこん)、貴市は豊かな水利権限をも管掌し、その富強隆盛は、益々疑いを入れぬもの拝察される―――しかして、そのように前途盛んな大都市に、群小の都市と同じき『市』なる狭隘(きょうあい)な区分呼称はふさわしからず―――以後は本星の旧習に習い『都』、即ち『東京都』への改称を、ユニオン一同より強く推奨するものである―――また、同じくその首長も『市長』を廃し『知事』を名乗られ、より広い裁量を振るわれんことを―――ユニオン加盟都市一同拝』

 モニター上で、やや呆気に取られていたイワタ――市長は、やがて苦笑しながらユニオンの特察官に応じた。

「……これは……持ち上げられたものですな。 ……ま、なんというか、この案件は後日ゆっくり、市民と(はか)らせていただきたいと思います……」

 ……はぁ、あたしにでもわかるわ………よくもまぁ、こんな露骨なムチの後のアメを………!

「はい、いずれ『都民(みやこのたみ)』となった皆様と、再びまみえる日を楽しみにしております、『都知事』閣下」

 ヌケヌケと言うだけのことをいうと、極冠の司令官は脇に立つ補佐らしき人となにかしらの会話を始めた。

 ………終わったのかな……? これで、全部………ゴローがこの街に落ちてきてからの、すべてが…………

 あたしは機体のシートをほんの少し倒して、ゆっくり息をついた。

 ……ゴロー……ゴロー………。あたしたちは、やったよ、あんたがこの街にしてくれようとしてたコト………

 ――なんか、凄いお釣りがきたみたいだけど、あたしはそんなのは要らなかった……ただ、ずっと、あんたと一緒に…………

「――ところで!」

 ……あたしが似合わない感傷に浸っていると、出し抜けにモニターから例の特察官の声が響いた。

「帰途に就く前に一つ。  ……その、我が艦の前方にいるカスタム・タイプのMDM……」

 ………ん?

「 そう、キミ。キミのことだよ、最後にウチのメイちゃんとやりあってた機体………。操縦者はお嬢さんなのかい?」

 !!

「は? あ、あたしのコトっすかぁ?」

 思わず、オープンチャンネルで返答してしまった。

「おー、これは……ウチのアニーやメイちゃんにも劣らない若さじゃないか……いやいや、それは置いといて……」

 あ……コクピットの映像まで筒抜けみたいだ……っていうかっ!!

 なんだなんだ、終わったと思ったのに、あれか、やりすぎたか?! マサカ、ここで『ラチカンキン』とかされて、色々『ジンモン』とか、されたりするのかぁー?!!!

「い、いや、あたしはなんにも知らなくてぇ~……!」

「――い~い声だったねぇ」

 ……え?

「いやー、キミは腕も立つみたいだけど、その、声もハリがあってきれいだねぇ。 ……あれかい、メイちゃんとやり合ってるとき歌ってたのは、この街のミリタリー・ソングか何かなのかい?」

「――え、いや、あれは『魔法のムスメ☆さぶかる・りりか』のエンディングで……」

 ……って、えぇ~~~!!!

「――いや、おいちょっと待てスコルピオ!! あ、あんた、ままままさか、さっきのああああたしの………」

「……歌、か? あぁ、外に流しておいたぞ、決まり事だから。ここはドーム外。もちろん都市外環の外側なんだからな」

 ……おい、イカにも義務を果たした感の、ドヤ声はよせ!

「えぇ~と、ヤンさん?」

 あたしは今傍までやってきたヤンさんの機体に声をかけた。

「あぁ、あの司令官、俺とキャラが(かぶ)っててイケ好かないが、それに関しちゃ同意見だな……あとで録音を聴こう」

 余計なコトをせんでいい!!

「ふ~む、いやしかし、ウチのメイちゃんも相当腕が立つはずなんだけどねぇ。あんな戦い方があるなんて、感服したよ。え~と、なんだっけ、『さぶかる……?』」

「わぁ~~!! 何でもありません、なんでもありません!! し、知らなくて結構です、っていうか知るな! あたしも知らない! なんにも歌ったりなんかしていない!! お、お、お、お願いだから、早く還ってぇ~~!!」

 頭のてっぺんからカカトまでを真っ赤にして身悶えるあたしを、その若い指揮官は面白そうに眺めていたが。

「そうかい? ウチの連中の訓練に、参考にでもなればと思ったが……まぁ軍機にでも触れて、揉めたりするのも本意じゃないんでね………そのうち極冠に遊びに来るコトでもあったらウチに立ち寄ってっくれたまえ、お茶でもご馳走しよう。 ………これでも少しは音楽(ピアノ)なんかをやってるもんでね……」

 その言葉を最後に、集結しつつあった彼らの艦隊は、徐々に、徐々に北の方へと去っていった。




 ――そして、これがのちに『火星の水路の騒乱(water gate an incident)』………即ち『ウォーター・ゲート事変』として、永く語り継がれることになる出来事の顛末と、終焉だった。




「おら、そっち行ったぞ! しっかり捕まえとけ!!」

「あぁ、もう! アミのはじっこがほつれてきちゃったよぅ!」

「言い訳すんな! まだあとこの辺に、五、六匹はいるんだからなぁ!!」

 ――秋になった。長い、ながい夏が終わって、これまた、長い秋。

 なにしろ、火星の一年は六百六十六日もあって……

「くぉら、ユーカ! ボケっとすんな! 左の茂みからもう一匹、ドタバッタだ! いま抑えてるやつはノエ姉たちにまかせて、あたしらはあれ採りにいくぞ!」

「はいはい、カオリ隊長さま!」

 あたしはスコルピオの手に持っていた十メートル四方の捕虫ネットを、ノエさんの機に渡すと、同じく反対側をナナホちゃんに手渡したカオリとともに、新しく茂みの影から顔を出した五メートルクラスのバッタを追った。

 細長い顔をして、性質は大人しいそいつらは、ざっくりビッグホッパーと呼ばれているが、あたしらボランティア女子高生の間では『ドタバッタ』とか『RX』なんて通称で通っている。 ――なぜかは知らないが。

 カオリが、MDMアテーナーの腰に仕込んだ特殊ケースを開け、捕虫ネットを広げて一端をあたしに渡す。

 この巨大バッタ、あまり危険じゃないんだが、とにかく逃げ足が早い。そして放っておくと水耕農場の作物をどんどん食い荒らしてしまう。だから端から捕まえてどんどんドームの外にほっぽり出さなきゃいけないんだけど……。

「あーもう、キリがない! これで七匹目だよ!」

「泣き言いうな! ……とにかく時間いっぱいやるんだよ!」

 ――あぁ、あたしの放課後は……? 女子高生の青春はぁ?!!!




 あの日………システム・ドラグーンによってクモの糸の先っぽが落下した日以来、 この街の環境は劇的に変わった。

 巧妙に計算し尽くされていた落下軌道は、氷床周辺の地熱をもわずかに刺激して上昇させ、結果、ドームの脇にまで流れてくる開拓史上、初の『川』を作った。

『カセイ川(仮)』と名付けられた、その流れがいつまで続くのかは、目下惑星学会で論議の対象だが、およそ二、三火星年くらい保つのでは、との説が有力になりつつある。

 これから訪れる、永く寒い冬にはおそらくいったん氷結し、春まで流れは止まるだろうが、その期間には「スケートができるぞ!」とロシア系のアンドノフ艦長は嬉しそうに言っていた。

 ……すけぇと、って、なに?

 ともかく、その水は大いに利用され、ドーム内に建設されていた魚貝類の巨大養殖プール『東京湾』は慢性の水不足から開放され、いまや個人的にフィッシングという趣味さえ楽しめるようになった。

 また、市街の東側と西側をそれぞれ貫通する『アラカワ・リバー』と『タマ・リバー』も、ほとんど機能していなかった流通路としての役割を改め、その名のとおり本当に水をたたえた川に変わり、街全体にきれいな水を配給する、基幹水道としての役割を担うようになった。

 ドームのウォーター・レンズは川の流れを受けて、常に満水状態だが、時になんらかの変調により吸水オーバーを起こし、余剰水の放出を行うコトがある――すなわち、街中には時々気まぐれに『雨』が降るようになってきた。

 おかげで最近コンビニでは、誰もがはじめてみる、(アンブレラ)なるものが置かれるようになり、あたしもその便利なモノを、度々使うようになった。

 だが、その持ち慣れないモノのコトは、雨が上がるとつい忘れてしまう。

 あたしも、もう四本もどこかに置き忘れ、雨が降るたび、びしょ濡れになってはコンビニでは買うのを繰り返している。

 一度、その不規則な天候がどうにかならないのか、レンズのナノマシンの管理者、パインバック家のカオリお嬢様に、学校で訊いてみた。

 しかし、却ってマシンの持つ不規則生の優秀さやら、不意の天候の変化が人のメンタルにとってはいかに好ましいコトか、なんていつもの説教を延々垂れられ、挙句にヤツは、

「あんたも、これ持てばいいじゃん」

と、カバンの中から奇妙な筒(?)を取り出した。

「ウチらはいっつもこれ持って歩いてっから」

と言って、カオリがなにやら手元のボタンを押すと、その筒はブワッと爆発するように広がった!

 少々後ずさったあたしに向かって、やつはその柄を肩にかけ、可愛いレースで縁どられた、ピンク色の丸いモノを頭の後ろでクルクル回しながら

「お? なにビビってんだ? 折り畳み傘見るの、初めてなんか?」

と、のたまった。

 へー、便利そうだなぁ。っていうか、何よりどう言う仕組みになってんだろう? それちょっと、いいかも!

 そう思ったあたしは、カオリにどこで売ってるのか、いくらするのかを聞いた。

「ん? そっか、これまだ市場に出てないかもな……特殊素材で作った先行試作型……ウチの企業グループの試験販売で買ったんだ。 ……断っとくけど、あたしは自分の小遣いで買ったんだからな! ……まぁまだ、在庫はあると思うけど……… 」

 そう言いながら、カオリはあたしに顔を近づけて、お値段を耳打ちした。

 ……! ふ、ふっざっけんな! フツーのコンビニ傘が百本買えるわ!

「あ、あらどうなさったの、ユーカさん。 ………あぁ、あたしとしたコトが、庶民のお嬢様に、財閥感覚でお小遣いのお話をしちゃったかしらぁ? ………もう、カオリたらバカバカ (><)! てへ!」

 とかいいながら、舌を出して自分の頭を軽く小突いている。

(……炎・炎・炎………こいつ……コロス!!!)

 あたしが(まなこ)と心の中に、真っ赤な誓いを灯してギロリと見ると

「ヤダ怖ーい! トップドライバーの方が怒ってらっしゃるぅ! ……ってか、もうだいぶエコ・スタンプたまってんだろうから、それで貰えばイんじゃねぇの?」

 そう言われて、思い当たった。

 あれ以来、水回りが良くなったおかげで、誰もが大氷床から溶け出した水……まさに、純粋の白水を飲めるようになった。

 今では他の都市に輸出しているほどだ。

 農業や水産業も大いにに潤って、市場は空前の賑わいを見せている。

 だが、それは同時に雑草や害虫にも大きな恵みになってしまい、周辺地帯での出没頻度の急上昇も招いてしまった。

 今のところ、これと言った根本的な解決策もなく、結果………。

 週に四度だった放課後ボランティアが、六度に上乗せされてしまったのだ!!

「ま、出撃回数が増えたのはウチらも一緒だし、もともとあたしらはスタンプの多寡なんて、気にしちゃいないけど、おめーはだいたいあれで水と引き換えてたんだろ? じゃ、もうそっちには使わなくていいし、もらう回数も増えてんだから、こんなのにも手が届くんじゃないの?」

 と、相変わらず可愛い傘をクルクルさせながら、カオリは言ったのだ。

 そ、そうか?! あたしは慌ててお財布からエコ・カードを取り出し、表面をタッチしてスタンプの数を表示した。

「ん~? どれどれ、やっぱ結構あんじゃねぇか?」

 カオリがのぞき込んでくる。

 見んな!!

「ま、あと三十匹くらい消化すりゃぁ………どうにかなんじゃね? 傘の在庫の方はあたしが確認しといてやるよ。いろいろ(がら)はあるがどんな………?」

 ……何時の間にか、あたしはそんなカオリの言葉も右から左に聞き流し、彼女がクルクル回してる傘に見入っていた。

 そうだ……今思い出した。

 ――昨日見てた専門誌に載ってた、かつての地球の声優さんで、そんなキュートな傘のよく似合う、ビッグなアイドルがいたんだよなぁ……

 うふ、うふふ、うふふふふ………

「――おいなに、あたしの傘に変な目線送ってんだ? ……こ、こいつ、やっぱキモッ!!」




 そんなこんなで、放課後ボランティアにも若干のモチベーションを取り戻したわたくし、可憐な女子高生ユーカ・ラムラータさんは、淡々と業務に邁進中なのです。

 しかぁし!! 本日の捕獲目標は動きの素早いドタバッタと言うコトで、事前にボランティア・センターからペアを組むよう言い渡され、心ならずもあのような(資産家だが)野蛮人と行動をともにしている次第………。

 秋の夕暮れはつるべ落としと地球では言うそうで、それはこちら(火星)でも変わりはございません………。

 ――日が陰って、茂みの足元が心もとなくなってきた頃、手近のエコ・ポイントから昆虫の回収車がやって来た。

 さすがに多数の虫を捕獲すると、その都度ポイントには運んでいられなくなる。

 なので、最近はポイントの方から回収車を差し向けるようになったのだ。

 車と言っても、平たいプラットホームを持ったそれは、小型のウォータンカーほどの大きさはある。

 あたしたちも雑草の森から抜けた、平坦な水耕農場の傍で回収車の到着を待った。

 今日の回収係は………

「ナカヤマさん!」

「おぉ、少女たち、やっとるか!」

 眼鏡をかけた知的な女性から発せられる、凛とした呼びかけに、カオリが正しく応答した。

「……ナカヤマさんも、ムダにセクシーボンバーっすね!」

 ――今日のスタイルは、相変わらず長い白衣を羽織ってはいるがボタンは留められておらず、その下は、豊満な胸元がざっくり開いてカラダにフィットしたワンピース・ドレス。

 またそのスカート丈は絶妙の短さを誇り、ガーター・ベルトで吊り下げられた黒のストッキングとあいまって、非の打ちどころのない絶対領域を体現している。

 こんな女性に声をかけられて、付いていかないオトコなどいるのだろうか……いや、オンナのあたしだって、ちょっとソワソワして、頰が少し赤くなる。

 ……っていうか、じきに秋も深まろうというのに、寒くないのかねこの人は?

「うむ、今日もいっぱいとれたな! どれどれ……つごう……三十一匹か、結構。 ……少女たちは今日は……四人チームなのだな。では、少々オマケして、一人につきスタンプ八つとしよう」

 わー! これであたし、あと十個くらいもらったらあの傘に手が届きそうだわ!

 カオリだって、こだわってないとか言いながら、スタンプをもらう時の顔つきはまんざらでもなさそうだ。なにかに使う当てがなくとも、やはり必死でやった作業の報酬だもんな。

「ところで……」

 ノエさんやナナホちゃんにも一通り電子スタンプのデータを押し終わると、ナカヤマ管理官は改めて切り出した。

「少女たちは今週六回出動していると聞いているが……」

「はい……?」

 あたしが答えると、念を押すように、

「明日は、学校は休みなのだな?」

 と、訊く。

「え、えぇ。まぁ」

 ………なんだろう?

「実は、これはわたしからの、個人的な要望なのだが……」

 ??

「――明日も、手伝ってくれんか?」

 ………え、えぇ~!!

 で、でもあたしたち、もう六連勤で、明日は天下の休日なわけで、あ、あたし個人に関していえばその、今夜はオールで、配信の溜まったアニメを消化しようなどとですねぇ………!

「………やはり昨今の状況に鑑み、増えた害虫駆除は喫緊の命題だ。然るに腕の立つパイロットの養成はわずか数ヶ月でその実を見るものではない……ここは少々苛烈なスケジュールとはなろうが、セミプロ級パイロットの少女諸君にわたしは期待したいのだ……」

 管理官のスピーチも、今のあたしにはうつろに響く。

 カオリはどうなのか、と見ると、なにも考えてない顔で、ナカヤマさんの話を聞いている。多分、本当になにも考えてない。

「……と、いうわけで、明日のコト、た・の・め・る・か・し・ら・?」

 い、いや、そんな、お願いのところだけキュートな声とウィンクで迫られましてもぉ……!

「承知しました」

 あ……ぁ、ノエさんのきっぱりとしたとした答え。ナカヤマ管理官の瞳をまっすぐに見据えながら、口許にはかすかに微笑すら浮かべている。

「カオリ、ナナホ……それから、ユーカちゃん、聞いての通りよ。今夜は早めに引き上げて、銘々(めいめい)簡易メンテナンスをやっておきましょう。 ……ナカヤマさん、明日は早朝六時に水耕農園ゲートに集合、ということでよろしいですか?」

「うむ、結構だ」

「はい……ただし、学業のこともありますので、明日の作業は十七時まで。また、来週の六勤明けの休日は完全休養日とさせていただきます。それで承知していただければ……」

「うむ、承知した」

 あぁ、なんだか、女子高生の青春ってものはこうやって周囲からビシビシ決められて行くものなのだなぁ………

「おう、ユーカ。よかったじゃねぇか! これで一気にスタンプ稼げるな!」

……思春期の悩みのない原始人はだまれ!

 ふぅ……これで、帰ったらすぐメンテナンスだな………




「では、明日よろしく」

 さわやかに言い残すと、ナカヤマさんはポイントに戻って行った。

「さて、あたしたちも引き上げるわよ。じゃぁね、ユーカちゃん」

 ノエさんは自機・アフロディアをビークルモードに変形させると、さっと走り出した。ナナホちゃんのアルテミスがそれに続く。

「……それじゃ、ユーカお姉さま、ごきげんよう……」

 うぅ、その呼び方、カンベンして!

 モニターを通して、ルナと、ナナホちゃんの(かたわ)らのルナ・2が、ハイタッチをして別れを惜しむ。

 最後にカオリがアテーナーを変形させて出ようとしたが、動く気配のないあたしの方を見て言った。

「おい………帰らねぇのか?」

「うん……なんかちょっと、疲れちゃって。 ……少し、休んでから……」

 カオリは少し黙って、なにか言いたそうにあたしの方を見ていたが、やがて、

「そっか」

とだけ言い残すとエンジンをふかし、もう街灯の点き始めた外環道の内側目指して消えて行った。

 あたしは、宵闇に溶けていくアテーナーのテールランプを見送ると、やおらスコルピオを走行形態に変形させ、シートを倒して体を預けた。

 はぁ~。やってもやっても虫は出る。ジャマな雑草もどんどん刈り取らなきゃなんない。

 水に悩まなくなったのはいいけれど、なんだかその分、えらく雑用が増えた感じだ……

 結局、あたしやゴローがやったことは、回りまわってあたしの仕事になって帰って来てるんだなぁ。

 ……ゴローといや、あいつのところからもらって来たDVD、フォボスから降下するなり戦闘になったから、トランクの中なんかびしょ濡れで、ほとんど再生不能になっちゃって……はぁ………

 ま、あそこ(フォボス)に行ったことを、後悔してる訳じゃないんだけど………

 そんなこんなをつらつらと考えていると、静かにキャノピーが開き、ヒヤリとした外の空気が入ってきた。

「……なに? どしたの、スコルピオ?」

「うむ、そのまま上を見てみろ」

 言われるままにアゴを少しあげて、ドームの天井を見上げる。今夜はウォーター・レンズ越しにきれいな星空がよく見える。

 そろそろ中天にフォボスも差しかかろうというころだ。

「あぁ、フォボスだね……」

「うむ……そして、今夜は久しぶりの(ごう)だ」

「え? あ、そうか」

 『(ごう)』とは、地上から見た時に、フォボスと、その遥か外側をまわっているもう一つの月・ダイモスが空中で出会い、一つに重なって見える現象をいう。

 昔から火星では、合の瞬間に願いを口にすると、案外聞き届けられるという、ちょっとアバウトな言い伝えがある。

 今、ドーム・レンズの向こうでは、西から登って東へ移動する月、フォボスと、それと全く逆の進行をする、より小さな光る点、ダイモスが、その軌道を交差させようと近づきつつあった。

「願いごと、ねぇ」

 それほどまでに気に留められている訳でもないが、それを見たものならば、必ずしないではいられない、ささやかな希望を叶えるためのおまじない。

 火星にまつわる者ならば、開拓当初から誰言うともなく受け継がれ、知らぬ者はいない、小さな儀式。

「う……ん、アルバイトしたい? でも、結構エコ・スタンプで稼げてはいるし――もっとアニメを見……なんてのは星に願うようなことじゃないわよねぇ……」

 声優……には、もちろんりたいけど、今はまだ、この惑星ではそういった専門職自体が成立してはいない。

「う~ん……」

 もやもやして考えがまとまらないあたしの頭の中を尻目に、二つの月は中天でどんどん近づいてくる。

 う~! つい、この間まではもっとシンプルに、ささやかな願いごとが出てきてた気がするんだけれど……

 もう、フォボスとダイモスはくっつかんばかり。

 あたしの頭はもやもやしっ放し!

 そうして起こった今夜の(ごう)の瞬間に、あたしの口から出た言葉は………

「ゴロー……」

 ………あぁ、ヤっちまった!

 こら、ユーカ! (ごう)ってのはね、年にそう何度も見られるもんじゃないんだよ!

 現象的には起こっていても、火星の地表は昼間だったり、あるいは地平の下で出会っていたり。

 たまに条件のいい日があっても、その時用事でもあればそれっきり。

 こんなにモロに見られたのは、一年ぶりくらいかも知れないのに……

「『ゴロー』? 『ゴロー』ってなんだよ? あいつを引っぱたいてでもやりたいの? それとも、ここにでも連れてきて……」

 そう、ここに連れてきて、連れてこれたとして、あたしは、どうしようというのだろう?

 ……どのみち、あいつは一人で消えて行ってしまった……あのフォボスの向こう……星の果てに……

 やがて離れていく二つの月の姿が奇妙にゆがみ、遠い月、ダイモスの光がチラチラと明滅て見える。

 いけない。いつの間にか、うっすら浮かんだ涙でちゃんと空が見えなくなってる。

 あたしは人差し指ですっと瞳をぬぐうと、体を起こした。

「……行こうか、スコルピオ」

「――ユーカ……今のを、見たか?」

「え、うん。ありがとう。久しぶりの合だったね。せっかくあんたが気ぃ効かせてくれたんだから、もっとちゃんとしたお願い……」

「――今、ダイモスが明滅したろう、あれを、見ていたか?」

「……え? あれは……あたしの見間違えじゃ、なくて?」

「いま、オレのメモリーにもしっかり記録されている。極々短かったが、人工現象だ………あれは……」

「モールス信号ですぅ~、この間、ヤンさんたちが使ってたそうです!」

「……え……? えぇ~?!」

 なにそれ、どういうコト? フォボス以外にも人がいたってこと?

 いやまさか、そんな『偶然』が、二度も続けて起こるはずない。

 じゃあ、あれか? 宇宙人か? そうなのか? とうとう人間の通信方法を解読して、あたしたちを攻めてくるんかぁ?!

「ユーカさま、落ち着いて。難しいものじゃありませんから、いま、解読します。えぇ~と。以下です」

『当方・軌道えれべーたー離脱ヨリ・無事・だいもす到達・第二中間ぽーとトシテノ・機能正常・食料豊富……』

 あたしはルナの読み上げるその文章に、呆然と聞き入った。 ……軌道エレベーター離脱? え? それって……

『……当地ヨリ・おぺれーしょん・どらぐーん遂行ヲ・看取ル・

各位ノ助力ニ・多謝ヲ・捧グ』

 ……なにその、持ってまわった言い回し!

『当方・移動手段・ナシ・通信手段・ナシ・コノ信号ヲ持ッテ・通常通信ニ・変エル・願ワクハ・解読サレン事ヲ』

 ……はい。

『以上・だいもすヨリ・ゴロー』

 ……ゴロー………いま………

「お、おい、ルナ! いま……いま、ゴローっていったか、ゴローって?!!」

「はぅあ! ユーカさま、まだ続きがあります。続けますぅ!」

『追伸・ユーカ・ヘ・DVD・旧作・在庫豊富・ぱらだいす』

「…………以上、ですぅ」

「え、あぁ…………」

 なんか、最後の一文で座の空気がビミョーなものになってしまった。

 いやもちろん、嬉しいんですけどね、いろんな意味で。

 ただその、こんな重大な情報の最後に、『ぱらだいす』、とかってのは………。

「ねぇ、スコルピオ」

「なんだ」

「どうして、モールス信号?」

「そうだな、信号自体は緊急通信用にヤンの発案でアナスターシャクルーはデータを共用していた。あいつも、乗艦している時にオレからデータを引き出していたからな」

「んで、なんで、いま? ……いま……さら……?」

「――おそらくあいつも、火星の(ごう)の伝承は知っていたんだろう。そして、(ごう)が起こるたびにこの信号を自動発信するようセットしてあるんじゃないか? ……お前が、必ず見ると踏んで、な」

「………そう……そっか……あたし、すっかりアイツに読まれてたって訳か。 ――まぁ、あいつのことだから、こういうことをはっきり言わなかったのは、ダイモスに着く成功確率がどうこうとかって、自分の中で抱え込んで、あたしには口に出せなかったんだね………土壇場まで、ちっとも変わらないヤツ!」

「……さて、今回の(ごう)を見て、あの一瞬の明滅がモールス信号だと気づいるのは我々だけだと思うが………どうする、ユーカ?」

「もちろん!! どうにかするわよ! ……その、『オ宝・イパーイ・ぱらだいす』? なんてこと聞いて、あ、あいつに一人占めになんか、させとく訳にはいかないじゃん?!」

 すこし、スコルピオの応答が中断した。 ……場の空気感だけで、ニヤついてる雰囲気を伝えられるAIなんて、火星中探しても、こいつくらいしかいないだろう!

「………それじゃ、まず……ノエあたりに、相談かな。ヤレヤレ、これはまた、大掛かりなミッションになっちまうかも知れんなぁ」

「……ですですぅ。またまたお空に上がるかも、ですぅ~」

「――ウン、それじゃ、いまからパインバックの学生寮に行かなきゃ! ………あ、あ~、こういうことになったら、なんだかんだで、明日のボランティアは中止かなー?!」

「……いや、ノエに限って、そんなコトは絶対に許さんな」

「ですぅ。いまから救出プランを立てて、スコルピオさんたちの整備もして、明日のボランティアもキッチリこなすですぅ。こりゃあもう、今夜はオールかな、ですう!!」

「……うぅ~、うっさい! タダでさえ色々と疲れてんだから、これ以上シンドい話しとか、すんなー!!」

 やいのやいのと言ってくる、ウルサイAI二人を相手にしながら、あたしはゆっくりとエンジンを回して機体を市街の方に向けた。

 そしてコクピットのハッチを閉じる前に、ふと見上げた夜空にはあたしたちの二つの月が、とてもきれいに輝いていた。






  火星の娘 終

長らくのお付き合いありがとうございました。


もし感想などいただけるととてもうれしく思います。


またの機会によろしくお願いします。

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