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火星の娘  作者: はせぴょん
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天(そら)へ

 東京スカイツリー。

 それはかつて、この惑星にいくつかあった軌道エレベーターのうちの一つ。

 重力が軽く、資材も豊富なこの惑星では、地球よりは割合手軽に建設できるとあって、規模の大きな都市は自前のエレベーターを建造し、百年以上前までは盛んに大気圏外との往還に使用していた。

「でも、地球との連絡が途絶えてからは………」

 そう、それ以来この種の施設も使い途が無くなり、あるものは資源として解体され、またそうした余裕が無かったり、思い切った処分に踏み切れなかった都市のものは、老朽化するままに放置され、ときに人類の故郷へのノスタルジーの象徴となっていたりしている。

 それはこの街、ドームシティ東京においては、アサクサ・エリアと呼ばれる観光地区の東側にあり、かつてその一帯はノースゲートの交易市場に匹敵するほどの賑わいを見せていたという。

「まぁ、今はひとけも少ない、居住区内一、二の過疎エリアだけどね」

 ノエさんが乗機のMDMアフロディアから話しかけてきた。

 今、あたしたちはそれぞれの乗機でアラカワ・リバー・ロードを南下している。故郷の川を模して設計された、貨物専用の流通路であり深く、そして幅広く掘られたその溝はノースゲートとスカイツリーの直結路としてかつては利用されていた。

 いまや、運ぶ物を失ったこの流通路は閑散として、ときおり路側には古いMDMが放置されているのが見える。

「もうすぐ、千住大橋を通過だ。 ………気をつけろよ、ユーカ。過疎地帯なのをいいことに、この辺の橋の下はおかしな連中が住み着いてるって話だからな。こんな時だから、保安局もまともに機能しちゃいないしな」

「はん、カオリぃ、このメンツにケンカ挑もうって連中は、このドームの中にはいないと思うけどぉ」

 あたしたち一行――それぞれの乗機、MDMアフロディア、アテーナー、アルテミスにノエさん、カオリ、ナナホちゃん。小型MDMフレイヤのシヅカちゃん。そして、そして、あたしとゴローはスコルピオで移動している。

「わかんねぇぞ~、ユーカ。こないだなんか、ここでよそのドームの人間どころか、金星人を見たっつう噂もあるくらいだからな」

「あんなところに人間なんかいるわけないでしょ?!」

 ………普段だったら他愛もない女子高生の噂話。こんな時だからこそ、なんでもない会話がとても大切に思える。

「じきに、向島エリアに入るわ。そうしたらもうツリーは目と鼻の先よ」

 ノエさんの機から通信が入った。あたしたちは他愛ないおしゃべりに終止符をうち、それぞれの機の中で気持ちを引き締めなおす。

 いまは使用されなくなったスカイツリーの周辺一帯は施設の老朽化のため数十年前から封鎖され立ち入り禁止となっていた。

 もともとひとけのあまりないエリアの中で塔の周囲の封鎖地区、半径一キロあまりはフェンスの外側から見ても荒涼としたたたずまいを感じさせる。

「ここよ」

 ノエさんの機が隔離フェンスにいくつか作られているゲートの前で止まった。大きな文字で『北ー2』とだけ書かれた、頑丈な鉄の扉だ。

「ここからは、歩きでね」

 ビークルモードで走ってきた各機が、一斉にスタンディングモードに変形する。

「それじゃユノー、お願いね」

 ノエさんが、脇に控えていた自分のシートメイトに何かを伝えているのがモニター越しに見える。

 ユノーと呼ばれたAIが何か電子的な呪文を唱えると、ゲートは大きく左右に開いた。

「さ、急ぎましょ。百年ほったらかしだったから、足場は悪いわよ。気をつけて」

 ノエさんの機を先頭に、カオリやシヅカが続く。最後にあたしの機が入るとゲートは静かに閉じていった。

 広大な敷地の中にはショッピングモールやアミューズメントセンター、旅客や交易のための宿泊設備など多くの施設が建てられていた。しかしほとんどの建物は長い歳月により風化が進み、アミューズメントの観覧車は倒壊し、また、ある高級そうな宿泊施設は半ばまで取り壊しが進んだ所で打ち捨てられている。

 路面の多くはひび割れて赤い土がむき出しになり、そこここに旧式の建設・解体用MDMが放置されている。

 ひとけが絶えて音のない商業施設の大通りを、五つの巨大な人影が通り抜ける。

 しかし、こんなに間近でこのタワーをみたのは初めてだ。いつもは遠目に細く、高く空に突き抜けているのを目にするだけで、それが日常の風景になっているので気にも留めたことはない。

 しかし、こうして近くで目にすると、驚くほど巨大で、まるで現実感がない。

 ………アリが……樹齢百年の巨木を前にしたら、こんな気持ちになるのだろうか。

 あたしがぼんやりと思っていると、急に辺りの様子が違ってきた。なんていうか、ここだけ荒れていないというか、整備された区画に足を踏み入れた感じだ。

 もう、ここはタワーのふもと近く。

 その本体に向かって、広大ではあるがどこか無機質な建物が連なっている。

 ノエさんの機がその一画で足を止めた。

「ココが……」

 彼女のMDMが右手をあげて、建物の一部を指し示す。

「スカイツリーのエントランス」

 みると、さっきのゲートに劣らない巨大な扉があたしたちの前に立ちはだかっている。

 ふたたび、ノエさんのコクピットで綺麗な電子妖精がなにかをとなえた。

 頑丈そうな扉は大きく開け放たれ、その奥には薄明るくライトアップされた通路が続いている。

「ノエさん」

「ン、なぁに?」

 あたしの問いにノエさんが答えた。

「いや、この通路といい、この辺の周りの様子といい、とても何十年も放置されてたようには見えないんですけど……」

「あぁ、だってこの辺りはウチのほうで半年に一度くらいは整備していたもの」

「え?」

「そりゃあね、あたしたちだっていつでもこんな事態を想定している訳じゃないのよ。ただ、そこにあるもの、手の届くものは出来る限り手入れしておく。これは……」

「――この惑星に生きるものの鉄則、だろ。ノエ姉、耳にタコができるぜ?」

 カオリがノエさんの言葉を引き取った。

「そのとおり、よく出来ました。とは言えユーカちゃん、整備していたのはこの周辺まで。ここから先を、こんなに急に使う事態が訪れるなんて想定外だったから………」

「あの扉から先は、結構エラいことになってるぜ」

 そういったカオリの乗機・アテーナーが指差した通路の先をよくみると、いままでよりは少し小さい、MDM一機がやっと通れそうな大きさのゲートが見えた。

「あそこから先は、軌道エレベーター・カーゴまでのエントリーホールになってる。中は結構な広さだ。 ………実はあの中はここ三十年ほど誰も手を入れてねぇ。と、言うより、誰も入れねぇんだ。危なくってな」

「危ない……? どういうこと?」

「怪獣がいるんだよ、あの中にはな……!」

「……カイジュウ?!」

「――(ムシ)がいるの」

 ナナホちゃんの声。

「………マーグラネア(火星大グモ)、メガンティス(オオカマキリ)、オリンポスオオカブト、グロースカラベ(巨大コガネムシ)にラージモス(大蛾)、あとその幼虫、それからダイビングビートル(降下刺し甲虫)にメガント(オオアリ)、グローマルーダ(オオマルムシ)………」

 お、おいおい!

「ちょ、ちょっと待て! ………ちょっと、待った」

 ……つまり、あの、アレなの……?

「……アタシたちが普段、一ぴき一匹駆除してるようなヤツが、あの扉の向こうにウジャウジャいるってわけ?」

「………そういうワケ」

 ナナホちゃんの返事は、いつも割と素っ気ないなぁ………。

 そうですか、そうなんですか。このハードル越えませんと、なんか、もろもろ助かりませんか?

「そうなのよ、ユーカちゃん。正直、戦力欲しさにここまであなたを連れてきたのはあたしだから」

 もはや、ノエさんのそんなご託宣は聞き飽きたような……!

「いいか、ユーカ。あのゲートを開けたらエレベーター・カーゴまで突っ走る。そこでナナホがエントリー・コードを打ち込みエレベーターを起動させる。カーゴが開いたらさっさと乗り込み、あとは一気にお空の上ってわけだ。わかったか?」

 カオリの言葉にあたしは一応うなずいてみる。

「わかったよ、カオリ………わかったけど、そんなこと、急に言われても、あたし、ぜんぜん心の準備が………」

「バカヤロー! だれが、お前に行けっつった?」

「へ?」

「あたしだよ。あたしがそこにいる唐変木を連れて上がるってんだ。さっさとおめーの後ろにいるヤローをこっちによこしな!」

 あ……そうなんだ。あたしはモニター・パネルから目を離すと後ろを振り向いた。

「ゴロー、そうなの?」

「………さっきノエとは、そういうふうに話し合ってある」

 そ……っか。そうだよね。あたしはいままで、さんざん危ない橋を渡ってきて、これ以上こんなことに付き合う必要はないよね。

 こんな偏屈で厄介なヤツはここでカオリたちに引き渡して、少しこの場を手伝って………それで、おしまい。

 あとは、ノエさんたちみたいな、もっと力のある大人に任せればいい。

 きっと、うまくやってくれる。あたしなんかよりも、ずっと、うまく………………。

 そうして、あたしの口から出た言葉はこうだった。

「………いやよ……」

「?! なに?」

「――やだって言ってんだよ、カオリ! あたしがこの街を出てから今まで、どんな思いでやってきたと思ってんだよ? いや、こいつを拾ってからさ。そりゃ短い間だったかも知んないけど、あたしだってこいつと、スコルピオとそれからルナといっしょに頑張ってきたんだよ」

 あたしの剣幕にモニターの向こうのカオリや、ノエさんは黙りこんでしまっている。

「それをなんだよ? ドームに帰ってきたからハイ、お疲れさん、お前はもういいよってか? 冗談じゃねぇぞ! あたしだってゴローが何をしに上がろうとしてるかはわかってるんだ。 ………カオリ、あんた相当危険を承知で行こうとしてるよね? なにしろ、このタワーの上から、動いてるフォボスに飛び移らなきゃなんないんだからなぁ」

「………そこまで知ってんだったら、さっさとそいつをよこしなよ。カーゴに乗ったが最後、どうすりゃいいのかわかっちゃあいねぇんだろ?!」

「オメーはわかってんのかよ?!」

「………グッ……!」

「ハッ、だろうなぁ。 ……三十年、あの中には人は入っちゃいないって言ってたもんね。いやエレベーター自体、百年近く使ってないはず。どうすりゃいいのかなんて、そんなの古びた資料の中にしかないだろうし、それ見てどうこうするんならあたしにだって出来ることでしょう? 危ないから行かせられないなんて、そんなセリフ、いまさら聞く耳なんか、持っちゃいないんだからね」

「………上にあがったら、真空の中を射出されてフォボスに向かうことになる。宇宙の中を少々さまようことになるんだぞ?!」

「アラ、お忘れかしらカオリさん、あたくしのスコルピオはすでに気密処理済みですわ。その性能はオリンポスですでに証明されてますしぃ。………おやぁ、しかもなぜかあたしもまだ高性能気密服を着たままでしたわ。これ、どうやって手に入れたっけなァ……」

「オメェ! そういうのを借りパクつってなぁ………!」

「あら、あんたも幼稚園のとき、あたしの黒ウサちゃん、持って帰ってそれっきりじゃなかったっけ?」

「ヌイグルミとパイロットスーツ、一緒にすんなぁ!」

「――もういいわ、二人とも!」

 際限ないあたしたちのやりとりに、割って入ったのはノエさんだった。

「ほんっとうに、あんたたちって小っちゃい頃からなんにも変わっちゃいないのね。なにかっていうと、オモチャ(パイロットスーツ)の取り合い、男のコ(ゴロー君)の引っ張り合い………。ま、こんなコトになるんじゃないかと思ってね、それもあってユーカちゃんにはココまできてもらったワケだし。ほら、艦長やアナスターシャの皆さんがいる前でいきなり揉めても困るから………」

 ノエさんは、大きく一息つくとこう続けた。

「いいこと、それじゃあ肝心な人の意見を聞きましょう。  ………ゴローくん、あなたは、どうなの?」

「オレは………」

 ゴローもこれには考え込んでしまっている。

 あたしたちはそれぞれのコクピットで、どんな答えが出るのかを待った。

 ようやく、アイツは口を開いてこう言った。

「………ユーカ、君がそこまで言ってくれるのなら……」

 そのとき、あたしがどんな顔をしたのかよくわからない。ただ、とても危ないことに誘われたはずなのに、なにか暖かいものを胸に感じたんだ。

「……あーあ、MDM選手権に続いて、ここでもあたしはおめーの引き立て役かよ?」

 モニターの向こうでムクレ顏のカオリがぼやいている。

「へへーん、悪かったわね! 永遠の二番手さん?」

「んだと?! ユーカ、てめぇ調子に乗りやがると……」

「………ごめんね」

「あ?」

「……あたしの、あたしたちのこと心配してくれてたんでしょ。だから、ここはあんたが行こうとしてくれた。ごめんね、わがまま言って。でもここまで来たんだから、あたし、最後までやりとげたい。ゴローと一緒に、この街を救いたい!」

「あ、お………そ、そう素直に言われっちまうとよぉ……」

 珍しい。カオリが少し顔を赤くしている………!

「さてさて、決まったわね。ま、この場で一番のお疲れさんはゴローくんじゃないかと思うけど」

 ノエさんが話をまとめに入った。

「それじゃユーカちゃん、本当に行ってもらっていいのね? ここから先の危険は今までとは質が違うものよ。大筋のプランは立っているけど、いま生きている人の中では誰も使ったことのないルートでフォボスまで行って、そして、何よりこれが肝心なんだけど、絶対無事に還って来なければならない。もし、ミッションさえ果たせば自分はどうなってもいい、なんて思ってるんだったら、お願いだからいますぐここでMDMを降りてちょうだい」

「………ノエさん、プランは出来てるんでしょう? ノエさんのプランで、ゴローと行くんだから、絶対上手くいくに決まってる。そういう勝算がなかったら、カオリに行かせようなんてするはずないもん。 ……必ず無事に還ってきます。だから、信じて、行かせてください」

「………わかったわ。約束よ。必ず守って還ってきてね  ………それじゃまず、エレベーターに乗ることから始めなくちゃね。とにかく、エントリーホールを突破するためのフォーメーションを組みましょう。ユーカちゃん、あなたを中心にして、フォワードはカオリのアテーナー。右翼は………」




「……ところで、どうしてこのエントランスホールが(ムシ)のたまり場になってるんですか?」

 ナナホちゃんが最後のとびらのロックを開錠し、あたしたちのマシンは次々にそれをくぐってホールに入った。

 中は暗く静まり返っていたが、何処か上のほうから明かりが漏れていて、真の暗闇ではない。

「おいユーカ、いつ(ムシ)が襲ってくるかわかんないんだ! いまそんなこと……」

「いいわよカオリちゃん、あなた、周囲に気を配っていて」

「ちぇ、ノエ姉、甘いぜ」

「……あのねユーカちゃん、この塔はインナーのエレベーターとそれを包んで支えているアウターの外殻構造で成り立ってるわ。それがドームのウォーターレンズを突き抜けて上に伸びてるんだけど、そのレンズと接するところから、どうしてもわずかに漏水してくるの。老朽化していればなおさらね。そしてご覧のとおり………モニターのゲインを上げてご覧なさい」

 あたしはノエさんに言われたとおり、モニターの光度を上げて周囲を見てみた。あたりには壁や床を突き抜けて、多くの巨大な草が生えている!

「………上のほうの小さな破れ目から種子が入ってきて育ってしまう。水も、光もわずかなのにね。そして、ドーム周辺から出てしまった(ムシ)たちも、外の寒さから逃れるために上からここにもぐり込んで来てしまうのよ……」

 そのとき。

「姉貴! 上だ!」

 カオリの声にノエさんの機は素早く反応し、くらい茂みの上方から猛烈な勢いで飛んできた何かをひらりとかわした。

「ダイビングビートル……」

 ナナホちゃんが即座に解析したそれは、MDMの半分の大きさもない虫だ。

 しかし、まっすぐに伸びているするどい角の一撃を受ければ、民間機の装甲など、楽に貫通されてしまう。別名『降下刺しカブトムシ』

「ヤ、ヤバイんじゃないの?」

 思わずつぶやいたあたしの声にナナホちゃんが答えた。

「だいじょうぶ。こいつらの攻撃は一撃急降下のみだから、それさえかわせば危険はない。それに結構……」

 ナナホちゃんのMDMアルテミスが指差す先には、降下して勢い余ったまま床面に角がめり込んでジタバタしているビートルの姿があった。

「………マヌケ」

「次くるぞ!」

 カオリがするどく叫ぶ! 上のほうの茂みから、二匹、三匹と固まってビートルが降下してくる。

 あたしたちはそれぞれの機の姿勢を翻して、突進してくるそいつらをやり過ごした。

 たちまち床面には二十匹ほどのビートルが、あるいは突き刺さり、あるいは仰向けでジタバタし、まるで標本箱をひっくり返したような有様になった。

「こいつら、一度降下したらまた時間をかけて上に登るまでは何もできないから……」

 ナナホちゃんの通信。あたしもそれは知っているけど、一度にこんな数を相手にしたことはない。

「どうやら、こいつらはこれでネタ切れらしいな。だが……」

 カオリが何かを言いかける前に周辺監視モニターにいくつかの動体反応が現れた。

「今のを聞きつけて周りのお客さんたちが動き出しちまった」

「これは……マーグラネア(火星大グモ)にメガント(巨大アリ)かしら」

 ノエさんが分析する。

「……右がメガント、左後方のがマーグラネア。そのずっと後ろからグローマルーダ(ダンゴムシ)も追ってきてるね………」

 ナナホちゃんは集音マイクの音を頼りに的確な判定をする。

「何匹?!」

 カオリのするどい声。

「………全部で五。メガントとマルーダがそれぞれ二。マーグラネア一」

 ナナホちゃんの答えにカオリが応じる。

「よし、右のアリンコはあたしが相手をする! 後ろのクモとマルムシはシヅカとノエ姉であしらってくれ! ナナホはユーカとエレベーターへ! カーゴまであと四十メートル! 急げ!」

「待って、カオリ! あたしも……」

 ……戦う! ……と言い切る前にカオリにさえぎられた。

「バカヤロー! オメェ、いま誰を乗せてどこに行こうとしてんのか忘れたんか? 早く行け! ここに居たってクソの役にも立たねんだよ、この本末転倒野郎!」

 ……! アドレナリンの分泌と口の悪さが比例するやつ!!

「いいか、今まで下準備はしといたが、いくらナナホでもエレベーターを開錠して走らせるまでに、最低でもあと五分は掛かるんだよ! お前がここでやり合い始めたら、その間うちの可愛い末っ子を誰が守ってくれんだよ?  あぁ?!」

「カオリ……!」

「……わかったか? なら、行けよ。 ………今度は焼きそばパン用意できなくって悪かったな」

 なにそれ……。まるでそれじゃ、おまえ、いいヤツみたいじゃないか……!

「遠慮なく、行かせてもらうよ」

「あぁ、行け行け! しばらく、その変な面見なくてすむから、助かるわ!」

「あたしもな!!」

 カオリのやつと親愛の情あふれる挨拶を交わすと、ナナホちゃんとあたしは巨大な草むらをかき分けて奥に向かった。




「これが………」

「そう。スカイツリー・カーゴ七号」

「思ったより、間口、小さいんだね……」

「スコルピオ一機の収容で精一杯かも……。でも、だからこれが一番早い」

 意外なほど古びていないその両開きの扉の前で、ナナホちゃんはあたしと会話をしながらも着々と準備を進めていた。

「………だめ。入手できたデータの時点より後に開錠パスが変えられてる。予定を四、五分オーバーしそう」

「はは、それでも、四、五分……なの、ね」

 冗談じゃない。あたしだったら丸一日もらったってそんなこと出来るかどうか……。

「はっきり言っておく。そのあいだ、あたしとアルテミスは全くの無防備。アリにひと噛みされただけでもアウトなの。 ………だからそれまで、あたしたちを守って」

 あの冷静なナナホちゃんからそんなふうに言われる日がくるなんて……。一人っ子のあたしでも、妹を持つ姉の気分が理解できる気がする。

「まかせて! アリの一匹や二匹、このユーカさんの手にかかったらイチコロです! ……安心して作業を続けて!」

 ……なんだか、ちょっといい気分。モニター越しのナナホちゃんはそんなあたしを観察するように眺めると、一言残して再びデータ打ち込みの作業に戻った。

「じゃ、よろしく。今度がアリとは、限らないけど」

 ……二分がたち、三分がたった。

「ゴロー、どのくらいで上に着く?」

「正確にはわからないけど、四時間くらいはかかるかな? 半日も必要ないとは思うけど………」

 四時間……。それが速いのか、遅いのか、よくわからないけど、心算(こころづもり)はできた。

 見上げると遥か上方までいくつかのエレベーター・チューブが伸びている。

 あたしがこれから乗ろうとしている七号とやらは、観光目的も兼ねていたらしく、エントリーゲートを超えるととすぐにチューブが透明になり、外をみながら移動できるという仕組みらしい。

 五分……六分。

 ナナホちゃんは自機で生まれたばかりのルナ・Ⅱや、こちらのオリジナル・ルナと、ときおり通信を交わしつつ淡々と作業に没頭している。

 こちらの時計では七分たった。どうやらこの分では(ムシ)に悩まされることも………。

「ユーカ、なんか来たぞ!」

 いっときの静寂を破るスコルピオの声!

「こいつは……」

「最悪! ツイン・ビー(双胴スズメバチ)だね?!」

 あたしは素早く、集音されたその羽音からデータを検索して答えた。

 ツイン・ビー。この過酷な環境下で生き延びるためか、攻撃機能を極度に発達させた、スズメバチを原種とする大型昆虫(メガ・インセクト)

 体長は平均五メートルと、メガ・インセクトの中では決して大きいとは言えないが、その軽さゆえに動きも素早く、薄く丈夫なハネを羽ばたかせて機敏な移動を繰り返す。

 長年の変異がこの蜂の胴体部を半ばあたりから下のほうで二つに割り、その両方に祖先のスズメバチから強い毒性の針を譲り受けている。

「……いま、ナナホちゃん……アリのひと噛みなんかでイチコロなんだから………」

 メガ・インセクト中、殺傷力ナンバーワンと言われるこいつの手にかかってしまったら、ひとたまりもないだろう。

「スコルピオ、行くよ」

「いつでもいいぞ」

 あたしは、あたしのMDMと息を合わせてヤツの音がする方へ向かってスロットルを開いた!

「ユーカ!」

「!! わかってる、一匹じゃあないね!」

 スコルピオがモニターに警告を出すより早く、研ぎ澄まされたあたしの耳は羽音が不協和音を奏でているのを聞き分けていた。

「二匹……いや、三匹かな? ………ここは本当に(ムシ)たちにとっては住みやすいところらしいね!」

 ブーストを二度繰り返して手頃な雑草の枝につかまったあたしは、モニターの光度と倍率をあげて音のくるほうをサーチした。

 幾重もの茂みの向こうから、凶悪な目つきをした黄色い昆虫が三匹、まっすぐにこっちを目指してやって来る!

「ユーカ、女王ではないあいつらに、とくにボスというものは存在しない。 ……と、いうことはだ……」

「どれか、一匹を倒すだけじゃダメ。三匹とも黙らせないと、それぞれ独自の行動をとっちゃうってコト、だよね?!」

「………いいかユーカ、連続した攻撃はリズムだ。リズムと呼吸が大事だぞ」

「………そうね……! わかった!」

 あたしは、大きく息を整えると迫ってくるツイン・ビーたちに向かって大きく機体をジャンプさせた!

 こいつらと対戦するのはこれで二度目。 ………あれは……もう二十ヶ月以上前のことになるか……。あのときは、一匹を相手にするのに手こずったけど、今度はどうかしら……!

「ナナホちゃん、あとどの位かかる?!」

「あと三分、()たせて」

「わかった!」

 要はあとしばらく、こいつらをナナホちゃんに近づけないようにいなしておけばいいワケだ。

 麻酔カートリッジは前にドームを出航したときにフルチャージしたまま、六発装填している。だが、いま麻酔を使っても効き目があらわれるまでには三分以上は過ぎてしまう。しかし………。

 あたしは狙いを定め、機体を向かってくる先頭の蜂の、斜め上を狙って跳躍させた。

 そうして、ヤツの上をすれ違いざま、振り下ろした右腕から液送菅を射出し、後頭部に手厳しくヒットさせる。

 さらにその反動をテコに、腰のブースターも少しふかして上方で機体を回転させ、続く二匹目の上から、二つに割れた腹部ををかする程度に蹴りを入れながら落下する。

 ズザザ! と、茂みをかすめる音を耳にしながら後方を確認すると、あたしが打撃を与えた二匹だけではなく、三匹とも一緒に、大きく旋回してこっちに向かってくるのが見える。

 狙いどおり!

 これでアイツラはあたしのことを敵だと認識してくれたようだ。

 もともと、どんなに有害な昆虫でも生かして捕獲するように徹底した訓練をしているあたしたちには、相手の命を奪ってしまうような発想はない。もっと後方で足止めをしてくれているカオリやノエさんたちもそれは同じだ。

 だから、ナナホちゃんが作業を終えるまでのあいだ、こいつらはどうにかしてあたしが引きつけておくしかない。

 あと、三分か………。落ち着いて、呼吸。そして、リズム……リズムが大事……。

 あたしは、機体をジグザグに走らせると大きく息を吐いた。

 今度は、大丈夫かな。心を落ち着けて、あたしは歌い始めた!


「……ファイヤー、ファイヤー、助けての声が聞こえる


 不毛の大地に亀裂が走り、紅蓮の炎が噴きあがる


 見よ! 迫りくる、黒く禍々しき影を………」


 ナナホちゃんのいる方から少しずつ離れながら、あたしは機体を前方に跳躍させ、変形シフトを入力した。

 空中でスコルピオは人間型のユニバーサリーモードから、車両型のビークルモードにチェンジ。

 薄明かりのさす茂みの間を、リズムに合わせてジグザグ走行を始める。

 あまり、ナナホちゃんから離れすぎてもいけない。あくまで周辺で(おとり)になり、他の(ムシ)が来たときも、あたしの方に注意を引きつけなければならない。


「……今や祈りの時は終わりを告げた


 空に、空に響く魂の雄叫び


 立て、拳を振り上げて!!」


 歌いながらも、あたしの目はモニター内の三匹の蜂を正確に区別している。 ……今だ!


「ゆけ、大地を踏みしめて!!」


 歌いながらタイミングを取り、あたしは再びスコルピオを人型にフォームチェンジさせ、加速をつけたまま目の前の茂みを足がかりにして駆け登った。

 あたしたち目がけて低空飛行して来ていた蜂たちが、勢い余って通り過ぎようとする瞬間に、彼らより高く駆け上がり、茂みを蹴って逆さまに落下!

 通過しようとする一匹の蜂の背に取り付いた。

 ビーン! と羽音のうなりがコクピットの中にまで響く!

 あたしは歌のリズムに乗って、その後頭部にスコルピオの右手を叩き込んだ!


「 『必殺! カイパーベルト・パーンチ!!』 」


 そのまま翔び続ける蜂の背につかまったまま、やや左斜め上を翔ぶもう一匹に、ワイヤーを射出してフックを脚の一本に絡み付けた。

 前方に大きな茂みが迫る。

 ワイヤーが茂みにぶつかり、あたしたちは乗っかった蜂の背中から引きはがされ、フックの絡みついたもう一匹はグルグルと自分で自分を枝に巻き付けていく。あたしはワイヤーを伸ばしつつ、惰力を利用して回転し、枝に絡まった蜂をさらに絡み取ってゆく。


「……海に、海に誓った魂の約束


 跳べ、無限の明日へと……!」


 タイミングを見計らってワイヤーをカットし、下へと降り立つ。

 ……ごめんね、しばらくしたら、カオリたちが捕獲してくれるだろう。

 巨大な雑草に縛り付けられてジタバタともがく蜂を見上げながら、心の中で誤っておいた。

 すかさずビークルモードに再チェンジし、怒り狂った残り二匹にあたしたちの後を追わせる。


「……叫べ、自由の雄叫びを


 『絶対防御! オールトの雲!!』 」


 えっと、この辺でナナホちゃんに言われてから二分と半は過ぎたわね!

 あたしは歌のフィニッシュを歌いながら、機体をエレベーターの方へ大きく転回させた。


「……見せろ、漢の魂を


 賭けろ、炎の情熱を


 オレは、オレは、無敵のソーラカイザー!!」


 これで約三分十五秒!

 歌い終わるとほぼ同時にナナホちゃんから声がかかった!

「ユーカ姉ちゃん、出来たよ!」

 見るとエレベーター・ゲートの扉がゆっくりと開こうとしている!

「こっちも、終わった!」

 あたしたちがナナホちゃんの機に近づこうとする後ろから追って来ていた二匹の蜂が、その凶悪な二本の毒針をこちらに向けようとした姿勢のまま、ゆっくりと動きを止めて床面に落下していく。

 さっきコトを構えている間、一匹目には液送菅で、もう一匹にはスコルピオの右手から直接、麻酔液を射出しておいた。

 ……あとは、あれだけ激しく運動させておけば、薬が身体に回るのも早い。

「……さすが、トップドライバーね……」

 動きを止めた二匹の蜂を見て、ナナホちゃんはそう言ってくれたようだ。

 ……このコに、そんな風に言われると照れちゃうなぁ!

「……ユーカ、激しかったよ……」

「ハァハァハァ………、ですぅ!」

 後席のゴローがなんだか意味深に聞こえるセリフを吐いた。ルナもそれに調子を合わせてやがる! お、おまえら、おかしなコトバ使ってんじゃねぇよ!

「……お姉さまって、呼んでもイイですか?」

 モニターの向こうのナナホちゃんまで、なんだか顔を赤らめて可愛い声を出している。

 いや、あの、嬉しいですけど……勘弁してくださいーー!!!




「……しかし、おまえ歌、上手いんだな」

 あたしたちを乗せたエレベーターは、少しずつ加速しながらチューブを上昇していく。

 やがて、ドームのウォーターレンズ面を抜けたのがタワー外殻の展望窓越しに見えた。

「いや、あの……その話は、もうイイよ」

「謙遜なさるコトはないですぅ。あたしの音感センサーもかつてない高得点を計測してますしぃ!」

「あ………あんた、そんなこともできんの………」

 カーゴに乗ってひと段落したのか、ゴローやルナはさっきの蜂退治の話を振ってくる。

 まぁその、操縦の腕に関することなら嬉しいんだけど、正直その、歌、とかについては………。

 それにルナ、なんでオマエにはそんなカラオケ屋さんみたいな機能が付いてる?

「……歌だけじゃないぞ、こいつ(ユーカ)の特技はな。色々あるが、特にマンガのキャラの声で……」

「わー!! いい、いい! スコルピオ、やめーー!!」

 こ、こいつ(スコルピオ)まで! ………みんな、ちょっと浮かれすぎじゃない? ……ま、確かにさっきのあたしは、三匹のツイン・ビーを華麗にあしらって見せましたけれど……!

 ――解錠されたエレベーターの扉へ、あたしたちはナナホちゃんと別れを惜しむ間もなく乗り込んだ。即座にスコルピオとエレベーターの操作端末を通信ケーブルで接続し、ゴローが後席で操作を始めた。

 それから十分ほど。エレベーターの運行が安定したのを確認して、ようやくあたし達も気がゆるんできた、という訳だ。

 もう、エレベーターは薄赤い大気の中を、ドーム全高の四、五倍の高さまで上昇し、あたしはせまい展望窓越しながら、初めて自分の住む都市の全容を目にすることができる。

 はじめは、無数のプールが六角形のワクで区切られてそれがどこまでも続いているのが見える。やがて、それは大地に張り付いた巨大な半球体となり、よく言われる例えだが、昆虫の複眼のようになる。 ……(あお)く光る、美しいトンボの目玉のような街。

 さらに遠ざかると、無数の『複眼』はひとつの青に溶け込んで、赤く乾ききった大地に、ぽつり、と存在する大きな水滴のようになった。

「……きれいだな」

 あ……、ゴローも見てたのか。 ………なんだ、こいつもやっぱり、人並みの感受性は持ち合わせているんだなぁ。

「……なんだよ?」

 ちょっと、ニヤついて後ろを振り向いたあたしにゴローが怒ったように言う。

「ううん、なんでもない!」

 あたしは少しうれしくなって、シートの上でからだを伸ばし、目をつぶった。

 ………一時間もすると、展望窓から見える周囲は、昼の時間のはずなのに暗くなっていき、大気圏を抜けたことを知らせてくれた。

 火星の地平は徐々にカーブを強くしていき、以前オリンポスに登ったときよりも、さらに高く、たかく上昇していくのを教えてくれる。

「……ゴロー………」

「なんだ……?」

「エレベーターの………上についたら、どうなるの?」

 いまさらのように、あたしはそれまで言いそびれていた質問を口に出した。ここまで、勢いまかせに来ちゃったから、なんだか肝心なことを聞く機会を失っていたのだ。

「……当面、ユーカは何もしなくていい。この軌道エレベーター・スカイツリーの最上層――通称『二五四展望台』と呼ばれているんだけど、そこまで到達したら、オレたちはこのカーゴごと射出カタパルトに運ばれ、フォボスの軌道回転速度と同調するスピードまで加速されて射出される。あとは、そのままフォボスに近づいて収容されるのを待てばいい」

「ふーん………そう」

「基本的にはさっきプログラミング済みだ。ノエやナナホたちのおかげでね。 ………ただ……」

「……ただ、なに?」

「いや、なんでもない。大丈夫だろう」

 振り返ったあたしがみるとゴローはその手で以前ノースゲートを出航したときにノエさんから渡してもらったVAMのメモリーチップをもてあそんでいる。

 あれは確か、『リッキー』って娯楽映画を焼いてもらったヤツよねぇ。

「それじゃあんた、やることやって時間が余ったから映画鑑賞ってわけ? ま、そんだけゆとりがあるんだったら、安心だわね」

「え、いや、これは……」

 不意を突かれたせいか、少しあわてるさまがおかしい。

「いいよ、休めるときには休んどかなきゃ………機内のチルド・ポッドにまだ少し、焼きそばパン残ってる。あっためるから食べるかい?」

 答えを聞くより早く、あたしはキャノピーを開いて機体の後部にある食料ストッカーに向かった。




 軌道エレベーターの最高層は複雑なつくりになっており、各種管制施設や事務・手続きのためのターミナル、常駐者のための住居設備や旅客のための宿泊施設、またそれぞれのためのショッピングモールなど、コンパクトながらひとつの街の機能が備わっている。

 二十一世紀の世界に例えるなら、巨大なエア・ポートのようなものだ。

 事実、ここは火星と地球をつなぐ航行船の中継ポイントとして重要な役割を果たしてきた。

 しかし、日常的にはむしろ惑星上の一つの都市から別の都市への定期的な移動手段として使われることの方が多かった。

 火星の標準的な軌道エレベーターの最上層部には、自転車のスポークのような八本のアームが横に向かって伸びている。

 一本の長さが約一キロ。直径は二十五メートルほどで、八本のうち対角に伸びている二本がランチャー、残りがレセプターと呼ばれている。

 エレベーターを昇ってきた乗客は、そのカーゴごとランチャーのアーム先端に送られ、待機する。

 やがて八本のアームは徐々に回転を始め、ある程度加速したところでランチャーからカーゴを正確に方向づけて射出する。

 他の都市のエレベーターへ射出されたカーゴは、タイミングを合わせて回転する相手方のレセプター・アームに受け取られて無事、到着となる。

 ざっと言えば、このようなシステムが百年くらい前までは遠距離交通の主流として機能していた。

 エレベーターの昇り降りに少々時間はかかるが、上空の移動は最も遠い火星の裏側でも一時間ほど。

 近いところなら十数分と、地上移動の比ではない。

 薄く、ホコリが混じり過ぎた大気が航空機の運用を妨げるこの惑星では、快適で安全な移動手段としてかつては盛んに使われていた。

 しかし、軌道エレベーターの本来の目的である地球とのターミナルとしての意味が失われると、副次的な使い方としては精密すぎる運用を強いられる都市間のカーゴ移動も廃れてしまった。

 いま、あたしたちは東京スカイツリーにも二基あるランチャー・アームの片側、その先端部まで到達した。

 ここでゴローはコクピットから通信ケーブルを介して、カーゴの端末にコマンドを入力し始めた。

「ねぇ、ゴロー」

 あたしは聞いてみた。

「この……アーム? 本当に動くの?」

「動かなければ………」

 ゴローは手を休めずに答える。

「フォボスに行くことはできない。フォボスにつかなければシステム・ドラグーンを起動させることはできず、君の街はどうにもならなくなる」

「でも、その、この交通システムは基本的に他のエレベーターに向かうためのものでしょう? これが動いたとして、フォボスにたどり着けるの?」

「それは大丈夫。かつてはフォボスが地球との最大のターミナルだったから、どの都市のエレベーターのランチャーも少し角度を変えればフォボスとの同調軌道にカーゴを射出できる設定になっているんだ」

「そう……」

「はいぃ、ユーカ様ぁ! あまり心配なさらないでください! 今までのところ、ノエ様たちから提供されたプログラム・データは正確に働いています。あと、先のナナホ様との打ち合わせ通りに、地上側からのエネルギー供給も始まっていますから、この分なら次のフォボスの通過接近点までに間に合いそうです~!」

「ありがとう、ルナ」

 そうか………。そうね。ここまできたら、あとは信じて待つだけ。ゴローと、ルナと、ノエさんたちと……これまで出会った人たち。艦長、ヤンさん、コテツさん………。

 みんなも、あたしたちを信じて賭けている。

 ここで弱気になる訳にはいかない。

 気持ちを落ち着けよう。

 しばらくあたしは口を閉じ、ゆっくりと周りを見渡した。

 と、言っても観光用に展望窓がひらけていたエレベーター部分と違い、アームの内部はほとんど閉ざされている。おそらく細長い構造を支える強度のためだろう。

 カーゴ自体は随所に大きな窓があり、透明部分が大きいのだが、いかんせん、そこを通して見えるのは味気なくライトアップされたランチャーの内壁ばかりである。

 やがて二十分ほど経つと、時折交わされていたゴローとルナのやりとりの様子が変わってきた。

 なんて言うか……より緊張感が増してきている。

 そして………。

 ガクン、というショックが伝わり、アームが動き始めたのがわかった。



「ゴロー!」

「………衛星近接軌道、再確認。摂動誤差、修正完了。ランチャー回転起動。フォボス・スペースポートに目標同期!」

「ですぅ~!!」

「もうすぐ、出るのね?」

「ユーカ、結構Gがかかるはずだ。シートをリクライニングして身体を固定して!」

「え、こ、こう?」

 あたしが身体を伸ばすとシートが自動で倒れ、ベルトでゆるやかに固定された。

 続いてルナからの警告。

「ユーカ様ぁ。いまからこのランチャーは十五分ほどかけて徐々に加速していきますが、最終的には地球対比で一・五Gほどまでかかってきます。 ………つまり、いつもの三倍くらいの体重になりますので、リラックスして、ゆっくり呼吸することを心がけてくださいー」

「わ、わかった」

「あたしもシート・メイトとして、全力でお守りしますので、よろしくですぅ」

 シートの上で眼を閉じ、その時を待つ。

 徐々に、身体にのしかかる重みがましていき、息苦しくなってきた。

「ゴロー、まだ?」

「もうすぐ……だ。プログラムは自動で進行してるから射出まで耐えてくれ!」

 うぅ! それにしても、体重三倍なんて、花の乙女が泣けてくるわぁ!!

 やがてルナが告知してくれた。

「当機、射出まで一分を切りました! カウントダウンします」

 うん、は、はやく! 増してくる重みでム、ムネが、つぶれそう!

 そして………

「………十、九、八、七、六、五、四、三、ニ、一、ゼロ!!」

 突然の開放感とともに、前面のハッチが開き、あたしたちは真空の真っ只中へ放りだされた!

「………火星、太陽、フォボス、ディモス、関係天体各位置確認。異常なし、無事発射だ、ユーカ」

 あたしは、ゴローが言うのももどかしく身体を固定していたベルトを外すと、カーゴの中の気圧を確かめ、コクピットのハッチを開いた!

「あ、おい?」

 ゴローが言うのも構わず、外へ飛び出す。

 カーゴの大部分は観光用にガラス張りでできている。 ………あたりを見回すとまるで、星の海だ!

「ゴロー、宇宙だよ! ほら、あたし、浮いてる! とうとうこんなとこまで来ちゃったんだねぇ!」

 カーゴのキャパシティはスコルピオ一機を収容するのが精一杯だが、人が動き回るくらいの余裕は十分にある。

 あたしは、宇宙に上がった何よりの証拠――無重力状態に身体を委ねながら、さっきの重みからの開放感を満喫する。

 クルクルと回るあたしの視界には、星の海と、赤くて大きなおせんべいのような火星と、コクピットのゴローが順番に入ってくる。

「ユーカ、君は……」

 シートベルトをはずしながらゴローが言った。

「不用心だぞ! 初めての場所でこんな………」

「あら、いいじゃない。ちゃんと気圧は確認したし、ここまで来たんだもん、一回無重力ってものを体験してみたい!」

 あたしは、近づいて来た窓の枠に手を添えて、身体の回転を止めると外をみながら言った。

「ねぇ、おいでよ。すごい! どっちを向いても、宇宙だよー!」

 やがてゴローもあたしのとなりにやって来て、しばらく二人で窓の外を見つめていた。

 遮るもののない真空の中に散りばめられた無数の星々をみていると、やがて吸い込まれそうな気がして来て、少し、怖さすら感じてくる。

「………すごいねぇ……。ゴロー、あんたはこんなところで暮らしてたんだね」

「……? あ、あぁ。まぁ、おれにとっちゃ、無重力のほうが普通に近い、かな」

 そう言いながらゴローは宇宙の一点を見つめている。

 小さいながら、レモン色のひときわ強い輝きを放つ星。

 あれが………

「フォボス、だね」

「あぁ。 ………このカーゴは徐々に近づいて、あと三十分ほどでランデブー・ポイントにはいる。本当に………久しぶりだな……」

 あたしは、フォボスを見るゴローの顔を見つめ、そして、視線を窓の外に戻した。

 フォボス………どんな所なんだろう……?




 レモン色の光をはなっていた星は、やがてその、レモンそのもののような形を、徐々にあたしたちの前に現して来た。

 火星第一の月、フォボス。

 その大きさは平均直径約二十キロ。最も長いところでも二十七キロと、地球の月に比べると、たった百五十分の一、以下のミニサイズ。

 ところがあたしたちは、そのいびつな姿を火星の表面から毎日のように眺めている。

 地球から見る月と比べると三分の一くらいの大きさにしか、見えないらしいんだけど。

 地球の月に比べると、ホンのひとかけらほどの大きさしかないサイズなのに。

 なぜか?

 それはこのフォボスが地球と月の距離に比べて、六十倍以上も、火星に近いからなんだ。

 その距離、約六千キロ。 ……そうね、地球の北米大陸ってとこを横断したら、だいたいそのくらいだそうよ。

 地球とその月の距離なんて三十八万キロもあるそうだから、いかに火星の近くを回っているかわかってもらえると思うけど。

 だから、あたしたちが近くに寄ったときも、なんて言うか、星に降り立つ、っていう感じは全然なくって、まるで、アニメの巨大戦艦にでも接近しているような? 感じ。

 東京スカイツリーは高さ五千キロほどなので、あたしたちはフォボスの下側から近づいて行くことになる。

 あと十分ほどでランデブーポイント。

 この距離だと、火星からの照り返しを受けて、地表へと伸びている降下専用エレベーター『クモの糸』の細かい部分まで良く見える。

「へえ、『クモの糸』ってあんな風になっていたんだ」

「なんだ、知らなかったのか?」

「そりゃ、あんたはここで暮らしていたんだから見慣れてるかもしんないけど、あたしは宇宙に上がるのもはじめてなんだよぅ!」

 それは、鈍く光る銀色の細長い筒が、いくつも幾つも連結され、火星に向かってどこまでも続いている列車のようにも見えた。

 ひとつ一つの円筒は………そうね、食品の保存につかうラップがあるでしょ? よく、レンジでチンするときお皿の上にかけるヤツ。あれ使い切ると、紙の筒が出てくるじゃない。そう、形のバランスはあんな感じ。

 あまり、こまごまとしたラインやパネルがないのは、貨物輸送の実用品として、ここ、フォボスの生産工場で、筒単位でひたすら量産されたものだからだそうだ。

 観光用の側面も持つスカイツリーなどと比べると無愛想な外見ではあるが、その実用一辺倒の姿は、これはこれで別の美しさもある。

「機能美………っていうの?」

 飽きずにいつまでもカーゴの窓から眺め続けるあたしに、コクピットにもどっていたゴローが声をかけた。

「ユーカ、そろそろランデブーの準備だ。機密服をチェックして、ヘルメットを着けてくれ」

 言われてあたしは、ガラスの壁を蹴ってハッチの中に移動した。

「えぇと、あたし、なにかすること、ある?」

「ない」

 ………即答ですか……。

 やがて、あたしたちの見ている上に覆い被さるようにフォボスの姿が大きくなり、その表面の状態がよく見えるようになった。

 ほとんどがむきだしのゴツゴツした岩肌だが、ところどころに人工的な建造物が、それもかなり多く見て取れる。

「けっこう……建物みたいなものも多いんだね」

「ここは………言ってみれば火星圏で、開発に先立って人類が最初にねぐらにしたところだからな」

 ………たしかに歴史の時間で習っていた。火星を本格的に開発するに先立って、昔の人たちはまずフォボスに地球との往還船の発着ポートをつくり、ここを足がかりに火星への入植を始めたと。

 ゴローが緊張した面持ちで言う。

「ランデブーポイント! フォボスとの相対速度、ゼロ。完全同期!」

 ゴン! ………やや、乱暴な音とともに、あたしたちの乗ったカーゴが停止した気配がコクピットにも伝わってきた。後ろのゴローがホッと息をつくのが聞こえる。

「………着いたの、ゴロー?」

「どうやらね。こんな風に入るのは、おれも、初めてだから」

 そうか、そうだよね、なんだかんだ言って、ほんの少し前にゴローはあたしたちのためにここから初めて外に出て地上に降りてきたんだもんね………

 あたしは、ゴローのおそらく複雑だろう気持ちに思いを馳せつつ、このあとはどうなるかを、待った。

 二分が経ち、三分が経った。 ――あたしたちのカーゴは(おそらく)フォボスのゲートにドッキングしたまま、なにも起こらない。あたしの後ろではゴローが盛んにタッチパネルを操作して、ときおりルナとなにやら短い言葉を言い交わしている。

 五分、六分……あ、ぁ~、なんだかちょっと、眠くなって来ちゃったぁ~。

「ユーカ、ちょっと、聞いてくれ」

 ……なに? いつになく改まった、ゴローの口調。こんな時には、あんまりいい知らせじゃあ………。

「………入れない」

 は?

「どうも、ゲートがオープンしない。なにか………なにかキーが足りないらしいんだ」

 え……? や、いやいや、ここまで来て、入れないってのは何事っすか?

「あのー、それってどういう………?」

「だから、入れない。フォボスの中に。 ………さっきから、いろいろ試しているんだけど!」




「ど、どーすんの?! 中へ入れなかったら、あたしたち………!!」

「もう、軌道エレベーターに戻ることはできない。スコルピオで船外活動しようにも、ハッチがロックされて外に出られなくなっている!」

 ………って、ことはあたしたち、宇宙の孤児になっちゃったってこと?!

「地上でノエたちが古いデータから再現した電子キーが、このゲートの実際のものと一致しない。今、ルナと地上のアバターを通じてナナホに解析してもらっているが………」

 ゴローが務めて冷静に解説してくれてるところに……

「お待たせしました………」

 天の恵みのような、ナナホちゃんの声!

「あたしたちが復元したデータではやはり古すぎたようだ。セキュリティのためにキーのナンバーは刻々と変化してる。でも、いまルナ・Ⅱに送ってもらったデータでかなり修正はできたので、それを送る。試してみて」

 なんだ、あたしたちの後ろには天才少女が控えてるじゃないか。

 あたしはホッと息をつく。

 再び、後席でゴローがパネル操作を始め、今度は程なくフォボス側のセキュリティ・システム内にアクセスできたようだ。

「オーケイ、ナナホ。ランダムキー解析。最外縁セキュリティ突破。次は………」

ゴローの声も心持ち落ち着いてきた。 ……なんだ、驚かさないでよ。このままここで行き止まりなんてコトになってたら………。

「次は………生体認証?」

 え、とあたしがゴローの方を振り向く間もなく、美しいツヤのある女性の声がコクピットに鳴り渡った。

「ようこそ、フォボス・ゲート、ナンバー二〇二九へ。東京スカイツリーからのお客様ですね。長い時間、お疲れ様でした。早速ですが、代表者の方の生体認証を行います。ゲストセンターまであと一息。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」

 あたしが身体を伸ばしてゴローの方のモニターを覗くと、きれいな女の人が画面の中で手続きに関する解説をしている。

 ゴローは、と見ると、あたしと一瞬目が合い、軽く首を横に振る。

 どうやらこの手続きについては、予備知識がなかったようだ。

「………では、網膜認証を行います。搭乗者の方は目を大きく開け、わたしの方を三秒ほど見つめてくださいね」

 ――ゴローが目を見開き、モニターを見つめる。

 う……、こ、ここは笑うところじゃないけど、やっぱり、どうしても面白い表情になっちゃうんだなぁ。

「なんだよ、変な顔して?」

 しまった! 軽くにらまれちゃった………。

 後席のモニターは十秒ほど静かになり、再び女性がそのにこやかな笑みを浮かべて現れ、言った。

「残念ですが、お客様の網膜パターンは登録がありません………出発の際に登録をお忘れでしょうか? ――それでは替わりまして、指紋、掌紋認証を行います。任意の手を広げて、モニター上に三秒ほど置いてくださいね」

 ゴローが緊張した面持ちで、右手をモニター上に持っていく。

 結果は………。

「残念ですわぁ。お客様の指紋、掌紋パターンは登録がありません。ご出発の時に登録をお忘れですかぁ?」

 ………なんか、この受け付けの女性、もちろんデータに登録された自動応答パターンなんだろうけど、ちょっとイラっとするわぁ!

「……それでは最後に、声紋認証を行います。わたしの言ったあとについて、一拍開けて、ハッキリと同じ言葉を繰り返してくださいね」

 ゴローの喉が緊張でゴクリとうごいている。

「よろしいですか……では!………『となりの客は、よく柿食う客だ!』………はい、どうぞ!」

「!!………ト、ト、トナリのカキはよくキャク食うカキ………なんじゃあ、こりゃーぁあ?!!!」

あぁ………怒ってしまった………。なんせモニターの相手は、にこやかな顔してこんなコトいきなりやらせようってんだからねぇ……。

 複雑な顔で見つめるあたしの視線に気づくと、ゴローはハッと表情を改めた。

「こ、こんなのを急に言われて………!」

 そうしている間にも、例の受付の声は応答を続けている。

「残念……です! お客様に関しては声紋データの登録も……ありまっせん! 生体認証手続きは以上になりますので、当ゲートでは、ご利用を受け付けられません。 ………申し訳ありませんが、備え付けの通信設備にてフォボス内のセキュリティ・スタッフをお呼び出しの上、ご相談を………」

「そんな人間は、いないんだよ!!」

 !! ………これだけ、感情をあらわにしたゴローは始めて見た………。

「……そんな人間は……いないんだ………この中には、誰も………」

 ………受け付けの声は、こまごました連絡方法や部署の説明に移っている。しかし、もはやゴローの目はモニターを見てはいない。

「………ユーカ、すまない。こんなところまで、君を連れて来てしまって……おれは………」

「………いいよ」

 あたしの声にゴローは顔を上げた。

「あんた、こんな宇宙の石っころのなかでずっと一人ぼっちだったんだろ? それに比べたら、今はここにあたしもいるんだからずいぶんましじゃない………その、つまりこの辺で、お、お終いになっちゃうとしてもだね………」

「………それでは、お客様へのご説明は終了となります。以上のこと、よろしくお願いします」

 モニターの向こうからの声はそれきり途切れてしまった。

 いま、聞こえてくるのはスタンバイ中の機体のかすかな駆動音だけ。

 気がつくと、あたしを見るゴローの目に小さく涙が浮かんでいる。

 そ、そんな、あんたになんか泣かれると、あ、あたしだって………

「う、う、うぅう~~!」

 どうにも我慢ができず、あたしの目からも涙があふれてしまった。

 さすがにスコルピオもルナも、沈黙したままだ。

 そのまましばらく、数分がすぎた。時々あたしは鼻水をすすった。

 すると、いきなり

「ふたりとも、感傷にひたるのはその辺にして」

 クールな声の通信が入った。ナナホちゃんだ!

「いま、こっちの方でも再解析を進めている。十時間もあれば完全にロックを無効化できるかもしれない。だけど、それじゃそっちの酸素が保たなくなる」

 ナナホちゃんは、モニターの向こうで喋りながらも、忙しくパネル操作を続けている。

「だから、とりあえずランダムキーを組み直して再送信する。これでもういちど、さっきの受け付け手順が繰り返されるはず。まずはそれでなんとかして欲しい」

「え………なんとかって言ったって、さっきは生体認証とかでハネられちゃっったじゃない」

「そう、その生体認証だけど、あたしの方でモニターして気づいたことがある。ユーカ姉さま、あなたの声と受け付けの女性の声は、キーが若干ことなるが、声紋データは驚くほど酷似している。もちろん全く同じではないが、普通の親子程度には………そこで、試してほしいのだけれど………」

 ………ナナホちゃんは、なんだかハードルの高い要求をしてきた。

「ちょっと難しいかもしれないけれど、やってみてほしい。あなたには、きっとその資質がある」

「……なるほど、確かにそれなら、ユーカにできるかもしれんな。何しろこいつは一人でオレの中にいると四六時中アニメの……」

「わー、スコルピオ! それ以上言わんでいい!!」

 ナナホちゃんの作戦はわかった。とにかくあたしに頑張れってことね。わ、わかったわよ。ちょっと、恥ずかしいけど、そんなこと言ってる場合じゃないもんね。やってやろうじゃない!!

「………それから、今度認証に失敗すると、多分セキュリティレベルが上がってしまい、二度とトライできなくなる。そのあたりは、気をつけて」

 ………うぅ、またさらにハードル上げてくれちゃってぇ!

 あたしの気分に構わず、ナナホちゃんはたんたんと続ける。

「それじゃ、再度手順を行って。まずゴロー、あなたが持ってるエントリーキーのデータが入ってるVAMをユーカ姉さまに渡して」

「もー、ナナホちゃん、姉さまってのはやっぱ恥ずかしいからユーカさん、とかでいいよ、やっぱ………」

 とか言いながら後席のゴローから受け取ったそれは………

「あれ? これ………」

「それを自分のモニターのスロットに入れて」

「いや、これ、さっきゴローが持ってた映画のVAMじゃん?」

 その、爪の先ほどの大きさのメモリーチップには思いっきり手がきで『リッキー』と書いてある。

「あんた、この期におよんで、こんなのと間違えてないで………」

「いや、これでいいんだ」

「え?」

「この中にエントリーキーが入っている」

 なに? なに言ってんの?

「もう黙ってる必要はないな。この中にはノエから渡してもらった、

東京ドームに関する重要データが圧縮されて詰まっている。パインバック家があらゆる方法で集めてくれた、ドームの進入路や給水配管経路。各種通信チャンネルや暗号コード。………もちろん、スカイツリーのエントリーパスワードも。要するに、今回のオペレーションに必要そうな情報は全てさ………」

「じゃ、映画のVAMだってのは……?」

「ダミーだ」

な、なんで………?

「なんで、今まで、黙ってたのよ?!」

「君を守るため」

「え?」

「今回の作戦プランを立てるためには、どうしてもこのくらいの情報が必要になる。だから、ノエ・パインバックには頼んだ。だけど、極冠の連中が包囲しているなかで、もし捕まりでもしたら………」

 ……確かに、これだけの情報を相手側にたやすく渡すわけにはいかない。

「その情報のありかを知っているというだけで、君の安全は脅かされかねない………ただの映画データってことにしておいたほうが、相手には気づかれにくい」

 そうか……。 オリンポスに出発してから街へ還る間、ゴローがしょっちゅう見ていたのは、このデータだったんだ。ゴローはずっと、この、ノエさんからの情報で、街をどうやって救うか考えていたのか………。

「それに、いざという時はおれだけが……」

「わかった! それ以上、言わないで」

 ………おれだけ、犠牲になればいいとか、その類の言葉は聞きたくない。

 あたしのため、街のために、ゴローは黙って重荷を抱え込んでいてくれたんだ………。

「………それにね、ユーカ」

 ゴローは少し、表情を崩しながら言葉を続けた。

「はじめは、観る気はなかったんだ、その映画。………確かに、前に君に言ったくらいの興味はあったけど。でも、なんだかあのとき、成り行きで一緒に観ることになって………それは、面白かったし、なにより、楽しかったよ」

 あのとき………。アナスターシャに初めて乗り込んで少ししたころ。

 ゴローはこのVAMをいじりながら、映画の見方がわからないんだって言ってたけど、本当はデータのほうを調べていたんだ。

 でも、そのあと一緒に映画をみて楽しかったのは、あたしだって一緒。

 その気持ちを共有できただけでも、あたしはうれしい。

「わかった、ゴロー。 ……黙っていてくれて………ありがとう」

 ゴローは少し照れたようになって、目をそらした。

「………ユーカ姉さま、少し急いだほうがいい。そうしてる間にも、あなたたちは刻々と酸素を消費している」

 冷静なナナホちゃんの声が、あたしを感傷から引き戻した。

 そうだ、あたしたちにはあまり、時間が無い。

「ゴロー、それじゃ、これ借りるよ」

 あたしはゴローからVAMを受け取るとあたしのほうのモニターのかたわらにあるスロットルに差し込んだ。

 すぐに、モニター上に映画『リッキー』のメニュー画面が表示される。

「えぇと………」

「ユーカ、それ、その『映像特典その七』っていう項目を選択」

「あ、こ、これね」

「そしたら、チャプター二百三十五のC項を選んで………」

 あたしは、ゴローに言われるまま、画面上の項目を操作する。

 やがて………。

「それじゃ、この項を選んだらエンターキーを押して!」

 項目……選択……。エンター!

「ようこそ、フォボス・ゲート、ナンバー二〇二九へ。東京スカイツリーからのお客様ですね………」

 例の女性の声。

 やっと、ここまで戻った!

 でも、本番はこれから!

「………では、生体認証を行います………」

 ここまで、全く同じやりとりが続いている。そして、ここからも……。

「網膜認証………あらぁ、残念……」

 一応、ダメもとであたしもモニターの前で目を見開いてみた。

「次に、指紋・掌紋認証………」

 ………当然、これもダメ。

「………残念でしたわねぇ。それでは、最後に声紋認証をさせていただきますね?」

 これ! ここだ。

 ここであたしは、しくじるワケにはいかないんだ!!




「………わたしの言ったあとについて、一拍開けてはっきりと同じ言葉を繰り返してくださいね」

 あたしの鼓動が高まってきた。一体なにを言わされるのか?

「よろしいですか……では! ………『あー、あー、あー………アメンボ赤いなアイウエオ!』………はい、どうぞ!」

 え? こんだけ?! えと、えーと!

「あー、あー、あー……アメンボ赤いなアイウエオ!!」

「よくできました! ゲート、オープン! ゲストセンターまで一五分ほどでお連れします!!」

 え? と思う間もなくあたしたちのカーゴはフォボスの下腹に開いたゲートに飲み込まれ、輸送管の中を移動し始めた!

「………ふぅ」

 と、ゴローがため息をつく。

「よかった~~!!」

 あたしもシートの上で体をのばして大きく息を吐いた。

「どうやら、上手くいったようね」

 モニターの向こうのナナホちゃんが声をかけてきた。

「ユーカ姉さま………声マネ、とても上手だったわ」

 心なしかナナホちゃん、ちょっと目が潤んでいるような………

「あ、ありがとう! あはは」

 あたしはちょっと照れながら礼を言う。 ………しかし、ところで……

「ナナホちゃん、その、声マネは上手くいったようだけど、そもそもどうしてあの受け付けの人を真似ると、セキュリティをパスできると思ったの?」

「確証はなかったが……おそらくあの女性は、エレベーターが活動していた当時のスタッフの一人。ならば自身のセキュリティ登録は済ませていて当然ではないか、と考えた。 ………ユーカ姉さまが日頃コクピットで、いろんな人に成りきってつぶやくセリフが、とても上手だというスコルピオの評価は、ルナを通じてあたしも聞いていた………そして、偶然ながら、驚くほどの声紋の一致。 ………これで、八割がたは開くのではないか、と思っていた」

「そ、そう。なるほど、それくらい勝率があるんだったらやるのがむしろ当然よねぇ………それにしても………」

 ス、スコルピオのやつぅ!!

「スコルピオ、あ、あんた、ルナとかに余計なコトをいわなくてもいいから!!」

「マズかったか?」

 しれッとしたスコルピオの声。

「ルナは、ずっとここにいるんだろう? ……ならば、いずれは知れてしまうコトだ。 ………それに、今回はその情報が役に立って勝算を立てられたのだから、良かったじゃないか」

「ぐぅ!」

 ………言いたいコトはいろいろあるが、ま、まぁ結果オーライだ。ここはあたしが大人になっておこうじゃないの………!

「いや、しかし、ユーカの声マネはそっくりだったよ。 ………本当に、上手いんだな!」

 あぁ、ゴロー、あんたまで………いやまぁその、なんつうか、そこまでホメられちゃうと………!

「でも、おれの時より認証のワードが簡単だった………ちょっと、ズルくはないか?」

「えー? ………そんなコト、言われてもぉ………」

「あれは、仕方ない」

 ナナホちゃんの解説。

「おそらく、認識のためのワードはランダムで変更されている。 ………ゴローは、運が悪かっただけ」

「そ、そうか………そうだよな」

「とは言え、並外れてヘタクソだったのも、事実ね」

「な、な……なにを………」

 ナナホちゃんの的確な指摘に口をパクパクさせるゴロー。

 とにかく、どうにか通過できて良かった。

 さて、このあと、ここで何をするのだろうか………。




 ――ジリジリとしたにらみ合いは、もう半日も続いていた。

 ジッシャー麾下の極冠艦隊は、東京ドームの周囲に取り付き、すでに西側と南側では特殊部隊による突入と、それに続く強制吸水が始まっていた。

 東側の包囲も厳しく縮められ、抵抗勢力は個々バラバラに北側、トウキョウ・ノース・ゲートの近辺に集結しつつある。

「さて、集まってきたネェ。 ………つまるところ、ここを落とせば彼らの心はポッキリ折れちゃうってわけだ。そろそろ他方面の状況も落ち着いて、応援も廻って来たコトだし………アニーちゃん、メイちゃん、ぼちぼち、行こうか?」

「はい、ジッシャー司令官」

「まーちくたびれてましたよぉ!!」

 指揮艦フォルテッシモの甲板上に配置された十二機のMDMのうち、先頭の二機からCICに応答があった。

 それを合図にするかのように、フォルテッシモ甲板上の全機、そして集結していた艦隊上の、百数十にはなろうかという機体が同時に動き始める。

 ノース・ゲート近辺には、カオリを先頭とするパインバック姉妹の機と、それをサポートせんとするパインバック・グループ関係者の一般機。

 それに、アナスターシャを始めとする、東京に所属するか、または縁の深い水運業者の艦とMDMが陣を敷いている。

 加えて、民間の土木業者や、警察、警備会社、果てはスポーツ競技用のマニアの機体など、意地と誇りをかけて自らの都市の存亡の危機に馳せ参じた多くのMDMが集結していた。

 その数、やはり、百機あまり。

「………アニーちゃん、メイちゃん。何度も言うようだけど、ボクらの仕事はあくまで難民の保護と収容なんだ………うっかり勘違いした『当事者』が歯向かって来ちゃって『事故』が起こるのは仕方がないが………ほどほどに押さえてくれよ。こないだの『七十人失踪』なんてコトがあったら、ちょっとボクでも、押さえきれないかもしれないからねぇ」

 ジッシャーからの『指令』に艦から飛び降りて先頭を切るMDMのアニーが答える。

「大丈夫です。私がさせません。 ………メイは………ああ見えて、賢い娘ですから………」

「ですよぉ、大佐。あたしだって、大人! オ・ト・ナのオンナなんですからねぇ!」

「はは、失敬しっけい。ま、こんなコトを言うのもボクの仕事のウチなんでね。あまり気にせず、思う存分働いてくるといいよ!」

 その言葉を聞いたためか、極冠艦隊嘱託准尉、メイリオ・ハークはその機体に一層のスピードを乗せ、ノース・ゲート前で待ち構えるMDMの群れに突っ込んで行った。




 ほどなく、あたしたちを乗せたスカイツリーのカーゴは終着点――フォボスの中にあるゲストセンターと呼ばれる区画についた。

 ここは、火星と地球を行き交う人々が、必ず通る中継点。

 かつて地球と火星を結んでいた船は全てがここ、フォボスで発着していた。

 そして、その乗客すべてが通過するのが火星の岩盤内に建設されたこのゲストセンターだ。

 スカイツリーの地上部分と同じ様に、ここにも多くの人間が数日、あるいは数週間も滞在できるような施設が整えられている。

 もちろん、地球との通行が途絶えて久しいいま、このあたしが百年ぶりの地上からの訪問者、というコトになるのだろうか………

 カーゴの扉が開くと、目の前をふさぐ様に、丈夫そうな大きなパネルが立っていた。

「………? ゴロー、これ、なんなの?」

「そうだな………ユーカ、スコルピオの体を廻して、背中からそのパネルに近づいて」

「………こう?」

 何気なく、操作レバーに手を伸ばす。

 ………や、む、無重力のせいで、うまく機体を廻せない!

「そっと動かして! ムダにカーゴを傷つけるな」

「わ、わかったわよ!」

 どうにか、スコルピオの手を、力を入れない様にカーゴの壁にかけて体を廻し、そのまま反動で扉から外へ出た。

「よし」

 ゴローが、後席で何か操作をすると、パネルのほうからマニュピレーターが伸びてきて、スコルピオの機体を固定した。

 そのまま、パネルはゆっくりと後ろ側に倒れ、スコルピオの頭のほうを先頭にして、ゆっくり動き出した。

「ここは無重力だから、地上のマシンはうまく動けない。だからこのキャリアーで移動するんだ」

「………そうなの? でも、このままあたしたちまでアタマを上にして移動するってヤなかんじ。ちょっとマニュピレーターを外してみて」

「………こうか?」

 マシンの機体から拘束が解かれる。

 あたしはスコルピオの片肘でキャリアーの床を軽く突き、少し機体を浮き上がらせながら背中が上を向くよう半回転させた。

 続いて少しづつ浮き上がって行く機体を空中でビークルモードに変形させる。

 スコルピオが人型のときはウエストに配置されているブースターを上に向けて軽くふかし、再び機体をキャリアーの床に密着させる。

「ゴロー、もっかい留めて」

「あ、あぁ………。器用だな」

「うん、さっきちょっと動いたら、無重力のコツ、わかっちゃった」

ビークルモードの機体がキャリアーに固定される。

 これで、機体とキャリアーの進行方向は一致した。

「………上も下も無いところなんだから、そんなにこだわらなくても……」

「いや、あたし、なんかそういうの気持ち悪いから」

 ゴローが頭をかきながら苦笑するのに、あたしはキッパリと言い放った。

 そしてキャリアーはエレベーター発着場を抜けて、ゲストセンター中心部へと向かっていく。

 どうやらかなり大きなトンネルの中を進んでいる様なのだが………

「なんか、暗いね。ゲストセンターっていう割には………ところどころに非常灯はあるみたいだけど」

「おれがここを出るときに、ムダな電力は落としておいたからな………(あか)り、()けてみようか?」

 言いながら、ゴローは後席のパネルを操作した。接続しているキャリアーを介してコマンドを送れるらしい。

 パァー!! という言い方がふさわしい感じで、まぶしいほどの灯りが一斉にともった!

 キャノピー越しに上を見ると、どうやらここは直径五十メートルほどの円筒状になっていて、そのうち側にぐるりとさまざまな施設が配置されている様だ。

「へぇ~、なんか、いろんなお店みたいなのもあるねぇ。あ、あそこにはスポーツセンターとかもある!」

「昔は地球行きの便を何週間か待つ人だっていたからな。ここも、小さな街の様にはなっている。 ………あ、そうだ。アレをやっておくか………」

 そう言うとゴローは再び何か操作を始めた。

 やがて………

「?!」

 あたしはおかしな感覚に気がついた。さっきから、ゆっくり、なんだか………。

 重みだ、重力がもどってきたのだ!

「ゴロー、これ!」

「うん、このセンターはただシリンダー状になってるワケじゃなくて、その全体を回転させる事で擬似重力を発生させることができるのさ」

「へぇ~、すご~い! なんかあたしが昔観たロボットアニメの世界みたい!!」

「………いや、アレはスペースコロニーだろ。あんなでかいのじゃなくて、ここではこの一区画がまわってるだけだから………」

 ゴローの話だと、ここに長期滞在する人の為や、地球からきたばかりの人が火星の低重力に適応するために、火星の地表と同程度の重力をかけられるそうだ。

「実際には地球と同程度の一Gまで強くすることもできる。シリンダーの回転速度を上げるだけだから」

「へぇ~」

「ところで……」

 ゴローはキャノピーの外を見ながら言葉を続けた。

「ここで少し休憩しよう。急ぎたいのはヤマヤマだが、もう十時間近く移動しっぱなしだ。それに………」

 さっきから、コクピットの中で感じていた異音は………

「腹もへったろう?」

 こいつの腹の虫だったのか!

 あたしと、ゴローは互いの目を見交わして、プッと笑いあった。




「ここにしよう」

 ゴローがキャリアを停止させたのは、とある有名なレストランのチェーンストアの前だった。

「へぇ~、あのお店、ここにも支店があったんだ」

「食事は大抵、このへんで取っていたんだ。フォボスの制御ルームはまだ一キロほど先にあって、普段はそっちの方にいることが多かったんだけどね」

 ゴローはコクピットを降りると、お店のドアを開けてあたしに手招きした。

「入って。あまり、時間は取れないけど………」

「時間?」

「うん。システム・ドラグーンを作動させるには最低でも四時間は必要だ。ただ、ついさっき、フォボスは最適落下地点を通過してしまった。同じところまで廻ってくるのにあと七時間はかかるから………」

「あと、三時間は余裕がある?」

「………だからって、あまりゆっくりはしてられない。早く行ってチェックしないと安心できないし………」

 そう言いながら、ゴローはテーブルの一つにあたしを座らせると、キッチンと書かれた扉の方へ向かった。

「少し、待ってて。なるたけ、早くできるものを作るから」

 ………………え?!

「ちょ、な、あ、あんたがゴハン作ってくれんの?」

「そーだよ、他にどーすんだ?」

 いわゆる従業員エリアの向こうに消えたゴローを追って、あたしもキッチンのドアをくぐる。

 あのゴローが、なんだか慣れた手付きで食材を出しながら、調理器具を用意している。

「いや、あたし、なんか機械に注文を入力したら、自動的に出てくるみたいになってんのかと………」

「………いまの地上はそんな風になってんのか?」

 いや、まぁ、そんなことはないけど………。

「ここは、百年以上前のシステムで動いてるんだから、ある食材のなかから、自分で作るしかないんだよ!」

 はぁ、そ、そうか………。

「あぁ、そうだ、水のディスペンサーはその辺にあるから勝手に飲んでいいよ。昔の地球風に言えば、『お(ひや)』ってやつだ。地球から持ち込まれた蒸留水だからおいしいと思うよ」

 言いながらもゴローはテキパキと作業を続ける。

 あたしはゴローの言う『おひや(?)』とやらを頂いてみることにした。

 料理が出てくるらしいカウンターの方を見ると………あ、あった。『水』って書いてある蛇口らしいものとコップ。

 これを取って、蛇口の下に置き、『押ス』と書いてあるボタンを素直に押すと………出た!

 ジュパ! って感じでコップに一杯分、あっという間に透明な液体が満たされる。

 中身の温度そのままに冷たくなったコップをそっと手に取り、唇に引き寄せる。

 あぁ、無味無臭って、こんなに美味しいものなのね。街で買える白水や、こないだコテツさんに飲ませてもらった地下の湖の水も美味しかったけど、これは、なんていうの? とても、柔らかな飲みごこちで、喉に気持ちよく通っていくの。

「地球の、なんとかいう山の地下水なんだって。ま、おれたち二人しかいないから、いくら飲んでも大丈夫だよ」

 背中を向けているゴローが、あたしの表情を観ていた様に教えてくれた。

 そして、なんだかいい匂いがしてくる。

「席にもどって。もう出来るから」

 あたしは言われたとおり、テーブルについて少し待った。

「お待ちどう」

 そう言ってゴローが持ってきたのは、スープとサラダと………

「これは、なに?」

「スパゲティ・ナポリタン」

「へぇー、初めて」

 美味しそうに湯気を立てている。

「食べよう。いただきます」

 ゴローの声に従ってあたしも慌てていただきますをし、そのパスタを一口すすった。

「美味しい!」

 ………サラダにスープにパスタ。それに地球の水。 ………ああっ、贅沢だなぁ!

「二人分なんて、作るの始めてだから、少し遅くなった。ごめん」

「えぇー、全然!」

 あ、あたしなんてラーメンとかばっかりで、料理なんてろくすっぽ出来ないのに!

「あのさ」

「なに?」

 あたしはごローに少しきいてみた。

「この………サラダの野菜はどうしてるの?」

 どうも、保存食にしては鮮度が高すぎるような気が………。

「農場で自分で作った」

「マジっすか?!」

 あたしの反応にゴローは少々驚いたようだったが………

「………ヒマ、だったから………」

 やがて、静かに言うと食事にもどった。

 そうか………ここに、何年もひとり………。

 さして広くはないレストランのフロアに、二人がお皿を突つく音が響く。

 でも、これがひとりきりだったら………。

「他の食材はね」

 唐突にゴローが口を開いた。

「人が行き来していた頃に、主に火星の方から運び込まれたものなんだ。地球からきたものは贅沢品だから、ほとんどそのまま火星に送られるからね」

 なるほど。

「フォボスの表面近くに五十メートル四方ほどの氷の塊が作られていてね、その中心部がくり抜かれて食料保存庫になっている。中の空気は抜かれて完全真空。そして有害な宇宙線は氷の壁で遮断する。中の食材はまるで時間が止まったように保存されてるんだ」

 そう語るゴローの目を見ながら、あたしは思った。

 時間が止まっていたというのは、あなた自身のことを言っているのではないの?



「ふー! 満腹まんぷく!」

「………ユーカがお替わりしたいとか言い出すから、時間かかっちまって………」

「ありがと! おいしかったわよ、ゴローシェフ」

 空腹を満たされたあたしたちはレストランのドアを後にした。

 これから、一キロほど先のゲストセンターの外にあるフォボス管制区画に移動だ。

 あたしたちが、スコルピオに乗り込もうと近づいたとき。

「………!  ゴロー、あれ、なに?」

「え………?」

 レストランの十軒ほど先の向かいにある店の、カラフルな看板があたしの目に入ってきた。

「レンタル・DVD………映画・スポーツ・ドキュメンタリー・アニメ………アニメ?!」

「あぁ、ゲストセンターの短期滞在者のためのサービスさ。VAMが普及するずっと前だったから、昔地球で一番普及してて安かったDVDってメディアをゲストにタダで貸してたんだ」

「へぇ」

「地球から正規に輸入したものの他に、旅行者が個人的に寄付っていうか、勝手に置いてったものも結構あるんだ………ユーカ?」

 い、いけない。早くこっから移動してシステムのチェックしなきゃなんないんだ。で、でももしかしてあそこには………

「仕方ないな、こんな機会はもうないだろうし………十分だけなら、見てきてもいいよ」

 ゴローが気密服の袖に内蔵された時計を見ながら、あきらめ顔で言ってくれた。

「ほ、ほんとに? じゃ、じゃあ急いで見てくるね!」

 あたしはそのレンタルショップに向かって駆け出した。

 店の中は意外なほどに広く、多くの作品がジャンル別に整然と分類して陳列されている。

「えぇと、アニメ、アニメ………」

 壁に掲示されていた作品分類表を頼りに、目指す棚の方に向かっていく。

「あ、あった!」

 地上の街のお店より、展示の仕方が若干ジミに感じるのはあくまでゲスト相手のサービスだからだろう。

 けれど、その品数は何世紀にもわたる蓄積の賜物か、火星最大のオンラインショップにも負けない数があるのではないか、というほどである。

「うへー、このアニメ見たことない。これも、これも。 ………てか、知らない作品いっぱいー!!」

 あたしは棚から棚へとうろつきながら、しきりに声をあげていた。

「………あ! こ、これは!! 火星じゃ配信されなかった『マジカルほのか』の第四シーズンじゃないか! こ、こっちは『 平原ムラコ』の劇場版・解答編!! ………うぉ、『宇宙要塞ミクラス・ボランティア』かぁ! 『超世紀リボンシトロン』!! 『移動戦地ランダム』! ――これは実写だけど、一世を風靡したという『仮免(かりめん)ライター・甘王(あまおう)』!! こ、こ、ここここは………」

「ユーカ、そろそろ時間が………」

 ゴローが入り口の方からあたしを見つけて声をかけてきたのも構わず、あたしは叫んでしまった。

「た、宝の山やないですかぁーーー!!!」




「えへ、えへへへ」

 あたしは両手に抱えられるだけのDVDを持つと、レンタルショップを後にした。

 歓喜して小躍りするあたしを見てゴローが言ってくれたのだ。

「まぁ、ここに放置してあるだけのものだから、好きなの持っててもいいよ」

 ……と。

「うぅー、ほのかちゃんの最終シーズン観ることできるのは、火星中であたしだけなのね~。『ムラコ』だって、なにあの『劇場版・設問編』! 謎を張るだけ張っといて、後編未公開だなんて、あまりに無責任過ぎるっつーのよ!」

「………それは火星上ではそれほど問題視されていることなのか?」

「だ、大問題よ! …… つ、つまりその、あたしも含めて火星では………ひゃ、百人くらいは気にしてる………と、思うわ………」

「はぁ、まあ、なら良かったじゃないか。無事に帰れたら、ノエにでも言ってVAMに焼き直してもらうんだな」

 そう、無事に帰る、か。

 あたしはスコルピオのサブトランクにDVDをしまい込みながら、頭の中でその言葉を繰り返した。

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