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火星の娘  作者: はせぴょん
3/5

家路





「どういうことですかな、ジッシャー特察官殿?」

「……『どういう』とは、どういう?」

 東京ドーム市長・イワタとジッシャーの公式会談から四日が過ぎた。

 以来、目に見えて動きの鈍くなったジッシャー指揮下のウォータンカー艦隊に対して、東京首脳部の忍耐も限界に達しようとしている。

「貴官は先日、あと二日で我がコロニーに到達できるだろうとおっしゃった。われわれはその主旨に乗っ取って、数日間の給水制限を敷いておりました。もはや、飲料水の規制も社会生活を維持する上での最低ラインを下回ろうとしております……言うのもはばかられますが、あえて申し上げると、大多数の市民はトイレも流せない……。入浴もできない、炊事、洗濯にも事欠く有り様ですぞ!」

 ……どこも同じだな――ジッシャーは思う――自分たちの生き死にに関わってるときだというのに、最初に口にするのはくだらない日々の生活のことばかり……

「このままいけば、工業用のプラントの節水、水耕農場の一部閉鎖など、我がドームの経済に与える影響は……」

「あー、あー、わかりました。実はそれほどの窮乏とは思いもつかず、我々の方も進行を甘くしていた面があるのは否めません……ですが、極地のほうからですねぇ……」

「?! ――火星府(M・A・I・D)が、なにか?」

「いや、水の欠乏に悩んでいるのはなにも貴市だけではあるまいにと、この厚い手当にご機嫌が麗しくないようなのですよ……」

「……?! い、いまさら、なにを……?」

「それでですね、我が隊も少々行動の自由が……ん? なんだね?」

 東京市長とモニター会見中のジッシャーの背後に、一人の若い青年士官が割って入った。

「緊急電です。特察官、これを……」

「困るねぇ、副官のフィール君。いまボクは東京市長閣下と重要なお話の真っ最中なんだ。これを中断させるような通達なんてそうそう……」

「――ポーラボラトリィからの3(トリプルエー)通信です。いま、この場で、ご開封ください」

「……そう? ……それじゃ、しょうがないかなぁ。市長、ちょっと失礼いたします」

 イワタの返信を待たず、ジッシャーは副官から渡された封書を開封した。

「なになに、赤道上星令指定都市・東京市に……貴市のことですな……火星上給水ユニオン協定に対する重大な規約違反のおそれあり……? なんと?! ……本疑惑について、ユニオン調査委員会において立件審議中なれば、貴官配下の艦隊における救援活動は一時、見合わせたし……?」

 東京側の会見室のイワタの顔から見る見る血の気が引いていく。

「……特察官、その通達は……?」

「あ?! あぁ~。なにか、極冠のほうにはひどい誤解があるようですねぇ。新興の中小都市ならいざ知らず、貴市のような、歴史も伝統もあり、なにより多数の人口を抱えている都市がユニオンの不興を買うような行為などまさかとるはずもありますまい……それともなにか、独自の水利事業でもなさってらした……とか?」

「……! は、はは、なにをおっしゃる、ユニオン規約加盟都市にとって、無届けの水利事業など夢にも考えつかないこと。すべての構想は文書にて提出されております。確認していただければ、すむことですよ!」

 モニターの向こう側、必死で言い繕うイワタを見ながらジッシャーは思う。市民思いのいい市長なんだろうが――人がいいだけではこれからの火星で人々を守っていくことはできませんよ。

「あー、心配しないでください、市長。貴市の誠意を、わたくし個人は砂粒ひとつほども疑ってはおりません……おそらくこれは、貴市の盛んぶりをねたむ、こころない小都市あたりの讒言(いいがかり)ですよ。だって、貴市には、そのような心当たりは、一切ないわけでしょう?」

「……もちろんですとも、特察官。よ、よそはいざしらず、我が市にかぎって、そのような、その、規約破りはこの、わたくしが許してはおりません!」

 そうしたイワタの答弁を聞きながらジッシャーは含み笑いをこらえきれない。

「はは、は。市長、申し訳ないが、今のところはここで進出を止めなければなりません、なにしろ極冠中央からの厳命ですし、わたしはそちらの公僕にすぎませんから……しかし、わたくしとしては一日か二日後におかしな誤解も解けると信じておりますし、そのときこそ皆さまにじかにお会いできるものと思っております……われわれの抱えている物資とともにね」

 そうしてジッシャーは愛想よく通信を切り上げた。

 一方東京側では蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。

「どういうことかね! 水道局長をよびたまえ!」

「いえ市長、あ、あの、次長のスワでありますが……ワシザキ局長は現在、他都市との折衝に出ておりまして……」

「あぁ、きみか。聞いていたね。どうして我が市の極秘事項が極冠首脳部に漏れている?」

「いや、その……必ずしも例の件が向こうにバレたというわけでは……」

「聞いていなかったのかね? 向こうは『規約違反の恐れあり』と、言ってきているわけだよ。これはすなわち、もはや何らかの証拠をつかんでいるということだ。その辺、君たちに何か心当たりがあるんじゃないのかね?!」

 イワタの剣幕に気圧されっぱなしのスワであったが、やがて、意を決したように

「……しかし、市長、規約外の小規模な水源探査は、どのような都市でも多かれ少なかれ行っていることであります……またそれらは、希土類や鉱床探索の民間業者でも常に心がけていることであり、いわば、この惑星(ほし)に生きる生活者の本能のようなもの。火星に生きる赤ん坊までが周知のこの事実に、あえて規約を厳密に適用するというのであれば、どの都市一つとっても無実なところはありますまい!」

 この惑星の為政者にとって、いわば政治のイロハの『イ』とも言える現実を突きつけられ、イワタは少し落ち着きを取り戻してソファーにゆっくり腰をかけた。

「……そう……だったね、スワさん。急なことでつい、カッとなってしまったようだ……」

「……だよな、ミッちゃん……少し、アタマ冷やそうや」

 いまは上下が逆転しているが、かつてカレッジのゼミで、イワタより二年先輩のスワが、周囲のスタッフの目もはばからず言葉を改めた。もっとも、このふたりの関係は東京市民ならば誰でも知っていることではあるが。

「……じゃ、スワさん、いまになって何で急に向こうはこの件でおれたちを責め立てる?」

「そうだな……ミッちゃん、思い出しなよ、先日のダルエスサラームの件、それから五年前のリオデジャネイロのこと……」

「……解散都市……?」

「――両方とも、まさかマサカの大事件だった。特にダルエスサラームは、開発借入金の、惑星銀行返済へ目途がつき始めた途端の空中分解だ――リオだって、上層部の腐敗スキャンダルから都市の運営そのものへとケチがついていったが、そんなん、南米系コロニーじゃどこだって発祥以来のお家芸、みたいなもんだろう?」

「まさか、ウチもあんな風に……?」

「ふん、わかりゃあしねぇ。七年前に市長選に敗れてから、オレは水道畑一筋でやってきたからな。ただし、これだけはいえる。リオも、ダルエスサラームも、ああなる少し前に少々ハブリがよくなってきてたってことだ」

「羽振り……?」

「そうよ、リオは例の件の直前に、大規模希土類(レア・マース)鉱床の発見の報をチラホラ耳にしてたし、ダルエスは再開発自体が成功して空前の集客を目前にしてた。しかも、これが一番大事なところだと思うんだが……どっちもユニオン非加盟都市だ」

「……極冠には、目障りだと……?」

「少なくとも、ダルエスやリオがいくら繁盛したところで、火星府はともかく、ユニオンには一銭の儲けにもならねぇ」

「しかし、われわれはユニオンに加盟している。分担金も少なからず負担しているし、われわれの繁栄は彼らの利益にもつながるはずだ!」

「……ほどほどなら、な」

「ほどほど……?」

「……極冠のヤツらは、この惑星(ほし)の水事情を管理してる以上、大きな発言権を持っている。各都市の給水バランスをとると称して、過剰貯水を抱え込んだ都市なんかには、軍を差し向けることまでやってのける。そうして強引に回収した水資源は、再調整用在庫とか称して子飼いの都市の貯水槽行きなんだ……」

 水道局次長スワは傍らのコップに手を伸ばした。執務室の乾いた空気の中でいささかしゃべりすぎ、のどを潤したくなる。 ――いつもならば、そのような場に出されるのは澄み切った冷たい液体――純蒸留水(しろみず)――なのだが、彼がいま手にしたそれは、ふだん水道から出てくるよりも濃く赤みがかかった、苦いものだ。

 ひとくちすすって、少し顔をしかめながら、スワは続ける。

「……だからよ、連中。自分の手の内で転がせる範囲で街々が動いてる分には、まぁ放っといてくれるんだが……今度のウチのことみたいに、たまたまでもイイものを見つけちまったとなると……」

「スワさん、その話は……!」

 ジッシャーとの会見の流れのまま、この部屋にはイワタとスワ以外にも、各セクションの次長、秘書官級の人間が十名近くは、顔を連ねている。

「いいじゃあねぇか、ミッちゃん。どおーせ、ここまで来ちまったんだ。いつまでも知らぬ存ぜぬじゃ、もう次のアクションプランは立てられねえだろ? だいたい、ミッちゃんもワッシー(ワシザキ局長)からどこまで聞いてんだい?」

 イワタは、一瞬目を閉じて、背もたれに寄りかかり、深く息をしてからあっさり答えた。

「全部だ」

 ……本当に、心の中にウラオモテってものがねぇなあ、この男は。

 スワは思う。これがあぶなっかしいと思うから、オレはこいつが市長に擁立されたとき、あえて対抗で出たんだが……。

 スワは、自分にまっすぐな視線を向けるイワタを見返しながら。

 ……しかし、次の改選のときにやりあっても、やっぱこいつには勝てそうにはねえや、そう思い、心中、少し笑った。

「へへ、市長たるもの情報の一元管理は基本中の基本だからな、合格ごうかくぅ! そうとなりゃおれたちにとって、次に打つべき手も見えてくるってもんだ――市長閣下、局長が戻り次第、わが局は災害態勢D6を発令、市と民間とを問わず、備蓄水の完全管理配給に移行します。閣下におかれましては、市民に対する非常事態の周知、また、人心の安定の徹底をお願いいたします!」

「うん……わたしは少し、ヒトを信じすぎたかな。決断が遅きに失したかもしれんが……みな、よろしくたのむ!」

 スタッフ一同、その場から起立し、市長に大きな一礼を返す。イワタはそれに対し、自らも大きな答礼でもって答えた。

 一同がおのおの手に資料を携えて、執務室から出ようとしたとき、最後までソファに陣取っていたスワが声をかけた。

「あー、まてまて……ところで、こん中に極冠とつながってるやつ……何人いるかは知んねぇがよ……」

「スワさん!」

「ミッちゃん、あんたは泥かぶんなくていい――イイじゃねぇかとって喰おうってわけじゃなし、めんどくせぇマヌケ(内通者)捜しなんての、やる気はねぇよ……さっき、あっちの特察ちゃんがいってた『疑惑』なんてのは、ここにいるレベルの人間しか知り得ない情報だろう? ハッタリで言ってんじゃねぇってのは、ぞろぞろ引き連れてる艦の数でわかる、やつらぁ本気だ――だからぁ、こっちも本気になったってぇのをさっさと伝えときな。『オモテ』の交渉でハラの探り合いをするのは少々面倒になってきちまった、せっかくなので、正々堂々とやり合いましょうよ、ってな」

 戸惑ったように顔を見合わせていた市の執行部スタッフは、やがてスワがひらひらと手を振ったのにあわせて扉をくぐっていった。

 市長をのぞけば一人残ったスワは、傍らの飲みかけのコップに手を伸ばすと、そのロゼワインのような色の液体を一気に飲み干し、音を立ててデスクに戻した。

「うまい! ……やっぱり、のどが渇いてるとこんなモンでもうまいもんですなぁ! ……おっと、水道局員たる者、もう少し節約して今夜の分にでもとっておくべきだったか……?」

「スワさん……」

「ん、なんですかな?」

「ずるいよ」

 イワタはデスクの上で組んだ手にあごをのせると、スワに小さく笑う。

「まったく、おいしいところはすぐに持って行く。むかし、学祭の準備なんかしてたときとちっとも変わんないですね」

「おお、あのころはナントカ実行委員会ってのが、いちいち難癖つけてきたモンだが……今度のお相手はこの手のトラブルのプロフェッショナルだからな。なんとか、キバっていこうや」

「はい。 ……とにかく、今後の給水プランを早急にお願いします。わたしの方は市民に非常節水の呼びかけを……」

「――水を大切にね、東京水道局です、か……懐かしいフレーズだが、結局それに尽きるんだよなぁ」

 しばしの沈黙のあと。

「では、スワ水道局次長、おそらく未曾有の難局ではありますが、よろしくお願いします」

「は、市長閣下。本職も微力を尽くさせていただきます。閣下においても、職務が成功裏に遂行されますよう」

 執務室を出て行くスワの背に、イワタは心からの一礼を送った。




「あと二日、あと二日、あと二日、あと二日、あと……」

 あたしたちがオリンポスをあとにして、もう五千キロを走破した。

 視認性のよい日中を中心に、二十時間走り、四時間の停止。と言っても、その時間は休息に割り当てられるのではなく、マシンの点検とメンテナンス。

 人間の方は、走行中に保存食を口に入れ、オートドライブに任せられる区間で睡眠をとる。

 地形の険しいところやひどい砂嵐の際には、ルナやスコルピオのサポートを得て、あたしが操縦。

 基本的に使われていない行路をとっているので、かつては整備されていた交易ルートも砂に埋もれ、厄介な難所を人力(マニュアル)で越えなければならないことも一日に一度や二度じゃない。

 そのたびに睡眠を中断し、小むつかしいテクニックの披露に追われるあたしの疲れは、口には出さないがそろそろ限度がきていた。

 ナナホちゃんシートのおかげで、走行による体への負担は最小限ですんではいるが、それでも最高に近いスピードで不整地を踏破する際の振動は吸収しきれるものではない。

 まして、後部に連結した大型キャリア・カシオペアのコクピットに収まっているゴローにはカスタムシートが用意されているわけでもなく、疲労の蓄積は想像するに余りある。

「……あと二日、あと二日、あと……」

 ついさっき、クレーターとクレバスが複雑に錯綜した地帯を二時間かけて乗り切ったあたしは、気がついたら呪文のように同じ言葉を繰り返していた。

 はー!、そうね、正直に言えば、出発してしばらく、オートドライブで行けてるうちは、ライブラリーに入れたあったアニメのVAMを観ようだとか、休みながら目を閉じてアニソン聞いてようだとか、なんていうの? ハンパな? 気持ちもあったけど……(実際、出てから半日くらいはそういうこともしてたんだけど、夕暮れから山岳地帯をを突破することになり、それどころではなくなった)

 そもそも口数の少ないゴローやスコルピオはもちろん、あのおしゃべりのルナでさえ、もはやセットされたボキャブラリーも尽きたのか、ときおり注意すべき気象や地形の情報を、あらたまった口調で伝える以外は、余計なことを言わないようになってきている。

 いや、ルナは、シートから伝えられるあたしのバイタルから疲労の蓄積を見とって、ムリなおしゃべりを控えはじめたのかもしれない。

 おそらく、本来ならこんな風になる前に、まとまった休息を提案してくるのだろうが、ゴローの切実な要望に従うとなるとそれもできず、最低限のナビゲーションに徹しているようだ。

「……ユーカさま、あの、どうやら前方二百キロの地点に、大きな砂嵐の予兆です。全惑星気象情報(プラネット・ウェザー)にはありません、イレギュラーです」

「あと二日、あと…………え? あ、そう」

 もはや、何度目かになるこの手の警告にあたしは気のない返事しながら、もっとも基本的な計器――時計に目を落とす。

 砂嵐まで二百キロ……いま、平坦な地形を時速七十キロくらいで走ってるから、あと三時間はある……

「オーケイ、ルナ。現今の気象に対して、積算しうるデータを動員。最小の負担で踏破できうるルートを六とおり設定。九十分後、詳細情報にあわせて本機のルートを選択するわ……」

「了解しました!」

 ――ほどなく、モニターの広域マップ上にあたしがオファーした六つの矢印が、条件の有利な順に、濃い赤から薄い紫のグラデーション別で表示される。

「……ルナ」

「はいぃ、なんでしょう、ご主人さまぁ?」

「きのうから、少し、気になってるんだけど」

 ……少し前から、ルート選択の相談をするたびにひっかかっていることがある。

「なんだか、地形の平坦さとか嵐の発生に関係なくさぁ、あたしたち、徐々にじょじょに、北に向かってなぁい?」

「はわ! そ、そんなことは……」

「えー? 現にいまだって、地形マップと気象レーダーのレイヤーをあわせてみても、あたしがみるかぎり、この南西ルートだってそんなに不利とは言えないんじゃないの? すごいうっすーい矢印で表示されてるけど」

「……えー? しかし、こっちのルートは嵐の外縁をかすめてますし、全くの未開拓地ですから岩石ゴロゴロの相当な悪路ですよ――対しまして、おすすめの北側ルートはたびたび資源探索にも使われて調査済みなうえ、嵐も完全に回避できますから、今後の疲労を考えましても……」

「――けど、時間は倍かかる!」

 あたしのいつになく強い口調に、ルナは黙り込んでしまった。

「……ごめん、あんたはたぶん、あたしたちの体調を考えてそういうふうにしてくれてるんだよね……でも、ゴローの荷物は一刻も早く東京に持ち帰った方がいい物なんだろう? それに、やっぱり少しでも早く着いた方が、結局はあたしたちの疲れだって……」

「……いや、あの、その……ユーカさま、その、実は……」

「ルナ、いいよ……オレが話す」

 ――ゴローの声を聞くのは、昨晩のメンテナンスのあと、乗り込んで以来だ。

「……ユーカ、オレたちは東京に戻らない。その四百キロほど北の、ある地点を目指している」

 ……え?…………!

 がーん!!

「すまない。オレがルナとスコルピオを説得して、いままで黙ってもらっていた」

「……まぁ、約束では、今日中に話してもらうことには、なっていたからな」

「――は、はいぃ……いくら、あたしが最高級グレードのAI搭載といえども、ご主人様に隠し事を続けるのはすっごいストレスでしたぁー、余計な情報をにおわせるわけにもいきませんしぃ」

 ……あー、こいつが静かだったのは、気ぃつかったとかじゃなくてそーいうことかー……

「……ゴロー……なんで、今、なの?」

「え?」

「なんで、そういう大事なことは、最初にいってくれなかったの? あんた、いっつもそう! 突然やってきて、勝手にいろいろ決めちゃって、あたしたちがあれはだめ、これはできないって言うと、何だって、わかった、じゃあ一人でやるって……! そんなの、ほっとけるわけないじゃない! あたしやカオリやノエさんたちはね、あんたがどー思ってるか知んないけど、石や木でできてるワケじゃないの、そんなふうに言われて放っておけるくらいだったら最初っからあんたひろって、は、話し聞いたりしてないわよ、ひぐっ!」

 ……え、うそ――あたし、泣いてる?

「ひ、ひっぐ! ――いいわよわかった。あんたの大事な用のために北でも南でも、好きなところへ行ってやりゃーいいんでしょ? ぐすっ! もー聞かない! 好きにしてよ! もー、なにも、聞かないからぁ!」

「い、いや、ユーカ、その……」

「ゴロー、オレが話す。ユーカ、聞いてくれ、なぜ、いま……」

「いや! スコルピオ! もーなんにも言わないで!」

「聞けっ!! ユーカ!!」

 !……スコルピオのこんな激しい声、はじめて、聞いた……

「……聞いてくれ、ユーカ。なぜ、今、このことをおまえに言うのかを……それは、おまえにとって、このあたりが行き先を選べる最後のチャンスになるからなんだ……」

 う、うぅ……え、なに。どういうこと? さいご……の、チャンスって……?

「オレは、いや、オレたちは、この話を聞いたとき、どうしたものかと思った……人工知能が『思う』というのはおかしいだろうか。ようするに、演算、シミュレートを繰り返しても、最適の結果が出せなかった」

 コクピットの中にスコルピオの冷静な声が響く。あたしの少し右手の中空には、ルナが、いつにもないしおらしい表情で静かに浮かんでいる。

「ここまで黙っていたのは、先に話すとたぶんおまえは、余計なストレスを抱え込んでしまうだろうからだ……ゴローが向かおうとする先は、さっき本人も言ったように東京から四百キロの北側の、あるポイントだ。そこまで行って作業をし、さらに東京に帰るとなると、ここから直接帰るよりさらに二日ほどかかる。ここまでがんばったおまえの気持ちや体調を考えると、とうてい勧められることではない。それに……」

 ここで、スコルピオは少し言葉を切った。なにか、言いにくいことのようだ。

「それに、そちらまで回ると、無事、街に帰還するのが危なくなる。水や食料なんかの物資はともかく、燃料はそこまで持つかどうか、 微妙なところだ」

「え……でも、その辺まで行ってしまえば、街と通信はできるじゃない? 仮に動けなくなったとしても、救難信号を出せばどうにか……」

「それが、難しいかもしれないんだ」

 あたしの声をさえぎってゴローが言った。

「これを見てくれ」

 あたしのコクピットのメインモニターに現れたのは、東京を中心とする広域マップだった。千キロ四方で表されたその図上には、ドームを中心に、それを取り巻く多数の光点が明滅して表されている。

「ゴロー、これは……?」

「ルナの遠距離探索によるデータをもとにした、きみの街を取り巻いている勢力の推定表示だ。きみの街は今、ある勢力に包囲されている」

「え……どういうこと……?」

「……だから、いま、きみの街は、おそらく解散を迫る連中に囲まれているんだ」

 瞬間、あたしのアタマは真っ白になった。

 ……なんか、こいつは落ちてきた途端に解散カイサン言ってたけど、どうしたってあたしには実感はなかったし、こうやってこいつにつきあって、オリンポスからの往還をしている今も、目の前の様々な作業に追われて、そのことを真剣に考えたことなんかなかった……いや、考えないようにしていた。

「……これを突破して、システムを東京に持ち込んでも、また目的地に運び出すのはより難しい。おそらく、その時間もない。だから、ここから直接ポイントを目指す方が……」

 ……なんだか、ゴローの声が、どこか遠いところで響いている音のように聞こえる……

 ――あたし、なんでこんなことやってるんだっけ……?

「――だから、きみには選んでほしいんだ」

 え、なにを?

「いまなら、ドームを目指すこともできる。正直、ポイントに向かうのはとても危険だ。まだ、包囲網を突破してドームに入る方が、今なら難しくはないだろう。ここまでオレの無理を聞いてくれたきみに、これ以上付き合ってくれとは言えない。このあたりで、どちらに向かうか、決めてほしい」




 ……一時間ほどがたった。あたしは、なんの返答もせず、ただ、シートのうえで丸くなって座り込んでいた。ゴローも、スコルピオもルナもそれから一言も発せず、ただ、機体が東へ向かって進むだけ――あたしは、少し眠ってしまったかもしれない。

 ふ、と目を開くと、機は六つのコース選択の最終地点に近づいている。

 ――あたしは、やおら手を伸ばすと、北側のもっとも濃い矢印にタッチした。

「……コースが、選択されました。前方の嵐、最北辺コースで迂回します……って、これでいいんですかぁ? ユーカさまぁ……まだ、選択の余地は……」

 プログラムが起動して以来、スコルピオに代わってナビゲーションを担当しているルナが聞いてきた。

「……いい」

「ユーカ、もし、無理をしてるんなら……」

 ゴローの声をさえぎってあたしは答えた。

「……あのね、無理をしているわけじゃないよ。いろいろ考えて、あたしは決めたんだ。なんていうか、一言ではまとまらないけど、今、楽なほうに行っちゃったら、あとで絶対に後悔すると思う……そりゃ、ゴローの言うほうに行ってしまえば、多少は危険かもしれないけど、今の状況だったら街に戻ったってそんなに変わりはないわけでしょう?――それに、いろんな物資だって、その、ポイントに行くまでだったら少しは余裕もあるわけだし、同じ距離を移動するにしても、運転にもっと注意を払えば燃料だって節約できるわ」

 いいながら、あたしはパネルにオートパイロットの設定画面を呼び出して調整をはじめた。

「ゴロー、悪いんだけど、少しだけ速度を落とさせてもらえない? その地点まで、このままの速度で行くより半日は遅れるかもしれないけど、それでかなり、燃費は稼げる。 ……いままでは、足場のいいところは全速運行だったから……」

「――そうだな、かまわないと思う……半日程度だったら、状況にそれほど変わりはないだろう」

「……ありがとう。そうしてくれれば、最悪、スコルピオだけでも街に戻るくらいの燃料はぎりぎり確保できそうだ、たすかるわ」

「ユーカ、その、すまない。こんなことに……」

「――えぇ、巻き込まれちゃって、とーっても迷惑してるわよ!」

 対面モニターに映る、カシオペアのコクピットのゴローが口をつぐんだ。

「いまごろ、いつもどおりだったら放課後のボランティア終わって、うちのソファで冷たい水飲んで、こないだのアニメの続きでも観てるとこだったんだからね! こんな、岩っころだらけの色気もないところで、なんかしらないけど街の命運背負わされて、どことも知れないところへ走ってけだなんて、まぁーったく、冗談じゃないわよ!」

 ……モニターのゴローは、目を伏せて黙ったままだ。

「――けど、か、勘違いしないでよね。あたしがそっちに行くって決めたのは、あんたの為だけなんかじゃ、ないんだから」

 やつの目線が少し上がった……そして、あたし、今みたいなセリフ、一回言ってみたかったんだぁ。

「……だって、あんたが言ってんのは、あたしたちがこれやんないと、結局街がなくなっちゃうってことでしょう。嘘や冗談でオリンポスに登ろうだなんてヤツはいるわけないし、現にあんたのMDMアンタレスやキャリアー・カシオペアなんか観ちゃったら、いろいろと信じないわけにはいかないわよ。だったらあたしだってできることはやっとかないと、さっき言ったみたいなフツーの生活もできなくなるわけじゃん……あたしはね、なにかコトが起こったときに、お布団の中に潜り込んでぶるぶる震えてたらそのうちなんとかなる、なんて、しおらしい考え方はできないの。生まれつき、がさつだからね。だから、自分で決めたんだ。どういう状況か全部がわかってるわけじゃないけど、あたしにできることがあるんなら、とにかく全部やっておくってね!」

「ユーカ……」

「……だ、だから、勘違いしないで頂戴(ちょうだい)って言ってるの。あたしが、今、あっちに行くって決めたのは、あんたの為でも、誰のためでもない、何よりあたし自身のために、行くって言ってるんだからね!」

 あ、今のセリフはなにも考えてなかったのに自然に出てきちゃった……!

 モニターの向こうのゴローはしばらく無言でこちらを見ていた。そして、最後に一言、こう言った。

「……うん」




「……目的地まで、五十キロを切ったよ」

 ――進路を決めてから二日。大きなトラブルにも見舞われず、以来あたしたちは比較的順調に行程を消化してきた。

「予定より、少し早かったね」

「マスターの地形の目配りが的確でしたから。燃費もかなり節約できましたし、さすが女子高生ドライバー・ナンバーワンですわぁ」

「……へへ、ルナ、ありがとう」

 もうじき、ゴローが目指す地点にたどり着こうとしている。いったい、ヤツはそこで何をしようというのか。

 あたしからは、あえて聞くことはしなかった。最後には本人が語ることになるだろうから。

「ユーカ」

「なに、ゴロー」

「……ありがとう」

「なによ、いきなり!」

 ときどき、こいつはあたしを困らせるようなことを言う。そんなこと、正面切って言われたら、て、照れるじゃないか……

「結局、オレ一人じゃなにもできなかったろう。ここまでこれたのも、ユーカや、カオリやノエさんや、それに、アナスターシャの人たちがいなかったら……」

「……そうね、でも、そういうことは、いまあたしに言うんじゃなくて、いろいろ無事に終わってからみんなに言ってあげて……無事に、街に戻ってからね……」

「あぁ……でも、アナスターシャの人たちは……」

「きっと! きっと、なんとかしてるわよ……だって……あの人たちは、プロなんだから……」

 言いながら、(アナスターシャ)から脱出したあのとき、紅砂の中からわき上がった、赤いキノコのような雲があたしの頭をよぎる。

「……ゴロー、それよりも、もうじきあんたの言ってるあたりに着くんだから、いろいろといまのうちにできる準備とかもあるんじゃないの」

「あぁ、うん。じゃあ、もうしばらく、操縦のほうは頼む」

「オッケー」

 通信を切って前方に目を向ける。もうじき、いくつかのクレバスが錯綜する広大な荒れ地にさしかかる。ゴローの目指す地点はその中にある。しかし、いましばらくは平坦な砂礫の砂漠が続いている。

 オートパイロットを調整しながら広域マップに目を落として、あたしはふっと思った。

 ――あれ、この辺って確か……?

 そのときだった。平坦だったはずの赤い地面が、突然まっ黒になり、いきなりあたしの体はシートから浮き上がろうとした。ベルトをしていなければ、コクピット内で強打していたろう。

 ――落ちる!

 どうして? 進路情報に異常はなかった。視界も良好。なにより、問題があればルナが真っ先に気づいていたはず……

 すぐに、周囲に激しくぶつかる音と衝撃が襲ってきた。クレバスなの?!

 いくら火星の重力が弱いとはいえ、それなりの距離を落下すれば、もちろんただではすまない!

「スコルピオ! 態勢を……!」

「やっている! ルナにも周囲をサーチしてもらっているが、状況がまだつかめん!」

 ガガーーン!!!

 ……やがて、激しい衝撃とともに、機は横転して止まった。

「ゴロー、ゴロー!」

 後部に連結したカシオペアのコクピットに呼びかけるが、返事がない。

 激しい振動を受けたせいか、あたしの意識もなんだかぼんやりしている。

 ここは谷底なのだろうか。モニター越しに外を見ると、薄明かりの中に人影のようなものがみえる。

「スコルピオ……集音……マイクを……」

「あぁ……」

 ……やはり、あれは人間のようだ。えらく背格好に差がある人影が二つ、何か言いながらコクピットのほうに近づいてくる。

 集音マイクが起動し、外部の音が入ってきた。

「……死んじゃあいねぇだろうなぁ!」

「いや、殺す気なんか、ありませんよ。ただ、減速もせずに突っ込んでくると、やっぱとんでもないことになりますねぇ!」

「まぁ、どうせ今頃こんなところをうろついてんのは、ヤツらの手先だろうからな。こっちは遠慮する義理なんか、ねぇんだけどよ」

「なんか、モノ積んでんだったら、そっちのほうが心配っすよ……にしても、あのシート張ってると、ホントにわかんなくて引っかかるモンなんっすねぇ」

「だろう? レーダーでも読み取れねぇスグレモノなんだってよぉ……」

 あぁ、もしかしてこいつら、水賊ってやつ……? でも、シート? スグレモノ? どっかで聞いたような話だな……あぁ、もうだめ。なんだか、はっきりしない……

 そうしてあたしは、意識を失った。




「……カオリ、ナナホ、いいわね」

「――あぁ」

「……いいよ、おっきいねえちゃん」

 ――東京ドーム内、某所……。

 つややかな黒地に派手なピンクのラインをあしらった、三機のMDMが、巨大な構造物の構内で、ある作業に没頭していた。

「……ナナホ、どう?」

「ウン……第四レベル制御コード……解除……やっぱりおっきいねえちゃんが市長さんからもらってきたパスコードは正確だよ」

「あら、でもそれだけじゃあ、こんなに手際よく厳重な扉は開けられないわよぉ」

 自機・MDMアフロディアのコクピットの中で、流麗なデザイン・ほのかな桜色のパイロットスーツに身を包んだノエ・パインバックが答える。

「……ほんとうですよ。ルナのやつもいないのに、ナナホ様はお一人だけでよくなさいます」

 シートに収まってモニターを眺めるノエの後ろから、同じ桜色の、シックなドレスを身にまとった大人びた女性が顔を覗かせた。

「そうね、ユノー。あのコはホントによくやってくれる……でも、あなただって、いつもいい働きをしてくれてるわよ……」

 言いながらノエは、ユノーと呼ばれた女の片頬にしなやかな指先を伸ばし、自分の顔のほうに引き寄せる。

「あ……ノエ様……」

 二人は目と目を見交わし、コクピット内にただならぬ気配が漂う……

「ねえちゃん、シートメイト(AI)と遊ぶのはいい加減にしなよ! こっちはそれどころじゃないんだからさぁ!」

 モニター越しのカオリの剣幕に、ノエと同じくらいの背格好だったユノーは、一瞬で手のひらにのるほどのサイズに変化して、肩をすくめた。

 カオリ・パインバックの機体・MDMアテーナーは、その施設にしつらえられた大型ゲートを無理にこじ開け、閉じようとする力に逆らってパワーを絞り出している。

「ホントだよなぁ、カオリ! こっちの身にもなってみろっつーの!」

 絶えずパワーの微調整を繰り返すカオリのわきで、カオリのパイロットスーツと同じ色、パールホワイトのスポーティーなボディスーツに身を包み、かき上げた髪を無造作に束ねた小さな人影が、あぐらをかいてふわふわと浮かんでいる。

「ミネルヴァ! あんたも見てないで手ぇかしな! 無理なパワー計算、面倒なんだから!」

 カオリにミネルヴァと呼ばれた、その手のひらサイズの少女は、ぷいっと横を向いて答えた。

「やってるよぉ! これ、閉じなくするより、カオリが気合い入れ過ぎてゲートがおシャカになんないようセーブするほうが大変だっつーの!」

「んだとぉ? このクソAI!」

「あ? AIなめんな!」

 そんなやりとりを尻目に、ナナホ・パインバックは自分のMDMアルテミスのセンサーケーブルを、扉の隙間から侵入させて解錠作業に余念がない。

 扉の向こう側では、センサーが入力端子を探り出してケーブルを接続し、ナナホが指令する解錠コードが次々に送り込まれてくる。

「……ノエ姉! ユノー相手にバーチャルタッチとか楽しんでるヒマあったら、あたしのほうを手伝ってくれよぉ!」

 そんなカオリの言葉にノエは応じて

「あら、だってあたしの機体(アフロディア)は、あなたのアテーナーほどのパワーはないから……無理をしてマニピュレーターでも壊してしまったら大変だわ。悪いけれど、もうすこしがんばってくれないかしら」

「そういうわけですので、よろしくお願いします、カオリ様」

 ノエの声にかぶせ気味にユノーも答える。

「……へいへい、わかりましたよぉ」

 カオリはため息混じりに応じる。

 数分後。

「……おっきいねえちゃん、もうじきロックは解錠するよ」

 ナナホがノエに告げた。ほどなく、カオリの機体にかかっていた圧力は消え去り、厚いゲートが左右に開いていく。

 陽の光が差し込みはじめたゲートのさらに奥、五〇メートルほど先に、一回り小さく、MDM一機がどうにか通れそうなサイズのゲートが閉じているのが見える。

「……とりあえず、いまはここまで開けばいいから……」

「うん、それじゃ、向こうは開けるときに時間がかからないように、今できるとこまで解除しとく」

 ノエの声にナナホが答えながら、機体の歩を進める。

「おい、一応あたしもいくよ。だって万一開いちまったら、あっちのゲートの向こうにはさぁ……」

 ナナホの機をカオリも追った。

 作業の一段落を見届けて、ノエは大ゲートの外で自機・アフロディアごと上を向いた。

「本当にこれを、使うことになるのかしら……」

 ノエが見上げる先には、広大な建造物を基盤とした、巨大な塔がそびえている。

 それは、都市ドームの蒼い天井を貫通し、虚空の彼方へと消え去っている。




 ……あつい、胸のあたりが焼けるように熱い! ……手足はじっとりと汗をかいて、薄ら寒さすら感じているのに、のどを通る空気は、まるで焼け付いた鉄のようだ。

 これ……こういうの……一人でボランティアを始めたころに、よく下手な遠出をしてなったことがあるな……いつもの倍くらいの用意じゃ全然足りなくて……あ……ああぁ……!

「……あああーー!!!」

 容赦なくあたしを(さいな)んでくる胸苦しさに、思わず声が出て、目が覚めた。

 ――そうだこれは――脱水――症状――だ……

 ……目を開くと、あたりは暗く、天井も見えない。どうやらあたしは、簡易ベッドにでも寝かされているようだ。

 片側の窓から漏れてくる、わずかな光りを頼りにまわりを見回す。パイロットスーツに包まれていたはずの腕はむき出しで、あちこちに包帯が巻いてあったり絆創膏が貼られたりしている。身体には毛布が掛けられているようだ。

(……骨は……折れてないかな……)

 すこし、手足を動かして確認する。ところどころ強い痛みが走るものの、骨折までしてはいないようだ。

 ……いまわかるところまでは、状況はわかった……逃げるべきか……考え始めるとまた、激しい渇水感が襲ってきた。

 まずい。今は逃げるとかじゃなくて、この渇きをどうにかしないと、立てもしなくなってしまう……

 う……とかさついた声を出し、ベッドから起き上がろうとすると、急に暗がりからヌッと手が伸びてきた!

「……飲めよ」

 その、土臭い手の先にはおおぶりなマグカップが握られている。金属製らしく、わずかな光を反射しているそれにこわごわ手を伸ばすと、表面が濡れて、たらたらと水滴がこぼれているのがわかる。

「……悪かったな。てっきりヤツらの一味だと思ってたから、罠にかけちまった。これは、ほんの詫びだと思ってくれ」

「……だれ?」

「オレか? オレは……コテツだ」

「……『ヤツら』……って?」

「決まってるだろう、北の方から来たヤツらだよ」 

 あたしは体を起こして、ゆっくりカップを受け取り、それを少し震える唇に持って行った。

 冷たい!

 それだけで、最後に残った警戒心も消え失せた。

 ふだん使っているコップの、倍は入っていそうなその水を、あたしは息も継がずに二口ほどで飲み干した。

「はあっはあっ……おいしい……」

 息を切らしながら、あたしは体が要求する二杯目を切り出すかどうか、迷いながらハッと気づいた。

(これは……し、白水(しろみず)じゃないか!)

 ……地表のことなどなにも知らずに降りてきたゴローみたいなのはともかく、火星(ここ)には火星(ここ)の仁義というものがある。混じりけなしの水に、おかわりを求めるなんて……!

「ごちそう……さまです……。け、結構な……お点前(てまえ)でした……!」

 われながら、よくわからない礼を言いながら、カップをベッドの片隅に置こうとした。

「もう、いいのか?」

 暗がりから帰ってきた声を聞きながら、男にしては高い声だなぁ、と思う。

 突如、また手が伸びてきてあたしの二の腕をとった!

「まだ身体が熱いじゃないか。もっと飲まなきゃだめだろ」

 そう言うとその手は無造作にカップをつかみ、暗がりに消えた。

 パシャンッ……と、おそらくカップがなにかに突っ込まれた音に、耳が和む。あぁ~、いい音だあ~。

 と、今度はカップが直接、あたしの口に押しつけられてきた。

「さあ飲め、ほれ、飲め!」

「うぶぶぶぶ!」

(そ、そんな、ムリには飲めませんよぉ~!)

 と、思いながら、悲しいかな、カラダは情けないほど素直に喜んでいる。

「……ほれ、もう一杯。ほれ、ほれ!」

 ……さすがに少し、怖くなってきた。

「あの! すみません、ご親切に。でもあの、コテツ……さん? こんな高い水を何杯もいただくわけにはいきませんよ。その……借りが返せなくなりますから!」

 すると、暗がりに慣れたあたしに見えてきた、大きな目が不思議そうに視線を返す。

「借り? おまえ、ナニ言ってるんだ? こんなの、いくらでもあるんだし、汲んできたばっかで冷たいから、今のウチに飲めって言ってるんだぞ? ……ヌルくなったらあんまりウマくないだろう……?」

 引っ込めたその手のカップをゴクゴクと飲み干す音がする。

「うん、やっぱりウマい!」

 ……こ、これはなんの罠なんだ? こんなうまい話がこの火星(ほし)にころがっているはずはない! さては、さては~!

「……コテツ……さん? あなた、一体なんなんですか?!」

「ごくごくっ、ふぅ。 ……オレか? ……オレは……木星人だ!」

 ……やっぱり! こんなコトを平気でするヒトはマトモなわけがない……

 ――逃げなきゃ、一刻も早く、こんなところからおさらばしなきゃ!

 そのとき、窓とは向かいの壁のドアが開き、別の男が入ってきた。

「どうした、気がついたのか……? おい、コテツ、あんまりからかうんじゃないぞ!」

 聞き覚えのあるこの声は……?

「ヤン……さん?」

「――やぁ」

 間違いない。暗い部屋から見ると、室外の光りを背にシルエットしか見えないが、その声、そのひょろ長い背格好は、アナスターシャのチーフメカニック、ヤン・ヨークステルさんだ!

「――がんばったな」

「……どうして……?」

 あ、あれ、あたしってこんなに泣き虫だっけ? ヤンさんの声を聞いたら、涙が、止まらなくなってきちゃった……。

 部屋に入りながらヤンさんは灯りをつけた。

「……もう、立てるか? 痛みはどうだ」

「……ヤンさん!」

 あたしはベッドから立ち上がると、懐かしさがこみ上げてきて抱きついてしまった。離れて一週間とたってもいないはずなのに。

「……おいおい」

 ヤンさんは困ったような表情を浮かべる。

「ヒューヒュー、お安くないねぇ、お二人さん」

 冷やかすような声に振り向くと、コテツと名乗ったその人は、小柄な、オンナ……だったのか?

 余り手入れはしていないようだがきれいな栗色の髪で、黒っぽいマントを羽織った彼女(?)は、大きくてよく動く目をこちらに向けると言った。

「それにしても、街の()は大胆だなぁ」

 え……? と思ってよく見ると、あたしはブラジャーにショーツという、女子高生にはあるまじき格好でヤンさんに抱きついている。あ……!

「まぁ、包帯や手当のために、オレが脱がしといたんだけどョ」

 コテツさんのそんな声も、なんのフォローにもなりやしない!

 耳まで真っ赤になって固まったあたしを見ながら、ヤンさんはこう言ったものだ。

「……結婚、するかい?」




「……あっはは、冗談じゃないかよ、そんなに怒りなさんな」

 あわててベッドの傍らに置かれていたパイロットスーツを身につけたあたしを、ヤンさんはそう言いながら部屋の外に連れ出した。コテツさんも一緒だ。

 この人、態度もガサツだし、『オレ』言葉も使うから、てっきり男だとばかり思ったけど、こうして明るいところでよく見ると、小柄だがなかなかの美人だ……!

「……なんだよ?」

「い、いえ、なんでもありません」

 あんまりしげしげと見てるモンだから怒らせちゃったかな……?

 短い廊下を突き当たると狭いタラップを昇る。どうやら、これは(ふね)のようだが……。

 ヤンさんについて行きながら、あたしはふと別のことが気になって聞いてみた。

「あの、ヤンさん」

「なんだい?」

「いえあの、さっきコテツさんにすごくいい……その、白水をごちそうになったんですけど……いいんですか? あんなにいっぱい」

「あぁ、それか」

「だって、アナスターシャのときだって、かなりきつい赤水を、それも一日数回の配給にしてたでしょ? あたしを介抱してくれたのはうれしいんですけど、みなさんのだいじなものなんだったら、あたし……」

「いいんだよ」

「でも……」

「ここじゃあ、みんな、あれを好きなだけ飲んでるんだし」

 あたしたちがタラップを昇りきると、そこでヤンさんは足を止め、傍らにある窓を指さした。

「あそこから、見てごらん」

 あたしが覗いてみると、どうやらここは広い洞穴の中のようだ。この艦(?)から漏れる光や、そこここに設置されている灯火で岩壁や天井は照らされているが、大部分は暗がりの中に溶け込んでおり、その大きさを伺わせる。

「ほら、もっと向こう、右下のほうだ」

 あたしたちはビルの五階ほどの高さにいるらしい。ヤンさんの指し示すほうを見ると。

「……ヤンさん、あれ……?!」

 おそらく五〇メートルほど先のそこには、付近に設置されたライトに照らされ、鏡のようなたたずまいを見せる、澄んだ湖が広がっている。

「言っとくが、おまえさんがオリンポスの頂上で見てきたようなエタノール――酒の池とかじゃないぞ。正真正銘の、純粋な水だ」

 あぁ、あのオリンポスの山頂で、もし飲めるものなら飲んでみたいと思った、ホントの湖がここにある……。あたしはなんだか、クラクラしてきた。

「み、水ぅ……あんなに、た、大量のしろみずがぁ……!」

 すると、コテツさんが言い放った。

「白水ぅ? そんなお上品なもんじゃねぇよ。あれぁ、『黒水』っていうんだ!」




「つ、つまりぃ……こういうことですかぁ? ここにいるコテツさんは、その、いわゆる『水賊』……さんでぇ、ここは、その一味の方々のアジトである……と」

 案内された狭い食堂で、あたたかいスープをいただきながら、あたしはおずおずと聞き返した。

「水賊いうな! オレたちは『レゴリス』だ!」

 ……あ、このスープ、すごくおいしい……うん、水がいいんだな……んで、えーと、れご……りす……?

「あー! わかってない! ヤン、この顔はわかってない顔だぜぇ?」

「まぁ、あながち見当外れってワケでもないしな……」

 あたしは、かたわらの水の入ったコップにおずおずと手を伸ばしながら聞いた。

「あの、それで、この水のことなんですけど……」

「あぁ、さっき、こいつが言ってたこと……?」

と、ヤンさん。

「えぇ。あの、これ白水じゃあないって……」

「……そうさ……正規の流通ルートに乗っている、純粋な蒸留水がいわゆる白水だよね。極冠で採取されてる氷床のうちでも最深度から採れるものだけで、蒸留、精製の手間もかかる。普通に採掘して流通してる錆び混じりの、いわゆる赤水より、工賃や税金なんかで一〇倍以上の値段になっちまうってわけだ」

 ……庶民の口にはめったに入らない高級品、それがこの白水に対する火星住民の一般的な認識だろう。

 もちろん、デパートや高級食品ショップは言うに及ばず、街のスーパーや、場合によってはコンビニなんかでも、扱いのあるところがあったりはする。

 しかし、ずらりと並んだ、水道水よりは少々ましな程度の安売り赤水の棚の上で、高級そうなガラスのビンに、きれいなリボンなんかをかけられちゃったりして鎮座ましましている、それを日常的に口にすることができるのは、そうとう裕福な暮らしをしている人々に限られる。

 たいていの家庭では、夕飯のときに一人一杯ずつ、大事におしいただくのが一日の終わりの楽しみというものだ。

 まして、料理に使ったり、それでできたお酒を飲んだりしているのは、まさにセレブと言われる方々と言っていいだろう。(くやしいが、カオリのウチはまさにそんな感じである!)

 ボランティアの成績が良好なおかげで、一日三杯も飲めているあたしなんかは、かなり恵まれているほうだ。

 あ、いま思ったんだけど、ウチの学校のスペシャル焼きそばパンがウマいのはきっと、そういうイイ水を使ってるからなんだろーなぁー……

 ぼんやりと思いを巡らせているあたしに、ヤンさんは続けた。

「まぁ、白水ってのはそんだけ手に入れにくいもんなんだ。だが……もし、ほとんどタダで手に入る純粋な水があるとしたら……?」

 ……えぇ?! だって、そんなのありえないでしょう? ありえないから、白水ってあんなに高いワケじゃない。

「そう。世間の常識ではありえない、税金もコストもかからない純粋な水…… そんなのが出まわれば、今までの水の相場は崩壊し、それに沿って組み立てられてきたこの惑星(ほし)の秩序も大きく崩れてしまう…………もし、そんな事実があったとしたら、これまで、水の利権を一手に握っていた人間はどうする? どう思うだろうね……?」

 そんな……もしも、そんなことがあったら、いままで飲料水のコントロールで利益を得ていた人たちは一気にその利点を失ってしまう……誰だって、安い水がいいにきまってるし。

 もし、そうなったときのことを考えたら、いま水を出してる側の人たちはなにがなんでも安い水が世間に出まわるのを邪魔するに決まってる、よ、ね?

「ねぇちゃん、その顔は、わかってきたようだな! ……そこで、オレたち、『レゴリス』の出番ってわけよ!」

 コテツさんが胸をそらした。

「いいか、つまりだ、この谷底には地下のふか~くから純粋な水が湧き出している。いま、ここにはオレたちの仲間が二〇〇人ほどは集まってるんだけどよ、そいつらが毎日たらふく飲んだって全然減らないほどだ。そこで! オレたちはこの水を使ってほうぼうで取引をする。食糧、服、情報、MDMのパーツ……なんでもだ。どこでだって、喜んで応じてくれるぜ。なんせ、市販のイイ水の半値以下で出してるからな」

「もちろん、正規の流通ルートには乗せられない、ウラの商品ってコトになる」

 ヤンさんがコテツさんの言葉を引き取って続けた。

「ユーカちゃんも、噂くらい聞いたことはあるだろう。この惑星(ほし)のどこかで、良質な水が密かに安く取引されているという話を……」

 ……そういえば、雑誌の端っこの豆知識欄やネットの三文記事なんかで、いろんないい加減なゴシップと一緒にそんな話も読んだことはある。

 宇宙人は木星にいただの、大隕石で明日にも火星は滅びるだのといった記事にまざって、どこかにきれいな水が湧き出でる不思議な場所があり、その流出は止まることがなく、赤水よりもはるかに安く手に入れることができる……などと。

 そんなのは、この惑星の住民の願望が作り出した、一種のおとぎ話みたいなモンだと思っていたが、まさか、本当に……

「……わかってきたようだね。ここは、われわれの間ではオアシス二七と呼ばれている。オアシスってのは……まぁ、水がかってに湧き出てるところってことだ。信じられないかも知れないが、実はそういったところがこの惑星(ほし)にはいくつかある」

 えぇ?

「で、でも、そんなところがあるんだったら、たちまち誰かが住み着いたりしそうなモンでしょう? 街なんかもできそうだし……」

「じっさい、ずっと昔にそうやってできた街もないではないよ。ただ、街の規模が大きくなると、結局その量だけじゃとても人口を養えなくなる、すぐにね。たいていはそうした水も遠からず汲み尽くされて水源も涸れる。そして、そのこと自体忘れ去られていくのさ」

 ヤンさんの話は、あたしにはすぐには信じられない。

「……それに、こんな大きなオアシスはさすがに例外だ。たいていのやつは一〇人、二〇人くらいを養うのが精一杯。とてもコロニーを作れるような環境じゃない」

「――ここだってな……」

 今度はコテツさんがヤンさんのあとを続けた。

「今はいいけどよ、冬場になるとどんどん水が減っていって、しまいには涸れちまう。なんか、ホントの水源は固い岩盤の下の、かなり深い地下にあって、ここにはモウ、モウ・カ・ン……?」

「毛細管現象」

 と、ヤンさん。

「そう、そのゲンショーでここまで水が吸い出されてる。けど冬になると岩盤ごとモウカンとやらが凍って、水が涸れっちまうんだ」

 コテツさんが言葉を切った。

 ヤンさんは大きく息を吐いて続けた。

「……ここにいるのは難民なんだ。彼らは自分たちの街が解散してしまったりその他の事情で、他の都市にも受け入れてもらえず、行き所のなくなった人たちだ。だから、生きるために寄り集まり、結束して、ほうぼうの同じ境遇の連中と連絡を取り合っている。生活のために違法な水を売り、それも冬に凍結してしまうと、ときにはタンカーを襲って水賊と呼ばれたりもする……さっき、きみが飲んだ水――あれが『黒い水』と呼ばれるわけがわかったかい?」

 ――わかった。世間で流通している、嗜好品まがいの高級品、それが白水だ。それに対してこの人たちは生きるためにオモテには絶対に出せない、しかし良質な水を商っている。『黒水』とは、彼らがそれをみずから皮肉って呼んだ名なのだろう。

「……レゴリスってのはな……」

 今度はコテツさんが口を開いた。

「石っころって意味なんだよ、こんな荒れ果てた惑星(ほし)なんかの表面にころがってる……」

 こころなしか、さっきより声が沈んでいる。

「オレたちがそう名乗ったわけじゃねぇ。オレたちを切り捨てたこの惑星(ほし)のエラい連中が石っころ、砂粒って、そうヌカしやがったんだ…… 上等だ! オレたちは砂粒だ。だから、ヤツらの世話にはならねぇ! けど、砂粒ナメたらイテェ目に遭うってコトは教えてやりてぇんだよな」

 言葉は過激だが、コテツさんの口調には、どこか寂しさのようなものが感じられる。

 そして、あたしはヤンさんのほうを振り返って聞いてみた。

「あの、さっきからちょっと思ってるんですけど……ヤンさんも、もしかして……」

「……うん、オレもこの連中の出身さ」

 やっぱり、そうなのか。さっきまでの口ぶりから、もしや、と思っていたけれど……

「オレだけじゃない。エドワードを始め、アナスターシャに乗り込んでた大半の人間は難民の出だ」

「……艦長さんも?」

「あの人は違う。艦長はユニオンの軍人のだったんだが、ある水賊包囲作戦のときに、こちら側を難民と認定して作戦を中止したんだ……命令違反を犯してね。結果、法廷で糾弾され、軍を逐われた……そのとき、助けられた子供が何人かいたんだが、あの人はそれを引き取った。そして自らは民間の水運業者で働き、子供たちには高い教育を受けさせたんだ……おれなんかは、極冠で士官学校に行かされたモンさ」

 やっぱり。このひと、そうとうなエリートじゃないか!

「でも、軍隊には入らなかったの?」

「……性に合わなかったな……っていうより、小さいときから、将来は艦長(オヤジ)を手伝おうって決めてたから……」

 紅砂のなかで襲撃されたときに見せた、艦長とヤンさんのアウンの呼吸のウラには、こんな経緯(いきさつ)があったんだ……って、いま、ヤンさんがコテツさんたちと一緒にいる事情はなんとなくわかったけど、あたしたちがアナスターシャを出てから艦のみんなはどうなったんだろう……?

「あぁ、みんな無事に切り抜けて来たよ。ほとんどのクルーは、ここにいる」

「ホントですか!」

「あのとき、最後に仕掛けてきた相手は少々手強くてね。ほかの連中のように優しくあしらってあげることはできそうになかった。それで仕方がないから、紅砂の中を後退しながら艦を爆破して来たのさ」

「え……!」

「――全滅したふりをしながらね。。その爆炎と、紅砂を目くらましにして、オレたちはどうにか離脱してきたってワケだ。パインバックのお嬢さんから融通してもらった、便利なカモフラージュシートもあったしね……」

「カモフラージュシート……?」

 すると、コテツさんが口を挟んだ。

「ほら、オレたちがおまえらを穴に落とすときに使った、アレだよ……見た目はもちろん、現行のあらゆるレーダー、センサーにも引っかからないようにできてるってシロモノだ。アレをクレバスの裂け目にかぶせて、おまえさんたちを引っかけたんだ」

 それで……スコルピオやルナにもその罠が見抜けなかったのか。

 それにしても……あたしは、少し聞きにくいが、気になったことを思い切ってヤンさんに尋ねてみた。

「あの……」

「ん?」

「その……アナスターシャに人質でつり下げられてたMDMの人たちがいましたよねぇ……? あの人たちは……?」

「あぁ、あいつらはねぇ、最後に艦を後退させる直前に、拘束してあったシートを回収して、その場に放り出してきたよ。追ってきてる側も、少しは救出で手を裂かれるだろうし。彼らだって、優秀なパイロットだったんだ。友軍が間違いなく回収したはずさ」

 それを聞いて、あたしはなんだかほっとした。あまり、恐いことを考えるのは苦手なのだ。

 最後に、あたしは最大の気がかりをヤンさんに聞いた。

「それで、あの……」

「うん?」

「……ゴローは、どうしてます? スコルピオや……ルナは?」

「――身体は、暖まったかい?」

「え? えぇ」

 とてもおいしいスープだった。お世辞ではなく、身体の隅々まで血の巡りが良くなったような気がする。

「それじゃ、ついておいで」

ヤンさんが席を立った。コテツさんは、行けよと目配せをしている。あたしはドアを開けたヤンさんの後をあわてて追った。




 さっき連れてこられた通路を戻る。どうやらまたあたしが寝かされていた部屋の近くまで来たようだ。

 ヤンさんは通路沿いにあるドアのうち、そのひとつをそっと開けた。

「ゴロー君はここだ」

 あたしは、ドアの隙間からその薄暗い部屋の中をのぞき込んだ。

 いくつかの、光を発するモニター付きの機器に囲まれて、ベッドがあるらしいのが見て取れる。よく、目を凝らすとその機器類からベッドの上の人影――ゴローにいくつも線がつながっており、何かの点滴の液体が、一滴(ひとしずく)ひとしずく、時を刻んでいるのが見える。

「ゴロー!」

 あたしが声をかけながら中に入ろうとすると、ヤンさんに制止された。

「しっ……彼は大丈夫。落下のショックと疲労で休んでいるだけだ。もうしばらく、そっとしておけばほとんど回復するはずだよ……」

「あ……」

 あたしは駆け込みたい気持ちを抑えながら、黙ってヤンさんの話を聞いた。

「実は……彼は、ついさっきまで、持ち帰ったシステムの起動調整に追われてたんだ。時間がない、時間がないって言いながらね……」

 え……?

「おれたちは、そうでなくてもふらふらな彼を止めたんだが、どうしても言うことを聞かない。最後には、最終調査地点まで自分で行くと言い出してね……」

 ヤンさんは、言いながらそっとドアを閉めた。

「とうとう、エドワードが代わりに行くってコトで、なんとか彼を説得したんだ。とても、そんな状態じゃなかったからね……可能な限りを引き継いで、エドワードには例のカシオペアで出てもらった。なんとか、自力走行ができるように処置はしておいたから。その直後さ、彼が糸の切れた人形のように倒れ込んだのは……」

 ……ゴロー、どうして? なれない地上の旅、あたしより、絶対疲労がたまっていたはず。

 落下したときのショックだって、あたしのシートよりずっと衝撃は強かったはずなのに……!

「彼、責任感だけで起きてたみたいだね……男の子にはそんなときもある」

 ……なんでそんなにがんばるのよ、バカ! 死にでもしちゃったら、どうするつもりなの? 男って、男の子って……!

「少なくともあと一日は安静にしておくことだ。まだ若いんだから、きっとそれで大丈夫」

 言いながら、ヤンさんは静かにドアを閉めた。

 それから、あたしはヤンさんに促されて再びタラップを上がった。さっきの食堂より上のフロアに行くらしい。

「あれが……」

 昇りきったタラップに続く通路の先を指さしてヤンさんが言った。

「この艦のメインブリッジだ」

 うわ、なにこの狭さ!

 ヤンさんに続いて手動のドアをくぐり、室内に入ったあたしが最初に思ったのは、そんな感想だった。

 いやいや、もちろんコントロール・ルームとしての必要な機能はちゃんと備えてるんだろうけど、こないだまで乗ってたアナスターシャに比べたら……

 そんなことを思っていると、その室内の中央にあるシートがゆっくりこちらを向いた。そこには、もはや懐かしささえおぼえるあの人がゆったりと収まっている。

「……艦長!」

 ヨシフ・ウラジミール・アンドノフ。もう会うことはないかも知れないと思ったその人は、笑みをあたしたちに向けながらこう言った。

「嬢ちゃん、無事だったか……ようこそ、アナスターシャへ」




 ……えーと、たしか、アナスターシャはこないだの戦いで爆破したってさっきヤンさんが……

 明らかに、これは別の艦だしぃ……?

 なんて思っていると、艦長のシートの後ろから見たことのない女の人が姿を現した。

「ずっと、見てたわよ……よく、がんばったわね」

 ……決して若くはないようだが、ゆったりしたドレスをまとい、透きとおるような金色の長髪。面長でまつげの美しいその女性は、あたしのほうを見ながら静かにほほえんでいる。

「は、はい……あの……?」

 親しげに声をかけてくれたその人には悪いのだが、どうもあたしにはその人に心当たりがない……

 ここのところ、いろいろあったからなぁ。もしかしたら、トーキョー・ノース・ゲートでバタバタしてるときにお会いしてる、とかかな……などと考えていると、その人は穏やかな表情のまま、すぅ、っとおぼろになっていき、ほどなく部屋の向こう側に溶け込むように消えてしまった!

「ヤンさん! ……あ、あ、あれ……?」

 もしかして、オ、オバ……?!

「あれっ? ユーカちゃん、もしかして、怖いのとかダメなひと? たとえば……『オバケ』とか……?」

 ひー! や、やめてください! あたし、紅ショウガとオバケだけは、昔から絶対ダメなんですぅ!!!

 艦長は笑みを浮かべたまま、シートをもとのように戻して向こうにむけた。

「そうか、ユーカちゃんは初めて見たんだよな。あれは、ずっと前に亡くなった艦長の奥さんだよ。なんていうか、穏やかなひとだろう?」

 と、あたしの耳元でヤンさん……ひー、ちっとも穏やかじゃないぃー!!

 こわばったあたしの顔を見てヤンさんは笑った。

「ははっ、大丈夫! ……あれはユーレイなんかじゃないよ。ほら、今ユーカちゃんの機体にも乗ってるだろう……?」

「……? もしかして、シートメイト……ですか?」

「そう……ずいぶん前に亡くなった奥さんの記憶と面影を引き継いで、ナナホちゃんがパインバック本社で試験的に作ったものなんだ。それ以来、艦長は気に入って、アレを使い続けてるのさ……そして、彼女の名前が……」

「アナスターシャ……さん?」

「そのとおり。艦長があのシートを積んでいるかぎり、その艦は『アナスターシャ』ってワケだ……こないだの戦いで艦を放棄したときも、あのシートはおれたちがMDMで運び出したのさ。だから今、この艦はさしずめ『アナスターシャⅣ』ってことになるかな」

 そう。そうなんだ。いいお話じゃない。

「きれいな……ひとなんですね」

「うん。小さいころのおれたちにも良くしてくれたモンさ。おれたちには、艦長はオヤジだったが、あの人はおふくろと言うよりは、あこがれの女性って感じだったな。だから、その面影を宿して、名前を冠した艦で働くのは、おれたちにとってうれしいことなんだ」

 あたしたちがそんな話をしていると、ブリッジに外部から通信が入ったらしい。

「アンドノフ艦長!」

「どうした、ヨースケ?」

「東京ドームのシヅカからです。MDMで包囲を抜けられたみたいで……つなぎます」

 艦長席前方の空中に2Dモニターが現れ、パイロットスーツに軍用のMDMで使うようなヘルメットをつけた人物が浮かび上がった。

「ハロー、おとーさん。元気してる?」

 何とも、脳天気な挨拶とともにヘルメットを外したその姿に、あたしは目が点になった!

「えっ? シ、シヅカ……ちゃん?」

 そこに現れたのは、あたしのクラスメート、西北学園高等部一年D組の美少女ランク・ナンバー一! シヅカ・ルイシコフちゃんの姿じゃないか?!

「あー! ユーカちゃん、ひっさしぶりー! 元気してたー? えーと、授業のほうは、あたしとカオリちゃんでノートとかとってるから心配しないでねー! それからヨースケ!」

 なんていうか、彼女は突っ込みどころ満載の言葉をあたしに投げたあと、ブリッジで通信を担当していた、よく見るとあたしと年頃のあまり違わなそうな少年(?)に声をかけた。

「そこに、あたしのクラスメートのユーカちゃんが来てるけど、彼女けっこう可愛いから、手ぇ出したりしたらぶっ殺すかんね!」

 モニターの向こうのシヅカは、指でピストルの形を作るとヨースケと呼ばれた彼にピタリと向ける。

「わ、わかってんよぅ」

 と、言う彼に向かって、バキュンと一発撃ち放った。

 な、なんだ? このヒトたちはどーいう人間関係なんだ? あたしのトーゼンの疑問を置き去りにするようにしてシヅカは続けた。

「えーと、あんまりムダ話して、包囲側に感づかれてもなんだから、手短に。あたしはいま、東京から二百キロ地点、だいたいおとーさんたちの位置とドームの、中間を越えたあたりまで来てるわ。包囲はなかなか緊密だけど、部隊は各地からの寄せ集めらしいから、うまくカモフラージュを使って進めば抜けられないこともないみたい。とにかく、あたしが集めたデータ、送っとくわね。包囲さえ突破したら、こっちはいつでも入港の手はずはできてるわよ。あたしはここからまた街に戻って、連絡がついたことをノエさんに伝えとくから。以上だけど、なんかある?」

 いっきにまくし立てたシヅカに向かって、艦長が一言。

「シヅカ……スイカが食いたい」

「オッケー! おとうさま。いつもの、冷え冷えにして用意しときまさぁー! それじゃ、ヤンさんも、みなさんも、ごきげんよう! あと、ヨースケ、わかってんなぁ?!」

 それだけ言うと、彼女は投げキッスを残して消えていった。ヨースケ……君は、苦笑しながらモニターのほうに手を一振りしている。

 ほえー、教室ではいつもにこにこして座っている彼女だけど、こ、こんなにおしゃべりだったなんて……?

「彼女は、艦長の実の娘なんだ……」

 ぽけっとしているあたしにヤンさんが声をかけた。

「東京の、パインバック家の学校に預けられて勉強してるって聞いてたけど、ユーカちゃんと同級生だったんだなぁ」

 ……さらに、艦長と苗字が違うのは、様々な事情から奥さんの姓を名乗っていること、また、艦の通信員のヨースケ君とは、彼が難民として十年近く前に艦長に引き取られてから、姉弟同然に育った幼なじみだということも教えてくれた。

「ヨースケ、総員にいつでも出られるように発令しとけ」

「アイ・サー、艦長。それから、もう一つ……」

 彼の声に艦長が答える。

「なんだ」

「エドワードさんから報告。『われ、調査続行中なるも、機器の状態、依然思わしからず。願わくは現地にて応援請いたし』……とのことです」

「そうか……」

 あたしはヤンさんに聞いてみた。

「あの、なんか大変なことになってるんですか?」

「……あぁ、例のカシオペアっていうキャリアーと、その中に積んでいたシステムがね……オリンポスに落下したときのと、こないだ罠にかかったときの衝撃で、どうしてもコンディションが整わない。重要なミッションなんだが、もう一仕事しないと始末がつかないかも知れないな」

 ヤンさんの横顔は、状況が相当深刻なことを物語っている。

「艦長!」

「なんだ、ヤン」

「早急に改善に動くべき状況だと認めます。アナスターシャ、出ましょう」

「……うむ」

 その一言に、ブリッジの全員がうなずいて、ヨースケ君がマイクをとった。

「アナスターシャ、急速発進します。各部、最終点検報告! チェック完了次第、動力炉始動!」

 皆があわただしく動き出す中で、ヤンさんはあたしに言う。

「ユーカちゃん、エドワードのいるポイントまで、現地点からだと二,三時間はかかる。それまで、さっきの部屋で待機しててくれるか? ……ここから、戻りかたはもうわかるよな」

「うん、でもヤンさん……」

「……そうか……! いや、うん、ユーカちゃん、ゴローの、ゴロー君のそばに居てくれるか? しばらく、様子を見ていてもらえるか……?」

「ありがとう、ヤンさん……そうさせてもらえますか」

 あたしは、ヤンさんの目を見て一礼すると、もと来たタラップの方に駆け戻っていった。




 艦の揺れが激しくなってきた。いよいよ険しい地形が錯綜した地帯に入ってきたようだ。

 あたしがゴローのそばについてから、一時間ほどがたった。

 今は静かな寝息を立てているゴローだが、ときおり、何か夢を見ているのか、歯を食いしばるような表情を浮かべることがある。

 あたしにできることは、ときおり額に浮かんでいる汗をぬぐってあげることくらい。見るともなしに窓の外に目がいくこともある。

 クレーターやクレバスだらけの殺伐とした風景だが、不思議に見覚えがあるような気もする。

 珍しくもないはずのその眺めに気をとられていると、不意に艦内電話のコール音が鳴った。いまは、あたしのほかにはとる人もいないはずだから、とりあえず、そのクラッシックな受話器をラックから外して耳に当てる。

「……はい?」

「――ユーカちゃん? ゴローの様子はどうだい?」

 回線の向こうから、ヤンさんが聞いてきた。あたしは手短に、この一時間の容態を伝える。

「あぁ、まぁ大丈夫そうだな。じゃあ、いまのうちにちょっと格納庫の方に降りてきてくれないか? スコルピオのメンテナンスがいま終わるところでね……それに、こいつのAIがきみを呼んでるんだ……」

 え、スコルピオが? あたしを呼んでる? そんなの、滅多にないことなんだけど……

「わかりました。すぐ行きます。えーと……」

「その部屋を出て、さっきのタラップを二フロア、下に降りてきてくれればいい」

「はい」

 あたしは受話器を置いて、ゴローのほうに振り返る。様子は安定しているようだ。

「よし……」

 誰に言うでもなく、あたしはそう漏らすと扉を開け、タラップに向かった。

 ヤンさんに言われたとおり二フロア降りると、そこはMDMが二,三機入れば一杯になりそうな狭い格納庫になっていた。そこでヤンさんはほかの誰かと一緒にスコルピオの各部チェックをしている。一人はコテツさんだな……もう一人、コテツさんの脇でいろいろ言われながら汗をかいてる、身体のデカいひとは……? どこかで見たような気もするが……

「よう、ユーカちゃん。だいたいスコルピオのメンテはやっといたよ。こないだは長旅だったし、最後にはこいつらがなぁ……」

 ヤンさん曰く、あたしたちを落とし穴にかけたのはこのヒトたち、ということらしい。

「一応、紹介しとくわ……っと言っても、コテツのほうはわかってるわな。その横にいる、デカい男が……」

「自分、タクミ・ディブ・ラムラータと申します。こないだはどうも、すいませんでした」

 のっそりと、その年のよくわからない感じの、口ひげの生えた人が挨拶をした。横からコテツさんが

「おう、ねぇちゃん、こないだはこいつの早とちりのせいで悪かったな。まぁ、こいつも悪気はねぇんだけどよ、やることがそそっかしくてなぁ。まぁ、オレに免じて一丁許してやってくれや」

 すると、ディブと名乗ったその人が

「えぇ? コテツさん! ……お言葉ではありますが、最終最後にあなたがやれって言ったからやったんじゃありませんか」

「うるっせぇなあ! そもそもおめぇが機種やなんかをきちんと特定しときゃあ、嬢ちゃんたちをあんな目に合わせなくてもすんだんだろうがよ!」

「そんなことを言われてましても……」

「だまれ! このデブ!」

「ディブです!」

 なんだか、にぎやかな二人だなぁ。あたしが少しあきれ気味に見ていると、ヤンさんが

「ま、こいつらはいつもこんな調子だ。気にすんな」

「え、えぇ。それより、ヤンさん……」

「ん?」

「あの、男の人……あたしと同じ、すごい珍しい苗字なんですけど……」

「あぁ、そうだね。 ……実は、おれも前からそうは思ってたんだ。けど、まぁ、ユーカちゃんとあいつが会うことになるなんて思ってなかったから、口には出さなかったけどね」

 あたしと同じ姓のひとなんて、初めて見た。オヤジは『ウチに親戚なんかいない』って言ってたから、あのひとも、あたしとそういう関係じゃあないんだろうけど……

「あいつはブラジル系コロニーの出身でね、あいつが子供のときに、どういう事情かオヤジさんとコロニーをおん出て来ちまって、いまはコテツたちにくっついてこのへんをウロウロしてんのさ。ユーカちゃんも、もしかしたらそっちのほうのひととなんか縁でもあるのかねぇ」

 ヤンさんはそういったが、あたしはまったく心当たりがない。ともかく、あたしもその人に名乗っておくことにした。

「どうも……ユーカです。ユーカ・ラムラータ。よろしく」

「へぇ? ぼくと同じ名前ですか。故郷のリオデジャネイロ・ドームにはちょいちょいあった名だそうですが、このへんじゃ珍しいですねぇ!」

「え、えぇ」

「……うちの親父が言ってたんですが、昔、この辺に流れてきて間もないころ知り合ったひとと酔って意気投合したあげく、よし、おれも明日からそう名乗っていいか?! なんて聞かれたコトがあったらしいですが……」

「え……?」

「まぁ、昔のことだし、うちの親父も大ボラふきで有名でしたからねぇ。もう、死んで五年にもなりますし、単に適当な自慢話をでっちあげただけかもしれません。まぁ、気にせんでください、ははは!」

 その人は豪快に笑うと、それじゃ、とコテツさんと格納庫をあとにした。まぁ、名前なんてただの偶然かも知れないけれど、どうも気になる……

「ユーカちゃん、お待たせ。あいつらにも手伝ってもらったんだが、急ぎでやったからとても完璧とは言えないけどな……」

 二人の行くほうに気をとられていたあたしにヤンさんが声をかけた。あたしはハッとなってスコルピオのほうに振り返る。

 ……いえいえ、ヤンさん、『完璧じゃない』なんてとんでもない!

 こうして、スタンディング・モードのスコルピオを外から見るだけでも、外装の傷の手当てから、細部にわたるゆがみの修整まで徹底したプロの仕事が施されているのがわかりますよ!

「うーん、なんていうか、おれ、急ぎでやっちゃうと、元のユーカちゃんがカスタマイズしたようにはなかなか戻んないんだよねぇ。ちょっと、使いづらくなっていたらごめんね」

 その言葉にすこしもイヤミな響きはなかった。ヤンさんは本当にそう思っているのだろう。

 ……いやー、ヤンさん、カスタマイズだなんて……! ただ単に、いつもはあたしの我流でメンテナンスしてるから、変なクセがついてるだけですって!

 じゃあ、おれはブリッジに上がるから、とヤンさんはタラップに向かう。

 新品同様にメンテナンスされたスコルピオに少し見とれていると、機体の中から誰かがあたしを呼んだ。

「ユーカさまぁ! お体のほうは大丈夫でしたかぁ?!」

「ルナ!」

 開放されたハッチの中からフリフリドレスの妖精がこっちに向かって手を振っている。

 あたしは機体を駆け上がった。

「あんたたちこそ、大丈夫だった?」

「あ、はい。 ――あたしはシートと一体なので、ユーカさまを守ると同時にショックから防がれますから。 ……ま、スコルピオさんのほうは『ひどい脳震盪(のうしんとう)だった』なんておっしゃってますけど……」

 コクピットに身体をすべり込ませながら、あたしはもう一方のAIにも声をかける。

「スコルピオ、あんたのほうは?」

「……あぁ、たいした心配はない。大丈夫だ、ユーカ」

「ごめんね! あんな罠に気づいてあげられなくて」

「いや、本来そういうのはおれたちの役目だ。詫びを言わなきゃならんのは、こっちのほうだ」

「それにぃ、あのコテツさんって方、とっても器用に電子診断してくださいましたから、スコルピオさんの損傷も手早く修正してくださったんですよぉ」

 ……へぇ! 人は見かけによらないものだなあ。あたしは外見や態度だけでひとを判断していたことを少し恥じた。

「……それより、ユーカ」

「あ、そうだよね、スコルピオ。なんか、あんたが呼んでるってヤンさんに言われてきたんだけど……」

「あぁ。すこし、気になることがあってな。おまえ、この辺の地形に何か、覚えはないか?」

 コクピット内部のモニターに、艦の外部カメラから転送されたものだろう、赤錆びた大地のところどころにクレバスの黒い裂け目がのぞく、荒涼とした風景が映し出された。

 あたしがさっき、ゴローの部屋から見ていたのと同じものだ。

「うん……なんていうか、どこにでもあるような風景ではあるよね……けどなんか、引っかかるような気もしてはいたんだけども……」

 シートに深く身を沈めながらあたしは答えた。

「そうか……もうじき、この艦は目的地に着くらしい。そのとき、すこし外に出てみないか? ……おれも、フル・メンテナンスの感覚を試しておきたいしな……」

 本当にめずらしいな。スコルピオのほうからこんなに積極的なアクション・プランを出してくるなんて。こんなの、あたしがおぼえているかぎり、あの時だけ…… 

 そこまで考えて、あたしは『ある出来事』に思い当たった。もしかしたら……

「わかった。機体チェックをさせてほしいってヤンさんには言ってくる。あと、部屋に戻って装備品を持ってくるから」

「あぁ。ムリを言ってすまないな」

 機械らしくもない礼を言うスコルピオに手を振りながら、あたしはコクピットから飛び降りてタラップに向かった。

 最初にあたしが寝かされていた部屋に、ヘルメットやグローブなど、身の回りの品は置いてあった。そうしたものを回収しがてら、備え付けの受話器でヤンさんに連絡を試みる。

 どうやら、ひとまずは無条件にブリッジにつながるらしく、通話を受けてくれたヨースケ君がヤンさんにつないでくれた。

「……わかった。スコルピオがな……あと、二十分少々で現場に到着だ。そうしたら出てくれてかまわないぞ」

「ありがとう、ヤンさん」

「それから、そっちのフロアにいるんなら、ゴロー君の様子も少し見といてやってくれ」

「はい、わかりました」

 あたしは受話器を置くと、回収した品を持ってゴローの部屋に向かった。

 そっと戸を開ける。暗い室内にモニター機器類の低い動作音が聞こえる以外は相変わらず静かだ。

 足音を潜めてゴローに近づき、顔をのぞき込んであたしは、声にならない悲鳴を上げた!

 こ、こいつ、目を見開いて、無言であたしを見返してやがる!

「――!! な、なに、あんた、お、起きてたの?!」

 できるだけ、声を押し殺して言うあたしにゴローは

「……どのくらい、経った?」

「え?」

「おれが……眠ってから、どのくらい経った?」

「そ、そうね? あたしもよくわかんないけど、ヤンさんの話からすると、たぶん半日くらいじゃないかしら」

「……いま、艦は動いてるよね……どこに向かってるんだ……?」

「そんなことより、あんた寝てなきゃ!」

「どこに、向かってる?!」

 ……カオリと言い、こいつと言い、どうしてあたしの周りには妙に意固地なヤツばっか集まるんだろう? はぁ、ヤダヤダ!

「いま、この艦はエドワードさんのところに向かってるよ。 ……あんたがカシオペアで行こうとしたところだよ。もうすぐ到着するところだ。だから、安心してもう一眠りしておきな。 ……あたしもスコルピオで出るから、直接エドワードさんの様子も見てくるよ」

 それだけ聞くと、ゴローは意外におとなしく目を閉じた。

 あたしは少し安心し、部屋の扉をあとにして格納庫フロアに向かう。




「――システム・チェック。〇二四から〇八八までオールグリーン。屋外運行、支障なし。気密もチェック。こっちも大丈夫ね。シールドしてあるって、気温に気を遣わなくていいから楽ね」

「ですぅ。お外の温度はただいまマイナス一四・七度。並の機体なら操縦者に相当の防寒装備を強いられますから、今日のご主人様はマンモス☆ラッキーですね」

 あたしは機体の準備をおおよそ済ませ、シートにもたれて目を閉じた。

 ……スコルピオは動作テストをしたいから、外に出ようと言う。しかし、あの口ぶりからそれだけが目的じゃないのは明白だ。

 確かにあたしは、このマシンとは長いつきあいだし、信頼関係も絶対だ。けど、こないだのコース変更のことと言い、このところ、考えてることをなかなか言い出さないことが多いんじゃないか?

 あたしのことを考えて、あえてそうしてくれてるんだとしても、なんて言うか、少々隠し事があるとかさぁ、それってAIとしてどーなのよ?

 あたしがシステムチェックしているあいだも、ほとんど最低限の応答しかしていないし……

 まぁ、いいわ。そんな風にしているときは、動いてみればすぐにわかる。外に出て、すこしすれば、きっといつものスコルピオに戻って……

 あたしがそんなことを考えていると、ロックしていたはずのキャノピーが急に開いて、格納庫の油混じりのにおいが急に入ってきた。

「うぉ?!」

 あたしが少しうろたえていると、小柄な人影がぬっとあたしのほうに顔を突き出してきた。

「おれも行くから……」

「え?」

 作業燈を背にしてシルエット気味のその顔をよく見ると

「ゴ、ゴロー?」

 カオリの餞別のパイロットスーツに身を包み、少し息の荒いその人影は、さっきまでベッドで寝込んでいたゴローじゃないか。

「……おれも、行くから……!」

 軽く肩を上下させているその顔は上気していて、どうやら声も少しうわずっている。

「な、なんで来ちゃったの? だめだよ、寝てなきゃ!」

 ルナもそっと寄ってきてあたしに耳打ちした。

「……ユーカさま。ゴローさまの呼吸に乱れがあります。呼気の諸数値からもバイタルの低下は明らかで、これはちょっと、感心できませんわ……」

 言われるまでもなく、あたしはゴローの肩に手を置いて制止した。

「どうして無理しようとするの?! みんなあんたのこと心配してるんだよ! お願いだから、もどって休んでいて。もう少しでいいんだから!」

 しかし、ゴローは静かに息を整えながら、決して戻ろうとはしない。コクピットのタイマーは、艦がじきに目的地に到着することを告げている。

「ねぇ、お願いだから……」

 あたしが、しびれを切らして声を荒げようとしたそのとき。

「乗せてやれ……」

 それまで、ずっと黙り込んでいたスコルピオが一言、発した。

「でも、スコルピオ……」

「その様子じゃ、おとなしく部屋に戻るつもりはないだろう。変に思い詰めて、ほかのMDMを勝手に使いでもしたらより面倒なことになる。ここは、ユーカと一緒に行動しておいたほうが、まだ安心というもんじゃないか?」

 ……う、確かに。思えばオリンポス行きの話をノエさんたちとしたときも、初めのうちはなんの当てもなく一人でやみくもに行こうとしてたしな。

 そう考えると、ここで目を離すほうがよっぽど心配になってきた……。

「……仕方ないわね……なるたけ、おとなしくしてるって約束してくれるなら……」

「わかった……」

 言いながらゴローは後部の補助シートに乗り込んだ。あー、なんかこいつの『わかった』は信用ならねぇ気がするんですけど……。

「ちょっと、ブリッジに出動報告するんだから、アタマ下げててくんない? そのままじゃモニターに写り込んじゃうからさ」

 背後でゴソリと動く気配がしたのを機に、あたしは艦内無線のチャンネルを入れた。

「ブリッジ、こちらMDMスコルピオ、ユーカ・ラムラータです。出動許可あり。アナスターシャ停止次第、ハッチ開放願います」

「こちらブリッジ。スコルピオ了解。本艦まもなく停止しますので、ハッチ開放次第出てください。艦外気温マイナス一四・四度、風速は南南東の風四メートル。まずまずのコンディションだね。 ……それじゃ、ユーカちゃん、気をつけて」

 モニターの向こうでは通信員のヨースケ君があたしに向かってウインクしている。あー、さっきシヅカになんか釘を刺されてたのに、あんまり懲りないタイプなんだ?

 通話を終えてしばらく待つと、やがて艦の揺れがおさまった。 

 おもむろにあたしたちの前の壁面が上に開いていく。赤い大地が前方に広がる。

「MDMスコルピオ、ユーカ・ラムラータ、出ます!」

 ひと言、ブリッジに告げると、割と地面までの落差がある格納庫の床面から一気に機体をジャンプさせて、あたしたちはアナスターシャ(Ⅳ)から飛び出した。

 機体が空中にあるうちに、人型のスタンディングモードから走行形態のビークルモードにフォームチェンジ。着地と同時に砂煙を上げて走り出した。

「なかなか、調子いいじゃない! 変形のキレがいいわ!」

「オレ単独では、こうはいかん。やはり、おまえのリードがないとな、ユーカ」

 あたしたちは、広い平坦な地形を見つけだし、スピードをあげていった。

 七十キロ……九十キロ……百三十キロ!

 周りの景色は流れるように後ろに消えていき、前方にあった小さな丘がぐんぐん目の前に迫ってくる。

「スコルピオ、あそこへ……」

「わかった、このままフルブーストだな」

 丘の手前にあった急な坂を利用して機体はジャンプ。と、同時にビークルモードからスタンディングモードへ再変形。着地と同時に反動を利用して大きく飛び上がり、そのピークでさらに各ブースターを全開にして一気に丘の上まで上昇し、そのてっぺんに降り立った。

「さすが、完璧な仕上がりだね」

「あぁ、いつも整備してくれるおまえには悪いようだが、オレもいま、プロの仕事というものを実感しているところだ」

 あたしはそこでハッと後席のことを思い出した。

「ゴロー! ……大丈夫だった?」

「……あぁ、派手なアクションの割に、揺れなんかは全然少なかった。さすがだよ、トップドライバー」

「――優れた操縦者は、どんなに激しく機体を動かそうとも、コクピットに置かれた満々と水をたたえたコップから一滴たりともこぼすことはないとか申しますがユーカさまはさすが……」

「なにそれ、意味わかんないし」

「はう!」

 訳のわからない例え話をし出した電波妖精は一刀両断に切って捨てる。

「……でも、水は大切だしねぇ」

「そ、そうですよねぇ! ユーカさまぁ!」

 ……涙目なんかになりやがったから、ちょっとフォロー。

 この辺にはほかに目立った高地はなく、周囲をよく見通せる。あたしたちが来た方を振り返ると、アナスターシャ(Ⅳ)の小柄な艦影が認められる。画像をクローズアップしてよく見ると、数台のMDMが艦から出て、ひとつの方向に向かって動き始めている。

 あたしたちが来たのとはおよそ反対の側にある、深い峡谷の底に向かって降りていくようだ。おそらくその先に、エドワードさんとカシオペアがいるのだろう。

「スコルピオ、あたしたちもあっちに……」

「あ、あぁ。そうだな」

 スタンディングモードのまま斜面をすべり降り、平地に着いたところでビークルにチェンジして、あたしたちはもと来たほうへ戻り始めた。

 少ししてスコルピオが話しかけてきた。

「なぁ、ユーカ」

「? なに?」

「実は、少し廻りたいところがあるんだが……」

 きた。ヤンさんの言っていた、スコルピオが呼んでいる用件……。おそらく、機体チェックは必要とは言え口実でしかなく、本命の件はこれからなんだろう。

「いいよ……どこへ?」

 なに食わない顔であたしは返事をした。

「うむ……ゴローも一刻も早くカシオペアのところへ行きたいのだろうが……」

「いや、スコルピオがそうまで言うなら、そこへ行こう。なにか、大事な用件なんだろう?」

「あぁ。それじゃあ……」

「あたしも全然かまわないですぅ、キュン!」

「いや、おまえにだけは聞いていない」

 がっくりうなだれた妖精を横目に、あたしは現在の行程マップに目を落とす。いま、あたしたちは、アナスターシャのMDMが降りていった渓谷の、むかって右側の断崖の上を進んでいる。

 ……やはり、これは……

「スコルピオ……」

「もうすぐだ。あと五分ほどで着く」

 それからしばらくは、みな黙ってスコルピオのオートパイロットに任せた。

 ゴローは周辺マップに目を通し、ルナは所在なさそうに飛び回ったり、あちらのモニターに飛び込んではこちらのモニターから飛び出すといった宴会芸のようなことを繰り返したりしている。

 やがて、足場はどんどん悪くなっていき、ビークルモードではたち行かなくなると、スコルピオは自発的にスタンディングモードに変形して、慎重に足取りを運んでいった。

「着いたぞ」

 そこは、深い峡谷の裂け目をのぞく断崖の上だった。

 あぁ、あたしは知っている。さっき丘の上から望んでいたときに、ここがどこだかわかっていた。

「ユーカ……外に出てみるか……」

 あたしは小さくうなずいて、ヘルメットをかぶるとキャノピーを素早く開閉して機体を降りた。断崖のほうへ数歩近づき、その裂け目をのぞき込む。

「ユーカ、ここは……」

 無線ではない、ヘルメット越しに発した肉声が、火星の頼りない空気を伝わってあたしの後ろからかけられたのがわかる。

 振り返ると、あたしと同じくメットをかぶったゴローがそこに立っていた。

「ここは、ここはね、ゴロー……」

 あたしは少し声をとぎらせた。

「……ここは……あたしの父さんが、行方不明になったところなの」

「そうか……」

 それからしばらく、あたしたちは黙り込んだままじっとしていた。

 もう、だいぶ陽は傾き、ただでさえ薄赤いこの惑星(ほし)の大気を深いふかい(くれない)に染めようとしている。

 あたしたちのほかには誰もいない。ただ、谷を渡る弱々しい風の音がかすかに聞こえるだけ。

 きれいだな……。

 こんなところに来たというのに、地平にせまる夕陽を見ながら、あたしはそんなことを思ってしまった。もっとほかに、考えるべきこともあるだろうに……。

 しんみりとした沈黙を破ってスコルピオがあたしに話しかけた。

「……ユーカ、ここに来てもらったのは感傷に浸るためだけじゃないんだ。ここはあのとき、MDMの残骸が見つかった断崖の淵だが……実は、この裂け目の三〇〇メートル下で、いまカシオペアが作業をしている。オリンポスを出てからゴローが目指していた地点も、やはりここだったんだ。アナスターシャがこの付近まで来ていたのも、だから決して偶然ではない……いったい、この意味はなんだ?」

 不意を突くようなスコルピオの言葉。あたしは一瞬なにを言われたのかがよくわからなくなり、なんだか目眩(めまい)を起こしそうになる。

 もう慣れた、あたしの予想もしないところで何かが起こることには慣れてきた、と思っていたのに……。よりによって、こんなところで……。

「ユーカ、カシオペアのところへ行こう」

「……ゴロー……」

「そこで、すべてを話す」

 あたりは少しずつ夕闇に包まれてきた。

 沈んでしまった太陽と入れ替えに同じ西の地平から、かすかな輪郭を浮かび上がらせたフォボスが昇ってくる。

 キラリと陽を反射するクモの糸を従えた、この惑星(ほし)の小さな月を見ながら最後にゴローは小声でつぶやいた。

「オレは、あれを……」




「はぁ? 冷え冷えのスイカ用意しろぉ? おめぇ、なに言ってんだぁ?!」

 東京ドーム最大の流通市場トーキョー・ノース・ゲート。

 しかし、外部との交通が遮断されたいまや、ここもふだんの活気は失われ、多くのマーケットは開店休業状態に追い込まれている。

 このゲートの一角にあるパインバック家のプライベートドッグの中に、カオリ・パインバックの困惑した声が響いた。

 向かいに立っているのはシヅカ・ルイシコフ――カオリやユーカと同じく西北学園一年D組に籍を置く、色白の美少女だ。

 その透けるような肌の上にはやや疲労の色がにじんでいたが、彼女はあくまでにこやかな表情を崩さずにカオリの話を聞いている。

「……あのなぁシヅカ、こんな言い方はしたくないんだけどよぉ、この非常時給水制限下にあたしらパインバックの者でさえ一日五百ミリリットルの赤水で我慢してるんだぜぇ? 強行偵察に出てくれたのはホントにありがたいと思ってるけど、そんなスイカなんて贅沢品、簡単に出せるわけ……」

「おとうさまが食べたがっているの」

「え……?」

「おとうさまが、食べたがっているの。あたしじゃないわ」

「つまり……」

 そこへ、カオリの携帯を介してノエが割って入った。

「……アナスターシャが、帰ってくるのね……?」

「はい、ノエさま」

 2D画像のノエが見上げる先には、シヅカの乗機、小型のMDMフレイヤが満身創痍の姿で佇んでいる。

「シヅカさん、がんばってくれたのね。フレイヤは今夜中にもナナホにチェックしてもらうから。あなたはご苦労だけど、このあと家に来ていただけないかしら。報告を聞きながら、ゆっくりお水でも飲みましょう」

「ありがとうございます。それで、ノエさま……?」

「スイカはどうにか、手配しておくわ。えーっと、品種は……?」

「やっぱし、『祭りばやし』でお願いしまっす!」

「艦長の好みって、いっつもど真ん中ね。わかりました、なんとかなるといいのだけれど」

 にこりと笑みを残して、ノエの画像はカオリの携帯上の中空から消えた。

 カオリはやれやれという顔をすると、シヅカの肩をだいて唇を耳元に近づけた。

「悪かったな、無理してもらって。ねえちゃんのとこにはこんなときのために、とっておきのボトルが何本かあるんだ。疲れてんだから、うまい白水を飲ましてもらってゆっくり休んでくれよ」

 口許を緩ませたシヅカに、カオリは付け加えた。

「……いや、黒水、かな?」




 一旦、アナスターシャの停泊地側に戻ったあたしたちは、あらためて峡谷の下り口となっている断崖の裂け目に機体を進入させた。

 間口はそれほど狭くなく、ウォータンカーなどの大型の機器には難しいかもしれないが、通常のMDMならば楽に通れる幅がある。

 どこまでも下に傾斜していくそのルートはそれほど険しいものではなく、むしろビークルモードでの走行は少々自制気味でなければ速度が出すぎてしまいそう。

 まるで、あらかじめ切り開かれた通路のような……。

 とうに陽は落ちて、ただでさえ光の射さない峡谷は鼻をつままれてもわからないような闇の中。ただ、スコルピオのライトが、あたしたちの行き先をほんの少し、切り取ったように照らし出しているだけ。

 あたしたちは無言で、この奈落の底がいつ現れるのかを待っていた。モニターの表示によれば、カシオペアの位置はもうじきのはずだ。

 やがて、遙か下り前方にいくつかの光点が見えてきた。近づくにつれて、それが作業灯であるのがわかってくる。

 カシオペアを中心に、何機かのMDMが停まっている。あたしたちもその輪の中で機を停止させた。

 どうやらカシオペアからおろされたらしい機材に何人かが集まっている。平たくつぶれたような、円筒形の黒い機材。直径五メートルほどのそれに、あたしとゴローもコクピットから飛び降りて歩み寄る。

「よう、来たな」

 ヤンさんと、傍らにいたエドワードさんが振り返った。あたしの後ろからゴローが現れるとふたりの目がくもる。

「ゴロー、おまえ……」

「……オレは大丈夫……。サーペント、どこまでできてます?」

 しばらくゴローを見つめていたヤンさんの目から、ふと険しさがとれた。

「ここが、おまえさんの無理のしどころってわけか……。いいだろ、つきあうよ。来てくれ、さっきからいろいろデッドロックに乗り上げちまってな……」

 あたしたちは一緒にヤンさんやエドワードさんの輪の中に入った。そのあとはゴローも交えてあわただしく機材のチェックやデータの洗い出しなんかが始まった。

 いつしかあたしにできることは限られてきてしまい、忙しそうな彼らをはた目に手持ちぶさたになってしまう。そもそも、彼らがここでなにをやろうとしているのか、わかってない。

 申し訳ない気持ちもあって、彼らの中から少し下がり、両側に切り立った断崖の上にわずかにのぞく夜空を見るともなく見上げてみたりする。

 ちょうど崖のはじのほうから、フォボスとそこからぶら下がったクモの糸が姿をのぞかせ始めたていた。じきに、ここの真上を通過していくようだ。

 少ししてあたしがふと気がつくと、ゴローを始め、ヤンさんもエドワードさんも作業の手を止め、いまのあたしと同じように上を見上げている。その他のみんなも同様だ。

 ど、どうしたの? あそこからやってきたゴローはいろいろ思うことはあるだろうけど、みんなは見慣れてるモンでしょう? ……今日はあの月がどこかおかしい? それともみんな、何か他のものを見ているの?

 もう一度上を見上げたあたしの目に入るのは、崖の隙間にのぞくいつもと変わりばえのしない、小さな衛星と降下エレベーターの姿だけだ。

 やがて、小さな沈黙をゴローが破った。

「……ダメだ、反応なし……」

 その肩をヤンさんが軽くたたいた。

「手は尽くしたんだが……やはり破損が大きいな。誘導システムは復旧できたようだが、起動コマンドを送信できないようだね……」

「時間がない……あれがあと、二,三周するうちにどうにかしないと、手遅れになる……」

 フォボスを見上げたまま、そう言うゴローにあたしは思い切って尋ねてみた。

「ねぇ……ゴロー。それ、どういうこと? あなたは一体ここで何をしようとしているの……?」

 その小さく不格好な月は、火星の大気を通してやや赤みを帯びて光っている。銀のしっぽをたらして夜空を飛ぶそれは、なぜだかいま、ゴローの真上にピタリと停まっているように感じた。

 サーペントと呼ばれるシステムを背にしたゴローは、まずゆっくりと上を指さし、そしてその指を次に地に向けながら言った。

「……オレは、あれをここに落とすために来たんだ。サーペント、これはそのための機材だ。そしてフォボスにはワイバーンという受信対応機がある。あわせてシステム・ドラグーンと呼ばれる総合誘導装置だ」

 ……え、え、あれってなに? あんたなに指さしてたっけ?

「……?! あんたが落とそうとしてる『アレ』って……あれのこと?」

 あたしは恐る恐るゴローの上にあるフォボスを指さした。

「そう、あれだ。 ……本来、無事カシオペアでここに着ければ、オレ一人でもサーペントを設置して、こちら側のコントロールでとっくにあれを地上に落とせていたはずなんだ。 ……それが、オレの不手際ですべてが上手くいかなくなってしまった。そのせいで、君たちの街が大変なことになるとしたら、それはオレの責任だ。救えるはずのものが、救えなくなるんだから……」

 ……ゴ、ゴロー、こいつは……。そんなことを考えていたのか?! フォボスを地上に落とす? そんなことしたら、どんな大惨事が起こることか……!

 やはり、やはりこいつは宇宙人だったんだ。少しでも気持ちが通じてるとか思ってたあたしが馬鹿だったのかも知れない!

「じょ、冗談じゃないわ。あんた、そんなことしたら、核爆弾何百発分のエネルギーが発生すると思ってるのよ? そりゃ、核じゃないから放射能は発生しないだろうけど、衝撃でこちらがわ半球の都市はほとんど壊滅しちゃうわよ? 熱と巻き上がったホコリで気候もメチャクチャになっちゃうわ。せっかく定着しかけてた植物もパァ。しばらくは寒冷化して、これまで努力してきたテラフォーミングは全部無駄になっちゃうじゃない。フォボスを……フォボスを落とすだなんて、そんな恐ろしいことしに来たんだったら、あ、あのとき、助けるんじゃなかったわ!」

 こんな……こんなコトさせちゃ、ダメだ。真っ白になりそうなアタマの中身をふりしぼって、いま、あたしになにができるか必死で考えた。

 ゴローやヤンさんたちがあたしに向かって何か言っているが、もうよく聞き取れない。

 ……そうだ、あの装置……。あの、サーペントとかいうシステムであいつはフォボスを落とそうとしているのか? だったら……

「そんな機械、あたしがぶっ壊してやる!」

 あたしはくるりと身体の向きを変えると、二〇メートルほど離れたところに駐機したスコルピオに走り出した。誰かが後ろから追ってくる気配がする。ダメだ、あんなこと、やめさせなくちゃ!

 もう数歩でタラップに手が届くその直前で、しかしあたしの腕は後ろから強い力で掴まれた。もがきながら振り向くと、ヤンさんが見たことない険しい顔を向けている。痩せぎすの体のどこにそんな力が……。あぁ、このひと、軍隊の学校に行ってたんだっけ……

「離して! あんなこと止めなきゃ! ほっといたら大勢死んじゃうかも知れないんだよ?!」

 ヤンさんは表情を崩さず、その力を緩めることもしない。

「ユーカちゃん、あいつはユーカちゃんの思ってるようなことをしようとしてるんじゃない! あいつの話を聞いてやってくれ!」

 そこへ、あいつが、ゴローが、思い詰めた表情で近寄ってきた。

「いや、来ないで! あたしをスコルピオに乗せて! ヤンさん離して! やめさせなきゃ!」

「ユーカ……。話を、話を聞いてくれ、オ、オレは……」

「いや、いや、いやーーー!!」

 空気の薄い峡谷の中、ヘルメット越しのくぐもった声だろうが、あたしの悲鳴は谷中に鳴り渡ったように感じた。




「……鬱陶しいニュースばかりだねぇ」

 座乗艦フォルテッシモの執務室で、ユニオン特別査察官ジッシャーはモニターに向かってあくびをかみ殺した。スクリーン上にはドーム都市東京市から傍受した一般ニュースが画像をともなっていくつか平行表示されている。大きな見出しもいくつか。

『給水制限・本日より乳幼児、老病者をのぞき一人あたり一日一五〇ccへ』

『市の飲用水ストック、あと一週間保たずか?』

『ウォーターレンズより緊急給水? レンズ効果減少によりドーム内気象に重大な影響の恐れ』

 などなど、市の危機的状況を伝える見出しが次々に流れては消えていく。

「待ってるこっちまで憂鬱になってしまうよ」

 一見、ブランデーのボトルにも見える水差しの、ガラスのキャップをきゅっと捻りあげ、傍らのグラスになみなみと注ぐ。

 においも、(にご)りもないその透明な液体を一息に飲み干すと、軽くため息をつき、デスクを離れて戸棚から新たにグラスを二つ、取り出した。

「君たちも、疲れてるだろう。状況の監視や管理って言うのは、ときに退屈だが、あれはあれで神経を使う仕事だ。……極冠の大氷塊の芯から抽出した、とっておきの水だよ。たまには、こんな贅沢もした方がいい」

 おおぶりのグラスにあふれるほどに注がれた二杯のそれを、ジッシャーは応接テーブルに置いた。

 テーブルを囲むソファには、パーソナルモニターで同じ記事に見入るアニーとメイが座っている。

「わー、いいんですかぁ、大佐? これ、けっこうお高いんでしょう?」

「いいんだよ、メイちゃん。あと三日もすればミッションも大詰めを迎える。これはその前祝いさ。遠慮しないで、ぐっと飲み干しな」

「ありがとうございますぅ!」

……とは言ったものの、メイはその貴重品を一息に飲み干す気にはならず、少しずつ味わいながら押し戴いている。

「……どうしたの、アニーちゃん、ホントに遠慮することはないんだよ? 極冠に帰ればこの程度の補給は充分手当てしてもらえるんだから」

「いえ、大佐……」

 モニターの記事から目を落としたアニーは、その物憂い目線をテーブルの上の美しい液体に向けた。この惑星の総人口のうち、コンマ一パーセントの人間も口にする機会を持たないであろう宝石のような液体……

「……どうも、私のようなものが、こんな貴重なものを口にする気持ちにはなれません。申し訳ありませんが……」

 言われたジッシャーはむしろ軽く笑みを浮かべて応じた。

「そう……無理に、とは言わないが、出したものをボトルに戻すわけにも行かないしなぁ……」

 そういいながらテーブル上のグラスをひょい、と取り上げると、デスクの傍らにある観葉植物の鉢にたらたらと注いでしまった。声を出す間暇もない出来事に、まだグラスを半分も空けていないメイは、あっ、と勿体なそうな表情を浮かべる。

「いいのさ、メイちゃん。人の役に立たないなら、ほかの役に立ってもらおう。これで少しはきれいな花が咲くかも知れない、ね」

 言いながら、ジッシャーはちら、とアニーのほうを見やる。物憂い表情は変わらず、軽く視線をおとしたままだ。

「さあさあ、ささやかな慰労会はこの辺にして、そろそろ、三日後のパーティーの準備に取りかかろうか。やることは山ほどあるんだし、君たちにはそのとき一番働いてもらわなきゃならないんだからね」

「は、はい。大佐」

 答えたのはメイだ。グラスに残った水を名残惜しそうに飲み干して

「ぷはぁっ!」

 と、一息入れて敬礼した。

「メイリオ・ハーク准尉、これより最終包囲ミッションの準備に入ります! 大佐、以後のこともよろしくです!」

「同じく、アーニャ・レントン少尉、ミッション準備に入ります」

 ソファから立ち上がった二人に、ジッシャーもかるい敬礼を返す。

「うん、よろしくたのむよ」

 そうして踵を返しかけた二人だったが、アニーがふと振り返り口を開いた。

「……大佐」

「なんだい、アニーちゃん?」

「その、このミッションの終了後、あの街の市民は……」

 ジッシャーはにこやかな表情を崩さない。あくまで笑みをたたえたままアニーの問いの続きを待つようだ。

「……いえ、なんでもありません」

「そう」

 そのやりとりを見ていたメイは、執務室のドアを開き、一礼して退出した。続けてアニーも一礼する。

「アニーちゃん」

「はい? 大佐」

 予想外の声にアニーが戸惑った返事をした。

「なにも、心配することはないよ。いつもどおり、いつもどおりでいてくれれば、いい」

 少し間があり、アニーは改めて一礼するとドアから退出した。

 残されたジッシャーはデスクでブランデー型のボトルをもてあそぶ。

「……ま、あーいうのが若さってモンだよな。……うん、うらやましい、うらやましい」

 数分前にその中身の高価な液体を注がれた観葉植物の葉に、美しい水の粒がいくつも滴り落ちている。




 ――あたしの剣幕にひるんだのか、ヤンさんの力が一瞬ゆるんだ隙にその手をふりほどき、スコルピオのコクピットに駆け込んだ。

 ビークルモードで待機していたスコルピオをスタンディングモードに変形させると、サーペントとかいう機械に向けて構えをとった。

 しかし、そのときすでにその機械の前には数機のMDMが立ちはだかっており、容易には近づけなくなっている。

 あたしが手を出しあぐねていると、遅れて起動した一機のMDMがこちらに突進してきた! さっき、エドワードさんが乗り込んでいるのが見えたヤツだ!

 捕まってたまるか! あたしがとっさに機体を右に振ると、相手は逆の左方向に曲がった。

 ――動きを読み間違えたわね――このまま回り込んで、横からあの機械に接近してやる――

 そう思って速度を上げようとした瞬間、いきなり目の前に、さっきかわしたはずのエドワードさんの機が現れた! 

 そのままスコルピオは両腕をとられ、前進を阻まれる。どういうこと?

 ――そうか、エドワードさんはこっちとすれ違いざま後ろ向きにジャンプ、あたしの上で宙返りして来たんだ! どれだけのテクニックを持っているんだろう、このひと!

 さらに、後ろからのもう一機に胴体をつかまえられた!

「ユーカちゃん、そこまでだ! おれの機体とエドワードのはこのまま動きを固定させてもらう。スコルピオもあまり無理をすればモーターが焼けっちまうぞ!」

「ヤンさん……!」

「確かにゴローも良くない。いままでちゃんと話をしてなかったんだからな。しかし、ユーカ、いまはおまえだ。とにかく落ち着け。そう頭に血がのぼってたんじゃ、なんにもならん!」

 あたしはしばらく操縦桿やスロットルレバーを操作したり、ブースターを噴射することまで試みたが、どうしたわけか、この二機のコンビによる押さえ込みは強靱で、それ以上一メートルと動くことができなかった。……これは、ヤンさんが学んだという軍のスキルなのだろうか……。

 ようやくあたしが動きを止めると、ヤンさんは

「ユーカちゃん、しばらくこのままにしておく。悪いが少しおとなしくしておいてくれ」

 と、言い残してエドワードさんともども機を降り、あの機械のほうに向かっていった。

 あたしは、コクピットの中で握りしめていた操縦機器からゆっくりと手を離すと、肩を落とし、ゆっくりと息をついた。そんな、どうして、ヤンさん、エドワードさんまで……




 数時間後、あたしはヤンさんやエドワードさんの機に引き連れられるようにしてアナスターシャⅣに戻ってきた。その間ずっと外部からの通信はシャットアウトしてあたしはシートでうずくまっていた。

 ――スコルピオやルナが何か言っていたような気もするが、あたしの耳には全然入ってこない。

 アナスターシャへの帰り道もヤンさんたちの指示するがまま、スコルピオのオートパイロットに任せっきりにしていた。

 格納庫に入り、力なく機体から降りてきたあたしを待っていたのは意外な人だった。

 コクピットから降り立ち、ヘルメットを外したあたしに声をかけたのは。

「おい!」

 ……コテツさんだ。……何かを持っている?

「これなんだ?」

 それは肘から手首くらいの長さで、片手でつかめる太さの円筒型のものだ。その後ろには何か、長い棒が突き出ていて、その反対にもほんの短い太めの棒が出っ張っている。

「え……?」

 あたしがなに? と答えようとする先に、彼女はその先端をこちらに向け、後ろの棒をその本体に押し込んだ。

 うっぷ! な、なに? その先から出た『何か』に、あたしの目は閉ざされ、息はむせ、髪はみるみる濡れていく! な、なにこれ? なにをされたの?!

「へへ、これはな、水鉄砲って言うモンだ」

 みず……でっぽう……?

「レゴリス(オレたち)の子供らはな、オアシスに集まってるときはこういうモンで遊んだりしてるんだ。なにしろ、あそこには石ころ以外には水しか無いようなところだからな」

 ……え。すると、これはみ、水をかけられたの……?

「そうさ、それも上等の白水、いや、黒水だよ」

 ……! し、白だろうが黒だろうが、貴重な純水じゃない! ぽたぽたと髪から床に水滴が滴りおちる。こ、これじゃあ、どうにもなりやしない!

「ま、(ふね)の中であんまりこんなことやると、あとでヤンのやつに怒鳴られっけどな」

「――な……なんで、こんなもったいないことするんですか?!」

「少しは目が覚めたかいっ?!」

 コテツさんの剣幕はすさまじい。

「おまえ、向こうで一暴れしたそうじゃねえか。ヤンやエドワードにとっちゃ、オメエなんかひよっこ同然だから押さえるのは簡単だけどよ、なんかあったらここまで来たオメエの連れの苦労は水の泡……ぜんぶ無駄になっちまうんだぜ? おまえの思い込みでそういう風にするってのもわからなくはないが、相手の話を聞こうともしなかったって言うじゃねぇか?へへ、それじゃあ、よく調べもせずにオメエたちを罠に引っかけちまったオレたちとおんなじだな」

「そ、それは……」

「いいか。それじゃダメだ、問答無用はダメなんだ。ヒトが、何かするときにはそれ相応の理由があるはずなんだ。それを良く聞いて、考えるんだ。そうすりゃ、何か道があるはずだ。オレたちは、いまこの惑星(ほし)でまかりとおっている無理な理屈のせいでこんな風になっている。だから、これ以上おかしな理由で不幸になる人間は見たくねえ」

 コテツさんは、少し言葉を切った。

 その目は真剣だ。

 確かに、あたしは知らなかった。水賊って言うのは、人の財産を横から奪って遊び暮らしている連中だとばかり思っていた……

「……やつは、ゴローは、いまブリッジの下のフロアのブリーフィング・ルームで艦の連中と打ち合わせをしている。……行ってこい。いいか、行って、話を聞いてくるんだ」




あたしは、コテツさんに言われたブリーフィングルームに上がって行った。

あまり広いとは言えないその部屋は少し薄暗く、ゴローのほかにはヤンさんや艦長など、五、六人の人しかいない。

どうやら、話し合いが終わったところらしく、その中でもひとり、ふたりが低い声で言葉を交わしているだけだ。

しばらく入り口のあたりから覗いていると、あたしに気づいたヤンさんが手招きをした。

「ユーカちゃん、皆でこの後のことを相談してたんだが……大体終わったところなんだ。で……その辺のところも含めて、ここらでじっくり説明してもらうといい。おれたちは出発準備にかかるが、まだ艦がでるまでに一時間はかかるから」

そう言い残して、クルーのみんなはドアを出て行った。あたしと、ゴローを残して。

おたがい、口を開くきっかけをつかめず部屋はしばらく静かなままだったが、やがて計ったように一緒に声を発した。

「あの、」

「あのさ……!」

「な、なに?」

「なんだよ、そっちこそ?」

……そしてまた少し沈黙。……やがて、あたしは。

「あは、あははは」

なんだか、笑だしてしまった。

それを見て、不思議そうな顔をするゴローを見ながら、さらに笑が込み上げる。

「ははははははははは!」

「ど、どうしたんだよ?」

「あははははは、あは、あー、おっかしい。あたしったら、どうしちゃったんだろう?」

なかなか笑いが止まらない。

「だってさゴロー、あんたがさ、火星の破壊者だって。月を地上に落として、何万人も殺しちゃうんだって。あたしってば、なーに言ってんだか?」

すこし、笑いがおさまってきた。

「そんなこと、あんたがするはずないじゃない! だぁーって……」

言葉を切って、あたしはゴローを見つめた。ゴローもあたしをまっすぐに見返している。

「あんたそんなヤツじゃないよ。あんたがそんなんだったら、あたしだけじゃなくって、ノエさんもカオリも、ヤンさんだって、みんなすぐに解っちまう。あ、スコルピオだって、けっこうあれで敏感だしね。あんたも必死でみんなを助けるためにここまで来たんだよね。そうじゃないと思ったら、とっくにあたしか、そうじゃなきゃ誰かがあんたを市の保安隊にでも突き出してたはずだもん」

 ゴローは黙ってこっちを見たままだ。

「ね、話してもらえる? あなたがなにを考えてて、なにをしに、こっちに降りてきたのか。そして、あたしにはなにかできることがあるのかを……」

 二人きりになった部屋の中で、空調機の音だけがやけにひびいて聞こえていた。




「――えっ? そ、それじゃあ……?」

 ゴローの話をしばらく聞いていて、あたしは大きな声を上げた。

「あぁ、そうだ。フォボスそのものを火星(ここ)に落とすなんて、最初から誰も言っていない」

「そ、そうか。……あたしはてっきり、『あれを落とす』だなんて言うモンだから、そういうことだと……」

「――フォボスを落とすわけじゃない………落とすのは、その下にぶら下がっている軌道エレベーター、『クモの糸』だ」

 へぇ、そうかー……って、それでもエラい大事(おおごと)じゃないのか?

「――言っとくが、軌道エレベーター(クモの糸)全部を地上に激突させるってわけじゃないぞ。地上に近い先端部のごく一部を切り離して落下させるだけだ……まぁ、それでも相当な衝撃を発生させることには間違いないが……」

「……な、なんで、そんなことをしなきゃなんないの?」

 あたしは、トーゼンの疑問を尋ねた。

「……おまえの街を、助けるためだ」

 ゴローは言葉を切って、あたしの目をじっと見た。

「――ユーカ、知ってると思うが、おまえの街はいま、ある勢力の包囲下にある。……その連中は、流通、とくに水資源の流入を遮断して生活機能を喪失させ、都市を『解散』に追い込もうとしているんだ。……おまえも知っているだろう、解散させられた街の人たちがどういう目に合うかを……」

 この言葉で、あたしは今まであたしがちゃんと考えようとしなかった、きびしい現実に直面されられた。……確かに今まで、これまで考えられなかったような冒険の連続だった。しかし、それはほとんどあたし個人の周りで起こったこと。

 あたしが住んでる街、東京市まるごとが危機に陥ってるなんて、思ってもみなかった――いや、振り返れば市を出てからの、謎の相手からのアナスターシャの襲撃や、シヅカの満身創痍での連絡ぶりを思えば、あたしはそんな危機的状況を考えたくなかっただけかも知れない……。

「でもゴロー……だからって、なんでクモの糸を落とすことがあたしの街を助けることになるの……?」

「ユーカも見たろう? オアシスの大きな泉を……。夏期には大量に存在し、冬季になると涸れてしまう、あの大量の水はどこから来ていると思う?」

「…………地面の……下……?」

「そうだ。あのオアシスの下には、巨大な地下水脈が存在しているんだ」

 ちかすいみゃく……? その言葉の意味するところもよくわからないままのあたしを置き去りにしてゴローの話は続く。

「この地下の深いところに、この惑星の生成期に閉じ込められた大きな氷塊がある。それが夏期になると、地熱がわずかに上がってほんの少し溶け出し、固い岩盤のすき間を通ってしみ出して来てるんだ。それが、あのオアシスを作り出している。……わかるか? その氷塊がどれほどの規模を持っているか?」

「そ、それじゃ、それを掘り出すことができたら、ここらの水不足なんてあっという間に解消しちゃうってコト……?」

「……そうした氷塊が惑星上にいくつかあることは、フォボスからの観測でおよそ推定できていた。本当に確信できたのはあのオアシスの泉を見てからだが……。だけど、そうした資源は、全てがとてつもなく堅くて巨大な岩盤に、まるで包み込まれるように覆われている。地上から掘り出すことはとうてい不可能なんだ。……たとえ、どんな機材を使ったとしてもね」

「え……、そんなところがいくつかあるって言ったわよね? どうして、全部が採掘できないって言い切れるの? せめて一カ所くらい掘り出しやすいところとか……?」

「そういう場所に存在していた水は、何万年も昔に成層圏外(うちゅうのはて)に蒸発しつくしてしまっているさ」

「あ……そうか」

 地表や、なまじな浅い地下にかつて存在していた火星の初期の海水などは、この惑星の弱い重力が、少しずつ大気を宇宙に逃がしていくのにつれて、やはりゆっくりと、蒸発しつくしてしまっていたのだ。小学生の低学年で習うような、この惑星の住人の初歩の知識だった……。

「………ユーカ、この下に、水はあるんだ。だが、巨大な岩盤でふさがっていて掘り出すことができない……。だから……」

「……だから、クモの糸を落とすのね?」

「そうだ……。もしいま、この惑星の表面上からそういった岩盤を破壊しようとすれば、核爆発を、しかも何回か続けて行うしかないと思う。だが、それでは……」

「そんなんムリよ! せっかく何百年もかけてここまで作った空気が、汚染されてダメになっちゃう!」

「……そう。だからこのことは、おそらくかなり前から推測されていながら、だれも表立って言うことができなかったんだと思う」

 なんてこと……。あたしたちは、言ってみれば一番必要な(いる)物の上で暮らしながら、それを使うことは全く許されない、ということなんだ……。

「……サーペントやワイバーン、合わせてシステム・ドラグーンは、そうした状況を打開するためにフォボスで独自に考えられていたものだ。……当然、これの使用には大きな危険がともなうし、百パーセント効果を保証することもできない。……いわば、これを使うのは大きバクチなんだ。これだって、今までのテラフォーミングにどんな影響があるかもわからないし……」

 ……ゴローが、めずらしく自信なさげな顔をする。……今までいろいろ言ったけど、べ、べつにあたしはあいつのそんな顔が見たいわけじゃないんだけどね!

「……でも、アンタは、命がけでこの地上に降りてきた……。絶対の確信があったわけでもないのに、ただ、あたしたちが大変な目に合うのを、見過ごすことができないから……?」

 ――あ……、あたし、見たくもなかったものを見ちゃった。………それは、あのゴロー・ヤブキがその顔を赤く上気させてしまったところ………。

「わ、わかったわよ。だから、そんな顔しないで。いつもの無愛想なゴローにもどってよ。調子くるっちゃうんだから………。それで、これからあたしたちはどうするの?」

「……さっきも言ったシステム・ドラグーンのうち地上にあって、落下する蜘蛛の糸を誘導するパートがシステム・サーペントだ。こいつが地下の水脈と岩盤の形状を測定し、最も適したポイントを送信する。そして、フォボスがわでそのデータを受信し、最適の角度とタイミングで落下部分を切り離すのがシステム・ワイバーン。この二つを組み合わせて、初めて誘導システムが成立するんだが……」

 ゴローが顔をくもらせる。

「さっき、ワイバーンの設置ポイントで聞いていたかもしれないが、こないだのオリンポスへの落下の失敗で、送信システムが壊れてしまってるんだ………幸い、地形、水脈の測定装置は機能して、正確な落下ポイントのデータは取れた。だから、これをどうにかしてフォボスに伝えてワイバーンを起動させなきゃならない」

「修理は出来ないの?」

「――できない………というより、間に合わない。ここにいる人たちはみんな優秀な技術者だが、修復に使える部材がない。それを集めている間に、君の街は解散に追い込まれてしまうだろう……じきに、包囲している連中も最終的な締め上げにかかってくる」

 厳しい顔でゴローは続ける。

「……オレの調べた限りでは、一度解散した都市は、大量の難民を生み出し、再び復旧した例は無いはずだ………街を覆うアクアドームは、最低限度の水量で維持されているが、万一その水分を全て失うと二度と機能しなくなる。そうだな?」

そのとおり、あたしたちは普段、あまりその辺には触れないようにして生活しているけど、誰もが知っている火星の都市の根本的な脆弱さだ。

「も、もう、そんなに危険な状態なの? それじゃ、あっちにいるシヅカやノエさんや……カオリはどうなっちゃうの?! ま、街のみんなは……?!」

「だから! どうにかする方法を考えていたんだ! ………じつは、街を出るときにノエさんと相談して万一の時のための手も打ってはあったんだ。あまり、やりたくはなかったけど………」

 ゴローの口が急に重くなってきた。このほうが、アイツらしいと言えばらしいんだけどね………。

「それで、ゴロー、あたしたちはこれからどうするの?」

「とにかく、じきにこの艦を動かしてもらって街に帰る」

「ほ、包囲されてるんだよね?」

「突破してもらう!」

「そ、そうなんだ」

「そのための手段も考えてもらった。そして、街に帰ったら………」




「そろそろかなぁ………」

 ユニオン査察官ジッシャーは、温かい紅茶を口元に流し込みながらつぶやいた。

「メイちゃん、アニーちゃん、準備はどうだい?」

 座乗間フォルテッシモのCICからメインモニターを通じて、東京ドームを包囲中のウォータンカー、MDMの各級隊長に指令が届く。アニー、メイに代表される、その他の責任者たちも同時にジッシャーの言葉を受信している。

「南西方面、アーニャ・レントン、メイリオ・ハーク麾下突撃隊、全ての準備が完了しました。いつでも、命令をお待ちしております」

「西北西、プラム・ブランナー隊、稼働状態で待機」

「東方、オーデル・ナイゼル、いつでもどうぞ」

「南、二十二ポイントに待機のキット・イムラーポン中尉ですが………」

 CICには、次々と返答が送られてくる。

「それじゃあ、始めようか……」

 ジッシャーの一言で、三方から東京ドームを囲んでいた各隊が動き出した。

 いくつもの巨大な艦影が、うなりを上げて赤砂の荒野を都市へと向かう。

「さて、と」

 ジッシャーはかたわらに立つ若い副官に目を向けると、面倒そうな表情を隠そうともせずに言った。

「フィール君、繋いでくれるかな?」

「はい………こればかりは特察官自らやっていただきませんと」

 言いながら、フィールと呼ばれた副官はコンソールパネルに手を伸ばし、二,三の操作を行った。ジッシャーの目の前に小型のプライベート・モニターが浮かび上がり、数秒のブラックアウトの後、彼の見知らぬ男を映しだした。

「?」

 ジッシャーが奇妙な顔をするとその男は狼狽し、あらぬ方へ向かい声を上げた。

「ユ、ユニオンの特別査察官が出ました! い、一般回線です!」

 なんだ、そういうコトか。

 ジッシャーは理解した。コトここに至っては政治的内緒話のための高等通話回線など使う必要はない。

 むしろ、聞き耳を立てているような連中には好きなように傍受させて、事態をわかりやすく理解させてやるようが都合がいいというものだ。フィール君、なかなかわかってるな。

 そのように取り計らった操作をした副官をチラリと見ながら、ジッシャーは見知った相手がモニターに現れるのを待った。

 やがて画面の中は何度か見た光景――ドーム市長の執務室に切り替わり、少し前から馴染んだ男が顔を見せた。

「どうも、お待たせしましたかな……回線をまわすのに手間取ったようで。これまでバーチャル通話しか使っておりませんかったからな」

 東京市長のイワタはすこし疲れた顔をしている。しかし口調はあくまでソフトであり、決してその言葉に嫌味な響きはなかった。

 対するジッシャーも、あくまで穏やかな物言いを心がけている。

「いえいえこちらこそ、ちょっとした不手際でいつもの通信枠を外してしまい、みなさんのティーブレイクを騒がせてしまったのではないかと恐縮しております」

 モニター越しに対峙した両者の間に、しばしの沈黙が流れた。

 やがて、イワタがゆっくりと口を開いた。

「ようやく、動かれたようですな」

「……はい。現在、指揮下の全艦が貴市に向かって進発しております。今日の夕刻までには貴市の境界から十キロ圏内に姿を表すことになるでしょう」

「ほう、それは喜ばしい」

 少しも喜ばしくなさそうな口調でイワタは応じた。

「………結構なことです。我が市もついに粗悪な工業用水すら底をつき、もはやアクアドームの水分をだましだまし、飲料用に廻すばかりになっておりましたからな………」

 イワタの穏やかな表情からは、そこまで追い詰められている様子はとてもうかがえない。

「それでは、我々のほうも救援物資の受け入れ準備を始めなければなりませんな。さしあたり、何万トンほどの貯水槽に(ふね)をご案内すればよろしいか……?」

「――実は、お伝えせねばならないことがあります」

 いつになく少し強い口調になってしまったことに、ジッシャーは自身に軽く驚きを覚えた。

「ほう………なにを?」

「先刻、現地時間一四〇〇に極冠中央より重要通達がありました。この様なものです。――全惑星開発施行令批准都市・赤道第七区中央・東京市に於いて重大なる規約の違反あり。本日、これに対し全火星人類はその総意の上、それらの処遇として当該都市の解散を命じるものである。なお、同都市の住民はすみやかに解散実務執行団の保護下に入り、以後の布告を待つべし………と」

「………解散実務執行団、とは?」

「すなわち我々が、同時にその任を拝命いたしました」

「………なるほど、解散、ね」

 密かにジッシャーが予想していたとおり、イワタは大した驚きも浮かべず言葉を続けた。

「………では、我々としては惑星連盟規約にのっとって、火星府(M・A・I・D)のほうへ正式な抗議を………」

「M・A・I・(メイド)には、なにもできやしませんよ。これは、この惑星の真の首脳部によるによる決定ですから」

「………メイドに出来るのは炊事洗濯、そしてせいぜいユニオンという御主人様のご機嫌伺いくらい、ということですか」

「………趣旨は伝わったようですね。これからお互い、忙しくなります。市長としても、このことを全市民にお伝えして、退去の準備などを促さなければ………」

「………無用ですな」

「は?」

「一般回線の今の通話は、即時に我が市の全世帯で視聴出来るように取り計らいました。あなたが語った言葉は私とともに市民も聞いております」

「それは、手回しの良いことです。準備の時間は少しでも取れるに越したことはないでしょうから……」

「誤解なさらないでいただきたいのは」

 イワタは穏やかに言葉を続ける。

「この市のあり様を決めるのは私ではない。もちろん、あなたでもない、ましてや極冠の統治グループなどでは決してない。この市の住民、一人ひとりが決めることだ、ということです」

「………ほう」

「我々はユニオンには加盟しておりません。しかし、敵対もしませんでした。………これまで友好的にやってきたつもりでしたのに、実力頼みのこの処遇は到底受け入れられるものではありません。………ひとりの市民として、この惑星の住民として、わたくし自身はその解散宣告とやらを拒絶させていただきます」

 ――遠くまで来て、面白い人物に出会ったなぁ。心の奥でジッシャーはそう思いながら言葉を返した。

「………不本意ながら、強制執行はつらいものになるとお覚悟くださいますよう」

「これが、貴官との最後の通信になりますかな。それでは」

 最後まで穏やかな表情は崩さず、フォルテッシモCIC指揮官席のモニターから東京市長イワタは姿を消した。

 そしてジッシャーは、かたわらのフィールに振り返るとそっけなく告げた。

「では、我々も出るとしようか」




「やはり、こういうコトになってしまうのかね」

 イワタはモニターから目を離し、執務デスクのシートに深く座りなおした。

「そうですわね」

 応接のソファに腰掛けた数人のうち、市の財界を代表するパインバック家の名代、ノエ・パインバックが応じる。

 水道局長のスワが発言した。

「………先ほど、市長がおっしゃったように、もはや飲料水の循環率も七パーセントを切りました。アクアドームの水分に手を付けて、すでに三十時間になります。この分ではあと三日とせずにドームの機能維持に重大な支障をきたすことになるでしょう」

「――その前に、あの連中はドームの水を抜き取りはじめるでしょうね。そのために『空荷(からに)』のウォータンカーの大群をひきいてきたわけですから」

 ノエの口調には多少の皮肉が混じっているようでもある。

「………パインバックのお嬢さん、多少の保安隊のほかには常備軍など持たない我が市に、彼らの進駐を押しとどめる力はない。私は、手を打つのが遅すぎた。この上は、『彼ら』に賭けるしかないのかもしれん」

 イワタの言葉のあとをスワが続けた。

「ノエ嬢ちゃん、『彼ら』は、やってくれるだろうか?」

「保証しますわ………とは、申せません。ただ、今となっては成功を祈るのみです。そのためにわたくしども、出来ることは全てやってまいりました………それが、この惑星でのわたくしたちの生き方ですから」

 年に似合わず落ち着いたノエの声を聞きながら、イワタは静かに目を閉じた。

「そうだな。わたしたちも同様だ。すでに出来る手は全て打ってある。………待とう。それがどんな結果になろうとも………」




「こんなコトで………」

 アンドノフ艦長の新しい(ふね)であるアナスターシャⅣ。その特徴的な、左右に張り出して艦首から艦尾までつながっている甲板上で、スタンディング・モードのスコルピオに乗り込んでいたあたしは考えていた。

「こんなコトで、うまくいくのかなぁ………」

 いま、アナスターシャのさして広くもない甲板上には、艦に搭載された全てのMDMが左右一列づつにずらりと外を向いて並び、それぞれが手に手に一枚ずつの大きなシートを掲げて立っている。

 まるで、みんなで並んで一斉に洗濯物を干しているみたい。

 進行する艦をなぶる風にはためいているそれは、言わずとしれたカモフラージュ・シート。あたしたちを落とし穴にハメた、いまいましいあれだ。

 こうして、進行する包囲軍の目をごまかし、ドームのゲートに浸入するという作戦だそうだが………。

「なんていうか、全体が覆いきれてないわよね………」

 そうなのだ。このシートは最新の技術であり、そういったものがこれだけの枚数あるだけでも大したものなのだが、いかんせん、やはり艦全体を隠しきるにはあと、四割ほどは必要そうだ。

「そんなことはないさ」

 モニター越しにヤンさんからの返信がはいる。

「でも、ヤンさん、このままじゃ、艦の半分近くは見えちゃってますよ? このシートでレーダーも吸収できるらしいけど、やっぱり覆ってない部分で感知されちゃうでしょ………?」

「それは大丈夫。このオンボロ艦の取り柄は、ステルス構造で無反射コーティングを施してあるってとこなんだ。軍用じゃないから完全とは言えないが、こうしてシートを使っていると、ほぼ百パーセント(おぎな)える」

「そ、そうなんですか。でも、近くにほかの艦なんかがいたら、隠しきれてないから見つかっちゃうんじゃありません?」

「だからシートを艦に固定せず、僕らがこうやって持ってるんじゃないか。右に艦がいれば右に、左に偵察のMDMでも見つけたら左舷に、俺たちがシートを持って移動して、片側だけでも隠し尽くすのさ。だからユーカちゃん、その時は迅速に動いてくれよ」

 そうだったのか。なんだか慌ただしくデッキに上げられて、いきなりこのシートを渡されたから詳しい説明は聞いていなかったんだよね。

………しかし、それじゃ大きなかくれんぼみたいだなぁ。

「なんか……大丈夫ですか? 右と左に同時に相手が現れたら、あの……」

「そうならないように、祈っててくれよ。………なーに、大丈夫。こっちとしてはレゴリスの連中とも連携してやつらの進路は把握済みだし、そもそもあいつらは居場所を隠す必要もないからこっちからはレーダーで監視できてる。ま、この世に完璧な作戦なんて、ありゃしないんだから」

 ――ヤンさんはいつもの落ち着いた声でそう言うが、あたしはこういう軍事行動じみたことはやったことないんですってば!

「それにね」

 と、ヤンさんは続ける。

「あいつらは、そろそろ包囲網を縮めだした。そんな時、ヤツらの目的から言っても街から出ようとする者があればMDM一機といえど見逃しはしないが、わざわざ外から誰かが入ろうとするなんて思わないものさ。それにあいつらはわざと包囲に穴を開けてある」

「え、どうして?」

「あまり、完全に取り囲んでしまうと、囲まれた側は絶望感のあまり強烈な抵抗を始めることが多い。だから、あえて手薄なところを作っておき、あいての心の隙を誘発する。オレたちは、逆にそれを利用して、その包囲の穴から突入しようってわけだ」

 な、なるほど。さすが、プロだな~。考えてあるなーー。

「………と、まあ、そんなに絵に描いたように上手くいくコトなんて、滅多にないんだけどね!」

 あ、あのヤンさん、不安になるからそのモニター越しのテヘペロ顔はやめてください!




 ………そんなあたしの心配をよそに、艦は拍子抜けするほどあっさりとトウキョウ・ノース・ゲートのパインバック・プライベートドッグに入港した。

 途中、二回ほどヤンさんの号令がかかり、あたしたちは待機ポジションから移動してカモフラージュの場所を変えた。

 そのうちの一度は、艦のクローラー部を隠せということで、スコルピオの両手でシートを大きく広げたまま、二十分近くも艦のわきを並走したりもした。

 その甲斐あってか、その時はあたしの肉眼でも見えていた相手の艦にも見つからずに追い抜けたようだ。

 プライベートドッグのハッチは、あたしたちを待ち兼ねていたかのように素早く開き、艦を呑み込んでしまうと何事もなかったかのように再び閉じた。

 艦から降りたあたしたちを待っていたのは、例によってパインバックの三姉妹とあたしのクラスメートであり、アンドノフ艦長の実の娘、シヅカ・ルイシコフちゃん。それに、パインバック・プライベート・ドッグ付きの整備員の人たち。

 ………彼女たちと別れてから、まだ二週間とたっていないというのに、もう何年も会っていなかったような気がする。

 艦の人は非常要員を除いて、全員が下船している。もちろんゴローも、それからここまで艦に便乗してきたコテツさんもだ。

 あたしは相変わらず不機嫌そうな顔をしているアイツの所へ行き、声をかけた。

「カオリ………」

「ヨォ。生きて還ってきただけで、上等だ。あんまり心配させんなよ、この、クラス一の変人が!」

 な、なんだよ、カオリのヤツ。泣いてんのかよ? やめてくれよ、そんなことされると、あた、あたしだって………!

「か、還ってきたよぉ、色々あったけどぉ、み、みんなが助けてくれてぇ無事に還ってこれたよお。あ、あとあと、パイロットスーツ貸してくれてありがとう! 凄く助かったよぅ。それから、それから焼きそばパン、美味しかったよぉ! オリンポスの帰りに、ヒーターであっためてゴローと食べたんだ。少し焦げたりしたけど、それでもうまかったよぉー!」

「あったりまえだぁ! ちょっとでも残したり、捨てたりしてたらオメーら、まとめてぶっ飛ばしてるところだ! と、とにかく、無事で良かったじゃねぇか………」

 そんなやりとりをしているあたしたちの脇では、シヅカがアンドノフ艦長に頼まれ物を渡そうとしていた。

「はい、おとうさま。ご所望のスイカ。品種は『祭りばやし』の特上品よ。この状況下にノエ様が無理してくださって五つも用意できましたわ!」

「おぉ、シヅカ!」

 艦長はその節くれだった腕を大きく広げると、色白で華奢なシヅカの体を一思いに抱きすくめた。

「キャ! おとうさまったら!」

「うむ、シヅカ、今回はお前もよく頑張ってくれた。本当にいい子だ! それからな、そいつは………」

 艦長は、チラリとスイカのほうに目を向けると

「ワシはいいんだ。危険を(かえり)みず頑張ってくれた、艦の皆に旨いものを食わせたくてな。あとで振舞ってやってくれんか」

「さ、さすが、おとうちゃん! カッコイイ!」

 ………おいおいシヅカ、目がハートマークになってんぞ……?

「艦長……」

 そんな二人の横合いから、控えめに声をかけた人がいる。

「うむ……」

 パインバックの長女、ノエさんが静かに佇んでいた。

「よく、ご無事で」

「あぁ」

「それに、アナスターシャさんも………」

 ノエさんはアナスターシャのブリッジを見上げている。

 あたしもそちらに目を向けると、窓の中にちらりと女性の影が映ったような気がした。

「うむ、いろいろあったが、まぁ、アレだけはな。なんとか、連れてきた」

「もぉ~、艦長ったら、奥さんを愛しちゃってるんだからぁ」

「こら、ヨースケ! 冷やかすんじゃあない!」

 シヅカちゃんが幼なじみのクルーをたしなめる。

 そんな二人のやりとりをよそに、ノエさんと艦長は静かに見つめあっている。

 なんか、ノエさんのこんな目って………?

 ……まぁ、それはともかく、あたしにはもう一人、お礼を言わなきゃならない相手がいた。

「ナナホちゃん」

「ウン………」

 三姉妹の末っ子は小さくうなずいた。

「シートを、ううん、ルナちゃんを貸してくれてありがとう。とても助かったわ」

「あれは……役に立った?」

「それはもう! シートの乗り心地はバツグンだし、ルナのガイドでどんな砂漠でも迷子になることなんてなかった。最高のナビゲーターだったわ」

「そう」

 彼女は再び、わずかに首を縦に振るとこう言った。

「それじゃ、もう少しあの娘に付き合ってあげて」

「え?」

「さっき、スコルピオのところにいって、ルナとも少し話したの。あの娘もあなたを気に入ったんですって。もっと、あなたと一緒にいたい。あなたを知りたいって言っていた。だから、もう少しあの娘を使っていて欲しい」

「で、でも、いいの? あれはあなたのMDMの………」

「平気」

 まっすぐにあたしの目を見てナナホちゃんは言った。

「あたしのマシンには、しばらくあの娘のアバターを載せることにした。だから、これからはあなたのマシンと会うたびにデータを交換することができる。それに、そうすればあたしのマシンにあなたの操縦テクニックを蓄積して学ばせることにもなる。だから、そうしてもらえるとありがたい」

「……そう。それじゃありがとう、お言葉に甘えてさせてもらうわ」

「うん」

 そう言ってナナホちゃんはアナスターシャの脇に降りた立たせてあったスコルピオのほうに目をやった。

「それじゃ、今からデータの吸出しをさせてもらってもいいかしら」

「もちろんよ! ……あの娘のアバターか。性格なんかもやっぱり一緒になるのかな。名前は? データをコピーするってことは名前も一緒ってことになるの?」

「区別する必要はある。簡単でいい。だから名前は……『ルナ・2(ツー)』とでも………」

「か、簡単ね。もっとなにか、考えなくていいの?」

「いい。ただの、記号だから」

「………ナナホちゃん、あの娘の『ルナ』って名前、気に入ってるのね?」

 ナナホちゃんは声で返事をする代わりに、そのを頬を赤らめて答えてくれた。




「さてさてみんな、無事に入港したのはいいが、感慨にふけっているヒマはないぞ」

 皆がひとしきり再会を喜び終えたころを見計らってヤンさんが声をあげた。

「アナスターシャは急速補給のあと、以後の行動とレゴリスとの連携に備えて臨戦待機。それまで、乗員は一時間ごとの半舷休息をとってくれ ………しかし、もっと大変なのはゴロー、君のほうだ。行けるか?」

「えぇ、ミスター・ヤン。 ……ノエ・パインバック、用意はできていますか」

「すぐにでも、出られるわよ」

「ありがとう。じゃあ早速準備を………」

 え? ちょ、ちょっと。

「なにゴロー、あなたはこれから別行動?」

「……そうだ。言ったろう、ユーカ。今、地上システムのサーペントからでは上空のワイバーンの操作ができない。だから、直接宇宙に上がって操作するしかない。 ……ノエ・パインバックやカオリたちにはそのための準備をしてもらっていたんだ」

「宇宙………うちゅう?」

「そうさ、フォボスに上がらなくちゃ、システムを稼働することはできないんだ。だから、俺は宇宙に上がる」

「でも、どうやって……?」

「それはね、ユーカちゃん」

  あたしたちの会話にノエさんが加わってきた。

「あれを使うのよ」

 ノエさんが指さしたのはこの北側の端から見るとドーム都市の中心部やや東側のほう、はるか先のそこには一つの塔がドームの天井をもつらぬいてどこまでも上空に伸びているのが見える。

「え………?! ノエさん、あれは、使えるんですか?」

「………昔のものは、大事にとっておくものね。さ、ゴローくん、移動しましょうか? ――ユーカちゃんも一緒に来る?」

 あたしは、ノエさんのイタズラっぽい目に促されるがままに、彼女たちと行動をともにすることにした。スコルピオに乗って、ルナとともに。

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