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火星の娘  作者: はせぴょん
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登山

 ―――ドームシティの四方にある流通ゲートのひとつ、火星でも最大級の物流量を誇る『トーキョー・ノース・ゲート』

 ………ここは昔から、あたしの好きな場所のひとつだ。

 おもに極冠方面から良質の水をはこんでくるウォータンカーのハブ・ポートとなっているが、そのほかにもさまざまな都市から、それぞれの特産品が運び込まれてくる。

 併設されているいくつかのマーケットは、小規模ながらつねに活気で満ちている。

 運び込まれた水の一部や、さまざまな食料品が取引され、そうした匂いがただよっている。衣料、希少金属、治療薬、そして、情報―――なかんずくあたしにとっては、いったんは失われながら、へき地で『再発見』されたりしたアニメのVAMとか………!

 ノース・ゲートの敷地面積は『トウキョウ二三区の、二四番目』といわれるほどの広さだ。

 そしてその一画を、彼女たち(パインバツク家)のプライベート・ドックが占めている。十数隻あるパインバック系列のウォータンカーのうち、つねに一,二隻はここでメンテナンスをうけているのだ。

 あれから二時間後、外部から遮蔽されたドック内の作業棟のひとつで、あたしたちはナナホちゃんが隠密裏に運び込んできたコンテナと、その中身に対面していた。

「おっきい姉ちゃん、わたしの見たところ、これで全部みたいだよ」

 ナナホちゃんの報告に、ノエさんは笑みをかえした。

「ごくろうさま。思ったよりも手際よくやってくれて、助かったわぁ」


 ………あのあと、あたしたちはノエさんの判断のもと、ともかく都内を脱出することにした。

 あたしは携帯でスコルピオに『静音起動』を命じ、急いでゴローと駆けもどり、そのまま低音走行で、なんとか外環をこえることができた。

 ノエさんやカオリたちは、通常の外縁部ボランティアということで学校から離脱。

 その際、やはり当局からあたしたちの行き先について問い合わせがあったそうだが、それに対する返答はひとことであしらってくれた。


 いわく『消息不明(し~らない)』と。


 あたしたちはドームの外縁を迂回してカオリと落ちあい、彼女たちのプライベート・ゲートからドックにいれてもらった。いま、こうして無事でいられるのは、ノエさんの手配と根回しのおかげだろう。

「………こうして見ると、スコルピオとよく似てるなぁ」

 作業棟のMDMハンガーにかけられているそいつを見ながらカオリがいった。ナナホちゃんに回収された、ゴローのコンテナの中身。

「けど、スコルピオが一機だけのカスタムなのはあたしも知ってる。それにこいつ、変形もしないんだろう?」

「違いはそれだけじゃないよ、ちい姉ちゃん」

 三姉妹のメカニック担当、ナナホちゃんが答えた。

「コクピット廻りを中心にかなり厳重な気密処理がほどこされてる。まるで、注水タンク作業用のMDMみたいに………」

「けど、ハッチが開いてたんじゃ、電装部も水びたしね………」

 ノエさんのことばにイヤミはなかったが、ゴローにはすこしこたえたようだった。

「着水したとき、開いたままで………すまなかった、アンタレス」

「あのまま、レンズに放り出されずにカプセルごと地面に落ちてたら、あんた中でつぶれてたよ。正しい判断だったんだ」

 気休めにしかならないだろうあたしの声だが、ゴローは小さくうなずいてくれた。

「―――おい、なんだかお通夜みてえじゃねぇか」

 とつぜん、あたしたちのうしろでハリのある低い声がした。

「香典ならハズまんぞ。うちの若えのの葬式でもなきゃな」

「――艦長!」

 ノエさんがそう呼んだのは、長身のカオリよりも頭ふたつは背丈があろうかという、恰幅のいい中年の男性だった。

 男はぎろりとあたしたちを見回している。

「おう、こいつか? めずらしいとこから降ってわいたってのは」

 そういうと男は、やおら太い指でゴローの二の腕のあたりをぐりぐりとつつきはじめた。

「な、なにすんだよ、おっちゃん!」

「おう、おう、なまっちろい割りにはけっこういい肉付きしてるじゃねぇか。あと、二,三年もしたら、ウチの(ふね)で使ってやらんでもないぞ」

 そういうと男はガハハ、と豪快に笑った。

「も~~、艦長ったら、あいかわらず若いコには目がないっすね」

「バカいえ、オレはつねに人材発掘のアンテナを張っとるだけだ。………ビンビンになぁ」

 どうやらカオリともそうとう親しいらしい。

「あの、ノエさん………なんっすか、このオヤジは」

 あたしの耳打ちに、ノエさんは

「紹介するわ。こちら、ウチの系列、『カセイ水運』のオーナー………」

「ヨシフ・ウラジミール・アンドノフだ。―――おまえら、『アナスターシャ』に乗るんなら、艦長と呼べ」

 なんのはなしだ?

「あな…すたあしゃ?」

「フネだよ、オレの(ふね)。おまえらだろう、ノエの嬢ちゃんがいってた密航者ってえのは」

 太い首を動かして、その艦長とやらはゴローとあたしを見回した。………って?

「へっ? あ、あたしも?」

「そーだよ、そのにいちゃんと、おまえさんだろ、例の素っ頓狂な、カオリ嬢ちゃんの友だちってぇのは」

「やだなぁ、艦長。コイツはただのクラスメートの変態っすよお」

「へ、変態………!?」

 どーなってんだ? 密航って?

「ノエさーん、これってどういう………」

「説明がおくれたわね、ユーカちゃん。………あなた、ゴローくんといっしょに、ちょっと遠足にいってくれないかしら」

「………あのぉ、オリンポスに………っすかあ?」

「あら、あなた、どうせしばらくおうちに帰れないんだからいいじゃない。………単位にもしておいてあげるから」

「い、いや、………けど、なんで?」

「だって、スコルピオちゃんがいないと、ゴローくんをお山まで連れていってあげられそうにないのよ」

「え、スコルピオで………?」

 その問いには、ナナホちゃんが答えた。

「………ゴローさんのMDM………『アンタレス』…? は、電装系がやられていて、修復の時間がない。………しかし、本体の気密処理は、あたしの見たところスコルピオのボディユニットに換装可能。………それほど、このMDMどうしは基礎設計に共通性がある」

「そうね。空気のない山に登るんなら、密閉しとかなきゃっていうことよね」

「そう………。そして、通常の工作環境とツールさえあれば、作業はどこでもできる。………腕のいいメカニックがいればだけど、おっきい姉ちゃん」

「そういうこった。そしてわが(ふね)には、腕ききのメカニックしかおらん。――ヤン、エドワード!」

 ドック中にひびきそうな声で艦長が呼んださきには、一目でそれとわかるオーバーオールの男がふたり、高所作業車で船体に取り付いて、なにやら確認している。

「シールドチェックはあとでいい。こっちにきて嬢ちゃんたちに挨拶しとけ」

 作業を中断して顔を見合わせながら歩いてきたふたりは、まるでマンガにでも出てきそうなのっぽとちびの組み合わせだった。

 大柄な艦長にも負けない背丈、だが横幅はまったくないめがねの男が言った。

「やぁ、おれはヤン。ヤン・ヨークステルだ。この(ふね)のメカニックを担当している。んで、このちっこいのは相棒の………」

「………エドワード・フツーゴ」

「ヨロシクな」

「は、はぁ」

 なんだかこのめまぐるしい展開にあたしの頭はついていけない。

「ノエ姉、なんであたしは行っちゃいけないんだよ」

 どうやら荒事のにおいをかぎつけたカオリが抗議の声をあげる。

「あなたは通常のカリキュラムをサボりたいだけでしょう。どのみちあなたのMDM・アテーナーを気密処理している時間はないわ」

「けどぉ」

「それに、あなたにはやってもらいたいことがあるの」

 そしてノエさんはこちらをむくと

「ユーカちゃん、いきなりあれこれいって大変だと思うけど、あたしはゴローくんのいうことを信じてあげたいの。このコはなにかを知っている。根も葉もないでまかせをいうためにわざわざ空から落ちてきたわけじゃないでしょう」

 そういわれれば、あたしにだってコイツが降りてきたのは命がけだったってことはわかる。

「………わかりました。なんか急でアタマがまとまんないけど、ここでジタバタしてるよりはおもしろそうだし。あたし、考え込むよりカラダ動かしてる方が性にあってるから」

「はぁー。つくづくオメーは体育会系だなぁ」

 ………カオリ(オメー)にだけは、いわれたくないわ!



 ―――どうやら話がまとまったところで、一同を見わたしてノエさんがいった。

「それじゃ、準備を始めましょう。『アナスターシャ』には、スコルピオとアンタレスのほかに、コンテナの中身をすべてつまなくちゃ。そのほかに、必要な物資と機材もね。ゴローくん、いる物があったらいってちょうだい」

 ゴローがうなずいた。

「ナナホ! それからゴローくんも、ヤンさんたちには十分な引き継ぎをしておいてちょうだい。――それからユーカちゃん、スコルピオに牽引できる『フレーム・カーゴ』を用意したから、(ふね)を出てからはそれを使いなさい」

「まじっすか? あれってノエさんとこ(パインバツク)で開発中のやつじゃないんですか?」

「実用テストずみ、大型の試作七号よ。機材も十分に詰めるサイズのやつだから。――あれがなきゃ長旅はつらいわよ、あたしからのお餞別ってことで」

「あ、ありがとうございます!」

「………あたしのはこれだ、ほれ、もってけよ!」

 カオリが投げてよこしたのは大きめのアタッシュケースがふたつ。中には見慣れないパイロットスーツとヘルメットがはいっている。

「これは………?」

「気密服だよ、真空作業用の。あたしとナナホのだ。だいぶ前に作っといたんだけど、使いどころがなかったからな。新品だぜ」

 なるほど、よく見ると背中に圧縮空気用のタンクが装備されている。

「フリーサイズの伸縮型だからな。男のコでも着れる。………あたしとちがっておこさま体型のオメーもな」

 ………ンだと、このヤロー、少しばかりあたしより発育がいいからって………!

「マニュアル、よく読んどけ! ………それからこれだ」

 指さされた一抱えほどもあるチルドボックスを開けてみると………

「え? 焼きそばパン?」

 中には個別にフリーズパックされた『スペ・焼き』がぎっしり………!

「………やっぱ、うまかったからな。………工場に無理いってわけてもらったんだ。――べつに、オメーのためじゃねえぞ、あたしの分にゃ多すぎたから………」

 あたしはちょっと、胸が熱くなった。

「カオリ………」

「んだよ」

「―――ありがとう」

「れ、礼とかいいんだヨ、あたしはただなァ………!」

 それきり、カオリはぷいと横を向いてしまった。

「ユーカさん、あたしからはあれを………」

 ナナホちゃんが指さしたほうには彼女のMDM・アルテミスが………。

「え?」

「パイロットシート」

 ………よく見ると、ドック付きの作業員の人たちがコクピットに取り付いて、中からシートを取り外している。

「スコルピオ、いまは単座で補助席がついてるだけだから、シートを追加する。ユーカさん、使って」

「え………、ちょっと待って、ナナホちゃん。………たしかに、昔、オヤジと乗ってたとき、複座仕様にしてたけど、なんであなたの………?」

「あれ、あたしが開発した特殊仕様。―――機能充実。乗りごこちは抜群」

「いや、でもべつに通常の市販品でも………」

「積んで」

 そういってナナホちゃんはじっとあたしの目をみつめた。

「………そ、そう。けど、じゃぁ、ナナホちゃんのほうはどうするの………?」

「あたしはしばらく、ノーマルのシートを積んで使う」

「いいの? それで」

「平気」

 このコが自分専用の機器を人に使わせるなんて、よほどのことだ。ここは、ありがたく好意を受け取っておくことにした。

「ありがとう、ぜったい大事につかって、きれいにして返すから」

 するとナナホちゃんはニッコリ笑って答えてくれた。

「うん。使い方がわからなければ、シートが教えてくれるから」

 ―――なに………???



 ―――それから数時間のあいだにあわただしく各種の出港手続きは進んでいき、いよいよゲートオープンを待つだけになったころ………

「ゴローくん、ご希望のもの、手に入ったわよ」

「あ、ありがとう」

 ノエさんが艦内のMDM格納エリアにもってきてくれたのは、一枚のVAMヴィデオ・オーディオ・メモリーだった。

「なに、それ」

「なんでもいいだろ」

「いいじゃん、おしえてよ!」

 ―――どうもあたしは、その手のモノが気になって仕方のないたちだ。

 見かねたノエさんがゴローのかわりに答えてくれた。

「映画よ、昔の。――『DVD』っていうメディアからVAMに焼き直した」

「………なんだ、隠すことないじゃん。――んで、なんの映画?」

 しぶしぶゴローが答えた。

「………『リッキー』ってやつ」

「あー、なんか知ってる。あれだよね、むかし地球でヒットしたやつで、けっこう続編のある………」

「いいだろ。フォボスのアーカイブには『2』とか『3』しかなくて、気になってたんだ」

「………ウチのカオリもイチオシの映画なのよ。まぁ、ユーカちゃん、向こうまでは時間がかかるんだから、このくらいの息抜きは必要よ。あなたもなにか見たい番組でもあったら………」

「いいぇ! いいんすよ。もう時間もないし、あたしはとくにそんな………」

 実のところ、この瞬間、アタマの中にはいくつもの番組タイトルがグルグル回っていたが、どれもこれもノエさんに頼めたようなもんじゃ………。それにまぁ、本命で見たいやつは、あらかじめスコルピオのメモリー内にコピーしてあるし………。

「………そう。それじゃそろそろ出発だし、あたしはここで失礼するわ。――ふたりとも、気をつけて」

「はい………。いってきます」

「いろいろ、ありがとう」

「ユーカちゃん、復路のピックアップについても、艦長とよく打ち合わせておいてね」

「わかりました」

 ノエさんがドアを出るのを見送ると、あたしはハンガーのほうをふり返った。

 スコルピオとアンタレス、相似形のMDMが並べられ、気密パーツの換装作業はすでにはじめられている。

「それじゃ、あたしも作業に加わるわ。シートの換装と調整は、まだこれからだし」

「………オレも手伝うよ」

「うん………。ヤンさーん、コクピットまわり、手をつけていいですかあ?」

 あたしは声をかけながらハンガーのほうへ歩いて行った。




 『アナスターシャ』が出航したのは深夜過ぎのことだ。それから数時間、作業にひと区切りついたあたしたちは、あらためて艦長に挨拶しようとメインブリッジにあがってみることにした。

 開放式のエレベータから出ると、ほのかにコーヒーのかおりがただよっている。

「おう、嬢ちゃん、ちょうどいま谷を出たところだ」

 シートから振り向きもせずに艦長が言った。

 ブリッジ前方の大きな窓に、ほのかに明けかけたうすピンク色の空が、どこまでも広がっている。その下には、この小さな惑星の、まるい地平線。

「あ………」

 ゴローが声をあげた。艦の正面、真西の地平からつよく輝く星があがってきたのだ。

「フォボスだな」

 艦長の声。――この小さな月は一日に二回、他の星や太陽とは反対に、西側からのぼってくる。

 ………そうか、ゴローにとっては地上に降りてからはじめて見る光景だ。………自分がいたところを、こんなふうに眺めるってどんな気持ちなんだろう。

 ―――それは、ほこりっぽくかすんでいる大気を、あたしたちの真後ろの朝日を受けて、まるで、空の女王のようにぐんぐん上がってくる。

 ………何とはなしにあたしはくちずさんだ。

「――西からのぼったお月さま………」

「―――東へ、沈む………」

 え、となって横を見る。あたしのフレーズに、ゴローが小さくこたえていた。

「………Japonの古い童謡だな」

 艦長がシートをこちらに向けた。手にしたカップを一口すすりながら、

「………オレの友人がよく歌ってたよ。なんでそんな、火星(ここ)じゃあわかりきったことを? と聞いたら、むかし、地球から来たばかりのヤポンスキ(日本人)たちが故郷を懐かしんで、たれともなくそう歌いはじめたんだと。………もとはヤポン(日本)の流行り歌だったらしいな」

 ………同じようなことを、あたしもオヤジからきいた。こいつ(ゴロー)も、いつか、だれかから聞き覚えたのだろうか………。

「飲むか、嬢ちゃんたち。赤水だが、豆は赤道コロンビアの逸品だ」

 艦長が、かたわらにあるコーヒーサーバーにアゴを向けた。

「オレの手淹れだからな。そのへんの店のヤツが飲めなくなっても、責任は持たんぞ?」

「あ、はい、いただきます」

 あたしたちは同時にこたえた。



  複合式クローラーで進むこの艦の標準時速は六〇キロほど。実際にはクレバスや大きな砂嵐などをさけて運行するので、目的地まで四~五日はかかる。

 MDMの装備の換装と整備は、最初の一日であらかたすんでしまった。

 艦長が自慢するだけあって、ヤンさんとエドワードさんの技量は一級品だった。おそらく、ポーラボラトリィの開発技師でもつとまるんじゃないだろうか。………ま、あたしみたいな、その場しのぎのメンテばっかやってるアマチュアには、一人前の職人さんはみんなそんなふうに見えるのかもしれないけれど。

 ヤンさんたちは引き続き、格納エリアに一〇機ほどあるこの艦のMDMの整備に取りかかっている。

「………なんかあったときには、オレたちが乗るんだから」

 乗員二〇人ほどでやりくりしているこの艦は、専属パイロットを置いておく余裕などないらしい。

 まんいち、艦が岩塊に乗り上げたときの破砕処置や、クローラー――いわゆるキャタピラ――が破損したときの交換作業。極冠近くの氷床で足がとられたときの強制牽引など、全長一一〇メートルほどもある大型の『アナスターシャ』には、備えておかねばならぬアクシデントは多く、ほとんどの作業にはMDMが欠かせない。

 たいていのトラブルは、いまのように赤道地帯から北上するときより、極冠方面で水などの交易品を積んでの帰途に起こるそうだ。

「重量も倍加するし、それに、水賊がな………」

 ときに、無法集団が良質の水を求めて、違法に武装したMDMで強奪をはかってくることもあるらしい。

「まぁ、たいていは、こっちがわもMDMを数だして威嚇すれば、おさまっちまうけどな」

 つまり、赤道地帯の東京から、極冠地方へ水を求めに行く往路は、危険は少ないがメンテナンスマンにとっては忙しい時間なのだ。

「あの、なんかあたしたちにできることがあったら………」

 と、きいてはみたものの、個別にチューニングされたMDMをいきなりいじるわけにもいかず、まして艦内メンテナンスに関しては、あたしたちは全くのしろうとだ。

「いや、きいてるぜ。おまえさんたち、ここを出てからが大変なんだろ。いいから、いまのうちにゆっくり休んどきな」

 そんなヤンさんのことばに、ここ数日の緊張の糸がぷっつりと切れて、あたしたちは格納エリアの一隅に備えつけられていた、数段ある簡易ベッドに倒れ込ませてもらった。未開の荒れ地を踏破しているこの艦は、ときにはサンドストームにあおられたりもして、ひどくゆれることが多いのだが、このときはそんなこと、全く気にもならなかった。

 明け方に眠り込んだあたしたちだったが、ふたたびあたしが気がついたときにはもう、とっくに日は暮れていた。

 各種の作業が一段落したのか、格納エリアの照明は落とされ、あたりに人の気配はない。あたしの下の段のベッドを見ると、そこに寝ていたはずのゴローのすがたも消えている。

 ………あいかわらず、艦はゆれつづけている。

 あたしはベッド棚のハシゴをおりて、あたりを見わたした。ハンガーのMDMたちは行儀よくスタンバイ姿勢をとり、暗がりの中でじっとたたずんでいる。

 ………が? スコルピオだけ、ハッチから明かりがもれている。

 あたしは、なぜとはなしに静かにスコルピオに近づいて、タラップをのぼり、そっと中をのぞいた。

 複座仕様に変更したコクピットの後部座席(サブ・シート)、もとはあたしが使っていたシートで、ゴローが表示パネルに向かい、何かに見入っている。聞こえるのはときおりゴローがふれるタッチボードの操作音だけ。

「………ねえ、なに見てんの?」

 あたしの声に、ふと顔を上げたゴローは、最後に右の小指をボードにタッチした。

「ん………! あ、いや、こないだ、ノエさんにもらったやつを………」

「あー、なんとかって昔の映画?」

「うん、まぁ………」

 あたしはコクピットに乗り込みながら、

「なんだ、照れることないじゃん、せっかくだからあたしも見たい」

 本来、ナナホちゃんのものである前部シートにからだをすべり込ませる。………セッティングのときもそう思ったが、このシート、カラダにフィットしてたしかに座り心地はいい。オートパイロットのときにリクライニングでもしたら、こりゃ、寝ちまいそうだわ。

 あたしのほうの表示パネルに目を落とすと、映画のメニュー画面がくり返し表示されている。

「なに? あんた、もしかしてこれの見方がわかんなくて、いろいろカチャカチャやってたの?」

「う………まぁ」

「………おまえは『うん、まぁ』星人か! あんた、ハッキングは凄腕らしいけど、こういうエンタメ系の操作はからっきしだめなのね。―――スコルピオにきいてもよかったのに」

「………スリープしてる人格モードを、起動するほどのことじゃない」

「あら、そう。………まあ、いいわ。―――この『本編』ってところから入ればいいのよね………」

 ………それは、下町を舞台にした古い地球の映画だった。

 あたしはあんまりこのテの映画は見ないので、最初はストーリーを追うので精一杯だったが、気づいたらいつのまにかその世界の中に自然に入り込んでいた。

 ゴローもしばらくは落ち着かないようすだったが(せまいコクピットだから、見なくてもそのくらいはわかる)やがて静かになった。―――もしかして寝てしまったのかと、ときどきそっと後ろをうかがったが、最後まで真剣に画面に見入っていたようだ。

「………おもしろかったね」

「………うん」

「このあと、主人公たち、どうなるんだろうね」

「………まぁ、なるようになるんじゃないか。………ってか、映画の登場人物なんだし、本気で気になるんだったら、『2』とか、『3』を見たらいいんじゃないのか」

「―――あのねぇ、あたしが言いたいのは、そういうことじゃなくて………」

 なんていうか、会話の空気読まない鈍感ヤローにあたしはひとこといいかけたが、そのとき、

「………………!!!」

「………? いま、なんか鳴らなかったか?」

「わ、わるかったわね! あ、あたし、朝からなんにも食べてなかったから!」

「あ………いや! ―――なんにも聞こえなかった」

 ―――い、いまさら、気のきいたふりしたって………!!

「あんたはどうなのよ! けっこうおなかすいてるんじゃないの?!」

「い、いや、さっきエドワードさんがメシ持ってきてくれたから………」

「へ?」

「あんなにカレーのにおいがプンプンしてたのに、ユーカ、ぜんぜん目をさまさないし」

「! カレー?!」

「うん。なんか、きょうは金曜日だからってさぁ」

「………あああ」

「うまかったよ、すごく。ここの食事はエドワードさんが担当してるんだってな」

 な、なんでそんとき、無理にでも起こさねーんだ、この野郎!

「? あ、ユーカの分なら厨房のほうでとっておくって、エドワードさん言ってたぜ」

 ?! それをなぜ、最初に言わん? あたしはタラップも使わずにコクピットから飛びおりて、とりあえず明かりの見える廊下に駆けだしていった。

「厨房どっちだーーー?!」

 ゴローのやつが面白い顔でこっちを見てやがったが、そんなの気にしないモンね!



 ………赤くさびた、岩と土くれの砂漠がどこまでもつづくまるい地平と、ピンク色にぼやけた空。

 単調な景色のなかで三日間が過ぎた。その間にあたしたちは、ゴローのMDM・アンタレスからスコルピオへの可能な限りのパーツの移植や、スコルピオに牽引させるフレーム・カーゴの積み荷の在庫点検、登頂ルートの最終確認など、いくつかの作業を消化していった。ときには、細かいところには手を出せないなりにも、ヤンさんたちの手伝いをしたりもした。

 しかしそれでも、そうとうの空いた時間ができてしまう。そんなとき、クルーが作業している横で寝棚を占領するわけにもいかないので、あたしたちはスコルピオのコクピットに入って大半を過ごしていた。ゴローは後部座席におさまってアーカイブのニュースや、ここらを中心とした惑星の地形図なんかと始終にらめっこしている。

 あたしも、何度となくルートと周囲の地形図や写真なんかには目を通したが、それも一通りアタマに入ってしまうと、にわかにやることがなくなってしまった。

「ねえ」

 ヒマになったあたしは、後ろのゴローに話しかけた。

「資料整理とかあるんじゃない。こっちのモニターにまわしてくれたら、少しは手伝うよ?」

「いや、いい」

 あいかわらず、無愛想なヤツ! ………まぁ、いいや。

 あたしはヘッドカムをかぶって『ナナホちゃんシート』をフルリクライニングし、目をつむった。………あー、きもちいい。………あのコ、この調子じゃ将来的にマッサージ機能とかまで追加しちゃうんじゃないかしら。

 ―――左手で、腰につけたウォレットからVAMのケースを取り出す。中から一枚を撰びだし、爪の大きさほどのそれをシートサイドのメモリースロットに挿入。ほどなく、プールした音楽がランダムに再生される。………ま、ぶっちゃけお気に入りのアニソン(まんがのうた)なんすけどね。どんだけボリュームあげようと、きょうびのヘッドホンで音もれする心配なんかはない。まぁ、いつものように鼻うたなんかはあげないようにして、と。

 しばらく歌をきいていたが、やがて、どうにもこないだまで見ていたアニメ本編の続きが気になってきた。いつもなら、こんなコクピットでの待機時間ができちゃったときには、メモリした番組を見てるからなぁ。

「………(うーむ、あれからムラコはループから脱出したんだろうか。先週配信の回もまだ見てないしなあ)………?」

 チラリと後ろをうかがう。ゴローはあいかわらず、パネルとにらめっこだ。

「………(『マジカルほのか』のセカンドシーズンも気になるところだ)………」

 ――そろそろとモニターのタッチパネルに手をのばし、メモリ内のインデックス画面を呼び出す。未再生のコンテンツを絞り込むと、数ページにわたってサムネイルが表示される。

「(あぁ、これこれ)」

 ふたたび後ろを気にしながら、そのうちの上位に分類していたひとつにタッチ。こころなし、モニターを少し下に向けて。

 しばらくはそわそわしながら、しかしやがて真剣に、あたしは画面に見入っていた。

「(うーむ、そうか、そうなるのか)………」

 ひと番組見おわったあたしは、水でもひと口飲もうとヘッドカムをはずしてシートから立ち上がった。そのとき………。

「変なマンガだなぁ………」

 後ろの声にギクッ!!

「なに、あんた………今の、その………見てたの………?」

「しばらくデータ処理の演算で時間あいたら、こっちのモニターにまわってきた」

「う………!」

 しまった、こないだ映画見たときの共通画像設定のままだった!

「どしたの、顔、赤いよ?」

「や、だって、あたしのクラスでもこういうの見てるヤツっていないし、あんただって、いい年のオトナがこんなん見てんのって………とか、思ってんでしょ?」

「……? ………変なマンガだと思うけど、おもしろいよ。つづきないの?」

「え、いや……もう一話分なら、ある、けど………」

 いいながら、あたしは無意識に指先でサムネイルをたぐっている。

「演算にもうしばらくかかりそうだから、見てもいい?」

「う、うん………あんたが見たいっていうなら、別に、いいけど」

 ………ヒトからこんなふうにいわれたの、初めてだなぁ。あたしはふたたびシートに座り込み、パネルを操作して、こいつが落ちて来る直前の、今週配信分を呼びだした。

「………あたしもまだ見てないんだから、おもしろいかどうかは保証できないわよ?」

 ―――そういいながら始まって五分もたつと、あたしはふたたびお話に入りこんでいた。


 ………物語も終盤に差しかかったころ、ふと何かが気になって、あたしは後ろをふり向いた。………なぜだか、あいつの目はパネルからはなれてコクピットの天井に向けられている。

「あのさ………やっぱ、あんまりおもしろくなかったかなぁ……?」

 あたしはインカムをはずしながら、少々、遠慮ぎみに声をかけたが、ヤツは返事をしない。―――うわの空………というには目つきがけわしすぎる気が………。

「ねぇ! つまんないんだったら、はっきり………!」

「……止まってる―――」

 ―――モニターのなかで主人公たちは、むつかしい顔をしたり、立ち上がったり、それぞれの役割を演じている。ちら、とのぞいた後席のモニターもそれは同じ。

 画像がフリーズしたわけじゃない。

「なにが………?」

 といいながら、ようやくあたしも気づいていた。―――この三日三晩というもの、休むことなく続いていたタテ、ヨコ、そして上下のキツい振動が消え、あたしがいま感じているのは、主エンジンが低速でアイドリングするうなりばかりになっている。

 艦が、動きを停止したのだ。

「………着いたのかな?」

 と、あたしがいい終わるより早く

「ありえない、これまでの消化距離から考えて、オリンポスまであと二〇時間はかかるはずだ。定期的に全天観測もしていたから間違いない。………なにか、あったんだ」

 それに関しては、あたしもけさがたヤンさんから、『到着は明日の深夜以降かな』と聞いている。いろんなことを考えるより早く、あたしはゴローの手をつかまえていた。

「ブリッジ行こう!」

 有無をいわさずタラップをかけ降りると、あたしたちは大きなストライドで艦内エレベーターに走っていった。




 エレベーターを出ると、そこにはほとんどのクルーが集まっていた。………キャプテンシートの艦長はむつかしい顔をしている。

 メインモニターを見上げると、あまり見たことのない機種のMDMが数機、こちらになにかを構えているようだ。

「………艦長?」

「ん? あぁ、嬢ちゃんか」

 いつもと変わらない落ち着いた声。―――しかし、クルーの人たちの表情は、いまこの艦があまり穏やかな状況にはないことを物語ってる。

『………抵抗はするな、いただくものをいただいたら、乗員に危害はくわえない。同じ火星人どうし、ムダな血は流したくない』

 スピーカーからはMDMの乗員かららしい声がきこえる。ゴローがヤンさんにきいている。

「あれは………水賊ってやつ?」

「ウン………ヤツら、そうはいってるけど―――ちがうねぇ。いくらトーキョーからの交易品を積んでるからって、水賊にとっていちばん欲しいのはやっぱり生活水だ。反撃されるリスクをおかしてまで、タンクがカラの北上船を狙ってくることは、まずないなぁ」

 重ねてあたしはきいた。

「それじゃ、あれは………」

「………シロートにしては、包囲の手際がよすぎるんだよねぇ。どうも、うさんくさいなぁ」

「―――総員、防御配備だ。あわてるんじゃあないぞ」

 艦長のひとことで、ブリッジのクルーはそれぞれの部署にむかって動き出した。

「………ヤン、嬢ちゃんたちのMDMに、カーゴをつないどけ。場合によっては離脱してもらわにゃならん。………嬢ちゃんたち、この先どう転ぶかわからんから、コクピットで待機だ」

「アイアイ、艦長。………聞いてのとおりだ、いくぜ」

 ヤンさんにうながされてあたしたちはエレベーターにむかった。

 キャプテンシートを過ぎるまぎわ、

「………心配するな、オレたちは場数をふんでいる………ま、ここからは、おまえらふたりに行ってもらうことになるかもしれんが」

 モニターからは目を離さずに艦長が言った。

「ありがとうございます、艦長」

「しっかりやれ」

 あたしたちはエレベーターに乗り込んで、格納エリアに向かった。




「………同じ火星人どうし、ムダな血は流したくない」

 紋切り型の通告を終えて、ショーンはカフを下ろし、小さくつぶやいた。

故郷(クニ)と所属はまったく違うけどな………」

 続けて隊内無線に切りかえ報告する。

「アーニャ・レントン少尉、通告完了。なお返信はまだありません」

「了解、ショーン・ブラスト曹長。以後、メイリオ・ハーク准尉の指示に従って各機包囲陣形を続行」

「イエス・マム………しかしこいつら、こんなに航路から外れたところでどういうつもりなのかな、アニー」

 赤い砂塵の中で、いっそう赤い夕日を背にして、ハンニバル・タイプと呼ばれる六機の軍用MDMがすばやく左右に展開していく。その少し後方で、二機のユリウス・タイプのMDMが待機している。

「知らん。とにかく我々は当面交易ルートを麻痺させるのが任務だ。やり過ぎて全滅させるなよ、引き返させて、交易路が遮断されているのをドームの連中に教えるんだ」

「わかってますよ………。 メイ、こちら、ショーン以下右翼三機、鶴翼に展開中。以後の指示、どうぞ」

「………そのまま続けて。どうやら連中、やる気みたいだから」

 メイのMDM、ユリウス・タイプのコクピットには、高度解析された映像で一〇キロ先のアナスターシャが、左右に大型ハッチを展開するさまが見てとれた。

「敵・MDM、フェリクス・タイプ四、ケプラー・タイプ三、出てくるよ」

「………どーします、アニー?」

 ショーンの問いにアーニャは答えた。

「二~三機は破壊してもいい………しかし、過剰な警戒心を持たせる必要もない、乗員はなるたけ生かしておいて、足止め程度の攻撃にしておけ。どうせ民間船の機材だ、たいした抵抗もできまいし、こちらの実態も知られたくない」

「艦のクローラー(キャタピラ)は?」

「帰還できる程度に残しておくのなら、二~三本は破壊してもよかろう」

「………了解。聞いたか、ヤローども、やり過ぎて殺しちまうなとよ。重火器、高出力レーザーの使用は禁止だ。………小型の実体弾も、クローラー以外にはなるたけ使うな。強化ワイヤーと、あとは近接格闘でなんとかしろ」

「ナイフはかまいません? 曹長」

「………いまのはマンか。好きにしろ」 

「ありがてえ、了解」

 半円形に展開していたショーン以下の各機は、扇が閉じるようにアナスターシャへの包囲を縮めていった。




「ヤンさん、これでいいの?」

 アナスターシャ後方の出入ハッチの直前にスコルピオをまわしてあたしはきいた。すでにスコルピオはビークルモードに変形し、後方には倍近い大きさのある補給ユニット・『フレーム・カーゴ』を連結してある。

「あぁ、オレたちは防戦するが、もしハッチを開放したら、ともかく全力で後ろに出ろ。―――オレたちのことは絶対に気にするな。八時間以内に回収信号をキャッチできなかったら、あとはおまえたちだけでいってもらうことになるな。………カーゴにはオリンポスと東京を二往復はできるだけの物資をつんであるから、そのへんの心配はいらん」

「それまで、ここで待機?」

「そうだ。………もしここを出たら、ともかく南に大回りして山を目指せ。ここからなら、オレの計算では予定より三〇時間前後の遅れで済むはずだ、ルートはコイツのナビに、もう入れてあるからな」

 後席のゴローがモニターでナビゲーションシステムを確認してうなずいた。

 そのとき、艦内放送で艦長の声が響いた。

「ヤン、どこだ」

「ユーカちゃん、オープンチャンネルにしてくれ………ここですよ、艦長」

「嬢ちゃんの機か………。敵は前方から六機、半包囲を絞り込んできている。榴弾や重砲を使わんのは、こっちをすぐに殲滅するつもりはないんだろう。―――右舷から大紅砂が近づいとる………見えるか?」

 ゴローが操作盤をタッチして艦の右側のリアルタイム画像をモニターに呼びだした。赤いチリを巻き上げた、巨大な砂嵐がうつしだされる。

「アイ、艦長」

「アレは使えるな………北側の山地に寄せるぞ」

「――去年の暮れのアレですね、わかりました、支度しときます」

 ………こんなときなのに、二人はなんだか楽しげにさえ見える。

 スコルピオから降りぎわ、ヤンさんはいった。

「………いいたいことはヤマほどあるが、オレももう出にゃならん。なんか、あるか?」

「ヤンさん」

 あたしとゴローは、眼鏡ごしのかれのひとみをじっと見た。

「気をつけて」

「………ありがとうよ。なーに、年に一度はこんな祭りがねえと、カラダ、なまっちまうからな」

 ヤンさんは飛びおりると、自分の機体のほうへ駆けていった。



「アーニャ少尉、やつら、紅砂のほうに動き出しましたぜ」

 包囲を縮める自分の機体から、ショーンは報告した。

「砂嵐にまぎれて、逃げおおせるとでも思ってるのか? 対象にあわせて包囲を続行、距離を一〇〇〇まで詰めたところで火器を使って足止めしろ」

「了解」

 艦の北側の、上空からたれた赤いカーテンのような大砂塵に向かってアナスターシャは進路をとっていた。それに合わせてショーンたちの機も包囲網を移動する。そのうちの一機からショーンに無線が入る。

「こちら左翼トーレ。距離一五〇〇だが、ヤツらもうじき紅砂に入る。そろそろ足止めにかかってもいいか」

「ショーンだ。威嚇で二~三発、前方にぶっぱなしてみろ」

「了解!」

 アナスターシャにもっとも近い左翼端の機体が左腕を持ち上げ、内蔵された速射砲を撃ち始めた。全速運行のアナスターシャの一〇〇メートルほど先に銃弾が突きささり、一列に砂煙が上がる。

「トーレだ。ショーン曹長、止まる気配はないな」

「いい度胸だ、ヤツら。もう少し詰めてからクローラーを狙え。いいな、走行不能に追い込むんじゃねえぞ」

「わかった」

 トーレの機体は大股でアナスターシャに接近し、ふたたび射撃の構えをとる。しかし、付近に散在する岩や、クローラー自体が巻きあげる砂ぼこりにはばまれて、照準は思うように定まらない。何発か放たれた銃弾も、途中の岩を吹き飛ばすか、クローラー廻りの装甲にはじき返されるだけだ。

 やがて、アナスターシャはその巨体を赤いカーテンのなかにもぐり込ませていった。包囲側、左翼の何機かも艦を追いながら砂塵に入っていく。

「曹長、現在距離八〇〇だが、目視がきかねぇ。直近まで詰めて足止めする」

「了解。こっちも一三〇〇まで詰めた。見えしだい攻撃しろ」

 トーレたちの機体はセンサーを頼りにアナスターシャとの距離を縮めていく。三〇〇メートル、二〇〇、一五〇、一二〇………

「見えた!」

 アナスターシャの左舷前方にトーレの機体があらわれ、射撃姿勢をとった。銃口が火を吹き、アナスターシャのクローラーの転輪がひとつ、はじけ飛んだ。



 いまは為すすべもなくコクピットに座り込んでいるあたしたちにも、周囲の状況は、刻々と伝わってきていた。

 ひとつには、かなり開けっぴろげにこちら側の通信チャンネルが解放されていること。もっとも、あたしたちは暗号キャンセラー越しに、艦の有線ラインから聞いているからだけど。

 もうひとつは、直接シートにまで響いてくる音や動き。艦がふたたび動き出してから何分もたたずに、おそらく外壁を激しく撃ちくだかれている音と振動。そして、艦がおおきくスリップするきしみとうなり。

「艦長、左舷三番クローラー、銃撃で履帯が破砕! 操作性七パーセント、速度は一八パーセントの低下です!」

「………気にするな、幼稚なおどしだ。相手が本気なら(ふね)はとっくに止まっとるわ。進路を維持したまま正面の岩帯に接近だ」

 オープンチャンネルから、艦長とクルーのやりとりが伝わってくる。ラインを回線からはじくこともできるはずなのに、まんいち離脱しなければならないあたしたちが状況を把握できるように、との配慮なのだろう。

「ゴロー、これって………」

「ん……、けっこうヤバそうだな………」

 あたしたちは艦にイレギュラーな振動が起こるたびに、ヤンさんのいう『まんいち』の事態が少しづつ、すこしづつ近づいてくるのを感じていた。


 やがて、艦の正面に高さ七、八〇メートルはあろうかという岩山が迫ってきた。

「減速! ブレーキング、全開!!」

 艦長の大音声とともに、艦は急速に停止した。

 

「へへ、やつら、追いつめたぜぃ?」

 左翼三機のうちの最先行機、曹長イラス・ババルのハンニバル・タイプ機が、いまにもその指をアナスターシャのMDM発着デッキにかけようと伸ばしてきた。

「フン、これで次の休暇は暖かい赤道帯のリゾートで……?」

 発着デッキに自分の機体を引き上げたイラスの目には、起動準備の整わなかった、この艦のMDM数機が放置している姿が見えた。そのうち一機のコクピットからはあわてて離脱する人影さえ見える。

「あーあ~、民間人ってぇのは、これだからぁ」

(この辺の二,三機も鹵獲すれば、ひと月くらい休暇がのばせるなぁ?)

 自分のハンニバルからワイヤーロックを引き出し、デッキ上の敵機を確保しようとする。その時………イラスは目のはじで、後方モニターに映る地面が急にふくらみ、持ち上がるのを感じた。

「………!」

 鍛えられた警戒心が機体を急旋回させ、あらためて眼前の異常に応じようとする。

 全てのアクシデントに対応できるであろう姿勢をとれる、その一瞬前………!

「おいおい。士官学校でなに習ってたんだぁ………?」

 のんきな音声が入ると同時に、イラスは自分の機体が身動きを止められるのを感じた。

「………どー考えたって、こんなのクッサイ罠でしょう? そーいうの、最近じゃ教わらないのかねぇ」

「あ………?!」

 コクピットのインターフェイスが次々とダウンしていく。自分の意図に従わないマシン。かつて味わったことのない感覚に、イラスは恐怖よりも戸惑いをおぼえる。

 にぶい鉛色の光を発する、一枚の巨大なカバー・シートが、イラス機の全身をくるみ、機体がアナスターシャから離脱しようともがけばもがくほど、ちぢみ、締め付け、その動作範囲をせばめていく。

「うまそうなエサを、目の前にバラまいとく。 ……駆け引きの基本でしょ? ――わざわざ釣られに来たってわけぇ?」

 デッキ上を、もがき、転がるイラスのハンニバル。そいつをカバー・シートの上から羽交い絞めにしながら、アナスターシャのチーフメカニック、ヤン・ヨークステルは、自分の乗機・MDMフェリクス・タイプのコクピットでつぶやいた。

「確かに、このカバー、パインバック本社で試験中の最新式システムだから、知らないのもむりはないんだけどさ」

 ヤンのフェリクスは、その実用一点張りのマニュピュレーターで、カバーの上からハンニバルのコクピットを探り出そうとしている。

「………プロの傭兵たるもンが、(ふね)外見(みため)だけで機材の装備を見誤るなんて、ずいぶん楽な戦場(げんば)ばっか、踏んできたもんだねぇ……?」

「てめぇ、一体………!?」

「その受け身の取り方、極地4区陸士校の出だろ? ………ブロンソン教官は元気かい?」

「?…… な、なんで、キサマ………」

「一回戦えば(やれば)わかっちゃうから言うけど、このカバー、ハイメタル繊維にナノマシーンを仕込んだ光学迷彩でさ」

 マニュピュレーターはなおもカバーをまさぐり、ようやく、目指すポイントを見つけ出した。

「地に伏せれば完全迷彩、相手にかければ動作拘束と、一枚二役の優れモノで、確か次の春先くらいには発表予定だから、近々お手にとってご覧になる機会もあると思うけどぉ? ………」

 フェリクスの、無骨だが実用的な指が、イラスの機体のコクピット・ハッチをギリギリと圧迫する。

「………まぁ、おれは教官に、MDMの動きはこう止めろって教わったぜ………!」

 ――やがてバキリ、と鈍い音がカバーの下で響いた。

 

 同じころ、その後方、約一キロの地点では、二機のMDMが格闘家さながらの立ち回りを演じていた。


 ―――やや(アナスターシヤ)の右後方に回り込んだショーン指揮下の右翼分隊は、気流のきまぐれで生まれた濃い砂塵に前進を阻まれていた。

 しかし二番機、隻眼の軍曹マン・アレッサンドロのハンニバルだけは、二〇メートルも視界のない、よどんだ沼の底のような赤い塵の中でほとんど速度を落とすことはない。

「………へ、『沼』なんてのは、よくガキの頃見たホラー映画でしかお目にかかったことはねえが………」

 暗い赤一色に埋め尽くされたモニターに、多少の息苦しさを感じつつ、しかしマンは歩をゆるめずに、標的(アナスターシヤ)に進んでいく。

「おい、マン、あんまり先行するな。こんな地形で、視界のきかねぇときに………」

「あ? ちゃんとマニュアルは守ってますぜ曹長。無理して加速なんかしてねえし………」

「おれが言ってんのはフォーメーションを………」

「わーってるって!」

 ショーンの声に多少のイライラを感じつつ、マンはMDMをかたちばかり減速した。

「………ったく、片手間仕事に時間とられてる場合じゃねえだろうが………」

 実際、作戦全体を遂行する上で、限られた時間で消化するべき作業は膨大であり、彼らもここのところ、四時間以上続けて寝たことはない。

「こんなの、チャッチャと片付けて次のプログラムを………」

 サブ・インターフェースで速度を調整し、再びメインモニターに目をやった時に、それは起こった。

「あ………?」

 うす暗い中、それでも一五メートルはあると見ていた視界が、突然、三メートル程になった。

 反射的に、違和感を覚えた腕がレバーを倒し、気がつけばマンのハンニバルは右側にスライディングしている。

「なんだ………?」

 考えるよりも早く、正面から赤いよどみを割って機械の腕が迫る。機体をさらに右側に転がしながら、マンはむしろ、喜びを感じる。 ―――敵だ!


 ――エドワードは、自称水賊のMDMが左に転がって行くのを見ながら思う。 ―――つまり、こいつは考えているよりプロなのだと。

 捕縛の機を逃した迷彩シートは、即座に砂漠の強風に放った。

 砂嵐のような、動きのある現象のカモフラージュにこそ、この光学迷彩は真価を発揮する。しかし、経験のないはずのこのトラップから逃れた相手を、安く値踏みするわけにはいかない。

 この場合、とにかくできる攻撃からやっておく。動かせる部分をすべて動かしながら、最も有効な一手を考えれば、いい。

 コンマ・数秒単位でそんなことが頭のなかを去来する。まずエドワードはその乗機・MDMマリウスの左手を敵に繰り出した。


「なんだぁ、コイツ? ………バケモノかぁ?!」

 相手のMDMは、これまで経験したこともないスピードで、切れ目なくマンの乗機に手を出してくる。しかし。

『――おれは場数を踏んでいる――』

 マンの自信の八割方はそこから来ていた。

「士官学校を出たってだけで、いい給料をもらってのんべんだらりとしてる連中たぁ違うんだ、おれはやべぇ現場をいくつ踏んだか、わかんねぇんだぞ!」

 ――貧困家庭から苦労して士官学校にもぐり込めたマン。

 しかし、単純に進路選択のひとつとして入学してきた他の学生たちとは、話をするたびに違和感が増していく一方だった。

「――軍隊で命を張るのは、おんなじ苦労を民間企業でするよりはいい金がもらえるって理由だけなのか?」

「――命を張ってるからってだけで、やみくもにまわりからチヤホヤされる。それでいいのかぁ?」

 上位成績卒業者表彰を前にして、考えたあげくの士官学校からの出奔。そこからはお決まりの裏社会からのスカウト、そして、それにすら嫌気がさしたあげくの傭兵勤めだった。

 ――しかし、そこでの自分に対する扱いは悪いものではなかった。

 個人の技量に対する相応の尊重。仕事の質、量に見合った報酬。

 なにより、この惑星(ほし)の将来に対して、多少なりとも貢献しているのではないか、という手ごたえがそこにはあった。

 ……ときには、解散勧告に応じない違法コロニーの殲滅戦など、後味の悪い仕事に参加することもある。

 水賊退治――違法な水源を確保しては、死に物狂いで抵抗を続ける、寄る辺なき集団。

 ――女子供を含むそんな連中に、銃を向けるのがおれの選んだ道か、と考えることもある。

 しかし、マンは後悔したことはない。

 ひたすら技量をみがき、目の前の敵を倒し、障害を排除する。そうした先に、自分の、ひいてはこの惑星の未来もあるのではないか、と思ってきた。

 いまも、これほどの使い手が敵にいようとは予想だにしていなかったが、それで少しも怯むことはない。いつもどおり、いつも以上に冷たい炎を燃え上がらせ、静かに反撃に転じるまで。

「これでも喰らいやがれ」

 マンは不利な姿勢を立て直しつつ、機の腰裏に仕込んだ大型ナイフに右腕をまわした。抜きざまに、相手の突き出してきた腕を狙いやいばを振り上げ、なじみの感触――金属と樹脂の断裂の手ごたえを味わおうとする。

 ――しかし、ナイフはむなしく空を切り、狙った獲物は眼前から消えている。

「う……?」

 と、目を凝らすと、敵は一瞬に一〇mほど飛び下がっていたようだ。

「野郎!」

 マンのハンニバルが地をけり、赤い砂嵐を割ってエドワードの機に迫る。背面のブースターを加えたスピードは、もはやよけ切れるものではなく、火星特有の希少金属(レアメタル)・ギオニウム製のやいばに切れないものなどありはしない。

「悪いな……!」

 ――殺すつもりなどなかった。しかしこの態勢からナイフを振りおろすと、正面からコクピットを両断することになるだろう。あいては(てのひら)を組んでボディをかばっているが、このナイフ、このスピードの前にはなんの効果も……。

 ガキン!! ――しかし、ありえないはずの音と共に、ハンニバルのナイフはエドワード機のマニュピュレータ・ハンドに受け止められていた。

「な、ん、だ、と……??」

 あまつさえ、マンの眼前のインジケーターには、わずかながらもナイフの刃こぼれを示す、赤い警告サインが明滅している。モニターに目を凝らせば、敵機のかまえた(てのひら)が、わずかに光っているのが見て取れる。

 ギオニウム製の刃を受け止められるのはギオニウムだけだろう。だが、まんいち敵がそれを装備していたとしても、あのスピードで振り下ろせば、受け止められるものではないはずだ。

 ……唯一、この状況でオレの一撃を止めることができるものがあるとすれば……。

「その指……ギオニウムではなく、ジリウム、いや……?」

 それひと握りだけでも歩兵小隊をひと月は雇うことができるといわれている希少金属ギオニウム。

 そのギオニウムを、特殊工程で精製した高品位マテリアルがジリウムである。

 マンも、一度だけ会戦した敵の高級指揮官機が装備しているのを見たことはあるが、しかし、それとも違うあの輝きは……

「もしや、(ダン)・ジリウム……? ま、さ、か」

 そんなハズはない。そんなハズはなかった。

 今回は、進路に迷い込んだ民間船を制圧するだけの簡単な仕事、のはずだ。

 万にひとつ、傭兵アガリのガードなどが付いていたとしても、こちらには腕があり、数がある。遅れをとることなど、ありえなかった。

 国家規模のバックアップをもった特殊部隊でもなければ、こんな装備は……

 ――そこまで考えて、マンは冷たい汗を感じ始めた。

 そうか? まさか、そうなのか? これほど早々と、どこかから情報が漏れていて……?

 こうした想いを瞬く間にめぐらせながらも、訓練された体はマシンの動きを止めることはない。

 やいばの通らぬ相手の眼前に着地し、その反動で脚のバネをきかせて敵の上空を飛び越える。

 火星特有の軽がるとした動きで振り返り、防御の手薄な相手の背中から切りかかれば、問題なくやれる!

 名づけて、『バック・ドラフト(後背の気流)』!

 ……殺った(とつた)!

 どんな手練れとの演習でもこれを受けて倒れない相手はいなかった。これで……

 ――そして、マンははじめて目にした。おのれの技をかけたにもかかわらず正面を向いている、敵の姿というものを……

「……ありえねぇ、ありえねぇ、ありえねええええええ!!」

 ――はじめて、この道に入ってから味わう恐怖だった。

 もはや、大人に抗う子供のように本能に突き動かされながら、ただ目の前の敵にナイフを見舞うことだけを考える。いまだ、機体操作の正確さだけはおとろえることがない。だが。「う、動かねぇ……!」

 敵は自分が着地するより早く反転しただけではなく、その鈍く輝く両の手でこちらの手首をつかまえ、左右いっぱいにひらいている。

 見る間に、鈍い光がハンニバルの手首に喰いこんでいき、右、そして左の指先が機能を失っていった。ギオニウム製の特殊ナイフは、その掌から力なく滑り落ちていく。

 ――負けるのかオレは、実戦で、こんなとこで――

 いつかはあるかもしれないと考えていた想いが、マンの頭のかたすみをよぎる。

 しかしこんなときでも、訓練を重ねたからだはタイムカウンターに目をやることを要求する。

「七秒、か」

 カウンターが教える戦闘タイムは〇七・〇三・五六を数えたところで止まっている。

「ふう、長かったな……」

 ……それでも、ひじから先は、そして足はまだ動く。あきらめることを教わらなかったマンのからだは離脱を試みようとするが、

「――そんな!」

 コンマ数秒前までマンの機を拘束していた相手は眼前から消え、替わりにうすく大きなカバー・シートがほぼ全体を包み、しめ上げていく。

「さっきの、シート? ……そうか、ヤツは気流まで読んで……?」

 接触早々、エドワードが手放したシートは砂塵で上空まで巻き上げられ、マンが誘導されたこのポイントに、再び舞い降りてきたのだ。

 むろん、その間エドワード機から、シートの形状が最良の気流を受けるべく、微妙なコントロールを受けていたのは言うまでもない。

 言われずともマンにも、そのくらいの察しはつく。ただそこまでの、神業ともいえるオペレーションを眼前で見せられたことに、何か、実感がともなわないだけだ。

「――これは、いかんな――」

 こと、ここに至っても、案ずるのはミッションを達成できるか否か―― 我ながら、よく訓練されたもんだと、マンは初めてコクピットの中で忍び笑いをした。



「あぁー! ダメダメじゃ~ん?」

 あかりの少ないコクピットのなかで、目をこらしながらネイルの仕上げに余念のなかった若い娘、メイリオ・ハーク准尉が、戦術コンピューターからの警告に声を発した。

 両手の爪先に極彩色の蝶がひらひらと舞い、左小指の一羽が、最後の羽根を描きこまれるのを待つだけになっている。

「……マンのやつぅ、普段から偉そうに、アタシにまで説教たれてるクセにぃ、一〇秒ももたなかったって、どーゆうコトよ、アニー?」

「――と、いうより、ほとんどの機が接敵から三、四秒で通信途絶だ、な」

 どこか、物憂げな声が返ってくる。

 アニーと呼ばれた女、アーニャ・レントン少尉は自機のコクピットで、みじろぎもせずにモニターを見つめていた。

「コレ、なにぃ? こんな段階であたしたちにひと仕事しろってわけぇ?」

「……しかたないな、完全に想定外だが、敵の技量を見誤ったこっちのミスだ」

「あ~! ウザいウザい、ウザいよぉ!」

「――ゴメンね、メイちゃん?」

 そんな二人の通信に、若い男の声が割って入ってきた。

「甘い見込みを立てたのは、結局ボクの責任さ――だから、こんなとこで悪いんだけど、あのオジサンたちをちょっと助けてきてもらえないかなぁ」

「大佐……?」

 その男、ジッシャー特別査察官のなだめるような声に、メイは少し機嫌を直したようだ。

「……わかりましたぁ。ちょっと行ってあいつら、やっつけてくればいいんですね?」

「……お願いできるかな、メイ?」

「はい!」

「いい子だ――アニー?」

「アイ、サー!」

「……詳細はわからないが、どうやらあちらさんは、かなりいい装備(モノ)をお持ちのようだ――そそうのないように、丁重にお相手してやってくれ」

 軽い言葉とはうらはらに、モニター越しのジッシャーのまなざしは、めったに見せない真剣味をおびている。

「……おまかせください」

 戦術モニター上に、最後まで残った緑の光点が赤に変わるのを確認しながら、アニーは静かに通信を終わらせた。




 なにかが、艦体のそとからはげしく叩きつけてくるような衝撃音。それを最後に、大きな物音は聞こえなくなった。それまで、あたしたちをはげしく揺さぶっていた、艦の動きや振動も。

「終わった……のかな」

 あたしの問いに、後席のゴローは答えようとせず、黙ってモニターに見入っている。

 しばらく控えられていたらしい通信が、再び始められる。

「艦長、標的六機、どうにか整いましたよ」

「……ご苦労だった、ヤン。とりあえず、いつものようにな」

「アイ、サー」

「嬢ちゃんたちのこともたのむ」

「わかってます……ユーカちゃん?」

 オープンチャンネルから聞こえてくる会話が、あたしたちのほうへ向けられてきた。

「どうだい、元気してる?」

「ハ、ハイ! あの、ヤンさん、だいじょうぶですか? いま、どんなカンジ……?」

 あたしったら忙しい最中にいきおいでよけいなコトを訊いちゃったかも…… でもヤンさんは、ゆとりのある声で答えてくれた。

「はいはい、こんな感じですよ」

 パッと、メインモニターに画像が開く。どうやらヤンさんのメインモニターと同調しているようだ。

 アナスターシャの上甲板にいくつかの、おおきな丸っこい物体が並べられているのが見える。

 一つひとつをビューワーで拡大すると、鉛色の包み紙にくるまれたようなそれらから、ところどころMDMの手足やパーツがのぞいているのが見て取れる。

「ヤンさん、こ、これ」

「うーん、名づけて、『夏の野外昆虫採集』ってとこかな」

 ……なるほど、捕獲されたMDMは、すべてが動力を止められたわけではなさそうで、中には『包み紙』のすきまからハミ出た手や足がビクンビクン動いているものもある。

 やがてヤンさんたちのMDMは、その鉛色ダンゴを一つづつ、艦の右に左に、ワイヤーで釣りさげはじめた!

「……ヤンさん、その、これってどういう……?」

「んー? こーゆうふうにしといたら、こいつらのお仲間も手を出しにくいだろう? ま、こんなときのおまじないの一種みたいなもんさ」

「で、でも、中の人は……?」

 あたしは見た。見てしまった。『包み紙』のすきまからちらりと見えた一機のコクピットはグシャリとなっていたのを……

「あぁ、こういうの、見慣れてないとコワくなっちゃうよね。……ウン、そうだな、サーモグラフをかけてのぞいてごらん?」

 あたしは言われたとおり、モニターに温度感知オプションをかけた。

 それぞれの『包み紙』のなかの、コクピットとおぼしき位置には、人型の赤い塊がうごめいており、なかにはいまだ脱出を試みているのか、必死で両手を動かしているのが見て取れるものもある。

「ま、あいてをコロしちゃうなんてのは下の下だし。……なにより火星では人命がもっとも大事な資源だろ? このまましばらく魔よけになってもらって、てきとーなところで放しちゃうのさ」

 ……だけどそれって、そうとうな腕前がないとできっこないことじゃ……。 ノエさんのお知り合いの、この人たちっていったい……?

「――それじゃ、もう大丈夫なの?」

 ふいに、あたしのうしろのゴローが口をひらいた。こいつはいつも前置きがないからビックリするっつーの!

「待機は、解除?」

「そうだねぇ……」

 ヤンさんからゆとりは失われないが、言葉は選んで答えているようだ。

「そういうふうになるといい、といつも思うんだけどねぇ……」

「おれも、いつもそう思っとるよ。……そして、そうはならんのだなぁ」

 艦長の声。

「ヤン」

「はいはい、見えてますよ」

 ふたりの会話の意味は、ゴローがあたしのモニターに即座に回した広域マップの画像でわかった。

 赤く分類された光点が二つ、そうとうのスピードでこちらに向かってくる。

「艦首を新しいお客のほうにむける。そうしたら、後部ハッチ開放だ」

「――了解です」

「嬢ちゃんたち、アチラさんは、まだまだ遊ぶ気をなくしとらんようだ。悪いが、ここからは先に行ってもらえるかな」

「え、でもでも、こっちは圧倒的に勝っちゃってるんでしょう? そんな、あわてて出てかなくても大丈夫なんじゃ……」

「ユーカちゃん」

 ゆとりの消えた、ヤンさんの声。

「三〇秒後に開放だ」

「ヤンさん……」

「いま来てるやつらは、さっきの連中みたいに油断も、手加減もしてこない。そしておそらく、装備も良くて腕も立つだろう。……残念ながら、艦内の君たちのことを配慮してる余裕はなくなるってっことさ」

 さ、さっきの戦いは余裕でやってたの? この人たち……!

「それじゃ、用意しろ。、ハッチ開放まであと一二秒」

「あの……」

「スコルピオ起動させて!」

「ハイ!」

「オレはオーケーだぞ、ユーカ」

 スコルピオの機敏な返答

「じゃあ、八、七、六……」

 あたしは、モニターのヤンさんと艦長に向かって

「みなさん」

「ん?」

「……いってきます!」

「おう!」

 間口の大きな後部ハッチが上下に口を広げ、赤い嵐が艦の中にまで吹き込んでくる。

「三、二、一、行け!」

 ヤンさんの声に送られて、あたしはスロットルをいっぱいに踏み込み、錆び色の霧の中へと飛びだした。



 そのころ、ユーカたちが飛び出たのとは反対の方角から、二機のMDMがアナスターシャに向かって急速に接近していた。

 戦場指揮用にカスタム化されたその黒い機体は、通常機の一、三倍ほどのスピードで迫ってくる。

「メイ」

「あによぉ」

「うちの連中を五分で黙らせた相手だ。手加減はするな」

「わかってるよう。全武装、ロック解除。マルチ戦闘チャンネルオープン。擲弾砲照準はいる」

 それぞれの機内のメインモニターに、おぼろげながら嵐の中のアナスターシャの艦影が、輪郭をみせはじめる。

「照準ロック。射撃姿勢……」

 アニーの整った唇が戦闘開始を告げようとする。

「射撃……まて!」

「な、なに?」

 アニーの機に従ってメイも機の歩みを止め、モニターの解析された画像に見入る。

 艦の両舷に釣りさげられたMDMが六つ。どれも機体の中心部が、ほのかに赤みを帯びて表示されている。

「あいつらぁ……」

「生きてるな」

 軽くため息をつきながらアニーが続けた。

「……一難去って、また一難、か」

「ぶっちゃけ、ありえなくなーい? こんなんだったら、死んでてくれたほうがぜんっぜんましだったってーの! あー、つかえねぇ連中!」

「そうだな。あいつらも、そのくらいの覚悟はできているだろう。メイ、遠慮なく行くぞ」

「OK! 擲弾砲、発射!」

 メイのMDM・ユリウスタイプの左右の肩口、人間でいえば肩甲骨の上あたりに設置された砲口からカバーがはじけ飛び、二発の弾体がゆるい弧を描きながら白煙を引いて、アナスターシャに向かっていった。



 艦を飛び出して三キロほどで、赤い霧のカーテンを抜け出した。とにかく、あたしたちはヤンさんたちに言われたとおり、全速で離脱していく。

「アナスターシャの様子、どう?」

 あたしは前方の状態をモニターするのに手いっぱいだったので、後席のゴローにたずねた。

「始まってるな。艦の周囲に高温反応がいくつかある。相手は人質に構わず撃ってきてるみたいだ……」

「さっきみたいに、手早くはいかないみたいだね」

「……」

「ユーカ、砂嵐を抜けたから、しばらくはオレ一人でもいける。気になるなら後方をチェックしていろ」

「ありがと、スコルピオ」

 ゴローにアナスターシャの周辺マップをまわしてもらい、モニターのすみに表示されたそれにあたしは目を向けた。

 やや大きな、ブルーの三角に表示された光点の周辺に、小さな丸いブルーの光点が五つ、六つ。さっきの進路の方向に移動している。

 それに対して、あたしたちが離脱したのとは反対の方向から、二つの赤い光点が近づいてくる。

「これ、かなりのスピードだよね……」

「……カタログで見たことがある。軍の指揮官機のスペックだな……」

 赤い点、敵のMDMからは、高熱を表す黄色の光点が、絶え間なくアナスターシャの機に発射されている。

 やがて、青と赤の光点がぶつかり合い、アナスターシャの機体の表示がひとつ、またひとつと消されてゆく。

「ヤンさん! エドワードさん……!」

 ――二つの赤い点は、最後に残った三角の表示、アナスターシャの進路をふさぐように移動してきた。やがて、ひときわ大きな黄色の光点が、アナスターシャに向かう。

 その直後、後方を映していたモニターに、もうだいぶ遠くなっていた紅砂の中心あたりから、赤いキノコのような、大きな、おおきな雲が上がるのが見えた。

「……! あれは……」

「……熱が強すぎる。アナスターシャの艦影が確認できない……!」

 ゴローが静かな、そして沈んだ声であたしに告げる。紅砂の周辺マップは、二つの赤い光点が引き揚げて行くのを示しているだけだ。

 突然の虚脱感。もう何も考えられなかった。

「……とにかく、予定のコースを行こう。彼らが無事なら八時間以内に連絡があるはずだ……」

「うん……」

 そうしてあたしたちは、本来の予定より、遠回りで険しい、南周りのコースへと進んでいった。




 ……あたしたちがアナスターシャから離脱して、もうじき一〇時間になろうとしている。

 (ふね)からの連絡は、まだ、ない。

「ねぇ」

 あたしはゴローに声をかけた。

「あの襲ってきた連中、あたしたちを見逃してくれたのかな?」

「……わからない。こっちの索敵範囲にも限界があるから、追ってきてる可能性だってあるんだが……」

 ゴローは様々なマップを見比べながら、言葉を選んでいる。

「これだけたって、なにも仕掛けてこないんなら、ぼくたちのことは気にしてないのかもしれない。 ……あるいは、はじめから離脱に気づいてなかったってことも……」

 ――そのとき突然、どこからか聞きなれない声が、あたしたちの会話に割って入ってきた!

「だいじょうぶですよお、追手はかかってきてないみたいですぅ!」

「な、なに! スコルピオ? 変な声ださないで!」

「バ……バカ、おれがこんな女の子みたいな声出すワケが……」

 すると今度は後ろから、

「う、うわぁっ!」

「どうしたの! 敵が……?!」

 と言いながら振り返ったあたしは、しばらく凍りついてしまった。

 目を見開いたまま、口をパクパクさせているゴロー。

 ――その頭のまわりを、フリフリのピンクのドレスで決めた、手のひらサイズの妖精タン(あたしには、そうとしか見えない!)が、ヒラヒラと飛びまわってる!

 ……その『妖精タン』は、かぎりなくあま~い、いわゆるアニメ声で、あたしのほうに話しかけてきた。

「あ、はじめましてぇ。あたし、シートメイトのルナと申しますぅ、ユーカさまぁ」

「え! な、なにぃ?」

「じつは先日、ナナホさまのご命令で、アルテミスさんからこちらのスコルピオさんにお引っ越しさせていただいてましたぁ」

 ……『妖精』はコクピットの中を、右に、左に、ひらひら舞いながらおしゃべりを続ける。

「――よろしかったら、『ルナたん』と呼んでください。あ、『シートメイト』と申しましたが、『メイド』と思っていただいてもけっこうです! それに、あたし、けっこうカワイイはずですから、アイドルと呼んでくれてもかまいませんよぉ、ご主人様(マスター)?」

 そのときあたしの脳裏を、ある言葉がハッとよぎった!

『――使い方がわからなければ、シートが教えてくれるから――』

「……ア、アンタ、もしかして、ナナホちゃんのパイロット・シートをこっちに移したときに……?」

「はぁい! 『ナナホさま・シート』専用の、チュートリアル・プログラムAIがこのわたし 『シートメイト・ルナ☆たん』でぇっす!」

 あぁ! あのときのナナホちゃんの一言は、こういう意味だったんだ……!

 ナナホちゃんって、一から一〇まで説明するような性格じゃないから……。

 妖精は、なおもおしゃべりをやめない。

「どうしました、ご主人様ぁ? そんなに、びっくりさせてしまいましたかぁ?」

 なんとかあたしは落ち着きをとり戻してきたので、ひとつきいてみる。

「あ、あんた…… シートを積み替えたのは四~五日前だったわよねぇ…… なんで今頃になって、だしぬけに現れてくるわけぇ?」

「あ、はいぃ! じつはナナホさまからぁ、最初に言いつけられてましてぇ…… あの、『アナスターシャ』さんと接触が切れて一〇時間たったら、みなさまの前で実体(3D)化するように、と……」  

「……そのスタイルは、ナナホちゃんの趣味なわけ?」

「はいぃ! 全身ピンクでフリフリぃ! モエモエで、キュンキュンですぅ!」

「…………」

 頭を抱え込んだあたしと、口が開いたままのゴローに、妖精は交互に首を向けてニコニコしながら、さらに付け加えた。

「あ、ちなみにぃ、好きなコトバは『らめぇ~』と『くぱぁ~』ですぅ!」

 頭痛が、なんか、かなり重いづつうがぁ!

「どうしたんですかぁ、あたらしいご主人様ぁ? 冗談ですよぉ、そんなに、たじろがなくっても大丈夫ですぅ!」

「――なぁ、ユーカ。同じAIとして思うんだが……」

 電波妖精のひとりしゃべりに、スコルピオが割って入ってくれた。

「こいつの言うことは、あまり、まともに取り合わないほうがいいんじゃないか……?」

「あ~? スコルピオさん、ひっど~い! もお~~~ぉ、ルナっち、プンプンですよぉ?」

「……それで、追手が来てないってのはどうしてわかる?」

 ようやく、ゴローが冷静な声で、広域マップに目を落としながら、

「現状、ぼくらの捜索……いや、索敵能力はそんなに高くはない。いまわかってる範囲に相手がいないからって、安心するわけには……」

「はい! じつは、当シートに内蔵されている強化プログラムを、スコルピオさんのセンサーに連動させることで、本来の検索範囲を四倍ほどに拡張させていただいておりましたぁ。若干、精度はおちるのですが、ここ数時間は異常がありませんでしたので、だいじょうぶだとおもいますぅ!」

「へ、へぇー。さすが、ナナホちゃんのプログラムね。すごいじゃない」

「てへへ、それほどでも。でも、まだまだ、あんなことやこんなこと、いろんなことができますよ。じつは、ナナホさまの御趣味でぇ、戦術シュミレータなんかもはいってます。もし、そんなご用事であたしを呼び出すときには『戦争妖精』とでも呼んでくださいねぇ?」

 ……どうにもこの妖精のおしゃべりは止まりそうにない。

「そのほか、何かとみなさまの旅のお手伝いをするように言いつけられておりますので、どうぞよろしくおねがいしますぅ。あ、それと、おわかりだとおもいますが、あたし、シートと、コクピット内の投影機をリンクさせて現れてますから、ここから出ることは、基本、できません。こんなにかわいいのにお散歩にもいっしょに行けないなんて、とても残念だと思われるでしょうが、どうか、ごかんべんを!」

 そういいながら妖精は、片手をあげて思い切り目をつむりながら、ペコリと頭を下げた。ようやく口上にひと段落ついたらしい。

 あたしとゴローの目があって、同時にため息をついた。

 ……でも、まぁ、こんなときはにぎやかなほうが、いいか。




 やがて、さらに予定コースを半日ほど走ると、徐々に勾配がきつくなってきた。

 前方に、折り返し地点の目安になる火山が、その地面にへばりついたようななだらかな姿を見せ始めている。そろそろ進路変更が近いとあって、またぞろ『妖精』サンがさわぎはじめている。

「……はい、みなさま、先ほどまで左手後方に見えておりましたのが、タルソス高地三山のひとつ、アスクレウス山でございました」

「……これより、進行方向、南正面に見えてまいりますのが、その三山の、二つ目の火山、パボニス山でございまーす」

「……なお当機は、このパボニス山の手前で北西方向に、右九〇度以上の変針をする予定ですので、さらに南西のアルシア山は残念ながらお目にかけることはできません~」

 もはや、このコのおしゃべりにいちいち突っこむ根性は、あたしもゴローもとっくに失っていた。

 基本、マシンのスコルピオでさえ、無駄にメモリを消耗するのを控えるためか、言葉少なになっちゃってる。

「……パボニス山。発音しにくいですよねぇ?」

「……このタルソス地方三山はすべて多年にわたる噴火の結果、積層されて構成された火山でして、どれも高さ一五キロ前後。最高峰オリンポスにはあと一〇キロほども及びませんが、それでも太陽系内では堂々たる山容と言えましょう」

「……ところで」

「……当機がアナスターシャさんから出発して、そろそろ二〇時間ほどになりますが……」

「……みさなま、そうとうバイタルが低下していらっしゃるご様子ですが……」

 限界状況での脱出のストレス、長時間・長距離の移動、悪路を揺られっぱなしの車内……艦を出る時まで寝ていたわけでもないのだから、かれこれあたしたちは三〇時間ほど、ろくに睡眠を取ってないことになるだろうか……

「……このあとの旅程を考えますと、この辺でいちど、ちゃんとした休息を取られたほうがよろしいか、とおもいますけどぉ」

「――そーいうふうに、気をきかせることもできるのね、アンタ」

「ハイィ! シートの各センサーを通じて、マスターの身体状況はつねに把握しております。また、後席のゴローさまも、呼気に含まれる一酸化炭素、水素、メタン等の値が変動しており、代謝機能に明らかな低下がうかがえます」

「――あー、なんかまともなコトいってる」

「そこで! あたし、この先二〇キロほどの場所に、駐機に最適なくぼ地を発見いたしました。ここでひとつ、睡眠と、あたたかい食事もとって、肉体疲労に栄養補給といこうじゃありませんか?」

 どっかで聞いたようなフレーズに突っこむのは、もういいとして。

「うん……でも、予定のほうは……」

と、後ろを振り返ると、揺れるシートの上で、ゴローは目を閉じて休んでいた。こころなしか、顔色が悪いようにも見える。

「スコルピオは……?」

「オレも休息をはさんだほうがいいと思うぞ。それにオレ自身、長時間の連続運転は各部にストレスになるところもあるし、すこし、自己点検の時間があると、ありがたい」

「――わかった。……え~と、ルナちゃん、それじゃあそこで停止するわ。時間は……」

「七時間ほどがよろしいかと」

「……うん、それで。その地点までどのくらいだっけ?」

「あと、三〇分前後で到着の予定でっす!」

「うん、じゃあ、ナビをおねがいね」

 そのまま、あたしはシートを少しリクライニングさせると、からだをもたせかけて目を閉じた。




「はーい、予定地点に到着ですぅ! 当地の時刻は、現在二〇時五六分。すぐに野営の準備をいたしますから、もう少々お待ちください!」

 ――あー、意識、トんでた!

 ……もはや、耳にへばりつくように、こんな短時間で聴きなれてしまった『アニメ声』が、あたしたちを浅いまどろみから、しんどい、シンドイ浮世へと、呼び戻してくれちゃってます。

「ふゎーぁ、なにぃ? 野営って? ここで停車して休憩するだけじゃないのぉ?」

「いえいえぇ! 中途半端な休息は、かえってあとで疲れをぶり返すこともありますよぉ? ここは、あたしと、ノエさまから贈っていただいた『フレーム・カーゴ』の全能力を使って徹底的に休んでいただきます!」

「は…… まぁ、そんじゃ、よろしくたのむわ」

「はいぃ! それでは、システム『アンブレラ』、展開します!」

 スコルピオの後方に連結している、補給用の大型キャリア、フレーム・カーゴ。

 その前部からそう太くはない支柱のようなものが十mほど上まで伸び出した。

 そして、その上端を中心にして、柱は芯を残していくつにも割れるように開いていく。

 それらはそのまま四方八方に伸びてゆき、スコルピオとカーゴを中心にしたやや広い地面に突き刺さった。

「なるほど、『(アンブレラ)』だなぁ」

 モニターでその様子を見ていたゴローがつぶやいた。

 ……『かさ(アンブレラ)』って……あぁ、なんか、映画かなんかにでてくる、地球で、雨っていうの(水が空から落ちてくるなんて。しかも、タダ!)が降ったときにつかうあれかぁ。

 そんなの、見たことないから……。

 展開した『アンブレラ』は、地面に刺さった支柱同士の間に、さらに細い部材を網の目状に張り巡らせ、あたしたちの機体を覆う直径二〇mほどのドーム状の空間を作り出した。

「フレーム注水。レンズナノマシン、活性化します」

 ルナのインフォメーションと同時に網の目のあいだに薄い膜が次々と張られていく。

「ドーム内機密性……チェック。カーゴより圧縮大気放出……気圧調整……チェック。カーゴ循環ヒーター起動……気温管理良好。ドーム内環境再度確認……オールグリーン。……おふたり様、お待たせしましたぁ! 安全確認、終了! ハッチ、解放してもよろしいですかぁ?」

「え? あ……。 は、はい」

 妖精の甘ったるい声に、あたしが答えるとと同時に、パシュ……っとコクピットが開いた! つめたい空気の侵入に身構えたいたてたあたしは、いつもとちがう気配に面食らった。

「あ……なんか、いいにおい」

「カーゴには、東京ドームが春先のときに、緑地エリアで早朝に採集した新鮮な大気を、急速冷凍液化したものを積んでいますのよ。ノエ様の心遣いですぅ」

 ……鼻の奥をくすぐる、やや甘くあたたかい大気に、ふだんのノエさんのまとう、やわらかく、やさしい香りを感じた。

 地面に降り立つと、足の裏に砂礫のごつごつした感触が伝わる。

 上を見上げると、軽金属のフレームにホールドされた多数の水のレンズ越しに、晴れた夜空を望むことができる。

 外の大気は呼吸可能とはいえ、この標高では標準気圧の四〇パーセント。気温に至っては零下二五度を切っている。

 この、ウォーターレンズを形成するための簡易フレームを内蔵しているのが、あたしたちが連結してきたフレーム・カーゴという車両なのだ。

「……あれがアルタイル、そして、ベガ、デネブか……」

 ゴローが、夏の大三角と呼ばれる三つの星を指差した。

「じゃあ、オリンポスはあっちのほうだな」

 と、西のほうに振り向く。

 もちろん、太陽系内の惑星から見る限り、星座の位置関係に変化などないから、ゴローの頭にひと通りの星座の知識が入っていても不思議ではない。

 火星から見える星座、フォボスから見える星座、そして、地球から見える星座は、どれも全く同じものだ。

「ユーカさまぁ、カーゴの左側面のほうに廻ってくださいぃ!」

 コクピットの中から、妖精が声を張り上げている。言われたほうに行ってみると、カーゴの外壁が一部展開しながら外側へひっくり返り、簡単なテーブルといすを形作っている。

 その上に、なにやら用意されているのは……

「メニューのほうは、そちらにしておきましたぁ! やはり、夜食といえばおうどんですよねぇ!」

 湯気の立った、淡い琥珀色の汁に浸ったうどんが二膳、ご丁寧にたまごまでおとされて、各種薬味と一緒に置かれている。

 あたしとゴローは顔を見合せながら、着席して、ひとくち、すする。

「おいしい!」

「うまい!」

 ……おちついていただく食事はいいものだ。それが実現できるこのカーゴシステムに改めて感心し、また、ノエさんに感謝した。

「さて、食べながら聞いていただきますが、カーゴの反対サイドには簡易ベッドを用意いたします。出発まであと六時間半を切りました。なるたけゆっくりとお休みになったほうがよろしいかとおもいます」

「ありがとう、ルナちゃん」

「いえいえ。 ……とっころでぇ、その、お布団のほうなんですけどぉ?」

「ん?」

 あたしの問いに、ルナは

「大きめの床を一枚お敷きして、枕はおふたつ、でよろしかったですよねぇ?」

 !! 思わずあたしはウっとむせてしまった。あの、コクピットからチラチラこっちをのぞいてやがる妖精やろう! ゴローはキョトンとしてやがるし!

「なんだとぉ?!」

 思わず立ち上がって、カーゴの裏側へ駆け廻ると、前部と後部の外壁が展開して、ミドルサイズの簡易ベッドがふたつ、用意されている。

「おいこら、ルナァ!」

 あたしのあまりの剣幕にルナは

「あらやだぁ、ユーカさまこわぁい! だってそうゆうの、お約束じゃないですかぁ。ねーぇ、スコルピオさん?」

「いや、だから、そのユーカ、あんまりコイツを相手にするなと……」

 コクピットの中から、ニコニコこっちをのぞいている妖精と、困り果てたようなスコルピオの声。

 はぁ、なんだか、いままで張り詰めていた気持ちが、少しゆるんできちゃった。あたしは、くるりとからだをまわすとテーブルのほうに向かった。

「おうどん、残り、たーべよっと」

「どうぞ、ごゆっくりぃ! ……それからユーカさま」

 話しかけてくる妖精に、もはやあたしは顔も向けずに

「……なに」

「おふたりがお休みのあいだも、あたくしとスコルピオさんで分担して、周辺の広域スキャンは常時稼働しておりますので、どうか、安心してください」

「ありがとう」

 ――うん、基本的に、こいつは優秀なソフトなんだよな。ナナホちゃんが自信を持ってあたしたちに同行させてくれたわけだし。ここはしっかりと休ませてもらうことにしよう。

「だから、朝までおふたりでナニをなさっていても、ダイジョウブですよ?」

 ……しかし、なんでいつも一言多い?!




 ……野営地を出てから一四時間ほどたった。あれから二度の小休止をはさみ、いま、あたしたちはオリンポス山への登頂ゲート、(しも)オリンピア・シティを目の前にしている。

「……とうとう、ここまで来たね……」

「……あぁ……」

「――来ましたわぁ!」

 ……最後のひとりのセリフは、無視するとしてぇ……。

「これから、どうするの?」

「下オリンピアの山麓側に、山頂都市『(かみ)オリンピア』に向かうガントリー・エレベーターがあるはずだ。まず、そこを探そう」

「でも、ここはずっと前に捨てられた街だよ。エレベーターがあっても、使えるの?」

「……さぁな」

 出たよ、ぶっきらぼうキャラ! ここにいたって、それやるかぁ?

 でも、こいつがこういう態度に出るときって、だいたい何か考えてるコトが多いんだよね……



 ……太陽系最高峰を誇るオリンポス山。――その南麓に位置する、オリンピア登頂ゲートシティ・下オリンピア。

 かつてここは、地球との交易都市として大きなにぎわいを見せていた。

 地球から輸送されて来る物資はまず、中継ポートとして開発された火星の月、フォボスに到着する。

 そしてそれらは、我々が『クモの糸』と呼んでいる、フォボスから地上へ向かって伸びている一種の軌道エレベーターで、オリンポスの山頂に投下される。

 特定の投下ポイントで回収された物資は、オリンポス山頂付近に建設された極地型密閉都市・(かみ)オリンピア・シティに集積され、ガントリー・エレベーターで順次下(しも)オリンピアへと降ろされるのだ。

 つまりは、この上下オリンピア・シティこそが、情報だけではない、具体的な色とカタチをともなった様々な品物で、地球と我々のつながりを強く実感させてくれていた場所であり、多くの人にとって心の故郷ともとらえられていたところなのだ。




 ――朽ち果てたドームの中をうす赤い風が通り抜ける。かつて星の都と呼ばれたこの街も、今はさび色のほこりにおおわれた、壮大な文化遺産だ。

 最盛期のころまでは拡張につぐ拡張を続け、街並みはまるで迷路のように入り組んでいる。これを抜けるには、アーカイブから呼び出した、一〇〇年以上前のマップくらいしかたよるものはない。

 ようやくあたしたちが下オリンピア・シティの北端にあるエレベータ・エリアにたどり着いたころには陽が地平に落ちようとするころだった。

 全部で十基の大型エレベーターが、幅一キロにわたってきれいに整列している。

 エレベーターといっても、もちろん一般のビルなんかにあるような、小さな箱をイメージさせるようなものではなく、鉄枠に囲まれたむき出しの大きな床が、斜面に沿ってオリンポス山を上下するという感じのシステムだ。

 資料によると、全てのエレベーターが、同じサイズというわけではなく、用途と、登頂までのスピードの関係で、小はテニス・コートほどのサイズから、大は野球ができそうな広さまで、数段階のものが用意されているらしい。

 ゴローは、その中の一基を選んで、あたしたちを停車させた。

「――これを使おう」

「……ちょっ、使うったって、どうやって?」

「いいから乗って……!」

 その床面はバスケットボール・コートが二面はとれそうなほどで、スコルピオやカーゴの駐機には十分すぎる広さがある。あたしはゴローのいうとおり、開きっぱなしの搭乗ゲートから機体を中に進入させたが、長年積もった砂利やほこりだらけでとうてい動きそうな様子には見えない。

「ちょっと、待ってて」

 そう言って、ゴローはパイロットスーツに身を包むと、ハンディ・デジタルツールを抱えてコクピットを飛び降りた。向かう先を見ると、エレベーター上の左端しに細長い建物が建っている。

 列車くらいの長さで二階建てのその建物は、資料によるとコントロールルームやオフィス、休憩所になっているらしい。

 その物陰にかくれたきり、ゴローは出てこなくなってしまった。

 ――一時間がたち、二時間がたった。時おりあたしが問いかける無線にも、やつは生返事ばかりだ。

 あたりはとっくに日が暮れて、オリンポスの大きな山肌が星明かりをさえぎっている。その向かいには、一〇〇年もの昔に人の手を離れ、決して明かりがともることのない廃墟の黒々としたシルエット。

 こんなときにかぎって、おしゃべりのルナはゴローからひっきりなしにくる問い合わせに電子言語で答えるのに手一杯になり、スコルピオはそもそも、ムダ口をきくタイプじゃないときてる。

「休憩所かぁ……」

 キャノピーから目をやったそこは、長年の放置で強化ガラスさえ割れ放題の廃屋だ。

「……休むったって、砂だらけのソファーじゃあねぇ……」

 何かにあきらめをつけたあたしは、(ナナホちゃん)シートをたおして体を伸ばした。

「はぁ、こんな時間あるんだったら、VAMの一本や二本くらい、消化できたのに、ねぇ……」

 もちろん、本気で言っているわけじゃないが、だからといって時間も区切らず、ただ待つしかないとなるとこんな気持ちになってしまうもんだ。

 目をつむると、コクピットの計器のわずかな光と低い駆動音しか感じない。

 ……すこし、眠りかけたとき、……お父さんと、……顔もわからないはず、の、お母さんが、あたしを部屋で、揺り起こした……

『――ユーカ、もう朝だぞ?!』

『……え~っと、えっと、もう、はやく目を覚まして! もうすぐ、ようちえんのバス、来ちゃうわよぉ!』

 ……あ~、もう少し、寝ていたい…… だってぇ、お布団、気持ちいいんだもん……

 ――ハッと、目を覚ましたあたしの前に、もちろんふた親なんて居はしない。けど、ナニかが違う。なんだろ……?

 一度まぶたを閉じて、また、ゆっくり開く。あ……明るい…… もう、あさ、なのか、な?

 聞こえてくるのは相変わらずのゴローとルナのやりとり。からだを起こしてみると、キャノピー上に見えるのは、淡くまたたくいつもの星たち。

 あたしをうたた寝から揺り起こした、まぶしいほどの明かりは……?

「あ……作業燈?」

 あたしたちの停泊地は、前後1キロにも及ぶエレベーター群のちょうど中間くらいに位置している。

 日没前にあたしが見渡していたその作業エリア一帯が、いま、煌々たるライトの明かりに照らされて、まるで一〇〇年まえそのままのように、誇らしげな威容を浮かび上がらせている。

「ユーカ、おまたせ! いま、戻る!」

 すこしはずんだゴローの声。そんなの、いままでにあたしは聞いたことがないような気がする。

 すぐにキャノピーにとりついてノックしたゴローは、スコルピオがハッチを開放するのももどかしく席に着き、またもあたしを差し置いてシートメイトのルナと相談を始めた。

「それじゃあゴローさま、二〇分後に起動で?」

「うん。……それまでに、さっき言ったあれ、頼むよ」

「はいぃ!」

 アタシのことはシカトかァ?!

「……ねぇ、ふたりでナニ勝手にいろいろ話してんのヨ?!」

「あ、ユーカ! 動く、動くよ、コレ! なんとか上まで行けそうだ!」

「そ、そう。……よかったわね! それで、あと二〇分でスタートってこと?」

「うん。でも、その前に……」

「――ゴローさま、スウィープ・モード、開始します!」

 ルナのことばが終わるやいなや、地鳴りのような音とともに、キャノピーの外がビロードにおおわれたように真っ赤になり、まぶしかった作業エリアの灯りが急にさえぎられた。

「ナ、ナニが始まったのぉ~?!」

「はい! このエレベーターが使用可能とわかりましたのでぇ、起動上の障害になり得る堆積物なんかをカーゴの下面のファンを高速回転させて、一斉排除してるんですぅ!」

「あ、あぁ、そんなこともできるんだ」

「そもそもフレームカーゴは極地活動も想定してますから、停泊地の整備や、調査のための障害排除も機能のうちなんです。……まぁ、アタシィ、メイドの役も兼ねてますからぁ、お掃除は得意ということですよぉ!」

 ……遠くからみたら、あたしたちのいるところから、いきなり赤い噴煙が立ち登ったように見えたことだろう。

 それほど一〇〇年のチリは厚く、またカーゴのファンは強力だった。

 一五分ほど、スコルピオとルナはやりとりしつつ床面上をカーゴを引いて回り、エレベーターはほぼ、本来の姿を取り戻した。

「ふぅ。お掃除終了ですぅ。つづいてアンブレラ起動!」

「え、車内待機じゃないの?」

「上オリンピアまでけっこう時間がかかりますよう? えぇっと、われわれの重量と、そもそも久しぶりの運転ですから、セーフモードで動かしてるってっこともあってぇ……」

「――五時間だな」

 後席でモニターチェックに余念のないゴローの声。

「ですぅ。車内待機は疲れますから外でゆっくり待っていてください。……山の中腹より上はまったく呼吸もできませんし、気温も一〇〇度、あ、マイナスですよ。マイナス一〇〇度を下回ってきますけど、アンブレラのフレームは充分に耐用内ですからご安心を。でもでも、心配ですから念のためにパイロットスーツは着といてくださいね。タンクトップなんかでくつろいでいちゃ、万一の時に対応できませんから。よろしくお願いします」

 ……『タンクトップ』ねぇ。なんかこいつ、スコルピオとも余計なおしゃべりをしてるんだなぁ…… しかし、安心していいのか、心配なのか、どっちやねん!




 動き出したエレベーターから、アンブレラ越しに下をのぞくと街がみるみる遠ざかっていく。灯りがついているのは、ゴローが起動させた作業エリアの周辺だけ。あとは、夜のベールの底で捨てられた街がひっそりと眠っている。

 それはわかっているが、黒い山腹に包み込まれるようにして進んでいくあたしにとって、なにか、生きてる人たちのきずなから遠ざかっていくようで、さみしい思いは捨てきれない。

 やがて、あのささやかな作業エリアの灯りも闇に呑み込まれていき、あたしたちの周りはエレベーター上のわずかな灯火と、オリンポスを背に見える静かな星明かりばかりになった。




「……ユーカさま、起きてくださあいぃ! 上オリンピア・ゲート到着まで、三〇分切りましたよぉ?!」

 ……あ、あれ、いつの間に眠っちゃってたんだろうか。もはや耳慣れた甘いコンチェルトが枕もとのスピーカーからガナリ立ててる。あたし、いつの間にベッドなんかに……?

 まぶたを開くと、フレームレンズの上は降るような満天の星空だ。なのに、あたしのベッドを展開しているカーゴの外壁やスコルピオの機体、エレベーター上のコントロール・ルームなんかはまぶしいほどの光を反射している。

 ……あたしが寝てる間に、ゴローが照明を強化でもしたのかな……

 寝ぼけまなこでそんなことを考えてたあたしは、はっと気づいてガバッと起き上がった。

 ここは、宇宙だ!

「ゴロー! ゴロー!!」

 あたしはベッドから飛び出すとコクピットに向かって駆けだした。

「……あぁ、ユーカ、そろそろだからルナに起こしてもらうように……?」

「ゴロー! 宇宙だよ、ここ! オリンポスの上の方って成層圏から抜けてるっていうけど、ホントにそうなんだねぇ!」

「一時間…くらい前から、大気圏は離脱してるんだけど…… まぁ、予定通りなんだが……」

「……あぁ、そっか、あんたはそもそも宇宙から降りてきたから、こんなのフツーかもしんないけど、あたし、初めてだもん、こんな高いとこに来たの! うわぁー、周りは暗いのに、お日様はもうあがってるんだねぇ!」

 レンズの外に見える光景は、暗い夜空を背に、とても、とても丸い火星の地平線。

 そして空と大地の接するさかいから、わずかに太陽がその姿をのぞかせようとしている。

「……こんなところに住んでるんだね、あたしたち……」

 ……大きさが地球の半分しかない惑星(ほし)を、地球最高峰(エベレスト)三倍の高さから眺めている。頭の中でわかっていても、なんだか少し頼りない気持ちにもなる。

 そうか、あたしたちには、ここしかないんだ……。

「ユーカ、上を見て」

 ゴローの言葉に顔を上げると、まるで手の届きそうな高さに、銀色のロープ、いや、柱……? が、星空の中から垂れ下がってきている。

「あれは……」

「クモの糸だ、君たちのいう」

 あぁ、そうだ。いつも地表で見慣れていたから、かえってわからなかった。おなじかたち、でも、より大きく、強烈な光の反射。ゴローは、あそこから来たんだ。いわゆる物資の射出口まではっきり見えるようだ。大気もなくクリアな視界。下では高度三〇キロの距離でみていたものも、ここではわずかに五キロの近さだ。

 みるみるあいだに『クモの糸』はあたしたちの頭上から、太陽の方へ向かって遠ざかっていった。

「速いもんだね……」

「……だから、手動で降下するときも計算がむつかしかった」

 その、むつかしい計算があたしとゴローを引き合わせ、そしてあたしたちは今、こんなところにいる。

 不思議なものだ、と、あたしは思う。

「そろそろキャノピー閉じますよお! アンブレラ、撤収しますからぁ」

 ルナの声にあたしたちはうなずいて、それぞれのシートに改めて腰を据えた。地平からの光を受けた山頂に、上オリンピア側のゲートがそろそろ見えてきた。

 ……いったい、ゴローはここでなにを探すつもりなんだろう。ここに至ってまだ、こいつはそれに触れる気配もない……




「――ははははっ、市長閣下。ご心配も度が過ぎれば笑い話ですよ!」

 華麗な調度品に彩られた執務室内に、明るい笑い声が響く。

 ドーム都市・東京から三〇〇キロほど手前で座乗艦フォルテッシモを停泊させ、ユニオンの特別査察官ジッシャーは高等通話回線を開いていた。大型3Dモニターを通しての対話は、あたかも一つの談話室で親しく面談しているかのような効果をもたらす。

 その気になれば、専用スキン・グローブを使い、握手などのバーチャル・コミュニケートも可能なのだが、無論ジッシャーにはそんな気持ちはさらさらない。

「いやはや、恐縮です。しかし、やはり数日、水が入ってこないとなりますと、どうしても神経をとがらせてしまうのが、まぁ、都市(まち)を預かるものの本能みたいなものでしてなぁ」

 3Dバーチャル上に成立したひとつ広間の対面には、東京市長を始め何人かのスタッフが居並んでいる。

「わかります、イワタ市長。このところ動きが活発になっている水賊どもを我々も押さえ切れていない。その責任は痛感しておりますよ……」

 どうせ、こんな会話を続けるのもあと三日ほどのことだ。ジッシャーは思い入れたっぷりに首を振って見せた。

「まぁ、そうした動きを見越して、火星府(M・A・I・D)からわがユニオンへ動員令が出されているのです。どうも水泥棒の連中、このところ仲違いをやめて、共闘の動きを見せているようで……」

 ジッシャーの見回したところ、東京の首脳部側に特に注意を払うべき人はいないようだ。

 市長のイワタは二期六年目をつとめる穏健派。それをサポートするスタッフも、成立の古いコロニーにはありがちな現状維持型で占められていると聞いている。

 ――火星中枢部の真意も汲みとれぬ愚か者ばかりか……。

「ご覧ください! わたくしの乗艦を始め、少なからぬ数の(ふね)が救援に入っておりますから!」

 ひとつ部屋のようなバーチャル空間に立ち上がったジッシャーの背後に、フォルテッシモをはじめとした十数隻はあろうかというウォータンカーの画像が浮かび上がる。

「これだけではありません。わが西方隊のほかに、東方、南方からも多数の艦が駆けつけております」

 クン、とジッシャーの背後の艦隊画像が縮小し、カセイ谷南端のドーム・シティを囲む地形図を表示する。北側を上にしたその図上で、東京市の左側と右上方、そして下側に多くの光点が点滅している。

「二日。あと二日お待ちください。現在我々も抵抗勢力を排除しつつ進んでいるところではありますので」

「では、我々もその間の給水制限を……」

「無用ですよ。我々の物資は飲料水だけでも貴市の消費量の二ヶ月分強。しかも、補給後は当面我々が責任を持って交易ルートを警備させていただきますから」

 あくまで余裕を崩さないジッシャーの声と顔に、東京の首脳部陣は互いの顔を見合わせて安堵の息をもらす。

 ――こんなものだ、特にアジア型のコロニーは素直で御しやすいことが多い……

 ジッシャーが見渡す中に、しかし、一人だけ鋭い視線を投げかけるものがある。あくまで笑みを絶やさないが、周囲の空気ともなじまないその表情……

「――市長閣下、そちらのお嬢さんは……?」

「あぁ、彼女ですか。ほれ、特察官もご存知でしょう、わが市のパインバック家。今日はその名代で……」

「ノエ・パインバックと申します。父の加減が優れず、当家の立場上、若輩ながら失礼させていただいております」

 そういえば、とジッシャーは思い出す。都市プラントには欠かせないナノマシンの開発で名を馳せた、パインバック・コンツェルンの本拠は意外にもこんなところにあるんだったな……

「あぁ、そうでしたか。どうも、先入観ですかな、こうした堅苦しい場には不似合いな、可愛い方がいらっしゃるのが……」

「わたくしも、緊張しております。はるばる極冠から、こんな地方都市にまで救援の手を差しのべてくれるような方に、こうしてお目にかかれるのは光栄ですわ。特察官こそ、噂にたがわず、お若いんですのね……」

 ――こうしたやりとりは、上級回線を通じてフォルテッシモ艦内の高級士官には配信されている。

「……なにぃ? あのオンナ? ちょっとなれなれしくなぁい?!」

 ガンルーム(士官室)でその様子を観ていたメイが声を上げた。

「あんなの、ほんのガキンチョじゃない。大佐がわざわざ気になさるようなモンでもないわよ!」

「声が大きいな」

 備え付けのヴェンダーから取り出したフレッシュ・ジュースをメイに渡しながら、アニーが言葉をかけた。

「それに、あの娘はおまえと同い年だぞ…… ならばおまえも、まだまだ子供だってことになるな」

 手元のデータ・パッドに目を落として、珍しくアニーは笑みを浮かべる。

「はぁ?! あたしが言ってんのは中身の差よ、中身の! それにあんただってあたしより二コ上なだけじゃない!」

「ふふ、それがわかってれば何も気にすることはないだろ」

「――ふん! あのオンナ、大佐と対等の口をきいて……」

 なおもつづくメイの悪態を聞き流しながら、自分はそのととのった唇に紙コップの暖かい紅茶を流しこむ。

 順調、どうやら順調だ。ドーム市政グループへの偽装工作も問題なく進んでいる……

 しかし……どうも、あのおんな……表面上は笑みを絶やさない目の奥の、鋭い光りが気に入らない……




 ジッシャーとの会談から数分後、会見室に隣接する市長室応接間。市長のイワタに人払いを願ったノエは短く切り出した。

「やはり、疑わしいかと存じます」

「ふむ……そうだろうかね?」

 現在、東京市長の二期目をつとめるミツゴロー・イワタは実直な行政官僚上がりの男である。若い頃にはポーラボラトリィをはじめ、火星各市との政策交流経験も多く、手堅い市政の切り回しで市民各層の支持も厚い。

「とりあえず、我々が入手している複数の情報筋を検討しても、なんらの怪しい動きも出てこない。極冠の連中は純粋な好意で動いてくれていると考えてもいいと思うが」

「彼らは『好意』では動きません。彼らを動かすのは『利益』、それも大きな利権がからむ場合だけですわ」

「わかっているよ。わたしの言う『好意』にはそうしたものも含まれている……君の見なくてもよいところで、彼らと大きな取引が動いていることは、わたしだって承知している」

「……その辺りの額については、父を通じて端数に至るまで存じております。いつものごとく、多少、払いすぎの気味はあるかと感じましたが」

「さすが、パインバックのお嬢さん、しっかりしていらっしゃる――わたしはね、市と市民の安全のためには多少の出費は惜しむつもりはないんだよ」

「その中に、少なからぬ額の私財を投じられる姿勢、個人的には尊敬しています。わがパインバックも微力を尽くさせていただきたいと思いますわ」

「いらぬ気遣いだよ、お嬢さん。あなた方はあくまで民間人なんだ。こうした交渉に関してはあくまでオブザーバーでいてくれていい」

「――あくまで、『市』が安全である限りは、ですね」

「……言ってみたまえ、何をつかんでるのかね」

「とりあえず、これを」

 ノエは手元の情報端末を操作し、部屋の一面を占める3Dモニターに映像を呼び出した。「ふむ、これは先ほどの……」

「会見映像です。送ります」

 モニター上のユニオン特察官が高速で唇を開閉させながら踊るように手先を廻す。

「ここです」

 ふ、と動きが止まったジッシャーの背に重なるように、多数の給水艦の映像が表示されている。

「救援の……ウォータンカーだね。これがなにか……」

「――軽すぎます」

「……?」

「前から四隻目の大型艦。この三秒後に右舷からMDMが降車するのですが、そのときの揺り戻しで……一瞬ですが、シャーシが浮き上がり右前部のクローラーがのぞいています――満水車ではありません」

「……たしかに、君の言うような動きだが……はたして水を積んでないなどと言えるかね? 艦が岩でも越えた反動かもしれない。あるいは、この艦はサポート艦で物資が軽いだけとも……」

「かもしれませんわ」

 答えながらノエは映像の問題部分をクローズアップし、リピートをかけた。

「しかし、現に五日も飲用水の……いえ、すべての物資の流入が止まっており、事態の打開策はすべて彼らに握られています。とても……面白くはありませんわ」

 イワタは少しの間、ノエの表情を見つめてから聞き返した。

「なにを……知っているのかね?」

「なにも。ただ、疑り深いだけですかしら」

 ノエも、まっすぐにイワタを見つめ返す。

「ただ、我が家はそうすることによって多くの危険を切り抜けてきました。打てる手はすべて打っておく。代々の家訓ですわ。そこで、市長に保険の提案なのですけれど……」




「ナナホ、待たせたわね」

 ジッシャーとの会見から三〇分にはなろうか。市長室の扉が開かれ、通路に待機していたパインバックの末っ子・ナナホの前にノエが現れた。

「例の件、どうにか許可をいただいたわ。パス・コードはこれよ」

 愛用のブランド品バックから、爪の先ほどのデータメモリ・チップを取り出す。

「ありがと、おっきいねえちゃん……待ってる間に、もう準備はできている……」

 ナナホは受け取ったデータメモリを自分の携帯端末にセットすると、空中に現れたバーチャルインターフェイスに猛烈な勢いでコマンドを打ち込み始めた。

「まぁ、この子ったら。こんな時は本当に生き生きしてるんだから」

 やや楽しげに妹の作業に見入るノエの背後で、市長室の扉が再び開いた。

「ノエ君」

「あら、市長、まだ……なにか?」

「うん……そちらが妹さんかね。いや、さっき、つい言い忘れた件があってな」

 イワタはノエの前に体を寄せ、声を落とした。

「先日、君たちの友人の周辺で起こったハッキング騒ぎ……それと、君のところの(ふね)――アナスターシャ号、だったね、強引に検疫を振り切って出港したそうだが……その辺についてもあまり、コトを荒立てないように捜査当局には言っておいた。いまのわたしにはこれくらいしか出来ることはないが……」

 思いがけない市長の言葉に、珍しくノエは返答に戸惑った。

「あ……閣下。なんと言ったらいいか……ありがとうございます」

「うん。君もこの街を思ってのことなんだろう? もし、わたしの力が及ばないことがあったら、そのときは、よろしく頼む」

 それだけ言うと、イワタは室内に戻っていった。ノエは一人ではない戦いの手応えに、少し胸が熱くなる。

 ……照明が抑えられた通路にはときおりナナホのコマンド入力の信号音が響いている。




 ――あたしたちは、山頂側に着いたガントリー・エレベーターを降りてから、ほぼまっすぐに上オリンピアの市内を抜けてきた。下オリンピアにくらべ、こちらの方は『市』というよりは大規模なコンビナートか工場群に、ところどころ生活空間が入り交じっているという印象だ。

 街の規模も大きくなく、わずか二〇分ほどで中央通りを抜けると市外に出る。

 それから一五キロほど、オリンポス山頂平原に整備されたルートを抜けた先に。

 それをひとめ見るなり、あたしは凍りついてしまった。

「これ……全部、水なの……?」

 一枚の大きな鏡のような――それは、コクピットから見える限りの広さで、地の果てまでもつづく湖だった。

 そろそろ天頂に向かいつつある太陽と、その周辺にきらめく星々を反射しつつ、(ゴローに聞いた、大気圏外では太陽と星が同時に見えるのは当たり前だと)それはあたしにとって神秘的な姿をたたえている……

「……ユーカさま、ねぇ、ユーカさま! 聞いてますぅ?」

 ――さっきからあたしの耳元で、電波声がうるさい!

「ゴロー……少しでいいから、これ、飲めないのかな?」

 これだけの量の、透きとおった液体を目の当たりのするのは初めてだ。あたしはつい、後席でモニターに見入っているゴローに声をかけた。

「あ……? いいけど、すぐに死んじまうぞ? ……だってこれ……」

「だからぁ、ユーカさまぁ! さっきから言ってるじゃぁありませんかあ! これ、お水じゃありませんよぅ! ここ、マイナス一〇〇度なんだから、お水だったらとっくに凍っちゃってますぅ。これはおさけ、お酒ですよぉ!?」

 ――そうなのだ…… いま、あたしの目の前に広がる、見渡すかぎりの湖は、無水エタノール――すなわちアルコールで満たされた、人工のプールなのだ。

 融点の低いエタノールに不凍液を加え、零下一五〇度でも凍らない、この『酒の池』は、深さ三〇メートル、直径は一キロになる円形の人造湖だ。

 かつて『クモの糸』からは、定期的に物資が投下されてきた。

 それに対する衝撃を、可能な限り吸収するためにつくられた、火星側のクッションがこれなのだ。

 本来、フォボスからの投下物資はここの管制センターの誘導波に従って、この湖のほぼ真ん中に着水するように設定されていた。

 大むかしに人が去り、システムも見限られて久しいここも、さいごに満水位までたたえられていたという液体は、いまもほとんど揮発することなく、静かなたたずまいを見せている。

 知ってはいても、初めて見る…… あたしが少しその感慨にとらわれていたとき……

「あそこだ」

 ゴローの声にハッとなり、その指さす方向にモニターの倍率を上げる。

 あたしが見ている湖の正面よりかなり左方向に、ゴローが落ちてきたときのと同じような、薄い緑色のコンテナがあるのがわかった。

 湖の周囲を巡る作業道を通り、コンテナの方向へ向かう。

 中央に落ちてきたはずのコンテナは岸壁に乗り上げたようになっており、少し底がひしゃげているようだ。

「やっぱり、五キロも上から落とすと、こんな風に少しはつぶれちゃうモンなの?」

 あたしが聞くと、

「……本来、地上からの誘導で、プールの中央に落とせばそんなショックはないはずなんだ。でも、今回は下からの管制がないのに、フォボスの側のオート・コントロールだけで先に落とした。それで狙いがずれて、プールの外れの浅瀬にぶつかってしまったらしい……だから、次におれたちが降りるときにはマニュアルに切り替えて操作したんだけど、かえって大きくそれちまって……」

「それで、あたしたちんとこに落ちてきたってわけね」

「――あぁ……でも偶然じゃあない。どうにもならなかったときには、軌道線上にあるどこかのドームを見つくろって落ちるように、おおざっぱな設定はしておいた。ここで少しずれて地上に激突するより、広いドームに落ちた方が生存率は高いから」

「じゃ、あたしの前に落ちてきたのは?」

「……それは偶然だ」

 まぁ、そうよね、と言いながら、あたしはなんだかつまんない気がした。

「――ユーカさまぁ、ゴローさまがそろそろ機外に出ますので、コクピット内のエアを抜きますよぉ?」

 ルナに促されて、あたしは着込んでいるパイロットスーツとセットのヘルメットを装着する。低いモーターの振動とともに機内の空気が回収され、気圧がゼロになったことがモニターに表示された。

 音もなくキャノピーが開き、ゴローが機外活動ツールを持って、うす緑のコンテナに近づいていく。そのままコンテナの一部を開いて中に入り込み、待つこと一五分。

 やおらコンテナが、まるでリンゴでも切ったときのような亀裂が入ったかと思うと、その外壁を大きく四方八方に開いて、中から大きなマシンが姿を現した。

「これは……」

「大型キャリアーのカシオペアだ。本当はアンタレスごと、これに乗って移動する予定だった」

 その機体の四方には大型の動輪がついており、中央にはスコルピオやアンタレスを収容できそうなくぼみが開いている。

「あんた、これを取りに来たの……?」

「これだけじゃない。むしろ本題は、こいつに乗っけている機材の方が重要なんだ」

「機材……」

「システム・サーペント。これさえ無事なら、どうにかなるんだけど……」

「どうにかって……?」

「待っててくれ。着陸のショックが大きい。とにかく、機体と機材のチェックを急ぎたい――ユーカも手伝ってくれないか?」

「う、うん」

「それじゃあ、カシオペアの足回りを中心に頼む」

 よくわからないままに、あたしはスコルピオのコクピットから離れ、フォボスから降下してきたというマシンの方に歩を進めた。




「……だめだね、大きな亀裂が入ってる。長距離の移動には耐えられそうにはないよ」

 一時間ほどかけて、MDMキャリアー・カシオペアの足回りを一通り点検したが、想定以上の衝撃はショック・アブソーバーの吸収能力を越えてしまい、動力伝達シャフトの一部に致命的な破損を残していた。

「こっちも、どうやら完全とは言えないみたいだ……」

 システム・サーペントとやらをチェックしていたゴローも、はかばかしくない返事をしている。

「どうするの……?」

 あたしの問いにゴローはすぐには答えず、何かを思案しだした。

「……ルナ」

「はいぃ、なんでしょう! ゴローさま?」

 やがて、ゴローはコクピットの妖精を無線で呼び出すと、何事かを相談し始めた。

「……だから……それで……」

「……えぇっ! でもぉ……」

「……けどどうしても、おれは、キミに……」

「……はきゅーーん! それはきびしい選択ですぅ……!」

 ときどき漏れ聞こえてくる会話は、なんだか街角のナンパみたいだ……

「……なぁ、どうにか、頼むよ」

「わ……っかりましたぁ。出来るだけ、ご希望にそえるようにがんばりますぅ……」

 どうやら、取引は成立したようだ。

 あたしはその会話を雑多な交信用の回線から漏れ聞いていただけだが、ルナが改めて専用の会話チャンネルであたしにコンタクトをオファーしてきた。

「あのぉ、ユーカさま……」

「……なに?」

 妖精(こいつ)のあらたまった口調には少々不気味さをおぼえてしまう

「えぇ、いやあの、ここからはどうしても、あのキャリアーさんを牽引して帰らなきゃ、ということになりましてぇ」

「うん……」

「それで、その、まことにお伝えしづらいことなのですが……ここで、カーゴを捨てさせてください!」

「! はぁっ?!」

 なにいってんだこいつ? カーゴ捨てるって! あたしたち、こっからまたウチのドームまで戻んなきゃなんないんだよ?

「あんた、あたしたちにシネって言うの? こっからウチのドームまで七千キロはあるんだよ? あんなデカブツ牽引して、一日千キロがんばったって一週間だ。空気、水、食いモン……燃料! スコルピオにどんだけ積んだって、二日がせいぜいでしょうが! とくに、水! 飲料用の非常タンクを使っても四日が限度。それ以上の単独行動なんか、そもそも想定されていないんだから……!」

「はうあっ!」

「――すまない、ユーカ。おれがルナに無理を言って計算してもらったんだが……」

 ……横合いからゴローが口を挟んできた。

「カーゴに積んでいる物資の半分くらいは、キャリアー……カシオペアにのせることができそうだ。水はおそらく大丈夫。空気も地上に降りたら、外気をヒーターで加熱して使うことができる。食料は……調理システムを使うものはむつかしいが、単純な冷凍物ならこれもヒーターでなんとか……」

 いつになく申し訳なさそうに言うゴローの声に、あたしの(たか)ぶった気持ちも少し収まってきた。

「……あのさ」

「うん」

「そんなに大事なものなの? これは」

 あたしの問いにゴローは

「でなきゃ、命をかけて上から降りてきたりなんか、しない」

「そう……」

 わかった。それもバクチなら、これも、バクチって訳ね……。

「……面白いじゃない」

「え……?」

 あたしの答えに、ゴローは一瞬戸惑ったようだ。

「いいわよ、やってやるわぁ! 仮にも東京ドームMDM選手権・女子高生部門第一位に輝いた、トップドライバー、ユーカ・ラムラータさんの度胸と根性、見せてやろうじゃない! 要するに一週間、コクピット睡眠、冷凍食品生活を送れば、どうにかなるってことよねぇ! 結構だわ。あたしだって普段から二日や三日、そんなことやってんの、フツーなんだかんね! それが一週間や十日になったとこでどーだってんのよ! あんまり見くびらないで頂戴(ちょうだい)ね! オーホッホッホッホッホ……!」    

 ヘルメットの中に高らかなあたしの笑い声がこだまする。――ヘルメットの外は真空だから、なにも響かぬ静寂だろう。

 少し離れたところにいたゴローは無線でそれを受け取り、なんだかカクカクうなずいていた。




「あぁ……、とはいえ、アンブレラも、当然ベッドもなしかぁ……」

「……でもでも、ご希望の焼きそばパンは全部積み込めましたからぁ……」

「あったりまえでしょー?! あれ置き去りにしてったら、あとでカオリにコロされちゃうわよ!」

 フレーム・カーゴからできるかぎりのものをキャリアー・カシオペアに積み込み、スコルピオのワイヤーで連結して牽引する。

 エンジンシャフトが破損して自らは動けないキャリアーが、代わりに抱え込んだ大きな余剰電力を利用するために、通電ケーブルをスコルピオに接続。これでフレーム・カーゴよりは二回りも大きなキャリアーを牽引する出力は何とか得られる。

 そんなこんなも、あたしとゴローだけの手作業だから、結局は半日以上かかってしまった。

 置き去りにしたフレーム・カーゴに名残を惜しみつつ、オリンポス山を下って下オリンピアシティをあとにした頃には、もう次の日の太陽が昇りかけている。

 キャリアー・カシオペアにはそれ自身のコクピットが設けられており、ゴローは牽引の負担を少しでも減らすため、そちらに乗り込んでハンドリングを担当している。

 だから今、こっちのコクピットにいるのは……

「あ、あっあ~、でもひさしぶりだわぁ、一人きりになれるなんてぇ」

 当面のルートは自動運転。ナナホちゃんシートをリクライニングさせて、あたしは大きく伸びをした。

「いや、オレがいるが……」

「あたしも、ここにいますよぉ?」

 ――スコルピオとルナの総突っ込みだ……。

「うっさいわねぇ! あんたら『ヒト』じゃないでしょうが! いいからちゃんと前方注意して運行しなさいよー!」

「はわわー、ご主人様ぁ、なんかひどいですぅ!」

「……そうだな、ユーカ、ちょっと言い過ぎじゃないか」

 そしてそこへ通話モニターがSOUND ONLYでキャリアーからの通信表示。

「……ユーカ、今のはキミがよくないと思うよ」

 ――あー、ハイハイ!

「と、とにかく、こっからあと七千キロ。どーしたって一週間はかかるんだから、あんまりあたしを疲れさせないでよね! それじゃ、東に向かって、レッツ・ゴーよ!」

「とっくに、出発していたが?」

「ですぅ?」

「あ~! うっさい!」

 ……あたしたちは、東の地平線から大きく昇りはじめた太陽に向かって、一直線に進んでいった。

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