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火星の娘  作者: はせぴょん
1/5

或る、宇宙の娘について

楽しめるロボット物を目指しています。


応援していただければ幸いです。

 




―――雑草のにおいはそんなに嫌いじゃない。

 あたしのくるぶしまである、名もない草のマットに背中から体をあずけてみる。

 見上げた空にただよう、見慣れたしろい雲。

 それがホログラフィであろうと、赤く焼けついたチリだらけの、うすい大気よりはましなながめだ。

 こんなところ、あたしのほかに誰が来るだろうか。

 街の外環アウトラインを超えること、三〇〇m。

 ひとり、気やすさに、つい叫んでみる。


「あー! 声優になりてぇ~っ!!」


 長い、ながい火星の夏の真っ盛り、作業をサボりおえてMDMのコクピットによじ登ってきたあたしは、何度目かの叫びをあげてしまった自分に赤面した。

 ………けど、まー大丈夫、こんなとこ、あたしひとりしかいやしない。

 どんな大声出したって………

「………オマエさぁ、聞いててこっちがこっぱずかしいんかけどよぉ」

 し、しまった、だれもいなくても、こいつだけはいた!

「スコルピオ、アンタまた聞いてたの?」

「聞くも何も、おめぇが集音マイク切らずに出てったんだろうが」

「こーゆうときは、気をきかせて、自分で切っときなさいよ」

「知るか。外環(アウトライン) 越えると、オレたちは周囲の状況に気をくばる義務があるんだよ!」

 ………こいつ、MDMスコルピオ。

 MDMってのは、マーシャン・ディベロップ・マシン、つまり火星開拓マシーンのこと。

 大は惑星上交易用の『ウォータンカー』から、小は土壌改良用のナノマシーンまでの総称だけど、数も多くて、直接開拓作業に従事する大型土木機械群が、おもにこう呼ばれてる。

 んで、スコルピオは親父ゆずりのあたし専用マシーン。

 見てくれは、火星でも一番多い、人型二足歩行の多用途土木作業用マシーンね。

 たいていは、簡単な管理機能しかないOSが積まれてるだけなんだけど、こいつは………

「にしてもよぉ、」

 ………聞いての通り、余計なことばかりしゃべくる高度なAI搭載だ。

「おめぇ、だれも居ねぇとおもって油断するクセ、直したほうがいいぜ」

「―――うっさい!」

 子供の頃から乗り慣れているこいつだけど、あたしにだって聞かれたいことと、聞かれたくないことくらいある。

「それに、いくら暑いからって、若いムスメが短パンにタンクトップ一丁、コクピットでウチワバタバタってのはなあ」

「しょーがないじゃん、暑いんだから」

「ほかのコたちはちゃんとパイロットスーツ着てだなぁ」

「このほうが、動きやすいの!」


 ――あたし――ユーカ・ラムラータ。一六歳。こんなとこで何してるかっつーと、つまり、『惑星環境地球型最適化』 ………いわゆるテラフォーミング作業に従事しているところ。

 ………っていっても、べつに専門教育を受けたプロじゃない。子供の頃から父親にくっついて仕込まれたMDM操縦の腕前を買われて、学校の放課後に作業させられてるボランティア・パイロット。

 まぁ、火星の住民はみな、大なり小なりの環境改良化義務を負っている。

 だから、あたしみたいに放課後の自由時間を拘束されて作業にかり出されるのは、珍しいことじゃない。

 だけど、ほかの子のように、好きなことができないのはとても不自由だ。

 あたしだって、クラスのみんなみたいに、部活やったり、バイトしたり、それでもらったお給料で、服を買って、デートしたり、コンサート行ったり………

「おい、ユーカ、前だ!」

 スコルピオの声。

 そうだ、あたしは今、都市外環(アウトライン)のそと、外縁耕作帯(グリーンベルト)と呼ばれる地帯で「未認可動植物の確認および除去」――ひらたくいえば、「草むしり」と「虫とり」をやっていたのだ。

 もっとも、あたしがいまスコルピオのコクピットで目の前にしてる「虫」ってのは………

「ボーッとすんな、全長一二m、推定重量約五トン、立派なメガンティスの成虫だぞ」

「もー、こいつ、どっから入ってきたのかしら」

「さーな、この辺は耕地の外れの雑草地帯だ。何日か前から紛れ込んできて、じっと隠れていたんだろう。気をつけろ、たぶん腹を空かしていてやっかいだぞ」

「ジョーダン! こんなの、今週で三匹目じゃない!」

 あたしはすかさず操縦桿を右に押し倒す。

 

 メガンティス――耕作地帯で使われている動植物成長促進剤と、火星の軽重力の相乗効果で一〇mクラスにまで成長した昆虫の一種だ。

 その姿は、原種である『カマキリ』に似ているが、数百年にわたる変異をくりかえした結果、色の濃い、かたい甲羅を身につけ、簡単には人の攻撃を寄せ付けない。

 さぞ空腹だろうこいつには、半分くらいのサイズのあたしたちが、ちょっと大きなランチ・パックにでも見えているに違いない。

  右、左と振り下ろしてくる大きな鎌をかわして後ろに回り込む。スコルピオの両脚からブーストし、地面を蹴って二〇mほどジャンプ。

 火星の重力は地球の二分の一以下、しかも軽量金属で構成されているスコルピオにとって、これは当然のスペックだ。すばやく相手の背中に回り込む。

「つかまえた!」

 スコルピオの腕が、メガンティスの甲羅の一部をがっちりとつかんだ。そのまま頭と胸のあいだをさぐり、やわらかいところに、腕から伸びた液送管で強化麻酔をおくりこむ。

 成功!

「………さて、こっからね」

 パシュッ、とスコルピオの腕から排出される麻酔カートリッジの音を聞きながら、あたしはちょっと気合いを入れ直す。

 麻酔が効いて動かなくなるまであと五~六分、こいつが暴走して水耕農場にでも突っ込まないように、うまくいなしておかなくちゃ。

 

 あたりは一面、やはり促進剤と重力の軽減で、一〇mクラスにまで育った『雑草』のジャングルだ。(一年サイクルで成長しては枯れていく植物を『木』とはいえないだろう)

 よじ登っていた背中からスコルピオの腕を離し、素早く虫の前に回り込む。これに二秒。 視界の正面に入ったら、メガンティスの鎌が届かないギリのところで、『草』のあいだを後退していく。

 左右のステップに軽くブーストを交えながらフェイント。目の前をかすめていく巨大な鎌を、しかしあたしはわりに余裕をもって見つめていた。

「ユーカ、あんまり遊ぶんじゃねーぞ」

「だいじょうぶ、こういうとき鍛えとかないと、カンが鈍っちゃうでしょ」

 ――こんなときは、リズムが大事。

 さっきコクピットで流していたアニメの、アップテンポの主題歌が自然に口をついて出る。

「――ファイアー、ファイアー、たすけての声が聞こえる………!」

 ………何フレーズ歌ったかで、だいたい何秒過ぎたかもわかる。これはちょっと前に気がついた、あたしだけのコツ。

 一番おわった。あと三分。――二番Aメロ。二〇秒過ぎた。それから間奏。最後のサビであと四〇秒くらいかな………ここがイイんだ!

「そらに響くぅ……… えっと?」

 ここ、『そら』だっけ?『うみ』だっけ?

「ユーカ!」

「!」

 歌詞に気をとられてたあたしのスキをぬって、右の横合いからアイツの鎌! 油断した!

 ――でも、大丈夫、軽く左に当てハンドルしてやって………

「あれ?」

 どうして?

 ヤツが左に振り抜いてしまったはずの鎌が、いつの間にか右上、目の前に!

 操縦桿を左いっぱいに押し倒す!

 ………間に合わない!

「だめー!」

 モニターいっぱいに迫った鎌が、コクピット全体に影をおとす。

 ごめん、スコルピオ!

 次の瞬間あるべき衝撃にあたしは身構えた。だが………。

 起こらなかった衝撃のかわりにあたしの目にうつったのは、メガンティスが二匹に分かれていく姿だった。

 一匹はゆっくり左側にたおれていき、もう一匹は目の前で威嚇をくり返している。

「な、なに?」

 パニクったアタマは、それでもすぐに落ち着いた。そうか、ツガイだ。

 あたしが最初に相手をしていたヤツより、ひと回り小さい目の前のコイツはオスなのだ。

 パートナーの危険に応じて、ひそんでいた草むらからタイミングよく飛び出した。

 あたしがホントに見落としたのは、最初のメガンティスの鎌ではなくコイツのこと………!

 でも、どうしてコイツの動きが止まってる?

「バーカ!」

 聞いたことのある声がヘッドギアのイヤフォンから耳に突き刺さった。この声………!

「凡ミスだなぁ、ユーカ、MDMトップドライバーが聞いてあきれるぜ!」

 カオリ・パインバック!

 そして………!

「………カオリねえさま、この方、本当にトップドライバーですかぁ?」

「――カオリ! ナナホもおよしなさい、お友達のことをそんなふうに言うのは」

「………はい、ノエねえさま」

 ………パインバック三姉妹………!

 まだ強化麻酔を注入されたばかりで、眠るそぶりも見せない二匹目のメガンティスを左右から力ずくで押さえつけているのは、ボディをピンクと黒で塗り分けた二機のMDMだ。

 その向こうがわに巨大なアリ、『メガント』を引きずっているもう一機が見える。

「あ………ありがと………!」

 あー、普段なら決していわないような言葉が、つい口から出てしまった。

「はぁ? 礼とかいってるユトリあったら、もう一発麻酔打っとけ! こいつらの、ツガイやられたときのハンパなさはオメェだってしってんだろが!」

 いわれるより先に気を取り直して、胸と腹甲のあいだに液送管をもぐり込ませる。

 ………予備の麻酔カートリッジが排出されるのを目のすみでとらえながら、ここまでコイツを興奮させてしまった自分をせめる。

「ホントは危ないんだけど………」

 正しくは定量の薬液で、時間をかけて眠らせるべきだ。過剰な投与は、ときに命を危険にさらすときもある。

 そのまま、あたしたち三機で強引に押さえること一分半、糸が切れたようにオスのメガンティスは崩れ落ちた。


「………だいじょうぶ、死んじゃあいないヨ。脈拍がかなり落ち込んでるから、起きるのに三日くらいかかると思うけど、この季節なら心配ない」

 生態学を専攻しているパインバックの末っ子、ナナホが、簡易診断ツールをMDMに収納しながらいった。

「しかし厄介な。ユーカ、始末書モンだな」

「………わかってるよ。カオリ」

「わかってんのかよ! 二匹に対して使ったカートリッジ三発。けど、おめぇが今日持ってたのは二発きり。管理局にどう報告すんだよ」

「だから、それはあんたたちに助けてもらって………」

「あたしらはあんまし管理局(おつさんたち)にはからみたくねーんだよ。ギリで気づいて、ほっといてもよかったんだけど、アイツには悪いから来ただけだ!」

 スコルピオに顔を向けながらカオリがいった。

「………あたしたち、あんたのオヤジさんには世話になったから、機材を粗末にするのはヤなんだよ」

「………ごめん」

「まぁまぁ、カオリちゃん、その辺で。ユーカちゃんもそんなに気にしないで」

「ノエ姉………」

「それじゃ、こうしましょ。一匹目のメガンティスはわたしたちが相手をしたということにして」

 ノエさんはMDMで、『自分は引きずっているメガント(巨大アリ)のためによく動けなかった』というジェスチャーをして

「二匹目のコに気づいてなくて、わたしたち大ピーンチ! そこへすかさずユーカちゃんが麻酔を二連射! っていうことで………ネ」

「それなら始末書はナシですね」

「………そういうことで、どうだ」

「でも………」

「じゃぁ、きまりね。だから一匹目のほうは、わたしたちで引き取らせていただくわよ。スコルピオちゃん単体で運ぶには、大きそうだし。ね、ナナホちゃん」

「………このコのポイントもいただきます」

「それでいいな、ユーカ」

「………わかった」


 ピンクと黒の機体が二機がかりで巨大な黒カマキリをしょって、ビークルモードでポイントにむかっていく。

 大アリを積んだ、もう一機も一緒だ。

 なすすべもなく、三機を見送っていたあたしの耳に、カオリの声。

「………それからな、おかしなことを大声で叫んだり、歌ってみたり、こっちはマル聞こえで恥ずかしいんだよ。………どーゆうクラスメートなんだ! オメ―はスピーカー切ったつもりかもしんねーけど、MDMは外環(アウトライン)こえたら、集音・発声義務があんだからよ。ウチラもそれで気づいたんだ。………気ぃきかせて声を出してたスコルピオに礼をいっとけ!」

 そして、トドメのひとこと。

「………あと、あしたのパン、オメ―に買いに行ってもらうからな!」






「――そう落ちこむな、あれで途中まではウマくいってたんだから」

「ううう、あしたのパン――」

「そっちかよ!」

 

スコルピオはビークルモードにフォームチェンジ。麻酔が効きすぎのメガンティス(黒カマキリ)を背負って、あたしたちはゆっくりとドームのはじにむかう。。


「………あー、つくづく、好きなことと、やらなきゃいけないことって両立しないねー………」

「………」

「ごめん、もーああいうことはやめるね」

「………ああいうことって?」

「………」

「歌、か?」

「………うん………」

「………いいんじゃないか」

「え?」

「さっきもいったが、途中まではウマくいってた。いままでで一番いい動きだったかもしれん。あそこでトチりさえしなければ、たぶん………」

「トチったもん」

「まあ聞け。アレをやめるのも自由だ。だがなんでミスったか考えてみろ。おまえが歌詞につまったからだろ」

「………うん」

「つまり、それだけ歌を集中しておぼえていなかったってことだ。歌おうが歌うまいが、集中しなきゃならんのは同じだ。だったら、歌も集中しておぼえてしまって、必要だったら使うといい」

「………でも、スピーカーで外に聞こえちゃうのは………」

「外野がどういおうと気にするな。大事なのはおまえが一番やりやすくすることだ。なんなら俺がスピーカーから別音声を流しておいてもいい」

「どんな………?」

「―――まぁ、ホラー映画の絶叫シーンとか、な」

「ギャーとか、キャー!とか? あたし、メチャメチャびびりながらやってるみたいになっちゃうじゃん!」

「そのほうが、今日みたいなヘルプも早く集まっていいかもしれんぞ?」

「あはは、そうだね。そしたらアンタにもよけいな心配かけなくてすむよね」

「そうだな、そうしてくれると俺のメモリの負担もへっていい」

「ははは」


 アクアドーム越しに見える陽はもう傾き始めている。あたしはハッチを開いて夏草の香りをコクピットに入れた。

「もう、夏も終わりだね」

「ああ」

「けっきょく、今年も草むしりばっかだったなあ」

「………バイトの計画、つぶれて残念だったな」

「ねー、面接までいったのにねー」

「………まあ、冬のほうが虫たちの活動も鈍くなるわけだし………」

「それって、二年先の話じゃん!」

「………地球よりはゆっくり廻っているからな、ここは」

 はあ、と一息ついてシートにもたれかかり、見るともなく上を見る。

 太陽と反対の側からわれらがふたつの月(といっても、地球の月と比べれば、石ころも同然だが)のひとつ、フォボスが、いつもの早足で空を横切ってきた。

 そこからキラキラ光って地表近くまでたれている『クモの糸』も、きょうはよく見える。


 ――もうすぐ、背中の荷物(メガンティス)を引きわたす『エコ・ポイント』が見えてくるだろう。


 帰ったら、シャワーを浴びて、冷たい水を飲んで、たまっていたVAM(ヴィデオ オーディオ メモリー)をチェックして――あー! そういや、来週提出のレポートがぁ!

 

………て、あ、あれ?

「また、ナニさわいでんだ。声が出てるぞ。今さらレポートとかいったって………」

「ち、ちがう。スコルピオ、上!」

「なんだ、おい、カマキリの麻酔が切れて………」

「そうじゃなくって、上だって。クモの糸の先っぽ。ほら、なんか落ちてくる!」

「………なに?!」

 あたしたちの真上をフォボスが通り過ぎてしばらくたっていた。

 そこからたれ下がっている『クモの糸』と呼ばれている細長い構造物は、フォボスに引っ張られるように、ななめに地表近くまで下りている。

 つまり、地上三〇㎞の高さにある『クモの糸』の下端はいま、あたしたちのほぼ真上を通過したところだ。

 そのさきっぽ、糸の先端から、たしかに砂粒ほどの『ナニか』が、はなれて大きくなってくるのが見えたんだ。

「………バカな、最後の『物資』投下が記録されたのは、九〇年以上前のことだぞ?」

「でも、あれ………、気のせいじゃないよね?」

「あぁ、確かに何か、落ちてくるようだ………!」

 ――その『何か』は、あたしたちのほうに向かって、どんどん大きくなってくる。

 よくわからないけど、うすい緑色をしているように見えた。かたちは………

「まん丸いね」

「そのようだな………」

「やっぱり、教科書で見た『投下物資』じゃあ」

「しかし、それなら、こんなところに落ちてくるはずはない」

「とにかく、いってみよう」

 それはあたしたちの進路より、やや右側前方に落ちてくるようだった。この辺はドームが地上に接するはじっこのほうだが、それでもまだその透明な天井まで一〇〇m以上の高さはある。


 ―――火星の都市を覆うドームは、『水のレンズ』の集合体で構成されている。

 ひとつのレンズは直径が約二〇〇m、厚さ二〇mほどの大きさで、超軽量金属でできた六角形のフレームにホールドされ、それが都市の規模に応じて数㎞から数十㎞にわたって蜂の巣状に連結されることで水の天蓋(アクアドーム)を作り出す。

 もし、誰かが外側からながめれば、巨大な昆虫の複眼のように見えるだろう。

 ここ、東京シティの場合、約三〇㎞の直径を、だいたい二万個あまりのレンズで覆っている。 

 一つひとつのレンズは高分子ポリマーによって保水されていて、最低限の水分でその形をたもっている。

 そして、必要に応じて一〇~二五パーセントの範囲で厚さを変形させることで、ドーム内の四季や、時間帯に応じた明るさ、気温を調整する仕組みだ。

 これは、ポリマーに仕込まれたナノマシンの自己判断によって、自動的に行われるようになっている。

 ――ちなみに、今年の夏がクソ暑いのも、いってみればこいつらのせいだ。

 なんでも、あんまり『適温』が続いてばかりだと、かえって人間は情緒、体調ともに不安定になってしまうらしい。だから、『適当・ランダム・おおざっぱ』にマシンにまかせることによって、全体としての釣り合いをとっているんだと。

 よけいなお世話じゃないかという気もするが、一五〇年ほど前にこのシステムを採用したときの住民の評価は、予想以上のものだったという。

 以来、『適度に』暑すぎる夏や、凍えるような冬が、あたしたちの予想を超えたところで何年かにいちどは、やってくるというわけ。

 おなじくナノマシンのはたらきにより、太陽光線のスペクトルは、レンズを通過するときに分子レベルで微調整をうけ、ドームで暮らす人々は、いまだテラフォーミング途上の赤くほこりっぽい色ではない、澄んだ青空のもとで生活ができるんだ。


「………まぁ、『雲』だけは『テラ・アーカイブ』からの借り物映像だけど………」

 ドームもこれだけ地上に近くなってくると、投影されている映像も奇妙にゆがんでいる。

 ずっと上を見つめ続けていると、普段は気にしていないそんなことが、つい口からて出てくる。


「………ユーカ、どうやらあの辺に落ちてくるみたいだぞ」

 頭上のいくつかのレンズの中から、スコルピオのセンサーがひとつを選びだしメインモニターに予想軌道を表示する。

「『レンズ』に、ひっかかるのかな」

「どうかな、あれの質量しだいだが、たいていのものはそう簡単に貫通したりは………」

 いってる間もなく、あたしらには豆つぶサイズにしか見えないそれは、スコルピオの予想通り、だいたい前方五〇m、地上約一〇〇m上空の水のレンズ(ウォーターレンズ)のひとつに『着水』した。水を含んだポリマーと、おそらくは大量のナノマシーンのしぶきをハデにあげながら。

 ………そのまま、なりゆきを一〇秒ほどながめていただろうか。

「ユーカ、レンズのナノマシーンに通報能力はない。管理局に連絡をとって………」

「まって、あそこ!」

 拡大してモニターで見ると、球形に見えたそれは、どうやら多くのパネルで構成された、多面体のようだ。

 そのひとつ、正三角形のパネルが上のほうに開いて、なんだか、かげろうのような人影がフラリと出てきたんだ。

 まん丸に見えていた、緑色のコンテナ(?)はゆっくりレンズに沈んでいく。

 そこから出てきた人影も、糸がきれた人形のように、コンテナのわきにゆっくりと投げ出された。

「まずいよ、あのままじゃ、おぼれちゃう!」

「しかし、ここからじゃ、どうにも………」

「スコルピオ!あそこからは?!」

 ここに来るまでに、右手のほうに小高い丘があるのには気づいていた。この季節の草に覆われていて正確にはわからないが、六〇m以上はあるだろう。

 あそこまで駆け上がって、フルブーストでジャンプすれば………。

「わかった、少し待て!」

 スコルピオは、搭載していたメガンティスをできるだけしずかにおろすと、ビークルモードから人型のユニバーサリーモードへと最速でフォームチェンジ。

「スコルピオ、フルブーストで!」

「少々不経済だが………いいぞ!」

 最大出力で、丘のてっぺんまで駆けあがる。

 そこからは、レンズまでおよそ四〇m!

「いくよ、スコルピオ。久しぶりの、全力全開!」

「帰りの燃料、全部使っちまうからなぁ!」

 背、脇腹、モモ、スネと、装備されたすべてのノズルから燃料を噴射して、あたしたちはフォボスからの『物体』が降りてきたレンズへとジャンプする。

 あと、二〇m、一四m、一一,九,四………

「ムリだ! 届かんぞ!」

 ………! もちろん、スコルピオはいつも正しいことをいう。でも、それじゃ、あのひとはどうなる?

「レンズフレームにワイヤー射出!」

「! ………わかった!」

 スコルピオの左腕に装備されたワイヤーを、レンズフレームの構造材に引っかける。

 どうにか、レンズフレームの下ギリまで取り付くのには成功した。しかし………。

「ユーカ、ここからは、オレは………」

 ………かなり特殊な耐水作業機をのぞいて、ほとんどのMDMは防水機能など持ち合わせてはいない。そもそもドームの内外を問わず、この星に雨など降らないのだから。

 もし、スコルピオを強引にレンズの中にもぐり込ませたりすれば、コクピットの中にまで水が侵入してきて電子機器がやられてしまうのがオチだ。

「わかってる、あたしが行くから、あの人の近くまで液送管出して!」

 さいわい、広いレンズの中でも、わりあいフレームに近いはじっこのほうに『コンテナ』は落着した。この距離なら液送管をのばせば、下からレンズを通してあの人に届きそうだ。

 あたしはいそいでハッチを開けて、スコルピオの右腕に飛びうつる。

「いいよ、スコルピオ、やって!」

 そういうとあたしは管の先端にしっかりつかまって、大きく息を吸い込んだ。

 スコルピオが、上のほうにレンズ越しに見える人影に向かって右腕を伸ばし、

「出すぞ!」

 いうなり、身構えていたあたしに強いショックがかかってきた。すぐに、冷たい水の感覚が全身をつつみ、下のほうへ勢いよく流れていく。

 とても目なんて開けていられない。

「いち、に………」

 口の中で、さん、と数えた瞬間、レンズの上面にとび出し、身体じゅうが乾いて冷えきった空気を感じる。

 まぶたを開くと、半分以上沈みかけた、あかるい緑色のカプセルが目に入った。

 直径はざっと一五mほどだろうか。

 あの人影はどこ?

「おまえが見てる左ななめ後ろだ。反時計方向にまわれ、ユーカ!」

 液送管先端の集中センサーからスコルピオの声。いわれたほうに顔を向けると、五mくらい先、レンズの水面にあお向けに浮いている人影が見えた。

「おとこ………男のこなのかな、あれは………」

 着ているものが濡れたせいだろう、少しずつ沈んでいる。意識を失っているのか、死んでるのか、自分で動く気配がない。

 ヤバい!もうすぐ顔がレンズに呑みこまれてしまいそうだ!

 あとさき考えずに、あたしは男のこのわきに飛びこんだ。なんとかあごに右手をまわし、顔を水面に上げる。あたたかいし、ちゃんと呼吸はしていた。

「スコルピオ、早く!」

「すこしまて! そう早くは動けん!」

 簡易検査ツールも兼ねている液送管は、機体からのコントロールで少々動かすことはできる。

 ポリマーと水の融合で少しねっとりした水面をわってこちら側にくるのを、あたしはジリジリした思いで見つめていた。

「つかまれ」

「………一五秒!」

 これだけの時間、人ひとりかかえて浮いているのがどんなに大変か、帰ったらたっぷりグチってやろう、そう決意しながらあたしは男のこの口と鼻を手でふさぐ。

「いいよ」

 送り出されたときよりは、管はゆっくりレンズの中を引きもどされ、そのままスコルピオはあたしたちを右手にかかえ込んで、丘の上にランディングした。


「脈拍、体温、ともに正常だ。――人工呼吸の必要もないぞ」

 センサーを収納しながらスコルピオがいった。

「そ、そう」

 あたしは、いろんな意味で安心しながら、空からふってきた男のこのほうに目をむけた。

 やわらかな砂地に横たわったそのこは、どうもあたしより年下のように見える。

「どうする、ユーカ。管理局に連絡するなら――」

「まって」

 ――『あたしらはあんまし管理局にはからみたくねーんだよ』――

 あたしの脳裏を、さっきのカオリの言葉がよぎる。

「これ、報告したら、さっきのメガンティスの件も蒸しかえされちゃうよね」

「まあ、たぶんな」

「カオリたちには迷惑かけたくないし、せめてこのこが気がつくまで、報告は待ってあげられないかな」

「うーん………」

「ほら、報告したとたん、このこがいきなり強制収監なんてのも寝覚めが悪いしさ」

「ちかごろ、物騒だからな。そういうこともあるかもしれん」

「だから、このこから、ちゃんと事情が聞けるまで待ってあげたいんだ。………だめかな」

「………わかった。おまえが見つけた落とし物だ。おまえの好きにするといい」

「ありがとう、スコルピオ」

 このこが出てきた緑色のコンテナはつい数分前にレンズの下側から落下し、巨大な雑草のしげみに姿をかくしてしまっていた。

「あれはどうしようか」

「そうだな、彼の話を聞いてから対処すればいいんじゃないか。どのみち、いまはカマキリのほうを運ばにゃならんから、すぐにはなにもできんからな」

「そうだね。………それと、服をなんとかしなきゃ。ずぶぬれだ」

 まるで、真冬のように着込んでいる彼を見ながら、あたしはいった。




 ドームのはし、エコ・ポイントのゲートをくぐり、生態系管理棟のバックヤードにメガンティスをおろす。広いスペースにはすでに何匹かの巨大な虫たちが横たわっていた。もちろん、カオリたちが運んでいった二匹もその中にいる。

 いまだ生態系の形成途上にある火星では、あらゆる生物に関しての保護、育成が義務づけられている。それは、こうした巨大昆虫(メガインセクト)に関しても例外ではない。今後、生態系が確立していく上で、どの生き物がどのような役割を果たすのか、いまの時点ではわからないからだ。

 だから、ドーム内に侵入したこのような生き物は、殺傷することなく捕獲し、ドームのはしに数か所設けられているエコ・ポイントへ運び込む。それらはここで検査の後、監視用の発振器をつけられてドーム外に広がる「開発途上ゾーン」に再び放されるのだ。


「連れがいるなんて、めずらしいじゃないか」

 よく通る魅力的な低声(コントラルト)の持ち主。顔見知りの女性管理監、ナカヤマさんだ。

 一応、制服らしく白衣を羽織ってはいるものの、その下は丈の短いカットソーに、(もも)(あら)わなホットパンツという出で立ち。

 そして膝下からくるぶしまでは革のブーツで覆われ、この暑さだけが理由とは言い切れないステキで大胆なコーデである。

 縁のない眼鏡の奥の、切れ長の目から発せられるのは、ベテラン管理者特有の鋭敏な光り。

 あたしはエコ・カードをわたしながら、慎重に答えた。 

「……このこ、千住のイトコなんです。あたしが『虫とり』のはなしをしたら、どうしても見たいって、ついてきちゃって……」

 ――濡れた衣類はまとめてカーゴ・スペースに放り込んでおき、このコはなんとかあたしのパイロットスーツをひっかぶせてサブ・シートに押し込んできた。

 あたしのほうは軽装だから、ハッチをあけて走ってくればすぐに乾いてしまった。

「寝ているのか?」

「なれてないから、疲れちゃって」

「――ふむ……」

 口元に手を当ててなにやら考えているようだ。 ………あぁっ、どうかあんまり詮索されませんように!

「――なかなかカワイイ坊やじゃないか。ま、ゆっくり休ませておいてやるんだな」

 ……ふぅ! どうやら誤魔化せたようだ!

 スコルピオからバックヤードにメガンティスを降ろし、簡単な捕獲状況を説明する。

 先ほどのノエさんとの打ち合わせどおりに、矛盾のないよう気をつけながら。

「……そうか、ご苦労だった」

 ノエさんたちの説明とも食い違いはなかったようで、管理官は割とすんなり承認してくれた。

 ――よかったー!

 今の説明を、簡単な報告書類に書き写すと管理官に渡す。

「ふむ。ところで、さっきカオリたちは帰って行ったのだが……」

 ナカヤマさんはさっと目を通しながら話しかけてきた。

「どうも彼女の機嫌が悪かったようなのだが………なにか、あったのか?」

 あたしは、なるたけそわそわしないよう気をつけながら答えた。

「いえ、あのほら、あっちは今日二匹も相手をして、大変だったじゃないですか………だから、ちょっと疲れてるんじゃないかな、あは、あはは」

 管理官はすこし目を細めながらあたしの顔を見ていたが、やがて。

「――そうか。何しろ大物だったからな。 ………プロでもあれだけのヤツを捕獲するのは大変なことだ」

 そういいながらエコ・カードに電子スタンプを押して返してくれた。

「これで、うまい水でものむんだな」

「ありがとうございます!」

「あと、通達だ。ここんとこ、不法侵入者が増えてる。警戒のほうも厳重にしてはいるが、ユーカたちもこの辺に来ることは多いのだから、気をつけておいてくれ」

「わかりました」

「ではな」

 手続きは以上だ。ゲートをあとにしたあたしたちはルート一七を、外環(アウトライン)の内側、居住区画に向けて帰投した。


 外環を抜けて一路都内へ向かう。

 この東京市に限らず、火星のほとんどの都市は、二〇〇年ほど前に制定された星令により、それぞれの住民の故郷を摸して建設されている。

 わがドームも、最初のころはささやかに、渋谷や新宿など山手線周辺の復元から始まった。

 それがいまでは、ほぼ環状線八号の内側を再現するに至っている。時代的には、都市空間が最も発達していた、二一世紀はじめころがモデルだ。

 たぶん、そのころの人がいまのあたしたちの街を見ても違和感を感じることはないんじゃないかな。なにしろ、莫大なデータバンクによる設定と、豊富な資源を使えるので、アクセサリーとしての電線一本いっぽんにいたるまで再現するほどの凝りようだから。

 ついでに説明すると、現在では、かつての東京外環道と呼ばれていた大回りの環状道路の線までが住民の居住区域で、そこから外側、ドームが地上に接するはしまでは水耕農場などの耕作地帯として設定されている。


 ルート二五四と八号環状道路の交差するあたり、『ねりまえん』の町内にあるあたしのうちに着くころには、すっかり陽も沈んであたりは薄暗くなっていた。不必要なまでに多い街灯が一斉に点灯し始める。

 スコルピオを半地下の格納庫に車庫入れし、男のこはなんとかあたしが引っかついで居間のソファに運び込んだ。

「どうしよう、このコ………」

 規則正しく呼吸をしているこのコも、よく見るとなかなかにかわいらしい目鼻立ちをしている。………もう二,三年もたったらなかなかイイオトコに………。

 イヤイヤ、今はそんなこといってる場合じゃない。夕食時をずいぶんはずしてしまったあたしのおなかは、年ごろのムスメにはあるまじき音で鳴りはじめている。

 とりあえず、買い置きのカップラーメンを作ることにした。湯の沸くのを待つあいだに、冷蔵庫からとっておきのきれいな水をコップについで、ひとくち、ゴクリ。

「ウ~!」

 なにしろ、火星(ここ)では水は貴重な資源だ。各家庭まで水道こそ引かれているものの、蛇口をひねって出てくるのは通称『赤水(あかみず)』と呼ばれる、さびた鉄粉まじりのうす赤い水だ。そのままでも飲めないことはないが、苦いし、においもある。

 水に溶け込んでいる鉄やその他の粒子はとても細かく、普通に濾過したり蒸溜するだけでは除ききれない。だからほとんどの生活水はこれでまかなうし、いまカップラーメンを作ってるのももちろんこの水だ。

 それに対してあたしがいま飲んだのは、混じりものなしの一級品。『白水(しろみず)』ともいわれて、いい値段がする。

 あたしの場合は作業でカードに押してもらった電子スタンプと交換で手に入れているんだけどね。

 ずぞぞぞぞぞとラーメンをすすり込んでいると、気配がした。男のこがかすかに口を動かしている。

 きれぎれに『みず………』と聞き取れた。

 あたしは蛇口をひねりかけたが、ちょっと考え直して冷蔵庫の白水をコップについだ。いちにち三杯と決めている貴重品だけど、まぁ、いいや。

 口元に持って行き、そっと含ませてやると目を覚ましたようだ。彼はがばっと起き上がり、あたしの手からコップをひったくると一気にのどに流し込んだ。少し周りを見回してからあたしの方を向いて、こうおっしゃった。

「うまい………、もういっぱい!」

 冗談じゃない、あたしがその一杯をかせぐためにどんだけ大変な思いしてると思ってんの?

 あたしはこんどこそ蛇口の水をいれて突き出すと、そいつは変な目つきでそのうす赤い中身を見、一口含んで顔をしかめた。

「ナニ、これ? くさくてまずい」

「ジョーダンじゃないわよ、最初にあんたにあげた一杯だけでコレ何個ぶんの値段だとおもってんの!」

 あたしはそのくさくてまずい水で作ったカップラーメンの空容器をつきだした。

「ヒトが気ィきかせてイイ水あげたのに礼のひとつもいわないで。管理局ごまかしてここまで連れてくるのだって一苦労だったんだから、なんかひと言あってもいいんじゃないの? だいたいあんた、なんなのよ、変なモンと空からおっこちてきたみたいだけど」

 するとそいつは、変わった生き物でも見るような目でこっちをながめてから、言った。

「―――オレの名はゴロー。ゴロー・ヤブキ。………フォボスから来た」 

 アイタタタ! やっぱりそうか!

「………やっぱりそうか、って目でオレを見てるな………」

 そのまんまな反応を返して、そいつ、ゴローは言った。

「あんたは、だれだ?」

「あたし? あたしの名前はユーカ・ラムラータ。クモの糸から落っこちてきたあんたを助けた恩人よ!」

「え………クモの糸………?」

「ほら、フォボスから地上までぶら下がってるあれよ」

「………あぁ、降下エレベータのことか………」

「あんた、本当にあそこから降りてきたの?」

「そうだよ………。ここはどこ?」

「あたしんちよ、ねりまえんの」

「ねりまえん?」

「東京よ、カセイ谷の、東京ドーム!」

「カセイ谷………そうか、二〇分もずれたのか」

 なんだか、かみ合わない会話にあたしは少し疲れ始めてきた。

「あんた、おなかすいてないの? よかったら、これあるけど」

 めんどーくさいときは、食いモンにかぎる。あたしは返事も聞かずにカップ麺に湯を(もちろん赤水)そそいでそいつの前に突き出した。

「あ………りがとう」

 初めて礼のことばを言って、こわごわそいつはカップに手をのばした。

 まぁ、こういう食品は赤水のにおいもなるべく気にならないように調味されているから、なんとかのどを通ったようだ。

 ひとごこちついた様子のそいつにあたしは聞いてみた。

「あんた、何歳なの?」

「え………。一四歳、だと、おもう」

 なんか、あやふや。

「じゃぁ、あたしのほうが年上ね。あたし一六歳だから」

「はぁ」

 そいつはたよりない返事をしてこっちを見る。

「はぁ、じゃないわよ。さっきも聞いたけど、あんたなんなの、フォボスから来たってほんと? だったらなにしにきたの?」

「うん………」

 カップ麺にのこったさいごの汁をすすって、そいつはとんでもないことを口にした。

「このドーム………もうじき解散させられるんだよね………」




 ――『ポーラボラトリィ』――

火星の北、極冠地方にあるその都市はそう呼ばれている。

 直径二〇kmほどのさほど大きくないドームシティであり、他の火星都市のような民族的、地域的ルーツを持たない。

 ほとんどの火星都市は、比較的温暖な赤道に近い一帯に建設されているのに対して、この都市はその名が示すとおり『極地実験都市』であり、テラフォーミングに関するありとあらゆる先進技術が集約されている。

 各種MDMの開発から、ドームシティそれぞれへの給水決定権まで、この惑星上で生存に必要な技術開発のほぼすべてをここが手がけている。

 そして、『開拓』すなわち『生存』を意味するこの星では、政治的中心としての機能も兼ね備えていた。

 北半球が夏期のこの時期でも、ドームの周囲は零下六二度。終わることのないドライアイスの吹雪に囲まれているこの都市はしかし、極冠の氷に囲まれ、水に不足することだけはない。

 一般のドームシティと違い、『安定した研究環境を整えるため』季節を設定せず、常に適温のこの都市の一角に、そのビルはある。

 入り口のはじにささやかに『ユニオン・ビルディング』と掲示されたそこが、事実上の最高権力機構であることは、この星に暮らすものには周知の事実だ。


「………間違いないのだな」

「間違いありません。諸事、手配りは完了いたしました」


 小さなビルには不釣り合いな、地下深いフロアでその会話は行われていた。

「これで、八つ目かね」

「はい、――大規模ドームとしては二ケース目になります」

「――三年ぶりか。前回のようにはならんだろうな、あれほど大量の離脱者を出しては困る」

「水賊………ですか。たしかに対策にそれなりの予算がかかっているのは否めません。社会不安を引き起こすほどではありませんが」

「年間五〇億マルスの浪費が、社会不安のタネではないというのかね」

「その分の雇用を生み出しているのも、事実です」   

「………傭兵をいつまでも飼っておくわけにもいくまいよ」

「いずれ、別の使い道も出てきましょう」

 若い声の男は、いい加減にこの退屈な会話を打ち切りたいようだ。

「今回の包囲網においては、おそらく一名の『離脱者』も出すようなことはありえない、と言い切れます。解散宣告は、法の許すギリギリに。都市包囲は、準備も含め九〇日前から。機材は前回の八倍を用意しております。けっきょくその方が年間で考えた場合、安くつくことはわかっておりますし」

「………ならばよい。――トーキョーか――若いころにしばらく赴任したことがある。あれはよい街だったが」

「しかし、惑星(ほし)全体の統制に服してはおりません。人口の多さゆえの、星令指定都市の名目におごり、独自の給水政策などもってのほかです。――閣下、この星にこれ以上の人口が養えぬことは閣下が一番ご存じのはず。この方針も閣下が打ち出したものと側聞しておりますが」

「そうだ。………このまま、各都市のほしいままに放置しておけば、遠からず決定的な破綻がこの星を襲うだろう。事実上、地球が滅んだ今となっては、これよりほかに人類が生き残るすべはない。強制的な人口統制と給水制限………」

「やむを得ないことです。いま、閣下が実行なさらなければ、後日ほかの誰かに委ねられるだけのこと。そして、コトは遅れれば遅れるほど、さらなる惨禍と悲劇を生み出すだけに過ぎません。今日の閣下の決断に、人類は感謝しこそすれ、消して遺恨など残すべきではありません」

「………私たちのことなどはいい。あとはおまえたち、若い世代に託すだけのことだ………」


 『ユニオン・ビル』の正面玄関から出てきたその男は、少し傾いてきた日ざしに目を細めながらつぶやいた。

「あー、年寄りはグチが多くていけねーや。――もぉっと、ブワッとかズバッとか、はっきりモノをいえねーのかね、どーせ、やることは一緒なんだから」

「お疲れ様です、ジッシャー特察官」

 声をかけてきたのはラフなTシャツにホットパンツと、まちの娘を装った若い女だ。

 陸軍式の敬礼に簡単な答礼を返してジッシャーと呼ばれたその男はいう。

「おー、アーニャ・レントン少尉。待たせたな。………メイちゃんは?」

「は………! メイリオ・ハーク准尉ならあそこであります」

 アーニャと呼ばれたその女が指さした先を見ると、なにやら露天の屋台でアイスクリームを七段重ねにしている、胸だけは立派に成長した、ミニスカートの小娘がオヤジとやりとりしている。

「あぁん………オジサーン、そのチョコと、ミントものっけてくれないのぉ?」

「それ以上は、崩れちゃうよぉ」

「じゃあ、コーン、もう一個追加ねェ」

 いまにも崩れそうに積み上げられたアイスを、あぶなっかしい手つきで受け取る娘。

「………フーム、とてもあれが『リオの七〇人殺し』には………」

「――大佐! そのことは、もう………」

「おっと、すまんすまん、こんなところで野暮だったな。昔のことだった」

「………えぇ、今後はあのようなこと、ないように願いたいものです」

 ―――人工の空はいまだ青く、研究者の子供たちは噴水で水遊びに興じている。

「アニー、はい、あんたのアイス。あ、大佐。もうお話はおわったんですかぁ?」

「あぁ、いままでの確認だけだからね」

「それじゃ、今日はゆっくり遊びましょ! 作戦前のさいごの休暇なんですから」

「おい、メイ。大佐はまだいろいろと」

「いいんだ、アニー。メイちゃんのいうとおりだよ。とりあえずこのあと、何かウマいものでも食いに行こうか。極冠の夕暮れは長いんだし」

「あ、それじゃあ、あたし、おいしい冷しゃぶのお店を知ってるんですぅ」

「メイ………八月過ぎだからって、ここはべつに暑いわけじゃぁ………」

「だぁって、季節感はだいじだよぉ!」

「そうだな、そういう感覚は大事にしていこう。アニーも別に、肉は嫌いじゃないんだろう?」

「は、はぁ………」

 ――ドームの商業区画、コンシューマ・エリアに向かう三人の影に、子供たちの水遊びのしぶきであらわれた虹が重なって見えた。




 ―――何年か前に廃業した町工場。それがいまのあたしたち(=あたしとスコルピオ)の住まいだ。

 一階は作業場、そして無骨な鉄階段であがった二階に、ふた間続きの事務室。あたしは奥側の部屋を使っているんだけど、流し台もそこにあったから、さらにカーテンで仕切って食堂と兼用になっちゃっている。

 あたしが寝部屋にしている側の窓は、吹き抜けの作業場に面している。カーテンを開けると、スタンディングフォームのスコルピオとこんにちは、ってかんじだ。

 お手洗いは、すごく簡単なのが鉄階段の下、裏側に。(あ? あたしはちゃんときれいにしてるよ!)

 もともとバスルームなんてありはしなかったけど、ここに入ってきたとき、オヤジがどっかからボロい中古のコインシャワーをみつけてきて(二〇〇マルスぐらいだって自慢してたな)工場のはじに設置した。いまでも一回、自分で一マルスコイン入れて使用可だ。

 こないだ、『それ、バカバカしくね?』とかいった友人には、あたしにとって月末に集金ボックスを開けるのがいかに楽しみかっていうことを、こんこんと力説してやりました。

 けっこう大きい物件だけど、これで月々たったの三〇〇マルスです!(二マルスでコーヒー一杯飲めます)

 どこの都市でも、あき物件の積極的活用は基本方針だし、さらに開発機材(MDM等)持ちの場合は優遇措置が定められてるからね。

 しかも、前にオヤジが、向こう一〇年分の家賃を入れといてくれたおかげで、しばらくはあたしの持ち家も同然!

「………あんた、簡単に『解散』とか言うけど、それがどんだけ大変なことか、わかってん

の?」

 ひと息ついたあたしは、ツナギをひっかぶっていつものようにスコルピオの終業メンテナンスに取りかかっていた。………シャワーは寝る前に浴びることにしよう。

「ん~? よくわかんないけど、ここにだれも住めなくなるんだろ?」

 ………なんだかヤツのその返事がエラく脳天気に聞こえるのは、あたしの気持ちがささくれているからかしら。ずるずると、二個目のカップ麺をすすりながら階段を下りてきたゴローとやらに、あたしは努めて優しい視線を送ってあげたんだけど………。

 あ、あれ? 空腹癒しがたし、の顔をしていた彼に、特売・半マルスのラーメンをもう一杯作ってあげた、天使のようなあたし。でも彼がいま、つるりと汁まで飲みこんだのは………?

「あ~? そ、それ! ………もしかして、流しのわきに置いといた『極上☆火星チャーシュー麺』じゃ?」

「う? うん。………いろいろ具の袋とかあって、作るのめんどくさかったぞ」

「………『特売・具なしラーメン』は?」

「もう食べちゃったよ?」

「………じゃあそれ、三個目?」

「うん、三個目」

「………!!」

「泣くな! ユーカ」

 ………センサーが、あたしの目からあふれかけた水分を感知したらしい。

 バカだなぁスコルピオ、これはただの、心の汗だよ。

「あはは、ゴロー………クン、それ一個で、特売ラーメン七個は買えるんだよお?」

「そう? ………うん、おいしかったよ!」

「………なぁユーカ、さっきの全開のせいか、左ワキのブースターがこそばゆいんだ、見てくれないか」

「――おーけー………」

 ありがとうスコルピオ、気をつかってくれて。こっちがわに回り込むとアイツの顔が見えなくてすむわけなんだね。

 ………とはいえ、スコルピオも適当な口実を作っただけではないらしい。確かに噴射ノズルの口廻りにはかたいススがガンコにこびりついていた。

「あー、こりゃ、レンズに取り付いて液送管突っ込んだときに、ナノマシンのしぶきを浴びたんだね―、焼きついてるよ」

「交換か?」

「いやー、金だわしでゴシゴシで」

 ………作業を始めると、気持ちが落ち着いてきて、カップメンの件はなんとか気にならなくなってきた。………アイツもしばらくだまってみていたようだが、突然口をひらいていった。

「ねぇ、マンガ、好きなの?」

「え?」

「なんか、いっぱいはってあるけど」

 いわれて指さされた方の壁を振り返ると、子供のころからはってきた、アニメのポスターで埋まった一角が………。

「ア、アレは………」

「階段のわきにも、たくさん」

 あたしは、みるみる赤くなってきた顔をノズルの奥に突っ込んで

「むかし! 付録なんかでついてきたのをはりっぱなしにしてあるだけよ。ひとり暮らしなんだから、整理が追いついてなくて悪かったわね!」

 あぁ! 先月号の『アニメ・リピート』の閉じ込みはってあるのなんて、絶対わかんないわよねぇ!

「そう」

 アイツはそういうと、それきりまた口を閉じた。

 ―――それからしばらくは、焼きつきをこすりとる音、ときおり工具を交換する音、そしてつけっぱなしのラジオのおしゃべりの声が聞こえるだけ。

 よし、ノズルの洗浄完了。あとはいつもどおり、各パーツのパラメータや緩衝パッドの消耗なんかをチェックして、可動部の圧力調整。燃料は帰り際にエコ・ポイントで入れてきたから、ほぼフルチャージ。ストックの麻酔カートリッジ装填と、………そうだ、カートリッジはそろそろ来月分を発注しとかないと………

「あのさ」

 ふいに、アイツがまた口をひらいた。

「な、なに」

「いつもこんなに遅くまで仕事してるの」

 時計の針は、いつのまにか二三時をまわっている。

「………夜働いて、昼に寝てるんだ?」

「いや! あしたも朝から学校だけど。やることやっとかないとマシンは正直だから、すぐ調子に出てきちゃうからね」

「………すまんな、ユーカ。オレ自身は週に一度くらいでもいいんじゃないかと思うんだが」

「だめよスコルピオ。オヤジ探して三日動き回ってたら、あんた帰投するだけで精一杯の、ガタガタになってたじゃん」

「あのときは、ぶっ通しで稼働してたからな………」

「お父さん、どうかしたのか………?」

「え、あぁ、死んじゃって………うぅん、なんていうか、行方不明」

「え………」

「二年くらい前にね。調べごとがあるって、管理局の探査MDMを借りて出てったんだけど。ふた晩たっても帰ってこなかったから、局と一緒にあたしもスコルピオで探したの。そしたらドームからずいぶんはなれたクレバスのわきでMDMの残骸は見つかったんだけど、オヤジはどこにも。局の方じゃ、何か事故があってクレバスに落ちたんじゃないかって………」

「………ごめん、なんか悪いこときいたね………」

「いいんだよ。もう、なれたし。それに、スコルピオもいるし」

「………うん」

「あ、かあさんのほうは、あたしが生まれてからすぐ亡くなっちゃったの。だから、そのことも気を使わなくていいよ」

「そうか………」

「―――わすれてた! あんたさ、いまのうちにシャワー浴びなよ。石けんとシャンプーはそこ。タオルはいま、持ってくるからさ」

 返事を待たずに二階へ駆けあがってタオルと、学校の去年のジャージを持ってきた。

「はい、着替えはこれ使って。あと、これ入れたら五分間お湯が出るから、その間にすませちゃってよ」

 コインを一枚わたしてシャワーのドアに押し込む。

「あ、あのさ、オレの話は………」

「いいのいいの、そんなの。あんただって疲れてるでしょ。今夜はゆっくり休んでもらって、あした話を聞かせてもらうから」

 ガチャリとノブの閉まる音を聞いてから二階に行き、オヤジが使ってたタオルケットをひっぱり出す。アイツには、きょうは手前の部屋のソファで寝てもらおう。

 ――ソファに積みっぱなしの雑誌やなんかを片付けていると、じきに彼が階段を上がってきた。

「ありがとう。あの、これ………?」

「あ、脱いだものはそのへんに置いといて。悪いけど今日はここで寝てもらうね。それから、これ」

 冷蔵庫のボトルからコップに水をついで差し出した。うん、こういうときは東京っ子の心意気だ、ユーカ!

「飲んだら、寝ちゃって。あたしはまだしばらくかかるから。あしたになったら、いろいろ聞かせて」

「うん。………あの、ちょっと、あれ使わせてもらってもいいかな」

 テレビや冷蔵庫と同じく、コンピュータのかたちも、それが生まれた二一世紀ころからあまり変わりはない。作業スケジュールの確認でつけっぱなしにしていたのを、彼は指さした。

「情報検索とかできるんなら、したいんだけど」

「どうぞ。………通常プランにしか加入してないから、たいしたことわかんないと思うけど?」

「ありがと………」

「とにかく、早く休みなさい、体こわしたら、なんにもならないんだかんね」

「うん」

「じゃ、おやすみ」

 階段を降りぎわに振りかえると、ヤツはなにやら熱心にコードを打ち込んでいる。なに調べてるんだか………。

 まぁ、それもあした聞くことにしよう。とにかく、中断した作業だけは終わらせなくちゃ。


 ―――なんだかんだとやってると、結局夜中の二時ちかくになってしまった。もうだめだ。きょうはいろいろありすぎた。シャワー浴びる気力もないや。

「………じゃあスコルピオ、スリープモード」

「すまなかったな、ユーカ」

 作業場の電源落として、階段を上がるのすら、かったるい。あーもういいや今日は。寝ちゃおう寝ちゃおう!

「………! やっぱりねー」

 案の定、二階に上がると手前の部屋でゴローはデスクに突っ伏したまま寝入ってしまっている。コンピュータの画面には『アクセス制限』とか、『重四度』とかの文字が明滅してるけど、なんのこっちゃ。

 もはや彼をソファにうつす気力もないので、そのままタオルケットを掛けてエアコンを弱に調整。

「それじゃ、おやすみ~」

 あくびをかみ殺して、返るあてのない挨拶すると、奥のカーテンを開けてツナギを脱ぎすて、簡易ベッドにもぐり込んだ。

 手だけを出して時計をセット。………六時半におきてシャワー浴びよう………。

 あしたは、あたしが帰るまで、アイツにはおとなしくしてもらうことにして、と……… …………そういや、『平原ムラコの驚愕』の一五話、アレ、どうなるんだろう………。きょう、VAMの続きを見るつもりだったんだけどな。…………あのループは………ヒドいよね…………………


 そして、悲劇は起こった。

「あーーー!!!」

 近所中に響きわたるようなあたしの悲鳴で、その朝は始まった。

「あ、あたしの、みずうーーー!」

 ―――目覚ましを止めて、寝ぼけまなこでシャワーを浴びた。髪をブローして冷蔵庫を開けて、朝一番のお楽しみの一杯………と思ったら、な、ない! ペットボトルに、半分は残ってたはずなのにぃ!

「お、の、れぇ!!」

 アイツだ、アイツしかいない!

「ゴロー! てめえぇ! 起きろおぉ!」

 いつの間にか、ソファにうつっていたそいつからタオルケットを引っぱがす。

「ン、あ………おはよう………」

「おはようじゃないわよ! あんた、飲んだでしょ! 冷蔵庫にあった水、ぜーんぶ、飲んだでしょー!?」

「あぁ、夜中に、のど、乾いちゃって………」

 …………許さん………許せん………! コイツにどういう事情があるかは知らんけど、きのうの極上☆チャーシュー麺につづき、あたしのだいじな水までもぉ~!!

 ………罰だ。罰ゲームだ! 罰をあたえてやるぅ~!

「あんた! きょう、あたしのパン買ってきなさい!」

「へっ?」

 ダッシュで制服に着がえて、買いおきの食パンをトーストもせずに赤水で無理やりながしこみ、きょとんとした目で見ているこの自称フォボス野郎にも、同じものをお情けで口に突っ込んでやる。

「むがゎあ!」

 とかいうのも構わず、手をひっつかんで階段をかけ降り、

「スコルピオ、ウェイクアップ! 最速で『登校モード!!』」

「そんなモードはね―よ! おまえの声でとっくに起きてたしな」

「いいから、スタンバイ!」

 あわただしくビークルモードに変形したスコルピオのコクピットに、ジャージのままのヤツを押し込んで、あたしも乗り込む。

「登校!」

 シャッターが開くのももどかしく、おもて通りに飛び出たあたしたちは一目散に、あたしの通う『西北学園』に向かった。



 あたしんちから学校まで、スコルピオを使えばたったの五分。歩いても一五分足らずの距離ではあるが、放課後にボランティアに出るあたしの場合、MDMでの通学が認められている。

 校内の駐機場に着くまでのその時間、あたしはゴローにくどいほど念を押しておいた。

「――いい、うちの購買のパンはけっこううまいって評判なの。その中でもきょうは、水曜日限定のスペシャル焼きそばパンが入荷する。そうなったら、中等、高等部入り乱れての争奪戦よ。あんた、さいわいうちのジャージ着てるんだから、中等部の生徒にでもなりすまして、それ買ってきてちょうだい!」

「う、うん………」

 たよりない返事。

「あたしのだけじゃないわよ。きょうはヒトにもたのまれてるんだから、その分もね。はい、これ渡しとく。あんたの分も含めていいから、適当な数買っておいて。わかったわね!」

 ジャラリとマルスコインの入った小銭入れを渡す。

「一一時四〇分には購買にパンが入荷するの。昼休みは一二時からだけど、その五分前に行ったって、もう手遅れなくらいだわ。だから、あんたは入荷したらすぐさま買ってきちゃって。………おばさんになんかいわれたら、ちょっと自習室を抜け出してきた………とかいえばいいから!」

「………わかったよ。で、それ買ったら、どうしたらいいんだ?」

「そうねぇ。まあ、そのまま購買のあたりで待っててよ。昼になったらあたしもすぐ行くからさ。スコルピオ、これ、お願い」

 いまサーチした図面をスコルピオにプリントアウトしてもらう。

「はい、これが校内の見取り図。こっちがいまあたしたちのいる駐機場で、ここ、B棟のここが購買ね。まぁ、あんた、それまでは適当に時間つぶしてて。いい、絶対スペシャル焼きそばパンは買い逃すんじゃないわよ!」

 そう言い捨てると、あたしはスコルピオのコクピットから飛びおりて校舎の方に駈けだした。

「………やれやれ………おい、テレビでも観るか」

「うん………。 スコルピオ………もしかして、ここから惑星ネット(プラネツト)に接続できたりする?」

「いや、―――悪いがそれはユーカの生体認証がいるんでな、いまはムリだ」

「そう………ムリならいいんだ。ありがとう」


 クラスの扉をくぐったのは始業三分前。けさもいろいろやってたからなぁ。入り口のところでクラス委員をやっているカオリ・パインバックお嬢様につかまっちまった。

「あら、ユーカさん、おはよう」

「お、おはよう、カオリ………」

 いつもながら、コイツにこれをやられるとぞっとする。コイツんち、パインバック家はここ、東京ドームでも指折りの名家で、この学園の理事もやっている。いってみればここもコイツんちの一部みたいなモンだ。コイツも普段は高三の姉、ノエさん、中二の妹、ナナホちゃんとともに学園寮に住み込んで、MDMで活動する際も学校から直接出て行く。しかも、直属の整備班までついているから、優雅なモンだ。

「ユーカさん、きのうは大変でしたわね。あれから、だいじょうぶでした?」

「そ、そうだね、ナカヤマさんにはいろいろ言われたけど、特に問題はなかったよ」

「そう。じゃ、よかった」

 ニッコリ。―――そしてあたしは、ゾーー!

「おはようございます、カオリさん」

「あら、ごきげんよう、シヅカさん」

 通りかかるクラスメートに愛想よく挨拶するカオリ。―――疲れる。これを見るとどっと疲れる。こんな思いしてるのは、クラスの中でもコイツと一緒にボランティアに出てるあたしぐらいなモンだろう。………いっそ、MDMで出てるときみたいに凶暴な方がラクなんだけど………。

 とか思ってたら、あたしのほうにカオリはスッとからだを寄せて耳打ちしてきてた。

「………ねぇ、きょうのパンの件、忘れてませんよねぇ?」

「わ、わかってるよぉ。あれよね、きょうは『スペ・焼き』の日だっていーたいんでしょ?」

「そうですよぉ。………『スペシャル・ヤキソバ』………買い逃したら、コロすかンな?」

「………そんなに食べたきゃ、あんたんちの学校なんだから、直接注文すればイーじゃん?」

「アホか。名誉あるパインバックのムスメがそんな恥ずかしいことできるかよ? いーからちゃんと、買ってこいよぉ?」

 ………なんて、やってるうちに担任のお出ましだ。

「あら、おはようございます、荒縄先生」

「おう。おはよう、カオリくん」

「みなさーん、席についてくださーい」

 無骨なナリの美術教師が(もちろん、男)でん、と教壇におさまった。ギロリ、と皆を見わたし、

「オホン、揃っとるようだな」

 すかさずカオリが号令をかける。

「起立! 気をつけ―、礼!」

「よろしい、ホームルームを始める。まずは当局から通達のあった、不法侵入者の件についてだが………」

 まーたか。耳にタコができてるっつ―の。………あー、来週提出のレポートって荒縄のなんだよなー。まだ、タイトルもできてね―。まぁ、それは後回しだ。それよりアイツ、ちゃんと『スペ・焼き』ゲットできるんだろうな………



「――きょうの東京の天気、ドーム北部、晴れ。東部、晴れ。南部、晴れ。西部はおおむね、晴れるでしょう」

 なんだかほとんど意味のない天気予報をぼんやり見ながら、ゴローはすることもなくコクピットに座っていた。

「―――ここからはお天気キャスターのサトポンさーん、惑星各ドームのお天気お願いします」

「はーい、サトポンでーす。赤道帯の各ドーム、オタワ、上海、N・Yシティ、カーサブランカ、ケソン、モンテビデオ、その他の都市はおおむね晴れ、気温は約二六度から三四度。暑いですねぇ。また、準赤道帯のメルボルン、エディルネ、ゾリンゲンほか、いずれのドーム内も、だいたい晴れてるでしょう、たぶん。―――なお極冠地方、ポーラボラトリィその他の都市は一六度から二三度の予定です」

「はい、ありがとうございます。えー、いま、ドームの外の方はどうでしょう?」

「ハァ、そうですね。ドームの外、赤道地帯は八ヶ月にわたるながい夏の真っ最中です。日中の気温は最高で八度。夜間はマイナス三二度近く。開拓事業者の方々には、たいへん快適な環境となっておりまーす」

「そうですか、くれぐれもみなさん、風邪などひかないよう気をつけてほしいですね」

「はーい。なお、現在のところ、全惑星的に大砂塵の兆候は見られないということです。では、きょうも元気にいってらっしゃーい!」

「サトポンさーん、ありがとうございます。エー、では、次のニュース………」

 分かりきった情報にゴローはシートの上であくびをかみ殺していたのだが…………。

「………先日、解散になったドームシティ、ダルエスサラームの続報です」

 え、とモニターに顔を向けたゴローの目に入ってきたのは、レンズを失ったフレーム構造材からドーム内に赤い風が吹き込み、木々や森も無残に枯れ崩れた廃墟のすがただった。

「えー、現場のアサミです。これが、現在のダルエスサラームの様子です。わたしはいま、市の南東部から中心のほうを見ているところです。――このドームは直径一五キロ。比較的小型のドームでして、人口も六万八千ほどでした。給水委員会の決定では、ここ数年で減少の一途をたどる人口に比して都市機能維持の経費がかかりすぎるということで、今回の解散執行にいたったということなのですが」

「アサミさん、こちら、スタジオのキムラです。たしか、執行はひと月ほど前のことだと思いますが、想像以上の荒れようですね」

「そうですね。ここはモデルとなった東アフリカの海岸都市を模した、緑の美しい街でした。観光事業として人工海洋プールまで擁していたのですが、近年の無理な財政政策が大きな懸念材料となっていました………」

 カメラは容赦なく、捨てられた街に踏み込んでいく。スーパーマーケットやコンビニなど、あらゆる食料品取扱店はガラスが割れ、あるいはシャッターがこじ開けられ、『執行』時の混乱をものがたっている。

 ドアが開いたままの高級車。ショーウィンドウにむなしく風が吹き込むブランドショップ。脱ぎ捨てられた、片方だけの子供のサンダル。その先に写った枯れ枝のようなものは………小さな、手………?

「カメラさん、こっち、こっちに振って!」

 あきらかに狼狽したレポーターは、それでも精一杯職務に忠実なな笑みを浮かべて、

「えー、いまのはマネキン、マネキンが埋もれていたようですねぇ………」

「………スコルピオ、いまのって………!」

「――オレにいわせるな。………解散ってのはそういうこったろ」

「………そうか………」

 それからしばらくゴローは校内の見取り図をぼんやりながめていたが、ふと、購買の少し手前に「自習室」とあるのが目にとまった。

「――スコルピオ」

「………なんだ」

「じつは、ちょっと、………お手洗いに行きたいんだけど………」

「………そうか」

 スコルピオのハッチが開いた。

「場所は、わかるんだな」

「だいじょうぶ」

「―――あまり、無理はするなよ」

「………うん、ありがとう」

 パンが入荷する二時間も前に、ゴローは校舎のほうに駈けていった。



 ………そして、一一時四〇分。校舎内・購買前。いまだひとりの生徒も姿をあらわさないなか、ゴローはミッションを遂行しようとしていた。

「おばさん、こんだけ、お願いします」

 そういってパンを詰め込んだ手さげカゴと、ユーカに預かった財布を差し出す。

「………あいよ、………これ全部、いいんだね………?」



 お昼の一二時すぎ、購買に向かったあたしの目に飛び込んできたのは、大勢の生徒に追いまわされながら、両手にパンを抱えて走ってくる少年のすがただった。

 追っ手は口々に

「おい、パン返せぇ!」

「おまえ、独占してんじゃねーよ!」

 とか叫んでいる!

 ………あたしは全身の血がザーっと音を立ててひいていくのを感じた。まさ、まさかアイツ、そそそ、そんな………

「あんた! いったいなにしたってーの?」

 あたしの目の前を通りすぎようとしたアイツに駆け寄り、並んで走る。

「あ………、ユーカ。パン、買ってきたよ」

 両手に抱え込んだ大量の『スペシャル焼きそばパン』をみせながら、ゴローは息を切らせて答えた。

「まま、まさかこれ、入荷したヤツ、全部買ってきたわけじゃ………」

「そーだよ、うん。ひとつも、買い逃さなかった。………あ、はい、これお釣り!」

 ――さわやかにあたしの手におさいふが差し戻される。

 その間にもあたしたちの後ろからは、購買ゾンビどもが両手の指ではカウントできないほどの数で殺到してきてる。

「あ、あんたねぇ! なんてことしてくれんのよ!」

 あぁ、廊下を行き交う同級生の視線が痛い………!

 やっぱり………やっぱり! こんなことはヒトに頼むんじゃなかった! ヒトにバツをあたえようとして、そんなあたしにバチが当たったんだ! ううう、天国のおかあさん、ごめんなさぁーい!

「なんか、ほかの人の分も買うんだったよね。これで足りるの?」

 このヤローは真剣なのか、トボケてるのか、真顔であたしにきいてくる。

 わー、もうすぐ、あたしのクラスの前だぁ………。

 と、ガラリと引き戸を開けてカオリが顔を出した。

「あら、ユーカさん、あたしの………?! なんだ? おい!」

 クラスの前を通り抜けざま、あたしはカオリの手をひっつかんでそのままぐいっと引っぱり、なおも廊下の奥のほうへ走り続ける。

「おほほほほカオリさん、スペシャル焼きそばパン、お約束通りゲットしましたわよぉ!」

「はぁ? どーゆーことだよ? おめぇ、なにやってんだ?」

「だからぁ、これ見てちょうだいよ!」

 相変わらず『スペ・焼き』をかかえて、ゴローはあたしの横を走っている。

「なんじゃぁ、こりゃあ! おめぇ、どんだけ買ってんだよ? ………ていうか、コイツだれだぁ?」

「………あ、このコねぇ……… このコ、………千住のイトコなのぉ!」

 と、そのとき、ピリピリ、という着信音。カオリのケータイだ。

 カオリは走りながらボタンを操作して、目の前の空間に2D画像が展開する。

「あら、カオリちゃん、お昼休み中なのに運動なの?」

 不思議そうな目をしてきいてきたのは、カオリの二つ上の姉、この学校の生徒会長でもあるノエさんだ。

「えー? い、いや、そーいうわけじゃあないけど! な、なんかユーカのやつがさぁ………」

「あら、ユーカちゃんもそこにいるの。ちょうどよかった、いまから一緒に生徒会室のほうに来てくれないかしらぁ?」

 言葉はやわらかいが、カオリにとってノエさんの『お願い』は、すなわち命令にほかならない。

「あー、わかったよ! ごふん、五分したらそっちのほうに行けると思うから!」

「お願いね」

 そういうとノエさんの笑顔は目の前からフェードアウトした。

「聞いてたろ、あいつらまくぞ、こっちにこい!」

 カオリは右手に見えてきた視聴覚室にとびこんだ。あたしたちも入ると中からドアをロックして、反対側の戸から校庭に抜け出し、なるべく遠回りをして生徒会室に向かう。



「はじめて見たわぁ、これがあのまぼろしの………」

 生徒会室の応接テーブルに積まれたスペシャル焼きそばパンを、会長デスクからノエさんは興味深そうにながめている。

「あなたたち、よく食べるのねぇ。よかったら、一ついただいてもいいかしら」

「どーぞぉ!」

 もういくつかめにかじりついてるあたしとカオリが、同時に返事をした。

「ありがとう。ところで、そちらは………?」

 ノエさんは、部屋の中を見回しているゴローに目を向けた。

「あー、そいつ、なんかユーカのイトコなんだって。これゲットするために、今朝つれてきたらしいんだけど………」

 口のはじから焼きそばをチュルンと呑みこんでカオリが答える。

「ふーん、そう。………たしか、ユーカちゃんのお父さまは天涯孤独だと聞いていたけれど………」

 おもしろそうな目でこっちを見るノエさんに、あたしは少したじろいだ。

「まぁ、いいわ。それより、大事なおはなしがあるの。ユーカちゃん、それから、そこのイトコさんも聞いてちょうだい」

 こんなとき、決まってノエさんは机の上でくんだ手に顔をのせて話し始める。

「………ユーカさん、あなたきょう、おうちには帰れないわよ」

「え………?」

 いつもの笑みを絶やさないノエさんの口から出たのは、こんな言葉だ。

「――実はきょう、本校の第一七自習室のパーソナル端末から不正アクセスが行われました。一〇時四七分、惑星保安情報ネット・重四度レベル突破の最重要機密漏洩容疑です」

 ノエさんは手元のタッチボードにふれ、空中に五〇インチの球形モニターを投影しながら続ける。

「第一七自習室の場所は………そう――西側校舎群B棟一階のここね。あらぁ、すぐとなりに購買のブースが入ってるのねぇ」

 ノエさんのおもしろそうな目は変わらない。

「………で、うちの独自の情報網にかけたところ、同じセキュリティの突破がユーカちゃん、あなたのところから夕べ行われた形跡があるのを発見したのよ」

 さっきからゴローはこの顛末を黙って聞き入っている。

「ウチ(パインバツク家)としては事を内々にすませたかったのだけれども………」

 しかし、ノエさんの目の奥の光はするどさを増しているようだ。

今朝(けさ)がた、コトの重大さに気づいた当局の保安課が動き出したわ。ユーカさん、現在、あなたのお宅は保安隊の管理下におかれています。………当校にも教育管理部局を通じて、あなたに対しての『未成年者保護要請』の通達がだされてきたの ――つまり、タイーホってことね――」


 ―――あたしが驚いたのは『あたしが、あまり驚いていないこと』に対してだった。

 教育管理部? 保安隊? そんなのあたしにとって、夜のニュースで教育評論家が口にしてるのを聞くか、せいぜいドーム外縁のボランティアやってるときに定時パトロール隊と行き会って手の一つも振ってみる、そのくらいの接点しかないものだった。

 ………そんな連中があたしのことを目の色かえておっかけてる? 本当ならここで悲鳴のひとつもあげて、手に持ったパンを取り落としたっていいところなんだろうけど………

「………そう、ですか」

 あたしはなにか言おうとしたのだが考えがまとまらず、しかしまぁ、持っていたパンを落とすなんてコトはヤッパリなかったんだけど………

「ユーカさん、あなた、たしか情報工学の成績は3G………お世辞にも優秀、だなんていえる成績ではなかったわよね?」

「は、はい………!」

「重四度管理情報群のセキュリティを抜くなんて、うちの特進クラスの生徒にだって何年に一人かくらいしかいやしないわ。あたしだって、やったとしても通常レベルの三くらいが関の山。まぁ、ナナホだったら半日くらいでやっちゃうかもしれないけれど………」

 ………この辺の会話に関しては、カオリは知らんふりを決めこんでいる。まぁ、こいつは武闘派だからなぁ。

 ―――ノエさんは続ける。

「あたしはね、この事態を引き起こしちゃったのがあなたではないことはわかっているの。だってね、ユーカちゃん、あなた………」

 ノエさんがおもしろそうにあたしの目をのぞいてる。

「―――うちのカオリにそっくりなんだもの」

 ………マンガだったら、うしろでずっこける音がしたんだろう。―――そのかわりにカオリはパンをのどにつまらせるというリアクションをとってくれた。………やっぱ、マンガだわ………

「素直で、まっすぐで、がさつで―――あぁ、あなたたち、料理とか作れないんでしょう? そのうち習っときなさいよ、いつか役に立つんだから―――現場は好きだけど、レポートはいつも遅れて―――ふたりとも、二~三本未提出のヤツがあるわよ―――小っちゃいころからあんたたち、ケンカばっかりしてたけど、あたしから見たらいっつもおんなじおもちゃの取り合いとか、男のコの取り合いばっかりで………」

 あぁ、カンベンしてください、ノエさん。

「………そんなあなたに、高度管理セキュリティを一時間足らずで抜くなんて、不可能なことだわ!」

 ………そう、このひとは正面からあたしの疑いを晴らしてくれようとしている。なのになんだろう、このトドメをさされた感は………!

「―――そこの君」

 次にノエさんは、部屋のすみに突っ立ていたゴローに目をむけた。

「賢そうな目をしているわね。………あなた、ユーカちゃんのイトコ?」

「………」

「今回のセキュリティブレイクにはきわめて特殊なキーが使われていたわ。そう、一〇〇年以上もまえに、だれも使えなくなったヤツが。―――ハッキングの技術自体は標準的なものだったけど、それ(キー)があったから短時間でのアクセスが可能だったわけね。………なにしろ、連絡の途絶した衛星上からのアクセスなんて事態はだれも想定していなかったものね」

 ………さすがにカオリの表情もかたくなっている。

「あなたはだれ。どこからきたの」

「あの、ノエさん、このコはその―――」

 とっさになにか言いつくろおうとしたあたしをさえぎって、あいつは、

「オレの名はゴロー。フォボスからきた」

 ………聞いたなぁ、あたし、ゆうべそのセリフ。あんまり名乗りに工夫とかするタイプじゃないんだなぁ………

「そう………やっぱりそうなのね。まだあそこに人がいたなんて、歴史的大発見だけど………」

 ノエさんはゴローから視線をそらさずタッチボードを操作して、中空のモニターはじゃが芋のような火星の(フォボス)にズームアップした。

「いまはそのことをうれしそうに中央技研なんかに報告している場合じゃぁないようね。………あなた、なにか知ってるんでしょう、大事なことを。―――おっしゃってくださらないかしら」

 ノエさんのやわらかい口調はいつもとかわらない。しかしあたしは、真冬の地表の冷気を感じる。



「………あと、三週間以内にこの都市は解散する。それは、確実だ」



 ―――このことばに本当の意味で凍りついたのは、その場にいた中ではカオリだけだったろう。―――あたしにとってはある意味きのうのことばのくり返し。そしてノエさんには半ば予想のひとつといった表情に見える。

 だが、またべつの意味で、これだけ緊張したノエさんの目つきを、あたしははじめて見た。

 ―――みじかい沈黙をやぶったのはカオリだった。

「おい? おいおい? なにいってんだよ。解散? 東京が? ンナはなし、あたしら(パインバツク家)だっていっさい聞いてないぞぉ!」

「………カオリ、すこしこのコのおはなしを聞きましょう」

「でも、ノエ姉………!」

「いいから」

 ノエさんはかるく手をふってカオリを止めるとふたたびゴローと向き合った。

「それで? つづきを………」

 ゴローが少し目をそらしたように見えたのは、あたしの見間違えだろうか。

「………オレはきのう、フォボスからこっちに降りてきた。いろいろ手違いがあって、その、ユーカと、スコルピオに助けられたんだけど………」

 ほんのすこし、あたしのほうを見てあいつは続ける。

「この情報は半年くらい前からあっち………フォボスにいるときからつかんでたんだ。向こうにいても地表の電波は切れぎれに飛んでくる。とくに、極地地方の電波は弱いけど、安定して受信できるからね」

 赤道上では高速でまわっているフォボスも、極冠から見ればつねに観測対象としてとらえることができる。ゴローがいっているのはそういうことだろう。

「………目が覚めてから二年ほど、ボクは地上の情報をとることに専念してきた。なにができるってわけじゃないけど、とにかく知りたかったんだ。最初のうちにはわからなかった地上のようすもだんだんと理解してきた。向こうのアーカイブにもそれなりの情報はあるから、ここ何十年かの地上のようすはね」

 気がついたら、カオリがふたたびパンをかじりはじめている。………コイツの場合は、何かに集中しはじめた証拠だ。

「それでわかったんだけど、この何年かで急に消えてしまった街がいくつもある。えーと、こないだのダ・マール………?」

「ダルエスサラーム?」

 ノエさんがすかさず補足する。

「そう、その、『サ・ラーム』だ。………たしかアラビア語で、『ここに、平安あれ』、とかいう意味だったと思うけど」

「………そうね、こないだは平安どころじゃぁなかったけれどね」

「うん。こっちではそういうのを『解散』っていうんだろう?」

 ややあって、ノエさんはしずかに、しかしはっきりとうなずいた。

「………『解散』っていうのはね、本来は、一時的なベースキャンプや仮設営の建設基地なんかを引きはらうときに使っていたことばなの。むかしは、そういう施設や集まりは、各国の設営隊なんかの寄りあい所帯だったから。ミッションが終わればみんなそれぞれ母国の基地に帰っていく、文字どおりの解散だったのね。でも、それがいつごろからか、ひとつの街が機能を維持できなくて消えてしまう、そういうことも指すようになった。………だれも『壊滅』とか『破綻』とか口にしたくないものね。………とくに当事者は」

「………うちの先祖も、そうしてつぶれたオセアニア系の小さなコロニーから、ここに流れてきたんだよ」

 めずらしくカオリが自分の家のことについて語りはじめた。

「そのころは、いまのタイプの都市ドームの開発が始まったばかりでさ、ある程度の資産と、アクアレンズ用のナノマシンのパテントをもってたうちは、なんとかここでやってけるようになったんだ」

「………おかげで夏はこんなに暑くるしいってわけよね」

 あたしはおもわず、いつもの憎まれ口をたたいてしまった。

「こういう変化があったほうが、人間にとってはいいんだよ! それにあたしだって、ちったぁ肩身のせまい思いをしてるんだ。いまでも半分は、よそから来た血筋ってわけだしな」

 わるかった、言いすぎた。カオリのふだんのふるまいは、その反動でもあるのだろう。

「それに、オメーのオヤジさんもいってくれてたぜ。………やっぱり、夏は夏らしく、暑いほうがいい、てな」

「そうね………そうだったわね………」

 あたしはすなおにうなずいた。

 ―――ノエさんがゴローに先をうながした。

「それで、あなた。どうしてこっちへ降りてきたのかしら。かなり危険なことだったんでしょう。なにか、この街を救う手立てでも?」

「あぁ、それは―――」




 ―――アルバパテラ―――

 ドーム都市東京から西北方へ三〇〇〇キロ。巨大な皿を伏せたような地形を、人類はそう名付けていた。

 なだらかな地形ながら、二〇〇〇キロ以上の裾野を持つために、その標高も高く、比較的低い緯度の地方にありながら、ドライアイスの吹雪がゆるやかにその地を取りまいている。

 いま、その吹雪にまぎれ込むように、四〇機にはなろうかというMDMが、ユニオン・フラッグをかかげ、次々に極冠地方から到着した数隻の陸上輸送艦(ウォータンカー)から吐きだされていた。

 おそらく、その光景は勇壮さに胸おどらす少年少女には心ときめくものであるだろう。

 しかし、事実はじつにあじけなく、規定の事務手つづきの消化にすぎない。

 そこに、あこがれの目で分列行進に見入る若者の姿はなく、切れぎれの微弱電波とささやかな罵りあいで、どうにか作戦単位の体裁を整えようとする対人制圧用マシン(ユニオンMDM)の姿があるばかりだ。

 それらのMDMは機体色を黒で統一しており、どれも同じように見える。だが、よく観察すると、役割や階級に応じ微妙な違いがあることがわかるだろう。

 その中の一機、肩に一本の金のラインを入れた機体から、同じく肩に二本ラインの機にオフライン通信がはいった。

「ねぇ~、アニ~~~」

 アニーと呼ばれた女はもの憂げに応答する。

「なんだ、メイ」

「なんていうかさ、もう、死にたくね?」

「………なんだ、ここまできて」

「だ~~ってさ、なんだか、誰かに感謝されるよーな仕事じゃねーし、もおー、あたし、包囲、制圧っとかっての、あきちゃったよぉ」

「任務だぞ、半年も前から決まっているわたしたちの。おまえの気分だけで済むことじゃない」

「はぁ~~。極冠に帰ってクレープ屋でもやろっかな~~」

「………まぁ、それもいいかもしれんがな―――」

「あーー、ふたりとも。将来のビジョンの相談中にわるいんだが、そろそろ次のフェイズに移行の時間だよ」

 上級の閉鎖系回線に割り込めるのは、さらに上級の指揮者だけだ。

 居ならぶ巨大なウォータンカーのなかでも、ひときわ異彩をはなつ地上艦。厚い装甲と重武装をほどこした、『水をはこぶ船』(ウォーター・タンカー)というよりも『戦闘艦』(ウォー・タンカー)と呼ぶ方がふさわしい船。座乗艦「フォルテッシモ」のCIC(戦闘指揮所)からジッシャーがふたりの会話に割り込んだ。

「まぁ、今回はさ、これだけ準備してるんだから、大して厄介なことにはなんないと思うよ。あんまり考え込んだりしないで、ラクに行こうよ」

「しかし大佐」

 アニーが応答する。

「彼らがおとなしく従うでしょうか」

「従わせるのさ」

 パーソナルモニターの配置マップを拡大しながら、ジッシャーが答える。

「なにしろ、四〇〇機のMDMと、五〇台のウォータンカーを投入しているんだ。拒絶したところで、レンズの水をしぼり取られたあげくに立ち枯れるだけ………なんてことは、彼らにもすぐわかるだろ」

「………そうですね。救援物資を届けに来たと思った船が、じつは水を持ち去るためのもの、と知ったときの心理的打撃は小さくないでしょう」

「そう。そのための二段がまえの作戦だ。―――第四先行隊アーニャ・レントン少尉、メイリオ・ハーク准尉、下ごしらえの仕上げ、よろしくたのんだよ」

「は………!」

 ほどなく、アニー、メイのMDM、ほか選抜された合計八機が、所属を偽装した中型のウォータンカーに格納された。船は内密裏に帯びた任務を遂行すべく、やむことのない吹雪の中を南へ進路を取った。




「………オリンポスに行く」

「え、ナニ?」

 とーとつにゴローが発したことばに、あたしは耳をうたがった。………あたしだけじゃない、カオリもきょとんとしている。

「………なぜかしら? 夏とはいえ、あんな空気もないようなところ。………いえ、山頂まで行くとはいっていないわよね」

 ノエさんの問いにゴローは答えた。

「火星最大………いや、太陽系最大の山だ。途中からは呼吸可能な大気がないことくらい、わかってるよ。でも、そのてっぺんまで登る」

「そう………。でも、どうして? ここ一〇〇年くらい、あそこに近づく人もいないというのに」

「―――けど、さらにその前はにぎやかな場所だった。………なにしろ、『投下物資受領ポイント』だったからな」

 そういったのはカオリだ。まぁ、こいつだってただの体力バカってわけじゃない。

 ―――ゴローは続ける。

「………フォボスの降下エレベータ―――君たちのいう『クモの糸』――からの投下ポイントは、基本的には火星でいちばん高い場所、オリンポスの山頂に定められてる。頂上の標高は二五キロ。――そして、それよりほんの五キロ上空をエレベータは通過するように作られてるからね」

「………!! 地球のエベレストの、およそ三倍の高さなのよね、オリンポスって」

「―――しかも、大陸移動の造山運動でできてるエベレストとちがって、純粋な火山活動であの高さなんだぜ!」

 ――つい、あたしたちは張りあって、さいきん広域地理で学んだトリビアの発表合戦をやってしまった。

「………はいはい、そのへんのことはわかってるから、二人とも。―――ゴロー………くん? おはなしのつづきを」

 ノエさんのひとことに、あたしとカオリは顔を赤くしてうつむいた。

 そんなあたしたちをチラリと見ながらゴローはつづける。

「もちろんオレは、きのう降下するとき、オリンポスにおりるつもりだったんだ。けど、長いこと使ってなかった射出ゲートに不具合があったらしい。操作は間違ってなかったはずなんだけど、降下タイミングがずれちまって………」

「あーー! 二〇分ずれたってのはそのことなのね? 『時間』じゃなくって、『角度にして二〇分』ってこと………?」

 またまたあたしは初歩の数学の知識をひっぱりだして声を上げた。

「………そりゃそーだろ、フォボスがオリンポスの上から、時間で二〇分も通過したらカセイ谷とかとっくにこえて、アレスの向こうまで行っちまうだろ?」

 言わずもがなのことをいったカオリも、ノエさんの氷の視線を浴びておもわず口をつぐんだ。

「それで………?」

「………それで、あそこまでいけば、この街の解散は止められると思う………」

 それきり、ゴローはだまりこんだ。

 ノエさんも、強いては続きをうながさない。あたしとカオリも、ときにお互いの目を見交わしながら、なりゆきを見守っている。

 ………やがて、ノエさんが口をひらいた。

「たしかなのかしら、それは?」

「信じてくれなくても、いい」

 ゴローが答える。

「………信じないわ」

 ―――! 

 ハッキリと、ノエさんはいった。

「………パインバックは、だれも信じない。信じるのは、自分たちで確かめたことだけ。………あなたが普通の人ではないのはわかるけど、それだけであたしたちのすべてを(ゆだ)ねるわけにはいかないわ」

 カオリの目つきも、さっきまでのようにゆれ動いてはいない。こいつもノエさんたちのファミリーなのだ。

 ―――あたしは、どうするべきだろうか………。

 ………やがて、ゴローが口をひらいた。

「………世話になった」

 そのまま背中を向けようとする彼に、あたしはつい、声をかけた。

「どこへいくの?」

 ゴローは答えずに戸を開けようとする。

「待ちなさい」

 ノエさんが落ち着いた声でゴローを呼び止めた。

「あなたのすべてを、あたしたちは信じない。だけど、できることはすべてやっておくのもあたしたち(パインバツク)なのよ」

「! ノエ姉………」

「あなた、これからひとりで登山なさるおつもり?」

 ゴローは立ち止まったまま答えない。

「あいにくね。あなたのだいじな登山道具は、いまあたしたちが大切に保管しているところなのよ」

 いいながらノエさんは球形モニターの画像を切り替えた。………どうやらドーム郊外のリアルタイム画像のようだ。

 彼女んち(パインバツク)の系列企業のものらしい数台の重機が、なにかの回収作業をしているようだ。その中心にある、うす緑のまるい物体は………

「あーー! あれ! あんたが乗ってきた………!」

 そして、あたしと目があったノエさんは、ニッコリしていった。

「あたしのMDM・アフロディアにはね、常時アクアドーム監視モードをいれてあるの。………ほら、ナノマシンのメンテナンスってうちのお仕事じゃない? だからね、きのう一部のレンズにおかしなゆらぎがあったのに気づいてたのは、ユーカちゃん、あなただけじゃなかったのよ」

「………こちら、現地のナナホです………」

 いつのまにかアングルは切り替わり、モニターの中にはボディをピンクと黒に塗り分けた自分のMDM・アルテミスの前に立つナナホちゃんが、なんだかワイドショーのレポーターふうに立っていた。

「ノエねえさま、例のブツは確保しました………」

 ナナホちゃんの報告に、ノエさんが答える。

「そう、ごくろうさま。で、どんな感じかしら?」

「けっこう中に浸水していて、その抜き取り作業をはじめるところ。機材の中には、電装品がやられててけっこうヤバいやつがあるかも………」

 そういってふり返ったナナホちゃんの視線の先に、なんだか見おぼえのあるMDMが横たわっていた。

「あ? あれ、スコルピオ?」

 あたしは思わず、声を出した。あわてて携帯のモニタをチェックするが、校内の駐機場からスコルピオが移動した形跡はない。

 ナナホちゃんが答えた。

「………あれは、ユーカさんの機じゃありません。この中にはいってた別のMDMです………」

「そ、そんな。スコルピオ・タイプはオヤジが一からこさえたカスタムビルド機だよ。同型機なんかあるわけ………!」

「あれ(スコルピオ)とはちがうよ、アンタレスには変形機構はない」

 ゴローがいった。

「それにスコルピオは、一機かぎりのカスタムなのか? オレは一般的な生産機(普通の機体)なのかと思ってた………」

「え、や、でも………」

「ユーカちゃん、そのへんのお話は少しあとにしておきましょう。ナナホちゃんのほうは作業を続けつつ、待機していてね」

 ………カオリはすこしむくれている。

「ノエ姉、あたし、これのこと、なんも聞いてねえよ?」

「あら、あなたのクラス、授業中だったし………」

「じゃあ、ナナホは?」

「あれは、課外実習」

 ――すこし言葉をきると、ノエさんはゴローのほうに向きなおった。

「ゴローくん、お聞きのとおりの状況だけど、どうなさるかしら。ここからオリンポスのふもとまでだって、ざっと四〇〇〇キロはあるわ」

 ゴローは無言のまま、ノエさんの目を見返している。

 ノエさんはふたたびいつものやわらかい微笑。

「もしよければ、近くを通る予定のうちの系列の船に便乗する、という手もあるんだけど………?」

訳あって、過去作の再掲です。


もし、楽しんでいただけたら感想ぜひ感想をお願いしたいです。


それでは、よろしくお願いします。

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