第58話
◇◇◇
「本が83羽、本が84羽、本が......。
あら、これは1羽なのかしらそれとも1話なのかしら?」
王都を通る小さな川にかけられた橋の欄干によりかかり空に飛び交う鳥たちを見ながら眉根を寄せる。
空に舞う鳥たちの数を優雅に数えているだけなのに、鳥たちが私を見て慄いているのは何故かしら?
ん?いま気づいたけど、周りの通行人たちもやたらと私から距離をとって歩いている?
何故に!?
たまたま通りかかった初老の男性と目があったので、会釈してニコリと笑ってみる。
「ひっ!?ご!ご機嫌よう...!!」
んん?
私がせっかく前世で培った『社内の荒波の中でも心は凪の営業スマイル』を向けたのに何故かその男性は悲鳴のような声で挨拶をしてそそくさと逃げていった。
解せない......。
「85羽、86話、87羽......。」
眉根を寄せて男性を見送った後、また顔を鳥たちをの方へ向け数を数え出した私にさっきの男性とは違う若い男の声が背後からかけられた。
「おい、大丈夫なのかよ?アリィ。」
後ろを振り向くと、腕を組んで呆れているような心配しているような複雑な表情をしているリオが立っている。
「あら、リオ。本屋以外で出会うなんて珍しい。よく私に気づいたわね。」
「よく気付くも何も、おまえ、めちゃくちゃ目立ってるぞ。」
「目立って...って何で?」
周りを見渡すと何故か半円を描くバリアがあるかのように街の人たちが私を避けてこちらをチラチラと見ながら歩いている。
「目の下に隈つけて、すわった目で鳥数えてるあやしげな女がいるって市場の方まで噂になっているらしい。それに87羽も鳥はいないだろうが。旋回してる鳥を何度も永遠に数え続けてたのかよ...。まったく、アリィは。」
「あれは鳥なのかしら?」
王宮の図書館横の建物から飛び立った鳥のような書物を思い出しつい考え込んでしまう。
「おい。アリィ、本気で大丈夫か?
会っていない間に何かあったのか?」
私が寄りかかっている欄干に彼も寄りかかるように隣に来て、心配そうに私を見つめてきた。
どうしよう。
リオに話して大丈夫かしら?
身分を隠しているから王宮内の話だとはさすがに言わないけど。まぁ、貴族相手でも王宮で見た話を容易く他人に話すことははしたない行為であるし、ペラペラと話してはならないのだろうけど。
一般的な質問のように話せば大丈夫だろうか?
「ねぇ、リオ。」
「ん?」
風になびくさらさらのダークブラウンの前髪を鬱陶しそうにかきあげながら、リオが首を傾げる。
「本って飛ぶのかしら?」
...............。
リオは髪をかきあげた手までぴたりと止めて固まってしまった。
いや、たしかに変な質問だと自分でも思う。
私だって王宮内で書物がバサバサと鳥のように羽ばたいている様をこの目で見なければこんな変な質問はしなかったわ。
「......飛ぶって?本を誰かが空中に投げたとか魔法で飛ばしたとかか?」
「ううん。こう、生きてるみたいに鳥のようにバッサバッサと。」
私は自分の両腕を鳥の羽のようにばたつかせた。
「アリィ。まさか、あの飛んでる鳥が本に見えたのか?
...わかった。俺の知ってるだけの情報を言おう。
今日は残念ながらここから1番近いエイワーダ診療所は休診日だ。貴族街のサラモス先生も午後からしか空いていないな。」
「は?」
「だとしたら少し遠いが馬車でいけば頭を見てくれる先生がいる病院があるはず。」と私の頭を両手で挟みながら真剣な顔で頷くリオ。
「ちょっと!んもう!失礼なっ。私の頭は正常よ。ちょっとそんな現象があったりするのかなーって考えただけで鳥が本に見えたのじゃないわ。」
リオの手を払いながら私が抗議すると、リオは手を離し両腕を自分の胸の前で組む。
「現象か。普通は本は飛ばないよな。」
「その言い方だと普通じゃなかったら飛ぶような言い方だけど?」
「“普通じゃないものには近づかない”ことだよ。」
「むぅ...。それはリオの家の格言かしら?」
普段の会話内容からリオの家は貿易などをしている商家なのじゃないかなと思っているのだけど、商いをする上での格言だったりするのだろうか。
実は、王宮の図書館に行ったその日の晩にテオ兄様にも同じような質問をしてみたのよね。王宮で働いている文官の兄ならきっとあの魔導書の書庫のことも知っているはず、そう思ったのだけど...。
テオ兄様は知らない、わからないの一点張り。
しかもその日からなぜか私の部屋の前と外出時の護衛が増員されてしまったのよ。
はぁ、一体あれは何だったのだろう。
ため息をついていると、やたらとリオからの視線を感じる。
「そんなあるかないかわからないことで悩んで目の下が隈だらけなのか?」
「...っ!?」
リオからの質問に今度は私が固まる番だった。
飛ぶ書物たちはたしかに不思議で気になった、あれは何なのだろう、と。
でも悩みすぎて夜に眠れない1番の理由は別にある。
ーーー『なぜここにいるっ!?君はここに来てはいけないのに!!』
思わず思い出してしまったレオンハルト様の一言に針のあるアイツの再来が頭をよぎった。
「来る!来るわ!ヤマアラシがああぁぁぁ......」
「お、おい?アリィ??」
胸を片手で抑えて悲鳴をあげる私に、リオが慌てふためいている。
「くっ。だ、大丈夫よ。リオ。威嚇段階ではまだヤマアラシだって刺してはこないはず...。」
「一体なんの話なんだ?大丈夫か?」
「うう...。本気で大丈夫だから。ついショックだったことを思い出しちゃっただけ。」
じわりと目にあたたかいものが湧いたが決して溢すまいと目に力をこめる。
「ショックなこと...?なぁ、何があったんだ?
もしかして、そのショックなことって前にアリィが話していた親の決めた結婚相手に関すること?」
いきなり核心をついてきたリオの言葉にびっくりして思わず顔をあげる。
あれ?私、リオに親が決めた相手がいると話したことがあっただろうか?
記憶をまさぐる私の前でリオが切なそうな、そしてなんだか苦しそうなまるで自分自身の感情を押し込めるような小さな苦笑を浮かべて言った。
「アリィが辛いのは、そいつのせい?」