第55話
ひっ、と息を呑む瞬間すらなかったかもしれない。
水でできたその網は、不思議なことに目の前の彼と私を濡らすことなく通り抜けた。
バッサバサバサバサバサ!
慌てて振り返り宙をみると、さっきの空飛ぶ本達が水の網にとらえられていた。
鳥のように羽をばたつかせながら網に極力当たらないよう中で飛び回っているのは、自分達が紙でできていて濡れたら困るからだろうか。
あっという間に拘束された本達は、ヒュンッという音ともに私と目の前の紳士の頭上を一瞬で通り過ぎ魔道書書庫の中へと回収されていった。
なんだったのかしら?今の魔法は。
「.........とりあえず、腕を離していただけますか?チェラード様。」
「おや。つれないな。久しぶりの再会で僕はこんなにも胸が高鳴っているというのに。アリシアちゃん。」
「私は不信感で胸が高鳴っておりますわ。」
「ふふっ。気の強いふりをして恥じらう君も可愛いね。それに前にも言ったけど僕のことは気軽にフリッツと呼んでいいんだよ。」
「前にも...って。本が変身したのではないってわかってらっしゃっているじゃないですか!」
ニコリと笑い、いや、彼の場合ニマリだろうか、ニマリと笑い私の腕を軽く引っ張って自分の胸へと引き寄せようとしてくる。
「ちょっ、チェラ......フリッツ様、お戯れがすぎま...」
「どおうりゃああああああ!!」
すっぱーーーん!!
「は?」
なぜか突如現れた竹箒にフリッツが5メートルほど吹っ飛ばされた。
うおっと声をあげて倒れ込んでしまった彼はピクリとも動かない。
「お嬢様になぁにしていらっしゃいますか。」
一体何が起こったと声の主を見ると、竹箒を両手でガシッと握った私の専属侍女が佇んでいた。
「エルケ!?」
「勝手に私の側を離れていただいては困ります、アリシアお嬢様。王宮内といえども、このように見境のない虫がうようよしておりますゆえ。」
「む、虫?いや、それよりその箒はどこから?」
「こちらから。」
ぱんっと片手でお仕着せのポケットを叩く。
ええっ!?
小さなポケットにそんな大きな竹箒が入るわけないでしょ?
「このポケットはテオドール様の空間魔法によりガーランド公爵家の使用人用倉庫につながっているのですわ。ただし、命あるものを取り出すことはできませんが。」
「へ、へぇ、すごいわね。お仕着せにそんな難しい魔法をかけるなんて、さすがテオ兄様だわ。」
ただの愛情が重い美形じゃなかったのね。
「そういえば、以前、倉庫のモップを探していてポケットをまさぐっていたら、たまたま倉庫の整理をしていた使用人頭の髪を掴んでしまいまして。
モップと思って気付かず引っ張ったら、髪だけが空間を越えてやってきて驚きましたわ。」
彼、カツラだったのですね。と顎に手を置いてうんうんとエルケが頷く。
きっと彼のほうが驚いたと私は思う。うん。
次に使用人頭と会う時に、つい頭部に視線を送ってしまいそうだけど、気をつけよう。
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