第29話
◇
「『千年の恋も冷める離婚調停の真実』。」
「ちょっとそそられるけど、結婚後に役立ちそうよね」
「『毎日離縁』。」
「この本は王立図書館で20回は読んだわ。名著よね。ふふ。」
「『美しく書き美しく別れる婚約破棄証明書の綴り方2』。」
「あぁ、これこれ。探していた続刊ね。はぁ、それにしても本当に心に響く素晴らしい著書名だわ。」
本の背をすすっとなぞり、うっとりと頬に手を当てる。
すると、すっと私の横から誰かの手が伸びて私が探していた本を先に棚から取り出してしまった。
「どのあたりが心に響くのか、俺に教えてほしーんだけど?」
急に耳元で聞こえた若い男の声に、んん?と横を見ると呆れたように緑玉色の目を細めた学生服の青年が先程の本を目の高さに上げて背表紙を見ながら立っていた。
「リオ!?」
「久しぶりだな、アリィ。」
私がリオと呼んだ青年は持っていた本を私の頭にポンと軽く当てる。
「うわー!ほんとに久しぶり。最近忙しくてなかなかここに来れなかったんだけど、リオに会えるなんて幸運だわ。」
頭に触れている本を受け取り胸元でギュッと大事そうに抱える私に、彼は小さく苦笑し口角を上げた。
「俺も忙しかったから、ここには久しぶりに来たんだ。学院の資料を探しに来たんだけど、もしかしたらアリィに会えるかもって思ってこの棚まで見にきたら本当にいるんだもんな。」
そう言って、リオはさらさらのダークブラウンの前髪をかきあげた。
リオは私の幼い頃からの友人である。
ううん、正確に言うと、町娘Aのアリィの友人かな。
リオは私が公爵令嬢だとは知らないのよ。
だって、初めて会ったのはこの書店。そして初めて話をしたのも確かこの棚の前で、幼かった私はその時もお忍びで公爵邸を抜け出し町娘の格好をしていたから。
私は5歳の誕生日を迎え前世を思い出してから、この世界がゲームでプレイしていた世界だと気付き慌てて婚約破棄の方法や王太子妃候補から外れる方法を探した。王都で1番大きなこの書店にも良い文献はないかと通い詰めていたのだ。そんなある日、棚から本を漁る私の真後ろでドサドサッと突然大きな音がした。
びっくりして振り返ると、自分より2.3歳年上に見える焦げ茶色の髪をした少年がその子が抱えてきたのであろう沢山の分厚い本の山に埋もれて顔を真っ赤にしていた。おそらく本を買いたくてレジに向かう際に床のどこかで躓いて私の後ろで盛大に転けてしまい、彼が持っていた本が宙を舞い頭上から降ってきたのだろう。
びっくりしたからなのか、周囲の視線を集めてしまって恥ずかしかったからなのか、床に手をつき赤面して動けなくなっている彼に1番近くにいた私が手を差し伸べた......それが私達の最初の出会い。
ーーーそれからは私がお忍びで街に行き彼がいると声を掛け合う仲になった。
「あら、学院の勉強が忙しいの?」
リオはいま学生で、第一王子アルフォンス様が試験的に作られた平民達が通う王立学院に通っている。貴族達が通う学院が王宮で働くためのマナー知識や教養、魔法や剣技を習うためのものであるのに対し、平民達が通う学院は主に実技だ。言語、建築、商学、服飾、工学、などなど。私の前世に存在した学校に近いことを学べる場らしい。
「いや、学院の勉強じゃなくて実家のほう。俺、稼業を継ぐことになってさ。親父からいろいろ叩き込まれていてなかなか自由な時間がないんだよ。」
そう言って、また前髪をかき上げる。
彼はやや長めの前髪を耳にかけているのだが、髪質がさらさら過ぎてよく耳から落ちて顔にかかってしまうのだ。だからよく前髪を鬱陶しそうにかきあげるのだが、その仕草がやたらと色っぽい。
貴族の子息たちとは違い少し日に焼けた健康的な肌色に鼻上には少しソバカスがあるが、彼の性格を表すような澄んだ翠色の瞳といい、周りの客より頭ひとつ分抜きでた背の高さといい、彼はかなりかっこいい分類に入るんじゃないかな。
「それで、学院の勉強はなんとか時間さいて出来てるんだけど、ほんと最低限しかできなくなってな。う......。」
突然心臓あたりの胸を片手で押さえて言葉に詰まったリオが隣の棚によろめきながら反対側の手をついた。
「リオっ!?どうしたのっ!?
忙しすぎて体調崩したんじゃ.......」
「う......っ。おまえ達ごめんなっ。まだ読んでやれなくて!建築史新刊めっちゃででいるじゃないか!『遺跡解明2』だと!?いつの間に続刊が!?
おまえ達に、おまえ達に時間をさいてやれない愚かな自分が口惜しい......!」
「............。」
リオは突然縋るように棚に張り付いて眉根を寄せ苦悶しだした。
私がさっきまで本を探していた実用書コーナーの隣の棚は建築学コーナーである。
苦し気に棚の本に話しかけるリオを見て改めて思った。
私の周りって残念な美形が多いよね、と。