クリスマスプレゼントを君に。11
「へ?」
自分で言うのもなんだが、咄嗟に出た言葉はなんともまの抜けたものだったように思う。
ズルッ.....!
ハッと気がついた時には私は足を滑らせていた。
先程踏み込んだ場所はどうやら庭の地面に填めてある敷石の上だったらしく、うっすら積もった雪で滑りやすくなっていたようだ。
膝頭を打ってしまう...と思わず見開いた降下していく視界が何かにツンとひっぱられたように止まった。
顔をあげるとものすごく近くに宝石のような二つの青い瞳がある。
あぁ、殿下が手を掴んだのは、滑りやすい地面に私が膝を打ちつけないようにするためだったのか。
「.........助けてくださったのでありますか?」
「私が巻き添えにならない距離ならば助けなかった。」
はい、そうですな。
そういう人であった。コイツは。
くっ。私の感動を返してくれ。
心の中で「殿下優しい」なんてちょっとでも思ってしまった1分前の自分の頬を平手打ちしたい気分でありますぞ。目を覚ませ、過去の自分!
それにしても初めて至近距離で見る殿下のご尊顔はやはり美しい。先程珍しく見開かれた瞳はすでに元に戻り、普段通りの無表情ではあるが。
.........無表情?
「トリクシー?私の顔がそんなに珍しいか?
何年も見てきた顔であろう?」
訝しげに問うてきたアルフォンス殿下の声で私ははっと我に帰った。
確かに私は幼き時から何年も殿下の書斎の片隅で彼の麗しくも冷たい表情をビクビクしながら伺っていた。
なぜ殿下はこんなにも感情を顔に表さないのだろうかと。そして何年も共に過ごして、この人は微笑んだり泣いたりすることはないのだと私の中で結論付けていたのだ。
違う。
感情は出ているのだ。
瞳を間近で直視できないビクついた私がただ気づかなかっただけ。
彼の瞳の奥は実際はこんなに......
「ふがっ!?」
急に顔面に毛むくじゃらの何かがあたり、目の前が真っ暗になった。
「ぶほっ、殿下っ!?一体何を......?って、お、推し!?」
顔面に押し付けられたものを両手で少し離し改めて見ると、さっきまで殿下が片腕に抱えこんでいた特大サイズのニャン人形だった。
「処分しろ。」
「なっ!?推しに対してなんてことを言っ...」
冷たい言葉を残して去ろうとする貴人に、推しを抱き抱えた私の頭が瞬間沸騰した。
だが、一瞬振り返った殿下の瞳を見て怒りが急速に鎮火する。
今までは気付かなかった瞳の最奥に見える暖かい何かに彼が発した言葉が文字通りの意味ではないのではないかと察したからだ。
「好きに処分すれば良いと言っている。
孤児院に贈り人形がひとつしかないことが子供たちの争いを生むならば、ソレを手に入れられなかったお人好しに譲るなりなんなり好きなようにしろ。」
そう言い放つと準正装用の白いマントレットを翻し雪の中へと消えていった。
「は?」
残された私は唖然としてただ殿下が去っていった方角を目を瞬かせて見つめる。
「つーまーりー。その猫ちゃんは君がもらっちゃっていいってことだよ♡」
「ひっ!?」
急に耳元で発せられた声と気安く抱かれた肩に素っ頓狂な声を上げてしまった。
恐る恐る横を向くとやたら近い位置に明るい灰色の瞳があった。こ、こやつはさっきの!?
バッと彼から身を離し、ジリジリと後退して一定の距離を保つと先程イベントブースで甘い言葉を囁いてきた身なりの良い金髪の男がクスクスと笑った。
「あっはは、警戒されちゃった?」
「いっ、いつからそこにっ?」
「うーん?いつからと言うかずっと居たんだよね、僕。君ってばその猫の人形とアルしかみえてないんだもんなぁ。おにーさん拗ねちゃうぞ♡」
拗ねてしまうぞと言うわりにニコやかな表情でバッチンとウィンクしてくるチャラい男に一瞬脳が思考を停止しかける。しかし、次に続いた彼の言葉が私の脳を覚醒させた。
「僕はフリートヘルム・ア・チェラード。国史学研究所の所長をさせてもらってる者だよ。」
「チェラード殿!?あの国史大全の著者の!?その若さで国史魔法史のエキスパートの!?やたらチャラいと有名な!?」
「後半何か聞こえたような気もするけど、そう僕がそのチェラードだよ。
お初お目にかかります。ロナポワレ家のベアトリクス嬢。」
金髪の青年チェラード殿は恭しくそう言うと、先程までクスクスと笑っていた人の良い笑みを、意味ありげなものへと変えた。
「......?私の名前を?」
「もちろん知っているよ。
なんせ、君はあのロナポワレ家のご令嬢だからね。王家とロナポワレ家のつながりは長い。歴史研究家である僕が君たちの存在を知らないわけがないよ。」
その言い方に私はゴクリと喉を鳴らした。
知っていると言うのか?
王家とロナポワレ家しか知らないロナポワレの陰の任務を?
いや、しかし彼が嘘を語っている場合もある。我がロナポワレ家の存在意味は王家の者しか知ってはならないことなのだから。
「そんな警戒した顔をしないで。可愛い顔が台無しだよ、ビーアちゃん。
僕は史学家だ。歴史の傍観者に過ぎない。
君たち一族の事を他に話すつもりはないよ。
ただ、幼い頃からの学友があまりにも気が長すぎて、いくら歴史年表を見慣れているとしても時間かけすぎじゃないかなぁと思ってね。」
「?」
苦笑しながら、ふぅと軽くため息をつくチェラード殿の言っている意味がよくわからない。私の家と彼の学友になんの関係があると言うのだろう?
「僕は彼に妨害されて君に会うことがなかなかできなかったんだけどね。実は君と僕の学友アルフォンスが出会った時の話も知っているんだ。」
殿下が学友??
そ、そうか、確かに魔法史学と国史学オタクのアルフォンス殿下が、その道で有名なチェラード殿と知り合いでもおかしな話ではない。いや、しかし。
「私が王宮に来ていた頃にあなたとお会いしたことは一度もありませぬが......?」
「まったく会わせてもらえなかったからねぇ。普通ならどんだけ独占欲強いかと思っちゃうけど、あれは絶対策略だよね。」
「は?」
「わからない?」
「はぁ、まったく意味が...。」
きょとんとした顔で答えるわけのわからない私を見て、チェラード殿はあはははとお腹を抱えて笑い出した。
「いや、これは興味深い。ここまで鈍い、いや失礼、気付かないなんてアルも...ぷっ、あははははっ。そうだな。じゃあ、僕と学友達の研究のために国史学研究所まで建ててくれた王子様に敬意を表して、これだけは君に伝えといてあげようかな。」
にっこりと笑ったチェラード殿の顔はさっきまでの飄々とした雰囲気ではなく、その瞳は真剣ものに変わっていた。
「君が幼い頃常に独りぼっちだったのは、決して君が人見知りが激しいせいではないんだよ。
歴史の中でもロナポワレ家に生まれた者は必ず幼少期に他との繋がりをもたないよう育てられるんだ。
考えてごらん。いくら親達が『バランサー』の任務を内密に遂行していても、幼かった君の口からその内情を貴族の子息達を通して周囲にバラされては一族もろともお役御免になってしまう。あぁ、それだけでは済まないな。一族もろとも、貴族連中に社会から抹殺されるかもしれない。
バランサーは貴族や地方豪族、商業ギルドなどの力が偏らないよう王家が泰平を保つのに歴史上重要な役割をしてきたけれど、貴族平民達にすれば自分達の情報を王家に筒抜けにされるやっかいな存在にしか過ぎないからね。」
「.........。」
「だからアル......、アルフォンスは君を王宮に呼んだんだよ。大人より歴史に詳しい彼は10歳にしてロナポワレの内情を理解していた。なおかつ王族の子供である自分なら君の『居場所』を作れると思ってね。君が成長して本物の親友を見つけるまで、本当の自分の居場所を見つけることができるまで、と」
「え......?」
あの冷たい態度のアルフォンス殿下が、私の居場所を作ろうとしてくれていた?まさか。
「ということで、その展示の済んだ猫人形は君のものだと言うことだよ。」
「は?
今の話の流れで何故この非売品であろう特大ニャン人形が私のものということになるのでありますか?」
「王子は好きに処分しろと言ったよね?だったら自分の大事な人形を見知らぬ少年にうっかりあげてしまうお人好しが屋敷に持って帰ってもいいってことじゃないの?」
「......先程の少年との会話を聞いていたのですな?」
問うとにこやかに笑みを浮かべるチェラード殿。
まさか殿下も聞いていたのか?
......話の中で、殿下を態度のでかい嫌なやつとか言わなかったか、私?
いや、それにしても何故殿下は展示済みのニャン人形を抱えていたんだ?
あぁ、もうわけがわからない。
「はは、今年のクリスマスは、すごく、すごくいろんなことが起こりますな」
ふっと苦笑して息を吐いた時、王宮の渡り廊下から庭園中に響きそうな若い女性たちの声が聞こえた。
「ビーア様ああぁぁぁぁ!!」
「ビーア様ーっ!」
「アリィ殿。シャル殿。」
こっちにおいでと言うような手の振り方をしている2人に自然と口が綻んでしまう。
すると、チェラード殿にとんっと背中を押された。
「さあ、行っておいでよ。君の『居場所』に。」
粉雪がとめどなく降り注ぐ寒空の下、大きなクリスマスプレゼントを抱え走り出した私の心の中は、雪を溶かしてしまうぐらいに暖かかった。
〈クリスマスプレゼントを君に。完〉
◇ビーアちゃんの過去と現在、いかがでしたか?
本当はバレンタイン番外編をシャルロッテを主人公で...と考えていたのですが、あまりの亀投稿なので、次話から本編へと進みたいと思いますσ(^_^;)。