第116話 ≪エルケ
そのことに気づいて目を見開いたまま一瞬固まったわたしの鼻先を細かな水飛沫が通り過ぎた。
小さな煌めきを残しながら、ふわりとしかし意志を持って勢いをつけて水飛沫がどんどんと『響海の間』へと集まっていく。
その小さな小さな水飛沫の集まりが、まるで荒ぶる海の波のように『響海の間』の中央でうねり始めた。
「間に合ったか!」
周囲の貴族達と同じように目の前の不可思議な光景にあっけにとられていると、急にわたしの後ろから焦ったような男性の声がした。
振り返ると、洗練された衣装を身に纏った男性が、肩でぜいぜいと荒い息をして額にはうっすらと汗をかいて『響海の間』の扉を、衛兵を押し除けて自らの手で開けてこちらを見ている。わたしはその顔には見覚えがあった。ガーラント公爵家の領地にある屋敷に飾られていた当主の絵画にそっくりだったから。
「お父さま...。」
振り返った私の後ろで、アリシア嬢の消え入りそうなか細い声が聞こえた。
「すまない。アリシア。一人で不安だっただろう。
父様が来たからには大丈夫だよ。
あぁ。エルケにも大役を任せてしまったね。まだ王都の雰囲気にも慣れていないのに悪かった。
アリシア、...アリィ、じきにテオドールもここに駆けつける。安心しなさい。」
「......っ。」
一人でパーティー会場へと赴いた娘を労るガーラント公爵にアリシア嬢が目にうっすら涙を溜めて何か言おうとしたその時だった。
「なんだ。もう仕事を終えたのか。
ガーラント公爵家は優秀すぎるな。」
凛としたハリのある男の声が『響海の間』に響き渡る。
その声とともに先ほどうねりをあげて『響海の間』の中央で荒ぶっていた海の波のような水たちが、パンっと飛散した。
あたり一帯がその水の飛散により霧がかかったように白濁する。
しかしその白濁は一瞬で、すぐに視界ははっきりとしてきた。
わたしは目の前の光景に息をのむ。
(え。いつのまに玉座が!?)
そう、霧の消滅したわたしの目の前には、王の玉座。
そしてそれを囲むように両側に豪奢な椅子が並べられ、それぞれの椅子に座るべき高貴な方達が優雅に座っていた。
もちろん中央の玉座にも。
「実にめでたい日だ。やっと会えたな。
5人目の王太子妃候補、アリシアよ。」
玉座に座るに値する人物が、口元に微笑を浮かべながら先ほどの声でアリシア嬢に話しかけてきた。
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