第114話 ≪エルケ
◇
「.......エルケの嘘つき。」
目の前でふてくされる彼女の頬はまるで、ハムスターの頬袋のように大きく脹れていた。
「嘘など言っていません。お嬢様に最善の装いをご用意させていただく、と言いました。」
「これが最善っ!?だってこの色はっ!」
アリシア嬢はふぁさりとドレスを持ち上げて、これを見てよとばかりにずいっと私に詰め寄る。
「綺麗な海の青ですね。」
「〜〜〜〜っ!!着替える!」
「無理です。王家からもう迎えの馬車が来ていますから。」
「謀ったわね。やたらドレスの準備が遅いと思ってたのよ!」
「はかる、ですか。お嬢様はわたしより歳下なのにいつも難しい言葉を知ってらっしゃいますね。」
前々から大人びた口調だと不思議に思っていたことを特に深く探るつもりもなく言葉にしたつもりだったけど、なぜかアリシア嬢は「ぐっ」と変な声を小さく出して口を結んだ。
王太子妃教育とはこれほどなものかと思っていただけなのだけど。
「エルケは私の気持ちをわかってくれてると思ったのに。」
まだぶつぶつと文句を言いながら動き出さないアリシア嬢。彼女の脇に腕を通してズリズリと馬車へと引っ張っていって押し込んだ。
ガタゴトと揺れる豪奢な馬車の中。
窓から見える景色は次第に赤く染まり、夜の始まりを知らせていた。
「............。」
普段はお喋りなぐらいのアリシア嬢は、よほど私たち侍女たちが用意した衣装が気に入らなかったのか、床を見つめながらだんまりを決め込んでいる。
だけど、とくに親しくするつもりもないわたしにとっては好都合、そう思いながら俯いた彼女のつむじを見ていると、馬車の外からチェンバロやハープの優雅な音色が聞こえてきた。その音が次第に大きくなっていき、窓の外が明るくなったと思った途端、ガタタンと馬車が止まった。
馬車の窓からそっと外を覗く。
.......すごい。これが王宮。
王都に着いてから、遠目に王宮を観たことはあったが、こんなに間近で見るのは初めてだ。
白い壁に大きな沢山のガラス窓、夜空へと何本も伸びる塔、厳かな門の奥に見えるのは広大な庭園。
なんて厳かな。なんて眩しい。
そして門の外側に張り巡らされた沢山の結界のせいか、魔術師たちの魔力が交差して、おかしな浮遊感さえ感じて目の前がくらくらとしてくる。
ガーラント公爵家のタウンハウスを出発した時は夕暮れ時であったが、もうすっかり日は落ちてしまっている。なのに王宮はまるで昼間かのように輝いていた。
「光魔法ですよ。王宮の魔術師達が光属性の魔法で王宮内を照らしているのです。今日はパーティーだからいつもより眩しいかな。」
あまりにもわたしが王宮を見て唖然としていたからか、タウンハウスからずっと馬車を護衛してくれていた騎士が窓の外からわたしに説明をしてくれた。
「結界もいつもより強固に張り巡らされている。今日はガーラント家のような要人が沢山来ますからね。魔力酔いしないよう、門を通り過ぎて結界を抜けるまで窓を閉めてどうか馬車の中にいてください。」
門でのチェックが終わったのか馬車が、また緩やかに動き出した。
パチン、と爽やかにウインクして護衛騎士が馬車から少し離れ、並走をはじめる。
「お嬢様、窓を閉めますね。」
カタンと窓を閉めたが、アリシア嬢は俯いたまま返事すらしない。
ただ王宮に行くのを嫌がって拗ねているだけだろうと思い、また窓の外を眺めていたわたしは、そのときアリシア嬢が小刻みに震えていたことに全く気づいていなかった。